予科練平和記念館 (2)
予科練平和記念館 (2)
予科練平和記念館
一昨日の4月23日、予科練平和記念館で開かれた「平和のおはなし会」は、今回で4回目だそうですが、予科練平和記念館も主催者として名を連ねています。「予科練平和記念館」という名称中の「平和」が単にレトリックではなく、平和関連の事業にも積極的に関わり、かつ、戦争や平和についての勉強や議論が自由に行える場を提供するという記念館の心意気も感じることが出来ました。
この会の後、坪田館長さんに案内して頂いて館内を見学しました。館内は写真撮影禁止ですが、例外として一枚、「平和のおはなし会」のタイトルを御覧下さい。
館内は、予科練の「七つボタン」に因んで、七つの部屋があり、それぞれ別のテーマに焦点を合わせての展示が行われています。「入隊」「訓練」「心情」「飛翔」「交流」「窮迫」「特攻」の七つです。
「入隊」では、飛行機や軍隊に憧れた子どもたちが難しい試験に合格して、郷土の誇りを背負って入隊してきた歴史が描かれています。「訓練」では分刻みのスケジュールで猛特訓を受け、心身共に成長する練習生たちの日課とその内容が紹介されています。「心情」では、親元を離れ、寂しさを隠して、でもまだ甘えたい気持も抑えられない様子なども窺い知れる手紙や、死を前にした遺書などを読むことができます。
子どもたちは、予科練を卒業して、「予科練習生」から「練習生」になって、飛行機に乗る操縦員として、あるいは通信や航法を担当する偵察員としての、本格的に専門的な訓練を受けることになるのですが、そのプロセスが「飛翔」という部屋で展示されています。
「月月火水木金金」という言葉は御存知だと思いますが、土曜も日曜もない訓練の日々を表す言葉です。でも実際には、日曜日は休みで、街に出ることも許され、馴染みの食堂や阿見町の人々との交流があった様子が、「交流」で展示されています。
「窮迫」では、1945年6月10日の日曜日の、土浦海軍航空隊そして阿見町を目標にした空襲について、当時その場で空襲を体験した人たちの言葉で伝えています。そして「特攻」では、特攻隊の歴史と予科練との関係を映像とナレーションで見せてくれます。
短時間でしたが、予科練平和記念館の伝えようとしていることは、概略理解できました。「涙」なしには見続けることのできない、そして同時に感動的な展示です。このような形で、若者たちに寄り添って、彼らがどのような生活を送り、どのようなことを考え悩み、笑い歌い頑張って成長していったのかを示す施設も確かに、歴史を理解する上で必要であり、重要だと思います。
しかし、この記念館を見て私の心に一番残ったのは、予科練習生や練習生たちが、子どもであるという事実です。1943年には、採用年齢が改定されて15歳以上20歳未満になりましたが、圧倒的に多かったのは、ティーン・エイジャー、つまり子どもたちです。
特に、まだ子どもたちである予科練出身者がその中核を担った特攻については、多くの疑問が残ります。まだ成人する前の子どもたちに、これほど過酷な運命を背負わせることが許されるのか、何故、そんな結末を避けることが出来なかったのか、その答までこの記念館に期待すべきなのではないのかもしれません。でも、未来の世代に同じ過ちを繰り返して欲しくないと私たちが願うのであれば、日本国内のどこかに、その答が分り易い形で示されている「場」も必要なのではないかと思います。
予科練平和記念館の開館5周年記念の実寸のゼロ戦モデル
「特攻」と名付けられた部屋の壁に刻み込まれた白い丸は、一つ一つが特攻で亡くなった若者一人を象徴しているのですが、全部で1万9,000あるのだそうです。
「体当たり特攻」と呼ぶ人もいる作戦は、1944年の10月に始められました。その結果、これほど多くの子どもたちの命が失われた作戦の採用時に、まず、これほどの犠牲を生むこと、しかもその軍事的効果がほとんど期待できないことを客観的に把握した上で、唯一の解決策は戦争を止めることだという判断が何故できなかったのでしょうか。
この疑問に対して、当時の為政者、特に軍部を組織論的に分析して、別の視点から答えているのが『失敗の本質』です。これは、6名の研究者(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎)による共著で、初版は1984年にダイヤモンド社(ISBN 4478370133)より刊行、1991年に中公文庫(ISBN
978-4122018334)で再刊されています。
最後に、特攻隊について肯定的に捉えたフィクションもノンフィクションも、映画にもなった『永遠のゼロ』をはじめ多くありますので、批判的な立場からの分析をまとめた『つらい真実――虚構の特攻隊神話』(小沢郁郎著、1983年に同成社刊)を一冊だけ紹介しておきます。
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