「広島ブログ」

2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

#平和推進

2021年3月29日 (月)

長崎の原爆犠牲者数は?―長崎市へ質問状を送付

このブログでも何度かとりあげた「長崎の原爆犠牲者数」について、一昨日長崎市に質問状を送付しました。長崎市から「問い合わせ」を受け付けたと連絡がありましたので、質問状の前文を省略し、質問部分のみを紹介します。

013


① 1976年に広島・長崎市の連名で出された「核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請」では、1945年末までの原爆による死亡者数として「長崎は、約7万人(誤差±1万人)」としています。

 さらに長崎市が1991年に岩波書店から発行された「ナガサキは語りつぐ 長崎原爆戦災誌」では、「ともあれ、長崎市では、人口調査などの数値から、死者7万余とする説を公式に採用している。」(P.105第2段落)と明記されています。

長崎市が「死者7万余を公式に採用」としているにもかかわらず、「原爆被爆者援護事業概要」では、「73,884人」を使われているのでしょうか。

もし長崎市の公式見解が変更されたのであれば、その時期と理由を教えてください。

② この疑問を質すのは、「残念ながら原爆被害の実数は特定できていない(事業概要でも「正確な死傷者を調査することは困難であった。」)」と考えているからです。にもかかわらず、「死者 7万3884人」と一ケタまでの人数を記載することになれば、この数字を読む人に、犠牲者数がきちんと調査が行われているという誤解を与えることになるのではないかと危惧するからです。この点については、どうお考えでしょうか。

こうしたことを私が考えるのは、そもそも広島、長崎の原爆犠牲について、国がきちんとした調査を行っていないことを問題にしてきたからです。当然のことですが、原爆被害の悲惨さから、残念なことですが、当時の被害の実態は、つかみきれないと思っているからです。

③ 確かに長崎市がいわれる「長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表の報告」には間違いなく「73,884人」という数字が記載されています。ただ、この報告でも「死者のうち、1万7358人は、原爆直後死体検視済みのものである」と書かれており、「73,884人」の具体的根拠は、明記されていません。「長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表の報告」の数字は、当時の住民数に爆心地からの被爆距離による被害率をかけて出されてものに過ぎないのではないでしょうか。もしその他に「73,884人」の具体的根拠(名前が明らかなど)があれば教えてください。

④ 付言すれば、長崎市、長崎県の「原爆被爆者援護事業概要」には、長崎と広島の被害の比較表が掲載されていますが、その比較表では、広島の「人的被災 死者数」は「118,661人」と一ケタまで明示され、出典として「人的被害 S.21.8.10 広島市調査を採用」と書かれています。

しかし、広島市は、広島原爆資料館とともに、1945年末までの死没者数は「14万人±1万人」(国連報告もこの数字)としていますので、私が、広島市に対し「長崎市の『原爆被爆者援護事業概要』に「死者数、118,661人」と記載されていることを指摘したところ、広島市の担当者は、その事実を承知したおらず、その後貴市に電話で「修正」を要請し、その結果「来年から修正する」ことになったと広島市の担当者から報告を受けています。

なお、ご承知のように長崎県の「原爆被爆者援護事業概要」にも、「73,884人」の数字が使われていますので、貴市の回答によって、長崎県にも問い合わせたいと思っています。

以上お尋ねしたいことは4項目ですが、なぜ私がこの数字にこだわるのかと言えば、重ねて言うようですが、一ケタまでの原爆犠牲死者数を記載することは、逆の意味で原爆被害の実態を誤って(きちんと調査ができず正確な人数を把握できないにもかかわらず、あたかも正しく把握しているかのごとくと)伝えることになるのではないか」という問題意識を持っているからです。さらに指摘すれば貴市は「今日の通説になっている」とされていますが、「通説」になったのは、貴市がずっとこの数字を使われ続けてきたからではないでしょうか。

貴市も広島市と同じように、「原爆被爆者動態調査」が行われていると思いますが、広島市においては犠牲者の14万人±1万人のうち、この動態調査で名前が明らかになっている人数は、89,030人(2020年3月末現在)のみです。

私も当然、実態を正確にするため、すべての犠牲者の名前が明らかにされるべきだと考えていますし、その努力を続けるべきだと思っています。しかし、どれだけ努力をしてもその正確な実態を明らかにできないのが原爆被害だというふうに考え、学習会などでは説明してきました。

