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2017年12月

2017年12月31日 (日)

12月のブルーベリー農園

12月のブルーベリー農園

 

 

12月はブルーベリーの風景が紅葉から降雪を気に落葉となり一変する月となる。

 

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123日(土)。まだブルーベリーの紅葉が続いている。

2

123日(土)。河内町に住む妻の友人から安芸の郷にコメの寄付の申し出があったので農園に行く途中によったところ、おうちの前の畑からハクサイやダイコンなどの野菜をどっさりと頂き農園の流しで泥を落として持ち帰る。我が家の朝食はごはんなので、大根すりがごちそう。丸い聖護院は千枚漬にして熱燗と一緒に頂くのがなによりの楽しみ。

 

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123日(土)。この冬の剪定開始。山の早生のブルーベリーから始める。細かい剪定は後回しにして古くなった木の更新を目的にして、ブルーベリーの木で1~2本の太い幹を2人がかりで切って回った。

4

1217日(日)。雪がふりブルーベリーの紅葉も終わり。

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1217日(日)。雪の残る山側のブルーベリーの剪定を行う。

 

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1223日(土)。午後から17日に切った太い幹の切り口に癒合材をぬって木の保護を行う。株もとでヤブコウジも赤い実をつけている。

 

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1223日(土)。クリやドングリの木の背が高くなってきていてブルーベリーの上に覆いかぶさるような場所の枝払いを行った。太い枝は椎茸の栽培に使えるので春まで置いておく。このほかヒノキやスギの枝払いもあちこちにあり、とても一日で済みそうもないので年明けからもごしごしと鋸で切っていく予定。

 

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1228日(木)。落葉したブルーベリー。鳥の鳴き声もなく静か。

 

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1228日(木)。どっさりのナンテンの実

 

10

1228日(木)。庭のツバキはたくさんの花芽を付けている。安芸の郷の建物、森の工房AMAの庭のツバキも今年は咲かなかった木にもたくさんの花芽を付けている。来年はツバキの花姿がよさそうだ。

20171231日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2017年12月30日 (土)

2017年に買って良かったもの ――多過ぎるので、厳選の5品目――


2017年に買って良かったもの

――多過ぎるので、厳選の5品目――

 

毎年、いや毎日、色々なものを買っていますが、生活必需品が多いので、「これを買って良かった」とその度に考えることもほとんどないのですが、折角の年の瀬です。一年を振り返って、今年買って良かったものをリストして見ました。

 

ところが、ドライブ・レコーダーもあれば、ルーターの中継器もあり、とにかく多過ぎて収拾が付きません。とにかく頑張って5品目に絞ってみたら、何とかまとまりました。

 

 一番目は、日記帳です。買ったのは去年だったのかもしませんが、とにかく一年間、頭の整理と認知症予防のため大活躍をしてくれました。

 

         

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 二つ目はワイヤレス・チャイムです。下の写真がドアベル・送信機です。自発電方式ですので、電池がいりません。

 

 

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左側がワイヤレスのドアベルですが、有線のドアベルを取り外す手間もかなり掛りますので、そのままにしました。そして、受信機はUSBから電源を供給するようになっていて、屋内に複数個置くことができます。これは二階に置いてある受信機です。

 

 

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冬は各部屋のドアや襖を締め切っていますので、リビングに設置してあるインターホンの音が二階まで聞えません。先月、夜8時頃になって、御近所に住んでいる宅配業者の方が、大きな声で窓から呼び掛けてくれて届け物だということに気付き、同時に、ドアベルの音が聞こえていないことも認識できました。その対策として、ワイヤレスチャイムを導入したのですが、これでドアを締め切っていても郵便や宅配便配達の際のドアベルが聞えますので、ストレスが減りました。

 

 三つ目は、屋外用物置です。庭や家の周りの清掃や整理のための何でも入りますので、とにかく見た目も心もスッキリしました。

 

 

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 四つ目はエビスビールです。夏は「The Hop」、冬は「和のつむぎ」です。

 

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 そして最後は、「亀齢辛口純米八拾」です。精米は80パーセント、つまり削ってしまうのは2割ですが、杜氏の西垣さんの工夫で、とても美味しくかつ価格もお手頃のお酒になったとのことです。酒好きの友人から強く勧められました。

 

 

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来年はどんな買い物をするのか楽しみですが、基本は節約そしてコスパを上げること。良い買い物、そして清々しい生活のできることを祈っています。

 

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コメント

アマゾンで年間10万円以上買う人はAmazonゴールドカードを持った方が得だと聞いて申し込んだところです。

「金」様

コメント有り難う御座いました。

アマゾン・ゴールド・カードはお得なようですが、審査が難しいとも聞きました。良い結果になることを祈っています。

良いお年をお迎え下さい。

2017年12月29日 (金)

オーストラリア政府の謝罪 ――サンノゼ州立大学には三人の立像もあります――


オーストラリア政府の謝罪

――サンノゼ州立大学には三人の立像もあります――

 

1968年のメキシコ・オリンピックでスミスとカーロスが黒い手袋をしようと考えたのは、当時のブランデージIOC会長が、白人至上主義者かつ女性差別主義者だったことが原因です。IOC会長が全てのメダルを授与し、握手をする習わしになっていると理解していた二人は、ブランデージ会長との握手はどうしてもしたくない、そのためには手袋が必要だ、それも黒人を象徴する色でと考えて黒の皮手袋を準備していたとのことです。

 

一言お断りしておきますが、この原稿は、アメリカのスポーツ・ジャーナリストであるデーブ・ズィリンの著書『アメリカのスポーツと抵抗運動』そして雑誌『The Nation』の記事等を参考に、前回そして今回の原稿を書いています。

 

さて、メキシコ・オリンピックでは男子200メートルのメダルはブランデージ会長が渡すのではないことが分り、「ブラック・パワー・サリュート」によって世界へのアピールが行われることになりました。その時点で、ノーマンは「私はあなた方と行動を共にする」と伝え、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを付けました。そして表彰台に近付くときに手袋を忘れたカーロスに片方の手袋を渡したらと提案したのもノーマンでした。

 

オーストラリアがノーマンの偉大さに気付き、それまでノーマンに対して行われた非道な行為に謝罪するのは、彼の死後6年たった2012年になりますが、スミスとカーロスは、ノーマンの亡くなる一年前、2005年には母校であるサンノゼ州立大学に彼ら二人の功績を讃える立像が作られることで、名誉回復を遂げています。

 

               

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像の除幕式には、ノーマンも招待され出席していますが、彼が当時立っていた第二位の台には彼の姿がありません。「二人と自分の立場は違うから」という理由と「二人を支えた私と同じ立場に立つ人々が多くいる。彼らにその場に立って貰うことで、自分の足跡を理解し引き継いで欲しい」という理由からでした。その趣旨の言葉が、第二位の台座には刻まれています。物理的存在としてのノーマンはそこにはいませんが、でも、この立像には三人の姿が見事に描かれていると思うのは私だけではありません。

 

残念なことに、ノーマンは次の年2006年に、祖国オーストラリアからの理解を得られないまま63歳で亡くなります。しかし、自分の行動が正しかったことについて、彼はは生涯、微動だにすることなく確信を持っていました。葬儀では、スミスとカーロスが、彼の棺を担いで歩む姿が印象的でした。

 

 

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そして、それから6年後の2012年、オーストラリア議会は満場一致で、ピーター・ノーマンの偉業を讃え、彼に対してのしわれなき仕打ちに対して謝罪する決議を採択しました。

 

まず、陸上選手としてノーマンが、オーストラリア記録保持者であるほどの素晴らしい業績を打ち立てたこと、そして1968年のオリンピックで、スミスとカーロスとともに自らの信念を公にしたことの勇気を讃え、彼を1972年のオリンピック代表に選ばなかった非についての謝罪をし、人種差別撤廃のためにノーマンが非凡な役割を果したことを認めています。

 

現在では、ピーター・ノーマンの果した役割はオーストラリアの教科書でも取り上げられ、子どもたちも彼の人生を知るまでになりました。その陰には、ピーターの甥であるマット・ノーマンが、叔父についての真実を残さなくてはいけないと考えて制作した映画『サリュート』が世界的評価を受け、ピーター・ノーマンのコミットメントを多くの人が知るに至ったことも重要です。

 

スポーツ選手が世界を変える上で大きな役割を果して来た歴史の一端はお伝え出来たと思いますが、もう一つの教訓があります。それは国家、そして政府の果たす役割です。

 

国家を絶対視し、「国家は過ちを犯さない」と信じている人たちには、オーストラリア議会 (それには当時の首相の意向も反映されていました) の取った行動は理解できないでしょう。しかし、国家も人間の集団ですから過ちは犯します。その事実を謙虚に受け止め、未来に生かさない限り、国家として、その過ちに対する責任を果したことにはなりません。

 

現在のアメリカはトランプ政権によって方針が変ってしまいましたが、過去には、第二次世界大戦中に強制収容所に収監され基本的人権を奪われた日系市民に対する謝罪を、慰謝料を払うことも含めて公的にしています。

 

翻って、日本政府が過去の過ちに対してどのような態度を取って来たのかを考え、それが日本の未来へつながっていることを認識すると、戦慄を感じるのは私だけではないでしょう。

 

一年を振り返りつつ、新年を期して私たちが取り組まなくてはならない課題の大きさに改めて2018年の意味を重ねつつ、エネルギーを蓄える必要性を感じています。

 

 

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コメント

'74と'77にフィルムで見た「民族の祭典」'38を思い出しました。
今では??「民族の祭典+美の祭典」=「オリンピア」と言うらしいのですが、
当時、「民族の祭典」で見たのが「オリンピア」だったのか忘れてしまいましたが。

印象深かったのが、陸上短距離で大活躍・オーエンス選手(米)のささやかな、それでした。
国旗掲揚の時、誇らしげに顔をあげない、ずっとうつむき加減。
強い意志を持って、ではなく、どうしても星条旗に目がいかないという感じ。
後年、そう廉価でもないDVDを。
ら!アメリカンバージョンであったせいか、オーエンス選手のそれは見事にカット!
マラソンで金メダルの孫選手も日の丸をあまり見てなかった→こちらはカットされず。
手を加えないDVDがあるのやら。
(レニ・Riefenstahl(←変換可能!)→「意志の勝利」ともども賛否あろうけど、
記録としてはやはりスゴイ)

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

1936年のベルリン・オリンピックを振り返ると、2020年の東京オリンピックについても、色々分ることがありそうです。一度、考えて見たいと思います。

良いお年をお迎え下さい。

2017年12月28日 (木)

ブラック・パワー・サリュート ――オリンピックで真実を訴えた三人――


ブラック・パワー・サリュート

――オリンピックで真実を訴えた三人――

 

「スポーツに政治を持ち込むな」は良く聞かれる言葉です。きちんと決められたルールにのみ従って勝敗を決するスポーツに、それ以外の議論を持ち込むべきではないという考え方ですが、スポーツも人間の活動ですから、その「人間」と100パーセント切り離して存在する訳には行きません。

 

政治とはきわめて人間的な活動であり、それが社会のあらゆる側面と密接に関わっていることも事実です。そして、多くの人間的活動の場で見られるように、物事の定義そのもの、そしてルールそのものさえ、何らかの意味での「政治的力」を持つ人々の意思によって決められてしまう傾向があります。

 

しかし、このような形で作られてきた社会の歪みは、人類史の中で多くの人たちの努力で表現され言語化され、政治的な課題として捉えられ、さらに多くの人たちが力を合わせることで、全ての人間にとってより公平で理想に近い形に修正されてきました。

 

一年を振り返る毎年の習慣に倣って思いを巡らせる内に、スポーツ選手たちの果した役割が如何に大きかったのかを改めて咀嚼しています。モハメッド・アリに続いて、今回は1968年のオリンピックでの三人のアスリートの勇気に触れたいと思います。

 

                 

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By Angelo Cozzi (Mondadori Publishers) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

有名な写真ですので、御存知の方は多いと思いますが、1968年のオリンピックで男子200メートルの表彰台の三人です。金メダルはアメリカのトミー・スミス、銀はオーストラリアのピーター・ノーマン、銅はアメリカのジョン・カーロスです。

 

スミスとカーロスは頭を下げ、黒い手袋をはめて、拳を突き上げる「ブラック・パワー・サリュート」(黒い力の敬礼)をしています。靴は履かずに、アメリカの黒人の貧しさを示すために黒いソックス、スミスは黒人の存在と誇りを示す黒いスカーフを巻き、カーロスは、白人至上主義者によってリンチその他の方法で殺された黒人の慰霊のためのロザリオを掛けていました。

 

そして、銀メダルのノーマンはというと、ただその場にいたのではなく、胸に、二人と同じ「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを付けていたのです。

 

当時のアメリカは、国外ではベトナム戦争を起こし、国内では戦争反対の声と、200年にわたる黒人差別に対する怒涛のような反対が公民権運動として大きなうねりとなる大変動期でした。1964年には公民権法ができて、成果は上っているようにも見えたのですが、差別やリンチは続いていました。そして1968年には、20世紀後半の世界を象徴するような運動のリーダーだったマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、さらに、政府側から運動を支えてきた大統領候補のロバート・ケネディーも暗殺されるという、大きな痛手を受けていた年でもありました。

 

メキシコ・オリンピックにも参加すべきではないという主張も黒人アスリートの中では多くの選手に支持され真剣に検討されてはいたのですが、参加することにしたスミスとカーロスは、表彰台での明確な意思表示をする決意をしていました。英語の表現がその力を示しています。「take a stand」、つまり台の上で、自分たちの意思を疑う余地のないハッキリとした形で世界中の人たちに届けるという決意です。この時、スミスは24歳、カーロスは23歳でした。

 

 

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By Angelo Cozzi (Mondadori Publishers) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

