詭弁の技法・その3 ――戦争そのものに言及しない・言及すれば美化する――
――戦争そのものに言及しない・言及すれば美化する――
「戦後70年総理大臣談話」 (以下「談話」と略す) が、詭弁の典型であることを検証する第三弾です。「戦後70年」という触れ込みですので、この「談話」は当然、大東亜戦争、あるいは太平洋戦争、15年戦争、日中戦争等、様々な言い方がありますが、1945年8月15日に終わった戦争をテーマにしています。でも、「談話」の中では、その戦争についての直接の言及を避けているのです。
「戦後70年総理大臣談話」を読みながら出ないと、その批判をしっかりとは御理解頂けないかもしれませんので、遅ればせながら、全文を次のページにアップしました。
さて、この「談話」を注意深く読んで下さい。その中に現れる戦争についての固有名詞は二つしかありません。日露戦争と第一次世界大戦です。戦後70年の「戦」はそのどちらでもありません。「先の大戦」になってしまっています。これは固有名詞ではありません。何故固有名詞を使わないのでしょうか。もちろん固有名詞はあります。「満州事変」にも言及していますが、そもそも「事変」という表現で戦争と一線を画しているとも考えられますので、これは疑問符付きです。
例えば、「先の大戦」の代りの固有名詞としては、第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争、15年戦争、日中戦争等の呼び方があります。そのどれを取るのかは別として、一つのお手本としては、2015年の年頭の天皇挨拶の言葉があります。「満州事変に始まるこの戦争」です。
固有名詞を使うことで一つはっきりするのは、誰が始めた戦争なのかという点です。満州事変と特定することで、1931年の柳条湖事件に端を発した戦争であることが分ります。それが、関東軍の軍事行動だったという事実も当然、頭に浮かびます。対アメリカ戦である太平洋戦争では真珠湾攻撃が重要です。「宣戦布告なし」の攻撃である「真珠湾攻撃」を日本が仕掛けたことを、未だに多くのアメリカ人は重大視しているからです。
しかし、「先の大戦」ではこうした事実は霞に包まれてしまって頭に浮かびません。それが「談話」の目的なのかもしれません。
固有名詞として扱われていない「先の大戦」が、現れる「枠組み」、「文脈」も問題です。「談話」の最初は20世紀の初めころからの歴史のお浚いになっているのですが、その内容にもあまり客観性がありませんし、日本との関係で苦しんだ人たちがいたことも無視しています。
おおよそ1900年代の初めから2050年くらいまでの150年間ですが、その時間枠の中で取り上げられている戦争は、日露戦争、第一次世界大戦、(満州事変)、そして先の大戦です。
最初の疑問は、なぜ日清戦争が取り上げられていないのかという点です。これは、何故日露戦争を取り上げたのかとも関連しています。「談話中」の日露戦争の総括は、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と大甘の評価ですが、対称的に日清戦争後は、日本の勝利を褒めてくれるどころか、三国干渉のように、日本のやり方に対する批判が強かったからでしょうか。
しかし、日露戦争についての評価も、大きな問題を含んでいます。「植民地支配のもとにあった」「アジアやアフリカの人々」の中には、当然、すぐお隣の朝鮮半島に住む人々も入っていなくてはなりません。日露戦争後5年で日本に「併合」されてしまったことと全く関係がないような書き振りですが、「全ての真実」を示していないだけではなく、その点に全く触れないことで、日本の立場について詳しく知らない若い世代の人たちを正反対の方向に誘導しようとしている、と言われても仕方がないくらいの大きな省略です。
日露戦争の美化に大きな力のあったものの一つに司馬遼太郎作の『坂の上の雲』があります。この「談話」がその影響下にあると捉えると、日露戦争についての総括が大甘である理由も分ります。『坂の上の雲』ならびに日清・日露戦争についての歴史的検証は高井弘之著の『誤謬だらけの『坂の上の雲』』(合同出版)が分り易く説明してくれていますので、一読をお勧めしますが、その結論を簡単に述べておくと、1894年から1910年までの間、日清・日露戦争も含めて「日本の朝鮮植民地化戦争」・「朝鮮による反植民地化戦争」の時代として捉えるべきだということです。
最大の問題点は、その後です。第一次世界大戦後の世界を概観する記述が続くのですが、天皇の新年挨拶を尺度にすると、「先の大戦」は「満州事変」から始まっていると考えられます。その部分を「談話」では次のように扱っています。
「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。」
この部分は注意深く読んで下さい。まず、「戦争への道」は戦争そのものを指してはいないのです。戦争への道を進んで、次は戦争をしました、というべきところだと思いますが、それはなし。そして一行開けて、次の70年前の敗戦、という続き方です。戦争そのものについて最低限一言あって良い個所であるにもかかわらず、全く言及がありません。「行間を読め」では済まされない省略の仕方です。つまり「全ての真実」とは程遠い書き方なのです。
ではいつから戦争が始まったのでしょうか。いやいつから日本は戦争を始めたのでしょうか。満州事変は視野に入っているのですから、1931年からと考えても良いでしょう。そして戦争そのものではないのですが、それに関連していた満州国の「建国」も大きな出来事でした。さらに、かつてよく使われた名称を借りれば、1937年からの「大東亜戦争」そして1941年からの「太平洋戦争」を避ける訳には行きませんから、1937年あるいは1941年と考えることもできます。名称はともかく、1945年までの15年間に何があったのかという事実から出発しないと、戦争を総括することは不可能です。
この「空白の一行」こそ、「語るに落ちた」形で、「談話」の基本姿勢を明らかにしています。すなわち、自分たちに都合の悪いことは口を濁して語らないという姿勢です。
さらに、{「新しい国際秩序」への「挑戦者」}という表現も問題です。次回はこの点を取り上げたいと思っているのですが、躊躇もしています。それは、このように問題点の多い「談話」を詳しく読んでいくことは勿論大切なのですが、やはり疲れますし、怒りのやり場もなかなか見付からないかもしれません。しばらくは他に目を転じるのも良いかも知れないとも思えるからです。
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