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2016年7月 4日 (月)

島根ぶどうと故郷

島根ぶどうと故郷

 

昨日食品を買いに行ったお店で「島根ぶどう」(デラウェア)を購入し、美味しく食べました。ぶどうの中でも、このデラウェアという品種には、懐かしい思い出があります。

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私が生まれたところは、母の実家である島根県出雲市浜町というところです。そこは出雲大社から南東に直線距離で約5Kmぐらいのところで、今浜山公園(現在は、県営の競技場が多数ある)と呼ばれている松林の広がる丘陵地帯の東の端です。この松林は、今から320年ほど前、砂の浸食を防ぐため、大梶七兵衛という一人の農民が、資材を投じて植林したものです。

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                  浜山公園の松林

ちょうど私が小学校に行くようになったころ、この地域一帯で盛んにおこなわれていた養蚕業が衰退したため、一気にといってよいほどの速さで、桑畑が、葡萄畑へと転換していきました。そのぶどうの品種が、デラウェアでした。ぶどう棚は、子どもたちの背丈より高かったため、私たち子どもにとっては、良い遊び場でもありました。懐かしく思い起こします。私の思いでは、出雲でのぶどう栽培は、このころから始まったと思っていましたが、明治時代から始まっていたようです。今、島根県のぶどう、特にデラウェアは、ハウス栽培で日本有数の生産量を誇っているようですが、この地域は、島根県内でもぶどう栽培の筆頭格のようです。

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現在では、ハウス栽培が当たり前になっていますが、当時は、露地栽培でした。私の家は、農家ではありませんでしたので、ぶどうを栽培するということはありませんでしたが、子供のころには、おやつとしてよく食べさせてもらいました。というのも、露地栽培は、雨に弱く、収穫前のぶどうに雨が当たると、粒がはじけてしまい、商品になりません。そんな出荷できないぶどうを、ご近所の知り合いの農家からおすそ分けでちょうだいしたり、安く販売していただいたものですから、貧しいわが家でも十分すぎるほど食べることができました。他のオヤツがなかなか食べられなかったとき、ぶどうだけは十分にとは言えないまでも、良く食べさせてもらったように思います。ですから思い出深い食べ物です。

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当時は、露地栽培ですから、8月9月が収穫の最盛期だったように思います。ですから夏休みの楽しみの一つでもありました。もちろん種なしではありませんでしたが、甘いぶどう独特の香りが今よりも、もっと強かったような印象が残っています。現在は、ハウス栽培ですので、4月から収穫がスタートし、6月の今頃がピークだそうです。そしてで取って食べやすい大きさにするため「粒張りの良い、ゆる房(ふさ)」に栽培されているようです。

島根ぶどうをたくさん食べてくださいね。

 

島根ぶどうは、私にいつも懐かしい懐かしい子供のころを思い出させてくれます。

 

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