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2016年7月18日 (月)

政治家の傲り (2)

政治家の傲り (2)

 

前回は、歴史に「if」があったらという立場から、小選挙区についての「仲裁案」を密室内で作る代わりに国民投票に付することはできなかったのかという問題提起をしました。

 

そして、土井衆議院議長、細川総理大臣、河野自民党総裁の三人の頭の中には国民投票などという可能性はなかったと判断するのが自然だろうということを確認しました。

 

ここで問題にしたいのは、国会の審議においては憲法の精神に従って、最終的には参議院の「否決」を尊重して欲しいということなのですが、それを「リマインド」するためには「国民投票」という選択肢のあることが役立ったのではないかと思えるからです。実際に国民投票を行えるかどうかの判断は別として、「国民投票」が政治的決定のための一つの手段として生きていれば、重大な判断をする際にそれが頭に浮かぶことを期待できるかもしれないからです。

 

でも、国民投票は、重大な政治的決定を行うための現実的な手段として扱われたことはありませんでした。そればかりではなく、一方では自分の権利が蔑ろにされていることの象徴として、もう一方では忌み嫌われると言っても良いほど避けられる存在として捉えられてきたのではないでしようか。

 

Photo


最高裁判所

 

前者の例として、憲法79条に規定されている最高裁判所裁判官国民審査があります。これも一種の国民投票なのですが、全く機能していない制度です。その理由はいくつもありますが、衆議院議員選挙と同時に行われるため、その陰に隠れてしまって、マスコミの報道も少なく、その結果という要素もあって、有権者もほとんど関心を抱かないまま投票することになってしまっています。

 

それでも裁判官たちにとっては何の問題にもなりません。それは、投票の仕方が、裁判官にとって圧倒的に有利になっているからです。裁判官を罷免したい場合は、その裁判官の氏名の上に、バツ印を付けることになっているのですが、なにも付けなければ「信任票」と見做されるのです。良く分らないから「棄権」しようとしても、それはできないシステムになっています。

 

事実、これまでの国民審査で罷免された最高裁判所の裁判官は一人もいませんし、「罷免せよ」が全体で占める割合は数パーセント、最も多い時で15パーセントくらいでした。現実問題として最高裁判所の裁判官が国民審査によって辞めさせられる現実的可能性はゼロですので、主権を持つ国民の意向を踏みにじったとしても、それが自らの身分に跳ね返ることはなく、チェック・エンド・バランスの機能が働いているとは言い難い制度になり下がってしまっています。

 

もう一方の極端な例が、憲法96条で規定されている憲法改正に必要な国民投票です。ここまで事態が進行してしまった場合、両院の2/3の多数で発議が行われてしまっているのですから、残された最後の手段としての国民投票という位置付けです。特に憲法9条については、そのような段階にまでは持って行きたくないと思う人たちの心の中では、国民投票のイメージとは「できるなら避けたい」なのではなかったのでしょうか。

 

このどちらのケースを考えて見ても、国民投票は私たちの使える身近な選択肢ではありませんでしたし、重要な決定を行うときに「この可能性も検討しよう」と普通に頭に浮かぶ存在でもなかったということなのです。

 

「両院協議会決裂」という事態が発生した時に、「密室で仲裁案を作って、それを形だけは国会で審議したことにして法律にしよう」と考える代わりに、「国民投票にしたら」という可能性は考えて貰えなかったのか、という問題提起そのものは現実から遠い可能性だったことはお分り頂けたと思います。しかしながら、スコットランドや、EU離脱という決定をしたイギリスの国民投票の例を参考にしつつ、日本でもこの制度を有効に使うためにはどうすれば良いのかについても、議論を始めて欲しいとは思っています。

 

さて、仲裁案に戻って、「国民投票」にまで頭を巡らせるのは無理だったとしても、「両院協議会決裂」という段階で、憲法59条を謙虚に読み返してみる、そしてその意図するところを初心に戻って考えて見ることくらいは期待しても良いだろうと思います。

 

結果としてなのかもしれませんが、その憲法の精神を無視してしまったこと、そして今のような政治状況を作ってしまったのは、あれほど優れた政治家でありながら、それでもどこかに「傲り」があり、それを乗り越えることは難しかったということなのでしょうか。

 

 

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