IOCの会長だったエイベリー・ブランデージは、スミスとカーロスをアメリカ・チームから除名し選手村から追放しました。二人はオリンピックからも永久に追放されました。さらに二人はアメリカのメディアからも厳しく批判されますし、カーロスの妻の自殺といった平坦ではない人生を送ることになりましたが、その後も陸上やフットボールの世界で活躍することができました。もちろん、オリンピックとは全く縁のない世界での活躍ではありましたが。

 

一方、ノーマンは、オリンピックからは追放されませんでしたが、白豪主義のオーストラリアではアメリカ以上の批判を受け、今でも破られていない200メートルのオーストラリア記録を作りながら、帰国時の空港には誰一人として出迎える人がいないほどの孤立無援の状態に置かれます。その後のオリンピックにも、記録を見ると誰よりも先に出場して良い力がありながら、オーストラリア代表には選ばれず、生活を維持するための低賃金の仕事を転々とする日々が続きました。

 

こうした三人のオリンピック後を総括して、「勇気ある行動の付けは大きかった」という形で、「だからオリンピックを政治利用してはいけない」という結論に導こうとする人たちも多いのですが、実は三人の友情と、ノーマンの勇気は今でも多くの人に希望を与えています。

 

[続きます]

 

 

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2017年12月27日 (水)

世界を変えたアスリート ――モハメッド・アリが生れてから75年――


世界を変えたアスリート

――モハメッド・アリが生れてから75年――

 

年の瀬になって、今年一年の出来事が色々頭に浮びます。良いことも悪いことも沢山ありましたが、大相撲の暴力事件とその後の混乱はまだ続いています。スポーツ界のヒーローたちは、多くの子どもたちの憧れの的であり、大きくなったらこんな人になりたいという目標にもなっています。

 

ですから、彼ら/彼女らの社会的・道義的な責任は大変大きいのですが、もちろんスポーツの世界で秀でた仕事をする人全てが聖人君子ではありませんし、その必要もないでしょう。しかし、彼ら/彼女らの影響力の大きさは無視できませんし、また多くのスポーツ・ヒーローたちが素晴らしいロール・モデルとして子どもたちのお手本になってきたことを思い起すと、やはり期待をしてしまいます。2003年の広島市の平和宣言には、次のような期待の言葉が述べられています。

 

世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄(ろう)せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。

 

そして今思い出しているのが、ボクシングのヘビー級チャンピオンだったモハメッド・アリです。昨年の12月にも取り上げていますが、1942年生まれで、昨年亡くなっています。生きていれば今年は75歳です。ボクサーとして、また全てのアスリートの象徴として良く知られていますが、アメリカにおける市民権運動、そしてベトナム戦争反対運動、世界平和のための発言と行動でも、世界を引っ張る存在でした。

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By Ira Rosenberg [Public domain], via Wikimedia Commons

 

恐らく一番良く知られているのは、1966年に、アメリカの徴兵基準が緩められ、アリもほぼ真っ先に召集される事態になった時、「私は、ベトコンに何の恨みもない。だから、ベトナムには行かない」と、徴兵を忌避する態度を公にしたことでしょう。その後、テレビ番組や新聞・雑誌等のインタビュー、各地での講演等で同じ趣旨のことを力強く訴えています。

 

マスコミの前での次の言葉は有名です。

 

私はベトコンと喧嘩をしているのではない。私の故郷ルイビルで、黒人が基本的人権を認められず犬のように扱われているのに、何で制服を着て、我が家から一万キロも離れたところで、肌の茶色の人たちに爆弾を落し、また銃で撃って殺さなくてはならないのだ。

 

また、ある学生集会では次のように述べています。

 

私の敵は白人だ。ベトコンでも、中国人でも日本人でもない。私が自由を欲しいときにそれに反対する奴らだ。私の欲しい正義に反対する奴ら、そして平等を要求する私に反対する奴らだ。アメリカ国内で、私の信教の自由のためには闘わず、私を外国に送って戦争をさせる。でも、このアメリカで私の権利のためには立ち上がってくれないお前たちだ。

 

しかし、アリは逮捕され、下級裁判所では有罪判決を受けます。ボクシングのタイトルも剥奪され、3年間は国内外で試合する権利さえ奪われます。1971年には最高裁判所で無罪を勝ち取りますが、ボクサーとして最も活躍できたであろう3年間を棒に振らなくてはならない過酷な試練に晒されます。

 

あまりにも多くのものを失ったのではないかという質問に彼は次のように答えています。

 

私は何も失っていない。それどころか、私は多くのものを得ている。私の心は平穏だ。そして魂にも平和が宿っている。今目の前にいる皆さんからの尊敬の念を勝ち得た。それだけではなく世界の人々から私への温かい共感を貰うことができた。

 

自らのキャリアで一番大切な時に、それを投げ打って、平和・人権・平等といった理想実現のために働く勇気を持つことは誰にでもできることではありません。でも、それにほんのチョッピリでも近付こうとする努力くらいはしても、罰は当らないと思うのですが。

 

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コメント

日本の国技と称する競技の選手たちにも見習って欲しいものだと思ってしまいました。

「見習い」様

コメント有り難う御座いました。

モハメッド・アリの他にも見習いたいアスリートは沢山います。そして、社会を変えるための表現や行動も多様です。このシリーズで、その中の何人かを御紹介できれば幸いです。

2017年12月26日 (火)

大人のためのクリスマス会 ――多彩なプログラムでした――


大人のためのクリスマス会

――多彩なプログラムでした――

 

道草懇話会とLC生涯学習教養講座主催の「大人のためのクリスマス会」がANAクラウンプラザホテル広島で開かれました。

 

まずは日本福音ルーテル大江教会の立野泰博牧師によるクリスマス礼拝から始まりました。讃美歌も交えて、クリスマスの意味を聖書の言葉を中心に、讃美歌も交えての祈りの一時でした。

 

                 

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改めて心打たれたのは、アッシジの聖フランシスコによる「平和の祈り」です。

 

主よ、私たちを平和の使者として送り出し、

憎しみのあるところに愛を、

争いのあるところに赦しを

分裂のあるところに一致を

疑いのあるところに信仰を

絶望のあるところに希望を

闇のあるところに光を

哀しみのあるところに喜びを伝える者にして下さい。

私は、慰められることよりは慰めることを

理解されることよりは理解することを

愛されることよりは愛することを求めます。

それは赦すが故に赦され、死するが故に永遠のいのちに生きるからです。

 

その後、石原有希子さんとジュニアマリンバアンサンブルのメンバーによる、「くるみ割り人形メドレー」とクリスマスに因んだ曲、最後にはコーヒー・ルンバの演奏がありました。もう長い間、演奏を聴いてきたマリンバアンサンブルですが、そのメンバーの一人である石原さんがこんなに成長していることを目の当たりにして、感慨一入でした。

 

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そして、恒例になったジャズシンガー木本いず美さんの歌で締め括られました。スタンダードな「Over the Rainbow」や「Tea for Two」の他に圧巻だったのは、「越天楽」そして「美しい青い地球(ほし)」でしたが、最後に「きよしこの夜」を合唱しました。

 

 

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1225日は、やはり美しい言葉と音楽に触れるのが一番です。

 

おっと、美味しいランチも忘れてはいけません。

 

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2017年12月25日 (月)

クリスマスプレゼント ――お天気の良い日には外で乾杯 !!――


クリスマスプレゼント

――お天気の良い日には外で乾杯 !!――

 

サンタクロースのやってくるのは、今夜なのかもしれませんが、朝早くから御近所さんが素敵なクリスマスプレゼントを持ってきてくれました。天然木ほぼそのままの庭用テーブルと椅子です。

 

                 

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気候が良くなれば、天板を載せてお茶や食事の場になりますが、今日は少し暖かですので、もうちょっと天気が良くなればという思いを、飲み物で表現してみました。

 

 

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子どもたちが戻ってくればまた違った使い方をするだろうと思いますが、今夜は特別に、万一星が見えれば、こちらも頂き物のシャンパンで乾杯ということになるかもしれません。

 

 

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 {追記} 24日の夜、星は出ませんでした。屋内で、Amazon Music のクリスマス特選50曲を聞きながらの寛いだ時間になりました。


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2017年12月24日 (日)

サンタクロースは本当にいるのでしょうか? ――二つの証拠があります――


サンタクロースは本当にいるのでしょうか

――二つの証拠があります――

 

「工場長」さんのコメントで、息子さんが既に証明してくれているとのことなのですが、その中にあったNORAD (北アメリカ航空宇宙防衛司令部) による追跡調査の結果も踏まえて、念のため、サンタクロースが存在する二つの「証拠」を報告しておきます。

 

               

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Bailiwick Studios at https://flickr.com/photos/17728695@N00/16031107682

 

一つ目は、1897年に、8歳の少女バージニア・オハンロンさんが、かつて存在したアメリカの新聞『ザ・サン』(ニューヨーク・サン)に書いた手紙での質問「サンタさんはいるの?」に答える形で掲載された社説です。これを書いたのは同社のフランシス・チャーチ記者で、その後リクエストに応えて、毎年この社説が掲載されるようになりました。かなり長いので、その要約をアップしておきます。

 

 

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ニュー・ヨーク・サンのあった建物

By Gryffindor (Own work) [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) or GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)], via Wikimedia Commons

 

バージニア、サンタさんはいますよ。それも、あなたの人生に最高の美しさと喜びを与えてくれている愛や寛容さ、そして献身があるのと同じくらいの確かさで。サンタさんは生きています。そして永遠に生き続けます。バージニア、これから1000年後、いや1万年後にも、子どもたちの心に愛と喜びの火を灯し続けるでしょう。

 

そして、もう一つは、NORAD (北アメリカ航空宇宙防衛司令部) が、2014年の12月に発表した調査報告です。

 

山のような歴史的データ、ならびにNORADによる50年以上の追跡調査の結果、私たちはサンタクロースが、世界中の人々の心の中に元気に生きていると信ずるに至った。50年以上のレーダーと衛星による追跡から得られた飛行プロフィールのデータから、サンタは恐らく、身長5フィート7インチほど、体重は(クッキーを食べる前だと)260ポンドだと考えられる。また、戦闘機からの写真に基づいての判定は、ウエストがかなり大きく、頬はバラ色、そして流れるような髭を蓄えている。

 

NORADの確認情報では、サンタの橇は、多目的、全天候型、垂直かつ短距離離陸のできる地球着地可能飛行機である。超長距離を燃料補給なしで飛行可能であり、我々の知り得る限り、1224 (時には一月前から試験飛行のため) にのみ使用されている。

 

北アメリカ航空宇宙防衛司令部

 

これに対する反論もあるようですが、野暮ですので割愛します。

 

Googleには、Santa Trackerというページもあります。こちらからの確認も楽しいかもしれません。

 

 

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コメント

サンタがいる証拠の中には、アメリカの大学(ダートマス大学だったと思いますが)が捉えた飛行するサンタの映像もあり、映像から推定速度まで計算されていました。また別の大学が何故サンタのソリが飛べるのかということを航空宇宙工学に基いて詳細に解説したサイトもあったように思います。アメリカのサイトには、このように夢と科学を繋ぐサイトが多くありました。

ただ、あとで後悔していたことがあって、それは「サンタがいない(例えば親だった)という証拠は全て、その家にはサンタが来なかったという証拠でしかない」と言ったことで、他の子を傷つけてしまったかも知れない、ということでした。

今日のNHKニュースでフィンランド北部のサンタクロース村からサンタクロースが出発す様子が報じられていました。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

「その家にはサンタが来なかった」のは、例えば病気の子どものお見舞いに時間が掛って、全部の子どもにまでプレゼントを届けられなかったのでは、という可能性もあります。となると、来年は来てくれるかも知れません。

サンタはいる、それも三世代四世代のサンタで、プレゼントもサンタが作れないものもあって、その結果、例えばアップルにも外注していて、届けるのも家まで来ても忙しいので両親に託して次の家に回る、というような説明もあるそうです。

「昔の子供」様

コメント有り難う御座いました。

サンタクロースの住所は「北極」だという理解が広まって、北極に近いフィンランドの村、ロヴァニエミがサンタ村として定着しています。

そしてサンタのモデルになったと言われる聖ニコラウスの生れたのは、今のトルコ領内のパタラという町で、育ったのはミラという港町だそうです。そして未だにその地の人々は、聖ニコラウスの子どもや困った人たちへの思いを大切に引き継いでいるとのことです。

2017年12月23日 (土)

電気温水器の凍結防止 ――浴槽の残り湯が必要?――


電気温水器の凍結防止

――浴槽の残り湯が必要?――

 

田舎住まいだと都市ガスは使えませんので、ガスを使うならプロパンガスですし、全部薪でという訳にも行きません。一番横着なのは電気ということになり、風呂場や台所のお湯も電気温水器のお世話になります。

 

熱効率、環境への負荷等、問題はありますが、新築ならともかく価格まで考えるとこのくらいの妥協は必要です。もっとも夏場はクーラーなしで過せますので快適ですし、冬の室内暖房は石油ファンヒーターですが、最近のモデルはずいぶん進化していますので便利に使っています。

 

でも特に今年の冬の寒さで、水道管の凍結、そして温水器の凍結にも注意が必要になりました。外に出ている配管には凍結防止ヒーターを取り付けて貰っていますので、問題はありません。

 

               

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でも、温水器の本体の方の対策も必要なはずです。断熱はしてあるはずなのですが、かなり大きいものが外気に触れているのですから。

 

 

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引っ越した時に説明は受けていたのですが、改めて「取説」で確認です。

 

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「入浴後、排水せずにおふろのお湯を残しておくと自動で残り湯を継続的に循環して凍結予防を行います」と書いてあります。そして、下の図には、どのくらいの量のお湯を残しておくと自動的に循環するのかの説明があります。保温のための運転はしないで、単にお湯を循環させるということだという説明もあります。

 

この通りに、お湯を残しておいたのですが、それは、お湯を残しておかないと凍結防止のメカニズムが起動しないと思い込んでいたからです。でも、今回、この「囲み」の下にある「ポイント」まで丁寧に読んで吃驚です。

 

 

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上から3行目「浴槽に水がない状態でも凍結予防運転は作動する」と書いてあるではありませんか!!!!

