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2016年10月16日 (日)

国民投票としてのアメリカ大統領選挙の意味



国民投票としてのアメリカ大統領選挙の意味

 

 

現在進行中のアメリカ大統領選挙戦の酷さについては前回簡単に触れましたが、国民投票はしばしば「民意」を測る代わりに「民度」を測るという箴言に照らすと、アメリカの民度はかなり低いと断定することも可能かもしれません。それも「投票」以前にこれほどハッキリ分ってしまうのですから、「民度測定器」としての国民投票の意味は大きいとも言えそうです。

 

Photo

雑誌『The Atlantic 電子版』の表紙からクリントン、トランプ両候補

 

しかし、「民度」と一口に言っても、ウイキペディアによれば「知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度」ですから、単純に数値化できるような性質のものではなさそうですし、測定する時期によっても、大きな違いを生じているようです。

 

例えば8年前のアメリカ大統領選挙では黒人のバラック・オバマ氏が選ばれました。未だに人種差別が公然と行われているアメリカ社会で、しかも、かつてはカトリック教徒、しかもアイルランド系のアメリカ人であるジョン・ケネディー氏の大統領選挙出馬さえ問題にされた国で、黒人の大統領が出現するということ自体革命的な出来事でした。

 

つまり、2008年の大統領選挙でアメリカの民度を測るなら、その尺度として敢えて数値を使えば、100点満点に近い数字になってもおかしくはありません。しかしながら、2009年度のノーベル平和賞がオバマ大統領に与えられたことへの批判は今でも残っていますし、ボブ・ディランの文学賞受賞で、オバマ、ディラン両氏ともノーベル賞に値しないという形で再燃しています。

 

オバマ大統領が受賞した最大の理由はプラハ演説だと言われていますが、私はそれ以上に、オバマ大統領を選ぶことで、アメリカ社会の人種差別や力の支配の崇拝といった宿痾を克服しようとしたアメリカ国民への授賞だったのではないかと思っています。この場合、国民投票は「民意」と「民度」を測るという機能をきちんと果しました。

 

では今回の混乱の原因は何なのでしょうか。一つには小選挙区制度ですし、もう一つは二大政党制度です。第三の政党があり、バーニー・サンダース氏がその政党の候補者になっていれば、今の状況を考えると、アメリカの有権者がサンダース氏を選ぶ可能性は現実味を帯びてきています。また、民主、共和以外の有力政党がアメリカにあったとしたら、そして小選挙区制ではなく比例代表に近い選挙制度で議員が選ばれていれば、大統領府とアメリカの議会との乖離によって、オバマ政権の掲げた施策がことごとく潰されることもなかったでしょうから、彼の志を継ぐ人が大統領選挙候補になったかもしれません。

 

今回の大統領選挙とは「悪」を選ぶか「より大きい悪」を選ぶのかが問われているという人が多くいますが、予備戦で敗れたサンダース氏が、選挙後新党を立ち上げるなり、アメリカ国民の中から小選挙区制度への疑問が生まれるという可能性、あるいはその他のアイデアによって、アメリカ社会は変って行くはずです。

 

小選挙区制導入によって二大政党政治を人工的に作ろうとした日本の政治は、大統領を「国民投票」で選ぶというある意味での浄化装置を持たずに、ネガティブな面だけは強く力を持つ社会を創り出しつつあります。そしてアメリカからの教訓を汲むなら、「国民投票」による重要事項の決定もさることながら、まずは小選挙区制度を改めることが最優先事項のように思えるのですが。

 

「負けるが勝ち」ではなく「負け惜しみ」の弁に聞こえるかもしれませんが、その違いは、理想を掲げ続けられるかであり、その実現のためにさらなる努力を尽くすという覚悟があるかないかの違いなのではないかと考えています。

 

 

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コメント

今回の米国大統領選挙では、リバタリアン党のジョンソン候補や緑の党のスタイン候補も(絶対数としては僅かながら)その支持率を伸ばしているようですが、2000年の大統領選挙ではゴア候補の敗因として、第三勢力にゴア票が流れたことがあげられていました。

そうしたことがあるので、日本の小選挙区でも「選挙協力」という問題が生じます。

小選挙区を改めることが何より必要であることに異論はありませんが、首長を選ぶ場合や、どうしても小選挙区になる場合などは、決選投票を行ったり、一人複数票を持つなどの工夫も必要に思います。

