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2018年1月

2018年1月31日 (水)

1月のブルーベリー農園

1月のブルーベリー農園

 

20181月は例年になく寒い月だった。ブルーベリー農園は東広島市豊栄町にあるが隣の福富町からさらに高い町で農園のある場所は標高約400mある。この時期外で作業をしていると午後3時頃から急に冷気がやってくる。

夏の安芸の郷へのブルーベリーの納品に備えて冬から春にかけては約1000本のブルーベリー剪定が欠かせない。一番最初に里山に植えたのが2000年で、幸い枯れなかったので翌年も田んぼに転作で植えて今に至っている。

 

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植えてから17年から18年たっているのでこれらの木は太いのだが間引いたり、品種によっては1本~2本間隔で全部切って更新をすることを基本方針にして作業を始めている。

正月明けからばさばさ切っていく。16日(土)

 

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切ってたまった枝を野焼きする。17日(日)

 

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114日(日)に農園に来てみると室内の蛇口も凍って井戸の水が出ないので、地元の電気屋さんに来てもらう。今日はテストもできないのでポンプの作動チェックだけして後日点検することになった。マイナス16度まで下がる低温被害で100件を超える修理依頼が来ていて、3040年前に一度低温被害があって以来の出来事だそうだ。

電気屋さんが帰ったあとで風呂の蛇口が裂けてしまったのも発見したが、打つ手はなくとりあえずバケツで受けておく。後日修理に来ていただきポンプに異常がないことを確認して取り換えてもらった。

 

 

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雑木の伐採が続いている。山の東側のブルーベリー園で、ブルーベリーの木に覆いかぶさっているスギやヒノキの枝を切る。114日(日)



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伐採の作業の場所から「とんど」の煙が見える。豊栄のあちこちで「とんど」が午後から行われていて、手を休めて見ていると火が入り煙が一斉にのぼる。

農園の松飾も別の場所の「とんど」で焼いてもらうので、持っていく途中、車でその場所に行く近所の方に出会い「持って行っていくよ」と声をかけて頂いたので渡して、焼くことができた。

 

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正月明けは鳥の鳴き声も聞こえずひっそりとしていたが、中旬になってから野鳥がやってきて(写真中央上に一羽)農園の枝枝に飛び移ったり、ムラサキシキブの実をついばんだりしている。シジュウガラ、ヤマガラも見える。そのほかの野鳥もいたが名前は分からない。下旬にはヒヨドリも帰ってきて、にぎやかになってきた。

今冬もキジが農園に住みついたようだ。撮影はできなかったが1月に3回姿を確認した。昨年に続いてきてくれるのでちょっとうれしい。121日(日)

 

12728日と行事が入っているので農園に行けない。27日(土)の午前中に行われた安芸の郷のみみずく家族会の親睦会が1時過ぎに終わったのでその足で午後から、農園の見回りに行く。

 

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 電気柵の点検。イノシシやシカが入ってこないように電気柵を設置しているが乾電池の能力が少なくなったので赤いランプがついている。取り換えて帰る。暗くなると電源が入る仕組みになっている。今の季節は夜が長いので電池の消耗も早い。

 

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 家の周囲の点検。軒先につららがびっしり。危ないので長い柄の箒で落とした。ナンテンはまだしっかり実をつけている。

 

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 庭のモクレンの花芽

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 強い寒波で落葉していないブルーベリーの葉は変色しているが、花芽はびくともしていない。ラビットアイ系ウッダード。

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社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

  

 

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2018年1月30日 (火)

広島県原水禁第87回理事総会と第4回原水禁学校

    広島県原水禁第87回理事総会と第4回原水禁学校

 

今日は、昨日に続き1月27日に開催された「広島県原水禁第87回理事総会」と「第4回原水禁学校」について報告します。

 

広島県原水禁は、毎年1月27日に「広島県原水禁理事総会」を開催し、昨年一年間の活動の総括と新年度の活動方針を決めます。土曜日の今年は、昼の「ネバダ・デー座り込み」を終えて、午後2時から自治労会館で来賓に連合広島の久光会長をお招きし「第87回理事総会」を開催しました。

 

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昨年の活動については、このブログでも紹介していますので、2018年度の特徴的な活動方第針をここでは掲載します。

第1は、「核兵器禁止条約」の批准に向けて、特に日本政府の核政策を変えさせる運動を強化することです。そのために、国会議員への働きかけや県内自治体議会で批准に向けての決議を採択させることです。そのためにも被爆者団体から提起されている「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶署名」を積極的に取り組むことも決めました。

第2は、2018年「原水禁学校」を開催し、若い人たちへの運動を継承する努力を続けることです。

第3は、昨年2月に広島地裁に提訴した「被爆二世への国家補償と援護」を求める被爆二世裁判への支援を強化することです。

第4は、安倍政権が進めようとしている「憲法改悪」を許さない活動を多団体と協力して、原水禁としても強化することです。

もちろん、これまで取り組んできた様々な課題を今年も強化することは当然です。

最後に「理事総会決議」を採択し、終了しました。

 

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「第87回理事総会」終了後、第4回原水禁学校が始まりました。

今回の講師は、県原水禁常任理事で原発はゴメンダヒロシマ市民の会代表の木原省治さんで、テーマは「エネルギー基本計画と脱原発」でした。

いくつか印象に残ったことを記します。

その一つは、木原さんは、脱原発運動に関わることになったきっかけです。

1978年、初めて訪れたアメリカで、交流した各地の市民団体の人たちから「ヒロシマ・ナガサキデーを、原発の施設前で非暴力運動として行っている」と言われたことが、原発問題と関わるきっかけとなり、その年の10月に「原発はゴメンダヒロシマ市民の会」を結成し、脱原発の活動を開始したということです。何よりその行動力のすばらしさに脱帽です。

二つ目は、「電力供給は過剰な状況が続いている」ことを、中国電力が作成している資料から具体的に、説明されたことです。ここ最近非常に厳しい寒さが続き、ニュース番組などでは「節電」を呼びかけていますが、それでも十分すぎるほど電力は供給されているとのことです。島根3号機も上関原発も全く必要がないことが数字をもって示されました。

 

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              原発建設反対運動を続ける祝島から上関原発予定地を見る

三つめは、今回のテーマでもある「エネルギー基本計画」への私たちの態度です。昨年から、「エネルギー基本計画」の見直し論議が始まり、今年には新たな「基本計画」が策定されることになりますが、「原発をベースロード電源」とする現在の基本計画を「骨格を変えないまま」では、当然済みそうにない状況にあることを「①核燃料サイクルの破たん②安全対策費の高騰と福島原発事故処理の見通しが立たない③実効ある避難計画が立たない」ことなどを具体的数字も含めて問題提起されました。

そして私たちの運動によって新「エネルギー基本計画」で「新増設はしない」ことを明記させれば、島根原発3号機は運転できず、上関原発計画も断念させることができることが強調されました。

今回の講演は、参加者40名にとっても「ストン」と気持ちの中に納まる中味で、今後の私たちの運動の大きな力となる内容でした。

次回第5回原水禁学校は、2月9日に講師:足立修一弁護士、テーマ「被爆二世裁判の意義と課題」で実施します。

 

 

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2018年1月29日 (月)

2018年「1・27ネバダ・デー」座り込み

        2018年「1・27ネバダ・デー」座り込み

 

広島県原水禁は、去る1月27日、「1・27ネバダ・デー」の座り込み、「2018年広島県原水禁理事総会」「第4回原水禁学校」などの取り組みを行いました。この活動の状況を、今日と明日の2回に分けて報告します。今日は、「1・27ネバダ・デー」の座り込みについて報告します。

 

2018

 

米国・ユタ州シーダー市の「シティズンズ・コール」(代表ジャネット・ゴードン)が呼かけ、1984年以来毎年この日に実施している「1・27ネバダ・デーの座り込み」は、今年も厳しい寒さのなか午後0時15分から30分間、61名が参加し実施しました。

座り込みの意義や模様は、昨年のブログで報告していますので、今年は少し視点を変えてこの日の行動を振り返ってみたいと思います。

この行動を呼びかけた「シティズンズ・コール」は、ユタ州シーダー市で作られた「核実験による核被害者」によってつくられた市民組織です。なぜこの地に核被害者の組織ができたのかを考えてみたいと思います。

 

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上の地図を見ていただければよく分かるようにシーダー市は、ネバダ核実験場からほぼ真東に位置し、240キロぐらい離れた街です。ちょっと注意をしてみていただきたい場所は、有名なラスベガスの位置です。核実験場から南東に位置していますが、シーダー市よりずいぶんと近い距離にありますが、ここでは核の被害は問題になっていません。近距離のラベカスでは問題になっていない核被害が、なぜ240キロも離れたシーダー市で問題になっているかということです。

1951年1月27日に初めてネバダ核実験場で核実験が行われ、以後1958年までに公表100回の大気圏内核実験(その後、地下核実験は1992年まで828回実施)が行われています。しかし100回を数える大気圏内核実験ですが、風向きが南東あるいは西に向かっている時は、実験は実施されませんでした。それは、この風向きで実施すると「死の灰」が、ラスベカスやロサンゼルスなどの多数の住民に影響を与えることを恐れたからです。ここでの核実験は、風が北ないし北東方向に吹いている時だけ行われたため、ネバダ州北部やユタ州の住民など実験場の風下に住む人々に上に「死の灰」が降り注いだのです。この地域は人口がまばらであるというのが理由であり、この地域に住む人々の存在は無視されました。

 こうした中で、1980年にネバダ核実験場の風下地域に住む住民の被害調査と被曝者支援のため結成されたのが「シティズンズ・コール(市民の声)」で、その創設者の一人がジャネット・ゴードンさんです。ジャネットさんは、1985年8月に原水禁世界大会に参加するため初来日し、その後も原水禁とは、連携しながら運動を進めてきました。

ところで、核実験に関わってはもうひとつ面白い(という言い方は失礼かもしれませんが)資料があります。下の図です。

 

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何を目的としたものかわかりますか。

1955年から米原子力委員会(現エネルギー省)が、ユタ州南部など風下地域の住民に配布した「ネバダ核実験場における原爆実験の影響」と題する40ページの小冊子の一部です。上側の絵は、「核爆発を見るときには濃い色のサングラスをかけるか、後ろを向く」と説明され、下の絵も「後ろを向け」ば核実験の影響は受けないということのようです。

ジャネットさんたちの話によれば、「当時、放射能の恐ろしさなど全く知らされていなかったので、多くの人々がネバダ核実験場が見える丘に上がって実験を眺め、やがて自分たちの頭上を原子雲が流れていくのを見た」ということです。その結果が、多くの住民にガンをはじめとする放射能による健康被害を広げたのです。

 

風下住民の核被害の問題について、少し長く触れたのは、昨年7月に成立した「核兵器禁止条約」では、「核兵器の禁止」だけでなく、前文で「核実験による被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害」が言及され、さらに第6条で「被害者に対する援助及び環境の回復」という核実験被害者の救済が条文に盛り込まれていることにもう少し関心持ってほしいという思いがあるからです。

 

そして強調しておきたいことは、ネバダ核実験場では今もなお、アメリカが行っている新型核兵器開発などのための臨界前核実験が行われているということです。核実験場が閉鎖されない限り、核兵器開発は続いているということです。今年の「ネバダ・デーのアピール」でも、「ネバダ核実験場を閉鎖させよう」を訴えの一番目に掲げています。35回目の「ネバダ・デー」の座り込みとなりましたが、残念ながらこのスローガンはいまも続いています。

 

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2018年1月28日 (日)

野中さんの思い出 ――衣鉢を継ぐ政治家は誰か――


野中さんの思い出

――衣鉢を継ぐ政治家は誰か――

 

野中広務さんが逝去されました。92歳ですが、出来れば100歳までも生きて、厳しくも的確なアドバイスをし続けて欲しかったという気持です。

 

1990年に私が衆議院選挙で初当選した時に、社会党の一年生議員30人ほどの仲間が集まって政治を新しくするための政策集団「ニューウエーブの会」を立ち上げました。最初にしたことの一つが、「先生と呼ばない呼ばせない」運動です。政治家だという理由だけで、「先生」になってはいけないし、そう呼ぶ人がいたら、自分たちは対等の関係で仕事をする決意だという説明をするという趣旨でした。

 

しかし、政治の世界でも、自然に「先生」と呼びたくなるような人格者や、後に付いて行きたくなるお師匠さんのような人が沢山いました。例えば、元衆議院議長だった故田村元「先生」ですし、野中広務さんも立派な先生でした。でも、野中さんは「さん」なのです。

 

             

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人情味あふれる人柄で、同時に戦争と平和、憲法の価値、弱者とともに歩むといった基本的姿勢については揺るがぬ信念を貫き通す頑固な人でもありました。大物政治家の持つべき資質として必要不可欠な「政治力」については、万人の認めるところですので、多言はしなくても良さそうです。

 

私たち、当時、社民党の議員として行動を共にしていた何人かが野中さんの下へ集まるようになったのは、彼が、1997年4月に「日米安保条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員長」として、委員会報告を本会議でした後でした。沖縄の米軍基地確保のための特別措置法でしたが、報告が形の上では終ってから野中さんは、かつて沖縄を訪れたときに宜野湾市の嘉数の丘で、タクシー運転手から聞かされた言葉「お客さん、あそこで、あそこで、私の妹は殺されたのです。アメリカ軍じゃないんです」を前置きにして、最後に、「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないようことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります。」で締め括りました。

 

この一節は、国会の議事録から削除されてしまうのですが、削除すること自体、国会として恥ずべきことだと思います。それはさておき、演説中の「若い皆さん」に私たちも入るはずだと考えて、現宝塚市長の中川智子さんたち一緒に野中さんに会いに行ったのが、始まりでした。

 

何度かお会いする内に御自分の体験を元にいろいろなことを教えて下さいました。「自分たち子どもたちの子守をしてくれたのは、朝鮮人の女性だった。当時、忙しく立ち働いていた両親が子どもたちのためにと考えた結果だった。この女性がとても優しい人で、いっしょにご飯を食べたり、いっしょに寝たりもしたことが、朝鮮の人たちへの私の原点だ。」

 