こうした様々な思いから、あえて今回の質問を行うことにしました。


いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年3月24日 (水)

日本政府に「核兵器禁止条約」の批准を求める被爆者7団体の署名活動がスタート

広島の被爆者7団体の「日本政府に核兵器禁止条約の署名批准を求める署名」活動が、核兵器禁止条約が発効してから2カ月目の一昨日(22日)午後0時30分から元安橋西詰付近で、修復を終え、足場が取り除かれた原爆ドームをバックにスタートしました。

時折霰混じりの小雨が降る天気でしたが、15人の被爆者のみなさんが、マイクをもって平和公園を訪れた観光客、署名への協力を呼びかけました。30分間の行動で、しかも署名台が2台だけでしたが、37筆の署名が集まりました。

20210322_123410

署名者の中には、広島在住の人もいましたが、京都から卒業旅行で訪れた2人連れ女性や小学生の孫と一緒に平和公園を訪れた77歳の男性などの姿があり、その人たちからは「日本政府は何故批准しないのか?他の国に先駆けて批准すべきだ。」「署名するという良い機会に巡り合えました。」「資料館を見たばかりですが、戦争は絶対してはいけないと思いました」などの声を聴くことが出来ました。今回の行動は、被爆者団体のみで行うということでしたので、私もブログの取材ということで参加しましたが、ついつい「署名に協力してください」と声をかけていました。

20210322_123730

2016年から続けられて来た「ヒバクシャ国際署名」運動が一定の役割を終え、広島県推進連絡会(81団体・2個人:広島県原水禁も参加)は、昨年末で活動を終えました。ただ、日本政府が「核兵器禁止条約」の批准をしない姿勢に対し、政策の転換を求める活動が求められてきました。そこで、被爆者7団体は、核兵器廃絶へ向けた第2段階の行動として、今回の署名活動をスタートさせることになりました。今回の署名用紙には次のように呼び掛け文が書かれています。

「被爆75年の節目となる2020年(令和2年)、核兵器禁止条約は、批准国が50に達して2021年1月22日に発効しました。核兵器の全廃と世界中の核被害者(ヒバクシャ)の救済を求めた画期的に国際法です。

しかし、核保有国が反対し、わが国も背を向けています。条約を機能させるためにはどうしても、国民、国会が合意できる環境を早くつくり、政府を参加させることが必要です。それが核保有国の参加に道をつける被爆国の責務です。

私は、日本政府に核兵器禁止条約の署名、批准を求めます。」

広島県原水禁は、共に署名活動を進めたいと広島県被団協を通じて、「ヒバクシャ国際署名」と同じような取り組みとなるよう働きかけをしています。今回は、被爆者団体だけでの取り組みとなりましたが、次回5月22日に行われる街頭署名活動(奇数月の発効日「22日」に実施)までには、活動への参加の呼びかけがあると思われますので、広島県原水禁としても積極的に協力したいと思っています。

日本被団協は、11月に第1次集約を予定しているようです。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年3月16日 (火)

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視 ――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視

――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日、217日、221日そして311日に取り上げました。今回もその続きですが、まず、条例の素案を読めるサイトを紹介しておきます。ここです

 前回取り上げたのは、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」と同趣旨の条例を制定している国内他都市の場合、今回は苫小牧市、藤沢市、宝塚市の三市に限りましたが、その内容が広島市とはどのように違うのかを俎上に載せました。

 これらの都市では、憲法や非核三原則への言及があるだけでなく、苫小牧と藤沢では、それが条例の中心的な位置を占めています。前回はその点を指摘しました。

今回は、それだけではなく、広島市の場合、何故「わざわざ」、つまり意図的に憲法や非核三原則を外したのかについて考えなくてはなりません。

 市でも市議会でも、公的な文書を作成する際には複数のお役人が関わります。「官僚」と言っても良いのですが、その官僚が徹底的に訓練を受けているのが、「前例」と「横並び」についてのチェックです。

 ある問題についての文書を作る際に、まず、これまでどのような文書が作られてきたのかについて歴史的なチェックを行って、出来る限り「前例」を踏襲するという方針を守ろうとするのです。そして、国の方針はどうなのか、そして他都市ではどのような文書を作っているのかについてもチェックを行い、国や他都市の実例に沿った方向で、つまりできるだけ「横並び」になるような文書を作ろうとします。