こうしたことも電子投票の導入で容易になり現実的になると思いますが、その電子投票も、日本での導入はいつになるのでしょうか。

民度とか民意は、どうしてもマスコミにえいきょうされますよね。
マスコミの良し悪しが、国と国民の質に影響されますね。
ネットに期待したくっても、ネットでは馬鹿騒ぎする人達だけが目立ってしまいますから、良い意見も敬遠しがちになりそうです。
でも、マスコミをダメにしているのも国民なんですよね。
小選挙区の結果は、どうしても偏った考え方だけが主になってしまいます。
票の格差は永遠に解決されません。
小選挙区は独裁政治のためだけでしかなく、二大政党制が良いなんて根拠もありません。
大選挙区で複数当選にすべきですね。
そうなら、自民党もまともになるでしょうね。
今の日本で国民投票をすれぱ、自民党のためのマスコミにより、結果は目に見えてます。
民度も民意も規制や洗脳されたものでしかないのですから。個人の利益だけを優先し、10年後50年後なんて考える人はほとんどいないでしょうし。

小選挙区制は、
金権政治を排除するということではかなり効果がありましたが、
それ以上に重要な多様性ということを失くしてしまったようですね。
速やかに合区などにより、
中選挙区制等に変えていく必要がありますね。
制度を変えるということは、
既得権者を排除するということでもありますから、
なかなか難しいことですね。

 英国のメイ首相はEUからの早期離脱をめざして動いており3月には離脱の正式申請することも発表しているが、マスコミは常に残留が正しいと世論操作しており国民投票前にはBBCも「英国で離脱派が勝ったら米国はトランプが勝つ」と報じていた。
 米国でもマスコミは完全にヒラリー側に立ち、トランプに対して針小棒大的な中傷報道に終始しているが、それでもなお一定の支持率は保っている。
 日本でも中傷合戦ばかりが報道される。どちらのスピーチにも聞くべき内容はあるので、それを伝えてこそ報道と言えるが、今やNHKのニュースすらワイドショーと化している。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。選挙制度については、様々な選択肢がありますし、選挙を義務化すること、それ以前に「自書式」つまり投票者が自筆で名前を書く選挙を止めるといったことも考えるべきだと思います。

電子投票制度に反対する人たちの中には、「自分の名前を書いて貰うのが選挙だ」と次元の違うレベルで頑固な意見を述べる人も結構いました。

日本の選挙制度についての前向きの提言をする目的で、「選挙市民審議会」というボランティアと専門家の研究・提言会が定期的に開催されています。市民の力によって選挙を変えようという新たな動きに注目したいと思います。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。マスコミの役割についての大切な指摘感謝します。特に小選挙区制度の導入では、「中立」という立場をかなぐり捨てて、しかし「中立」を標榜して、あまり知識のない世論を煽った責任は大きいと思います。

今のマスコミも大きく偏っていますし、政治家も権力欲や目立ちたがりといった資質が以前より大きくものを言うようになった感があります。世襲議員の割合がこれほど多くなったことに対する違和感さえ薄くなったことももう一つの問題なのではないでしょうか。

「元安川」様

コメント有難う御座いました。金権政治が以前ほど目立たなくなったのは確かですね。それまでは金の力で子分を操っていたのに対して、小選挙区制になって、「公認」という権力でコントロールが効くようになったことは大きいのだと思います。加えて、欠陥の多い政治資金規正法ではありますが、その効果、そして時代の流れも無視できないと思います。

特に、政党交付金によって、政治家や政党の「公金」依存度が高くなったことももう一つの現象だと思います。

それでも、政治と金の問題はある意味永遠の課題なのかもしれません。

「佐々木」様

コメント有難う御座いました。おっしゃる通り、社会の多様な側面を取り上げないマスコミの体質は、良い政治を作る上で大問題だと思います。そこで、ネットを活用した様々な情報の伝達や分析、議論が大切な役割を果せるのではないかと思います。

鳥越俊太郎氏は「ネットはしょせん裏社会」と断定していますが、ネットにも、「表」のマスコミと同じく問題のあることは確かです。しかし、社会や人間存在そのものの多様さを正確に反映し、議論を起こし、未来社会に向けたより良いデザインを描くためにも、ネットは大切な手段だと思います。

 

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今回の米国大統領選挙では、リバタリアン党のジョンソン候補や緑の党のスタイン候補も(絶対数としては僅かながら)その支持率を伸ばしているようですが、2000年の大統領選挙ではゴア候補の敗因として、第三勢力にゴア票が流れたことがあげられていました。