そんな雰囲気で、野中「先生」ではなく、兄貴分的な感じで野中「さん」と呼び続けましたし、相談事にも乗って貰いました。

 

議員を辞めて広島市長選挙に出るときも相談しましたが、まず、強く引き止められました。私としては、広島市長の世界的な意味や被爆者のメッセージを後世に残す意味などを説明したのですが、その後に、「選挙には勝てるのか?」という厳しい一言がありました。「勝てます!」と答えましたが、勝つためには何でもするという決意を固めさせるための戒めだったのかもしれません。

 

そして、選挙が始まると、「内閣官房長官 野中広務」という銘の入った自筆の檄文を贈って下さいました。

 

そして当選後にはお祝いの一席を設けて下さったのですが、そこでのアドバイスは「議員と首長は違う。議員の立場での発言はいくら鋭くても問題はない。でも、首長の発言で最も気を付けなくてはならないのは、議員を侮辱してしまうことだ。本人にそう聞えてしまったら、それは侮辱になってしまっている。君ならし兼ねないから、注意すること。」でした。

 

これは、首長と議員との関係だけではなく、私の対人関係についての兄貴からの親身の諫言でした。でも、なかなか野中さんの意に沿うのは難しく、ようやく最近になって少しずつ改善の徴が見えてきたような気がしています。

 

数多の思い出を噛みしめつつ、野中さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。

 

 

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コメント

野中広務氏とそのような接点がおありだったとは。
アキバ・ウィークリーにニューウエーブの会、なつかしいです。
あの頃のことなら「社会党」表記のほうが。
(昔の名前でいいじゃん=党名もどしなよ派、なもので)
今日のTBSサンデーモーニング→ 野中氏ミニミニミニ追悼。
国会でのVTR『...若い皆さんにお願いをして... 』→ これですかしら。
その前を映す気骨が局側に、あるわきゃないかTBSでも。
2003『渡邉恒雄 メディアと権力』by魚住昭がおもしろかったので、
2004『野中広務 差別と権力』を。
ナベツネと比べること自体ナンセンスながら、読み物としては少々地味でした。
それがかえって野中氏らしいか。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。紛らわしい書き方をしてしまい、申し訳ありません。「ニューウェーブの会」の時は社会党でしたし、その頃の仲間も多くいて一緒に行動していました。中川さんたちが当選したのは、社民党に変ってからですので、そのあたりの線引きをきちんとしておくべきでした。御指摘に沿って、社会党と社民党の違いが分るよう、少し書き直しました。有難う御座いました。

『渡邉恒雄 メディアと権力』by魚住昭と『野中広務 差別と権力』の御紹介、有難う御座います。追悼のためにも、野中さんについてのこの二冊、読んで見る積りです。

風貌からタカ派に見えていましたが、ハト派でしたよね。
好き嫌いは別にして、政治家らしい方が減りましたよね。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

そうですね。小選挙区という酷い制度のせいもありますが、小粒で個性のない政治家ばかりという感じさえします。

2018年1月27日 (土)

世界終末時計 ――1947年からの71年間で、一番滅亡に近い年が2018年です――


世界終末時計

――1947年からの71年間で、一番滅亡に近い年が2018年です――

 

「世界終末時計」は、英語の「Doomsday Clock」の意訳です。「Doomsday」とは、人類滅亡の日を指しますので、「人類滅亡時計」でも良いのですが、一般的には「世界終末時計」が定着しているようです。それは、今現在が、人類滅亡の日・世界終末の日にどのくらい近いのかを示す時計です。

 

今年は人類滅亡二分前です。昨年、核兵器禁止条約ができたとはいえ、北朝鮮の核兵器やミサイルの開発、そしてトランプ大統領の挑発的な言動等を併せて考えると、いつ何が起きても不思議ではない状況だということを示している「二分前」だと思います。そして最近の荒天と気候変動との関係も示しているように、そちらの影響が人類を終末の方向に押しやっているという点も、指摘されています。

 

               

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1947年以来、人類が共有し、ある年には危機的状況であることに絶望感を持ち、それでも事態の改善に努力し、またある年には雪融けの訪れにチョッピリは安堵したりという、多くの人々の思いを代弁するシンボルとしてのこのアイコンは、『The Bulletin of the Atomic Scientists (原子力科学者会報) という、原子力科学者たちの専門誌が創りました。

 

毎年125日に発表するのが恒例になっていますが、1989年からは、環境面からの影響も勘案して、どのくらい終末に近付いているのかを決定しているそうです。

 

昨年は、世界の終末2分半前でしたので、今年の方がより危機的な年になったことが分ります。そして、1947年以来、「2分前」になったのは一度だけ、米ソの核軍拡競争が激しかった1953年しかありません。

 

念のために、71年の間に人類はどのくらい「滅亡」に近付いたのか、振り返ってみましょう。

 

 

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国際的な緊張が一番緩んだのは1991年、終末時計は、終末まで17分を示しています。ベルリンの壁崩壊に象徴されるソ連邦の解体と、東西の雪融けに多くの人が期待した結果ですが、その後、終末時計は右肩下がりで、人類滅亡に近付いていることを示しています。

 

その理由の一つは、ただ単に核兵器の危険性だけではなく、気候変動による地球環境の激変もカウントされていますし、新たな技術による人類滅亡の可能性等も考慮されています。

 

より詳しくは、『The Bulletin of the Atomic Scientists』のホームページをお勧めします。定期的にアップデートも送って貰えます。記事を一つ読むだけでもかなりの勉強になりますので、その活動を支援するための寄付も検討して頂ければ幸いです。

 

 

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2018年1月26日 (金)

相撲協会評議員会議長の思考 ――モンゴルは平和を大切にする国です――


相撲協会評議員会議長の思考

――モンゴルは平和を大切にする国です――

 

公益財団法人では、評議員会が法人の最高議決機関ですので、その議長はその法人の最高責任者と言って良いでしょう。理事会と理事長は業務執行の責任者です。ということから公益財団法人・日本相撲協会の評議員会議長は、相撲協会の「意思決定」の最高責任者です。つまり、議長の言葉は相撲協会としての公式の考え方を示していると考えられます。

 

その池坊議長が『週刊文春』のインタビューで、白鵬の張り手やかち上げについて「理事会で取り上げるべきこと」という見解を示した上で、

 

「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ」

 

と述べています。張り手やかち上げについて、相撲協会としてのきちんとした対応を理事会で決めるべきだという点には賛成ですが、その理事会を指導する立場の評議員会として、その後のモンゴル人についての断定は頂けません。最低限、無知に基づいた決め付けは避けるべきでしょう。その視点からの問題提起です。

 

池坊議長の決め付けをまとめると、一つの国や民族の行動の原理原則は、DNA、つまり、その国や民族を構成する人々の生物学的特性によって動かし難く決まっているという前提があります。だから、その集団に属する個人の言動もそれに縛られている、という結論になります。

その延長線上で、「○○人種は劣っている」とか「××人種は他のどの人種より優れている」といった主張が歴史的には何度も現れてきました。ヒットラーがその典型です。池坊発言には、それほどの悪意も意図もなかったと信じていますが、DNAやモンゴルについての無知は指摘しておかなくてはなりません。

   

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By Forluvoft (File:DNA simple2.svg) [Public domain], via Wikimedia Commons

         
   

 その前に、相撲協会として自覚できなかった、それ以上に協会そのものに浸み付いてしまっているかのように見える「暴力容認」体質から目を逸らさせ、「暴力容認」は相撲協会や親方、そして各部屋の「伝統」とは無関係、という印象を作りだすことになっている点も問題です。

 

さて、DNAを問題にするのなら、これは科学的に検証可能な事柄なのですから、そちらの知見を活かさなくてはなりません。

 

モンゴルと言えばチンギス・カンや彼の孫のフビライ・ハーンが有名ですが、彼らとDNAとを合わせて考えると、次の事実が頭に浮びます。それは、世界の男性の中で、チンギス・カンのDNAを受け継いでいる人の率が高い、そしてその人たちは日本にも住んでいる、という遺伝学者の主張です。だとすると、日本人の中にも狩猟民族の血が流れていることになるのですから、白鵬だけを特別視するのはおかしいということになります。

 

さらにある国の特徴を一言で表現する場合、「狩猟民族」か「農耕民族」かという、概念化や定義の難しい基準を使うのではなく、例えば選挙によって選ばれた政府が一国の政策としてどんな立場を取っているのか、それも国連という比較可能な場を通しどのような主張をしているのかを物差しにした方が信頼度は高いと思うのですが、如何でしょうか。

 

例えば、現在のモンゴルの外交政策で世界的に注目されているのは、一国で「非核兵器地帯」として国連に認定されている事実です。世界的に、南半球は全て非核兵器地帯条約を批准していますが、北半球では、中央アジアと東南アジア、そしてモンゴルだけです。一国だけではあっても、条約と同じ強制力を伴った形で核兵器反対の立場を明確にしている国、そしてそれを支持している国民や民族は、核兵器を保有したり、核兵器を使うという前提で国際問題に対処している国より「非暴力的」かつ「平和的」だと言って良いのではないでしょうか。

 

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青の地域は、非核兵器地帯です

By Original uploader: JWB (File:BlankMap-World6.svg with recoloring.) [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

 

そして、モンゴルは、201777日に採択された核兵器禁止条約にも賛成票を投じています。御存知のように「唯一の被爆国」であることを標榜している日本は、これに反対しましたし、条約案をまとめるための努力に対する積極的な妨害もしてきました。

 

こうした結果だけを見て、非暴力支持のモンゴル、暴力を肯定する日本、と結論付けることも可能です。

 

もちろん、平和憲法の下に国際的な立ち振る舞いを規制してきた日本という国家が、平和国家だという主張も、(安倍政権でそれが崩れつつあることを差し引いても) 世界的にはまだ認められていると考えられます。

 

となると、平和憲法による評価では世界が一目置いていた日本を、核兵器禁止条約という画期的な出来事を通して眺めると、その影が薄れ、一国非核地帯を宣言したモンゴルの方が、非暴力・平和という分野では先んじていると見られているというまとめは、かなり正確な国際的評価の要約になります。

 

仮に、個人個人の行動が、一国の「社会」や「民族」の特性の結果であるという因果関係が存在すると仮定すれば、非暴力・平和というレベルではそれほど差がない、あるいはより非暴力的な国出身の力士が、土俵の上では、日本人力士より暴力的だという結論にはなりません。

 

ましてや、「狩猟民族」だからという「原因」によって、土俵の上での暴力的行動が生れる、という「因果関係」が存在するとの主張には無理があります。

 

最後に付け加えておくと、1990年代から、ジャック・ウエザーフォードという人類学者・歴史学者によって、各地に散逸していた多数のモンゴルの歴史文書の比較考量・読み解きが行われました。その結果、チンギス・カンについての多くの新事実が発見されています。例えば、女性の能力を高く買って、政治的にも高い立場に登用したことや、宗教の自由という概念もチンギス・カンが、自ら支配した地域に導入した法的な概念で、それが、アメリカにまで伝わって、トマス・ジェファソンの力でアメリカの憲法に取り入れられた、といった歴史です。

 

となると、モンゴルの歴史からは、寛容で多様性を尊重するという価値観を大切にしていた民族だ、と考えることも可能です。ジャック・ウエザーフォードの調査・研究の成果については稿を改めて御紹介します。

 

 

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コメント

最近の相撲協会をみると公益法人より指定暴力団の方が相応しいように思えます。

この方の考え方なら、家元制の中で生まれ育った人が、平等な立場で判断すべき評議会に所属するのは間違っているとなるでしょうね。
評議会にしても横綱審議会にしても、とても偏っているように感じます。
相撲協会は、税金対策のためだけの公益法人に見えます。
認可を取り消すべきですね。
国民から税金のように徴収されたNHKの受信料金が、放映料として使われているのですから、儲かったお金は税金として徴収し、社会に還元すべきです。

相撲協会もNHKも国から様々の保護を受けているようですが、
もう限界ですね。
トランプさんはメデイアを目の敵にしていますが、
日本のメディアは権力とベッタリのようです。
いずれ新聞社は潰れ、
そのときには相撲協会も消えるのでしょうね。
それによって困る人は、そこに住んでいる人たちと自民党の議員だけでしょうね。

「ハト派」様

コメント有り難う御座いました。

これだけ、暴力の歴史があるのですから、相撲界からは「全ての暴力追放」という目標が出てきても良さそうなものですが、そこには行き着かないですね。

そしてほかのスポーツでも隠すのではなく、表に出して「暴力追放」をすべきですね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

評議員会というのは公益財団法人の最高議決機関です。それなのに、まるっきり当事者意識がない言動を繰り返しているのは問題ですね。もっとも、他の関係者も似たり寄ったりというところがもっと大きな問題かもしれません。

力士、特に若い人たちの基本的人権を守るための組織が相撲協会の中には必要なのではないでしょうか。

「民営化」様

コメント有り難う御座いました。

そうなると良いのですが、ちょっと悲観的です。誰にも得にならないタバコ事業は続き、人類の未来を危うくする原発も政府が肩入れして続いています。NHKや御用新聞も同じように続く可能性が高いとも考えられますが--。

2018年1月25日 (木)

相撲協会の世界観 ――外国人差別は残っている?――


相撲協会の世界観

――外国人差別は残っている?――

 

昨年からワイドショーのネタとして頻繁に取り上げられているのが日本相撲協会ですが、あれだけ多くの女性ファンがいながら、未だに女性は土俵に上がらせない「伝統」は守っています。これを「差別」と捉える人も多くいますが、それで思い出すのが、小錦の現役時代に大問題になった「外国人差別」です。しかし、その時には、相撲協会の差別体質が批判されたと言うよりは、相撲協会を批判した小錦へのバッシングのように見えました。当時、この点について『アキバ・ウィークリー』で触れていますので、まずそれをお読み下さい。

 

                             

Photo

KONISHIKIのホームページから

 

 

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小錦差別事件について

――日本社会での人種差別に対する対応は十分だろうか――

[アキバ・ウィークリー第13号 (1992 57日収録)]

 

