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2016年4月28日 (木)

森瀧市郎先生と座り込み

森瀧市郎先生と座り込み

 

今日428日は、私の最も尊敬する故森瀧市郎先生の115回目の誕生日である。

 

広島県原水禁は、1986年に旧ソ連・チェルノヴィリで原発事故が発生して以来30年間、4月26日をチェルノブイリディ―として様々な行動を行ってきた。

 

30年目の節目となった今年も、一昨日(4月26日)、従来の早朝街宣(バスセンター前)、昼休みの慰霊碑前座り込み(30分:75名参加)に合わせ午後6時から講演会を行い、チェルノブイリを忘れず、脱原発運動を強めることを確認した。

2016426

チェルノブイリ原発事故30周年の座り込み

 

ところで、私が、慰霊碑前の座り込み行動に参加すると思い出すのが、背筋をまっすぐ伸ばして泰然とした姿で座り込んでおられた森瀧市郎先生の姿である。

 

今日は、森瀧先生と「座り込み」について考えてみたい。

 

今も続いているが、広島では「核実験」が行われると、慰霊碑前で抗議の座り込みが行われる。連続しての座り込み行動は、1973年フランスの核実験に抗議して、慰霊碑前で座り込みをして以来である。もちろんいかなる国の核実験であっても。その一番前には必ず、森瀧先生の凛とした姿があった。私の原水禁運動のスタートとなったのも、この座り込み行動である。

 

森瀧先生の核実験抗議の座り込みは、これが最初ではなかった。森瀧先生の言葉を借りれば、「その前史」がある。1957年と1962年4月に行われた座り込みである。

 

その2度目となった1962年の座り込みのある日、座り込んでいる前を行ったり来たりしていた小さな女の子がつぶやいた「座わっとっちゃ止められはすまいでえ」という問いに答えて森瀧先生が導き出されたのが、「精神的原子の連鎖反応が 物質的原子の連鎖反応に かたねばならぬ」という悟りである。被爆者、労働者、宗教者、学生、一般市民、老若男女と座り込みの輪が日々に広がり、参加者が増えていくという森瀧先生の実体験から、この理念は生み出された。

 

「精神的原子の連鎖反応」は、1973年から始まった連続座り込み行動でも現れた。広島平和公園の慰霊碑前から始まった座り込みの輪は、県庁前へ、広島駅前へ、市内各所へ、県内に、そして県外へと次々と広がっていったのである。私たちは、実体験を通して森瀧先生の言葉を学んだ。まさに連鎖反応として。

Photo

森瀧先生の最後の座り込みとタスキなど

 

座り込み行動には、核という巨大に暴力を否定し、それに対抗する平和運動は、あくまで非暴力行動でなければならないという森瀧先生の一貫した理念が最もはっきりとあらわされている。

 

「なぜ慰霊碑に背を向けて座るのですか」と問われたことがある。それは、この座り込みは、原爆の犠牲となって亡くなった人たちとともに、抗議すると強い思いがあるからである。だから1時間(今は30分)を無言の抗議で貫いている。

 

また座り込み行動は、「継続は力」ということも教えたくれた。

 

1996年、包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連で採択された時、その報告を兼ねた座り込みは、くしくも500回という節目だった。この日だけは、参加者が次々とそれぞれの思いをアピールした。自分たちの行動に確信を持つ発言が相次いだ。粘り強く運動を続けてきたからこそである。「継続は力」ということをだれもが実感することができた。

 

森瀧先生の最後の座り込みは、確か1993年7月20日の「核実験抗議20周年記念座込み」のはずだ。先生が生涯を終えられる(1994年1月25日)わずか半年前である。

 

哲学者であると同時に、常に自らが先頭に立って行動する人でもあったことを忘れることはできない。私が感銘を受け、尊敬する所以である。もちろん尊敬する所以はこのことだけではない。そのことは次の機会に触れることにする。

 

森瀧先生の一貫した姿勢をま近かで学ぶことができたことが、私がぶれることなく原水禁運動を続け、生涯原水禁運動を続けたいと決意する原点となっている。

 

「森瀧市郎先生お別れ会」で会場の設営を任された私は、「これしかない」と思い、慰霊碑をかたどった祭壇を作った。そこに森瀧先生の座り込みとともにあった、「核実験反対」と書かれたタスキ、カバン、そして奥様が作られた座布団をお供えし、最後のお別れをしたことも思い出す。

 

金子哲夫 (広島県原水禁代表委員・元衆議院議員)

 

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