 

良く読むと、取説の中に、浴槽にお湯がないと凍結予防運転はできない、とは書いてありません。でも図まで示して、浴槽アダプターの中央から10センチの深さでお湯を残しておくように、という指示があれば、お湯がないとこの機能は使えないと思いますよね。

 

そして、誤って、あるいは普通に浴槽のお湯を流してしまった場合、寒い日ならもう一度浴槽に湯を張るでしょう。つまり、必要ない場合にも浴槽にお湯を貯めるように仕向けられているとしか思えません。それは余分な電気代が掛るということなのですが、何もそこまでして電気を使わせなくてもと思うのですが―――。

 

最後にもう一点。浴槽に次の日までお湯を残しておくと、ついつい節約のために「追い炊き」しようという気になりますよね。でも、浴槽内の細菌数はすごく増えているはずですから、健康面からも問題視すべきなのでは? その点についても、細かい字で「注意してある」から大丈夫ということなのでしょうか?


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コメント

昔の給湯器は凍結防止のために水抜き頑張れあったと思います。でも最近の給湯器は、温度センサーで自動で暖めて凍結を防止してくれますから便利ですね。
その凍結防止には、電気だと熱線を使いガスだとガスを使うようですから、それなりのコストはかかるのでしょうね。
それを残り湯を使うのなら、ポンプの作動だけの電気代だから安いのではないでしょうか。
お風呂の残り湯で洗濯される人には、一石二鳥ですね。
お風呂の雑菌が心配なら、24時間風呂の電気器具なら殺菌処理もします。
冬は冷たい水からお湯を沸かすから光熱費が高くなるので、もしかしたら残り湯を使う24時間風呂の電気器具の方がコストは安いかもしれませんね。
ところで、私は風呂の残り湯が水洗トイレで使えれば、下水道代が安くなるのになと思ってます。

節電同様、トイレの節水性能も上がっており、かつては一回で20リットル使っていたものが、6年前に付けた我が家の「超節水トイレ」では6リットル、今では3リットルというものまであるようです。

また、シャワーだと1分あたり数リットルくらいですが、浴槽だと2-300リットル使いますから、日本では残り湯の有効利用は重要ですね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

取説の説明が矛盾していて、浴槽にお湯を残しておかないと、凍結予防運転はしてくれないのかが、大疑問だったのですが、ネットに答がありました。

お湯が残っていなくても「ふろ自動運転」のスイッチが切れていれば、凍結予防運転は始まります。でも、残り湯があるかないかをモニターしているようで、残り湯がないと、その時点で、凍結予防運動が止まるということらしいです。

「一度だけは作動」の「一度だけ」をネグってしまったので、意味が分らなくなったのだと思います。

取説の書き方については、80年代頃、市場がグローバルになった時、さんざん議論したはずなのに、未だに理解不能なものが出回っていることが不思議です。

「工場長」様

節水、節電どちらも大切ですが、水道料金と電気料金を比較すると、電気料金の方が高いのが普通のような気がします。我が家がそうだからそう思うだけなのかもしれませんが。でもその結果、電気料金節約優先になるのでしょうか。

しかし、恐らく工場長さん宅では、水道料金の方が高いのですよね。

2017年12月22日 (金)

忘年会の効用 ――認知症予防に効果的?――


忘年会の効用

――認知症予防に効果的?――

 

昔の仲間たち、親しい友人たちとの忘年会が楽しいことは改めて確認するまでもないことですが、年齢によって楽しみ方は違います。もちろん、食べ物の美味しさ、飲み物が充実していることは必須です。忘年会だけではなく、長い間、「我が家の茶の間」的にお世話になって来た銀山町の「八八(はちはち)」は、お勧めです。

 

                            

Photo

 

 

毎年ここで開かれる会の一つでは、最初の料理が決っています。それは北京ダックです。これを食べないと暮が来たことを実感できないくらいの味ですし長い伝統です。

 

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皮で包んでから食べますが、とにかくお勧めです。

 

その後は食が進み、話が弾み、アルコールにも影響を受けて、写真はこの一枚しか撮れませんでした。そして今日のテーマは忘年会の効用です。

 

その一つは、とても勉強になるからですし、知らないことをいろいろ教えて貰えます。例えば、シダックスが次々と閉店していることを嘆いたら、商工センターの近くのアクセスの良いところにカラオケがあるというではありませんか。でも、検索してもなかなか出てこないのは、「ネットカフェ」としての利用が多いので、そちらでの検索なら引っかかるとのことでした。その場所は「コミック・バスター」。近い内に寄ってみたいと思っています。

 

でも、それ以上に貴重なのは、「昔話」のできることです。若い頃だと、少し昔の経験を共有してこれからの仕事に生かしたいと思っても、「昔の話はよそうぜ。前向きのこれからの話をしよう」と言う輩が必ずいたものですが、高齢者の仲間入りをしてからは、そんな野暮を言われることもなくなりました。

 

そして何人かの記憶を綴り合せて行くと、一人だけでは忘却の彼方に沈んでしまっていたストーリーや人物像が鮮やかに蘇ってきます。物忘れをするというのは、記憶そのものが消えるのではなく、それはどこかの引き出しに入っているのだけれど、どの引き出しなのかについて、使える「地図」がなくて行き着けないだけだという説があります。

 

何人かで話している内に、自然にその引き出しが開けられて、その中身がどんどん出てくるようになります。そんな経験を増やすことで、普段は開けない引き出しの中身の棚卸をすることができます。すなわち、認知症の予防になっているはずです。

 

となると、出来るだけたくさんの忘年会に出ることが良いという結論になりますが、体もお金も大切ですのでほどほどにして、やはり日頃から昔の仲間や友人たちを大切にし続けることに尽きるのかもしれません。

 

 

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コメント

昔の話をすると「そーだったかいね〜」「そんなことあったっけ?」ということはよくありますが、次第に楽しかった日を思い出させてくれるのも脳トレなんですね♬
忘年会も続くと思おますが、休肝日も大切に٩( ᐛ )و
また、今夜はカボチャとゆず湯で風邪予防してください(・∀・)/ 

「和」様

コメント有り難う御座いました。

脳の動きは本当に不思議です。そして筋肉と同じで、日常的に使っていないと衰えるようですので、たまには難しいことを読んだり考えたりすることも大切みたいです。

2017年12月21日 (木)

サンタクロースの郵便番号 ――アメリカの子どもたちは「12345」だと信じているようです――


サンタクロースの郵便番号

――アメリカの子どもたちは「12345」だと信じているようです――

 

クリスマスが近付いてきました。そして子どもたちにとってはサンタクロースです。世界中の子どもたちがサンタさんからのプレゼントを心待ちにしています。そして、もっと積極的に自分の欲しいものをサンタさんに知らせるために手紙を書く子も沢山います。プレゼントのリクエストではなく、サンタさんに感謝の気持を伝える手紙もあるとのことです。

 

どちらにしても、その手紙をサンタさんに届けてくれるのは、もちろん郵便です。

 

ではその手紙の宛先はどこになるのでしょうか。「北極」という答もありますし、フィンランドでは「サンタクロース中央郵便局」がサンタクロース宛の手紙を受け取ってくれています。でもアメリカには、それとは全く違う場所で、子どもたちからの手紙を毎年受け取ってくれているところがあるのです。鍵になるのは、郵便番号です。

 

サンタさん宛の手紙を書いて封筒に入れ、「サンタクロース様」の下には、「北極」とか、「寒い通り10番地」といったどこかから仕入れた住所を書くのですが、そこで最後に郵便番号を書かなくては、とアメリカの多くの子どもたちは考えるようです。その結果が「12345」です。

 

               

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小学校に上がる前の子もいますし、初めて数字を習った子どもも、自然に最初の5文字を書き込むようです。そうそう、アメリカの郵便番号は5桁です。(9桁になっているところもありますが、そのことを知っている子どもたちは「12345-6789」と書くようです。)

 

嬉しいことに、この郵便番号で出された手紙を受け取ってくれるところが実在します。ニューヨーク州のスケネクタディー市にあるゼネラル・エレクトリック (GE) 社です。元々はエディソンが創立した会社ですが、1960年代に郵便番号が導入されたときに、「12345」がこの会社に振り当てられました。

 

クリスマスの季節になると、アメリカ中から、そして遠くは中国や香港、台湾からもサンタクロース宛の手紙がここに届きます。そして、1990年代に、同社のボランティアが昼休みの時間を使って、子どもたちからの手紙を読み、出来るだけ多くの子どもたちに返事を出すという活動が始まりました。一番多いときには1500通もの返事を出したそうです。

 

子どもたちのリクエストは、おもちゃやお人形等もありますが、その他に家族が幸せでありますようにとか、世界に平和をといった心温まるものもあります。そして、家が貧しくなって引っ越しをした、生活が大変なのでお母さんと妹の喜ぶパジャマをお願いします、といったような思いやりに溢れたものもあるとのことです。

 

GEの社員ボランティアたちは、手紙の返事を書くだけでなく、自分たちで集めたお金で、何人かの子どもたちにはプレゼントや商品券も送っているそうです。

 

子どもたちからの手紙は、アメリカではスケネクタディーだけではなく、アラスカ州の「ノース・ポール(北極)」という町にも数万届きますし、インディアナ州の「サンタクロース」という小さな町にも届きます。

 

世界的には、フィンランドの「サンタクロース中央郵便局」に届く手紙があまりにも多くなって、全ての手紙に返事をすることが難しくなってしまったようです。でも日本からなら、日本・フィンランドサンタクロース協会のホームページから申し込みをすることで、サンタさんからの手紙を受け取ることができます。ただし、今年はもう受付期間が終わっています。

 

 

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またカナダの郵便公社では、サンタクロースへの手紙を受け付け、返事を出すサービスをしています。

 

今年はもう遅過ぎるかもしれませんが、来年、サンタクロースへの手紙を出したいという子どもたちに教えて上げると喜ばれるかもしれません。

 

 

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コメント

来年30歳になる長男が小学生の頃は、ホームページからのメールも丁寧な返信を頂いていて、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)が追跡するサンタも見て、我が家への到着を心待ちにして寝床についていました。

こうした経験を通じてサンタクロースは疑いようのない存在で、高学年になって行われた「サンタクロースはいるのか」というディベートでも圧勝だったということです。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

「サンタクロースはいるのか」というトピックも魅力的です。本を書いた人もいますし、息子さんはディベートで存在を証明しているのですから、「いる」方の勝ちですね。

2017年12月20日 (水)

「人生で、今年初めて経験したこと」は 一年間、日記を付けたこと ――同じお題で書きましょう――


「人生で、今年初めて経験したこと」は

一年間、日記を付けたこと

――同じお題で書きましょう――

 

 

素晴らしいお題を有難う御座います。大晦日の来るのが待ち切れない思いで、この稿を書いています。何しろ、生れて初めて、○○十年振りに、三日坊主にならずに、一年間日記を書き続けられたのですから。そしてブログも、他のライターの皆さんの貢献もあって、一年間続けることができました。

        

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日記を続けられた理由はいくつかありますが、一つは、5年連用日記を買ったことです。その部分をアップにします。

 

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一日に書く分量が減ったことで、プレッシャーが減り、また書き忘れても次の日に簡単に埋めらましたので、それが一番大きかったような気がします。もう一つ役立ったのは、毎日、次の日の予定を簡単に書き出しておいて、次の日には終った順にチェックを付けて行ったことです。それだけでもう日記が書けたことになった日もありました。

 

後は、大晦日のエントリーまで、手を抜かないことですが、来年もこの調子で続けたいと思っています。

  

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何十年も実現できなかったことが、今年はできたのですから、来年もそしてその先も、どんなことでも実現できそうな気さえしています。あの夢は来年叶えられるのでしょうか? 楽しみです。

 

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コメント

ご参加ありがとうございました。

すごいですね、1年間日記を書かれたんですか!