皆さん、こんにちは。衆議院議員の秋葉忠利です。アキバ・ウィークリー第13号をお届けします。5月の第2週号です。

 黒人ドライバーに対して集団暴行を加えた件で起訴されていた、ロスアンゼルス市警察の白人警察官4人が29日全員無罪になりましたが、この無罪判決に怒った黒人を中心とする市民が暴動を起こしたことは皆さんご存知の通りです。

 あれほどはっきりしたビデオの映像があるにも拘わらず、何で無罪になってしまうのか疑問を感じた方も多いのではないかと思います。アメリカ社会に根強く残っている人種差別を追放するのが如何に難しいかを改めて目の前に突きつけてくれた事件であり評決でした。

 さて、ひるがえって、私たち自身、日本社会における人種差別に対して十分な対応をしているかどうかを考えると、残念ながらまだまだだという気がします。

 例えば、小錦発言が良い例です。先月20日付けの日本経済新聞、22日付けのニュヨーク・タイムズ紙に小錦の発言として、「横綱になれないのは人種差別のせい」という言葉が掲載されてから、ずっと小錦がこの発言をしたのかどうかが問題にされました。折角貴重な発言をしてくれた小錦が、あたかも悪者であるかのような扱いさえ受けたことも問題だと思いますが、しかしマスコミを含めて私たちが問題にすべきだったのは、小錦が横綱になれなかったのは、本当に人種差別のせいかどうか、もしそうなら、それをどう変えていくのかという点であって、だれがその問題提起をしたかではない筈です。

 この点について「文芸春秋」4月号に掲載された、小島襄氏の「"外人横綱"は要らない」を読む限り、横綱審議委員会、少なくともその委員の一人が外国人差別をしていることは明白です。横綱審議委員会としては、この小島氏の考え方に対する公式見解を示していないのですから、これを黙認している、あるいは、これが審議委員会の見解だと取られても仕方がないと感じるのは私だけではないと思います。これを裏付けるデータがあることも皆さんご存知の通りです。

 第一に、大関で二場所連続優勝またはそれに準ずる好成績という原則ですが、小錦より強さの点で劣る力士が過去横綱になっていることは皆さんご存知のとおりです。

 第二に、小島氏自身認めているように、横綱昇進の審議で過去人格が問題にされたことは、殆どありません。外国人力士の場合にだけ「品格」が問題にされるのであれば、これは立派な差別です。

 新弟子が少なくなった挙げ句の果てに、強くなれば横綱になれると外国人力士をリクルートし、その上、これほどあからさまに差別を行うことが許されるのでしょうか。横綱審議委員会ならびに相撲協会の品格ある対応を心から望みます。

 

 これで、アキバ・ウィークリー第13号を終わります。次号は515日にお届けします。皆さんのご意見、反論をお聞かせ下さい。

 

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1992年から四半世紀以上経った今、外国人が横綱になることは当り前どころか、日本人が横綱になれるかの心配 (その理由は外国人差別と全く関係はありませんが) をしなくてはならないほどになりましたが、相撲協会の外国人差別はなくなったのでしょうか。

 

次回はこの点について考えて見たいと思います。

 

 

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2018年1月24日 (水)

懐かしいドーナツ盤 ――当分は捨てられません――


懐かしいドーナツ盤

――当分は捨てられません――

 

昨日から『Wishful Thinking』が頭に残っているため、何を聞いても見てもその視点から考えてしまっているのですが、経済の専門家やイベントのプランナー等の「予測」「予想」「見通し」の類は、綺麗な言葉をちりばめた『Wishful Thinking』が多いですね。もっともこれは昨日・今日に始まったことではありませんが。

 

さて、私の唯一の趣味カラオケについて、大きなギャップがあります。アメリカで生活していた1968年から1986年の間のヒット曲を日常的に聞いたことがないのです。紅白歌合戦のテープはボストン日本人会等で見る機会がありましたので、知識としては知っていても日本中が酔い痴れて聴いていた歌でも、その雰囲気には浸っていなかったのです。

 

でも、何曲かは例外がありました。ドーナツ盤や人気歌手のアルバムを買ってきたり、送って貰って聴いた曲がそれに該当します。昔の写真を探している内にその中の数枚が出てきました。中でも良く聴いたのはいしだ・あゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』です。

 

             

20180123_20_32_04

               

 

 

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ドーナツ盤の大きさも記憶にあったのはもう少し小振りで可愛かったのですが、意外に大きかったので、記憶の曖昧さにもちょっと吃驚です。

 

その他に、買ったり送って貰ったりしたドーナツ盤です。

 

 

20180123_20_32_57

 

どれもCD化されていますので、iTunesには入っていますが、何度も聴いたドーナツ盤の懐かしさには勝てそうもありません。そして、アメリカまでの長旅をさせたというおまけも付いています。当分の間は手元に置いておきたい気持です。

 

 

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コメント

最近の歌手は、CDだけでなくレコードもリリースしているようですね。
私も、ドーナツ盤を捨てれずに持ってます。
レコードジャケットは、昔の写真を見るようにその時の事を思い出します。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

中の楽曲は、iTunesに入れてはありますが、LPも捨てられません。それに、「あれも」「これも」と捨てられないものが増えて行くと、最後は「ゴミ屋敷」でしょうか。そうならないよう、そろそろ「断捨離」の勉強を始めたいと思っています。

2018年1月23日 (火)

『Wishful Thinking』 ――アメリカ流のユーモア――

Wishful Thinking

――アメリカ流のユーモア――

 

タイトルの『Wishful Thinking』は、私の好きな漫画集のタイトルなのですが、短い言葉でニュアンスまで含めてその意味を訳すのはちょっと難しい言葉です。直訳すると「夢想」です。「wishful」とは願いの度合いが大きいこと、つまり、「夢見るような」くらいの意味ですし、「thinking」は想いですから、「夢想」なのですが、この二文字だけで夢のようなことを自分勝手に願っている甘ちゃんの状態まで正確に描けてはいないような気がします。

 

それを、100ページほどの漫画で、自分も同じようなことをしていますよというメッセージとともに笑い飛ばしているのが、デービッド・サイプレス著の『Wishful Thinking』です。

 

                   

Wishful_thinking_20180122_18_18_07

         

コインランドリーでの「夢想」が表紙です

 

100枚ほどの漫画の中で、サイプレスの伝えようとしている「夢想」を一番よく表現しているだろうと思われるのが、第一ページ目の次の一枚です。

 

 

20180122_18_18_49

 

全てが、彼の頭の中の呟きなのですが、その意味をざっと訳しておきましょう。

 

郵便受けが叶えてくれていると好いんだけど~~。もう僕は完全に忘れてしまっている人からの手紙が着いていて、でも彼女は僕のことをずっと忘れられずにいる。もう一度会いたいだって。やがて僕は彼女と恋に落ち、結婚して一生、幸福に暮らすことになる~~~~

 

最近は、「あなたに100万ドルの遺産を贈呈します」のような詐欺メールもあるようですが、付け込まれるのは、この漫画のような「夢想」が結構あるからなのかもしれません。そんな世俗的な考えを捨て去るためには座禅やメディテーションが有効かもしれませんが、それについての漫画もありました。

 

20180122_21_25_09

 

こんな具合に自分を客観視することを教えてくれる漫画です。それもユーモアを通してですので、すんなり呑み込めるのがサイプレス漫画が好きな理由です。

 

 

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2018年1月22日 (月)

「お礼参り」のススメ ――『的外れ』という本を読んで、友達に感謝――


「お礼参り」のススメ

――『的外れ』という本を読んで、友人たちに感謝――

 

「友だちって有り難い」という気持の流れで、最近は会っていない、でも懐かしい多くの友人たちを思い出しました。彼ら/彼女らの共通点は、とても大切なことを教えて貰ったこと、温かいサポートをしてくれたこと、一緒に素晴らしい時を経験したこと等沢山あるのですが、その一人一人に、もう一度きちんと「有難う」という気持を何らかの形で伝えられればと思っています。

 

それが大切なことは今や世界的な常識にもなっているようなのですが、そのことを知ったのは、Eric Barker氏著の『Barking Up the Wrong Tree』という本を読んだからです。邦訳は『残酷過ぎる成功法則』というタイトルで出版されていますが、残念ながら邦訳には、大切なエピソードが入っていません。Barker氏は、自分のサイトhttps://www.bakadesuyo.com/ (バカデスヨ)で、この本だけではなく、最新の学術的な発見等を短い分り易い形で紹介していますので、それもお勧めです。

 

               

Barking_up_the_wrong_tree

             

 

アメリカだけに的を絞ると、米国心理学会の会長を務めたマーティン・セリグマン博士がこの点について『Flourish』という一冊にまとめています。

 

Barking Up the Wrong Tree』に戻って、その中で紹介されているエピソード、それはウォルター・グリーン氏の「お礼参り」なのですが、それを御紹介したいと思います。「お礼参り」は、英語の「gratitude visit」の訳です。「gratitude」は感謝という意味ですし、「visit」は訪問ですから、お礼をするための訪問、つまり「お礼参り」です。

 

最近の使い方では、「刑期を終えて出所したやくざなどが、自分を密告したり、自分に不利な証人となったりした人に、仕返しをすること」の意味の方が当り前に使われていますが、元々の意味は「神仏にかけた願 (がん) が成就した礼に参詣すること。報賽 (ほうさい)」です。しかし、この言葉を新しい意味、つまり、「神頼み」へのお礼ではなく、自分の人生で様々な形でお世話になった「人」に感謝をするという意味で使いたいと思います。

 

グリーン氏は、自ら始めたビジネスを成功させ、1400人の社員がいる企業にまで育ててリタイヤーしました。退職後はゴルフ三昧で過すことも可能だったはずなのですが、彼の選んだのは、自分の人生でお世話になった人々に感謝をすることでした。早速リストを作り、44人の人を選びました。

 

両親は亡くなっていましたが、妻や子どもたちといった家族も入っていますし、メンターやプロテジェ、同僚や主治医等々、28歳から83歳までの幅広い人たちのリストでした。そして彼の感謝の仕方が重要です。

 

まず、一人一人について、何故感謝をするのかを文章にした上で、その一人一人に連絡を取り、面会の約束を取り付けました。連絡を取った段階では、「気は確かか」という返事が戻って来たそうです。そしてアメリカは勿論、遠くはケニヤまで足を延ばし、一人一人に感謝の気持を伝えたのです。さらに、その一人一人から、自分がどのような人間であるのかを正直に評価して貰うことも依頼したとのことでした。それは、誉め言葉を引き出すためではなく、何十年も付き合いのある人たちこそ、自分では気付かない自分の本当の姿を知っているはずだという信念に基づいていました。

 

 

026

 

結局、一年掛けて44人に会い、その時の様子は全て録音したそうです。音声のCDと、その時の写真、そして一年かけての「お礼参り」が自分にとってどんな意味があったのかを文章にして、44人一人一人にさらなるお礼の気持ちを伝えたのだそうです。

 

グリーン氏ほどの経済的余裕はありませんので、その真似をできる人は限られていると思いますが、私も、様々な形でお世話になった先生たち・友人たち・同僚たちに同じような感謝の気持を伝えたいと思いました。一人一人について、お世話になったお礼を文章にまとめて見たいと思っています。その中で、公表しても良いものは、このブログで皆さんにも御紹介させて頂くかもしれません。

 

 

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2018年1月21日 (日)

久し振りの新年会 ――友だちって良いですね――


久し振りの新年会

――友だちって良いですね――

 

遅ればせながら旧友たちとの新年会がありました。久闊を叙しながら、勉強にもなり日頃からの鬱憤も晴らせる有り難い一時は本当に貴重です。一献を傾けながらの食事は大変贅沢だったのですが、写真を撮る時間も惜しいほど話が盛り上がりました。

 

                 

1_20180121_0_34_50

           

ほんの一部しか写真に撮れませんでした

 

でも、壁の凧や熊手と神棚に囲まれて、新年の雰囲気も味わうことができました。

 

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酔うほどに足も軽くなり、広島メモリーズに寄ることになりました。ライブのバンドのステージがあり、オールディーズを演奏してくれるお店ですが、フロアに出て踊れるのも魅力です。

 

 

20180121_1_16_07

 

ステージは十分楽しめたのですが、音量が半端ではないことは当然としても、やはりかなりのストレスになりますし、それ以上に喫煙する人が多くて、長時間我慢するのは無理でした。同じようなライブをもう少し静かに聞けて、禁煙の店を御存知の方、教えて頂ければ幸いです。

 

でも、友人たちとの新年会は何よりも楽しく若さを取り戻すことのできた一時でした。

 

 

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2018年1月20日 (土)

「故郷」は相模湖です ――「同じお題で書きましょう」――


「故郷」は相模湖です

――「同じお題で書きましょう」――

 

「故郷」と聞いて、真っ先に頭に浮ぶのは相模湖です。生まれは東京で千葉育ちなのですが、母の故郷、相模湖のイメージが心の底に焼き付いています。

 

                 

Photo

           

 

中央線で、今は相模湖駅になっていますが、当時は与瀬駅だった小さな駅で降り、暑い中、相模湖畔の道を延々と歩いて、もう疲れ切ったところで山に入り、母の兄が継いだ実家に到着したことを覚えています。従兄弟たちと楽しく遊んだことが今でも懐かしいのですが、千葉では見たこともない蚕を飼っていたのが驚きでした。

 

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家のすぐ近くの崖からは相模湖が良く見えましたし、そこまで行く道端に真っ赤な彼岸花が咲いていたときもありました。

 

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近くの地名や山の名前等も、詩的で、行ったことのない場所でも懐かしさに溢れています。道志川 (当時のNHKドラマ『三太物語』の舞台でした) 、陣馬山、小仏峠、津久井郡、上野原、藤野、大月、吉野等々、昔は平家部落があったと聞いても、「そうだろうな」と思ってしまうような固有名詞ばかりでした。


帰りには、また同じ道を辿って駅まで歩きましたが、「相模湖名物」の「酒饅頭」の美味しさも忘れられません。全国どこにでもあるレシピ―のようですが、私の頭の中では「相模湖名物」で固定されています。

 

そして、まだ幼い頃、最初に相模湖に行った時のことだと思いますが、帰りの汽車は、デッキも連結器の上にまで人が乗っていて満員どころではありませんでした。当然、入口からは乗れません。結局、窓から何とか乗せて貰うことができて、新宿まで、何人かの人の膝や肩に載せて貰って、立錐の余地のないどころか、人と人とが十重二十重に重なったまま新宿に到着した思い出も、強烈に残っています。