そうしたことがあるので、日本の小選挙区でも「選挙協力」という問題が生じます。

小選挙区を改めることが何より必要であることに異論はありませんが、首長を選ぶ場合や、どうしても小選挙区になる場合などは、決選投票を行ったり、一人複数票を持つなどの工夫も必要に思います。

こうしたことも電子投票の導入で容易になり現実的になると思いますが、その電子投票も、日本での導入はいつになるのでしょうか。

民度とか民意は、どうしてもマスコミにえいきょうされますよね。
マスコミの良し悪しが、国と国民の質に影響されますね。
ネットに期待したくっても、ネットでは馬鹿騒ぎする人達だけが目立ってしまいますから、良い意見も敬遠しがちになりそうです。
でも、マスコミをダメにしているのも国民なんですよね。
小選挙区の結果は、どうしても偏った考え方だけが主になってしまいます。
票の格差は永遠に解決されません。
小選挙区は独裁政治のためだけでしかなく、二大政党制が良いなんて根拠もありません。
大選挙区で複数当選にすべきですね。
そうなら、自民党もまともになるでしょうね。
今の日本で国民投票をすれぱ、自民党のためのマスコミにより、結果は目に見えてます。
民度も民意も規制や洗脳されたものでしかないのですから。個人の利益だけを優先し、10年後50年後なんて考える人はほとんどいないでしょうし。

小選挙区制は、
金権政治を排除するということではかなり効果がありましたが、
それ以上に重要な多様性ということを失くしてしまったようですね。
速やかに合区などにより、
中選挙区制等に変えていく必要がありますね。
制度を変えるということは、
既得権者を排除するということでもありますから、
なかなか難しいことですね。

 英国のメイ首相はEUからの早期離脱をめざして動いており3月には離脱の正式申請することも発表しているが、マスコミは常に残留が正しいと世論操作しており国民投票前にはBBCも「英国で離脱派が勝ったら米国はトランプが勝つ」と報じていた。
 米国でもマスコミは完全にヒラリー側に立ち、トランプに対して針小棒大的な中傷報道に終始しているが、それでもなお一定の支持率は保っている。
 日本でも中傷合戦ばかりが報道される。どちらのスピーチにも聞くべき内容はあるので、それを伝えてこそ報道と言えるが、今やNHKのニュースすらワイドショーと化している。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。選挙制度については、様々な選択肢がありますし、選挙を義務化すること、それ以前に「自書式」つまり投票者が自筆で名前を書く選挙を止めるといったことも考えるべきだと思います。

電子投票制度に反対する人たちの中には、「自分の名前を書いて貰うのが選挙だ」と次元の違うレベルで頑固な意見を述べる人も結構いました。

日本の選挙制度についての前向きの提言をする目的で、「選挙市民審議会」というボランティアと専門家の研究・提言会が定期的に開催されています。市民の力によって選挙を変えようという新たな動きに注目したいと思います。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。マスコミの役割についての大切な指摘感謝します。特に小選挙区制度の導入では、「中立」という立場をかなぐり捨てて、しかし「中立」を標榜して、あまり知識のない世論を煽った責任は大きいと思います。

今のマスコミも大きく偏っていますし、政治家も権力欲や目立ちたがりといった資質が以前より大きくものを言うようになった感があります。世襲議員の割合がこれほど多くなったことに対する違和感さえ薄くなったことももう一つの問題なのではないでしょうか。

「元安川」様

コメント有難う御座いました。金権政治が以前ほど目立たなくなったのは確かですね。それまでは金の力で子分を操っていたのに対して、小選挙区制になって、「公認」という権力でコントロールが効くようになったことは大きいのだと思います。加えて、欠陥の多い政治資金規正法ではありますが、その効果、そして時代の流れも無視できないと思います。

特に、政党交付金によって、政治家や政党の「公金」依存度が高くなったことももう一つの現象だと思います。

それでも、政治と金の問題はある意味永遠の課題なのかもしれません。

「佐々木」様

コメント有難う御座いました。おっしゃる通り、社会の多様な側面を取り上げないマスコミの体質は、良い政治を作る上で大問題だと思います。そこで、ネットを活用した様々な情報の伝達や分析、議論が大切な役割を果せるのではないかと思います。

鳥越俊太郎氏は「ネットはしょせん裏社会」と断定していますが、ネットにも、「表」のマスコミと同じく問題のあることは確かです。しかし、社会や人間存在そのものの多様さを正確に反映し、議論を起こし、未来社会に向けたより良いデザインを描くためにも、ネットは大切な手段だと思います。

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