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2018年2月25日 (日)

ベンジャミン・フリス・ピアノ・リサイタル  ――小規模リサイタルの魅力を満喫――


ベンジャミン・フリス・ピアノ・リサイタル

――小規模リサイタルの魅力を満喫――

 

音響の優れた大ホールで聴くオーケストラやオペラ、合唱や吹奏楽の魅力については言うまでもないのですが、小規模のアンサンブルや室内楽、こじんまりした会場での音の近さの魅力には独特の迫力があります。

 

今回、目の前で演奏を堪能する機会のあったベンジャミン・フリスさんのビアノ・リサイタルもその一つでした。


 

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6年前のイェルク・デムス先生のリサイタルでは、結果的には、最後に駆け付けてくれた萩原麻未さんのジョイント・リサイタルを聴いたことにもなったのですが、その時の感激を懐かしく思い出しながらの愉悦の一時になりました。

 

デムス・萩原ジョイント・リサイタルは、ピアノは一台でピアニストが二人だったのですが、今回は一人のピアニストが二台のピアノを弾くという趣向でした。一台は「明子さんのピアノ」と呼ばれる被爆ピアノで、もう一台は以前デムス先生が所有していたベヒシュタインです。

 

「明子さんのピアノ」は、1926年にアメリカのBaldwin社で作られたもので、ロスアンゼルス生まれの河本明子さんと同じ年。1933年に広島に帰ってきた河本家の皆さんと共に広島に。明子さんは良くショパンを弾いていたそうですが、194586日に被爆、翌日19歳の若さで亡くなられました。ビアノも、ガラスの破片が突き刺さるなど大きな傷を負いましたが、2005年、河本さんの御両親からこのピアノを譲り受けたHOPEプロジェクトの二口(ふたくち)先生と調律師坂井原浩氏の献身的な修復作業により復活し、その後、平和を奏でるピアノとして活躍しています。

 

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明子さんのピアノとフリスさん二口さん、そして、主催者の渡辺さん

 

M.C.S YOUNG ARTISTS主催、坂井原ピアノ調律事務所で開かれたリサイタルでは、前半、フリス氏がこのビアノで、スカルラッティ、フィールド、ショパンを弾いてくれました。その時点で吃驚したことがいくつかあったのですが、その一つは、このピアノでこんなに凄い音が出るのだという驚きです。Baldwinのアップライトはアメリカでも良くお目にかかりましたが、これほどのダイナミックさと繊細さとを聴けるとは思ってもいませんでした。フリスさんそして坂井原さんに脱帽です。

 

ジョン・フィールドを聴いたのは初めてでしたが、アイルランド出身でノクターンの創始者的な存在であるフィールドももっと聴いてみたいと思いましたし、ショパンと併せて聞くことで、ポーランドとアイルランドの対比をしたくなったり、私に作曲の才能があれば、ジャポネーゼのような雰囲気を出せたのかもしれないなどと妄想を膨らますことになり、より豊かなショパン鑑賞ができたような気がしています。

 

後半は、ベヒシュタインの力を存分に使いこなしてのプゾーニの『カルメン幻想曲』とベートーベンのソナタ「田園」でした。プゾーニの『カルメン幻想曲』も初めてでしたが、カルメンに羽根を付けて躍らせたら、ということはチョッピリ、コミカルな味も加えてピアノで演奏したらこうなる、という感覚で楽しめましたし、ベートーベンは文句なく陶酔の境地でした。

 

演奏後にフリスさん自身の言葉で、若い頃はベヒシュタインを弾いていたとの紹介がありましたが、それは、御両親がナイトクラブに置いてあったものを買ってくれたものだったというエピソードも披露してくれました。ベヒシュタインの素晴らしさは、音の多様性にあること、オーケストラの楽器が全て奏でられるほどの豊かさを持った楽器だという点を強調されていたことも印象的でした。

 

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 自分で弾いてその素晴らしさを味わえないのが残念ですが、「このベヒシュタインに出会えたことだけでラッキーだよ」と慰めてくれました。確かに、デムス先生所縁の一台には、家人もそうですが、多くの人に弾いて貰うことでまだまだ活躍して貰わなくてはなりません。

 

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そして、もう一つ、私は整理の付かないほど多くのLPCDを持っていますが、ピアノ演奏のものはほとんどありません。特にCDで聞くピアノの音には大きな違和感があるのですが、その理由を改めて確認できました。ピアノは生で聴くべきなのです。仮にCDを聴くにしろ、先ずは生演奏の記憶があって、その記憶を脳内で再現するための助けとして使うのがCDの役割なのではないでしょうか。

 

となると、もっと身近に室内楽そしてビアノの演奏が聴ける場を探さなくてはなりません。かくして、またもう一つ、手掛けなくてはならないプロジェクトの誕生です。

 

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ハイファイと呼ばれるオーディオシステムに凝り、自宅に専用のリスニングルームまで作っていた知人が最後に辿り着いたのが、「音楽を聴くものではない」と馬鹿にしていたラジカセでした。それはヨーロッパなどにも頻繁に行って「生の音が頭に蓄積された結果だ」と言っていたことを思い出しました。

映像もハイビジョンから4Kに移り、更に8K時代も目前ですが、風景などは、どんなに精緻な映像でも、実際に自分の目で見た記憶の量によって感じるものが随分違うということを、特に最近になって思うようになりました。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

人間が実人生で経験することの大切さを改めて噛み締めています。音の世界、色の世界もそうですが、言葉の世界もあり、さらには心の世界まで広げて考える必要もありそうですね。

それが原因で、高校生の時に写真を撮るのを止めたことがあります。今でもそれは、正しい判断だったと思っています。

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ハイファイと呼ばれるオーディオシステムに凝り、自宅に専用のリスニングルームまで作っていた知人が最後に辿り着いたのが、「音楽を聴くものではない」と馬鹿にしていたラジカセでした。それはヨーロッパなどにも頻繁に行って「生の音が頭に蓄積された結果だ」と言っていたことを思い出しました。

映像もハイビジョンから4Kに移り、更に8K時代も目前ですが、風景などは、どんなに精緻な映像でも、実際に自分の目で見た記憶の量によって感じるものが随分違うということを、特に最近になって思うようになりました。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

人間が実人生で経験することの大切さを改めて噛み締めています。音の世界、色の世界もそうですが、言葉の世界もあり、さらには心の世界まで広げて考える必要もありそうですね。

それが原因で、高校生の時に写真を撮るのを止めたことがあります。今でもそれは、正しい判断だったと思っています。

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