 

でも、やはり「故郷」は相模湖です。

 

 

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コメント

参加ありがとうございます。

相模湖は40年くらい前に1回行ったことがあるのですが、たしか
かわいい遊覧船が浮かんでいたように思います。東都観光バス
のバイト添乗員で、小学校の遠足かなんかで行きました。

私は広島県福山市に生まれ育ち
結婚して千葉県にいます。

私にとって瀬戸内の穏やかな海が
「故郷」そんなことを思いました。

1960年代に生まれ、親からも
学校の教師からも戦争の記憶を
焼きつけられながら育ちました。

そんな記憶を忘れないよう
いつも読ませてもらっています(*^_^*)

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

相模湖は、西日本ではほとんど知られていないのではないかと思います。

直接関係はありませんが、あまり知られていないということで思い出した事を一つ。千葉県には自然にできた「湖」はなくて、湖と呼ばれているのは、一般的にはダム湖です。ちなみに一番大きい内水面は「印旛沼」です。こんなこと知っていても役には立ちませんが。

「thumoria」様

コメント有り難う御座いました。また、ブログを読んで下さり有難う御座います。

広島って、素晴らしいところだと思います。その広島、そして瀬戸内を故郷に持つ方々の思いの強さは、東京の「東京広島県人会」の活動やメンバーの多さ、熱心さに良く表れています。カープへの愛も同じことだと思います。

その広島の持つ、平和についての使命も、これからも大切にして下さい。

2018年1月19日 (金)

広島駅で迷子になる ――バス乗り場案内のせい?老化のせい?――


広島駅で迷子になる

――バス乗り場案内のせい?老化のせい?――

 

記憶力が減退しているせいなのかもしれませんが、このところ何回か、駅の「案内図」が不親切だと感じる経験をしました。

 

一つは、JR三ノ宮駅です。新神戸からJR神戸駅まで行きたかったのですが、地下鉄で三ノ宮まで行ってそこからJRに乗り換えるのが良いということは分っていました。さて、JR三ノ宮駅でどの電車に乗り換えるのかで困りました。JR神戸線に乗れば良いところまでは問題なかったのですが、どちら行きに乗れば良いのかが分りません。片方は、西明石行きです。もう片方は、京都行きです。ホームの案内板には、「神戸」という文字が一切見付かりません。神戸が京都と明石の間にあることは知っているのですが、三宮の位置までは、関東の人間には分りません。

 

仕方がないので、取り敢えず入って来た電車に乗り込んで、車内の路線図を見て判断したのですが、遠くから来た人のためには「神戸」という文字がどこかにあっても良いのではと思いました。下の写真は、ネットから拾いましたが、元町と灘とどちらが神戸の方向なのかが分らない人のための案内が、他の場所にも見付からなかったのです。

 

               

Photo

             

 

でも、実際にはそんな案内はどこかにあって、私の視力が落ちてきているために見落としただけなのかも知れません。とにかく事前に調べておくことが解決策だと考えて、この件については忘れていたのですが、広島駅前のバスの案内図を見て、案内板を作る人たちには乗客の立場があまり伝わっていないのかもしれないという可能性もありそうですので、この稿を起すことにしました。

 

最近、広島市内に出るのには基本的に車に依存していますが、JRを使い、その後は路面電車かバスを使うことも多くなりました。今日はバスで、ホテルサンルート広島を目指していました。家人からは24号線のバス、吉島行きに乗るのが一番便利だと聞いていたので、その乗り場を探しました。

 

バス乗り場の前には、大きな案内板が二つありました。その一つのイメージ図です。その時点では、苦労することは考えていなかったので、写真は撮りませんでしたが、大体こんなイメージです。

 

Photo_2

 

「乗り場」と「バス路線」は違うという前提で見れば良かったのですが、これだけ見て早とちりしました。「24」と書いてある乗り場、つまり東郵便局前まで行ったのですが、何か様子が違います。元に戻って良く見ると、もう一つ案内板がありました。それはこんなイメージです。

 

 

Photo_3

 

ホテルの中には、目的のホテルサンルート広島は入っていません。仕方がないので、バスの路線番号を上から辿って、3番乗り場であることを見付けました。でも、もう少し親切な案内があっても良いのでは、というのがそのときの率直な感想です。それは、路線番号別に分けて、○○号線のバスは何番乗り場から乗れる、というリストです。大雑把ですが、イメージとしては次のような感じです。

 

                                               
 

路線番号

 
 

行き先

 
 

主な停車地

 
 

乗り場

 
 

1

 
 

広島へリポート・マリーナホップ

 
 

()

 
 

1

 
 

2

 
 

イオンモール

 
 

()

 
 

16

 
 

2

 
 

県庁

 
 

()

 
 

17

 
 

(数行略)

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

24

 
 

吉島

 
 

()

 
 

3

 

 

 

バスを良く利用している人なら、乗り場の番号も知っているでしょうし、そもそも何回か乗っていれば、乗り場番号は知らなくてもそちらに足が向くでしょう。でも、初めて利用する人、それが大人でも子どもでも、誰かに教わるのは恐らく、「○○号線の××行きのバスに乗って、ドコドコ停留所で降りる」ではないでしょうか。私のように迷って、それもつい最近そんな経験をした人以外、乗り場番号まで覚えていてそれを初心者に教えられる人は少ないように思うのですが、如何でしょうか。

 

もっとも、ここで私が経験したことは、個人的に記憶力・視力・判断力の低下が主な原因なのかもしれません。となると次には、我が家に帰れないのは、町の角々に我が家を示す矢印が貼ってないからだと、言い出しかねません。その前触れでないことを祈っています。

 

 

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コメント

いつも24号線に乗っていますが。
平和公園へ案内するときに
3番乗り場のどこかに
「平和公園行きあるいは経由」
と表示があれば
どんなに楽なのかといつも思います。
せめて英語表記も。
バスのなかで
「次は平和公園」、と英語でアナウンスしても
乗れていなくては何の役にも立たないです。

「緩和ケア薬剤師」様

コメント有り難う御座いました。路面電車の停留所の外国語表記には随分前から取り組んでいるのですから、もう少し頑張って欲しいですね。

神戸駅って影薄いですよね。神戸の中心はなんといっても三宮なので、どこに行くにも三宮経由が多くて、神戸駅ってほとんど行ったことがありません。

広島駅の南口のバス乗り場の案内図はとてもわかりにくいですね。
私も以前に経験しました。あの案内をみて乗り場に行き、たまたまそこにいたバスの乗務員さんに尋ねたら、正しい乗り場を教えてくれました。
昔に、会社の先輩に言われたことがあります。
何かの説明をするのなら、その辺にいるおばさんを読んできて説明して理解してもらえないもいけないと。
あの案内図を、広島を知らない人が見て理解できるかといえば、全く理解できないでしょうね。
理解している人しか理解できなのは、案内には不適格ですね。
駅の案内にも、次の駅名だけでなく○○方面という記載も欲しいですね。
広電でいえぼ、宇品港行きの1番と5番を乗り間違える他県の人は少なくないですね。

「影武者」様

コメント有り難う御座いました。

「神戸」という案内はあまり見かけなかったのですが、「新神戸」は致るところにありました。ですから、神戸駅から新神戸駅までは問題なく行けたのですが、「逆は真ならず」でした。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

そうなんです。路面電車の宇品港行きも、一番と五番の違いは、知らない人には分りませんね。

そうは言っても、かつて乗ったことのあるニューヨークのバスは、お釣りのない金額ピッタリを払わないと降ろして貰えませんでした。(親切な人が乗っていて、25セント貨幣をくれたので降りられましたが。) それに比べると、少々の不親切は我慢できます。

2018年1月18日 (木)

一太郎からワードへ ――昔の未整理ファイルを整理しています――


一太郎からワードへ

――昔の未整理ファイルを整理しています――

 

今日アップしようと考えていた内容が、既に「タウンNEWS広島 平和大通り」のタイトルに使われていて朝から吃驚したのですが、かなり前に一太郎で作った文書を整理しています。

 

かつて、衆議院議員として活動していた頃、国会での見聞・活動をできる多だけ多くの皆さんに報告するために、週末には、広島市内の街角で一回一時間、計二時間の街頭演説をしていたのですが、その他に、週一回、A4判一枚の『アキバ・ウィークリー』を発行していました。

 

電話のメッセージとして、固定電話に架けて貰えばメッセージを聞いて貰える仕組みにしていました。それに加えて、FAX番号を登録して頂ければ毎週一回、FAXで、このウイークリーをお届けしていました。また、プリントアウトして郵送することも同時に行っていました。その記念すべき第一号です。1992年の130日に収録、そしてFAXでお送りしました。クリックして頂ければ、大きくなります。

 

               

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ずいぶん古臭い手段ばかりですが、1990年の総選挙で、携帯電話を使っていたのは私だけ、その結果、それがニュースになった時代ですから、これでも先端を走っていたのです。

 

ワープロソフトも一太郎のシェアが大きく、使い勝手も悪くはなかった記憶があります。その結果、合計300号以上発行した『アキバ・ウィークリー』は全て一太郎で作り、その後、混乱があったのですが、スタッフの努力で現在保管されている (しかし未整理のままの) ファイルは一太郎文書なのです。

 

ファイルを開いて内容を確認、目次から作り始めていますが、結構時間が掛かります。一太郎ファイルからワード・ファイルへ変換して保存することも同時にしていますが、ワード・ファイルにしてしまうと、文字情報は問題ないのですが、レイアウトが保てず、時間を掛けて段組み設定をしなくてはならないので、それは、また先のことにする積りです。

 

 

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自分で言うのも変なのですが、読み返してみて、やはり現場から一週間毎に書いていた報告には迫力がありますし、今でも新鮮に聞える主張も結構残っています。マスコミ報道は別にあるという前提で書いていますので、その部分を「注」として補えば、若い世代の皆さんにも読んで頂けそうな気がしています。

 

そしてこんな風に、何かに手を付けると必ず仕事が増える、いや、増やす癖はなかなか治りそうもありません。

  

 

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コメント

私が一太郎を使った期間は極短いのですが、ATOKには長い間お世話になりました。

知人によると国交省地方整備局の配布している様式が未だに一太郎で、その知人は変換ソフトで使っているということでした。また、OpenOfficeにはIchitaro Document Filterというプラグインがあり、どの程度様式が保てるのか分かりませんが、徳島県庁は一太郎からワードではなく、OpenOfficeに移行し、更に今はセキュリティー重視でLibraOfficeに移行していると聞いたことがあります。

いずれにしてもアキバ・ウィークリーは価値のあるものだと思いますので、是非ともデジタル・アーカイブとして残して頂きたいと思います。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

御教示有難う御座いました。Open Office のプラグインを試してみます。もう一つ、PDFに変換して残しておくのが良いかもしれません。

はじめまして。

PDF化に関しまして、うまい方法がありそうでしたので、ちょっとでしゃばりまして、コメントを書き込んでみます。

PDFの作成ソフト(adobe純正の物や、互換製品)は、Windows上で、プリンタの様にユーザから見えます。

インストールしますと、PDF作成用のプリンタが、Windowsに登録されます。

このプリンタに対して印刷を行う事で、PDF形式のファイルが、あるフォルダに作成されます。

続きまして印刷に関してでありますが、一太郎にもマクロ機能があるようでして、これを使えば、フォルダ内の文書を、一括印刷できるようです。

ジャストシステムズさんのサイトに、活用例として、掲載されておりました。
http://www.ichitaro.com/prompt/prompt13.html

上記によりますと、一太郎プロンプトという機能で、

fl("c:¥My Documents¥print¥*.jt*") p;

の様にしますと、c:¥My Dcuments¥print¥ の中の全ての一太郎ファイルを、一気に印刷するようです。

お役に立てれば幸いですが、余計なお世話でしたら失礼いたしました。

当方あつかましいおぢさん故、ご容赦下さい。

秋葉先生

先程コメント投稿したばかりのデヂタルです。

すみません!

