ボブ・ディランにノーベル文学賞
意外な選択ですが、ボブ・ディランの歌とは切っても切れない世代の一人として、とても嬉しく思っています。彼のアルバムも買いましたし、出演する場面もテレビ等で何度も見てきました。歌もギターも好きですが、私にとって一番記憶に残っているのはハーモニカです。その中で敢えて曲名を書くのも躊躇しますが、「風に吹かれて」については、ピーター・ポール&メアリーの演奏がその当時のいろいろな出来事とともに蘇ってきます。
かなり矛盾してはいるのですが、同時に、ボブ・ディランだったらノーベル賞を無視するか、受賞を拒否するかもしれない、それも大切なことなのだという気持も否定できません。でも、この賞が今持つ政治的な意味を考えると、受賞した上で、パンチのあるメッセージを出して貰えないのだろうかとも思います。
この賞の政治的な意味と言っても、ノーベル賞の選考委員たちは純粋に「詩人」としてのボブ・ディランを評価したと述べていますので、その結果としての政治的な意味を考えたいのです。
ボブ・ディランはアメリカ人ですので、当然、私たちの目はボブ・ディランを通してアメリカに向けられます。そして「風に吹かれて」に代表されるように、アメリカの社会や政治の問題を真剣に考え、詩として音楽として表現し、アメリカの市民たち、さらには世界中の私たちの声になってくれました。それは、私たちが漠然とは感じているけれども「言語化」するまでには至っていない内なる声を呼び起こしてくれた、とも表現できますし、真実を心に響く形で伝えてくれた、と言っても良いのかもしれません。リンカーンの使った表現を、いつものように持ち出せば、それは「the
better angels of our nature」、私たちの内にある最善のもの、を引き出してくれたことになるのです。
政治家も含めて、「リーダー」としての役割を果す人たちにも、様々な手段によって同じことをして欲しいのですが、その手段として一番普通に使われるのが言葉です。特に政治家の場合は言葉が全てだと言っても良いくらい重要です。もちろん、言葉に責任を持たなくてはなりませんから、知行合一や有言実行といった面の重要性を軽んじる訳ではないのですが、ここではまず言葉に焦点を合わせます。
そして舞台はアメリカです。そのアメリカを一人の人物で代表させると誰なのかと問われて、大統領と答える人が圧倒的多数でも不思議ではありません。そして多くのアメリカ人にとって大統領は「アメリカ」という価値を象徴する、「絶対的」とも言える存在ですらあります。そのアメリカの市民たちに本来の意味でリーダーとして語り掛けた大統領としては、例えば、フランクリン・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディー、ロナルド・レーガン、そして現在のバラック・オバマ大統領などがすぐ頭に浮かびます。
対して現在進行中のアメリカ大統領選挙の有様を見ると、アメリカ市民ではない私たちから見てもあまりにも汚く情けない罵り合いが続いています。当然、アメリカ国内でも心ある人々は、こんな状態を心から憂えていますし、これを変えるための何か良い方法はないものかと考えあぐねています。
あまり期待はできないにしろ、もし、ボブ・ディランのノーベル賞受賞が、トランプ、クリントン両候補に自らを省みる余裕を与えることができたとしたら―――。極限的におぞましい言葉で相手の非を論い(あげつらい)、誹謗中傷も嘘も何でもありの選挙戦が少しは変わるのではないか、そんな超希望的観測さえしたくなりました。
国民投票の意味を考えるために、アメリカの大統領選挙を取り上げる予定でしたが、今回は、その背景を考える結果になりました。「国民投票としてのアメリカ大統領選挙の意味」に続きます。
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テレビ番組のプレバトで俳句のコーナーがあります。
そらを見ていて、俳句は575が主だと思っていましたが、そうでなく、季語があり、景色や音や匂いや感情などをいかに短くまとめるかが重要なんだと思いました。14文字をどう使うか。
歌詞が文書を短くまとめたものするなら、俳句は歌詞を短くしたものかもしれません。
こう考えたなら、文字数にあまりこだわらない世界に通じる俳句もあるのではと思います。
若い人には英語を普通に話せる人も増えてます。そこに俳句の知識が加われば、そう遠い事ではないように感じます。
「やんじ」様
