バーバラ・レイノルズさんとフェニックス号 ――川底に沈んでいる船を引き上げる運動が始まりました――
バーバラ・レイノルズさんとフェニックス号
――川底に沈んでいる船を引き上げる運動が始まりました――
私たちの世代の人間にとって、「バーバラさん」、つまりバーバラ・レイノルズさんは神懸った存在でした。彼女の信仰心の篤さと平和への献身的な姿勢から、私たちが近寄り難いほどのオーラを感じ取っていたからだと思います。
今日、バーバラさんの娘であるジェシカ・レンショーさんからメールを頂きました。川底に沈んでいるヨット、フェニックス号を引き上げ、再び世界平和のための航海ができる形に復元するプロジェクトが始まっているのだそうです。フェニックス号はバーバラさんが家族とともに乗り込み世界を駆け巡って平和を訴えたヨットです。
「Phoenix of Hiroshima Project」 (ヒロシマのフェニックス号プロジェクト) と名付けられていますが、先ずは、ホームページのURLを御紹介しておきます。
https://phoenixofhiroshima.org/
フェニックス号プロジェクトのホームページから
ここまで書いてきて、若い世代の皆さんの中にはバーバラさんやフェニックス号についてあまり御存知でない方も多そうだと気付きました。バーバラさんの思いやフェニックス号の活躍を若い世代の皆さんに引き継いで貰うために、何回かに分けてバーバラさんや御家族の皆さん、そしてバーバラさんの撒いた種について、さらにその種がどのように成長しているのかについて説明したいと思います。
今回はまずバーバラさんの記念碑を取り上げます。平和公園の100メートル道路に近い、平和大橋寄りにある記念碑です。
広島市のホームページから
記念碑は2011年6月12日に除幕されました。建立の目的は「被爆後60年以上が経過し被爆体験の風化が懸念される中、「私の心はいつもヒロシマとともにある」という信念のもと、ヒロシマの世界化に尽力したバーバラ・レイノルズ氏の功績を顕彰するとともに、広島市民及び修学旅行生をはじめとする国内外の来広者に彼女の核廃絶への願いを継承することを目的とする」と記されています。建立したのは、バーバラさんが創設したワールド・フレンドシップ・センターです。
碑文は英文併記なのですが、ここでは日本語だけを掲げておきましょう。
私もまた被爆者です
私の心は いつも ヒバクシャ ヒロシマ とともにあります
バーバラ・レイノルズ (1915-1990)
広島市特別名誉市民
ワールド・フレンドシップ・センター創立者
1990年に亡くなられた時、まだ75歳という若さでした。でも彼女の生涯を振り返ると、その何倍もの時間を生き世界平和のために尽してくれていたような気がしてきます。それほど存在感のある人でした。
広島市の平和記念資料館の記述を借りて、バーバラさんの生涯を振り返っておきましょう。
アメリカの平和運動家。1951年(昭和26年)に当時、原爆傷害調査委員会(現、放射線影響研究所)研究員だった夫とともに広島を訪れ、原爆被害の悲惨さを知った。1958年に、太平洋エニウェトク環礁の立ち入り禁止海域にヨットで乗り入れ、米国の水爆実験に抗議した。1962年から「ヒロシマ平和巡礼」、1964年には「広島・長崎世界平和巡礼」を実施。被爆者や学者等と共に世界各国を平和行脚した。
1965年に、南観音に「ヒロシマの世界への窓口」として、“ワールド・フレンドシップ・センター”を創設。 日本及び世界各国で平和運動に尽力した功績により、 1975年10月15日に広島市の特別名誉市民に推挙された。
バーバラさんの活動や「広島のフェニックス号プロジェクト」について、これから何回かに分けて取り上げて行きます。お付き合い頂ければ幸いです。
[お願い]
文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« イギリスの解散・総選挙 ――どちらに転んでも損をしない選択肢かも知れません―― | トップページ | 「広島・長崎の記憶を伝える」-藤登弘郎・水彩画展 »
「ニュース」カテゴリの記事
- (喝!!) マスコミは何をしているのだ!! ――女性が3自治体議会の過半数というニュースは一面記事だろう―― (2023.05.03)
- 社民党の大椿裕子副党首が繰り上げ当選 ――社民党の参議院議員は福島党首と二人になります―― (2023.03.31)
- 広島市長選挙 ――唯一の争点は『はだしのゲン』の復活です―― (2023.03.27)
- 「記憶が不確かだから記録を残す」の意味を葬り去った自民党政治 ――それでも過去の記録を忠実に残す努力をし続けよう―― (2023.03.11)
- 『はだしのゲン』の何が問題なのか ――本当は松江市の先例と同じ理由?―― (2023.02.22)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 4年振りの敬老会に参加しました ――高齢化社会の現実についても考えさせられました―― (2023.09.18)
- コストコも完全に「広島化」しました ――そして多忙のため、ブログはしばらくお休みします―― (2023.07.28)
- 被災地に人を送り込むな ――5年前の教訓は生きているのでしょうか?―― (2023.07.18)
- 我が家から30分のところに、こんなにきれいな滝がありました ――できれば動画をアップしたいです―― (2023.06.06)
- 老人クラブ総会でした ――カラオケは禁止でした―― (2023.04.25)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か ――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから―― (2023.09.24)
- 今、広島で起きていること (2) ――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市―― (2023.09.23)
- 今、広島で起きていること ――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない―― (2023.09.22)
- 岸田外交の本質 ――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?―― (2023.09.20)
- 4年振りの敬老会に参加しました ――高齢化社会の現実についても考えさせられました―― (2023.09.18)
「平和」カテゴリの記事
- 原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か ――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから―― (2023.09.24)
- 今、広島で起きていること (2) ――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市―― (2023.09.23)
- 今、広島で起きていること ――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない―― (2023.09.22)
- 岸田外交の本質 ――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?―― (2023.09.20)
- 「即時行動」への共感 ――大阪から新たな動きが生まれそうです―― (2023.09.16)
「歴史」カテゴリの記事
- 原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か ――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから―― (2023.09.24)
- 今、広島で起きていること (2) ――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市―― (2023.09.23)
- 防衛省を防災省に ――自然災害を黙殺する政治をひっくり返そう―― (2023.07.17)
- 総理大臣としての加藤友三郎 ――戦争回避の「預言者」でもあった―― (2023.07.14)
- 加藤友三郎シンポジウム ――中国新聞が取り上げてれました―― (2023.07.13)
« イギリスの解散・総選挙 ――どちらに転んでも損をしない選択肢かも知れません―― | トップページ | 「広島・長崎の記憶を伝える」-藤登弘郎・水彩画展 »
コメント