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2017年12月10日 (日)

Dodge Dart ――「やっぱり 土曜は寅さん!」を視て思い出しました――


Dodge Dart

――「やっぱり 土曜は寅さん!」を視て思い出しました――

 

 

たまたま「土曜日は寅さん」の (男はつらいよ 柴又より愛をこめて) を視ていて、昔乗っていた車を思い出しました。

 

タコ社長の娘、美保純演ずる明美、が家出をして寅さんが下田まで会いに行き、ひょんなことでそこから式根島に渡ったところで、島の青年の車に乗せて貰うシーンです。古い車なので、底に穴が開いて、明美が助手席に座ると靴が地面に届いてしまいます。

 

「それって、私が昔、乗っていた車」のことでははありませんか!

 

             

120pxdodge_dart_4door_sedan_1966

               

Photo by Lars-Göran Lindgren Sweden

 

私の車は2ドアセダンでしたが、色も同じです。1966年型のDodge Dartです。同じ大学で教えていた先輩が日本に帰ることになり、丁度車がなかったので譲って貰いました。値段は1ドル。それも車検の手続き上、値段がないと通らないという理由で付けられたものですが、先輩の御厚意に甘えました。それが、1971年。それから5年はしっかり乗り続けました。

 

昔の車は結構頑丈に出来ていて、タイヤの交換、フィルターやプラグの交換も自分でできました。ペンキも剥がれて来たので、アール・シャイブという車の塗り替え専門店で29.95ドルで青く塗り替えて貰いました。その写真もどこかにあるのですが、急なことで見付かりません。

 

ある時、友人を送るため助手席に乗って貰った途端、「ギャーッ」という悲鳴!! 「足が地面に着いた」と言われて車の底を見ると、内側から地面が見えるではありませんか。

 

その時は、何とか、錆びていない部分に足を置いて貰って送り届けましたが、さすがに怖くなり、車は買い換えることにしました。もっとも、こんなシーンは、雪の多いニューヨーク、そして当時住んでいたボストンでは良くあることでした。雪を溶かすための「塩」が日常的に道路に撒かれていたからです。

 

買い換えたのはフォルクスワーゲンでした。日本に戻ってからしばらくの間は、ちょっと見栄を張って、(底に穴の開いた車だったことは隠して)、「車は外車しか乗ったことがない」と自慢の種にしていたことも懐かしい思い出です。

 

 

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我が家も沿岸にあるので、昔は最初の車検までにマフラーに穴が開いていましたし、パンクも年に一度はしていましたが、今では素材の向上と道路も良くなり、そんなことはありませんし、パンクも30年ぶりに経験する、というほど稀です。

30年前は、アメリカで生活するなら医者と弁護士と自動車整備工の友達を持つべきだと言われており、レンタカーでも日本車かドイツ車に限っていました。

ところが最近試乗したアメ車(テスラ)と国産車(リーフ)では、「最先端」の国産車は10年遅れとしか思えず、品質面でも5年前にはベスト10に日本の自動車メーカーが4社入り、それも上位を占めていたのに、昨年は辛うじて1社が10位と、心配な状況です。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。タカタのエアバック問題の頃から心配していましたが、2014年に武器禁輸三原則が廃止され、防衛装備移転三原則、つまり、積極的に武器輸出の奨励が行われるようになったことが、日本の技術力の衰退を象徴しているのかもしれません。そして神戸製鋼や東レです。

かつて、トイレットシート一つに100万円も払ったことが問題にされ、欠陥商品のオスプレイを堂々と輸出するのがアメリカの防衛産業の実態ですが、日本の製造業もそんな風潮に流されているのではないでしょうか。そんな甘い環境で生き残れることになると、先は見えて来ますね。

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我が家も沿岸にあるので、昔は最初の車検までにマフラーに穴が開いていましたし、パンクも年に一度はしていましたが、今では素材の向上と道路も良くなり、そんなことはありませんし、パンクも30年ぶりに経験する、というほど稀です。

30年前は、アメリカで生活するなら医者と弁護士と自動車整備工の友達を持つべきだと言われており、レンタカーでも日本車かドイツ車に限っていました。

ところが最近試乗したアメ車(テスラ)と国産車(リーフ)では、「最先端」の国産車は10年遅れとしか思えず、品質面でも5年前にはベスト10に日本の自動車メーカーが4社入り、それも上位を占めていたのに、昨年は辛うじて1社が10位と、心配な状況です。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。タカタのエアバック問題の頃から心配していましたが、2014年に武器禁輸三原則が廃止され、防衛装備移転三原則、つまり、積極的に武器輸出の奨励が行われるようになったことが、日本の技術力の衰退を象徴しているのかもしれません。そして神戸製鋼や東レです。

かつて、トイレットシート一つに100万円も払ったことが問題にされ、欠陥商品のオスプレイを堂々と輸出するのがアメリカの防衛産業の実態ですが、日本の製造業もそんな風潮に流されているのではないでしょうか。そんな甘い環境で生き残れることになると、先は見えて来ますね。

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