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2016年10月25日 (火)

総理大臣も宣誓を――続きです

総理大臣も宣誓を――続きです

 

宣誓することの意味は、この下に貼り付けた『数学教室』、20124月号の「宣誓」の最後にありますのでお読み頂くとして、総理大臣の任期の方は、再度取り上げたいと思います。

 

 

 
 

 

 

『数学教室』、20124月号の「宣誓」から後半部分

 

 

集合論的な立場がもっとはっきり表れているのが、法廷における宣誓です。昔懐かしいアメリカのテレビドラマ『Perry Mason』でも、最近の人気番組『Boston Legal』でも、法廷でのやり取りがドラマの山になっています。法廷には、裁判官がいて、被告、弁護士、検事、そして証人が欠かせません。その他にも速記者や廷吏等も必要ですし、ドラマの中では傍聴人やマスコミ等も大切なプレーヤーです。

 

証人が法廷で証言をするに当って、これまた、必ず宣誓をすることになっています。その宣誓の言葉ですが、アメリカの法廷の標準的な言葉は次のようなものです。先ず、廷吏が証人に聞くのですが、

 

Do you solemnly swear to tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth?

 

直訳すると、「あなたは、真実、すべての真実を述べ、そして真実以外は何も述べない、と厳粛に誓いますか」ですが、「solemnly」のところは、「良心に従って」くらいに意訳したいところです。証人は「I do.」と答えます。

            

Photo

                 

 つまり、証言の内容を真実か否かという篩にかけた時、その結果が、真実という集合でなくてはならないと言っているのですが、大切なのはその次です。真実と言っても、真部分集合も「真実」の一部ですから、その一部だけを述べれば一応「真実を述べた」ことにはなるのですが、真部分集合だけでは駄目ですよ、余すところのない全ての真実を述べることが必要なのですよ、と念を押しているのです。

 

とは言え、思い余って真実以外のことまで喋ってはいけないのですよ、という意味で、今度は真実とそれ以外の属性を持った「宇宙」に目を向けて、真実の補集合について言及してはいけない、と釘を刺しています。集合論的には水を漏らさぬ規定です。

 

さて、日本の法廷ではどうなるのでしょうか。標準的な宣誓と、国会での証人喚問の際の宣誓を見てみましょう。

 

「良心に従って真実を述べ,何事も隠さず,偽りを述べない旨を誓います。」(裁判所)

 

「宣誓書 良心に従って真実を述べ何事も隠さず、また、何事も付け加えないことを誓います (日付・氏名)」と宣誓書を朗読(宣誓)し、宣誓書に署名・捺印しなければならない。(国会)

 

日本語としてはこの方が分り易いので、これでも良いと思いますが、英語版と比べて客観性が薄くなっているように思えます。英語では、集合全体でなくてはならない、真部分集合だけでは駄目、それから真実という集合の外も駄目という形で、集合についての記述になっています。ところが、日本語版は証人の言動についての規定になっています。「隠す」「付け加える」「偽りを述べる」は証人の意図的な行動です。

 

極端なことを言えば、「隠す」気持がなければ全ての真実を述べなくても良いことになり兼ねません。そして、「真実」かどうかの判定、あるいは定義と言った方が良いのかもしれませんが、それに、一人一人の人間の行動や意図が関わってくるとなると、真実の客観性が薄れてしまうのではないでしょうか。集合論的な表現の方がよりふさわしいと思うのは、私が数学を勉強したからなのかもしれませんが――。

 

それ以上に彼我の差で気になるのは、我が国の総理大臣が就任に際して宣誓をしないことです。総理として、固い決意をしているのか、あるいは覚悟を決めているのかが私たちには伝わってきません。アメリカが大統領制で日本は国会で総理大臣が選ばれる、という違いはあります。しかし、その仕事の重さは同じだと考えても良いのであれば、総理大臣が就任する際に、天皇から親任式において任命されるという形も大切ですが、加えて、国民に対してもはっきり伝わる言葉で宣誓を行うべきなのではないでしょうか。

