12.8不戦の誓いヒロシマ集会
12.8不戦の誓いヒロシマ集会
12月8日は、76年前中国への侵略戦争を進めていた日本軍が、ハワイ・真珠湾への奇襲攻撃によって日米戦争へと突入した日です。再び戦争への道を歩まない不戦の誓いの日として、今年も、昨日午後6時から「憲法を守る広島県民会議、原水爆禁止広島県協議会、広島県平和運動センター、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会」の共催で「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」が、開催されてきました。
今年の集会は、「日本軍『慰安婦』問題と日本の戦争責任―植村パッシングとは―」と題して、元朝日新聞記者の植村隆さん(現・韓国・カトリック大学校客員教授)による講演が行われました。
「今日の歴史的な日に平和都市広島にいることを幸せに感ずる」という話から始まった植村さんの講演。在韓被爆者問題など広島への強い思いが語られながら、「日本軍『慰安婦問題』」へと話が移り、そして本題の「上村バッシング」の実態が、様々な事実に基づいて、詳細に語られました。そんな中で、いくつか強く印象に残ったことを述べてみます。
言わば特ダネともいえる1991年8月11日の朝日新聞の「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」の記事を書くことになった従軍慰安婦の証言。その証言を引き出したのが、友人の被爆者の「自分のことを話しなさい」という後押しがあったから。同じ侵略戦争の犠牲者被爆者が「慰安婦」の発言を引き出したという指摘。その事実を伝えただけの記事が、その後のバッシングの対象となったしまったという経過は驚くべきことです。
2014年2月6日号の「週刊文春」の記事が引き金となったパッシングは、2014年8月5日の朝日新聞の検証記事以来、植村さんにも執拗に繰り返されるパッシングの嵐。ついには、家族、子どもにまで。そんな攻撃に果敢に戦った植村さん。そしてそれを支える人々。
淡々として、そして時には力を込めながら、経過を振り返りつつ指摘されたのが、バッシングの背景にある安倍首相に通じる歴史修正主義者たちの行動と思想です。さらにそのインチキぶりを事実に基づいて指摘する植村さんの話は、すべての参加者の胸を強く打ち、納得させる内容でした。
またそうしたバッシング攻撃は、上村さんにとどまらず、広島大学の講義に、灘中などへの教科書使用に、女たちの戦争と平和資料館へと広がっていることが指摘されました。
最後の上村さんは、ヴァイツゼッカー大統領のドイツ終戦40周年記念演説を紹介するとともに、河野談話(1993年)の「歴史の事実を直視し、歴史研究・歴史教育を通じてこの問題を記憶にとどめ、過ちを繰り返さない決意を表明する」の部分を引用しながら、「歴史の事実ときちんと向き合うこと」の重要性を強調されました。こうしたことが、私には強く印象に残りました。
集会では最後に「私たちは改めて、戦争の歴史・教訓に学び、そしていま再び『戦争する国』へと暴走する事態を直視し、戦争につながる一切を拒否する鳥喰を強めなければなりません。戦後を戦前に回帰させないために、本日ここに集う私たちは、さらに広範な人々とともに平和と民主主義を守るための活動を一層強化すること」を誓う「集会アピール」を採択し、集会を終えました。
私は、今年7月、中国東北地方と北京の戦跡を訪ねる「平和の旅」に参加し、中国への侵略の歴史の一部を学んできました。実は今年は、日中国交正常化45周年、「日中戦争」の発端ともいわれる盧溝橋事件からちょうど80年という節目の年でもあります。しかし、残念ですが、80年前の7月7日を振り返る集いが日本で開かれたという話はあまり聞くことができませんでした。私たちは、「12・8」を忘れてはならない日として、毎年取り組みを進めていますが、もっとアジアの人々に目を向けることが、今の時代には必要だと改めて思わされた今日の集会でした。
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