PDF化に関しましては、ジャストシステムズさんから、その物ズバリ「JUST PDF」というソフトが販売中でした。
https://www.justsystems.com/jp/products/justpdf/?w=home

いらん事コメントしました。m(_ _)m

「デヂタル」様

二本のコメント有り難う御座いました。特に前半のコメントは、PDF化についての手間のかからない方法を丁寧に御説明下さり、大変有り難く読ませて頂きました。

Just PDFも持っていますので、活用してみます。

今後も、何かお気付きの点があれば、「出しゃばり」大歓迎ですので、宜しくお願いします。

2018年1月17日 (水)

勉強するジャーナリストは輝いている ――過去と未来をつなぐ力を実感しました――


勉強するジャーナリストは輝いている

――過去と未来をつなぐ力を実感しました――

 

20178月に開かれた原水禁の世界大会の分科会で、私がかねてから尊敬している元朝日新聞記者の岩垂弘氏が、核兵器禁止条約についてフロアから発言してくれました。この条約が7月に採択された歴史的背景と平和運動の役割についての言葉にも重みがありましたが、この条約についての評価を知るために国会図書館に足を運んで、全国各地で発効されている日刊紙全てに目を通したことにもさらりと触れられました。

 

もう40年近くにもなる付き合いですが、現役を退いた後も、このような努力を続けられていることに敬服すると同時に、大きな感動に包まれました。私は、日頃からマスコミに対しては厳しい批判を続けていますが、それは、若い世代のマスコミ人たちにも、岩垂さんのような偉大なジャーナリスト、さらにはかつて「原爆記者」と呼ばれた多くの広島のジャーナリストたちと同じレベルでの仕事をして欲しいという期待を持っているからです。

 

批判をしながらも、若いジャーナリストたちの中で優れた仕事をしている人たちの頑張りには声援を送ってきましたが、今日は久し振りに、「勉強振り」では先輩たちにも引けは取らないだろうと思える若手のジャーナリストに取材を受けました。仮に、「Aさん」と呼んでおきましょう。

 

 

 

               

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東京から取材に来てくれたAさんとは、プリンスホテルでお会いしました。良い天気で海が綺麗でした。

 

 

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取材の目的や具体的質問については昨年の内にメールで、詳しく丁寧に書かれたものを受け取っていました。それに返信する形で、関連する未公開の資料等もお送りしておきました。

 

送ったものを読んで貰えるだろうとの期待はありましたが、それだけではありませんでした。テーマに関連する拙著もすべて読んでいてくれただけではなく、国会図書館で私の書いた関連論文を調べ、その中でも関連の深いものを読み込んだ上での質問が続いたのです。中には私が忘れていたインタビュー記事もあり、またテーマを語る上では必須のデータをエクセル等の図表、リストとしてしかも見易く色分けして作ってきてくれていましたので、より鮮明に記憶を辿ることができました。

 

Aさんは、岩垂さんや私たちの世代と比べるとはるかに若い世代に属しますが、国会図書館の有効活用という点では、ジャーナリスト魂、研究者魂をしっかり受け継いでくれているようでした。そして、私が記憶の糸を紡ぎながら話している最中、話の腰は折らずに、テーマとは関連のない事柄についてもメモを取り続け、タイミングを見て自分の質問を発してくれました。とてもリラックスして話せましたので、記憶の再生にも役立ちました。そして恐らく「ここは使える」と考えたであろう箇所については、私の記憶だけではなく、それをサポートする「物証」を確かめるというジャーナリストの基本も踏まえてのやり取りでした。

 

特にテレビが問題ですが、最近はあまりにも政府誘導型の言説が多くて、テレビもマスコミも敬遠する日々が続いていましたが、久し振りに、多くを学ぶことのできる報道が生れるであろうとの予感がしています。それは、私たちの世代が経験してきた過去を未来につなぎ、次の世代その先の世代の政治や社会が輝かしいものになる上で、大きな貢献をすることになるだろうと信じています。

 

最後にもう一つ。東京からのお土産として私の大好物である、とらやの羊羹まで頂きました。ことによると、このブログも読んでくれていたのかもしれません。

 

 

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2018年1月16日 (火)

ICANのベアトリス・フィーン事務局長の来広 ――受賞をバネに、厳しい現実を変えるための作戦へ――


ICANのベアトリス・フィーン事務局長の来広

――受賞をバネに、厳しい現実を変えるための作戦へ――

 

核兵器禁止条約実現への貢献が評価されノーベル平和賞を受賞したICAN (核兵器廃絶国際キャンペーン) のベアトリス・フィーン事務局長が、長崎大学から招かれて来日しました。長崎での講演等を終え、15日には広島に足を延ばしてくれました。平和公園・資料館を見学の後、午後には広島の若者との対話集会があり、夜は、核兵器禁止条約のためのヒロシマ共同行動実行委員会の主催で、「核兵器禁止条約の早期発効に向けたNGO意見交換会」が開かれました。

 

核兵器の廃絶をしなくてはならないことは十分理解している人たちの集まりだから、早期発効のため、そして批准をしようとしない国にどう働き掛けるのかを中心に意見交換をするという合意で始まりましたが、それでも様々な思いが飛び交い、元気一杯の集いになりました。

 

                 

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開会前に通訳の小泉直子さんと打ち合わせをするフィーン事務局長(右から二人目)

 

行動優先の意見交換会で最初に披露されたのは、この稿がアップされる16日には、フィーンさんとICANの国際運営委員の川崎さんとが東京で、各党の代表と会い、国会で核兵器禁止条約についての討論を行うよう提言するということでした。

 

「国民に丁寧に説明する」と口だけでは曰わっても (のたまわって)、何もしない安倍総理・安倍政権ですが、日本社会特有の「外圧に弱い」ことまでは克服できていないようですので、正論に反駁はできない可能性がかなりあります。フィーン・川崎両氏に頑張って貰いたいと思います。

 

「討論」の内容は、核兵器禁止条約に日本政府は反対しているが、その姿勢を取るのであれば、最低限、この条約に参加する場合、しない場合それぞれのメリット・デメリットを事実に基づいて客観的に議論をした上で、その内容を国民に知らすべきだ、というものです。

 

フィーンさんの講演内容等は新聞やテレビでも報道されると思いますので、ここでは会場の参加者から出された意見を簡単にまとめておきます。発言者が誰なのかは省略します。

 

 イランで若者の平和グループを組織したが、全く関心を持たない人たちもいる。そのひとたちをどう巻き込んだら良いのか。

 対話は大切だが、対話をする際には方向性をハッキリさせる必要がある。そしてその方向とは核兵器の廃絶だ。

 被爆者国際署名に協力して欲しい。

 世界各地で行われているICANの活動を教えて欲しい。

 被爆の歴史や被爆体験について、日本は無知だ。そこから活動を始めなくてはならない。

 

フィーンさん・川崎さんからは次のようなコメントがありました。まず、議論は「シンプル」に徹すること、そして新たな、クリエーティブなアプローチを採用すること。例えばポップ・スターや宗教家の協力なども効果的なはずだ、加えて、インターネットなどあらゆるメディアを効果的に使う必要がある。

 

最後の閉会の言葉として、10月の総選挙で、得票数は伸びなかった改憲与党が議席の3分の2以上を占めたことを反省し新たな力を生むために、まず、2003年の平和宣言を読んで欲しいとお願いをした上で、3点を強調しました。ここではスペースがありますので、2003年の平和宣言の一部を引用しておきます。

 

世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄(ろう)せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。

 

3点の一つ目は、改憲をしようとしている安倍政権の描いているシナリオを知り、その結果生まれる怒りを広げて力にしよう、ということです。9条改憲と言っても、もう存在している自衛隊を明記するだけだから何も変わらない、という説得が行われていますし、それをそのまま受け止めて「納得」している人も多くいます。でも、これまでの政府のやり方を歴史的事実に基づいて検証すれば、安倍政権の意図しているのは、その先の目標、つまり核兵器の保有だということはすぐ分ります。それを理解することで、改憲容認派を説得することが可能になります。

 

二つ目は、そのためにも必要なのですが、歴史を勉強し直すこと。私たちが教えられてきた歴史には間違いも多いのです。例えば聖徳太子は存在しなかったことが今では歴史的事実として教えられています。それと同じように国家としての日本を考えるにしても、明治維新や戦争ばかりしていた明治から昭和の時代、特に1895年から1945年を賛美する歴史ではなく、徳川時代そして1945年以降も含めての日本の本質を理解することが大切です。大河ドラマで西郷さんが取り上げられても、彼は征韓論者だったこともしっかり覚えておかなくてはなりません。

 

三つめは、社会党の最盛期に「社会党潰し」のために使われ、今でも信奉者の多い、「反対ばかりする政党は無責任」というプロパガンダに乗らないこと。人権を無視し、戦争を始めよう、環境はどうでもいい、貧富の格差がもっと広がるような施策を、国民を騙して行おうとしている政権には「NO」としか言いようがないではありませんか。正々堂々と、平和のため、正義のために「NO」と言い続けましょう。

 

明日、フィーンさんと川崎さんは国会で頑張ります。私たちは広島で頑張りましょう。

 

 

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コメント

ノーベル賞受賞でのスピーチそして記念講演で興味を持ち、普段は殆ど読まない小説を読みました。カズオ・イシグロの「日の名残り」です。記憶を辿る物語の展開にも感心しましたが、意見を言わないことの責任など、民主主義の根幹に関わる問題提起も多く、長崎生まれのイシグロ氏が「平和のための賞」と聞かされて育ったノーベル賞に相応しい作品だと思いました。

それにしても安倍首相はベアトリス・フィーン事務局長との面会を断ったということですが、日本政府の対応は本当に残念なことです。

今でも信奉者の多い、「反対ばかりする政党は無責任」というプロパガンダに乗らないこと。 これは大事だと思います。今なら「日本共産党や立憲民主党は無責任(非現実的)」というプロパガンダでしょう。そりゃあ、無茶苦茶をやる政権にはNOというのが「責任ある対応」であり「現実的対応」であると切り返していくべきですね。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

カズオ・イシグロ氏の作品も読まなくてはと思いつつ、読みたい本・読まなくてはと自分に言い聞かせている本のリストばかりが長くなっています。

安倍総理には、市民の声が聞こえるように、マギー審司のびっくりデカ耳をプレゼントしてみましょうか。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。

権力者側が、弱者に対して取り続けている態度は、基本的な部分では全て「NO」なのですが、「騙す」側は、ちょっぴりの「Yes」を前面に掲げ、「NO」は「Yes」なんだよと信じ込ませる詐術を使います。オーウェルは、そのような構造を良く見ていました。「hiroseto」さんも頑張っているように、その点も突いて行きましょう。

2018年1月15日 (月)

あゝモンテンルパの夜は更けて ――キリノ大統領の決断――


あゝモンテンルパの夜は更けて

――キリノ大統領の決断――

 

フィリピン、歴史、歌 (「昭和の歌を守る会」があったので) という三つの言葉から思い出したのが、渡辺はま子の『あゝモンテンルパの夜は更けて』ですし、フィリピンのアキノ大統領でした。

 

この歌は、作詞代田銀太郎、作曲伊藤正康によるもので、1952年に渡辺はま子と宇都美清が歌って、20万枚の大ヒットになりました。

 

 

作詞・作曲をした二人は、当時フィリピンのモンテンルパにあった刑務所に戦犯として収容されていた死刑囚でした。そこには、戦争犯罪者として100人以上の旧軍人が、あるいは死刑を前にあるいは刑期を全うするため生活していたのですが、既に14人は処刑され、望郷の念が増す日々を送っていたことが記録されています。

 

代田・伊藤による『モンテンルパの歌』という曲を受け取った渡辺はま子は、タイトルを『あゝモンテンルパの夜は更けて』に変えレコーディングし、紅白歌合戦にも取り上げられました。そしてこの年に渡辺はま子はモンテンルパを訪問し、戦犯たちのために往年のヒット曲を披露し、最後に『あゝモンテンルパの夜は更けて』を歌っています。

 

渡辺はま子をこれほどまでに駆り立てたのは、モンテンルパで教誨師として戦犯たちの助命嘆願の活動をしていた真言宗の僧侶加賀尾秀忍の熱意でした。彼は、マッカーサー元帥や日本の指導者、ローマ法王等に、人道的立場からの助命嘆願書を送り、ついには、フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領とも会見します。

 

その際に、『あゝモンテンルパの夜は更けて』を奏でるオルゴールを贈呈しています。その曲と説明を聞いてキリノ大統領が心を動かされたとも言われています。

 

最終的にキリノ大統領は、195377日の独立記念日に、大統領令によって、モンテンルパ刑務所に収容されていた戦犯114名全てに特赦を与え日本への帰国が実現することになりました。

 

特赦の理由としてキリノ大統領は感動的な言葉を残しています。

 

個人的な立場だけからなら、私が日本に対して最も強い恨みを持っているのかもしれない。妻と三人の子どもたちが日本軍による機関銃で殺されているからだ。

 

しかし、私はこの気持ちを私の子どもたちや孫たち、そしてフィリピン国民に持って欲しくはない。それは、日本との友好関係を築き、輝かしい未来をフィリピンにもたらす可能性を摘んではいけないからだ。

 

反日感情がまだ強く残っていた時期に特赦を与える行為は勇気のいることでしたが、蒋介石の「以徳報怨-怨みに報いるに徳を以てなす」も併せて考えると、このようなアジア的な平和の思想こそ危機的状況にある世界を救う上で、私たちが拳拳服膺しなくてはならない哲学のような気がしています。

 

そして、この寛容さを受け止める我々の側では、最高度の謙虚さを身に付けること、そして己を律するに当っては最大限の厳しさが必要とされることは言を俟ちません。

 

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その最高度の謙虚さのあらわれが、
憲法前文の誓いであり9条であったはず。

昨年4月刊岩波『私にとっての憲法』で保阪正康氏が
...この憲法は、いってみれば非軍事憲法である。...
(...この非軍事憲法を平和憲法に格上げするには...と続きますが)
非軍事憲法。このnamingはsimpleかつpowerful(変換可能なものでつい)。
加憲だ何だを蹴散らすにはこれに限る。もっと広まってくれれば。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

「非軍事憲法」という捉え方には「平和憲法」とは違う力を感じます。"simple" and "powerful"は、ICANのフィーンさんも強調していました。

それは、オーウェルの『1984年』の中の「戦争は平和だ」を進めている安陪政権に対抗する上で、大切だと思います。

2018年1月14日 (日)

兵庫教育大学での講義 ――今年も熱心に聞いて貰いました――


兵庫教育大学での講義

――今年も熱心に聞いて貰いました――

 

一年ぶりに兵庫教育大学の大学院で話をしました。今回も、教育現場で教員として働きながら大学院でグローバル・リーダー育成の専門家としてさらなる研鑽を積んでいる皆さんが、熱心に話を聞いてくれました。昨年は、3人の学生諸君とじっくり議論ができましたし、それに加えての一般講演もあったのですが、今年の学生は9名(うち女性7名)で、小学校の先生が5人、高校が3人、教育委員会の方が1人でした。

 

昨年と今年の大きな違いは、核兵器禁止条約ができたことです。成立の経緯や、今後の展望等も講義に加えたのですが、かなりの時間を割いて説明することになったのが、原爆という大きな悲劇を体験した日本が、何故原発に走ってしまったのかという歴史です。一人の学生からの質問に対する回答でした。

 

念のために付け加えておきたいのは、一部の論者による事実誤認と被害者非難です。つまり、「ヒロシマ」が核兵器廃絶には熱心なのに、原発については無関心だった、あるいは推進する側に回っていたのは怪しからん、という調子での論難です。機会があれば、詳しく調べた上で反論をすべきなのだとは思っていますが、それだけの時間が取れるかも問題ですので、今回は問題意識の共有だけにしておきます。

 

学生の質問から分ったのは、戦後の時代には生れていなかった人たちが勉強を続ける中で、原爆による被害からは、さらにそのかなりの部分は放射線被害であるという事実からは、原発という選択はあり得ないという因果関係を理解していること、にもかかわらず原発が推進されている現状には納得ができないと強く感じていることでした。

 

