原水爆禁止運動 ――言語化から裁判へ――
原水爆禁止運動
――言語化から裁判へ――
闇に葬られようとしていた森友問題の真相が明らかにされつつあるのと時を同じくして、3月11日には「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」が開かれました。その集会での人見やよいさんとおしどり マコ・ケンさんたちのトークに触発され、森友問題が象徴する絶望的な日本政治を蘇生するためのキーワードは「言語化」と「当事者意識」の二つなのではないかという問題提起を何回か連続で行ってきました。
少し視野を広げて考えて見ると、現在人類が生存し続けているのは、安倍政治危機以上の「絶望的」な幾多の苦境を乗り越えて来たからに他ならないのですが、その経験からも「言語化」と「当事者意識」の大切さは読み取れるはずです。広島の歴史を振り返ることで、この点を検証したいと思います。
運命の1945年8月6日、「生き地獄」を体験し「この世の終り」だと思った被爆者たちは、直観的に自ら今全身で感じている事実が、人類生存と直接関わっていることを理解していました。しかし、人類史上未曽有の出来事を前に、それをどう捉えたら良いのかを短時間に「言語化」することは不可能でした。
それに輪を掛けたのがGHQ (連合国駐留軍) による「プレス・コード」と呼ばれた検閲制度でした。被爆者の間でさえ原爆についての情報のやり取りが行えないような厳しさでした。そんな環境下、それでも被爆の真実を言葉にした勇気ある作家や詩人がいました。正田篠枝、大田洋子、原民喜、峠三吉、栗原貞子等の人々です。
しかしながら、広島県被団協が2009年に出版した記念誌のタイトルが『空白の10年--被爆者の苦闘』であることは、多くの被爆者に取って、講和条約が結ばれ、プレス・コードがなくなった1952年を契機にしてようやく社会全体とのつながりができたことを示しています。コミュニケーションの手段としては言葉が中心ですので、これは被爆体験についての集団的な「言語化」が形を見せ始めたのが「空白の10年」後であることを示していると考えられます。
それを象徴する出来事として、後に平和記念資料館の館長を務められた高橋昭博さんが、1955年に開かれた第一回原水爆禁止世界大会で御自分の体験を話したことを挙げておきましょう。高橋さんの感動的な陳述を大会出席者一同が理解し共有してくれたのですが、それは高橋さんの胸を打ち、後に高橋さんは「生きていて良かった」という言葉で何度も当時の思いを語っています。
また、福屋前の電車の中で兄とともに被爆した石田明先生は、その後、法政大学を卒業して教師としての活動を始めます。全国被爆教師の会を立ち上げその会長を務めることをはじめ、平和教育や平和運動に大きな足跡を残しました。詩人としての活動は、被爆体験を元に綴った作品、『曖光20年』で1966年に第一回日教組文学書を受けていることに凝縮されています。
後には県会議員としても多くの人に慕われ頼りにされた存在でしたが、政治活動のしっかりした軸は核兵器の廃絶・平和運動でした。被爆者援護法の制定にも力を入れたことは勿論なのですが、御自分の目が白内障になり、それが多くの被爆者共通の悩みであることを強く感じた結果、「石田原爆訴訟」と呼ばれる裁判を起し、その裁判で勝訴、被爆者援護のための道を大きく広げました。
政治を動かすためには、被爆者援護法という法律制定が標準的な道筋です。同時に、言語化、法制化、そしてそれを厳密に適用するための裁判という手段も、その究極の形として今後も生かされなくてはなりません。
福島で人見さんたちも同じような道筋を辿りつつ頑張っています。こうした努力と、被爆者たちがこれまで闘ってきた軌跡も重ね合わせ、重層的な人類の歩みを感じつつ、志を次の世代につなげて行って欲しいと願っています。
[2018/3/18イライザ]
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