 平和推進について、全国の都市をざっと眺めただけでも憲法や非核三原則を盛り込んで条例を作っているところが多いのですから、「前例」を踏襲し「横並び」を尊重する「無難」な案を作ろうと考えれば、広島市でも憲法や非核三原則を盛り込んだものになっても、誰からも文句を言われる筋合いはありません。(と書いてしまって気付いたのですが、実は、「誰からも」という点でどこかから文句を言われるかもしれないという「忖度」が働いたのか、あるいはもっと直接的に「圧力」が掛かったのかという点も、論理的には問題にしないといけませんね。)

 しかし、こと平和に関しては、広島市の持つ歴史的・世界的な責任は大きいのですから、他都市にはないような「踏み込んだ」条例にしたいと考えるお役人や市議会議員がいても良いどころか、私たちにはそう期待したい気持があるのではないでしょうか。となると、ちょうど今年の一月に発効した核兵器禁止条約について言及したり強調したりしても、何の不思議もありません。

 官僚としての仕事の流れからすれば、選んで当然だというよりは、選ばないとおかしいと思われる選択をしなかったのですから、それは、「意図的に」外したとしか考えられないのです。その「意図」は何なのかを考えたいのですが、そのためにも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の中で触れられていない、もう一つのテーマが大切です。それは、被爆者援護です。

 条例の素案では、前文で被爆者が味わってきた苦しみや悲しみ、そして痛みに触れています。「生き残った人々も,急性障害だけでなく,様々な形の後障害に苦しめられている。さらに,被爆者に対する結婚・就職等での差別により,後に,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を受けることが困難になるなどの被害もある。また,放射性物質を含んだ黒い雨による被害の議論は,いまだに続いている」

 であれば、現在も続いている被爆者の苦痛に対して、国としてまた広島市として何をなすべきかという方向性をきちんと示すべきなのではないでしょうか。被爆者や被爆二世、三世に対しての国の責任放棄について、市民、特に被爆者の代弁者として国に注文を付けるのも、市としての立派な仕事です。それが何故、この条例案には書き込まれていないのでしょうか。

Photo_20210315202001

 答は、「受忍論」にあります。これが、今回の条例案の背後に隠れていると仮定すると、この条例案についてこれまで掲げてきた疑問が全て説明できるのです。

 例えば、条例案の5条と6条で、平和に関しても、国家という権力が憲法や平和を踏み躙る可能性、特に戦争を始める可能性には口を閉ざしていること、市民に対しては「権威に対して従順でなくてはならない」(とまで言っていませんが、そうとしか解釈できません)という価値観を振りかざしている点、そして被爆者援護についての責任には頬っ被りするという姿勢の説明が付くのです。

 「受忍論」とは、国の諮問に対して1980年に、「原爆被爆者対策基本問題懇談会」という有識者による意見書として発表された考え方の本質を表す言葉です。その後の国の被爆者施策は、この答申に沿って行われているという事実が大切です。この懇談会の委員は全員故人ですが、茅誠司・東京大名誉教授(座長)、大河内一男・東京大名誉教授、緒方彰・NHK解説委員室顧問、久保田きぬ子・東北学院大教授、田中二郎・元最高裁判事、西村熊雄・元フランス大使、御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人です。当時の我が国のエスタブリッシュメントそのものです。

 結論は、「基本理念」という形で次のようにまとめられています。

  Photo_20210315202101

これを、もう少し分り易く絵解きすると、日本国政府の持っている「戦争観」とは「受忍論」だということになります。その内容は次のとおりです。

  • 戦争は国が始める
  • でも、戦争による犠牲は、国民が等しく受忍しなくてはならない
    • ただし放射能による被害は特別だからそれなりの配慮は必要
    • しかし、一般戦災者とのバランスが大切
  • 国には不法行為の責任や賠償責任はない

 国の主張の歪みを理解するためには、「受忍論」を少し変えて、「国民主権受忍論」とでも名付けたいものに言い直すことが役立ちます。それは、「戦争は、主権者である国民の意思によって始められるものであるから、その結果生じる犠牲については、原因を作った主権者である国民が等しく受忍すべきである」という内容です。これなら、原因と結果というつながりから、それなりの理解は得られると思われます。

