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2016年5月 1日 (日)

修学旅行生の案内

こどもの日にはまだ数日ありますが、私たちが社会に働き掛けより良い明日を創り出したいと努力しているのは、子どもたちのためです。特にヒロシマは、子どもたちを大切にしてきました。修学旅行生に優しい平和公園の大切な支え手は、子どもたちを案内し真実を伝えるボランティアの皆さんです。

 

 

今日は、その一人として活動を続け、反原発の市民団体である「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の代表としても、存在感ある発言を続けてきた木原省治さんの寄稿です。

 

 

被爆二世の木原さんは、御自分のブログ省ちゃんの前向き語り」でも、ユニークな発言を続けています。今回は、そのブログの4月27日の記事をこちらにも使わせて頂いています。

 

     

 

修学旅行生の案内

160421

雨の日の平和公園

 

 

平和公園は、外国人が多いですね。そして、これからは修学旅行生の多い季節です。特に中学生が多いように思います。昨日はチェルノブイリディの座り込みが原爆慰霊碑前で行われたのですが、その時もたくさん見かけました。

 

この季節、修学旅行生に原爆のつめ跡というか慰霊碑案内をさせられることが多いのです。僕はまだ少ない方ですが、今日の午後が今シーズンの最初です。岡山県の中学生で、三十数人を4人で案内するので一人の受け持ちは8人程度です。来月は今のところ2回ほど予定が入っています。

 

これまでも何度かやっているのですが、中学生の案内というのは、それなりに気を使うものです。そもそも自分から好きこのんで広島市に来た訳ではないでしょうし、原爆のことを勉強したいという生徒は稀だと思いますし、何よりも楽しいことではありませんから。そして案内時間は多くて2時間くらい今日は1時間で、これは案内役にとってはとても難しいものです。

 

この時間に中学生と最低限でも感じの良い人間関係を築き、大人になった時に「あー中学校の修学旅行で広島へ行った時、変なおじさんが話したなあー」ということを懐かしく思いだして欲しいと思うと、大人に話すより緊張するかも知れませんね。

 

ボランティアで平和公園のガイドをしている知人に電話をして、改めて平和公園ガイドの1~2時間ではどういうコースを選ぶかなどを、現地で事前学習させてもらいました。

 

今はレストハウスになっている、原爆当時は「燃料会館」だった建物は平和公園内では珍しい被爆建物です。頑丈なコンクリート建物だったために半壊にとどまったそうです。この「燃料会館」の地下室には許可を得れば入れるということで、許可を得ておきました。

 

話し・見学・そして出来れば折り紙で鶴でも作ってみて、71年前をほんの少しでも想像して欲しいものです。もちろん両親のことや原爆後の暮らしなど、親の「生きざま、死にざま」についても話すつもりです。しかし、嫌味たらしくなく、誇張することなく、淡々と、分かりやすく、何よりも「みんなと会えたことが嬉しい」という気持ちでやってみます。そして、短い時間ですが広島で得た経験、感じたことを今の世界に、日本のこれからに、生徒同士の人間関係の中でどう生かしていくかということを、感じて欲しいのですがね。

 

大人を案内する時、「中学生の時に平和公園に来て、それ以来はこの度が初めてなのですよ」という方も多いのです。何十年前?のことをリアルに覚えていると、それが気持ち良いプレッシャーにもしたいのですが。外は雨ですね。

 

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