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2017年9月 7日 (木)

法政大学山口ゼミ合宿(2) ――広島の魅力も味わって帰ってくれたことと思います――


法政大学山口ゼミ合宿(2)

――広島の魅力も味わって帰ってくれたことと思います――

 

法政大学の山口二郎教授ゼミの合宿が広島で開かれました。ゼミ生との意見交換から、彼ら/彼女たちの勉強振りが良く分り、明日の日本や世界への希望を新たにしました。

 

昨日に続いて、ゼミの皆さんの質問と私の回答のポイントを整理したものをお読みください。

 

               

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ゼミ生たち

 

 

 

Photo

山口教授を囲むゼミ生たち

 

 

 核兵器禁止条約ができることで世界の子どもたちの力を通して、核兵器廃絶に弾みが付くという考え方について、子どもたちに被爆体験や核兵器禁止条約をどう理解させれば良いのか、またどのように彼らの力を生かせば良いのか。

 

(ポイント) 子どもと言っても、就学前から高校生まで幅は広いが、私が小学生の時に原爆についての映画を観てショックを受けたように、子どもたちに伝わるメディアで原体験を伝える努力は大切だと思う。そして、子どもたちの力が一番生きるのは、家庭内だ。頑固な父親が子どものアピールで考えを変えた例は、例えばアメリカ社会ではかなり多い。

 

 高校時代、アメリカの高校で「原爆投下は正しかった」と聞いてショックを受けた時、同級生たちとは具体的にどんなやり取りをしたのか。

 

(ポイント) 具体的なやり取りは覚えていない。でも、40年以上たって、シカゴで講演した時にはその同級生たちが聞きに来てくれた。昔の問題提起が役立ったのかもしれない。

 

 原爆投下という文脈で考えると、当事者は日米で、その他の国々は当事国ではないにもかかわらず、核兵器の廃絶に賛同してくれていると考えられる。当事者ではない人たちは、どのような形で被爆体験や核廃絶のメッセージを受け止め、核廃絶に取り組んでいるのか。

 

(ポイント) 核兵器については、冷戦時代には、一旦核兵器が使われれば、その時点での破壊だけではなく、「核の冬」という形で全人類が消滅するという科学的予測が行われた。大規模の破壊に加えて、地球全体が放射性物質そして爆発による破砕物によって覆われ、太陽の光が地表に届かなくなって地球の温度が下がる。その結果、食べ物がなくなって人類は滅亡するというシナリオだ。小規模の核戦争でも、それに近い結果になることが最近では分っている。つまり、核兵器が使われれば、当事者でない人はいなくなる。また、世界の都市はほとんど戦争の被害を受けている。その結果、「Never again!」、つまりもう二度と、同じような体験はしたくない、と強く願っている。そのような、都市としての経験と重ね合わせることで、核兵器の廃絶への気持は自然に生まれてくる。

 

 平和市長会議に加盟している都市や市長もいろいろな考えを持っていると思うが、あなたに取っての平和とはどのようなことなのか。

 

(ポイント) 積極的な平和とか消極的な平和という抽象的な整理の仕方もあるが、自分の置かれている立場や環境で、例えば一日も早くこの難民キャンプから出て平和な暮らしをしたい、と思う人もいるし、平穏な生活を続けている人が子どもたちのために実現したいと思う平和もある。自分の生活、今の時間の中で感じる大切なことから始めて、世界や未来を考えて理想像を描くことが大切なのだと思う。一緒に原水禁運動をしていた女性通訳たちから聞いた言葉で忘れられないのが「世界の平和は家庭の平和から」だ。

 

 都市は軍隊を持たないという立場から、核廃絶や戦争のない世界実現に向けての努力は自然にできるという話だったと思う。対して国のレベルでは、どちらが正しかったか、つまり加害や被害の立場からの議論が中心にはなる傾向があるにしても、国としても当然、努力をしなくてはならないと思う。その中で、日本政府としては何をすることが一番大切なのか。

 

(ポイント) 簡単に言ってしまうと、憲法に則った政治を行うこと。「力の支配」ではなく「法の支配」を尊重するという立場で一番大切なのは憲法だ。特に日本国憲法では99条の憲法遵守義務にもっと注目して欲しい。

 

 原爆についても記憶の継承が問題になっているが、福島の記憶についても震災遺構をどうするのかの議論がある。あるいは戦災遺構を残して行くべきなのか、ではどのように、といった議論が行われている。広島の経験からはどのような教訓が汲めるのか。

 

(ポイント) 原爆ドームが残されたのも、「あの日を忘れたい」と考える人たち、残して欲しくないと思う人たちが、消極的にではあっても賛成してくれたからだ。しかし、ドームは残されたが、劣化して行く。地震対策も必要だ。どうするのかを検討した結論として、最小限の修復をしながら自然に任せる、という方針になった。しかし、考えて見ると広島市内の至る所で深く掘れば遺構の出てくるところはたくさんある。ボルゴグラードでは、第二次世界大戦中には150万人もが亡くなり、完全な廃墟と化したが、復興のために、市全体を数メートルの土で覆ってから作業が始まった。ベルギーのイーペル市は第一次世界大戦で廃墟と化したが、戦後の復興は、戦前の街を再現する形で行われている。それぞれの地域で記憶を残す手法は違っているが、地域毎にその特性を考え、市民の生活を元に未来への想像力を働かせた結果だ。

 

広島では、平和についての体験をし、考え議論するのに加えて、広島の魅力も楽しんで帰って貰えたのではないかと愚考しています。

 

 

 

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