 しかし、これは太平洋戦争 (第二次世界大戦、15年戦争等の別称もあります) には当てはまりません。主権者は国民ではなく、国民が戦争を始める力は持っていなかったからです。にもかかわらず、その結果として生じた、生命も含む犠牲については、国民が「等しく受忍」しなくてはならないというのが、国の立場なのです。これは、戦争という、国民にとって(そして国家にとっても)、最大限の犠牲が生じる出来事について、国が「支配し」国民が「支配される」という関係を描いています。戦争を起こした責任、そして生命や財産、その他の犠牲を国民に強いることになった反省も後悔も、もちろん賠償の意思も全く考慮されていないのです。

 だからこそ、犠牲者に対する国の姿勢は、国の「恩恵」をどう分配するのかという経済的配慮が中心になってしまうのでしょう。

 先ほど「疑問」として指摘したことの内、国が憲法や平和に対するコミットメントを蔑ろにする可能性に広島の条例案が口を閉ざしているのは、「受忍論」では国が戦争を始める権利を認めているのですから、その延長線上にあると考えると、それなりに筋は通っていることになります。

 「市民が権威に従順であれ」は、そもそも「受忍論」が成り立つ上での大前提でしょう。また、被爆者の援護に言及がないのは、国の戦争開始の責任も不法行為への賠償責任も認めていないことからの帰結です。

 ここまで深読みする必要はないのかもしれません。でもこれも、あまりにもお粗末な「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」案が何故出て来たのかを理解しようとする努力の一環です。さらに、「一般戦災」との関連、また福島での被害や犠牲との関連も重要です。こうした点も含めて、条例案の内容が改善されるか、撤回されて最初からやり直すかという結果になれば、もっと建設的なアイデアをいくつも提案したいと考えています。

 [2021/3/16 イライザ]

[お願い]


この文章の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

 

2021年3月11日 (木)

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」が残念な理由 ――国内他都市の条例と比較しても問題あり――

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」が残念な理由

――国内他都市の条例と比較しても問題あり――

 

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日、217日、221日と取り上げましたが、その続きです。まず、条例の素案を読めるサイトはここです

 221日には、世界という舞台で「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」がどんな役割を果すのか、特に世界からどのような期待を持たれているのかという視点からこの条例素案を取り上げました。今回は、日本国内の他の都市が、平和について、また核兵器の廃絶についてどのような条例を作っているのかを見てみましょう。スペースに限りがありますので、北から、苫小牧市、藤沢市、宝塚市と三市の条例をまず、読んでみて下さい。

Photo_20210310232101   

苫小牧市非核平和都市条例(平成14年4月1日公布)

 わたしたち苫小牧市民は、安全で健やかに心ゆたかに生きられるように、平和を愛するすべての国の人々と共に、日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に努めるとともに、国是である非核三原則の趣旨を踏まえ核兵器のない平和の実現に努力していくことを決意し、この条例を制定する。

 目的

1条 この条例は、本市の平和行政に関する基本的事項を定め、市民が安全で健やかに心ゆたかに生活できる環境を確保し、もって市民生活の向上に資することを目的とする。

 恒久平和の意義等の普及

2条 市は、日本国憲法に規定する恒久平和の意義及び国是である非核三原則の趣旨について、広く市民に普及するように努めるものとする。

 平和に関する交流の推進

3条 市は、他の都市との平和に関する交流を推進するように努めるものとする。

 その他平和に関する事業の推進

4条 市は、前2条に定めるもののほか、平和の推進に資すると認める事業を行うように努めるものとする。

 平和の維持に係る協議等

5条 市長は、本市において、国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請するものとする。

 核兵器の実験等に対する反対の表明

6条 市長は、核兵器の実験等が行われた場合は、関係機関に対し、当該実験等に対する反対の旨の意見を表明するものとする。

 委任

7条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。

 附則

この条例は、公布の日から施行する。

  Photo_20210310232301

次に、藤沢市です。

○藤沢市核兵器廃絶平和推進の基本に関する条例

平成7330日条例第47

 (目的)

第1条 この条例は,藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言(昭和57年藤沢市告示第29号)に基づき,核兵器廃絶を目指す国是としての非核三原則の厳守及び日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に関する基本原則を定め,もつて市民の平和で安全な生活の維持向上に資することを目的とする。