 

宣誓をするだけでは、憲法に忠実に職務を行うべき総理大臣が本当にしっかりとした仕事をするための即効薬にはならないかもしれませんが、一年毎に新しい総理大臣が生まれる異常さを防止する一助くらいにはなるかもしれません。総理大臣としての仕事の重みを実感して貰うための仕組として、短くしかし総理大臣の決意と責任を示す宣誓を行うよう検討しても良いと思うのですが、如何でしょうか。

 

 

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コメント

記事に書かれている通り、日本人にとっては「すべての真実を述べる」ということが何より重要に感じます。

アメリカで仕事をしていた時、どうして日本人と中国人と韓国人は、こんなにアンフェアで嘘吐きなのだろう、と思ったことがあります。それは一時期の特定の地域の特定の業界でのことですから一般化するには無理がありますが、かなり明確な印象でした。

その三カ国とも仕事の内容以外のことが余りに仕事に影響するということがありましたし、特に日本人の場合「嘘をつくわけではないが肝心なことを話さない」ことが嘘をつくことと同じとは思わず、不誠実ともアンフェアとも思っていないように感じることが多かったものです。

情報を改ざんしたり隠蔽しなくとも、積極的に必要な情報を開示しないというだけでも十分に罪であるという認識を、特に政治家や行政には持って欲しいと思います。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。御経験を元にした興味ある御指摘ですが、アジア特有の風土といったものがあるのでしょうか。

「真実」が、円の中として代表されていると考えて、自分では嘘を吐いているという明確な認識がないとすると、何かをでっち上げて嘘を吐くような場合は、嘘と真実の境界線が、元の円の外側まで広がってしまっていることになるでしょうし、真実を隠してしまう場合は、真実の境界線が内側に凹んでしまっている状態ですね。図を描ければ簡単なのですが、こんな説明で理解して頂けますでしょうか。

そのどちらの場合も、本人の認識は「全ての真実を話している」になるのでしょうから、改めて、「真実」の定義をきちんと定式化しておくことの大切さが浮き彫りにされているように思います。

工場長さんの言われること良く分かります。
私も長くヨーロッパで生活しましたが、アジア人というより日中韓の三カ国に対して嘘をつく、事実を隠す、真実を言わない、と思っていました。それは詐欺的に相手を騙すというより、身内を庇う、組織を守ることに大義があり、真実を明らかにすることは仲間を裏切ることであり、その方が罪深いという道徳観にもとづいているように感じました。
社会正義より身内を守ることの方が正義だという社会であるということです。欧米のように個人主義ではない裏返しとも言えますが、政治家や公務員は国民こそが主人であり守るべき対象だということを肝に銘じて欲しいものです。

「前期高齢者」様

コメント有難う御座いました。海外での経験では「工場長」さんや「前期高齢者」さんのような認識はありませんでした。論理的に物事を捉え考える人たちに囲まれていたからなのでしょうか。とは言っても、最近は記憶力に自信がなくなっているので、丁寧に昔のことを思い出してみようと思っています。

「身内」が可愛い、真実より「仲間」、という価値観に圧倒されたのは、政治の世界に迷い込んでからでした。口で言うことと本音が違い、その本音の汚い部分での考え方に染まらないと「仲間」にはして貰えない世界があるという発見はショッキングでした。

これって、核保有国や原子力ムラの価値観に通じていますよね。

30年余り商社で半分以上海外勤務でしたが私のイメージでは中国人は騙される方が悪い=騙すのも能力(実力)のうち、韓国人は身内の利益に勝るものはない=裏切りは何よりも悪、日本人はバレなければ良い=聞かない方が悪い、という人や企業が多かったように思います。
それと賄賂が横行しているのはアジア全体で日本はマシな方ですが西欧人からみると五十歩百歩、どんぐりの背比べとも思いました。

