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2016年12月29日 (木)

豊臣家滅亡から得る教訓

豊臣家滅亡から得る教訓

 

NHKの大河ドラマ『真田丸』が終りましたが、池波正太郎ファンとして、この機会に『真田太平記』を読み直しました。(実は1986年にこの本を元にしたNHKの連続ドラマ『真田太平記』がありました。)

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再読して強く感じたことが、この稿のタイトルなのですが、長い間、秀吉ファンを自任していたにもかかわらず、こんなに大切な点を軽んじていたのかと考えると忸怩たる思いです。跡継ぎの問題、家臣たちの間にある不満を十分に理解できなかったこと等を秀吉の老化現象の結果だと見ることも可能ですが、あえて厳しく、自分の行動の結果が自分にどう跳ね返ってきたのか、という視点から朝鮮出兵と豊臣家の滅亡を考えてみたいと思います。

 

豊臣家が滅亡したのは、家康の奸智によるとか、三成の器量が小さかったとかいうレベルの「月旦」的な説明が多くありますが、1592年と1597年の朝鮮出兵 (文禄の役・慶長の役)からどんな教訓を汲めるのか、という問と一緒に考えると答は明らかだからです。

 

国内統一は一応できた、と秀吉が考えたからこそ、それまで温めていた唐・天竺までも征服するという目標達成のための第一歩として朝鮮侵略を始めたのでしょうが、国内はまだ不安定でした。特に、類書が揃って指摘しているように、家康や彼に同調する一大勢力の権力奪取への思いを秀吉が過小評価していた点がカギになるのかもしれません。朝鮮に戦争を仕掛けることには反対する人々もかなりいたのは事実ですが、そのような冷静な判断を強引に押し切って戦争を開始したことを、秀吉は自分の力の大きさを確認したと考えていたような節さえあります。

 

この戦争でも加藤清正の虎退治のようなストーリーが流布され、侵略戦争であった側面はあまり強調されてこなかったような気がしますが、この稿で問題にしたいのは、動機は何であれ、秀吉が始めた戦争が秀吉自身にそして豊臣家にとって何をもたらしたのかという点です。

 

戦争史として詳しく何が起こったのかを知ることも大切なのですが、大きくまとめて次に進みましょう。戦争は長引き、朝鮮の被害と犠牲が大きかったことはもちろんですが、朝鮮の支援をした明も大きな被害を受けました。この点の重要性を改めて強調するまでもないと思いますが、戦争を前提として考える為政者たちにとっては、この視点から「だから海外派兵は止めましょう」と説得しても、「あのときは駄目だったけれど、次は勝つから」という言い訳を自分自身でしてしまう結果、全く耳に入らない可能性が大きくなります。

 

その代りにここで強調したいのは戦争を仕掛けた豊臣家が、この戦争の結果、滅亡したという事実です。結局は勝てなかった戦争に膨大な資金と人員を注ぎ込み、協力した大名たちには何の恩賞もなく、それぞれ疲弊し、中には離反する場合もあるという結果になりました。半面、勢力を温存し、打倒豊臣の結束力を強めていた徳川方にとっては大きな梃入れになり、関ヶ原、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣家は滅亡する破目になったのです。

 

こんな結果になった理由の一つは、元寇からの教訓を生かせなかったからです。秀吉も、鎌倉時代の日本が強かったから元・高麗の連合軍に勝てた、という総括だけは教訓として覚えていても、当時の元の軍事力をもってしても日本軍との戦いに生かせなかったのは、それが海外侵略・海外派兵だったから、というもう一つの教訓には思い至らなかったのでしょう。兵站を考えるだけでも困難さは想像できるはずなのですが。

 

そして秀吉の残した教訓「海外派兵は滅亡に至る」が理解できないために、日中戦争そして日米戦争を始め、その結果、1945年の敗戦に至ったのがその後の歴史ですが、これも、「海外派兵は滅亡に至る」という大原則を証明している歴史的事実です。

 

このような歴史があるにもかかわらず、安倍政権はその教訓を理解できないまま、解釈改憲から、戦争法、武器禁輸原則の破棄等、戦争と海外派兵への道を歩んでいます。その方針を貫くために、「盟友」アメリカの提出した安保理決議案にさえ棄権するほど前が見えなくなっています。その結果が「滅亡に至る」ことは明らかなのですが、今ならまだ、私たちの力で軌道修正のできる可能性は残っています。

 

歴史の教訓をきちんと汲み取って未来に生かすために、まずは『真田太平記』を読んで豊臣家滅亡の経緯を知ることから始めるのも一つの選択肢だと思います。

 

 

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