私は日記は苦手でした。父は何十年も書いていましたが。
こういうとこは似ないんですねw

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

日記を付けるのは誰でもできますが、短期間で俳句の名人になるのは、才能だと思います。これからも良い句を沢山詠んで下さい。

2017年12月19日 (火)

「沖縄と核」を視て ――核ミサイル事故、第三次世界大戦、国民を裏切る日本政府――


「沖縄と核」を視て

――核ミサイル事故、第三次世界大戦、国民を裏切る日本政府――

 

NHKBS1スペシャル「沖縄と核」は、これまで陽の当らなかった多数の資料、そして沖縄で核兵器に直接関わって来たアメリカの元兵士たちの証言を元に、沖縄と核の真実を分り易く解き明かしてくれました。

 

怒りと危機感なしには視られない内容ですが、その中でも特に記憶に残った点をいくつか報告させて下さい。第一に上げなくてはならないのが、核ミサイル、「ナイキ・ハーキュリーズ」の事故です。1959619日起きています。

 

             

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ナイキ・ハーキュリーズ

By U.S. Army [Public domain], via Wikimedia Commons

 

事故そのものは、アメリカの地方紙にも掲載されていました。ここにはネブラスカ州の『リンカーン・スター・ジャーナル』紙の紙面をコピーしました。

 

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しかし問題は、このミサイルには核弾頭が登載されていたことです。ミサイルそのものは水平に置かれていたため、誤って発射された後、海に落ちたのですが、奇跡的に核弾頭が爆発しなかったために、那覇市そして市民が被害に遭うことはありませんでした。しかし、偶発核戦争が沖縄から簡単に起きてしまう状態だったこと、またそれに近い事故が起きていたことには戦慄を感じました。

 

そして、1962年のキューバ・ミサイル危機の際には、沖縄の核ミサイル、「メースB」が主に中国に向けられていつでもボタン一つで発射できる「DEFCON 2」という状態になっていたことです。「1」になれば戦争が始まることです。当時、メースBの整備を担当していたジョージ・チェナライズ氏 (当時19) は、

 

「第三次世界大戦が始まると思った、世界の破滅の瀬戸際だと思い、仲間は皆泣いていた。私たちはまだ子どもだった。でも両親に電話もできなかった」

 

と当時を語りつつ、今でも涙にくれるほどのショックを受けていたようです。

 

 

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アメリカ空軍博物館に展示されているメースB

By U.S. Air Force [Public domain], via Wikimedia Commons

 

このメースB・ミサイルの沖縄配備に当り、当時の小坂善太郎外務大臣と、アメリカのディーン・ラスク国務長官との会談の様子からは、日本政府の情けない姿が容赦なく暴露されていました。メースBの配備を事前に公表するというアメリカ側の主張に対して、小坂外相の言っていることは、事後に公表して欲しいの一点です。事後であれば、もう配備されてしまったのだから仕方ないということになって、国民としては受け入れざるを得ないと諦める道ができるが、事前だと、何で日本政府は配備を止めないのだと言って国民に責められる、という内容なのです。

 

我々国民の意思は無視、と言うより、裏切った上にその責任は取りたくない、そのためにアメリカに縋るのでは、主権者がアメリカだと考えているとしか思えません。

 

その後の大陸間弾道ミサイルICBMや潜水艦発射弾道ミサイルSLBM等の技術によって、陸に依存する核政策が変り沖縄の核基地としての価値も減ったことも相俟って、沖縄の返還が実現し、メースBも撤去されます。その際に日米政府が合意した核密約は、嘉手納、那覇、辺野古の核貯蔵庫はいつでも使用可能な状態で維持するという合意と、必要があればいつでも核兵器を機縄に配備できるという内容でした。

 

現在、アメリカの国防省は沖縄の核の存在そのものについては「肯定も否定もしない」(Neither Confirm Nor Deny) という方針です。外務省は、密約は無効であり、非核三原則は堅持、如何なる場合も核の持ち込みは拒否すると言っているようです。これまでの沖縄そして核兵器についての外務省の言動を見る限り、これほど明確に言い切ること自体、その正反対を隠すための方便としか受け止められないことになるのですが、それさえ認識できない鈍感さに、匙を投げるだけでは問題解決にならないのが大きな課題です。

 

ではどうすれば良いのでしょうか。皆さんの知恵も是非お貸し下さい。

 

なお、「沖縄と核」を視逃した方は、NHKオンデマンドで視ることができます。

https://www.nhk-ondemand.jp/share/enjoy/

 

 

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コメント

BSは映らないので見てませんが、非核三原則を堅持するってあり得ないですね。
核兵器を積んでいる原潜は、日本の領海に入る前にどこかに下ろすのでしょうか?
きっと太平洋上にアメリカ軍海上基地があるのでしょう。笑
外務省が言う事は全て真実だ。
安倍首相は正しい事しか言わない。
日本はアメリカ市民に、在日米軍が何をやっているのかを知らせるべきですね。
沖縄や岩国のような場所の基地では、アメリカではオスプレーは飛行できないでしょうし。先日に沖縄の小学校にヘリの窓枠が子供のすぐそばに落ちるような飛行ルートはけっして許されないでしょう。
米兵のレイプなどの犯罪の起訴が、あまりにの少な過ぎる事も。
在日米軍の事は国内問題でなく、アメリカの問題でもあるとアメリカ市民訴える必要があるのではないでしょうか。
日本国民を無視している在日米軍と、日米安全保障条約が軍事植民地条約であると。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

日米の市民が沖縄や日本の米軍基地についての情報を共有して、問題を解決するという方向性は素晴らしいと思います。トランプに騙されてしまった人たちには伝わらなくても、サンダース支持者なら理解してくれるかもしれません。

まずは、どんな働きかけを誰にするのか等、この運動の取っ掛かりについても、やんじさんのリーダーシップに期待しています。小生も協力したいと思いますので、宜しくお願いします。

THE MANZAI で披露したウーマンラッシュアワーのネタをご存知ですか?YouTubeでも視られるとおもいます。ネタ最後に日本の問題は「国民の意識の低さ!」と締めくくります。
また彼は後のインタビューに「正解だとか間違っているとか、ど~でもいいんです。僕はいつも自由に発言する。テレビがなくなっても、ラジオもネットもなくなっても、口と頭はあるわけですよ。誰にも制限されることはないですからね。言いたいことを言うだけですよ。それを伝えるのにエンターテインメントですよね」と言っています。
彼の言うことはもっともだと思いました。
国民の意識の低さ!グサッときましたね(°_°)
政治批判をすると どこからかの圧力がかかり干されますが、彼らは国民の意識の低さを最後に主張しました。
これを機に様々な問題に皆が目を向けてくれることを期待したいです。

「和」様

コメント有り難う御座いました。

いろいろな形で私たち自身が発信元になれればと思います。笑いは力があります。マシンガントークは凄いですね。「国民の意識が低い」は、大学生の頃流行りました。未だにその状態が続いているのは情けない限りです。

そして前にアップした松元ヒロさんにも御注目下さい。

https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-85b4.html

2017年12月18日 (月)

夜の梅 ――有り難い、労いの一品を頂きました――


夜の梅

――有り難い、労いの一品を頂きました――

 

「沖縄と核」は、夜の10時からの放映ですので、その後に感想をまとめるには時間が足りません。それは明日以降に回したいと思いますが、寒空の下、ブログを丁寧に読んで下さっている方から労いの一品が届きました。私の大好物「夜の梅」です。羊羹の老舗、虎屋の定番です。「夜の梅」という名称から梅の花や梅干を連想し勝ちですが、これは多くの人に共通の感覚のようです。

 

               

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渋谷の虎屋でアルバイトをしていた息子がお客さんから良く聞かれたことの一つが「夜の梅は、梅の味がするのですか」だったのだそうです。それに対する答はマニュアルにも載せてあり上司からも教わったそうなのですが、「梅は入っておりません」だそうです。

 

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実は私の人生の中で、毎日、羊羹を食べていた時期があります。約12年間、午後4時頃になるとお茶と羊羹を出して貰っていました。夕方になると血糖値が下り、機嫌の悪くなることが分っていましたので、部下への迷惑を減らすためにその時間にごく少量、甘いものを食べることにしていました。それなりの効果があったと信じていますが、ことによると反論が出てくるかもしれません。

 

家に到来物の羊羹があるときには、それをオフィスに持って行って秘書に渡していましたが、手持ちが小さくなると秘書から、「羊羹がなくなりそうですが、どうしましょうか」という「伺い」が出てくることしばしばでした。事前に渡してある「petty cash」で、適当に補充しておいてくれれば良いのですが、少額でも現金となるとそうも行かなかったのかもしれません。

 

明日のおやつには「夜の梅」を楽しんで、安倍内閣打倒、そして核廃絶の実現と、このところ不必要に作り出されてしまっている、人工的緊張緩和のために何ができるか、作戦を練りたいと思います。

 

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アパレル業界からIT業界に転職した時、最初に驚いたのは、仕事の後の同僚が、流川でお酒を飲むのではなく、ファミレスでスイーツを食べることでした。
主に感性(心)を使う仕事と数理を中心とする頭脳労働(頭)の差だと思いましたが、当時は甘いものが苦手だった私はストレートにブドウ糖をコーヒーに入れて飲んだりしていました。

今やIT業界でも感性が重視されますので、今なら「とらや」で心も頭も回復できそうな気もします。

お疲れ様です(´∀`)

皆様考えあっての糖分補給なのですね。
私は食いしん坊補給です 笑

聞いた話ですが、パリパリしたモノを欲する時はストレスがたまっているらしいです‼︎

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

業種によって、癒しの種は違うのですね。私もお酒は飲みますが、確かに、一日終って、「ホット」する気分で味わうことが多かったような気がします。

甘いものでは後、最中が良いですね。

「和」様

コメント有り難う御座いました。お煎餅とかかき揚、ポテトチップスなども好きですが、ストレス対策だったのかもしれません。

後はアイスクリーム、ソフトクリームが良いですね。

2017年12月17日 (日)

沖縄は世界最大級の核基地だった ――「騙されていた」私たちの次の行動は?――


沖縄は世界最大級の核基地だった

――「騙されていた」私たちの次の行動は?――

 

皆さんには、「ニュース」ではなく「周知」の事実なかも知れませんが、910日に50分枠で放映されたNHKスペシャル「沖縄と核」の中で、核基地としての沖縄の本質が如何に深刻であるのかが報道されていたようです。

 

その番組が明日の夜、100分版として放映されるとのことです。その番組紹介です。

 

アメリカ統治下の沖縄におかれていた核兵器。しかし、これまでその詳細は軍事機密とされ、明らかにされてこなかった。NHKは、今回「沖縄と核」に関する未公開映像や機密資料を入手。さらに元米兵から新証言を得た。そこから明らかになったのは、東西冷戦が激化する中、最大1300発の核兵器が置かれ、世界最大級の核拠点となっていた実態だった。

 

1217() 午後1000

BS1スペシャル「沖縄と核]

 

  <http://www4.nhk.or.jp/bs1sp/x/2017-12-17/11/25143/3115276/>

 

           

Bs1

 


         
   

 

これほど大それたことをしていたとは、ナイーブな我々、市民には想像も付かなかったことなのではないでしょうか。そんな主権者蔑視、傲岸不遜な政治が今の安倍政権に引き継がれているのですが、これほどの「嘘」「隠蔽」が分った時点で、私たちが黙っていては、これから先も同じことを繰り返すであろう、日米軍産複合体、日米嘘八百連合体――適切な呼び名を思い付かないほどの実態ですが――に力を与えてしまいます。

 

まず、17日に、BS1スペシャルを視た上で、どう反撃すべきなのか、怒りと共に皆さんと一緒に考えられればと思います。

 

 

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9月10日放送をみて、辺野古移設への危機感が増しました。
誠実な政治のために国民が知るべし情報を開示して欲しいです。

再度 失礼します。
この 嘘 隠蔽 も含め、沖縄の方々がどれ程までに虐げられてきたか 沖縄の歴史を知っていただけたら、もっと多くの方々に向き合ってもらえると思います。
今、沖縄で起こる問題に誹謗中傷される方も ちゃんと学んでいただいて 自分たちのこととして捉えてもらえたら世の中 考え方も変わるかもしれません。
と 私の願いです。

「和」様

二つのコメント有り難う御座いました。

今夜の「沖縄と核」を視ましょうと、多くの友人・知人に電話で勧めて下さっている方もいます。知識は力になりますし、どこに軸足を置くかで強さも生まれます。

私たちを引っ張ってくれるジャーナリストや知識人、もちろん政治家の役割も重要です。その一人、植村隆さんの講演は「いのちとうとし」さんが、報告してくれましたが、他の方々についての報告もしてきました。こうした皆さんの活躍は、私たちにとっては勉強の機会になり、また頑張っている皆さんには激励になると思いますので、これからも、取り上げて行きたいと思います。

https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-c33b.html

普通に考えれば、日本に核兵器は頻繁に持ち込まれているし保管もされているでしょう。
爆撃機、原潜、軍艦と核攻撃能力のある戦争兵器は日本にたくさんありますからね。
朝鮮戦争やベトナム戦争で、沖縄は拠点ですから。
それと、以前には岩国基地にも保管されていると言われてましたが、今回の岩国基地が空母艦載機の拠点になった事で、核兵器の保管は必ずあるでしょう。
日本も非核三原則は最初から存在していなかった。
これでノーベル平和賞をもらった、自民党の元首相は、世界を騙した大詐欺師ですね。ノーベル賞を与える団体は、この受賞は間違いだったとすべきですね。
中国とソ連に一番近い米軍基地に、核兵器があるのは軍事的に当然のことですね。相手のICBMでの核攻撃がアメリカ本土に到達する前に核攻撃できる拠点が、在日米軍基地なんですからね。
つまり、日本は核の傘の下にあるのでなく、核攻撃に常に晒されていますね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

「普通に考えられる」人が少ないのか、そんな能力が薄れているのか、安倍内閣は続いています。どの時点で騙されていることに気付いたのかにかかわらず、その時の怒りをどのような形のエネルギ―に変えたのかを共有することで、現状を変えるための動きを少しでも大きくして行ければと思っています。次に取れる行動は何なのか、御教示頂ければ幸いです。

そのために是非、知恵を貸して下さい。

2017年12月16日 (土)

若者の視野を広げるにはどうすれば良いのか ――答は難しいのですが、先ずは疑問から――


若者の視野を広げるにはどうすれば良いのか

――答は難しいのですが、先ずは疑問から――

 

もうかなり昔のように思えてしまいますが、1022日の総選挙の前に、東京都内の某大学でのエピソードです。政治学なのか、部活なのか、一グループ10人くらいになってどの政党を支持するのかの話し合いをしたのだそうです。

 

最後に各グループでのディスカッションの総括をしたのだそうですが、圧倒的に自民党支持が多かったということでした。全部のグループについての詳細は分りませんが、あるグループでは、10人中8人が自民党支持、その主な理由は「高等教育の無償化」を掲げているからだったそうです。

 

一部の大学を除いて、昔なら「苦学生」と呼ばれたであろう学生のイメージはなくなっていますが、それでも私立大学の学費は高く、アルバイトをしても親の負担はかなり大きいと言わなくてはなりません。それを実感している学生が多いということらしいのですが、今の若者のものの考え方の一端を窺い知ることになり、複雑な気持です。

 

「今どきの若い者は」と目くじらを立てる積りはありませんし、時代背景の違う若者たちの持つ新しい視点や完成には期待もしています。

 

               

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同時に、人類がこれまで辿って来た歴史、それは様々な経験の知的整理であり、その過程で生まれる教訓の集積でもあるのですが、それをきちんと引き継ぐことも、人類の生存のためには欠かせないことだと思います。そのくらいは見える目を持って欲しいのですが、「視野を広げて欲しい」と言っても良いと思います。