「フクシマ」後にも、原発が再稼働され政策の変更がないのはなぜかという疑問と重ねての質問だということも理解した上で、終戦直後には専門家といえども放射線についての理解には限界があったこと、被爆体験の意味を苦しみながら模索していた人たちに取っての「平和利用」という名の「夢」が大きな意味を持っていたこと等を話しました。同時に、少数のリーダーたちが警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、「原子力 ムラ」が作られて行った背景を、日米それぞれに分けて説明しました。

 

合計約3時間話をしましたが、最後の方は駆け足になってしまいました。パワーポイントを映すのは、スクリーンではなく、大型の液晶装置でしたしHD画像でしたので、細かい字も良く読めたようです。

 

               

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そして、昨年は友人との話に夢中になって気付かなかった、ハーバーランド・キャンパス前のキリンのオブジェ (頭が切れてしまいましたが――) と、キャンパスのある建物の写真も撮れました。

 

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こちらにはキリンの全体が写っています

 

「来年は、政治の世界の話をもっと聞きたい」というリクエストを貰って、神戸を後にしました。

 

 

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2018年1月13日 (土)

懐かしい写真 ――子どものときから社会に出るまで――


懐かしい写真

――子どものときから社会に出るまで――

 

フィリピンのRMAFという財団から、e-アルバムをまとめるので、子ども時代や学生時代の写真を合わせて10枚ほど選んで送るよう、依頼がありました。iPhoneの性能も良くなっていますので、いわば「写メ」するだけで良いようです。

 

折角ですので、その中の何枚かを皆さんにも見て頂きたいと思いました。最初は生まれてすぐの写真です。母に抱かれているので、お宮参りのときの写真でしょうか。

 

                             

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東京に住んでいた頃の写真のはずですので、2歳くらいでしょうか。この写真撮って貰ったことは憶えています。とは言っても記憶違いは誰にでもあることですので、それに該当するかもしれません。

 

Two_year_old_in_front_of_the_tokyo_

 

 

次は小学校6年のときの写真です。学級新聞の編集をしています。どれが私かは以下、省略します。当ててみて下さい。

 

 

Six_grade_editing_school_paper_2018

 

中学ではサッカー部のキャプテンをしていました。

 

 

Junior_high_soccer_club_20180112_11

 

高校になって、アメリカに留学しましたが、シーズン毎に参加できるスポーツが変りました。冬になっての花形競技の一つがレスリングでした。

 

High_school_wrestling_team_20180112


大学生になって夏休みには、原水禁世界大会の通訳のバイトをしていました。分裂した1963年の第9回大会の写真です。このときは眼鏡をかけていました。

 

 

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そして、時代はかなり経ちますが、1979年のRCCのシンポジウムです。

 

 

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まだまだあるのですが、取り敢えず、お目汚しまで。

 

 

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小学校6年生の写真
左から3番目 黒板近くの席におられる方でしようか?

≪ 美しすぎる!お母上 ≫
のコメント、殺到ですね。
お坊ちゃんもキッとカメラを見つめて、
将来大物の感、すでに。

マジ ⇒アメリカ映画・軽い現代劇・字幕では
すでに Jesus のカジュアル語訳。
ほかに、
OK → だよね
××××off → うぜぃ
wife → ヨメ
等々。けど最近は”だよね”の気分で秘かに楽しんでいます。

「和」様

コメント有り難う御座いました。

黒板の前の坊主頭が私ですが、当時は、「坊ちゃん刈り」から、中学生になる辺りで坊主頭にするするのが普通でした。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

このコメントを母が読んだら、照れながら、でも小躍りして喜んだと思います。

「マジ」を「Jesus」と訳すのは完璧ですね。ただし、昨今の「ヨメ」の使い方には大なる違和感を持っています。これについては、またの機会に!!

2018年1月12日 (金)

馬から落ちて落馬して ――重言、ら抜き言葉等を再考――


馬から落ちて落馬して

――重言、ら抜き言葉等を再考――

 

「古 (いにしえ) の昔の武士が、山の中の山中で、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて----」と続くのですが、重言、あるいは二重表現を戒める言葉として有名です。確かに、「馬から落ちて落馬して」と言えば、嘲笑され笑われても仕方がないような気がします。

 

               

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こんな馬からは落馬しないでしょうが――

 

とは言え、重言の中でも「好き好んで」等は、「誰が好き好んでこんなことをすると思っているんだ!」という調子で使う分には、市民権を得ていますし、長嶋茂雄氏が引退したときの言葉「巨人軍は永遠に不滅です」は、それ以外の言い方は考えられないほど不滅の表現として残っています。

 

これほど定着はしていない上に、かなり違和感の大きい表現に「今の現状」があります。しかし、最近政治関係の人と話をする機会があって、この「誤用」についても、違った解釈があるのかなという気がし始めています。

 

つまり「現状」というのは、誰でも共通認識として持っている「政治状況一般」という意味合いで使い、「今の現状」とは、そんな背景の下、今現在、実際に起きている生々しい政治劇を指すのだ、と解釈すると、こんな使い方にも一理あるのかなと思えたのです。

 

今までと比べると随分、寛容になってしまっているような気がしますが、それは、老化現象なのか、朱に交わって赤くなった結果なのかは良く分りません。どちらなのかを確認するため、かつては嫌悪していた「乱れた日本語」のいくつかについて、再度考え直してみたのですが、いくつかのものには存在理由があるような気がしてきました。

 

一番古いものでは、「見れる」ですが、自分では使わないものの、昔ほどの嫌悪感はなくなりました。それは、多くの人が心配した、ら抜き言葉の氾濫が思ったほどではなかったこととも関連があるのかもしれません。

 

そして、「マジ」です。「真面目に考えろ」とか「真面目な話」というように、「真面目」の省略形ですが、次のようなやり取りがあったとして、その中の「マジ」の代りになる上手い言い方があるでしょうか。

 

「退職後はハワイに住もうと思っている」

「エッマジで?

 

Myhawaiiwhyhawaiiholiday

 

「真面目にそんなこと考えているの」と言ってしまっては、「ハンタイ」のニュアンスが出過ぎていますので、重過ぎます。意外な言葉に対して、軽い驚きとともに疑問符を付ける、でも最初から反対の意思表示をしているのではない辺りのニュアンスを表すのには上手い言葉だと思います。もちろん、「マジで」を使って、同時にイントネーション等の付け方に依っては「反対」も表現することは可能でしょう。

 

「こんな乱れをお前はマジで認めるのか」と、お叱りを受けるかもしれません。この「マジ」も、「糾弾」とはちょっとニュアンスが違っていますし、「今の現状では認めても良いと思う」と答えたい気持なのですが、如何でしょうか。

 

 

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まじ卍、私も許容範囲が広がっていますw

「マジで!」は、真面目に考えている?というより、「本当に?」と、嘘じゃないよね?かなと思います。
言葉の乱れというか変遷は、若い世代からはいつの時代もですね。
それよりも民放アナウンサーの言葉遣いの酷さは気になります。
日頃にNHKラジオを聴いていると、言葉の教育の違いを感じます。

前に父親が言ったことに驚いて「嘘じゃろ〜⁈」と言うと「嘘は言わん」と言われたので、「マジで〜⁈」と言うと、「マジがわからん」と言われたことがあります。
父親には「本当⁈」と言うようにしました。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

「まじ卍」なんて、洒落ていますね。俳句のセンスとも通じている感じです。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

「マジ」の語源は「真面目」で、楽屋用語としてかなり古くから使われていたとのことですが、語源とは違う広がりを持つ言葉になって、日本語が豊かになったと言いたかったのですが--。

「和」様

コメント有り難う御座いました。

私は昔、「本当?」と言ってそれに文句を付けられたことがあります。言葉は難しいですね。

2018年1月11日 (木)

気になる日本語 ――不必要な一文字、二文字――


気になる日本語

――不必要な一文字、二文字――

 

新年はやはり年賀状から始まる、と言う人が多いのではないかと思います。その最初に目にするフレーズについて、「新年あけましておめでとうございます」は誤用だという点を、池上彰・林修の両権威を引いて一年ほど前に強調しました。

 

           

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これほどの知名人がハッキリ述べていてくれるのですから、今年は正しい用法が広まっていると思いきや、「正しい挨拶の仕方、ビジネスレターの書き方を教えます」という趣旨の複数のサイトで、例文として「新年あけましておめでとうございます」を採用しています。一例を示しておきます。

 

 

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「教える」立場なのですから、せめてこの程度の誤用を避けるくらいの勉強は必要不可欠なのではないでしょうか。

 

「不必要な二文字」から始まってしまいましたが、不必要な一文字が散見されたのは、暮に頂いた喪中はがきです。その中の一例です。

 

「○○が永眠いたしました。故人生前中にひとかたならぬご厚情を頂きましたこと厚く御礼申し上げます」

 

これも良く使われていますので、慣例としては許されているのかもしれませんが、「生前中」は「生前」のことではないでしょうか。事実、辞書の定義は「その人が生きていたとき。死ぬ前。在世中。しょうぜん。」です。それに「中」を付けると「在世中中」になってしまいます。「中」が不必要な一文字です。

 

新年会や就職活動の面会等で、若い人の自己紹介に多用される表現も気になります。「若輩者ですが、宜しくお願い申し上げます。」といった種類の言葉です。「若輩者」は一時マスコミ関係者がとにかく良く使っていたという記憶があるのですが、それはともかく、「者」は不必要な一文字です。

 

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「若輩」の「輩」の意味は、「なかま。ともがら。やから。 「同輩・先輩・後輩・年輩・軽輩・俗輩・我輩(わがはい)・余輩・弱輩・朋輩(ほうばい)・末輩(まっぱい)」」で、「若輩」の意味は、「1 年が若い者。2 未熟で経験の浅いこと。また、そのさま。自分を卑下していう語。他人に用いれば軽蔑の意になる。」なのです。

 

ネット上のビジネス用の言葉の使い方では、「2」の意味を強調しているのですが、若者が使っているのは主に「1」の意味です。となると、「年が若い者」者、と重なってしまいます。

 

さらに、「先輩」という使い方は、先輩に呼び掛けるときにも使いますし、何々さんは先輩ですとか、○○君は後輩です、という感じでも使います。つまりこれらの単語は既に「人」についての言葉なのです。「我輩」も自分のことですから、それに「者」は付けません。と考えると、「者」は不必要な一文字です。

 

言葉遣いくらいに一々文句を言うな、自分の好きな言葉を使って何が悪い、という反論もあって当然ですし、誤った使い方から言葉が豊かになった例も多くあります。ですから言葉の使い方の正誤は絶対的なものではないのですが、言葉の成り立ちを知って、先人たちの、つまり先輩の培ってきた感性を受け継ぐのも私たちの役割の一つなのではないでしょうか。そして、若者たちには、私たちの受け継いだ美しい日本語を引き継いで貰えるよう、肌理細かな指導をする必要もあるのではないでしょうか。

 

 

その「肌理細か」ですが、最近は「肌理細やか」という表現が広く使われています。これは、誤用です。「や」は不必要なのです。「肌理細か」の「肌理」とは「木目」とも書くのですが、「もくめ」のこと、つまり年輪です。「木目の細かい」に対して「木目の粗い」という言葉がありますので、対で覚えておけば間違わないのですが、混同されるにはそれなりの理由があります。

 

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「肌理細か」の意味は、「配慮が行き届いており懇切丁寧な様子」なのですが、「細やか」の方は、「細部まで行き届いているさま。特に気遣い・配慮がすみずみまで届いている様子。「細やかな配慮」などのように言うことが多い。」のですから、意味が似通っていることから混同され易いのだと思われます。

 

しかし、元々の意味を考えて使い分けるくらいの「木目細か」な配慮をすることが、巡り巡って、政治の世界の目茶苦茶な言葉の乱用を抑えることにさえつながるような気がしています。

 

 

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2018年1月10日 (水)

雪景色・その1 ――肉眼で見た通りには写らないのが残念ですが――


雪景色・その1

――肉眼で見た通りには写らないのが残念ですが――

 

朝から雪でした。日課にしているウォーキングの最中、西に向って歩くと、身体の前面が真っ白になるくらい降っていたのですが、昼過ぎにはちょっと小休止した感じになりました。しばらく経って、近くの山々 (丘と言った方が良いのでしょうか?) の写真を撮ってみました。

 

雪の量が少ないので、木々の上の方だけ白くなっていて、元々三次元の存在である山が、より立体的に見えたのですが、それが伝わっているでしょうか。

 

             

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これは、江戸期から大地主で庄屋だった八田家の長屋門と米蔵の跡です

 

 

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我が家の楓の木にもこんなに雪が積っていました。今夜から明日の天気が心配です。大きな雪害が起きませんように。

 

 

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うちの方も今朝は雪景色でした。
紅葉が終わった山々は 寂しさを感じますが、雪景色で心浮かれます♬
八田家の前を以前はよく通っていました。

「和」様

コメント有り難う御座いました。

吹雪や豪雪等は困りますが、静かに降る雪は心を落ち着かせてくれますね。八田家の中は一般公開はしていないようなのですが、外観だけでも歴史を感じます。

2018年1月 9日 (火)

Oishi 吉山でのランチ(2回目) ――中に入ると、写真を撮りたくなってしまいます――


Oishi 吉山でのランチ (2回目)

――中に入ると、写真を撮りたくなってしまいます――

 

一仕事終えた後で、ちょっと贅沢なランチかディナーでもと考えるのは我が家に限ったことではないと思いますが、昨年8月の末には庭仕事の後、Oishi吉山まで足を延ばしました。

 

今回は年賀状の返信と住所変更、それにiPhone騒動もあり、天気も不順でしたので景気付けのために、二回目のOishi吉山になりました。もっとも、この説明もかなり好い加減で、8月には「秋晴れ」が口実の一部でした。

 

さらに、前回かなり詳しくランチとお店の紹介をしましたので、今回はもう写真を撮らなくて済むのかな、と半分はランチを楽しむことだけ頭に置いて中に入りました。ところが、入るや否や、やはりスマホのカバーを開いてしまいました。最初の写真です。

 

                   

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前回もそうだったのですが、カメラの視野と実際に見えている範囲とが違っているため、皆さんにも味わって欲しい雰囲気のほんの一部しかお伝えできないのが残念です。でも、写真を撮りたいと思った理由は分りました。

 

