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2016年8月 7日 (日)

原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ

原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ

 

私の経験だけかも知れませんが、大きな会議や集会などに参加して、その会議を一言でまとめるに当って、「感動的だった」という表現を使うことはあまり多くありません。専門的な学会などでは、逆に合理的かつ冷静な議論が重んじられる方が普通です。政治がらみの課題を扱う集会の場合、特に原水爆禁止世界大会の歴史を振り返って見ると、考え方の違う集団同士のぶつかり合いなどもかつてはありましたし、権力を持つ政府や政治、マスコミ等へのフラストレーションが、厳しい批判として表現され、結果として批判の厳しさが評価されてしまうような傾向さえありました。激しい感情表現も多く見られた時期もありました。でも「感動的」だったかと言われると、それとは違うなあという感慨を持っています。

 

今年、被爆71年目の原水爆禁止世界大会・広島大会は、このような私の経験に照らして、「感動的」な大会だったと言って良いと思っています。様々な分科会での報告や議論を御紹介するだけのスペースがありませんので、86日のまとめの集会で、大会の事務局長藤本泰成さんが発表した全体のまとめをお読み頂ければ幸いです。簡にして要を得た言葉での分科会の紹介をお読み頂くだけで、日本の反核運動の現況を概括できると思います。そして、学業途中で「学徒動員」された画学生の最後の作品を集めた長野県の「無言館」についての下りだけでも読んで頂ければと思います。

 

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原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ

 

被爆71周年原水爆禁止世界大会実行委員会

事務局長 藤本泰成

 

皆さん、3日間にわたって熱い議論をいただきました。本当にありがとうございました。大会を裏で支えていただきました、地元広島の実行委員会の皆さまにも、心から感謝申し上げます。3日間のまとめをさせていただきますが、全ての議論に触れることがかなわないことを、どうかお許し下さい。

 

5日の午後の国際会議において、日本のプルトニウム利用に関して、活発な議論がありました。

 

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5日の国際会議



日本が持つ48トンもの余剰プルトニウムは、福島原発事故以降、その先行きが不透明になっています。米国のサバンナ・リバー・サイト監視団のトム・クレメンツさんは、米国において余剰プルトニウムをMOX燃料として処分していこうとする計画が失敗したと報告されました。MOX工場はきわめて大きなコストがかかり、非現実的で、彼は「余剰プルトニウムは負の遺産であり、燃料としての価値はない」と言い切っています。

 

しかし、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さんからは、日本では、先の見通しもなく再処理事業の延命が図られている。六ヶ所の再処理が動き出すとしたら年間8トンものプルトニウムが生まれるが、現実として利用計画をつくり出すことが不可能となっていると述べられました。「再処理は、核兵器を持つ可能性をつくる」と、伴さんは警鐘を鳴らします。

 

トム・クレメンツさんは、米国の立場としては、「これ以上日本がプルトニウムの備蓄を増やすな」というメッセージを出していると述べています。

 

「日本が、これ以上再処理を続けていくとしたら韓国も同じ道を歩み出すだろう」と、韓国のNPOエネルギー市民連帯のソク・カンファンさんは、大きな懸念を示しました。ソクさんは、「アジア諸国間のプルトニウム競争」は止めさせなくてはならない。コストの高い再処理について、日本国民も、韓国国民も、納税者としてしっかりと考えなくてはならないと述べています。

 

被爆国としての日本が、そして、非核保有国として唯一再処理を行っている日本が、このプルトニウム政策から撤退することは、世界の核政策に与える影響は大きいと考えます。私たちは、このことに対するとりくみを強めていかなくてはなりません。

 

基調提起において、広島を訪れたオバマ大統領が任期の最後に、米国の核政策を変えようと「先制不使用宣言」を検討しているが、日本政府は、「先制不使用宣言」を米国が行わないように要請していることを報告しました。このことに関して、

 「紛争において最初に核兵器を使うことはしないと米国が約束することに反対しないで下さい」

との書簡を、安倍首相宛に、国内外の多くの著名人の署名を付して送付することとしました。日本政府は、被爆国として、米国の核の傘の下に自国の安全保障を位置づける政策を放棄していかなくてはなりません。

 

前広島市長で広島原水禁代表委員の秋葉忠利さんは、広島を訪れて世界観が変わったというアメリカ人は多い、オバマ大頭領が広島を訪問したことによって、原爆投下への考え方が米国でドラスティックに変わってきていると話されました。米国が変わりつつある中で、米国の核政策の変更を、被爆国日本が阻止することは許されません。

 

チェルノブイリの原発事故を経験した、ロシアのNPOラディミチのエカテリーナ・ヴィコワさんは、当時放射性物質が拡散したにもかかわらず、普通の日常があったと話しました。情報の集まる役人が、自分の子どもたちを避難させたような事実はあったが、誰も何も語らなかった。自分は、暮らしていたセミョノフカという比較的放射線量の低い町から、教員になるためにもっと放射線量の高いノボジプコフの町の大学に進学した。しかし、そこでも一部の教員を除いて、誰も関心を示さず脅威も感じていなかったと話されました。

 

しかし、25才になって関節炎や甲状腺の障害が現れました。それは若い女性一般に共通な症状でした。ホルモンの異常で、不妊に悩む女性も多かったと言います。彼女は、現在「ラディミチ」というNPOで、放射線の高いところから一時避難させる子どもたちの保養プロジェクトに関わり、甲状腺診断機を購入して健康支援も実施しています。診断室には16000人が登録し、年に2000人が来ると言います。子どもたちの7割が、甲状腺に何らかの障害を持ってると報告されました。