 

そして「視野」の中には、時間軸があるということです。さらに地理的な広がりも勿論必須です。加えて、知的な広がりも大切です。それが内面化されて、私たちの日々の生活と共鳴しつつ、生命となり、人生を紡ぐということになるのだと思いますが、その全体像を若者たちに理解して貰う必要があります。

 

抽象的になりましたが、これが高等教育の目的とするところなのではないかと思います。就職に役立つかどうかも大切ですが、人類の生存そのものについて、広い視野からの教育が行われているのかどうか、たまには、疑問を投げ掛けることも必要かもしれません。疑問を持つことから始めないと答には行き付かないのですから。

 

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力士の暴行報道が収まったと思ったら今度は神主の殺人事件、それも終わったら又々松居一代の離婚騒動、その間に選挙中には出なかった大増税。これでも怒らない国民って何でしょう。

若者ではないですが 視野を広げる⇒視野が狭い
といわれると耳が痛くなります笑

教育現場においては多種多様な方面から物事を捉えれるような発問の工夫も必要なのかもしれませんね。

様々な情報が飛び交う中 自分のニーズに合うものだけを選び、興味関心の無いことは削除されるのでしょうか?笑
そこへの疑問を持たないこと疑わないこと学ばないことも視野を狭くしているのかもしれません。
情報操作されていると何が本当なのかわからなくなりますが、正しい情報を見誤ることなく選ぶ能力もこれからは必要だと思います。

「谷口」様

コメント有り難う御座いました。

もっと多くの人に「危機感」を持って貰いたい、怒って欲しいと思います。そのためにも、日本がこんな状況になってしまうことを、1960年代に予言していた数学者の岡潔先生の言葉も参考になるかもしれません。5月に書いた「セックス・スポーツ・スクリーン」です。

https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-6733.html

「和」様

コメント有り難う御座いました。

マスコミ、特にテレビの情報は偏っていますが、インターネット上では多様かつ事実に基づいた報告や分析が手に入ります。

しかし、それが雪だるま式に増えて行くのは、事実であるかどうかが基準ではなく、多くの人がクリックしたかどうかが反映されるというシステムだからです。嘘でも本当でも多くの人が見ているサイトを見るだけでは真実には辿り着きません。

それに対抗するために役立つ方法の一つは「定点観測」です。例えば、早稲田大学の水島朝穂教授のホームページはお勧めです。他のサイトも随時、御紹介します。

http://www.asaho.com/jpn/index.html#this-week

2017年12月15日 (金)

「変節」「言い訳」「裏切り」 ――日本政府の得意技――


「変節」「言い訳」「裏切り」

――日本政府の得意技――

 

特許を取るにも、学問の成果を認められる場合も、他人より先に出願したり論文を書いたりという事実、つまり「最初」が評価されます。ノーベル賞にもその傾向がありますから、日本政府が、1945810日の主張を続けて、「核兵器は国際法違反」だというキャンペーンを展開していたら、今年の受賞者は日本政府だったかもしれません。いや、もし日本政府がそんなことをしていれば、核廃絶にはもっと近付いていたでしょうから、もう何年も前に受賞していたかもしれません。

 

しかし、残念なことに日本政府、特に外務省は「変節」してしまいます。そして、「立派な」「言い訳」を裁判所で開陳します。アメリカにとっては好都合だったのですが、被爆者や戦争で犠牲になった多くの人たちに対する「裏切り」であることは、言うまでもありません。何時も、この「言い訳」を読む度に腹が立ちますので、読みたくはありませんし、読まなければ良いのですが、こうした歴史も若い皆さんにきちんと知っておいて貰いたいことの一つです。敢えて、今回取り上げる所以です。

 

1955年(昭和30年)4月、広島の下田隆一さんら3人が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を起しました。その判決は1963127日に言い渡されました。

 

             

Photo

               

東京地方裁判所のホームページから

 

裁判の中で、被告としての日本政府が述べた、原爆は「国際法違反ではない」という言い分です。

 

「原子爆弾使用の問題を、交戦国として抗議をするという立場を離れてこれを客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上なお未だ違法であると断定されていないことに鑑み、にわかにこれを違法と断定できないとの見解」

 

さらに「その当時原子兵器使用の規制について実定国際法が存在しなかったことは当然であるし、また現在においてもこれに関する国際的合意は成立していない」という理由で原爆使用の違法性を否定。

 

またハーグ陸戦法規などの諸条約は原子兵器を対象とするものではないので無関係だという立場。

 

「敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することとまた敵国民の間に敗北主義を醸成せしめることも、敵国の屈服を早めるために効果があり」、広島・長崎への原爆投下も日本の屈服を早めて交戦国双方の人命殺傷を防止する効果を生んだと主張。

 

最後の段落は、トルーマン大統領が広島に原爆を投下した直後に記者会見で述べた考え方をそのまま使っています。

 

この下りを見ると、憲法の前文を読み間違っていたのかな、という気にさえなります。

 

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

 

が、その部分なのですが、これを

 

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利はアメリカがこれを享受する。

 

と書き換えて、日本政府が解釈し国政を司っているとしたら、符丁がピッタリ合うのですが―――。

 

しかし、「日本」と言っても多様です。この裁判では、古関敏正、三淵嘉子、高桑昭の三人の裁判官が、勇気ある判決を言い渡しています。その内容は、次の通りです。

 

まず、「アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」。

しかし、対日平和条約によって請求権は放棄されており、「被爆者は損害賠償請求権を持たない」。従って、原告の損害賠償請求は棄却。

 

そして、最後に裁判官は次のように述べています。

「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般戦災者の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府及び内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」。

 

原告も被告も控訴しなかったので、この判決は確定しています。そして、判決文の中で、被告である国が「国際法違反ではない」と主張した根拠としての3点は全て否定されています。ですから、法全体の体系からすれば、日本政府が1996年の国際司法裁判所の勧告的意見採用の際に述べた意見も、今の時点で、核兵器が「国際法違反ではない」と言い張ることも「違法」です。

 

当然、日本政府は、その延長線上にある核兵器禁止条約の署名・批准も積極的に推進すべき立場なのです。その義務を果していない政府は変えるべきでしょう。そのために、選挙で安倍政治を変えるという正攻法は大切ですが、その前段として、世論を高めるため、先ずはもっと関心を持って貰うために、いろいろ工夫をしなくてはなりません。そのためにも皆さんの知恵をお借りできればと思います。

 

 

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コメント

むかし沖縄の基地に核貯蔵庫があり(今も取り壊されていない?)非核三原則を唱えながらも密約あり。日本政府の変節には お得意の『隠蔽』あり。ですかね?
自分たちの国の何を信じてよいのかわからなくなります。
核兵器禁止条約においても日本の役割は橋渡しと言われていますが、その橋渡しの意味も私の願いとは裏腹なように思えてなりません。

批判ばかりすると自分もしんどくなるので 国民のことをなんと考えていますか?和解とは誰と和解したいのですか?と あの人がテレビに映ると聞いています 笑
結果、私利私欲のための政治はやめてよね〜とブツブツと文句になりますが 笑

かって田中真紀子さんが、外務省は伏魔殿って言ってましたね。真実なんでしょうね。
日本が真珠湾攻撃する際に、アメリカに宣戦布告書を出さなかった日本の外交官が、戦後に外務省のトップ官僚になつたとか。外務省はアメリカの国務省の出先機関なのかもしれませんね。
ところで安倍首相は、朝鮮半島の非核化なんて叫んでますが、在日米軍が日本に核兵器を持ち込んでいるのと同じように、在韓米軍が韓国に核兵器を配備しているとは思わないのですね。

「和」様

コメント有り難う御座いました。

明日のブログでも取り上げますが、明日17日の午後10時からNHKのBS1で、「沖縄と核」が放映されます。「密約」「隠蔽」「裏切り」の実態がかなり分りそうです。次に何をすれば良いのか、一緒に考えて行きましょう。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

外務省も安倍政権もアメリカに完全に洗脳されているとしか思えません。

そもそも、他の国では外交を所管する官庁は「外」務省と呼ばれますが、アメリカでは「国」務省です。「世界は俺のものだ」というこの表現から変えないと、何も変らないのかもしれません。

2017年12月14日 (木)

2017原水禁学校第3講座―核兵器禁止条約と日本の役割

2017原水禁学校第3講座―核兵器禁止条約と日本の役割

――ICANのノーベル平和賞受賞を機に――

 

「-核兵器禁止条約と日本の役割-」をテーマとする今年3回目の「2017原水禁学校」が開催されました。今回の講師は、秋葉忠利広島県原水禁代表委員です。

秋葉さんは、最初に「四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを求める仮処分」について広島高裁が「運転差し止め」を決定したことを「勇気ある決定」と評価したうえで、しかし、日本の司法が、とりわけ最高裁判所が、その役割を放棄していることを厳しく指摘しながら、主題である「今年の歴史的意味を持つ核兵器禁止条約成立」についての講義に移りました。

 

1

 

まず1986年のレイキャビックでの米ソ両国首脳会談で「世界が核廃絶に近づいたとき」があった歴史に触れるとともに、「核兵器禁止条約成立」に至る経過の中で、世界の世論が国連に反映されたことを紹介。さらに、すでにこのブログでも何回か指摘されている「核兵器禁止条約の締結の意味」を提起。特に強調されたのは、「条約の批准が進めば、いま核保有国や依存国が、反対の態度を示しているが、これらの国々が批准するのも時間の問題である」と、核兵器廃絶への展望が持てるという指摘です。

そして、これまでの国連や有志国連合、世界法廷プロジェクトに代表される市民の運動が果たした役割を歴史の流れの中で分析。特に、ニュージーランドのロンギ首相の言葉「もしニュージーランドのような国が核兵器に対してノーと言えないのならば、どのような国が核兵器に対してノーと言えるのか。もしニュージーランドのような国が核抑止論なくしては安全であり得ないとするならば、どのような国がそれなくして安全であり得るのか。」の紹介は強く印象に残った。

 

2

 

次のテーマは日本政府の立場。昨日このブログで1945年8月10日の日本政府の抗議文は紹介されているのでここでは省略しますが、次に秋葉さんが紹介されたのが1963年12月7日に出された原爆裁判と言われる下田裁判の判決。判決では、原告の損害賠償請求は棄却したものの「アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」と指摘しています。ところが、この裁判で示された「被告としての日本の言い分」は、秋葉さんのレジュメによると次のとおりです。以下秋葉さんのレジュメを引用。

p 被告としての日本政府の言い分

「原子爆弾使用の問題を、交戦国として抗議をするという立場を離れてこれを客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上なお未だ違法であると断定されていないことに鑑み、にわかにこれを違法と断定できないとの見解」

p さらに「その当時原子兵器使用の規制について実定国際法が存在しなかったことは当然であるし、また現在においてもこれに関する国際的合意は成立していない」という理由で原爆使用の違法性を否定。

p またハーグ陸戦法規などの諸条約は原子兵器を対象とするものではないので無関係だという立場。

p 「敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することとまた敵国民の間に敗北主義を醸成せしめることも、敵国の屈服を早めるために効果があり」、広島・長崎への原爆投下も日本の屈服を早めて交戦国双方の人命殺傷を防止する効果を生んだと主張。

 

3

 「トルーマンの発言と同じ」。秋葉さんの厳しい指摘です。今につながる日本政府の考え方といえます。指摘は続きます。「現在の日本政府の姿は、『州回遅れ』。それが間違って先頭を走っていると勘違い。」と。そして最後に「今すぐできること」として、自らが実践した「トランプ大統領への手紙」を紹介しながら、原水禁が長く運動の課題としてきた「北東アジア非核地帯条約制定」の重要性を強調し、第3講座が終わりました。

 

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2017年12月13日 (水)

「押し付け」嫌いの皆さんへ ――アメリカに堂々と発言した時代を思い出しましょう――


「押し付け」嫌いの皆さんへ

――アメリカに堂々と発言した時代を思い出しましょう――

 

憲法を変えたいと主張する人たちの決まり文句の一つは、「アメリカに押し付けられた」憲法だからということなのですが、確かに「押し付けられ」て行動するのは、意に染まないですね。もっとも憲法については別の有力な議論がありますので、またの機会にして、ここでは核兵器の違法性についてです。

 

太平洋戦争中に日本政府のしたこと全てが違法だったり非人間的だったりということではありません。でも素直に自らの過ちを認めない人たちに対して事実を示して抗議し続けている内に、こちらは日本政府の非を指摘しなくてはなりませんので、その舌の根の乾かぬ内に、日本政府の正しさを褒めるのも、感情的には面白くありません。とは言え、歴史は客観的に捉えなくてはなりません。

 

核兵器禁止条約が発効すれば、核兵器の使用や核兵器による脅しは当然、国際法違反です。しかし、核兵器使用が国際法違反だという主張はもっと前からハッキリと国際舞台で表明されていたのです。

 

それを最初に指摘したのは、日本政府です。1945 8 10 日スイス駐在公使を通じてアメリカ政府に渡された抗議文に核兵器使用が国際法違反だと明確に述べられています。それを引用します。

 

抑々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与うべき兵器、投射物其の他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約附属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条()号に明定せらるゝところなり。米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ残虐性において、従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられおる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊又は焼失せしめたり、而して今や新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たな罪状なり帝国政府は自らの名においてかつまた全人類及び文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」

 

大変立派な文章です。文語調ですので、分り易くするためポイントを要約しておきましょう。

 

この抗議文で根拠としている法律は1899 年ハーグ「陸戦の法規慣例に関する条約」です。日本政府は、原爆投下がこれに規定されている次の項目に違反していると主張します。

 

不必要な苦痛を与える兵器の禁止(第23 条)

無防守都市に対する無差別広域爆撃の禁止(第25 条)

軍事目標主義(第27 条)

 

