「和解」の力
「和解」の力
ケリー長官の来広を取り上げた4月12日の私のコメントにちょっと不正確な点がありました。12日のコメントでは、「「和解」こそヒロシマのメッセージだと思います。それを理解し、広島で確認してくれたことだけでもケリー長官の広島訪問の意味があったと言って良いと思います。」と書いたのですが、良く調べてみるとケリー長官の使っている「和解」という言葉は、被爆者の「和解」とは違う意味を持っています。今回は、その違いを説明しておきたいと思います。
ケリー国務長官
まず記者会見でのケリー長官の言葉を引用します。11日の記者会見で共同の記者の質問に答えているのですが、広島を訪問した理由として、一緒に仕事をしている岸田大臣の地元でありそこでG7外相会合が開かれたからだというだけではなく、と述べた後、それより重要な理由として次のように述べています。
「but because we are engaged in this effort to try to reduce the
threat of nuclear weapons and because we are importantly trying to remind
people of the power of reconciliation, the power of people who were once
enemies who were at war being able to come together, find the common ground,
build strong democracies, build alliances, and do important things that have a
positive impact on people in the rest of the world.」
意訳すると「核兵器の脅威を減らす努力をしているからだし、多くの人々に和解に力があることを再認識して貰う大切な仕事をしているからだ。かつては敵同士だった人々、戦争をしていた人々が、一緒になって共通の基盤を見付け、強固な民主主義を建設し、同盟を結び、世界中の他の地域にいる人たちにも有益なインパクトのあるような大切なことを手掛けているという力だ。」くらいでしょうか。
被爆者の「和解」のメッセージは「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」に象徴されていますが、それは「他の誰にも」の中に、「敵」と見做される人も含まれているからです。つまり、「報復ではなく和解」なのです。報復を否定することは、武力を使って問題を解決しようという考え方そのものを否定することにつながりますし、それが日本国憲法の基本的な考え方であることは皆さん御存知の通りです。
両者に違いのあることはお分りだと思いますが、では、Kerry & Kishida 流の「和解」 (「K流の和解」と呼びます)と、Hibakusha & Hiroshima 流の「和解」(H流の和解)の違いを言葉で明確に表すとしたらどうなるのでしょう。
抽象的な言葉での説明も大切なのですが、歴史的なエピソード二つを御披露することでその違いを浮き彫りにしたいと思います。
実は、広島に原爆を投下したB-29爆撃機エノラ・ゲイ号の機長、ポールティベッツ大佐(1945年当時)と、その被害を受けた被爆者の代表的存在の一人である、元平和記念資料館の館長、故高橋昭博さんは、1980年にアメリカのワシントンで会っています。高橋氏が、上院議員会館における原爆展に同行した時のことです。私が通訳をしました。そのときのやり取りのさわりの部分をまとめると次のようになります。
ティベッツ氏(高橋氏の身体の傷を見て) 「それは原爆によってできた傷なのか」
高橋氏 「そうだ。しかし、私はそのことについて恨みつらみを言う気持はない。私が言いたいのは、どんな状況であっても、どの国の誰に対してであっても、核兵器が二度と使われてはならいということだ。そのために世界を回って、できるだけ多くの人々にアピールし続けている」
ティベッツ氏 「分った。でもあれは戦争だった。同じ条件の下で命令されれば私はまた原爆を投下する。だから戦争が起きないようにすることが大切だ」
高橋氏
「それでは、戦争が起きないよう、二人で協力しよう。そのために今後も文通をして行きたい。」
ティベッツ氏
「了解した」
エノラ・ゲイ号機長、ポール・ティベッツ氏
潘基文国連事務局長に被爆体験を証言する高橋昭博氏
二人は、原爆投下についての考え方を変えた訳ではありません。謝罪を求めたり謝罪をしたりということもありませんでした。でも、「戦争を起させない」という点を共有することが出来、二人はその後も文通を続けました。これが、「H流 和解」の一つの例です。
ここで、ティベッツ氏が「戦争の起きないようにすることが大切だ」と言ったのには、真珠湾攻撃で日本が戦争を始めたからこんなことになったのだから、原爆投下も含めて全ての責任は日本にある、という意味が込められています。それを逆手に取って、協力の方向に持って行った高橋氏の柔軟さに軍配です。
もう一つの歴史的な出会いがありす。真珠湾攻撃の指揮官だった淵田美津雄大佐(終戦時) ともティベッツ氏は会っているのです。ティベッツ氏は、高橋氏にその時のことを次のように語っています。
Fuchidaと私は肝胆相照らす間柄になった。Fuchidaは、原爆投下が戦争を早期に終らせたことを高く評価したばかりでなく、軍事作戦としても称賛に価すると褒めてくれた。対して私は、もし自分が日本側に立っていたとしたら、全く同じ形の奇襲攻撃をしたであろうこと、そして真珠湾攻撃が如何に完璧な作戦だったかをFuchidaに伝えた。かつての敵同士がこのような形で友人になれることは素晴らしい。
淵田美津雄大佐
軍人同士の和解と外務大臣同士の和解には違いがあるかも知れませんが、どちらも国家を代表している点から思考のパターンは基本的に同じだと考えても問題はないように思います。それは、分り易さのために極端に単純化してしまえば、仲が悪い時はお互い敵同士になって戦争、仲良くなると同盟国になって一緒に戦争するというパターンに他なりません。
ケリー長官が強調した和解は「K流」でしたが、政治家でも普通の市民でも広島訪問を機に、これまでも多くの来訪者が「H流の」和解を理解し、その精神を元に素晴らしい活動を繰り広げています。それを広島そして被爆者の持つ「和解の力」と呼ぶなら、ケリー長官も今回その源泉に触れ、「和解の力」の洗礼を受けた訳ですので、遅かれ早かれ「H流」を理解するようになるはずです。次回は、「和解の力」が、多くの人の人生を変えて来た事例を紹介したいと思います。
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そもそもは、私の不正確で都合の良い理解によるコメントでしたが、きちんとソースをご覧になり、ヒロシマの心でも最も重要な「和解」というものを、非常に分かり易く説明して頂き、私も「H流の和解」について再認識しました。
これまでのコメントにもあるように、この記事も「すごく納得」「どの説明を読んでも納得」という人は多いはずです。
多くの人が、このブログから「ヒロシマの心」を理解するようになると思います。
引き続き、よろしくお願いします。
投稿: 工場長 | 2016年4月15日 (金) 08時17分
工場長様
いつもタイムリーかつ的確なコメント有難う御座います。今回も、ケリー長官の言葉だけ拾うと、「H流」のようにも取れるところに難しさがあるのだと思います。
抽象論なら、「K流」と「H流」の違いは暴力を容認するかどうかにある、と宣言しておしまいなのですが、その考え方を元に、例えば国とか都市としての行動規範を作ろうとすると、一筋縄では行かなくなるからです。
そのような現実的な難しさを理解し乗り越えるためにも、まずは、過酷な被爆体験から生まれた被爆者のメッセージ、「H流の和解」を理解して頂くことが大切だと思います。
投稿: イライザ | 2016年4月15日 (金) 09時44分