オーストラリア政府の謝罪 ――サンノゼ州立大学には三人の立像もあります――
オーストラリア政府の謝罪
――サンノゼ州立大学には三人の立像もあります――
1968年のメキシコ・オリンピックでスミスとカーロスが黒い手袋をしようと考えたのは、当時のブランデージIOC会長が、白人至上主義者かつ女性差別主義者だったことが原因です。IOC会長が全てのメダルを授与し、握手をする習わしになっていると理解していた二人は、ブランデージ会長との握手はどうしてもしたくない、そのためには手袋が必要だ、それも黒人を象徴する色でと考えて黒の皮手袋を準備していたとのことです。
一言お断りしておきますが、この原稿は、アメリカのスポーツ・ジャーナリストであるデーブ・ズィリンの著書『アメリカのスポーツと抵抗運動』そして雑誌『The Nation』の記事等を参考に、前回そして今回の原稿を書いています。
さて、メキシコ・オリンピックでは男子200メートルのメダルはブランデージ会長が渡すのではないことが分り、「ブラック・パワー・サリュート」によって世界へのアピールが行われることになりました。その時点で、ノーマンは「私はあなた方と行動を共にする」と伝え、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを付けました。そして表彰台に近付くときに手袋を忘れたカーロスに片方の手袋を渡したらと提案したのもノーマンでした。
オーストラリアがノーマンの偉大さに気付き、それまでノーマンに対して行われた非道な行為に謝罪するのは、彼の死後6年たった2012年になりますが、スミスとカーロスは、ノーマンの亡くなる一年前、2005年には母校であるサンノゼ州立大学に彼ら二人の功績を讃える立像が作られることで、名誉回復を遂げています。
像の除幕式には、ノーマンも招待され出席していますが、彼が当時立っていた第二位の台には彼の姿がありません。「二人と自分の立場は違うから」という理由と「二人を支えた私と同じ立場に立つ人々が多くいる。彼らにその場に立って貰うことで、自分の足跡を理解し引き継いで欲しい」という理由からでした。その趣旨の言葉が、第二位の台座には刻まれています。物理的存在としてのノーマンはそこにはいませんが、でも、この立像には三人の姿が見事に描かれていると思うのは私だけではありません。
残念なことに、ノーマンは次の年2006年に、祖国オーストラリアからの理解を得られないまま63歳で亡くなります。しかし、自分の行動が正しかったことについて、彼はは生涯、微動だにすることなく確信を持っていました。葬儀では、スミスとカーロスが、彼の棺を担いで歩む姿が印象的でした。
そして、それから6年後の2012年、オーストラリア議会は満場一致で、ピーター・ノーマンの偉業を讃え、彼に対してのしわれなき仕打ちに対して謝罪する決議を採択しました。
まず、陸上選手としてノーマンが、オーストラリア記録保持者であるほどの素晴らしい業績を打ち立てたこと、そして1968年のオリンピックで、スミスとカーロスとともに自らの信念を公にしたことの勇気を讃え、彼を1972年のオリンピック代表に選ばなかった非についての謝罪をし、人種差別撤廃のためにノーマンが非凡な役割を果したことを認めています。
現在では、ピーター・ノーマンの果した役割はオーストラリアの教科書でも取り上げられ、子どもたちも彼の人生を知るまでになりました。その陰には、ピーターの甥であるマット・ノーマンが、叔父についての真実を残さなくてはいけないと考えて制作した映画『サリュート』が世界的評価を受け、ピーター・ノーマンのコミットメントを多くの人が知るに至ったことも重要です。
スポーツ選手が世界を変える上で大きな役割を果して来た歴史の一端はお伝え出来たと思いますが、もう一つの教訓があります。それは国家、そして政府の果たす役割です。
国家を絶対視し、「国家は過ちを犯さない」と信じている人たちには、オーストラリア議会 (それには当時の首相の意向も反映されていました) の取った行動は理解できないでしょう。しかし、国家も人間の集団ですから過ちは犯します。その事実を謙虚に受け止め、未来に生かさない限り、国家として、その過ちに対する責任を果したことにはなりません。
現在のアメリカはトランプ政権によって方針が変ってしまいましたが、過去には、第二次世界大戦中に強制収容所に収監され基本的人権を奪われた日系市民に対する謝罪を、慰謝料を払うことも含めて公的にしています。
翻って、日本政府が過去の過ちに対してどのような態度を取って来たのかを考え、それが日本の未来へつながっていることを認識すると、戦慄を感じるのは私だけではないでしょう。
一年を振り返りつつ、新年を期して私たちが取り組まなくてはならない課題の大きさに改めて2018年の意味を重ねつつ、エネルギーを蓄える必要性を感じています。
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コメント
'74と'77にフィルムで見た「民族の祭典」'38を思い出しました。
今では??「民族の祭典+美の祭典」=「オリンピア」と言うらしいのですが、
当時、「民族の祭典」で見たのが「オリンピア」だったのか忘れてしまいましたが。
印象深かったのが、陸上短距離で大活躍・オーエンス選手(米)のささやかな、それでした。
国旗掲揚の時、誇らしげに顔をあげない、ずっとうつむき加減。
強い意志を持って、ではなく、どうしても星条旗に目がいかないという感じ。
後年、そう廉価でもないDVDを。
ら!アメリカンバージョンであったせいか、オーエンス選手のそれは見事にカット!
マラソンで金メダルの孫選手も日の丸をあまり見てなかった→こちらはカットされず。
手を加えないDVDがあるのやら。
(レニ・Riefenstahl(←変換可能!)→「意志の勝利」ともども賛否あろうけど、
記録としてはやはりスゴイ)
「されど映画」様
コメント有り難う御座いました。
1936年のベルリン・オリンピックを振り返ると、2020年の東京オリンピックについても、色々分ることがありそうです。一度、考えて見たいと思います。
良いお年をお迎え下さい。
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'74と'77にフィルムで見た「民族の祭典」'38を思い出しました。
今では??「民族の祭典+美の祭典」=「オリンピア」と言うらしいのですが、
当時、「民族の祭典」で見たのが「オリンピア」だったのか忘れてしまいましたが。
印象深かったのが、陸上短距離で大活躍・オーエンス選手(米)のささやかな、それでした。
国旗掲揚の時、誇らしげに顔をあげない、ずっとうつむき加減。
強い意志を持って、ではなく、どうしても星条旗に目がいかないという感じ。
後年、そう廉価でもないDVDを。
ら!アメリカンバージョンであったせいか、オーエンス選手のそれは見事にカット!
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手を加えないDVDがあるのやら。
(レニ・Riefenstahl(←変換可能!)→「意志の勝利」ともども賛否あろうけど、
記録としてはやはりスゴイ)
投稿: されど映画 | 2017年12月29日 (金) 17時08分
「されど映画」様
コメント有り難う御座いました。
1936年のベルリン・オリンピックを振り返ると、2020年の東京オリンピックについても、色々分ることがありそうです。一度、考えて見たいと思います。
良いお年をお迎え下さい。
投稿: イライザ | 2017年12月31日 (日) 10時40分