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2016年5月 2日 (月)

変なカタカナ語

変なカタカナ語

 

工場長さんのコメントから、カタカナ語への思いが再燃し、いくつか「愚痴」を聞いて頂くまでに発展しました。何故「愚痴」なのかなのですが、カタカナ語の場合、私にとっては「音」も大事だということはコメントでも書きました。そうは言ってもかなり好い加減なところもあるので、「愚痴」のレベルだと考えて頂いた方が良いのかもしれないと思った次第です。

 

まず「コンピュータ」ですが、敢て「コンピューター」と語尾を伸ばして発音しても余り違和感はありません。音としてどっちでも良ければ、書くときには短くした方が節約になるという考え方は合理的だと思えるのですが、如何でしょうか。

 

長音符と呼ばれる「ー」を付けるか付けないかで、「コンピュータ」と同じくらい気になるのが「ドア」と「ドアー」です。「コンピュータ」の場合と違って、こちらは耳で聞いた時の違いがかなりあります。実際に発音して比較してみて下さい。

 

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元々の英語の発音は「dɔ'ːr」です。最後は子音の「r」です。日本語では子音で終ることは原則としてありませんので、耳で聞いた場合「ドア」に近く聞こえるのだと思います。それに対して「ドアー」は母音である「ア」を伸ばしています。発音記号で記すと、「dɔ'ː ɑ'ː」に近くなり、これだと一音節増えてしまいます。その違いのせいで違和感を持つのではないでしょうか。

 

しかも、短い単語ですので、その中で「-」が付くとかなり長く感じます。先日、上京した時に山手線の車内で、「ドアーが開きますので、御注意下さい」といったアナウンスを聞きましたが、間延びしていてあまり注意喚起の意味をなさないような気さえしました。その上、車内の別のところには「非常ドアの開け方」という注意書きがあり、両方使うなら、アナウンスには短い「ドア」の方が良いのにな、と思ったのです。

 

でも「シンガーソングライター」は変だと思いませんし、「ベターハーフ」もそのまま受け止めています。発音記号では「ər」ですので、「door」とは少し違いますが、このあたりの受け止め方の違いについてどなたか、説明して頂けると有難いのですが--。

 

それで思い出すのが、これまた酷い使い方です。皆さん「award」をどう読まれますか。発音をそのままカタカナで書いたとするとどうなるのでしょうか。「アウォード」が一番自然なような気がします。発音記号では「əwˈɔːd」です。これと似た単語が「warm」ですが、「ar」の部分の発音は同じです。

 

award」には、「賞」という意味がありますので、賞の名前として、日本語でも「○○ Award」として固有名詞としても使われます。でもその際のカタカナ表記は「○○アワード」が頻繁に使われています。「アウォード」だと、促音の「ォ」が煩いので、それをさけようとして、「アウード」ではおかしいし「アオード」では、力が抜けるので、妥協して「アワード」になったのではないかと推測しています。

 

「アワード」だけならまだ罪は軽いのですが、「warm」も「ワーム」となってしまいます。これだと「虫」を意味する「worm(「ウワーム」)との違いが分らなくなってしまいます。

 

もっと悲劇的だったのは、ある反戦集会でのシュプレヒコールの場面でした。マイクを握ったリーダーが、「No nukes, no Abe, no war!」と数千人の声をまとめるために呼びかけました。その発音はカタカナ表記だと「ノーニュークス、ノーアベ、ノーワー」だったのです。「ノーウォー」なら力が入るのですが、「ノーワー」では力が抜けてしまいます。

 

こんな悲劇が起るのは、旧仮名遣いを止めてしまったことに原因があるのかもしれません。旧仮名では「ワイウエオ」は「ワヰウヱヲ」 でした。これを使えば、「アワード」と無理をしなくても、カタカナ3文字と間に長音符を入れて、「アヲード」で済んだはずですし、発音も「アウォード」とほぼ同じだったのではないでしょうか。

 

細かいことにこだわる悪い癖を持っているのはテレビの中だけではないことの証明になったような気がしていますが、それでも、カタカナ表記のおかしさについて、これからも続けます。御寛恕のほどお願い申し上げます。

 

 

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コメント

オーストラリア人の喋る英語は全く理解できません。
どうなっているでしょうか?