 (定義)

第2条 この条例において「核兵器」とは,核分裂,核融合又はそれらを組み合わせた爆発的原子核反応によつて放出される原子核エネルギーを用いて人間を殺傷し,又は器物,建造物若しくは自然環境を破壊するものをいう。

 (基本原則)

第3条 市は,第1条の目的を達成するため,不断の努力をするとともに,市民の協力を得て平和行政を推進する。

2 市は,市内での核兵器の製造,保有,持込み及び使用に協力しない。

3 市は,核兵器廃絶の実現に向けて国内又は国外の都市等との連携を深める。

4 市長は,3に定める事項の推進に努めなければならない。

5 市民は,1の目的を達成するため,自主的に平和に関する活動を行うとともに,第1項から第3項までに定める事項に関して積極的に協力するものとする。

(平和事業)

第4条 市は,前条の基本原則に基づき,次に掲げる事業を行う。

(1) 核兵器廃絶及び平和の意義の普及

(2) 核兵器廃絶及び平和に関する情報の収集及び提供

(3) 核兵器廃絶の実現に向けて他の都市等との平和に関する交流

(4) 前3号に掲げるもののほか,市長が必要と認める事業

2 市は,前項の事業の計画に当たつては,その基本的事項について市民の意見を聴くものとする。

 (委任)

第5条 この条例の施行について必要な事項は,市長が別に定める。

附 則

(施行期日)

1 この条例は,公布の日から施行する。

(藤沢市平和基金条例の一部改正)

2 藤沢市平和基金条例(平成元年藤沢市条例第23号)の一部を次のように改正する。

〔次のよう略〕

  Photo_20210310232401

そして、最後に宝塚市です。

○宝塚市核兵器廃絶平和推進基本条例

平成15919日条例第35

 宝塚市は平成元年37日に「非核平和都市宣言」を行いました。「青くすみきった空、清らかな武庫川の流れ、緑あふれる六甲・長尾の山々……。この素晴らしい自然と明るくおだやかな暮らしは宝塚市民すべての願いです。このような私たちの願いに反し、世界では依然として、人類同士の悲しむべき争いが絶えず、しかも地球上の全生命を滅ぼすことのできる核兵器が蓄積されてきました。しかし、人類の平和への切実な願いが全世界に高まり、大きなうねりとなって、ようやく戦略核兵器の縮小や、各地域の紛争解決への明るい兆しが見えようとしています。私たちは、このようなときにこそ、戦争を、そして核兵器をなくし、世界の恒久平和を強く願わずにはいられません。ここに、宝塚市は憲法の平和精神に基づき、恐るべき核兵器の廃絶を願い、永遠の平和社会を築くことを誓い、「非核平和都市」とすることを宣言します。」と世界にむけて非核平和の決意を明らかにしました。

 このような認識の下に、市民と市が非核平和の基本原則を共有し協働して、市民の平和で安全な生活の維持向上に努めるため、この条例を制定します。

 (目的)

第1条 この条例は、本市の非核平和都市宣言(平成元年3月7日宣言)に基づき、市民と市が協働して平和で安全なまちづくりを進めるための基本的な原則を定め、もって市民の平和で安全な生活の維持向上に資することを目的とする。

(定義)

第2条 この条例において「核兵器」とは、核分裂、核融合又はそれらを組み合わせた爆発的原子核分裂によって放出される原子核エネルギーを用いて人間を殺傷し、又は器物、建造物若しくは自然環境を破壊するものをいう。

 (基本原則)

第3条 市は、第1条の目的を達成するため、不断の努力をするとともに、市民と市が協働して平和事業を推進する。

2 市は、核兵器廃絶の実現に向けて国内及び国外の都市等との連携を深める。

3 市長は、2に定める事項の推進に努めなければならない。

4 市長は、核兵器の実験等が行われた場合は、当該実験等に対する反対の旨の意見を表明するものとする。

5 市民は、1の目的を達成するため、自主的に平和に関する活動を行うとともに、第1項から第2項までに定める事項に関して積極的に協力するものとする。

(平和事業)

