現実を見て共感の輪を広げる (ヒロシマ演説を読み解く――その8)
現実を見て共感の輪を広げる
(ヒロシマ演説を読み解く――その8)
オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げています。演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。
前回取り上げた限りでは、オバマ大統領は決意表明をし、パラダイムの転換を促した後、理想を実現するために私たちが何をして来たのかを振り返っています。
しかし、段落(m)から(q)までは、スピーチ全体のトーンとはかなり違った趣を持っています。それは、新たな世界観に転換しようという呼び掛けとは裏腹に、それとは正反対の選択をし行動をして来たことの言い訳のようにも聞えるからです。
とは言え、段落(n)と(o)そして(q)は、事実を踏まえた記述です。問題は前にも述べたように段落(m)です。つまり、「あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択を行ってきました。米国と日本は同盟を築いただけでなく、友情をはぐくんできました」という下りが単に「日米同盟」を表面的に美化しているだけではなく、事実なんですよということを「証明」するために(n)も(o)も(q)も使われていることが問題なのです。
さらに、(m)に続いて(p)では、これまで折角「力の支配」からの脱却を主張してきたにもかかわらず、「力の支配」の正当性を認めてしまっています。
さらに問題を複雑にしているのは、その段落(p)中で、広島演説中、最も大切な主張の一つがここで述べられているからです。それは「我が国のように核兵器を持っている国は恐怖の論理から脱し、核兵器のない世界を目指す勇気を持たなくてはいけません」です。その通りなのですが、この「勇気」ある主張は、続く言葉で否定されています。つまり、「私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、たゆまない努力で破滅の可能性を少なくすることはできます」です。
賢明なオバマ大統領がこのようなジレンマに気付かない訳がありません。いや、彼の書いたスピーチですから、このような「揺れ」には意味があるはずです。
一つの可能性は、プラハ演説で「核なき世界」を提唱したオバマ大統領を自分たちの陣営に取り込もうとした「軍産複合体」とか「官僚体制」に属する人々の力がこんなところで現れた、という解釈です。もう一つは、ホスト国である日本政府に対する配慮としての発言だという解釈です。
その他の可能性もあります。こちらの方が説得力はあるように思うのですが、それは、オバマ大統領に続くアメリカの大統領の広島訪問にイチャモンを付けさせないための布石だというものです。軍産複合体や原子力ムラ等、核抑止論が嘘っパッチだと分ってしまうことで大きな損害を受ける人たちには、「恐怖の論理から脱し」という言葉は受け入れ難いはずです。アメリカの大統領が広島を訪問するたびに自分たちの利権が大きく浸食されることになれば、当然、防衛のための方策を考えるはずです。そのような考え方の人たちが反発するだけの内容にしてしまうのではなく、「良く読めば、自分たちの主張をなぞっている」と安心できるような言葉も使って、未来の大統領の広島訪問が確実にできるような土壌を作っておくことも目的の一つだとは考えられないでしょうか。
それ以上に注目すべきなのは、「私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが」と、プラハ演説で述べた「消極的」な条件を再度登場させていることです。悲観的に解釈すれば、オバマ大統領には、自信がないからなのかもしれません。でも現役の政治家として、わざわざ自信のなさを強調するでしょうか。
この表現が「時間枠の設定」として重要であることは、何度か 、ここで 指摘してきました。
それは、十分承知の上で、広島で再度持ち出した意図が、私たちへの挑戦だとしたら納得が行くのではないでしょうか。プラハ演説後、平和活動家の中には、「自分が生きている内にはできないかも」を、オバマ大統領が真剣に核廃絶に取り組もうとしていない証拠だと断定して、彼を支援することを止めてしまった人もいました。逆に、核廃絶なんて夢物語だ、いや廃絶なんて絶対にさせないと考えていた人たちに取っては、「核廃絶論者の耳には快く聞こえるけれども、実際のところオバマは自分たちの仲間なのだ」とも解釈できる一節でした。
実際は、このどちらとも違う意図があったことは皆さんには御理解頂けたと思います。その点を再度広島で持ち出すばかりでなく、プラハより後退してしまっている点も重要です。プラハにはなかった「たゆまない努力で破滅の可能性を少なくすることはできます」が加えられているからです。「核なき世界」ではなく核があっても「破滅の可能性が少ない世界」が目標になっているように読めるではありませんか。
この違いで、オバマ大統領は何を意図したのでしょうか。完全に私流の読み方になりますが、これはプラハ演説が期待した通りの筋書きで進まなかったことへの反省だと思います。もっと遡れば、1986年にレイキャビックでのレーガン=ゴルバチョフ会談において「核兵器の全廃」という合意ができたにもかかわらず、それが実行されなかったことへの反省だと思います。それは強力な世界の世論の後押しを創れなかったからです。
この部分でオバマ大統領は、「エッ! なんで?」という私たちからの反応を期待していたに違いありません。良い演説をしたからと言って、その演説者人一人に全て任せてしまって何もせず、後は「核廃絶実現!」というニュースを座して待っている人ばかりの世界で、核兵器の廃絶はできないのです。
それを可能にするのは私たち市民です。ヒロシマ演説の最後の部分で彼が強調しているように、最終的な力を持っているのは私たち市民だということです。オバマ大統領が何と言おうと、私たちがオバマ大統領を担いで、リーダーとして「活用」しながら動く以外に効果的な方法はないのです。
その点を、私たちに気付かせ、「しっかりしなさいよ」と喝を入れ、「オバマさん、あなたは自分の生きている内にはできないかもしれないといったけれど、私たち市民の力で実現させてみせる」という声が世界を覆うような動きを触発するための「挑発」的な言葉、私たちに対する「挑戦」なのだと考えたいのですが、如何でしょうか。
それと同時に、核抑止論者たちの描く「現実」にも目を向けつつ、段落(r)では、「私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません」とも明確に宣言していることで、「挑戦」の内容がさらにはっきりしてきます。その流れで、「力の支配」から脱却して「法の支配」「理性の支配」を支配原理として採用する世界の実現をアピールしています。それをさらに敷衍して、段落(s)では現状を変える力は私たちにあることを確認し、その「証明」として二人の被爆者の言動を引用しています。
段落(t)からは、前にもコメントしたように原理原則の再確認をしクライマックスに至る仕上げの部分です。それは「変革のための4原則」の意味をもう一度噛み絞めることでもあります。
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