旧仮名遣い、なるほどと思いました。

それから、ニューヨーク行きの切符を買うのに「To NewYork」と言うと切符が2枚出てきたので「For NewYork」と言うと4枚出てきて「えーと…」と悩んでいると8枚出てきた、という笑い話も思い出しました。

音を中心に考えられたのがジョン万次郎の英語だと思いますが、Siriに話しかけてみて下手なカタカナ英語よりずっと通じることに驚きました。

それにしても、人間の耳(脳)が優秀なだけに、自国の発音にない言葉は補正されてしまうので聞くことができず、結果、発音もできないようです。英語ではRとLが区別できない代表格ですが、韓国語でも「ん」が3種類もあり、日本人に区別することは殆ど不可能で、成人は、いずれも口の形で覚えるしかないようですね。

「宇品灯台」様

コメント有難う御座いました。オーストラリア人の英語が分らない人の数はかなり多いようです。でも、それも慣れれば問題はないようです。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。

10代の前半くらいまでなら、外国に住んでその国の言葉の発音を脳が処理できるようですね。もっともそれより若い時だと、その後の再学習でその能力は失われてしまうということもあるようです。

ヨーロッパでは、小さい時から数か国語を並行して学ぶことで、マルチリンガルになっている人がかなりいるようです。

口の形を読むのも難しいですし、それを自分の口で再現するのは不可能に近いのかもしれません。

口の中の部位の使い方が違うから、英語の発音をカタカナにするには、さて、どうだろうかと悩みますね。
例えば、HIROSHIMを日本人が発音してカタカナにすれば、「ヒロシマ」と書くとおもいますが、
アメリカ人の発音を聞いてカタカナで書けば「ヒロシーマ」となるように感じます。
TOKYOも、日本人なら「トウキョウ」ですが、オリンピックの開催地が決まった時の発音は、「トキョ」に聞こえました。
わかりにくい時には、iPhoneで発音をひらがな入力すれば、英単語がでてきますからでてきたらOKとしています。
記事の内容と異なりますが、カタカナは日本人の最高の発明?だそうですね。
カタカナという文字があることで、どんな言葉も日本語にできますから。
漢字だけの中国は、漢字の意味と外国語が合うようにかなりの工夫が必要なようですが、日本はカタカナであることで文字の意味を考慮する必要がないですからね。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。外国語の単語を発音するとき、特に固有名詞の場合、その国の言葉の中でそれなりに自然に聞こえるくらい変ってしまうことに、お互い寛容になる必要があるのではないかと思っています。

でも、とても困るのが日中関係です。

日本の地名を中国語で書いたり読んだりすると、漢字も中国流、発音も中国流で、中国語で書かれたり言われたりしても、それが何なのか分らないことが多いのです。

例えば「秋葉原」ですが、中国語の表記は「秋叶原」です。これ「秋葉原」のことだよと言われるとようやく分ります。発音は「チィゥイェユェン」だそうですが、これは全く分りません。

逆に、日本でも同じことをしています。「重庆」が中国表記です、発音は「チョンチン」ですが、日本語では「重慶」、発音は「ジュウケイ」になってしまいます。

うまい解決方があると良いのですが。

一番ワケがわからんと思うのがお経です。
日本語化されているものもありますが、多くは原語でもなく中国語訳されたものを日本語読みするという、どこの国の言葉でもない意味不明の呪文です。
どうしてこんなことになったのか何人かのお坊さんに聞いてみましたが「そう言われればそうですね」と明確な答えはありませんでした。

「ドクター」様

コメント有難う御座いました。おっしゃる通りですね。どなたか、絵解きをして頂けると有難いのですが--。

何とか意味の分るのは、庶民の立場を考えて親鸞聖人が採用した「南無阿弥陀仏」それから、日蓮上人の「南無妙法蓮華経」くらいでしょうか。「南無」が「おすがりします」とか「帰依します」の意味であることも何となく分かります。

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