私の親友Joe Mazur教授が教えていた、バーモント州のMarlboro Collegeの食堂と似た雰囲気の空間だったからです。バーモント州の人里離れたところにある大学ですが、全寮制で、学生たちそして教授陣の多くもこの食堂で食事をします。私も一冬、この大学で過したことがあったので、当時を思い出すことのできる佇まいに反応したのだと思います。前回とは違うアングルからのもう一枚の写真です。

 

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そしてランチです。前回より量が多くなってしまったのは、もう二時近くだったからかもしれません。そして前回「クイズ」として提起した問題も解決されていました。メデタシメデタシ。

 

 

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昼間とはいえ、雨空のせいで、入口の電灯が印象的でした。

 

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我が家の庭では、山茶花の元気もなくなってきましたので、ビオラを買って取り敢えずは玄関前に置いてみました。一息ついて元気が出てきましたので、いよいよ今夜からは本格的に仕事が始められればと思っています。

 

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Mazur先生は、一度広大で講演された方でしたよね?
ご講演前に写真撮影をさせて頂きましたが、懐かしい思い出です。
その際、秋葉先生がAFSでアメリカに行った時、氷川丸に乗って行った事をうかがい知りました。
各大学で食堂も色々でしょうが、それを思い出されるほど良く似ていたのですね。

Joe Mazur教授の大学ということで見てみましたが、DiningからGovernanceまで色々と感心させられました。

https://www.marlboro.edu/community/undergraduate/dining

「呉のかつら」様

コメント有り難う御座いました。そうです、Mazur教授には一度広大で講演して貰いました。

次の「工場長」さんのコメントのURLから、Marlboro College のvirtual tour を選ぶと、Dining Hallも写っています。広さと天井の高さ、そしてシンプルさが良かったのではないかと思います。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

本当に小さい、liberal arts collegeなのですが、このような質の高い教育機関がアメリカの各地に残っているのが、アメリカの「良さ」の一つだと思います。

2018年1月 8日 (月)

iPhone の引っ越し ――銀から、待望の金へ――


iPhone の引っ越し

――銀から、待望の金へ――

 

無事、iPhone 8 Plus (以下、8)を購入したことは、報告済みですが、そこで家人のiPhone 6 Plus (以下、6A) 問題が残りました。 

 

私の認識は、「バッテリーが劣化しているのだからバッテリーを変えれば良いのでは」だったのですが、家人の意見は、「6Aに装着してあるSIMを、私の古い6 (これを6Bと呼びます) に移して、さらに、Lineのトーク履歴も含めて、6Aのデータ全てを6Bに移して使いたい」ということでした。

 

私が年代物の素晴らしいバイオリンを持っていて、今回それ以上の名器を手にしたのだから古い方を使いたいとでもいうのなら分るのですが、「同じiPhone 6 Plusなのに何故?」という疑問が生じました。答は、次の写真にありました。

 

                 

Iphone_20180107_21_43_26

           

 

左が私の使っていた6B、右が家人の6Aです。違いは色でした。

 

家人がガラケーからiPhoneに乗り換えたとき、ゴールドが欲しかったのに、在庫切れで仕方なくシルバーにしたという経緯があったそうなのです。それ以来、ゴールドを持ちたいと思い続けてきた「乙女心」に気付かなかったことを申し訳なく思いました。

 

それならと早速、SIMを換え、Lineのトーク履歴も含めてデータも完璧に引っ越しました。使い心地は満点。なんでもサクサクと動くようになったのだそうです。でも何でこれほど違うのだろうと、念のためチェックしてみると、ななななな~~~~~んと ⇒⇒⇒ 

 

 

16_20180107_21_44_05

 

家人の6Aの容量はたったの16ギガではありませんか。私の使っていた6B64ギガですから、その違いが使い勝手に反映されていたようです。何年にもわたって、容量不足でおしんのような我慢を続けてきた家人の健気な姿がそこにありました。

 

私は家人ほどのヘビーユーザーではありません。Lineのグループ数やトークの頻度等、段違いですし、ポケモンGoも含めてゲームも楽しんでいるようですので、比較すると、6Bつまり私のiPhoneの劣化はそれほどではなかったのだろうと思います。そして、16ギガという制約の下、家人はこの数年間、iPhoneを上手く使いこなしてきたものだと感心しています。

 

かくして、iPhone引っ越し劇の第一幕は下ろされましたが、これから第二幕、第三幕があるかもしれません。

 

乞御期待!!!

 

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かつてのiMacや現在のiPodでは豊富なカラーバリエーションで売っているAppleですが、稼ぎ頭のiPhoneでは色も絞込んでいるので、カラーペイントサービスを使ったり、シールを貼って色を変える人もいるようです。ただ、家族にはなるべく機種変更を悟られたくない私はいつも黒です(^_^;)

ところで、iPhone 6ですとバッテリーの劣化もある程度はあると思いますし、この先も劣化は進みます。最近明らかになったように、Appleはバッテリーの劣化に対して意図的に速度を落とすようにしており、これは本体の保護のためですが、それを「説明してこなかった」ということに対して従来の半額以下でバッテリーを交換する特別なプログラムを開始しています。Appleに本体を送るため数日iPhoneが手元を離れるので、今のように代替機が用意できる時がチャンスです。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

アドバイスして頂いたように、代替機のある間にAppleのiPhoneバッテリー交換をしておきたいと思っています。

あと、Apple Care Plusを契約した方が良いのか迷っています。これなしでも、電話では親切に対応してくれていたように思うのですが、それは、今までも契約していたということなのでしょうか。

私自身はiPhoneを使ってきた10年間で、Apple Careには加入したことがありませんが、電話対応で有償になった記憶はありません。

基本的にApple製品には製品購入後1年間のハードウェア保証と90日間の無償電話サポートが付いており、それを2年まで延長するのがAppleCare+となりますが、90日を過ぎたからといって全ての電話サポートが有償になるというわけでもありません。

保険のようなものですから、受けられるサービス(保証)と支払う費用をどう考えるということになると思います。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。記憶力が減退していて、以前にも同じことを教えて頂いたこと、今思い出しました。

Apple Care なくても大丈夫そうですね。

2018年1月 7日 (日)

年賀状の返信と住所変更のお知らせ ――時間は掛りましたが達成感もありました――


年賀状の返信と住所変更のお知らせ

――時間は掛りましたが達成感もありました――

 

数年前から、ハードコピーの年賀状から、新年の「eカード」送る方にシフトしています。賀状を頂いた場合には返信をするという形で何とか対応をしていたのですが、今年はそれに住所変更が加わりました。

 

随分多くの方から元の住所宛の賀状を頂くことになったので、住所変更の遅れたことのお詫びも合せての返信になりました。文字だけでは味気ないので、可愛い犬のイラストも添えました。

 

               

Photo

             

宛名は家人と手分けして書く積りだったのですが、郵便番号を入力すれば住所のほとんどが自動的に出てくることを思い出して、それなら年賀状ソフトを使った方が早いだろうと、無料ソフトをダウンロードして作業を始めました。

 

ところが、途中で突然ソフトが停止してしまい、入力した住所も流れてしまいました。他のソフトも探してみたのですが、どうも今一の感があり、結局、人気の高いソフトを購入、ダウンロードして入力をやり直しました。

 

全部終ったのは夕食後でした。その理由の一つは、プリンターの不具合だったのでしょうか、カラーがおかしくなったりというトラブルもあったからです。でも、一仕事終っての達成感もそれなりにありましたので、録画してあったプレバトを視ながらのナイトキャップもいつも以上に楽しめそうです。

 

 

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2018年1月 6日 (土)

黒人差別に抗議したフットボール・スター ――キャパ―ニック選手の投げ掛けた波紋――


黒人差別に抗議したフットボール・スター

――キャパ―ニック選手の投げ掛けた波紋――

 

2003年、マンハッタンビル・カレッジの女子バスケットボール・チーム選手、トニー・スミスはゲームの始まる前の国歌の吹奏の際にアメリカ国旗に背を向け、イラク戦争反対の意思表示をしました。それから10年以上経っていますが、20168月には、サンフランシスコ・フォーティ・ナイナーズのクォーターバック、コリン・キャパ―ニック選手が黒人差別に抗議する行動を取りました。国旗掲揚・国歌吹奏の際に起立はしないで最初は座り込んでいたのですが、後にスタイルを変えその後、地面に膝を着く姿勢を貫いたのです。

 

これは、相続く白人警察官による黒人射殺事件、そしてその後警官が不起訴になったり、仮に裁判になっても、白人警官に有利な結果になっていることに端を発しています。

 

こうした事実は、2014年にホルダー米司法長官が公表した報告書に盛り込まれています。

 

産経ニュースの報道によると、「ホルダー長官が4日発表したクリーブランドの警察に関する報告書は、過剰な発砲など「不合理かつ不必要な武器使用」があったと認定。また、「過剰な権力行使は散発的なものではない」として組織の体質自体に問題があると指摘した。

 

同報告書に記載された事例は、201013年の約600件。この中には、警官が1211月、丸腰の黒人住民2人が乗る車と約35キロにわたってカーチェイスを繰り広げた後、車両に約140発の実弾を撃ち込み、2人を死亡させたという事件も含まれている。同警官は訴追された。

 

その他、この地図が示すように、アメリカの南西部や山岳部の州では特に、警察官による殺人事件の率が高いようです。

 

               

Map_of_killings_by_law_enforcement_

             

By Lauren Thibert (Own work) [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

 

さて、キャパ―ニックがこの行動を始めてすぐ、2016年の9月にオクラホマ州で起きた白人警官による黒人射殺事件も引き金になり、多くのプロフットボール選手がキャパ―ニックを支持して、国旗掲揚・国歌吹奏の際に座り込むか、膝を着くといった行動に出るようになりました。その他のスポーツでは、サッカー、野球、バスケットボール、バレーボール、アイスホッケー等の選手が同様の行動を取るようになりましたし、プロ以外の場でも、大学生や高校生のアスリートたちがそれにジョインしました。

 

マスコミや企業でも、キャパ―ニック支持の声は多くありましたが、同時に選手たちの中にも、また市民の中にも「国旗や国歌に対する侮辱だ」と考え、キャパ―ニック批判の声も広がり、支持か糾弾かという分裂が至る所で見られるようになりました。

 

しかし、キャパ―ニックと共に闘おうとする声は一向に収まらず、トランプ大統領は就任後の9月に、「国歌吹奏の際に起立しないプレーヤーは首にすべし」という趣旨のツイートを何度も発しました。それに対して、プロリーグNFLの選手たち、それもほとんどのチームのプレーヤーたち少なくとも200人は、抗議のために、国歌吹奏の際には膝を着いたり、ロッカールームに止まってその場には参加しないという行動を取る結果になりました。

 

フットボールチームのオーナーたちの中には、トランプ大統領に巨額の寄付をした人もいますので、トランプ支持派も多いのですが、選手たちの表現の自由を認めるオーナーもいて、ここでも両極端に分れることになりました。

 

さて、キャパ―ニック選手に戻ると、彼は、2016-2017のシーズンを終えてフリー・エージェントになりましたが、その後、どのチームからもオファーがなく、NFLのチーム・オーナーたちが談合によって彼を排除していると見られても仕方がない状態が続いています。キャパ―ニック選手は、NFLを談合により彼自身の働く権利を奪った廉で訴えています。

 

今年になって早々、その訴訟の手続きが始まっています。シャバーニっくとともに行動する多くの選手たちの熱は収まらず、同時にキャパ―ニックをシンボルとする人権派、リベラル派に対する攻撃も一層激しさを増してきています。

 

経済的格差によってアメリカという社会が分断されていることは周知の事実ですし、独裁政治か民主主義かという抗争も激しさを増しています。人種を初めとして様々な線で区分けをした結果、少数派としての立場に追いやられた人々の切り捨ても容赦なく行われています。

 

そんな中、「政治とは一線を画す」が金科玉条であるとされてきたスポーツの世界でも、その考え方そのものが実は非常に重い政治性を持つ事実に気付いた人々が声を上げ始めているということなのではないでしょうか。そして既得権を持つ人々はそれを守ろうと躍起になり、その結果としての分断が起っています。その中で良識派が闘い地歩を固め、多くの人に勇気とエネルギーを与えています。今後の展開がどうなるのか予断を許しませんが、トランプ政権そのものに大きな打撃を与え得るほどの影響力をスポーツ界は持っています。

 

それと対照的に日本の状況を考えると、安心する気持にはなれませんが、スポーツ界そのものの体質も問われているような気がするのは私だけでしょうか。

 

 

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2018年1月 5日 (金)

トランプ大統領を窮地に追い込むのは ――フットボール選手その他のアスリートかもしれません――


トランプ大統領を窮地に追い込むのは

――フットボール選手その他のアスリートかもしれません――

 

暮に御紹介した、デーブ・ズィリンの著書『アメリカのスポーツと抵抗運動』は2005年に出版されていたのですが、そのオーディオ版がつい最近リリースされ、それを聞くことで新たな展望が開けてきました。そこで学んだことを復習しながらお伝えしてきたのですが、この本は10年以上前までしか触れていません。最後の方で取り上げられている2003年の出来事とその後のアメリカスポーツ界はどうなっているのかにも興味を持ちましたので、調べて見ました。

 

その結果、私にとっては驚くべき発見がありました。我が国のマスコミは取り上げていませんが、今でもアメリカのスポーツ界はアメリカ社会全体を動かすほどの大きな運動を展開しるのです。それに真っ向から対峙しているのがトランプ大統領なのですが、ことによると最後のジョーカーをつかまされるのは大統領かもしれないと思えるほどの広がりを持ちつつあります。

 

何回かに分けて、その動きを御紹介します。その前に、それに至る歴史から始めましょう。

 

2001年のアメリカ同時多発テロ以後、スポーツ界そしてアメリカ中で大きなニュースになったのは、NFLのスター・プレーヤーだったパット・ティルマンがフットボールとその後の巨額の契約を捨てて軍に志願し、イラク戦争に従軍したことでした。(残念なことに2004年には、友軍の弾に当って、ティルマンは戦死します。)

 

しかし、アメリカのメディアは、ティルマンの行動を英雄的なものとして褒め称えました。そして、2004年の戦死も同様の扱いで取り上げられました。

 

