野中さんの思い出 ――衣鉢を継ぐ政治家は誰か――
――衣鉢を継ぐ政治家は誰か――
野中広務さんが逝去されました。92歳ですが、出来れば100歳までも生きて、厳しくも的確なアドバイスをし続けて欲しかったという気持です。
1990年に私が衆議院選挙で初当選した時に、社会党の一年生議員30人ほどの仲間が集まって政治を新しくするための政策集団「ニューウエーブの会」を立ち上げました。最初にしたことの一つが、「先生と呼ばない呼ばせない」運動です。政治家だという理由だけで、「先生」になってはいけないし、そう呼ぶ人がいたら、自分たちは対等の関係で仕事をする決意だという説明をするという趣旨でした。
しかし、政治の世界でも、自然に「先生」と呼びたくなるような人格者や、後に付いて行きたくなるお師匠さんのような人が沢山いました。例えば、元衆議院議長だった故田村元「先生」ですし、野中広務さんも立派な先生でした。でも、野中さんは「さん」なのです。
人情味あふれる人柄で、同時に戦争と平和、憲法の価値、弱者とともに歩むといった基本的姿勢については揺るがぬ信念を貫き通す頑固な人でもありました。大物政治家の持つべき資質として必要不可欠な「政治力」については、万人の認めるところですので、多言はしなくても良さそうです。
私たち、当時、社民党の議員として行動を共にしていた何人かが野中さんの下へ集まるようになったのは、彼が、1997年4月に「日米安保条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員長」として、委員会報告を本会議でした後でした。沖縄の米軍基地確保のための特別措置法でしたが、報告が形の上では終ってから野中さんは、かつて沖縄を訪れたときに宜野湾市の嘉数の丘で、タクシー運転手から聞かされた言葉「お客さん、あそこで、あそこで、私の妹は殺されたのです。アメリカ軍じゃないんです」を前置きにして、最後に、「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないようことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります。」で締め括りました。
この一節は、国会の議事録から削除されてしまうのですが、削除すること自体、国会として恥ずべきことだと思います。それはさておき、演説中の「若い皆さん」に私たちも入るはずだと考えて、現宝塚市長の中川智子さんたち一緒に野中さんに会いに行ったのが、始まりでした。
何度かお会いする内に御自分の体験を元にいろいろなことを教えて下さいました。「自分たち子どもたちの子守をしてくれたのは、朝鮮人の女性だった。当時、忙しく立ち働いていた両親が子どもたちのためにと考えた結果だった。この女性がとても優しい人で、いっしょにご飯を食べたり、いっしょに寝たりもしたことが、朝鮮の人たちへの私の原点だ。」
そんな雰囲気で、野中「先生」ではなく、兄貴分的な感じで野中「さん」と呼び続けましたし、相談事にも乗って貰いました。
議員を辞めて広島市長選挙に出るときも相談しましたが、まず、強く引き止められました。私としては、広島市長の世界的な意味や被爆者のメッセージを後世に残す意味などを説明したのですが、その後に、「選挙には勝てるのか?」という厳しい一言がありました。「勝てます!」と答えましたが、勝つためには何でもするという決意を固めさせるための戒めだったのかもしれません。
そして、選挙が始まると、「内閣官房長官 野中広務」という銘の入った自筆の檄文を贈って下さいました。
そして当選後にはお祝いの一席を設けて下さったのですが、そこでのアドバイスは「議員と首長は違う。議員の立場での発言はいくら鋭くても問題はない。でも、首長の発言で最も気を付けなくてはならないのは、議員を侮辱してしまうことだ。本人にそう聞えてしまったら、それは侮辱になってしまっている。君ならし兼ねないから、注意すること。」でした。
これは、首長と議員との関係だけではなく、私の対人関係についての兄貴からの親身の諫言でした。でも、なかなか野中さんの意に沿うのは難しく、ようやく最近になって少しずつ改善の徴が見えてきたような気がしています。
数多の思い出を噛みしめつつ、野中さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。
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野中広務氏とそのような接点がおありだったとは。
アキバ・ウィークリーにニューウエーブの会、なつかしいです。
あの頃のことなら「社会党」表記のほうが。
(昔の名前でいいじゃん=党名もどしなよ派、なもので)
今日のTBSサンデーモーニング→ 野中氏ミニミニミニ追悼。
国会でのVTR『...若い皆さんにお願いをして... 』→ これですかしら。
その前を映す気骨が局側に、あるわきゃないかTBSでも。
2003『渡邉恒雄 メディアと権力』by魚住昭がおもしろかったので、
2004『野中広務 差別と権力』を。
ナベツネと比べること自体ナンセンスながら、読み物としては少々地味でした。
それがかえって野中氏らしいか。
「されど映画」様
コメント有り難う御座いました。紛らわしい書き方をしてしまい、申し訳ありません。「ニューウェーブの会」の時は社会党でしたし、その頃の仲間も多くいて一緒に行動していました。中川さんたちが当選したのは、社民党に変ってからですので、そのあたりの線引きをきちんとしておくべきでした。御指摘に沿って、社会党と社民党の違いが分るよう、少し書き直しました。有難う御座いました。
『渡邉恒雄 メディアと権力』by魚住昭と『野中広務 差別と権力』の御紹介、有難う御座います。追悼のためにも、野中さんについてのこの二冊、読んで見る積りです。
風貌からタカ派に見えていましたが、ハト派でしたよね。
好き嫌いは別にして、政治家らしい方が減りましたよね。
「⑦パパ」様
コメント有り難う御座いました。
そうですね。小選挙区という酷い制度のせいもありますが、小粒で個性のない政治家ばかりという感じさえします。
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野中広務氏とそのような接点がおありだったとは。
アキバ・ウィークリーにニューウエーブの会、なつかしいです。
あの頃のことなら「社会党」表記のほうが。
(昔の名前でいいじゃん=党名もどしなよ派、なもので)
今日のTBSサンデーモーニング→ 野中氏ミニミニミニ追悼。
国会でのVTR『...若い皆さんにお願いをして... 』→ これですかしら。
その前を映す気骨が局側に、あるわきゃないかTBSでも。
2003『渡邉恒雄 メディアと権力』by魚住昭がおもしろかったので、
2004『野中広務 差別と権力』を。
ナベツネと比べること自体ナンセンスながら、読み物としては少々地味でした。
それがかえって野中氏らしいか。
投稿: されど映画 | 2018年1月28日 (日) 12時22分
「されど映画」様
コメント有り難う御座いました。紛らわしい書き方をしてしまい、申し訳ありません。「ニューウェーブの会」の時は社会党でしたし、その頃の仲間も多くいて一緒に行動していました。中川さんたちが当選したのは、社民党に変ってからですので、そのあたりの線引きをきちんとしておくべきでした。御指摘に沿って、社会党と社民党の違いが分るよう、少し書き直しました。有難う御座いました。
『渡邉恒雄 メディアと権力』by魚住昭と『野中広務 差別と権力』の御紹介、有難う御座います。追悼のためにも、野中さんについてのこの二冊、読んで見る積りです。
投稿: イライザ | 2018年1月28日 (日) 20時52分
風貌からタカ派に見えていましたが、ハト派でしたよね。
好き嫌いは別にして、政治家らしい方が減りましたよね。
投稿: ⑦パパ | 2018年1月29日 (月) 09時15分
「⑦パパ」様
コメント有り難う御座いました。
そうですね。小選挙区という酷い制度のせいもありますが、小粒で個性のない政治家ばかりという感じさえします。
投稿: イライザ | 2018年1月29日 (月) 10時40分