「定年間近」様

コメント有難う御座いました。「工場長」「前期高齢者」「定年間近」のお三方とも、現実社会での厳しくも貴重な経験からのコメント有難う御座います。そして皆さんそれぞれに、そんな環境に揉まれながら、御自分の依って立つ価値観や世界観をしっかり守って来られたように、文面から受け止めました。敬服します。

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コメント

記事に書かれている通り、日本人にとっては「すべての真実を述べる」ということが何より重要に感じます。

アメリカで仕事をしていた時、どうして日本人と中国人と韓国人は、こんなにアンフェアで嘘吐きなのだろう、と思ったことがあります。それは一時期の特定の地域の特定の業界でのことですから一般化するには無理がありますが、かなり明確な印象でした。

その三カ国とも仕事の内容以外のことが余りに仕事に影響するということがありましたし、特に日本人の場合「嘘をつくわけではないが肝心なことを話さない」ことが嘘をつくことと同じとは思わず、不誠実ともアンフェアとも思っていないように感じることが多かったものです。

情報を改ざんしたり隠蔽しなくとも、積極的に必要な情報を開示しないというだけでも十分に罪であるという認識を、特に政治家や行政には持って欲しいと思います。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。御経験を元にした興味ある御指摘ですが、アジア特有の風土といったものがあるのでしょうか。

「真実」が、円の中として代表されていると考えて、自分では嘘を吐いているという明確な認識がないとすると、何かをでっち上げて嘘を吐くような場合は、嘘と真実の境界線が、元の円の外側まで広がってしまっていることになるでしょうし、真実を隠してしまう場合は、真実の境界線が内側に凹んでしまっている状態ですね。図を描ければ簡単なのですが、こんな説明で理解して頂けますでしょうか。

そのどちらの場合も、本人の認識は「全ての真実を話している」になるのでしょうから、改めて、「真実」の定義をきちんと定式化しておくことの大切さが浮き彫りにされているように思います。

工場長さんの言われること良く分かります。
私も長くヨーロッパで生活しましたが、アジア人というより日中韓の三カ国に対して嘘をつく、事実を隠す、真実を言わない、と思っていました。それは詐欺的に相手を騙すというより、身内を庇う、組織を守ることに大義があり、真実を明らかにすることは仲間を裏切ることであり、その方が罪深いという道徳観にもとづいているように感じました。
社会正義より身内を守ることの方が正義だという社会であるということです。欧米のように個人主義ではない裏返しとも言えますが、政治家や公務員は国民こそが主人であり守るべき対象だということを肝に銘じて欲しいものです。

「前期高齢者」様

コメント有難う御座いました。海外での経験では「工場長」さんや「前期高齢者」さんのような認識はありませんでした。論理的に物事を捉え考える人たちに囲まれていたからなのでしょうか。とは言っても、最近は記憶力に自信がなくなっているので、丁寧に昔のことを思い出してみようと思っています。

「身内」が可愛い、真実より「仲間」、という価値観に圧倒されたのは、政治の世界に迷い込んでからでした。口で言うことと本音が違い、その本音の汚い部分での考え方に染まらないと「仲間」にはして貰えない世界があるという発見はショッキングでした。

これって、核保有国や原子力ムラの価値観に通じていますよね。

30年余り商社で半分以上海外勤務でしたが私のイメージでは中国人は騙される方が悪い=騙すのも能力(実力)のうち、韓国人は身内の利益に勝るものはない=裏切りは何よりも悪、日本人はバレなければ良い=聞かない方が悪い、という人や企業が多かったように思います。
それと賄賂が横行しているのはアジア全体で日本はマシな方ですが西欧人からみると五十歩百歩、どんぐりの背比べとも思いました。

「定年間近」様

コメント有難う御座いました。「工場長」「前期高齢者」「定年間近」のお三方とも、現実社会での厳しくも貴重な経験からのコメント有難う御座います。そして皆さんそれぞれに、そんな環境に揉まれながら、御自分の依って立つ価値観や世界観をしっかり守って来られたように、文面から受け止めました。敬服します。

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