2018年「1・27ネバダ・デー」座り込み
2018年「1・27ネバダ・デー」座り込み
広島県原水禁は、去る1月27日、「1・27ネバダ・デー」の座り込み、「2018年広島県原水禁理事総会」「第4回原水禁学校」などの取り組みを行いました。この活動の状況を、今日と明日の2回に分けて報告します。今日は、「1・27ネバダ・デー」の座り込みについて報告します。
米国・ユタ州シーダー市の「シティズンズ・コール」(代表ジャネット・ゴードン)が呼かけ、1984年以来毎年この日に実施している「1・27ネバダ・デーの座り込み」は、今年も厳しい寒さのなか午後0時15分から30分間、61名が参加し実施しました。
座り込みの意義や模様は、昨年のブログで報告していますので、今年は少し視点を変えてこの日の行動を振り返ってみたいと思います。
この行動を呼びかけた「シティズンズ・コール」は、ユタ州シーダー市で作られた「核実験による核被害者」によってつくられた市民組織です。なぜこの地に核被害者の組織ができたのかを考えてみたいと思います。
上の地図を見ていただければよく分かるようにシーダー市は、ネバダ核実験場からほぼ真東に位置し、240キロぐらい離れた街です。ちょっと注意をしてみていただきたい場所は、有名なラスベガスの位置です。核実験場から南東に位置していますが、シーダー市よりずいぶんと近い距離にありますが、ここでは核の被害は問題になっていません。近距離のラベカスでは問題になっていない核被害が、なぜ240キロも離れたシーダー市で問題になっているかということです。
1951年1月27日に初めてネバダ核実験場で核実験が行われ、以後1958年までに公表100回の大気圏内核実験(その後、地下核実験は1992年まで828回実施)が行われています。しかし100回を数える大気圏内核実験ですが、風向きが南東あるいは西に向かっている時は、実験は実施されませんでした。それは、この風向きで実施すると「死の灰」が、ラスベカスやロサンゼルスなどの多数の住民に影響を与えることを恐れたからです。ここでの核実験は、風が北ないし北東方向に吹いている時だけ行われたため、ネバダ州北部やユタ州の住民など実験場の風下に住む人々に上に「死の灰」が降り注いだのです。この地域は人口がまばらであるというのが理由であり、この地域に住む人々の存在は無視されました。
こうした中で、1980年にネバダ核実験場の風下地域に住む住民の被害調査と被曝者支援のため結成されたのが「シティズンズ・コール(市民の声)」で、その創設者の一人がジャネット・ゴードンさんです。ジャネットさんは、1985年8月に原水禁世界大会に参加するため初来日し、その後も原水禁とは、連携しながら運動を進めてきました。
ところで、核実験に関わってはもうひとつ面白い(という言い方は失礼かもしれませんが)資料があります。下の図です。
何を目的としたものかわかりますか。
1955年から米原子力委員会(現エネルギー省)が、ユタ州南部など風下地域の住民に配布した「ネバダ核実験場における原爆実験の影響」と題する40ページの小冊子の一部です。上側の絵は、「核爆発を見るときには濃い色のサングラスをかけるか、後ろを向く」と説明され、下の絵も「後ろを向け」ば核実験の影響は受けないということのようです。
ジャネットさんたちの話によれば、「当時、放射能の恐ろしさなど全く知らされていなかったので、多くの人々がネバダ核実験場が見える丘に上がって実験を眺め、やがて自分たちの頭上を原子雲が流れていくのを見た」ということです。その結果が、多くの住民にガンをはじめとする放射能による健康被害を広げたのです。
風下住民の核被害の問題について、少し長く触れたのは、昨年7月に成立した「核兵器禁止条約」では、「核兵器の禁止」だけでなく、前文で「核実験による被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害」が言及され、さらに第6条で「被害者に対する援助及び環境の回復」という核実験被害者の救済が条文に盛り込まれていることにもう少し関心持ってほしいという思いがあるからです。
そして強調しておきたいことは、ネバダ核実験場では今もなお、アメリカが行っている新型核兵器開発などのための臨界前核実験が行われているということです。核実験場が閉鎖されない限り、核兵器開発は続いているということです。今年の「ネバダ・デーのアピール」でも、「ネバダ核実験場を閉鎖させよう」を訴えの一番目に掲げています。35回目の「ネバダ・デー」の座り込みとなりましたが、残念ながらこのスローガンはいまも続いています。
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