『空が、赤く、焼けて』
『空が、赤く、焼けて』
――「今年は一冊しか本を読んではいけない」と言われたら――
この本を読んで下さい
被爆70周年の昨年、原爆についてまた戦争と平和について書かれた素晴らしい本がたくさん出版されました。その中でも、長く絶版になっていた名著の復刻版として小学館から出された『空が、赤く、焼けて』をお勧めします。いかに大切な本であるのかを強調するために、もし「今年は一冊しか本を読んではいけない」と言われたらこの本を選ぶくらい価値のある本です、という言葉を添えてお願いし続けています。
長田新先生編の『原爆の子』(岩波文庫)も大切な本です。被爆した子どもたちが、自分たちの運命を静かに、また決然と受け止め、悲しみや苦労を乗り越え、子どもとして、と言うだけでは物足りないほど、人間として精一杯生きて行こうとしている様子が感動的に伝わってきます。広島平和文化センターの元理事長、故斎藤忠臣氏は、「自分にとって『原爆の子』は聖書だ」と高く評価していました。70周年を機に、今年になってからでも遅くはありませんので、多くの皆さんに再度この本を繙いて頂きたいと思っています。
また、生き残った子どもたちのその後の人生とそこから生まれた哲学が、「ヒロシマの心」として世界に大きな影響を与えてきたことも、感謝の気持ちと共に噛み締めています。
同時に心に留めておきたいのは、原爆によって多くの子どもたちが亡くなっているという、もう一つの厳粛な事実です。しかし原爆で亡くなった子どもたちの記録はそれほど多くはありません。その中で最も感動的な記録の一つが、奥田貞子さんによる『空が、赤く、焼けて』です。
奥田さんは、瀬戸内の島で8月6日を迎え、小さい火傷を負いますが、7日から、薬局をしていた市内の祖母の家を足場にして8日間、姪と甥(兄の子どもたち)を探しに市内を駆け巡ります。14日になって、二人は祖母の家に帰ってくるのですが、その間、市内で出会った子どもたちの死に立ち会うことになり、死を前にした子どもたちの様子を克明に日記に残してくれたのです。
奥田さんの心に残った子どもたちの言葉と姿は、人間であることの意味と真実を、美しく(と言って良いのかどうか逡巡はしますが、人間の存在を超えた、より高次元の立場とでも説明すればお分かり頂けるでしょうか)、感動的に私たちに突き付けます。陳腐な表現で申し訳ないのですが、この何物にも代え難い真実を私は「ヒロシマの天使」からのメッセージだと受け止めています。
そして、こうした子どもたちの死に、またその死に込められた思いに、私たちは応える義務を負っています。頭に浮かんだいくつかのエピソードを御披露することで、この点を少しでも御理解頂ければ幸いです。
奥田さんが市内に入ってすぐ、自転車に妹を載せて急ぐ男の子に遭遇、女の子(恵子ちゃん)が自転車から落ちてしまうのを見て、二人を助けようと思わず駆け寄りました。二人を家に連れて帰ろうと自転車を急がせるのですが、男の子も大きな怪我をしていたため力尽き、自転車を降りた彼を激励している間に妹は亡くなってしまいます。奥田さんは、男の子に付ける薬を取りに家まで引き返すのですが、その場に帰った時にはその子も息絶えていました。奥田さんを待つ間、男の子は、通り掛かった男性に、「おじいちゃん、お姉さんまだ来ませんか。お姉ちゃんまだかな~」と話し掛けながら亡くなったのだそうです。「あなたをあんなに待っていたのだから、ちょっとくらい抱いてやりなさい」とそのおじいさんは、二人を奥田さんのひざにそ-っと抱かせました。
別の日には、御幸橋を渡って右に折れたところで、原爆で目が見えなくなった正子ちゃんとそのおじいさんに出会います。おじいさんの背中にはガラスの破片が無数に刺さっていて、それを手探りで取ろうとした正子ちゃんの指は傷だらけでした。おじいさんの背中のガラスを取り除いてから、奥田さんは薬を付けて上げようと言うと、おじいさんは正子にと言い、正子ちゃんはおじいさんを先にと譲り合いを続けます。少ない薬なので、奥田さんとおじいさんは目で合図をして、おじいさんに塗ったことにして正子ちゃんに付けて上げます。おむすびを食べようという段になっても、私はいいからおじいさんにと正子ちゃんは言うのですが、三つあるから大丈夫だよ、三人で食べようという奥田さんの言葉に頷きます。その後、「モンペのポケットから手製のハンカチを出して、それをひざの上に置き、じ-っとまっているこの少女が私にはまぶしくかんじられた」と奥田さんは日記に記しています。
要約だけでは、とても真実を伝えることは不可能ですので、是非、奥田さんの言葉をお読み下さい。涙なしには読み通せませんが、その先も是非、考えて頂きたいというのが私からのお願いです。それは、これほどの悲しい思いをしながら亡くなって行った多くの子どもたちが私たちに残してくれた「宿題」に取り組むことです。戦争のない世界、核兵器のない世界を創るために、今、社会を動かす力のある私たちが、その力を最大限活用することです。
[一部は岩波現代文庫『新版 報復ではなく和解を』から著者の許可を得て引用]
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