8月2日に非核・平和行進を歩く
8月2日に非核・平和行進を歩く
毎年8月2日は午前、午後を通して原水禁世界大会実行委員会による非核・平和行進で坂町役場を出発して、安芸区役所を経て府中町役場前まで歩く。(写真は役場前の出発式)
安芸区役所に到着後昼食休憩の後1時から区役所前で出発式。区長から激励挨拶を受けたのち出発。
安芸区船越の日本製鋼所前の交差点。
この道は、今は市道だが、1945年当時もあった道でこの町生まれの私たちは子どものころは新国道と呼んでいた道。
1974年に市民から募集して集まった「市民が描いた原爆の絵」の一枚にこの場所からみた8月6日午前10時頃から夕方までの状況を表した絵があり、現在原爆資料館に保管されている。絵の中の文章に「アツイ アツイ 助けて、助けて! 何千人の叫びが夕刻までつづいていく」「ほとんどの人が焼けた皮膚をたらしながら国道31号線を呉方面に向かって」とある。またこの道の左の日本製鋼所には救護所が急設されている。
府中町のマツダ病院前にさしかかる。安芸区長は出発式の挨拶でこの病院の前身の東洋工業附属病院もまた救護所に急設された場所だと話されていた。行進しながら8月6日のあの日の様子を想像する。
行進団は府中町役場(写真の白い建物)の前の榎川と大川(写真手前)の合流地点の三角州にある慰霊碑の横を歩く。
由来と
原爆で亡くなった犠牲者を荼毘に付したこの地に建立された。行進が終わって立ち寄る。
途中一度休憩ののちに3時前府中町役場に到着。町長からねぎらいの挨拶を受けて無事行進が終了した。明日は府中町からいよいよ平和公園到着となる。
毎年、つないで、つないで、非核をめざす。
行進団の皆さんとの会話の中で府中町の原爆被爆者の体験記の有無を聞いてみると、2010年に府中町史第5巻の編集に合わせてこの体験記が別冊として発行されたと聞き元の役場(現府中町歴史民俗資料館)で買い求めた。500円。体験記の中に高校時代の恩師の記述があり、また一つ原爆の新しい事実を知ることとなった。
榎川土手に咲く白いキョウチクトウ。月並みだが暑い一日だった。
8月2日
社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良
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