詭弁の技法・その2 ――戦争責任をどう誤魔化すか――
――戦争責任をどう誤魔化すか――
「戦後70年総理大臣談話」 (以下「談話」と略す) が、詭弁の典型であることを検証しています。第二回目は、「戦争責任」について、「全ての真実」を述べないことでどう誤魔化しているのかの具体例です。
「談話」の中の次の一節を取り上げます。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
後段の「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」は、国籍に関係なくすべての人間が持つ責任だと言って良いでしょう。このように普遍的に正しい命題を改めて持ち出す目的として、前段との関連が重要になってきますので、前段では何を言っているのかを丁寧に読み解いてみましょう。
ここで使われている「あの戦争には何ら関わりのない」は、時間的経過として、戦後70年経ち、今の若い世代やこれから続く世代の人たちは、時間的にあの戦争には全く関わりのない存在だ、という意味だと取るのが自然です。だとすれば、それは正しい記述です。
しかし、この「談話」で問題にしているのは戦争についての直接体験があるかどうかではなく、「戦争責任」です。となると、「あの戦争には何ら関わり」があるかないかを問うのではなく、ここで問題にすべきなのは「あの戦争の責任」が誰にあるのかです。そうであれば、責任の主体として「子や孫」に言及する以前に、戦争を起こした当時の日本政府や軍隊を視野に入れなくてはなりません。それは、「責任」を問う上では因果関係がなくてはならないからです。原因を作る立場になかった「子や孫」の責任を持ち出してくるのは、お門違いですし、何らかの意図があると考えなくてはなりません。さらに、仮に未来の時点での戦争責任の取り方について言及したいなら、未来の日本政府が謝り続けるのかどうかが問題になるはずです。
そして未来の日本政府を考える上で、現在の日本政府は「関係ない」どころか、大いに関係があるのです。二つの理由を挙げておきましょう。
一つは、「行政の継続性」です。新しいことをしたくない、あるいは改革に抵抗する際に官僚が好んで使う言葉です。例えば、2015年10月13日に、沖縄県の翁長雄志知事が、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設で、公有水面埋立法に基づく辺野古の埋め立て承認に瑕疵(欠陥)があったとして承認を取り消す手続きを行ったことに対して、菅官房長官は記者会見で「行政の継続性からこのようなことは認められない」という趣旨の発言をしています。
しかし、「行政の継続性」は両刃の剣でもあります。つまり、1945年8月15日に存在した日本国政府と、それから70年経った2015年の日本国政府とは、同じ主体であると考えるべきだということです。その意味では「謝罪し続ける宿命」を背負わされているのは日本国政府です。しかし、「談話」中、日本国政府の謝罪責任についての言葉はありません。責任の主体を「子や孫」に摩り替えてしまっているからです。そして「子や孫」が出てくると私たちの目は曇りがちになります。
もう一つの理由は、それとほぼ同じ内容なのですが、国連における日本国という国家の位置付けです。日本国は依然として、国連憲章第53条と第107条に規定されている「敵国条項」による「敵国」なのです。対照的にイタリアとドイツは最早「敵国」とは見做されていません。イタリアは、降伏後ドイツと日本に宣戦布告したからですし、ドイツは近隣諸国への真摯な謝罪と外交努力によって「敵国」とは見做されなくなりました。しかし日本は依然として「敵国」のままなのです。
この状態を解消するための一番論理的かつ分り易い、しかもドイツが試験済みの解決手段は、「戦争責任を持つ」国家としての日本が、真摯な謝罪を行い、それが近隣諸国をはじめ全世界に受け入れられることです。その結果として「敵国条項」が外されることになるというシナリオが自然の流れです。
近隣諸国から日本政府の真摯な謝罪が受け入れられれば、その結果、この「談話」に述べられている願望は、近隣諸国からの「もう謝罪は必要ないよ」という言葉によって実現されるのです。つまり、日本政府に対して「まだ十分な謝罪をしていない」というクレームはなくなります。国家を構成する国民という位置付けの「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたち」が「謝罪を続ける」必要もありません。それを実現するのに最低限必要な要件は「政府の責任」を認めることなのですが、それがすっぽり抜け落ちているところが重要です。
過去そして現在の政府の言動とは全く関係のない文脈を作り上げて、国際社会から戦争責任そのものを背負わされているのが、未来の「子どもたち」であるかのように表現すること自体、無責任極まりないのですが、国家と国民という図式で考えると、国家、あるいは政府自体が、臆面もなく無責任振りを曝け出してきた記録もきちんと残っています。それは再度、取り上げます。
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