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2016年4月18日 (月)

散歩の道すがら

散歩の道すがら

広島赤十字・原爆病院メモリアルパークを訪れた

 

わが家(広島市役所のすぐそば)では、年金生活者となった夫婦二人の健康のため毎日のように1万歩を目標に散歩を楽しんでいる。散歩のコースは、ほとんどが買い物を兼ねて紙屋町や八丁堀方面だが、今日はめずらしく南方面へと足を向けた。いつものコースと違い家々の庭先や玄関口に様々な花が色鮮やかに咲き乱れていた。目にも楽しい季節である。

 

ゆめタウン広島まで行っての帰り道は、広電の電車が走る通りを選んだ。新館建設工事が続いていた広島赤十字・原爆病院は、工事用のフェンスが取り払われ、新棟が姿を現している。

 

ここには、「爆風でゆがんだ鉄製の窓枠」や「窓ガラスの破片が突き刺さった痕が残る壁」のモニュメントがあったが、どこにいっただろうと思いながら歩いていると、道路を隔てる壁に下の写真の案内表示が目に入った。

Photo

日赤メモリアルパークの案内板

 

 

吉島方面に少し歩くと広島赤十字・原爆病院の道を挟んで南側にある「日本赤十字社・広島県支部」の敷地の一角に「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」が作られていた。そこには、2つのモニュメントだけでなく「原爆殉職職員慰霊碑」や「赤十字国際委員会会長(レオポルド・ポアシエ)碑文」、「原爆の絵『動員学徒の碑』」など8つのモニュメントや碑が、整然とレイアウトされている。

Photo_2

広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

 

被爆の二つのモニュメントも従来よりもさらに真近かに見ることができるような高さで設置されている。

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爆風で歪んだ窓枠

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ガラス痕の残る壁

 

 

今回、初めて気が付いたのが「ガラスの刺さった痕が残る壁」のモニュメントの横にあった「原爆の絵『動員学徒の碑』」である。以前に訪れたことがあると言っても十数年前だから、私が知らなかったのも当然かもしれない。後でわかったことだが、この碑は2005年8月6日に建立されたとのこと。

 

碑の説明文には、「この絵は、原爆が投下された翌日広島赤十字病院玄関前(当時)の円形の花壇に並べられた中学生(絵の中に書かれた文章では、広島二中の一・二年生)の遺体が、円形に並べられていた様子を描いたものだ」と書かれている。さらに「動員学徒として約6000人の中学生の命が奪われた」ことも記載されている。ひまわりの花弁のように並べられた子どもたちの姿。何とも言いようがない。

 

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原爆の絵『動員学徒の碑』

 

 

被爆当時、治療を求めて広島赤十字病院へ向かったことは、多くの被爆体験記から知ることができる。

 

原爆によって右目に負傷され3日目に赤十字病院に連れ込まれた森瀧市郎先生も、ある労働組合の講演の中で、その時の情景をこういわれている。少し長いが引用する。

 

「学生が私を赤十字病院に連れていきますと、病院ですから、みんながそこに集まってくるわけですから、そこで死んだままで腐っておる、ひどいけがをしてやっとみつけられたのが泣き叫んでおる・・・・・。そういう状況の中に、学生が私を、何とか治療がうけられはしないかと思って連れていったわけです。そして、今ちょうど原爆病院の建っているところが芝生でございまして、その上に私を寝かせておきましたが、臭くてしようがない。気が付いてみますと、私の頭のところで、亡くなった軍人が腐っておる。それがものすごい臭気を出しておったのです。その日も空襲がございまして、学生が私を背負って、今もそのままございます赤十字病院の地下室に逃げ込みました。地下室の光の足らん薄やみの中で、生きている者は皆うめいています。亡くなったものは皆腐っておる。あの地下室の状況は、地上における生きた地獄というものがあるとすればこんなものという光景で、これは忘れることができません。」

 

それにしても、生き地獄ともいわれる病院の前に、中学生の遺体が、こんな形でおかれていたことは、初めて知った事実である。今でもなお、新しい被爆の実相を知らされるのが、広島の現実であることを今日もまた思い知らされた。

 

帰宅後改めて、詳しい内容を知りたいと広島赤十字・原爆病院を訪ね、脇谷孔一社会課長から丁寧な説明を受けた。新館建設工事を機に、病院敷地内の各地にあった碑などを一か所に集めて新たにメモリアルパークを作ることになり、2014年(平成25年)7月2日に完成した。現在も多くの修学旅行生たちが、平和学習のため訪れているとのことであった。

 

広島赤十字・原爆病院では、こうした修学旅行生などのために、「平和学習―核兵器のない平和な世界の実現のために―」という立派なパンフレットを作成し配布されている。私も一冊いただいて帰った。

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広島赤十字・原爆病院 平和学習用パンフレット

 

広島赤十字・原爆病院メモリアルパークは、いつでも誰でも訪れることができるように、出入り口は開放されている。一人でも多くの人が訪ねてほしいものである。

 

ちなみに今日の散歩は、万歩計によれば7500歩であった。広島赤十字・原爆病院メモリアルパークからわが家までは、1147歩でした。

 

金子哲夫 (広島県原水禁代表委員・元衆議院議員)

 

 

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コメント

三十数年前にお見舞いで訪れた時は、まだ昔の建物でした。
廊下はとても薄暗く木の床だったように思います。
病室に入ると、曲がった窓枠の内側に後から作られた思ような窓があったように思います。
遠い昔の思い出ですから、思い違いしているかもしれませんが。
このパンフレットは、平和公園にも置いてあるのでしょうか。
修学旅行の学生さんやツアーの観光客の人たちは、平和学習で日赤病院のこのモニュメントに訪れますが、多くの人はあまり訪れないので、資料館にも置いてあるといいですね。

「やんじ」様

コメントありがとうございます。
パンフレットの件ですが、病院に問い合わせたところ、資料館にはおいてないようです。おっしゃるとおり、平和学習で日赤病院を訪れて、希望される方に配布されているとのことでした。

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