でも、アメリカのスポーツ界も多様です。2003年には、ニューヨークにあるマンハッタンビル・カレッジという小さな大学の女子バスケットボール・チームのシニアだった、トニー・スミスはゲームの始まる前の国歌の演奏の際にアメリカ国旗に背を向けました。彼女はイラク戦争は正義に反していると感じ、そんなことをしているアメリカという国家の国旗そして国歌に敬意を表すことはできないと考えたのです。

 

             

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ニューヨーク・デイリー・ニュースから

 

両隣の二人の選手も手をつないで頭を垂れ、国旗に背は向けてはいませんが、スミスを支持しています。

 

この行動を心配した大学の学長は、言論の自由・表現の自由という立場からスミスを守ろうとしますが、マスコミは徹底的に彼女と学長の批判に明け暮れました。「この行動はゴミだ。アメリカよ消えてしまえと言っているに等しい。そしてこれから国のために命を捧げようとしている人たち、そして既に国のために究極の貢献をした人たちに背を向け、彼らを愚弄する行為だ」といった調子の言葉が二人に浴びせられました。

 

そんな批判が起ることなど全く考えてもいなかったスミスは傷付きますが、それでも自分の考え方を変えることはありませんでした。その後彼女はマンハッタンの、子どもたちを犯罪に向わせ兼ねない環境を改善する仕事に現場で関わっています。

 

同時に彼女の行動は、1968年のメキシコ・オリンピックの際のトニー・スミスとジョン・カーロスの勇気と重ねて語られることも多く、多くの若者の間に浸透したことも事実です。そして2003年から10年以上経った2016年に、再び、彼女の勇気の再来だと言われる事件が起ります。

 

 

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2018年1月 4日 (木)

iPhone 8 Plusに乗り換えました ――でも、ちょっと後ろめたさがあります――


iPhone 8 Plusに乗り換えました

――でも、ちょっと後ろめたさがあります―

 

暮から検討していたiPhone 8 Plusへの乗り換えをしました。データも全部バックアップしましたので、使い心地は申し分ありません。

 

まずは乗り換えた8ですが、写真を御覧下さい。実は外見上、86とは見分けが付きません。

 

               

Iphone_8_20180103_22_06_36

             

 

本当に乗り換えたことを「証明」するために、外箱の写真も撮りました。

 

20180103_22_07_08

 

そもそも、乗り換えの検討は、家人のiPhone 6 Plusのバッテリーが消耗してきたことが原因です。どうにかしなくてはと考えていたところ、息子たちが帰省して、それぞれX8を使っていたので彼らのアドバイスを「仰ぎ」ました。結論は、「二人にXは無理」ということで、一挙に8のプロモーションに注目することになりました。

 

たまたま、Softbankでのお正月イベントがあり、キャッシュバックが〇万円、ということもあり、乗り換えることになりました。でも、二人揃っての乗り換えではなく、旧iPhone 6 Plusからの乗り換えができなかったのが、家人でした。

 

息子がまだ未成年のため、iPhoneの購入には親の名義が必要で、その縛りがあったために、docomoから移るのには、犠牲が大き過ぎたからです。

 

「近い内に、お使い頂けそうなイベントがあればお知らせ致します」というSoftbankスタッフの言葉に期待をつなげて、ちょっぴり後ろめたい気持ちを持ちながら、当分の間8を使いこなせるようにしたいと思っています。

 

 

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コメント

新しいiPhoneうらやましいです。
Xは操作性が違いそうなので8が安心ですね。

某経済評論家はiPhone 8とiPhone Xの2台持ちですが、その理由は、殆どの操作でXの方が楽になるものの、ポケモンGOだけは8の方がボールを投げる動作が楽だから、ポケモンGO専用にiPhone 8を持っているということでした。ちなみに彼は腕時計も2台持ちで、右手には決済用としてApple Watch、左手には時間を見るために従来の腕時計をしています。

ちなみに、妻もSoftBankのキャンペーンを使ってiPhone Xに乗り換えましたが、LINEのディズニーツムツムがやり難くなったと言っています。また顔認証は、メガネは濃いサングラスでも認識しますし、厚化粧も大丈夫ですが、マスクはダメなので、マスクを良くする人は指紋認証のiPhone 8の方が良いかも知れません。

「GENKI」様

コメント有り難う御座いました。

6とあまり変っていないと思っていたのですが、色々変っていて、慣れるまでに時間が掛りそうです。

「工場長」様

感性豊かな人はXが使いこなせるようです。我が家で使えそうなのは一人だけ。そして、8を一番必要としている一人は、それが使えないという環境で、頭を抱えています。

2018年1月 3日 (水)

金婚式とスーパームーン ――こいつぁ春から縁起が良いわえ――


金婚式とスーパームーン

――こいつぁ春から縁起が良いわえ―

 

今年、金婚式を迎えるT夫妻を囲んで、新年会を兼ねたお祝いの会がありました。会場は海辺のグランド・プリンス・ホテル広島です。お正月と重なって、目出度さも倍になったのですが、その楽しい場面の写真はプロの「アミューズ」さんにお願いして出張撮影をして頂きました。その中から、ケーキの写真です。

 

             

Happy_50th_cake

               

そして金婚式を迎えたお二人が、蝋燭の火を吹き消します。


Photo_3

アミューズさんにお願いして「良かった」と思ったことの一つは、背景に海を選んでくれたことです。素人の写真では、外が明るい海を背景にすることなど無理ですので、それだけでもとても有り難い一時になりました。機会があれば、その御目出度い写真も厳選してアップさせて頂きます。

 

ホテルの会食も豪華でしたし、子どもたちや孫に囲まれて、T夫妻も楽しみながら50年を振り返ってくれました。

 

昨日からの反省点の一つは、掛け軸ばかりに気を取られて、お料理の美味しさが伝わらなかったことです。遅まきながら、昨日のお節料理の写真をアップします。こちらも美味しさと温かさとでは引けを取りません。

 

20180102_19_26_52_2

 

金婚式を祝う「ディナー」の後、カラオケや初詣と新年恒例のイベントも挟んで、お祝いの会の余韻は夕方まで続きました。

 

市街を後に、自宅まで辿り着くと、東の空からはスーパームーンが登ってきました。これで、目出度さが三倍になりました。中天に上ってからではスマホでの写真は上手く行かないのですが、早い時間ですので、何とかその大きさを記録することができました。下の方に見える明りは、近所のお宅です。

 

20180102_19_28_30_2

 

そして、昨日の報告の追記です。Tさんが、『開運!なんでも鑑定団』のビデオを探し出してくれて、内容を文字化して下さいました。昨日の記述の誤りも訂正しながら、改めて、掛け軸の説明です。

 

20180101_22_13_21_2

 

掛け軸の文字は、次の通りです。

 

Photo_2

 

「坤山」(こんざん)は、浅野長勲の号です。そして、「本文」を書き下すと、「礼をもって、己を処し、恕をもって物を待つ」でその意味は、「常に、礼儀や感謝の気持をもって、自分の行動を行い、他人の立場、心情を察して、物事に対応するよう心がけること」だそうです。

 

お目出度さが二倍から三倍に増える一日を過して、今日を締め括ると、やはり「こいつぁ春から縁起が良いわえ」になってしまいます。

 

その言葉通り、真夜中のスーパームーンの写真も今夜は上手く撮れました。


20180103_2_02_31


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コメント

あけましておめでとうございます。

アミユーズさんの写真は素人には出来ない
光を見つけてくれますよね。良い写真を残
せてよかったですね。その他にも料理、月
掛軸、と良いこと尽くしのお正月で素晴ら
しくて羨ましいくらいです。

昨日はありがとうございました。
お天気が良過ぎて外からの光がとても強く逆光だったのですが、
折角のロケーションで背景がクロスの貼ってある壁というのは味気ないですからね。
温かいご家族のおかげで年始から気持ち良く撮影させて頂けました。
今年もよろしくお願い致します。

昨日はご依頼くださいましてありがとうございました。
ブログにも取り上げてくださって恐縮です。

景色のいいお部屋でしたので
せっかくなら一部分でも取り込めたらいいと思い
撮影しておりました。(←主人が ^_^;)

皆さん仲良しで、お優しくて、とてもいい関係でいらっしゃいますね。
とても羨ましかったです(*^^*)

「⑦パパ様」

コメント有り難う御座いました。

新年をワクワクして迎えた子どものときに刷り込まれたのかもしれませんが、お正月になると、縁起の良いものが自然に目に入ります。それで、「お目出度い」と言うのかもしれませんが。

「アミューズ 中村」様

コメント有り難う御座いました。

スマホで撮る写真の質も上がりましたが、逆光を背景に美しい写真、という発想からびっくりでした。しかも、安心してお任せできることのメリットがこんなにあったとは---。

改めて、感謝です。

「プッチママ」様

コメント有り難う御座いました。

お二人が、その場に自然に溶け込んで下さったこと、さすがにプロだと思いましたが、お二人のお人柄によるところが大きかったのだなと改めて感じています。

50年という節目の記念がきちんとした形で残ったこと、とても有り難く思っています。

2018年1月 2日 (火)

『開運!なんでも鑑定団』に出品の掛け軸 ――お正月には欠かせません――


『開運!なんでも鑑定団』に出品の掛け軸

――お正月には欠かせません―

 

お正月の親戚の集まりの際、家人の実家T家の床の間には必ず元浅野藩主浅野長勲の書が掛けられます。実は、この掛け軸はずいぶん前に『開運!なんでも鑑定団』で鑑定して貰ったことのある由緒ある一品です。

 

               

20180101_22_13_21

             

 

当時、仕事の関係でこの番組への出演を打診され、妻の実家からこの掛け軸を借りることになりました。そして、東京の事務所まで鑑定のために来てくれたのが、鑑定士として大人気の安河内眞美さんと、今や『笑点』の司会者として大活躍している春風亭昇太さんでした。今にして思うと色紙でも書いて貰えば良かったのですが、そこまで頭が回りませんでした。鑑定結果は最後にして、とても助かったのは、この軸の読み方が分ったことです。

 

「礼をもって己を処し、恕をもって物を持す」だったと思うのですが、きちんとメモを取っておかなかったので、うろ覚えです。「礼」とは、法とか、規則、物事の理(ことわり)等の意味だそうですし、「恕」とは思いやりや情を意味しますので、自分の身の処し方、そしてその他の存在や社会との付き合い方として、「情理を尽す」必要性を説いているのではないかと考えています。正確な意味を御存知の方がいらっしゃれば、是非御教示下さい。

 

そして署名は「源長勲」です。「源」が本姓、「浅野」が苗字、「長勲」が名という説明がありました。

 

この掛け軸は廃藩置県の際に藩主長勲公から数代前のT家の当主に下賜されたものですので、これが本物であることは分っていました。ただし、『開運!なんでも鑑定団』では掛け軸で高額の値が付くものは余りありませんでしたし、全国的に超有名な人の書でもありませんので、相談の上、「一万円」と「本人評価額」を決めたのですが、結果は、「本物」そして「三万円」でした。長勲の書が多いことと、政治家の書はそれほど高くは評価されないという理由だったのですが、保存状態が良かったことは評価されました。。

 

評価額はともかく、私たちにとってはお正月になくてはならない伝統ですので、これからも大切に、この書を鑑賞して行きたいと思っています。

 

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2018年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。


明けましておめでとうございます

本年も宜しくお願い申し上げます

 

昨年は初めて一年の計画・決意を公表しました。言い訳のできない状況を作って「三日坊主」の癖から抜け出すためでしたが、その成果がそれなりに挙りましたので、今年も計画・決意の表明です。とは言え、昨年とあまり変らない内容になりました。昨年の反省とともに2018年に何をしたいのか、「wishful thinking」、つまり「出来たら良いな」も含めて御披露します。

 

昨年同様、個人的な目標ですので、お読み頂いても共感や納得とは縁のないことばかりだと思います。でも私にとっては、ここに書かせて頂くことで後に引けなくなる義務感が良い意味でのプレッシャーになりますので、御寛恕下さい。

 

 今年も日記を付ける。

(ア)  昨年は、人生で初めて、一年間日記を付けることができました。今年も続けます。

                 

20171210_16_55_33

           

 

 ブログを続ける。

(ア)  何人もの方に協力して頂いた結果、2017年の間は何とか続けて来られました。また、原水禁運動についての報告も最低限のレベルだったかもしれませんが、お届けできました。今年はまず、活動そのものの拡充を図ります。核兵器禁止条約の批准が目標ですし、日本政府に対する働き掛けが大きな課題です。こうした活動についてのブログでの報告ももう少し回数を増やしたいと思っています。

(イ)  そのために、豊かな経験を持つ広島県原水禁の常任理事の皆さんに、月に一度原稿を寄せて頂けるようお願いをし続けたいと思います。

 

Photo

 

 公式ホームページを充実させる。

(ア)  ホームページそのものは、2017年の第48回総選挙の際に何とか立ち上げることができました。今年は、その内容を充実させたいと思っています。

 

 ウォーキングその他、手軽にできる運動を続ける。

(ア)  アルティメットの代りに「ディスク・ゴルフ」を始めたいと思っていましたが、そのための環境が整っていません。でも運動は必要ですので、これまで続けた来たウォーキングを少し高度化し、その他、手軽にできることを一つでも二つでも増やしたいと思っています。

 

 市民運動にも力を入れる

(ア)  安倍政権の目標は、国会での改憲発議のようですが、それに対抗したいと思っています。国会内では、改憲勢力が3分の2を超えているのですが、広島周辺だけではなく、全国的な連携ができれば、改憲阻止の声が国会にまで影響を及ぼすことは可能だと信じています。

 

 有償の仕事を増やす

(ア)  上記の目的のために、仕事の範囲を広げて、交通費くらいの収入を確保するのが目標です。

(イ)  通訳や英語の指導等もできますが、力仕事はもう無理かもしれません。

 

 執筆中の本の出版

(ア)  緊急性の高い、憲法についての論考を大急ぎでまとめて出版したいと考えています。

(イ)  気骨のある出版社を探しています。

 

ラッキー・セブンの7つにまとめました。かなり個人的かつ勝手な思いをお読み頂き有難う御座いました。

 

 

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