第4条 市は、前条の基本原則に基づき、次に掲げる事業を行う。

(1) 核兵器廃絶及び平和の意義の普及

(2) 核兵器廃絶及び平和に関する情報の収集及び提供

(3) 核兵器廃絶の実現に向けて他の都市等との平和に関する交流

(4) 前3号に掲げるもののほか、市長が必要と認める事業

2 市は、前項の事業の計画に当たっては、その基本的事項について市民の意見を聴くものとする。

(委任)

第5条 この条例の施行に関し必要な事項は、規則で定める。

附 則

この条例は、公布の日から施行する。

 

以下、コメントですが、もうかなり長くなりましたので、詳しくは次回にも続きます。

 まず、三つの条例とも似た形をしています。これは、平和推進条例だけに限ったことではなく、国が法律を作ったり、何かを推進しようとするときには、地方自治体に「ひな形」を示します。多くの自治体は、固有名詞だけを自分たちの自治体名にすればそのまま条例になるような「ひな形」を前に、ほとんどの場合、その通りのことをしています。とても「親切」ですね。とは言え、これでは「地方自治」ではなく、中央集権国家による自治体の「支配」なのですが、この点についてはまた別の機会に取り上げましょう。

 もっとも、平和推進条例の場合は、長い間の日本政府の方針とはちょっと違っていますので、これは国の方針として「ひな形」を作ったのではなく、全国的に「非核宣言都市」や「平和推進条例」が注目されていたときに、平和活動家や専門家が作ったものかもしれません。

 それはともかくとして、三つの条例に共通している事柄で、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」にはないものがいくつかあります。

 一つは、「憲法」という言葉、あるいは「非核三原則」という言葉です。条例が国のレベルでのどの法律に依拠しているのかを示すことは、条例の意味を明確にする上でとても重要です。それは、憲法94条があるからです。

 94条  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

 そして、三つの条例のうち、苫小牧の場合には第5条で、「国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請するものとする」とまで踏み込んで、仮に国が非核三原則に反する行為を取った場合には、「文句」を言うとまでは書いてありませんが、抗議の意思を示すと謳っています。

 藤沢市でも、第3条の2で、「市は,市内での核兵器の製造,保有,持込み及び使用に協力しない」と、非核三原則の遵守を国に求めています。

 それは、憲法99条の公務員の憲法遵守義務に従うという意思表示なのですが、地方公務員だけではなく、国家公務員、それも国会議員や総理大臣等にも同じ遵守義務があるという事実を国に対して突き付けていることでもあるのです。

 では、広島市の場合はどうなのか、スペースの都合で次回に回しますが、一言で広島市の条例をバッサリ切れば、憲法に関しては、国への「忖度」としか言いようがありません。

 [2021/3/11 イライザ]

[お願い]


この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年2月21日 (日)

世界における広島の役割 ――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

世界における広島の役割

――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

 

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日の本欄では、15日に原水禁が市議会議長に提出した「意見と要望」を全文掲載しました。またその際に口頭で行った補足の要望や議長の反応等については、217日に金子代表委員からの報告がありました。

 念のため、意見募集についての市議会サイトのURLを貼り付けます。条例の素案は、そこから入ることができます。

 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/gikai/199719.html

 今回は改めて、世界という舞台上で「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」がどんな役割を果すのか、特に世界からどのような期待を持たれているのかという視点からこの条例素案を取り上げたいと思います。厳しい内容になりますが、それは、世界において広島の占める重要性の反映ですので、御理解頂ければと思います。

まず、女性蔑視発言で世界中から批判された、森喜朗元組織委員会会長の発言を考えましょう。この発言が世界的に注目されたのは、オリンピックが世界的に重要なイベントだからですし、東京開催も同様に関心の的になっているからです。仮にこの発言が、日本国内でもあまり名の知られていない、保守的で小さな町のボランティア団体会長の発言だったとすれば、その町で良く読ませている地方紙でさえ、報道しなかったのではないでしょうか。

 広島が世界的な存在であることは、例えば、広島への原爆投下が、AP通信社による「20世紀の最大のニュース100選」のトップとして選ばれていることからも分ります。仮にオリンピックと比べたとして、広島が同じくらい、あるいはそれ以上の位置付けになる可能性は、クロアチアのビオグラード・ナ・モルという都市の市民たちが広島に寄せる思いだけからも容易に推測できます。