さらに、原爆投下以前の日本各地での無差別爆撃も国際法違反だと主張しています。

 

           

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ハーグ陸戦条約が採択された第一回万国平和会議(1899年、ハーグ)

 

 

理路整然と、原爆の本質を突いた指摘ですし、今年採択された核兵器禁止条約の内容とも矛盾しないどころか、この日本政府の立場を敷衍したのが、核兵器禁止条約だと言って良いのです。

 

安倍総理、菅官房長官、河野外相、岸田前外務大臣、その他「押し付け嫌い」の皆さん。「アメリカからの押し付け」が嫌だから、国の基本である憲法さえ変えようという程の嫌悪感なのですから、そろそろ「押し付けられる」状態から脱して、先ずはその直前、つまり1945810日に戻って、核兵器は国際法違反と声高らかに宣言するところから始めて見ませんか。

 

 

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コメント

何かで読んだのですが、戦争とは、国家(国)間で、軍服を着て階級が兵士が戦うことだと。
そうであれば、民間人を多数巻き込む戦闘は、戦争の定義を外れますから違法なんだと思います。
都市空襲に使った焼夷弾は、堅固な軍事施設を破壊する爆弾でなく、木造建物の民間の家を狙ったものです。つまり、軍人を殺傷するためでなく、民間人を殺傷するために作られた兵器ですから違法でしょうね。
当然に、核兵器は多数の民間人が犠牲になる事を前提にして使われる兵器ですし、地域の壊滅、民族の殲滅、人間を破滅させる兵器ですから、明らかに国際法違反ですね。
被曝者の方達は、寛容さで平和を求めるられていて、とても立派な事ですが、過激に騒がない事を悪用してますね。核保有国や核の傘にある日本国家は。
アメリカに押し付けられた憲法がダメだというのなら、アメリカに従属する日米安全保障条約や日米地位協定は、その前に破棄すべき条約ですね。

今の日本、沖縄の問題(辺野古)も含め どこへ向いていこうとしているのか…怖いです(◞‸◟;)

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

おっしゃる通り、ジュネーブ条約で、戦闘員と非戦闘員ははっきり区別されています。非戦闘員を戦争に巻き込むことや、その可能性を作ることは禁止されています。しかし、世界的にこのルールは無視され続けてきました。

そして、日本政府に「論理性」や「誠実さ」「知性」等を求めるのは無理だということなのだと思いますが、選挙という手段でそれを変えるためには、私たち一人一人が情報の発信源として、もうちょっとずつ頑張ることが役立つのだと思います。

「  」様

コメント有り難う御座いました。

安倍政治の怖さは大多数の人には分っているようなのですが、何をしたら良いのかというところで、先に進まないきらいがあるようです。

まずは、「怖い」「どうしたら良いの?」、と感じていること自体を共有するのが大切なのではないかと思います。

2017年12月12日 (火)

佐北駅伝 ――66年の歴史がある楽しい駅伝です――


佐北駅伝

――66年の歴史がある楽しい駅伝です――

 

 

暮から新年にかけて、いくつもの駅伝があります。新年の箱根駅伝はいよいよ96回目です。それには及びませんが、今年66回になる佐北駅伝が1210日の日曜日に開かれました。旧佐伯町の北部を走る駅伝です。1224日の全国高校駅伝の男子の部が68回目ですので、どちらも、戦後始まっています。

 

大きく男子と女子に分かれていて、男子の場合は、男子一般・高校・中学の三つのグループでの競走、女子は、女子一般と中学の二つのグループです。距離は男子が27.8キロメートル、女子は14.6キロメートルです。チームの編成ですが、チーム監督 1 名、選手6名(但し、中学男子、一般女子、中学女子の部は5 名)、そして補欠2名という構成です。

 

今年の参加チームは70です。コース図を掲げておきますが、右下の方が廿日市市街です。太い灰色の線は旧佐伯町の境界ですので、大体の位置はお分り頂けると思います。

 

                 

Photo

           

 

出発点の大沢峠から、女子と中学生のための第二中継所のある永原説教場のちょっと先、玖島分れで右へ曲るまでは、県道292号線を走ります。1月末の広島男子駅伝は、繁華街や宮島街道を走りますので、沿道では随分多くの人が応援していますが、この辺では、道路沿いの人たちがチラホラ見えるくらいでした。

 

拍手をして、走ってくる選手たち一人一人に、「頑張れ!!」と声を掛けましたが、スタート地点から2~3キロの地点で、かなりの差が出ています。できるだけ固まって走っているシーンを写真に撮りました。

 

 

20171210_18_22_44

 

ちょっと吃驚したのは、選手と言葉を交せたことです。「キツイで~~す」と言って走り過ぎた選手もいました。「大丈夫、頑張れ」と激励しましたし、「あとどれくらい?」と聞いた選手もいました。中継所はすぐ近くですので、「もう一寸だ、頑張れ」と励ましました。

 

さて結果ですが、翌11日の月曜日は新聞休刊日でした。近くの玖島コミュニティー・センターに問い合わせたところ、スタッフの方が、親切に主催者に問い合わせて下さいました。優勝チームを部門別に掲げておきます。

 

一般男子の部は、修道大学Aチーム

高校男子の部は、広島皆実

中学男子の部は、広島市立三和中学校 (大会新記録でした)

一般女子の部は、舟入高校

中学女子の部は、広島市立三和中学校

 

午後からは雨になりましたが、駅伝の最中は曇り空で風もなく、良いコンディションでした。テレビで観戦する駅伝の楽しさも捨てられませんが、選手たちに直接声援を送りながら観戦する楽しさも久し振りに味わうことができました。

 

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2017年12月11日 (月)

ICAのノーベル平和賞を祝い、核兵器禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会

ICAのノーベル平和賞を祝い、核兵器禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会-核兵器禁止条約の発効へ決意新たにー

 

 

12月10日、ノルウェーのオスロでは、ノーベル平和賞授賞式が行われました。

広島でも、この授賞式に連帯する市民集集会が、「核兵器禁止条約のためのヒロシマ共同行動実行委員会」(広島県原水禁など27団体が参加)の呼びかけで、昨日午後1時から原爆ドーム横で開催されました。

何とか雨が降らないでほしいという参加者の思いが伝わらず、集会を始める直前から雨が降り始めるというあいにくの天気でしたが、100名余りの市民が集まり、オスロへのメッセージを届けるともに、「核兵器禁止条約」の早期発効へ目指して、とりわけ日本政府への働きかけを強めるアピールを広島から発信しました。

 

集会参加者は、最初にオスロへ届ける私たちの思いを込めた3本のバナーを次々と掲げました。

 

1

 

▲核兵器禁止条約・ICANのノーベル平和賞おめでとう!

   Congrats, ICAN, for nuclear-ban treaty receiving Nobel Peace Prize!

▲サーロー節子さん ありがとう!頑張って!

   Setsuko Thurlow, many thanks and cheers!

▲核禁条約で核なき世界を!世界の人々と!

    United with global people, let's achieve a nuke-free world with nuclear-ban treaty!

 

渡辺朋子さんの司会で始まった集会では、4人のリレートーク。

最初は、バチカンを訪問したカトリック正義と平和協議会の牧山員子さん。

続いて、第20代高校生平和大使の久永風音さんのメッセージ。久永さんは、今年の夏、高校生平和大使としてスイスを訪問して体験した「『外国に来て核兵器廃絶を訴える前に、まず日本国内での意見をまとめるべきだ』と指摘された」ことを紹介しながら「日本は、アメリカの核の傘に守られている国という以前に、核兵器の本当の恐ろしさを知っている唯一の被爆国です。私たちはどのような立場をとるべきでしょうか」と指摘し、最後に「私たちはこれからが始まりです。共通のゴールをめざし、これからも励ましあうことで、核兵器の廃絶と平和な世界の実現という理想郷を現実のものへと変えていきましょう。」と呼びかけました。

 

2

 

次に原爆胎内被爆者全国連絡会広島支部長の二川一彦さん、そして最後に昨年の平和記念式典で「平和の誓い」子ども代表を務めた中学生の中奥垂穂さんからのメッセージ。

 

4

 

雨の中、リレートークの発言をメモに取ることができませんでしたので、スピーチ原稿をいただくことができた久永さんだけの内容紹介になってしまいました。他の皆さんゴメンナサイ。

そして実行員会事務局長森滝春子さんが「市民集会声明」を提案、最後に広島県原水禁代表委員の秋葉忠利さん(前広島市長)が、閉会のあいさつ。

 

3

 

秋葉さんは、久永さんのトークに触れながら、「核兵器開始条約に反対する日本政府の政策を変えさせること。そのためにもこの集会の模様をネットなどで拡散させよう」と私たちの課題に触れながら、行動を呼びかけました。

 


 

核兵器禁止条約を実現したICANのノーベル平和賞を祝い、

   禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会 共同声明

 

今日、20171210日、人類の生存を保証するための歴史的な核兵器禁止条約実現に決定的な貢献を果たした「核兵器廃絶国際キャンペーンICAN」にノーベル平和賞が授与されます。

米国による原爆投下で受けたヒロシマ・ナガサキの非人間的悲惨の極みをもたらし、数十万の命を何が起こったかも知る由もなく一瞬にして虐殺し、家族と身体的機能を奪われて生き残った者に72年間も放射能障害をはじめとする痛苦を与え続けてきました。

 201777日に、国連で核兵器を国際的規範で違法とし、核兵器の開発、製造、実験、所有、譲渡、使用の威嚇などを禁じる核兵器禁止条約が122もの国々の固い決意のもとに採択されました。「核と人類は共存できない」というヒロシマ・ナガサキをはじめとする世界中のあらゆる核被害者の世界への叫びがやっと届いたものです。

 一方、核保有国とその同盟国は、人類破滅をもたらす核兵器に安全保障を依存するという恥ずべき姿勢を維持するのみならず、核兵器禁止条約の採択に賛同した国々に圧力をかけ批准を妨害しています。

ヒロシマは信じます。禁止条約の採択に賛同した叡智ある国々が1日も早く署名・批准を成し遂げ、人類の生存のための最も有効な手段である核兵器禁止条約の発効に寄与することを。

 核はその開発の段階から核は軍事利用、商業利用の区別を問わず先住民や太平洋諸島島民をはじめとする弱き側の民衆に大きな犠牲を強要してきました。放射線被害は未来を担う世代にも大きな被害をもたらしてきました。禁止条約はその苦悩に向き合い光を充てたものでもあります。核被害を根底的から告発し、核なき世界を求めてきたてきた私たちヒロシマ市民が大きな希望を持つことができる所以でもあります。

日本政府の核抑止力依存政策は禁止条約で禁じる「核使用の威嚇」に抵触するものであり、被爆国でありながら核保有国の側に立ち、核兵器禁止条約に反対していることを、私たち日本の市民は決して許さしません。私たちは全力をあげて、日本政府をして、署名・批准の良識ある行動に立たせることを誓います。

 本日ノーベル平和賞授賞式で、世界のヒバクシャを代表してヒロシマの被爆者であるサーロー・節子さんが世界に核廃絶を訴えます。私たちはサーロー・節子さんと共にあります。感謝と激励のメッセージを届けようと原爆ドームに集いました。

ICANは、私たちにとって希望溢れるNGOです。その若い力強さで核廃絶の実現に世界を牽引してくれることを心から期待しています。

 

  核兵器禁止条約・ICANのノーベル平和賞おめでとう!

  サーロー・節子さん ありがとう!がんばって!

  核兵器禁止条約で核なき世界を! 世界の人々と連帯して!

 

    20171210

 

 核兵器禁止条約を実現したICANのノーベル平和賞を祝い、

       禁止条約の早期発効を求めるヒロシマ市民集会 参加者一同 

 

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2017年12月10日 (日)

Dodge Dart ――「やっぱり 土曜は寅さん!」を視て思い出しました――


Dodge Dart

――「やっぱり 土曜は寅さん!」を視て思い出しました――

 

 

たまたま「土曜日は寅さん」の (男はつらいよ 柴又より愛をこめて) を視ていて、昔乗っていた車を思い出しました。

 

タコ社長の娘、美保純演ずる明美、が家出をして寅さんが下田まで会いに行き、ひょんなことでそこから式根島に渡ったところで、島の青年の車に乗せて貰うシーンです。古い車なので、底に穴が開いて、明美が助手席に座ると靴が地面に届いてしまいます。

 

「それって、私が昔、乗っていた車」のことでははありませんか!