コメント有難う御座いました。俳句でも奔放な作風が評価されている山頭火がいますし、短歌では俵万智も現れました。「詩」としての意味も変ることは自然だと思いますが、短い詩の翻訳にはかなりの問題があります。コメントでは説明し尽せませんので、稿を改めて説明したいと思います。
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コメント
私は、ボブディランに憧れ、真似を始めた吉田拓郎世代ですので、
大師匠って感じですが、速報は嬉しかったです。
歌詞も立派な文学だとなった事に、ビックリしましたが嬉しくもありました。
加藤登紀子さんのコメントに、その訳があるように思いました。
今、俳句がブームになってます。愛媛県では俳句甲子園も開催されています。
いつの日か、歴史に残るような俳人が現れ、ノーベル文学賞を受賞できたらなと思いました。
「⑦パパ」様
コメント有難う御座いました。
吉田拓郎も森進一に「襟裳岬」を提供するなど音楽の分野を超えての活躍をしたようですが、それはボブ・ディランが境界を超えて新たな詩や音楽を創造したことと相通じるのではないかと思っています。
「やんじ」様
コメント有難う御座いました。
歌詞も立派な文学だということはその通りだと思ってきました。そしてまず歌詞があっての歌、という優先順位もあるように思います。この点はまた改めて取り上げたいと思っています。
俳句や和歌の文学性も世界に認められる日の来ることを祈っていますが、そのためには他の言語に翻訳されることも必要になります。短い詩、特に俳句を正確にかつ美しく訳すのは至難の業であるという事実との闘いになるのかもしれません。
テレビ番組のプレバトで俳句のコーナーがあります。
そらを見ていて、俳句は575が主だと思っていましたが、そうでなく、季語があり、景色や音や匂いや感情などをいかに短くまとめるかが重要なんだと思いました。14文字をどう使うか。
歌詞が文書を短くまとめたものするなら、俳句は歌詞を短くしたものかもしれません。
こう考えたなら、文字数にあまりこだわらない世界に通じる俳句もあるのではと思います。
若い人には英語を普通に話せる人も増えてます。そこに俳句の知識が加われば、そう遠い事ではないように感じます。
「やんじ」様
コメント有難う御座いました。俳句でも奔放な作風が評価されている山頭火がいますし、短歌では俵万智も現れました。「詩」としての意味も変ることは自然だと思いますが、短い詩の翻訳にはかなりの問題があります。コメントでは説明し尽せませんので、稿を改めて説明したいと思います。
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ボブ・ディランをノーベル文学賞に決めたスウェーデン・アカデミーは未だに本人と連絡が取れないようですが,実際に受賞するかどうかはともかく,彼があらためて超有名人になったことは間違いありません.その「旬」の時期を逃さず,彼の優れた詩を広めることは平和に大いに役立つと思います.
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私は、ボブディランに憧れ、真似を始めた吉田拓郎世代ですので、
大師匠って感じですが、速報は嬉しかったです。
投稿: ⑦パパ | 2016年10月15日 (土) 13時26分
歌詞も立派な文学だとなった事に、ビックリしましたが嬉しくもありました。
加藤登紀子さんのコメントに、その訳があるように思いました。
今、俳句がブームになってます。愛媛県では俳句甲子園も開催されています。
いつの日か、歴史に残るような俳人が現れ、ノーベル文学賞を受賞できたらなと思いました。
投稿: やんじ | 2016年10月15日 (土) 15時03分
「⑦パパ」様
コメント有難う御座いました。
吉田拓郎も森進一に「襟裳岬」を提供するなど音楽の分野を超えての活躍をしたようですが、それはボブ・ディランが境界を超えて新たな詩や音楽を創造したことと相通じるのではないかと思っています。
投稿: イライザ | 2016年10月15日 (土) 21時11分
「やんじ」様
コメント有難う御座いました。
歌詞も立派な文学だということはその通りだと思ってきました。そしてまず歌詞があっての歌、という優先順位もあるように思います。この点はまた改めて取り上げたいと思っています。
俳句や和歌の文学性も世界に認められる日の来ることを祈っていますが、そのためには他の言語に翻訳されることも必要になります。短い詩、特に俳句を正確にかつ美しく訳すのは至難の業であるという事実との闘いになるのかもしれません。
投稿: イライザ | 2016年10月16日 (日) 08時07分