汚染の情報が、市民社会に伝わらない。汚染の状況や具体的知識の不足が、更なる被爆を繰り返すという事態が起こっていました。ヴィコワさんは、分からないことがストレスとして心理的に大きな影響を与えると言います。

 

福島原発事故から5年目を迎えるフクシマの現実と今後について、多くの議論がありました。武藤類子さんからの報告の中には、放射性物質を含む廃棄物のフレコンバックが大雨で流されたり、中身が飛び出してしまったりした写真がありました。黒いフレコンバックが大量に並ぶ写真は、地球の最後を想起させます。20mSvもの放射線量の中で、黒いフレコンバックの山を前にしての生活を強要することが、許されるはずがありません。

 

チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西の振津かつみさんは、第6分科会のレポートの中で、チェルノブイリとフクシマは、それぞれに事故の性格、社会・歴史的背景の特殊性がありますが、原発重大事故として普遍的な被害の問題、被害者の体験や思い・訴え、闘いがあります。それぞれの特殊性を踏まえた上で、互いに学び合い、被害者の相互交流と連帯を深めていくことは重要ですと述べています。

これからのフクシマを考える上で、チェルノブイリの経験は重要な意味を持つのではないでしょうか。

 

被爆71周年原水禁世界大会のスローガンに、「憲法改悪反対!辺野古に基地をつくらせるな!」という言葉が入りました。それを受けて、第3分科会のテーマは「憲法・沖縄・平和を考える」となっています。今、沖縄で何が起こっているのか、日本の民主主義が壊れていくその実態が沖縄にあります。米海兵隊の新基地を建設しようとする辺野古とオスプレイの訓練のためのヘリパットを建設しようとしている高江が、日本の民主主義とは何かを象徴しています。

沖縄平和運動センターの岸本喬さんから、高江のヘリパット工事の強行も含めて沖縄の「不条理」な状況が、そしてこれまでの歴史が報告されました。他県から派遣されている機動隊は別にして、同じ沖縄県民同士がぶつかり合う姿を「悲しいですよ」と表現しつつ、今後も「不条理」に立ち向かうと決意を述べています。

 

軍事評論家の前田哲男さんは、憲法・沖縄・平和と言うテーマは困難な報告になると話、憲法が求める平和の条件をつくることはきわめて困難な状況にあるとしました。しかし、国民は長きにわたって「戦う自衛隊」ではなく「働く自衛隊」を求めて来たとして、そこにきちんと訴えていくことが重要であると指摘しています。

1945年の熱い夏を思い起こし、私たちが、戦後いったい何を求めて来たのかと言うことを再確認しなくてはなりません。前田さんは「立憲主義とは、」憲法を制定し、それに従って統治する政治のあり方」であるとし、それは「平和憲法によって立つ、すなわち『憲法9条に立脚した』平和の創造である」と述べています。

 

 この原水禁大会に来る直前の719日、私は、長野県の上田市近郊にある「無言館」という、小さな美術館に立ち寄る機会を得ました。皆さんご存じでしょうか、アジア・太平洋戦争で戦死した画学生が残した絵画を展示している、素晴らしい美術館です。

 

美術学校に通っていた画学生たちは、卒業してすぐに、また、ある者は学徒出陣によって、戦場に送られました。彼らの使った絵筆の先には、たくさんのモデルの顔がありました。それが恋人だったこともあったでしょう。その二人の間には、それぞれの人間を慈しむ、温かい心があります。その画学生たちが、鉄砲を握って戦闘に駆り出されました。その鉄砲の先に、彼らは何を見たのでしょうか。彼らの手の先に見えていたのは、ひとりの命ある人間です。しかし、その二人の間に温かな人間の心が存在したのでしょうか。持っているものの違いによって、絵筆なのか、鉄砲なのか、そのことによって、対峙する人間との間にあるものは全く違ってきます。愛なのか憎しみなのか、暖かい心なのか冷たい心なのか、生なのか死なのか。

 

想像して下さい、絵筆を以て、人間の本質や自然の摂理と向き合ってきた人間が、人と向き合って人を殺していく悲しみと苦しみを、そのことを想像して下さい。

 

日本の安全保障のためにといって「戦争法」が昨年9月に成立しました。自衛隊が、米軍とともに世界のどこかで戦争を行う日が来ることが予定されています。第4次安倍内閣において、防衛大臣に「祖国のために命を捧げろ」と主張する、稲田朋美衆議院議員が就任しました。

 

無言館に飾られた、日高安典さんと言う方の絵の脇に、添えられた言葉を紹介します。

 

あと5分、あと10分、この絵を描きつづけていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから……。安典はモデルをつとめてくれた恋人にそう言い残して戦地に発った。しかし安典は帰ってこなかった。

もし、あなたの美術館がお国の美術館だったら、きっと兄の絵をあずける気にはならなかったでしょう、と弟の稔典さんはいう。なぜなら、安典はそのお国の命令で戦地に行ったんですから……。

 

二度と私たちは、私たち自身、そして私たちの仲間を、お国のためにと戦場に送ってはなりません。国策としての戦争によって、その結果として71年前の広島がどうであったのか。そのことを忘れてはなりません。

平和のために、全力を尽くすことを皆さんと確認し合い、まとめとします。 

 

 

 

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