広島の被爆遺構、被服支廠で「戦争の終わり」を学ぶ
原水禁学校の第二回の報告です。
報告は本ブログのスター・ライターの一人中谷悦子さんです。
2017年度2回目の原水禁学校は、被服支廠での被爆者の証言から始まった。被爆者は中西巌さん。原爆が投下された当時15歳。広島高等師範学校附属中学校の生徒だった。学徒動員で被服支廠での連日の作業に動員されていた。賃金はなし。文字通りただ働きだった。
被服支廠は1913年に竣工され、南北500m、東西300mの広大な敷地に1号から13号までの倉庫、作業を行う建物、従業員のための保育所などが建造されていた。ここでは、兵士が戦場で使用する軍服、軍靴、ベルト、毛布、一人用のテントが作られていた。中西さんの言では六尺褌も作られていたそうだ。まるで兵士の死装束を作っているようだと思った。
中西さんから面白い話を聞いた。動員学徒がストライキを決行したというのだ。戦争末期になると、布や靴下などの生活必需品が不足し、中には工場から品物が消えることもあったそうだ。そのため従業員の身体検査が行われた。それが学生たちまで拡大されるということに立腹し仕事をするのを止めたそうだ。軍人は弾圧しようとしたが 肝のすわった学生二人の訴えがみとめられたそうだ。お咎めはなし。逆に彼等の言葉は廠長の心を動かした。
8月6日。中西さんの命を救った3つの幸運とは。一つは市内中心部に荷物の運搬に出かけることになっていたがトラックが遅れたので出かけなかった。二つは建物の近くにいたため30度の角度で襲った熱線を浴びなくてすんだ。3つは実家が郊外で、爆心地から離れていったこと。
次から次へと運ばれてきた被爆者たちのうめき声-水!水!これは地獄だと思った。「おかあさん、死にたくないよ」という女学生の声を未だに憶えていると語ってくれた。自分の名前や自宅の住所を叫び、家への連絡を頼む声も忘れられない。亡くなった人は穴を掘ってそこで焼かれた。
広島城では中国軍管区司令部跡と大本営跡で金子哲夫さんの話を聞いた。大本営跡に立つ明治二七二八戦役廣嶋大本営の碑を前に、日本と広島が歩んだ戦争の歴史を学んだ。明治二七二八戦とは日清戦争のこと。ここに大本営が置かれ、9月15日から翌4月27日まで明治天皇が滞在し帝国議会が開催された。東京ではなかなか決まらなかった戦費一億五千万円が一日で決まったという。
大本営跡にある石碑はなぜか塗りつぶされている。この碑文を解明した人がいるらしい。「史蹟名勝天然記念物保存法に依り 大正十五年十月内務大臣指定」の文字を占領軍が広島に入った時あわてて塗りつぶした。あった歴史を隠し、真実が伝えられないのは現在も同じ?
ここで面白い話を聞いた。広島市の水道の歴史だ。1899年1月に市水道として給水を開始している。広島市の水道は天皇の勅令により軍用の水道という形で敷設された。これはそれまで例がないことだったという。日清戦争が起こると多くの軍人が広島市に集まったことも大きな要因になった。疫病を防ぐにはきれいな水の確保が大切だったということであろうか。こんなところにも軍と歩んできた歴史がのぞく。
[中谷悦子]
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