 

             

120pxdodge_dart_4door_sedan_1966

               

Photo by Lars-Göran Lindgren Sweden

 

私の車は2ドアセダンでしたが、色も同じです。1966年型のDodge Dartです。同じ大学で教えていた先輩が日本に帰ることになり、丁度車がなかったので譲って貰いました。値段は1ドル。それも車検の手続き上、値段がないと通らないという理由で付けられたものですが、先輩の御厚意に甘えました。それが、1971年。それから5年はしっかり乗り続けました。

 

昔の車は結構頑丈に出来ていて、タイヤの交換、フィルターやプラグの交換も自分でできました。ペンキも剥がれて来たので、アール・シャイブという車の塗り替え専門店で29.95ドルで青く塗り替えて貰いました。その写真もどこかにあるのですが、急なことで見付かりません。

 

ある時、友人を送るため助手席に乗って貰った途端、「ギャーッ」という悲鳴!! 「足が地面に着いた」と言われて車の底を見ると、内側から地面が見えるではありませんか。

 

その時は、何とか、錆びていない部分に足を置いて貰って送り届けましたが、さすがに怖くなり、車は買い換えることにしました。もっとも、こんなシーンは、雪の多いニューヨーク、そして当時住んでいたボストンでは良くあることでした。雪を溶かすための「塩」が日常的に道路に撒かれていたからです。

 

買い換えたのはフォルクスワーゲンでした。日本に戻ってからしばらくの間は、ちょっと見栄を張って、(底に穴の開いた車だったことは隠して)、「車は外車しか乗ったことがない」と自慢の種にしていたことも懐かしい思い出です。

 

 

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コメント

我が家も沿岸にあるので、昔は最初の車検までにマフラーに穴が開いていましたし、パンクも年に一度はしていましたが、今では素材の向上と道路も良くなり、そんなことはありませんし、パンクも30年ぶりに経験する、というほど稀です。

30年前は、アメリカで生活するなら医者と弁護士と自動車整備工の友達を持つべきだと言われており、レンタカーでも日本車かドイツ車に限っていました。

ところが最近試乗したアメ車(テスラ)と国産車(リーフ)では、「最先端」の国産車は10年遅れとしか思えず、品質面でも5年前にはベスト10に日本の自動車メーカーが4社入り、それも上位を占めていたのに、昨年は辛うじて1社が10位と、心配な状況です。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。タカタのエアバック問題の頃から心配していましたが、2014年に武器禁輸三原則が廃止され、防衛装備移転三原則、つまり、積極的に武器輸出の奨励が行われるようになったことが、日本の技術力の衰退を象徴しているのかもしれません。そして神戸製鋼や東レです。

かつて、トイレットシート一つに100万円も払ったことが問題にされ、欠陥商品のオスプレイを堂々と輸出するのがアメリカの防衛産業の実態ですが、日本の製造業もそんな風潮に流されているのではないでしょうか。そんな甘い環境で生き残れることになると、先は見えて来ますね。

2017年12月 9日 (土)

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

12.8不戦の誓いヒロシマ集会

 

 

12月8日は、76年前中国への侵略戦争を進めていた日本軍が、ハワイ・真珠湾への奇襲攻撃によって日米戦争へと突入した日です。再び戦争への道を歩まない不戦の誓いの日として、今年も、昨日午後6時から「憲法を守る広島県民会議、原水爆禁止広島県協議会、広島県平和運動センター、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会」の共催で「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」が、開催されてきました。

 

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今年の集会は、「日本軍『慰安婦』問題と日本の戦争責任―植村パッシングとは―」と題して、元朝日新聞記者の植村隆さん(現・韓国・カトリック大学校客員教授)による講演が行われました。

「今日の歴史的な日に平和都市広島にいることを幸せに感ずる」という話から始まった植村さんの講演。在韓被爆者問題など広島への強い思いが語られながら、「日本軍『慰安婦問題』」へと話が移り、そして本題の「上村バッシング」の実態が、様々な事実に基づいて、詳細に語られました。そんな中で、いくつか強く印象に残ったことを述べてみます。

 

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言わば特ダネともいえる1991年8月11日の朝日新聞の「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」の記事を書くことになった従軍慰安婦の証言。その証言を引き出したのが、友人の被爆者の「自分のことを話しなさい」という後押しがあったから。同じ侵略戦争の犠牲者被爆者が「慰安婦」の発言を引き出したという指摘。その事実を伝えただけの記事が、その後のバッシングの対象となったしまったという経過は驚くべきことです。

2014年2月6日号の「週刊文春」の記事が引き金となったパッシングは、2014年8月5日の朝日新聞の検証記事以来、植村さんにも執拗に繰り返されるパッシングの嵐。ついには、家族、子どもにまで。そんな攻撃に果敢に戦った植村さん。そしてそれを支える人々。

淡々として、そして時には力を込めながら、経過を振り返りつつ指摘されたのが、バッシングの背景にある安倍首相に通じる歴史修正主義者たちの行動と思想です。さらにそのインチキぶりを事実に基づいて指摘する植村さんの話は、すべての参加者の胸を強く打ち、納得させる内容でした。

またそうしたバッシング攻撃は、上村さんにとどまらず、広島大学の講義に、灘中などへの教科書使用に、女たちの戦争と平和資料館へと広がっていることが指摘されました。

 

最後の上村さんは、ヴァイツゼッカー大統領のドイツ終戦40周年記念演説を紹介するとともに、河野談話(1993年)の「歴史の事実を直視し、歴史研究・歴史教育を通じてこの問題を記憶にとどめ、過ちを繰り返さない決意を表明する」の部分を引用しながら、「歴史の事実ときちんと向き合うこと」の重要性を強調されました。こうしたことが、私には強く印象に残りました。

 

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集会では最後に「私たちは改めて、戦争の歴史・教訓に学び、そしていま再び『戦争する国』へと暴走する事態を直視し、戦争につながる一切を拒否する鳥喰を強めなければなりません。戦後を戦前に回帰させないために、本日ここに集う私たちは、さらに広範な人々とともに平和と民主主義を守るための活動を一層強化すること」を誓う「集会アピール」を採択し、集会を終えました。

 

私は、今年7月、中国東北地方と北京の戦跡を訪ねる「平和の旅」に参加し、中国への侵略の歴史の一部を学んできました。実は今年は、日中国交正常化45周年、「日中戦争」の発端ともいわれる盧溝橋事件からちょうど80年という節目の年でもあります。しかし、残念ですが、80年前の7月7日を振り返る集いが日本で開かれたという話はあまり聞くことができませんでした。私たちは、「12・8」を忘れてはならない日として、毎年取り組みを進めていますが、もっとアジアの人々に目を向けることが、今の時代には必要だと改めて思わされた今日の集会でした。

 

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2017年12月 8日 (金)

原爆ドーム 世界遺産登録記念集会 ――決意を新たにする集会でした――


原爆ドーム 世界遺産登録記念集会

――決意を新たにする集会でした――

 

127日、原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録されてから21年目の記念集会が原爆ドーム前で開かれました。今年は、「核兵器禁止条約」が採択され、核兵器廃絶を目的とするNPOであるICANがノーベル賞を受賞するという特別の年であり、核兵器廃絶のために全力を尽してきた被爆者や広島市民そして平和団体が、原爆ドームをシンボルとして、決意を新たにする機会になりました。

 

                     

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原爆ドームの世界遺産登録は21年前ですが、原爆ドームの重要性はそれ以前から認識されており、保存の努力もずっと続いてきました。その歴史を、集会のプログラムでは次のようにまとめています。

 

 

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集会参加者全員が「原爆ドーム」を前に、亡くなった被爆者そして今も一緒に活動している被爆者の皆さんと共に核兵器廃絶への誓いを新たにしました。主催者の核兵器廃絶広島平和連絡会議を代表しての献花と献水にその心を込めました。

 

 

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最後にこの集会で採択された「アピール」です。核兵器の廃絶を一日も早く実現するためにともに頑張りたいと思います。

 

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原爆ドーム世界遺産登録記念集会アピール

 

今から72年前の194586日午前815分、この広島に人類史上最初に 原子爆弾が投下された。

爆新地近くにあった広島県産業奨励館は、「原爆ドーム」と呼称を変え、 その歴史とともに、ここに立ち続けている。

 

今から21 年前の1996127日、「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産への登録が実現した。 原子爆弾の恐ろしさ、愚かさを後世に伝えるために、この「原爆ドーム」のユネスコ世界遺産登録に向けて、多くの市民や県民が一体となって、4 年 の歳月をかけて署名活動などの運動に取り組んだ。その熱い情熱の結集が 164万を超える請願署名となり、政府を動かし、世界遺産登録委員会の決定を手繰り寄せることとなった。

 

私たち、ヒロシマが求めてきたものは、「原爆ドーム」の建造物としての 文化的価値の評価ではなく、「原爆ドーム」に刻まれた被爆者の慟哭と被爆の実相を世界の人々へ伝え、核兵器の使用を決して許してはならないという警鐘を鳴らし続けることにある。

 

本年717 日、史上初めて「法的に核兵器を禁止する」 ことを目的とした 「核兵器禁止条約」が国連で採択された。

しかし、日本政府は「国際社会の分断を一層深める」とし、交渉会議にも参加せず、条約の制定に反対している。

また、2015年に開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、核保有国と非保有国との対立により決裂し、先の「核兵器禁止条約」 に関する決議に際しては、唯一の戦争被爆国であり、核兵器保有国と非保有国との橋渡し役として核兵器廃絶に向けた議論をリードする役割と責任がある日本政府 が反対票を投じた。

 

こうした危機的状況だからこそ、ヒロシマの果たす役割は重い。

 

私たちは、「原爆ドーム」世界遺産登録の意義を再認識し、国内外の世論喚起を図るとともに、被爆の実相を着実に次代に継承していくなど、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けた運動を強化していかなければならない。

 

私たちは、72年前の惨劇を目の当たりにし、今もなお「核兵器廃絶と世界の恒久平和実現」を無言で訴え続ける「原爆ドーム」とともに、想いを共有する多くの人との連帯の輪をさらに広げ行動することをここに誓う。

 

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 原爆ドーム世界遺産登録記念集会

 

 

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2017年12月 7日 (木)

違和感のある日本語 ――「出席が叶いません」――


違和感のある日本語

――「出席が叶いません」――

 

そもそも、政治家や官僚が喋っている内容そのものに嫌悪感を持っているために、表現にまで「違和感」を持つのかもしれませんが、ずっと気になっていた言い回しを取り上げます。「慇懃無礼」の典型だと思うのですが、皆さんのお考えも聞かせて頂ければ幸いです。

 

それは、「○○ (ここに偉い人のタイトルが来るのが普通です) は、この会を楽しみにしておりましたが、公務のため出席が叶いません。メッセージを預かって参りましたので、代読させて頂きます」と言った挨拶です。その後、代理の人がメッセージの代読をするのですが、黄色のマーカー部分が違和感のある所です。

 

                     

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同じく「出席」をテーマにしていても違和感のないのは、たまたま見付けた次のような使い方です。20周年を記念して開かれたある会に来賓として招待した有名人についての報告です。「○○さまより、お葉書を頂きました。当日は、公務のためご出席頂くことは叶いませんでしたが」という言葉の後に、葉書の内容が披露されていました。

 

違いがどこにあるのかはお分りだと思いますが、「叶う」には、「夢が叶う」のように自分の力だけでは実現不可能なことでも本当になって欲しい、という感じのニュアンスが込められています。出席して貰えたら嬉しいけれど無理かもしれない、でも招待状は出した、そしてその願いは叶わなかったけれど、葉書を貰った、というストーリーにはピッタリの表現です。

 

でも、来賓として招待された側、通常は「偉い人」といったカテゴリーに括られるような立場の人が、同じ時間に開かれている沢山の行事の一つ一つに、「出席するという夢が叶えば良いな」という気持を持っているかというと、それには疑問符が付くでしょう。

 

にもかかわらず、「出席することが叶わず」と言いたくなるのは、社交辞令としてそれなりには理解できます。でも、それ以上に「慇懃無礼」の方に傾いてしまっていると感じるのは私だけでしょうか。

 

「○○は、この会を楽しみにしておりましたが、公務のために出席できないことを残念に思っており、不肖××が皆様宛のメッセージを預かって参りましたので、代読させて頂きます」くらいではいけないのでしょうか。

 

 

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コメント

なるほど、今日まで気が付きませんでした。
叶うは「恋」の枕詞かと思ってました。なことはないですがw

「公務と重なったために、出席が叶わなかった」とすれば、少しはスッキリとしますか?
公務というのは予めわかっていて、そこへ出席の依頼があったら、「叶う」という言葉は変だと思います。
日にちは決まってまぜんが、◯◯会を開催しますので、その折はご出席をお願いしますと依頼されていて、承知した後に、日にちが決まったと知らせがあり、公務と重なっていたとなると「叶わなかった」は良いのではと思います。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

「叶わぬ恋」は切ないですね。それも、人知を超えた力が左右しているのかもしれません。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

ポイントは、例えば大臣とか国会議員とかが、町内会の運動会に出ることを、自分の力の及ばないことでどうすることもできないけれど、出来れば出られるような運命になって欲しいと本当に思っているのかという点です。

現実問題として、仮に「夢を叶えて欲しい」と思うくらいの気持があるのなら、自分の判断で優先順位を変えれば良いだけのことなのです。それを大袈裟に、自分の力の及ばない理由があるために出席できないという言い訳をするのは、その会の主催者に対して「慇懃無礼」を働いていることになるのではないでしょうか。

2017年12月 6日 (水)

インフルエンザ予防接種 ――雪の中、病院まで――


インフルエンザ予防接種

――雪の中、病院まで――

 

以前にも、パラパラっと雪の降った日がありましたが、今日は本格的に降り出しました。そんな雪の中、インフルエンザの予防接種に行ってきました。佐伯中央病院です。

 

                 

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良く見て頂けると分るのですが、かなりの雪が降っています。

 

田舎の病院ですが、巷説を信じると、高齢の受診者でかなり混んでいるはずなのですが、これが待合室です。

 

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雪のせいかもしれませんし、時間的に、多くの受診者の皆さんは朝一で病院に来るので、昼近くの時間帯にはもう帰った人が多かったせいなのかもしれません。診療室前の待合席もがらんどうです。

 

 

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お蔭様で、待たずに予防接種を受けることができました。1500円でした。

 

ところで我が国の死亡原因のトップ3は長い間、「悪性新生物」「心疾患」「脳血管疾患」でした。でも、2011年を境に、3位になったのが「肺炎」です。それ以降、ずっと3位なのですが、インフルエンザや風邪など、肺炎に至る病気を予防することと、「肺炎球菌ワクチン」の接種が大切だということですので、今月末にはこのワクチン接種を受けることにしました。

 

5年間有効のワクチンには公的補助があります。一方、一度打てば生涯有効なワクチンもあるそうなのですが、まずは5年有効なワクチンから始めることにしました。

 

肺炎の原因の一つには誤嚥があり、これはワクチンとは関係なく、予防措置を取ったり訓練をしたりということができますので、それも併せて健康維持のための努力は続けます。

 

 

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コメント

~アンコ椿ではないけれど3日遅れで~
(独居老人最大憂鬱→PC不具合→今回はお助けコールで何とかクリア)

