「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」
8月8日、テレビの各局を通じて、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」が届けられました。「生前退位」について、「私が個人として,これまでに考えて来たこと」を丁寧にかつ率直に述べられています。
最後の言葉、「国民の理解を得られることを,切に願っています」は、憲法第一条の規定「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」の中の「国民の総意」という大前提のあることを認識した上で、国民の総意で最後の判断はして下さい、という遵法精神の表現です。ここでも憲法に従うという強い意志に、私は感動しました。
実は、この「おことば」で、27年前の一文を思い出していました。1989年3月、昭和天皇の崩御後に考えたことなのですが、三省堂から出版された『夜明けを待つ政治の季節に』の13章、タイトルは「象徴」の意味――ケネディー大統領と昭和天皇――です。天皇(憲法上の地位である「天皇」に言及していますので、敬称は付けずに憲法の用語「天皇」を使っています。)の人権を論じているのですが、その中で「生前退位」についての部分を引用しておきます。
《親としての天皇》
天皇は、養親になれないどころか、自分の子供がいても、親としての楽しみを奪われている。子供が成長し、自分の能力に合った仕事を見付け、1人の独立した人間として社会に有益な貢献をしている様子を見ることは、親としての喜びの最たるものではないだろうか。しかし、天皇はその喜びを与えられていない。それは、皇太子に職業選択の自由がないからでもあるが、慣行では、天皇が生存中に譲位することはないからだ。
庶民でも、高齢になれば隠居して、仕事は若い人に譲るのが常識である。元気のあるうちは仕事に励んでも、例えば、70歳にでもなったら退位し、余世は自分の好きなこと(生物学の研究でも、社会福祉のためのボランティアでも良い)を自分のペースで楽しんでも良いのではないか。皇室典範でも、譲位を禁止してはいないのだから、ちょっと手直しをすれば天皇が堂々と退位できる制度に造り変えられるような気がする。
既に、政治的な立場を取っていないような振りをしながら、様々な人たちの思惑が飛び交っています。その中で、家族を思いやり国民とともに、その「総意」に従っての象徴としての義務を果したいと願っている天皇の「人権」を慮ることこそ、主権者である私たちの義務なのではないでしょうか。
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コメント
この数年間、天皇陛下の発言に最も強く、日本国憲法の尊重・擁護・順守の精神を感じていますが、今回の「おことば」も徹頭徹尾、憲法順守を貫いたものだと感じました。それは、最近特によく耳にする、権力者の恫喝的な発言とは真反対のものです。
私は天皇制に対しては違和感を持っていますが、今上天皇には敬意を払い尊敬もしています。
今回も、象徴天皇という存在や、その行為、そして天皇個人や、天皇の終焉に当たる家族への配慮など、本来は主権者たる国民が考えるべき70年前からの宿題が、まだまだ多く残っていることを改めて認識しました。
「工場長」様
コメント有り難う御座いました。
私もほぼ同じ考え方をしています。
重要な機会ですので、私たち主権者一人一人がしっかりと考えなくてはならないことだと思います。その際に大切なのは、今の天皇の「象徴」という地位は、「国民の総意」によって日本国憲法で決められた事柄であるという点です。
明治時代あるいはそれ以前の歴史を元に議論すべきことではなく、私たち、今生きている国民・市民の意見が尊重されるべきだということです。
国会や内閣の決定も、私たちの意見に沿う形で行われなくてはならない、ということも大切だと思います。特に今回のようなケースでは、それが重要です。
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この数年間、天皇陛下の発言に最も強く、日本国憲法の尊重・擁護・順守の精神を感じていますが、今回の「おことば」も徹頭徹尾、憲法順守を貫いたものだと感じました。それは、最近特によく耳にする、権力者の恫喝的な発言とは真反対のものです。
私は天皇制に対しては違和感を持っていますが、今上天皇には敬意を払い尊敬もしています。
今回も、象徴天皇という存在や、その行為、そして天皇個人や、天皇の終焉に当たる家族への配慮など、本来は主権者たる国民が考えるべき70年前からの宿題が、まだまだ多く残っていることを改めて認識しました。
投稿: 工場長 | 2016年8月 9日 (火) 11時08分
「工場長」様
コメント有り難う御座いました。
私もほぼ同じ考え方をしています。
重要な機会ですので、私たち主権者一人一人がしっかりと考えなくてはならないことだと思います。その際に大切なのは、今の天皇の「象徴」という地位は、「国民の総意」によって日本国憲法で決められた事柄であるという点です。
明治時代あるいはそれ以前の歴史を元に議論すべきことではなく、私たち、今生きている国民・市民の意見が尊重されるべきだということです。
国会や内閣の決定も、私たちの意見に沿う形で行われなくてはならない、ということも大切だと思います。特に今回のようなケースでは、それが重要です。
投稿: イライザ | 2016年8月 9日 (火) 18時11分