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2016年9月 6日 (火)

「平均的美人」は存在しません

「平均的美人」は存在しません

 

計算することで「平均」の値を得ることはできますが、その意味するところが分からないという問題提起をした積りなのですが、事態はもっと悪いようです。計算によって得られる「平均」についての理解も今一のようなのです。

 

2012年に日本数学会という数学者の専門団体が調査した結果がマスコミで報じられましたが、日本経済新聞の記事からの引用です。

 

「大学生4人に1人、「平均」の意味理解せず」という内容です。次に実際の問題をコピーしますが、皆さんにも考えて見て頂ければ幸いです。

              

Photo

               

 正解は最後の行に貼り付けます。

 

さて本題に戻って、『The End of Average』が報告しているもう一つのケースは、1945年に「クリーブランド・プレイン・ディーラー」という新聞が主催したコンテストです。これは地元の健康博物館に据えられている理想的な女性像に一番近い体型を持つ女性が誰なのかを決めるコンテストで、一位の女性には100ドルの賞金が出されることになっていました。「理想的な女性像」は当時、婦人科医として最高権威者の一人だったロバート・ディッケンソン博士が、15,000人の女性のデータを元に造ったもので、「ノーマ」と呼ばれていました。医学の観点から作られたにしろ、「美」も含めて当時の「理想」を示していたと見られています。

  

Photo_2

ノーマ

 応募した3,864人から、マーサ・スキッドモアという女性が一位になりましたが、彼女が提出した数値は、コンテストの対象になった9つの数値 (The End of Average』中にもそれが何かは記されていないのですが、身長、体重、バスト、ヒップ、ウエストといったものを含めた9つなのだろうと思います) にピッタリ合ってはいなかったのだそうです。審査員たちは事前に、最後はミリ単位の審査になるだろうと予測していたのですが、それとは大きく離れた結果だったということです。ある程度の誤差があることを許した上でそうなったことに、皆ショックを受けたようです。「理想的な女性」、と言うより正確には「平均的女性」は存在しないということです。

 

それで思い出したのは、かなり前の「ミス・ユニバース」か「ミス・ワールド」のコンテストについての報道です。私の記憶が正しければ、何年かにわたって、いわゆる「スリー・サイズ」の平均値ピッタリのコンテスタントはいなかったという報道でした。これも、ある程度の許容範囲があっての議論でした。つまり、「平均的美人」も存在しないということです。「理想的な女性」が存在しなくても、一人一人の人間にとっての「理想」はありますので、その判断基準を優先させれば問題はないのですが、「平均的脳」は、医学研究の基本的な存在としての役割を果していますので問題です。この続きは次回に。

 

Photo_3

 

 

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私は、女性に限らず平均的なものより個性的なものの方に魅力を感じます。

最近は想定外という言葉が都合よく使われていますが、想定することでデータ=事実を見誤ることも多く、極端な場合は想定されるデータしか見ていないことも良くあることです。

最近見た「Why you think you're right -- even if you're wrong」というトークで「事実を見誤るのは知識や能力の不足より、感情(emotional)や考え方(mindset)であり、好奇心が強く、新しいことを知る喜びで、意外なもの、予想に反するものに興味を持つ方が偏見や予断に惑わされずに事実を正確に見ることができる」とあり、都合よく納得しました。

次回も楽しみにしています。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。私もそう思いそう心掛けてきた積りです。でも、与えられた「mindset」から抜け出すことは大切ですが難しいですね。

真実を追求し続け、論理的思考に長けている、そして好奇心もあり新しいものの発見を何より喜びと感じる数学者でさえ、平行線の公理に捉われた結果、つまり「mindset」から抜け出せなくて、非ユークリッド幾何学を発見するのに2000年以上掛かっているのですから。

奇を衒った物言いがテレビで持て囃されるのは、その意味では健全なのかもしれません。上っ面の新しさではなく本質を見極める力も伴っているのだと素晴らしいのですが。

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私は、女性に限らず平均的なものより個性的なものの方に魅力を感じます。

最近は想定外という言葉が都合よく使われていますが、想定することでデータ=事実を見誤ることも多く、極端な場合は想定されるデータしか見ていないことも良くあることです。

最近見た「Why you think you're right -- even if you're wrong」というトークで「事実を見誤るのは知識や能力の不足より、感情(emotional)や考え方(mindset)であり、好奇心が強く、新しいことを知る喜びで、意外なもの、予想に反するものに興味を持つ方が偏見や予断に惑わされずに事実を正確に見ることができる」とあり、都合よく納得しました。

次回も楽しみにしています。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。私もそう思いそう心掛けてきた積りです。でも、与えられた「mindset」から抜け出すことは大切ですが難しいですね。

真実を追求し続け、論理的思考に長けている、そして好奇心もあり新しいものの発見を何より喜びと感じる数学者でさえ、平行線の公理に捉われた結果、つまり「mindset」から抜け出せなくて、非ユークリッド幾何学を発見するのに2000年以上掛かっているのですから。

奇を衒った物言いがテレビで持て囃されるのは、その意味では健全なのかもしれません。上っ面の新しさではなく本質を見極める力も伴っているのだと素晴らしいのですが。

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