肺炎球菌V。
こちら定期接種2度スルー→ もはや任意接種のみ。
旧・国立第一病院(呼吸器科)Dr.が『ウチでやる!?』 ←これすら2度スルー。
すべてに運が悪いので、接種後身体への影響が心配で。
来年2月診察日→ 覚悟を決めるかぁ。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

PC直って良かったですね。PCには備わっていませんが、私たちの病気の方は、インフルエンザでも肺炎でも、免疫力が大きな役割を果しているようです。それに加えて、予防の効果も上手く使いましょう。

2017年12月 5日 (火)

45 bis “あわ”と袋町キッチン ――虎之介の姉妹店です――


45 bis “あわと袋町キッチン

――虎之介の姉妹店です――

 

山家暮しにドップリ浸かってしまい、広島市内には必要最小限の時しか出ない生活をしていますが、たまには市内で夕食をということになりました。時間が早かったので、先ずは食前酒、とは言え運転をする家人は飲めないのですが--。入ったのは、「45 bis “あわ」です。読み方は略して「キャラントサンク」のようです。昔は有名な和食の店「太田荘」でした。

 

             

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ここで注文したのは、スパークリング・ワインとレモン・スカッシュです。

 

 

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食事はすぐ近くの「袋町キッチン」。前から常連だった「虎之介」の姉妹店です。

 

 

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もう忘年会のシーズンでテーブル席は一杯、カウンターでしたが、とても寛げるしつらえでした。

 

ここの飲み物のお勧めは、樽から注いで貰えるスパークリング・ワインです。値段もそれほどではありません。

 

 

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でももう一つ、別のチョイスもあるのです。それはこちら。

 

 

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そして注文して出てくるのがこちらです。

 

 

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父が生きていれば、どんなに感激したことでしょう。

 

さて、食べ物ですが、先ずは「肉屋のポテトサラダ」。

 

 

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見た目だけではなく、美味しかったです。そして次は、ハマグリとムール貝です。

 

 

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全部が写真に写ってはいませんので、分り難いですが、かなりの量でした。そして最後はカルボナーラ。

 

 

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家人にかなり食べて貰いましたがお腹一杯です。そして、店を出るときには「お土産」を貰えます。チョコレートの付いたワッフルです。ちょっとオシャレです。

 

 

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大満足の夕食でしたが、満月を背に帰る途中では灯油を調達し、夜半の寒さに備えることも忘れてはいませんでした。

 

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2017年12月 4日 (月)

安陪9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名 ――福屋前で署名をお願いしました――


安陪9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名

――福屋前で署名をお願いしました――

 

これまで、毎月19日に、街頭に立って安倍政権の戦争政策を阻止するための行動を行ってきました。2015919日に、政府・与党が強行採決を行うことで、日本を戦争国家にするための「戦争法」を形の上では成立させた日を記憶し、その「法律」を破棄するための世論を創るためでした。

 

               

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しかし、1022日の総選挙で自民・公明が圧倒的多数を占めることになり、改憲への動きがさらに急になってきたことに対応するため、憲法記念日が53日であることから、毎月「3日」に改憲を阻止するための行動を行うことになりました。

 

昨日123日は、その第一回目で、福屋前と、本通りの青山前の二班に分かれて、市民の皆さんに署名を呼び掛けました。

 

 

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安陪総理が憲法9条に自衛隊の存在を書き込みたいと言ったのは、今年2017年の憲法記念日でした。その理由は「災害時の救援活動で頑張る自衛隊が憲法違反では気の毒」であり、「今でも自衛隊は存在しているのだから、それを憲法に明記しても何も変らない」です。

 

でもこんな甘言に騙されてしまうと、臍を噛むのは私たちの子どもや孫の世代です。

 

憲法に書き込まれる自衛隊は、災害救援で頑張る自衛隊ではなく、戦争を主たる任務にする自衛隊です。米軍と一体になって世界のどこへでも出かけて戦争をする自衛隊です。それを憲法が認めるということなのです。

 

そして、憲法に明記しても変らないのであれば、書き込む必要はないであろう自衛隊を何故書き込みたいのかというと、法律の世界では、「後からできた新しい法律は古い法律より優先される」という原則があるのです。つまり、米軍と一緒になって戦争をする自衛隊がまず優先して認められて、それに矛盾しなければ、戦争の放棄や戦力を持たないという9条の古い条文が認められる、ということです。でもそれはないですね。戦争をする自衛隊を認めてしまえば、それと矛盾する戦争放棄や戦力の不保持は認められないということになるのですから。

 

簡単に言ってしまえば、安倍9条を認めれば、日本は北朝鮮やアメリカ、韓国や中国やロシア等の「戦争国家」と同じ種類の国家になってしまうということです。そしてそれらの国々が、核軍拡競争の舞台で競い合っていることは皆さん御存知の通りです。

 

子どもたち孫たちが戦場に駆り出され、人を殺したり殺されたりするに任務に就かなくても良いように、あるいは戦場で食べ物がなく飢え死にしなくても済むように、今、戦争国家への道を選んではいけない、憲法9条を変えてはいけない、という署名に御協力ください。また、このメッセージを様々な手段に一人でも多くの人に伝えて下さい。

 

日曜日ということもあって、またお天気にも恵まれ、福屋前は多くの人で賑わっていました。子ども連れのお父さんやお母さん、恒例の御夫婦などの姿が目立ちました。署名運動に参加してくれた皆さんの中にも子ども連れの方もいましたし、何時もより多くの方々に協力して貰えました。全部で54人です。そして、頂いた署名は110筆ほどでした。全国での目標3000万に向けた一歩ですが、私たちの声に耳を傾けて下さった方々の数はいつもより多かったような気がしましたし、頷いて賛意を示してくれている人も多かったように思います。少しではありますが、危機感は共有されている、と感じた一時でした。

 

 

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なお、2018年の13日は、お休みです。23日から来年の「3の日」行動は始まります。

 

 

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わたしは青山前に参加しました。途中、広告のポケットティッシュを配っている女性から仲間がポケットティッシュを受け取ると、その女性もこちらのチラシも欲しいと言ってくださいました。良いエールの交換になりました。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。エールの交換、良かったですね。

署名をして貰いながら意見交換をするようなシーンも見られました。安陪9条改憲の「胡散臭さ」が、じわーっと広がっているような感じです。

2017年12月 3日 (日)

『われ御身を愛す』 ――愛新覚羅慧生と大久保武道の遺簡集――


『われ御身 (おんみ) を愛す』

――愛新覚羅慧生と大久保武道の遺簡集――

 

あと一週間で、19571210日から60年になります。そのタイミングで再び注目されているのが、「天国で結ぶ恋」とも呼ばれた、愛新覚羅慧生さんと大久保武道さんの心中です。2017121日(金)放送、TBS系列「爆報!THEフライデー」でも取り上げられています。

 

60年前の1210日、二人は天城の山中で発見されましたが、4日の夕方に姿を消し、捜査願いが出されていました。捜索隊によって発見されたのが6日後なのですが、二人は学習院大学の同級生で、慧生さんは19歳、武道さんは20歳の若さでした。

 

               

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天城山

 

この事件は「天城山心中」と呼ばれ、「天国に結ぶ恋」とも評されて大々的に報道されました。それは、愛新覚羅慧生さんが清朝最後の皇帝で満州国の皇帝になった愛新覚羅溥儀の姪 (溥儀の弟溥傑の長女) であり、母は、旧侯爵の嵯峨浩 (さが ひろ) という身分が大きく影を落していたようです。溥儀については、映画「ラスト・エンペラー」がヒットしましたので、今の方が60年前よりは良く知られている存在かも知れません。

 

大久保武道さんは、青森県八戸の旧家の出身ですし、当時、アルバイトもせずに学習院大学に通っていたのですから、掛け値なしの「庶民」とは言えないような気もしますが、嵯峨家から見ると「身分」格差が大き過ぎたのかもしれません。

 

当時、私は中学生でしたが、高校2年の時に、二人の遺簡集『われ御身を愛す』が出版され、ベストセラーになりました。高校生の間でも、特に同級生女子たちの間では大きな話題になりました。

 

愛し合う二人の迎えた死はあまりにも悲し過ぎるのですが、マスコミを中心に「純愛」の物語として受け止める人たちが多かったように思います。今なら、石川さゆりの「天城越え」と結び付ける人もいるかも知れません。


「心中」の真相は二人にしか分りませんが、武道さんの遺族は、せめて天国で二人が安らかな一時を過ごしてくれたらと祈っているようですし、嵯峨家の関係者や友人たちは、慧生さんが最後まで武道さんを翻意させようと説得を続けたと信じているようです。

 

「心中」に使われたのは武道さんの父が憲兵時代に携帯していた拳銃ですが、もし、拳銃が身近になければ、このような悲劇は起きなかったかもしれないと考えてしまうのは短絡的な結論でしょうか。

 

そして、さらに大きな背景としては国家主義と戦争を考えない訳には行きません。満州国の存在抜きでは語れない昭和史が少し違った形を取っていれば、と考えるのも論理の飛躍かもしれません。こんな感慨をセンチメンタルな溜息としてのみ記憶するのではなく、次の世代への責任を果すためのエネルギーに変えられたらと思っています。

 

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2017年12月 2日 (土)

ブルーワイン ――羽田空港の魔力には勝てない家系かも――


ブルーワイン

――羽田空港の魔力には勝てない家系かも――

 

息子が送ってくれた「ブルーワイン」が届きました。とは言っても料金はこちら持ちです。実は先週、羽田空港から電話がありました。そこで見掛けたワインが美味しそうだから送ろうか、という相談だったのですが、珍しいものには目がない我が家ですので、もちろん「OK」。

 

でも、今日分ったのは、同床異夢だったこと。私は今流行っているワインの色が「ブルー」のブルーワイン。スペインで発明されたもの。息子と家人が頼んだのは、ピーロート社の「ピーロート・ブルー」でした。ピーロート社の「ブルー」は、同社が1976年に採用したロイヤル・ブルーの瓶の色を指しています。

 

                   

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甘口で、デザート・ワインとしてまたは果物と一緒にというアドバイスもあったので、早速、夕食後に飲んでみました。上品な甘さで、クリスマスやお正月の雰囲気にはピッタリのワインだと思います。とても良いタイミングで届きました。

 

でも、一つ気になることが。息子がこのワインを勧められたのは羽田空港です。そう言えば、かなり前になりますが、私も羽田空港で、かなり高額のシャンパンを勧められ購入したことがありました。ここでしっかりと教訓を汲まなくてはなりません。この際、羽田空港で買うものはせめて「東京バナナ」に留めるという「家訓」を宣言し徹底しなくてはならないのかもしれません。

 

 

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2017年12月 1日 (金)

裁判官弾劾裁判所 ――制度ができて今年で70年目です――


裁判官弾劾裁判所

――制度ができて今年で70年目です――

 

トランプ大統領が誕生した時には、任期中に弾劾され罷免されるのではないかという予測もありましたが、このところ、物議を醸すことも少なくなっているようですので、弾劾の可能性も低くなったと言えそうです。

 

そして弾劾制度は、アメリカだけにあるのではなく、対象になるのは大統領だけではありません。我が国の裁判官弾劾制度は、憲法で規定されている制度ですので、憲法が発効した時にこの制度も発足し、今年で70年になります。

 

この制度に私が関心を持ったのは、20年前、50周年の時に『裁判官弾劾制度の50年』という分厚い書物を贈られてからです。

 

             

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最近書庫を整理していて見付けたのですが、我が国の制度の概要や歴史だけでなく、海外の弾劾制度の紹介もあり、時間があれば読んでみたいと思ってはいますが、何しろ大部ですので、まずは付録の冊子を読んでみました。もっとも、ネット上には、裁判官弾劾裁判所の公式ホームページがありますし、そちらには最近の状況も載っていますので、お勧めします。

 

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でも折角、概要が分りましたので、報告させて下さい。

 

この裁判所設置の根拠は憲法15条です。

 

15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 

それに基づいて64条で、設置が規定されています。

 

64条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。

2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

 

裁判官も人間ですから、過ちを犯すことはあります。その結果、裁判官としては相応しくないと法律で決めているような行為があった場合、裁判官訴追委員会と呼ばれる、いわば検察のような役割を果す委員会が、訴追することを決めれば、裁判官弾劾裁判所で裁判をすることになります。流れは次の通りです。

 

 

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弾劾裁判所は一審制で、職務停止や罷免になった裁判官が再審の請求をすることはできません。その代り、罷免されてから5年経つと、「資格回復請求」ができるようになっています。

 

制度ができてから実際に訴追され弾劾裁判が行われた件数は、全部で9件あります。最初の二件は、1948年、終戦直後という時代を反映して、両件とも闇物資に関わった案件でしたが、結果は「不罷免」でした。

 

その他の7件は、罷免になっているのですが、1977年の罷免事件は、「前内閣総理大臣」の関係する汚職事件の捜査において、「検事総長の名をかたり、不当な指揮権発動の言質を取ろうとして現職総理大臣に対してかけられた謀略電話」の録音テープを新聞記者に聞かせた、というものですが、これも時代の色が濃く映し出されています。

 

平成に入ってからは3件の罷免が行われていますが、それぞれ、「3人の少女に児童買春をした」、「ストーカー行為をした」そして「乗客の女性に対し下着を盗撮した」と、これも時代の流れが裁判官にまで及んでいることを示していると言って良いのかもしれません。

 

罷免された7人のうち、資格回復裁判によって、資格回復に至ったのは4人です。その他の内、一人は裁判の請求をしましたが、棄却され、残る二人は、資格回復請求の資格がないか、請求をしていないようです。

 

弾劾裁判にかけられる裁判官は、例外中の例外だと思いますが、だからこそと言うべきか、そんな人たちにもと言うべきなのか分りませんが、弾劾裁判の歴史が社会全体の変動を反映していることに一種の感慨を覚えています。

 

因みに、アメリカでは200年以上の歴史がありますが、その間、大統領も含めて19件の訴追があり、8人が罷免されています。

 

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