 

(以下、『ヒロシマ市長』(秋葉忠利著・朝日新聞出版)131ページから引用)

 「ここでは、もう一つの(平和市長会議)副会長都市、クロアチアのビオグラード・ナ・モル市のユニークな活動だけ取り上げておきたい。「海に面した白い町」という意味の美しい街で、人口は約六〇〇〇人。古くから、アドリア海に面した観光地として知られているが、クロアチア紛争の際には、セルビア軍による攻撃でかなりの被害をこうむった。その体験から、戦争を繰り返さないこと、とくに核兵器の廃絶のためには熱心な都市になった。「観光」と「平和」が自然に結びついたよい例だろう。広島や長崎についてもいろいろと勉強し、中でも「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんと折り鶴の物語に、多くの子どもたちが感動したそうだ。この気持を表現するためにビオグラード・ナ・モル市のイヴァン・クネッツ市長は、折り鶴の碑を建てることにした。鉄製の五メートルほどの美しい碑である。

その除幕式では、市内のすべての子どもたちが折った折り鶴をこの碑の前に捧げることを計画した。子どもたちに鶴の折り方を教えたのは学校の先生だが、子どもたちは家に帰ってからも鶴を折る練習をしたらしい。子どもたちの練習を助けるためにお父さんやお母さんたちも鶴の折り方を習った。その結果、ビオグラード・ナ・モル市のすべての市民が鶴を折れるようになった。そう報告してくれたのは同市の国際・平和担当のヤスミンカ・バリョさんだった。」

 

一つの都市の子どもたち、その気持ちを汲んだ市長、学校の先生、そして保護者達全市民を巻き込んだこのような活動を可能にする力を「広島」は持っているのです。比較することが適切ではないかもしれませんが、オリンピックを凌駕していると考えることも可能なのではないでしょうか。

 ですから、ビオグラード・ナ・モル市の市民は広島市の「平和推進条例」に高い関心を持つはずです。それだけではなく、今や加盟都市が1万に近付いている平和首長会議の他のメンバー都市やその市民たちも同じように注目するでしょう。

 一例を挙げると、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジ市には、予算を付けた「平和委員会」があります。元々は、「核軍縮と平和教育のための委員会」でしたが、発展的に今の名前になりました。この委員会は、具体的な活動内容まで条例で決め、市民ボランティアから委員が選ばれています。そしてこの委員会の人事については市長にアドバイスをすること、逆に諮問を受けることなども仕事の一部になっています。世界的には他の都市でも同じような条例を作っていますので、広島の条例に対する関心は非常に高いはずです。

Peace-commission

ケンブリッジ市平和委員会の行事の一つ

 なぜならこの条例は、被爆後の75年以上の歴史の中で「世界の広島」において初めて作られる「平和推進」についての条例だからです。文書化されることに注目すると、文書として広島市が公式にまとめている、毎年86日の「平和宣言」の総まとめとしての役割を果すことになります。70年以上の「平和宣言」には、被爆者や市民、そして広島に心を寄せる世界中の人々の思いが込められています。その全てを条例の中に詳しく再現することは不可能ですが、その理想や精神は、条例の前文として格調高く述べられてしかるべきなのではないでしょうか。

 さらに重要なのは、「平和宣言」の持つ意味が如何に大きいものだったにしろ、「平和宣言」には法的拘束力がないという点です。森発言も法的拘束力を持たない、組織委員会の一人の役員の言葉です。仮に法的拘束力を持つ文書に、同じ内容が盛り込まれていたとしたら、その意味は全く異なっていたはずです。

この観点からも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の素案を考える必要があるのではないでしょうか。まず、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」では、原水禁の「意見と要望」が指摘しているように、中心になっているのが、市民が行政に協力する義務と、表現の自由に抵触する可能性の高い「厳粛」つまり「自粛」なのです。

 条例素案の欠陥を是正するだけではなく、人類史的な立場、世界的立場からもお手本にしたいと言われるような内容にできないものでしょうか。全市民は勿論のこと、詩人や文学者も含めて、平和と広島に関心を持つ広島以外の識者や市民にも加わって貰うことで、「お手本」を作ることは今からでも遅くはないはずです。

[2021/2/21 イライザ]

[お願い]

この文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。


広島ブログ

広島ブログ