500人が参加し原爆ドーム世界遺産登録20周年記念行事を開催
500人が参加し原爆ドーム世界遺産登録20周年記念行事を開催
昨日紹介した「原爆ドーム世界遺産登録20周年記念行事」は、500名が参加し開催されました。午後3時から始まった「記念フォーラム」は、実行委員長の久光博智連合広島会長が、国連での「核兵器禁止条約」の採決で日本政府が、反対したことに触れながら「危機的な状況の中で、広島に生きる私たちの責任は重い。原爆ドーム世界遺産化実現に努力した私たちが、きちんと原爆ドームからのメッセージを次世代につなぐ責任がある」と開会のあいさつを行いスタートしました。続いて中下副知事、松井広島市長、そして連合の山根木組織局長が来賓としてのそれぞれの立場から「原爆ドーム」への思いを込めた挨拶がありました。
続いて記念講演に移り、原田浩元原爆資料館館長は「20年まえ広島市の事務方の責任者をしていた」ことに触れながら、「署名活動の実行団体の一つ一つが大きな力を発揮したことで、行政だけでは、出来なかったことを実現させることができた」と市民の力が実現の大きな力になったことを紹介し、さらに「原爆ドームは、写真で紹介される原子雲の下で何が起こったかという重要なことを今に示している」とその役割の大きさを改めて強調されました。ちょうど同じ年に出された「ICJ(国際司法裁判所)の原爆投下に対する勧告的意見」を紹介しながら、「『核兵器をなくすこと。原爆の惨禍を伝えたい』との思いが、わずか5カ月間に165万人の署名となった」と当時の市民の思いに触れ「これから原爆ドームと共にヒロシマの継承や被爆者の思いを伝えることが非常に重要だ」と強調された。最後に「市民とともに平和事業、行政が推進されなければならない」と署名運動から学ぶべき課題を訴えられた。
その後、6人の若い人たちからのアピールが行われました。今年の夏ジュネーブの国連欧州本部を訪れた高校生平和大使の3人は、現地での活動を報告しながら「立場や主張を明確にすること」の大切さを学んだことと「私たちには大きな力はないが、私たちの声をみんなしっかりと受け止めてくれた」「あきらめずに活動を続けたい」と決意を述べました。原爆ドームの横でガイドを続けている村上正晃さん(23歳)は、「ガイドを始めるまでは原爆ドームをただシンボルだとしか思えなかったが、今はとても大事なものになっている」、そして被爆者の話を聞きながら「広島はまだ終わっていない」ことを実感している。ガイドをしながら「ポケモン探しに来た人たちなどをみると広島の人こそ原爆を知らないのではないか?と思う。どんな年月が経ってもここで起きたことは変わらない。そのことを原爆ドームは語っている」と自らの体験の中から学んだことを報告してくれました。続いて長崎からの若者のアピールが続きました。
「記念フォーラム」の最後は、「原爆の子の像」のモデルとなった 佐々木禎子の甥で被爆二世のシンガーソングライター佐々木祐滋さんトークライブがありました。佐々木さんは、禎子さんの生涯を紹介し、禎子さんがおったオリヅルをアメリカの人々に届ける活動を通じて「平和」を訴えていることを語りながら、禎子の思いを綴った楽曲「INORI」などを披露しました。
「記念フォーラム」終了後、会場を原爆ドームに移し「平和アピール行動」を行いました。代表による献花、献水を行い、「核兵器廃絶と世界恒久平和実現のため、無言で訴え続ける『原爆ドーム』と共に連帯の輪を広げて行動することを誓う」平和ピールを採択し、最後に片山孝恵さんのリード歌唱によって「翼をください」を全員で合唱し、午後7時に全ての行事を終了しました。
私も副実行委員長の席に座りながら、署名活動がスタートした1993年当時、実行団体の一つ広島県原水禁の事務局次長として参加し、正直なところ私自身は「本当に署名で政治の壁を破ることができるだろうか」と思いつつスタートした活動でしたが、多くの人たちの努力により驚くほどの勢いで広がり、ついに市民の力で「政治」を動かすことができたことを改めて振り返り、広島が果たすべき役割の重さと市民の力を痛感し、決意を新たにしました。
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