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2021年4月16日 (金)

自然災害の歴史から学ぶ (3) ――災害対応にも政治にも「論理」を持ち込もう――

自然災害の歴史から学ぶ (3)

――災害対応にも政治にも「論理」を持ち込もう――

 

規定事実を無理矢理、押し付けようとするとき、為政者は「分り易い」喩えや理屈で説得しようとする癖があります。福島の第一原発の汚染水についての麻生副総理・財務大臣の発言が典型例です。汚染水を、処理済みとは言え海洋放出することに何の問題もないと強調するために、「別にあの水飲んでもなんてことないそうですから」と宣うた。

そこで論理に登場して貰うと、「だったら、飲んで見せて」、「飲み水と同じなら、何故捨てなくちゃいけないの?」等々、究めて当たり前の結論です。

それに対して、麻生副総理が論理的な対応をするのであれば、一番簡単なのは、「汚染水」を飲んで見せることでしょう。「飲んでもなんてことない」のですから。それで、政治的な責任が果たせるのであれば安いものです。

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これは、カフェラテですから飲んでも大丈夫

でも、十中八九、飲まないでしょう。安部・菅政権の常套手段、そして歴代自民党の常套手段は「白を切る」ことだからです。つまり、「答えられない」のです。論理的には破綻していることを、「答えない」という行動を通して認めてはいるのですが、それだけではなく、その事実を認めない上に、最初の言葉、つまり「飲んでもなんてことない」が嘘だったことも認めないのですから、何重にも人を馬鹿にしています。

それでも、政党の支持率では自民党が一番多いのです。その理由は全く理解できませんが、それを変えるのはやはり選挙です。手始めに、今月の参議院選挙で自民党候補を落とすことから始めましょう。とは言ってもこのブログを読んで下さっている方には、釈迦に説法なのですが、あまり関係のないような場でも話を選挙に持って行って、河井夫妻のことや麻生副総理のこと等、遣り切れない思いであることを伝えるという作戦はどうでしょうか。

自然災害について遣り切れない思いをした記憶はたくさんあるのですが、その一つとして阪神・淡路大震災後の復興についての国の対応があります。自宅が倒壊して住めなくなった人は20万人以上に上りました。全壊が104,906戸、半壊が144,274戸、全焼が7,036 戸、半焼が96戸という数字が、ウイキペディアには載っています。

しかしながら、我が国の法的な立場は伝統的に、私有財産に公費を投じる施策は取らないというもので、当時の村山富市首相は「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」と言っています。

つまり、ローンを組んでようやく建てた家が地震で倒れてしまっても、再び自力でローンを組んで家を建て、地震でなくなってしまった家のローンと新しい家のローンの両方を払い続けるのが原則だったということです。

義援金や自治体からの援助もありましたが、やはり国の責任で、主権者である国民の窮状を救うのが筋であるという多くの国民の声を受けて、ようやく1998年になって「被災者生活再建法」ができました。「自助努力による回復が原則」から、市民の生活にようやく目が向いたのですが、それでも多くの問題がありました。

まず、この法律は遡及適用がされなかったのです。つまり、阪神淡路大震災の被災者には適用されなかったのです。これって、あまりにも冷たい、非人間的な対応ですよね。

さらに、住宅の再建には使えないどころか、補修にも使えない、基本的には住宅関連の費用に充てることはできないものだったのです。しかも、最大の額が100万円でした。

そんな中で、大きな一歩になったのが、2000年10月に、鳥取県西部地震の後、片山善博知事 (当時) が「鳥取県西部地震被災者向け住宅復興補助金」という制度を作ったことでした。その結果、住宅再建に公金が使えるようになったのです。国のレベルでもこの法律の後追いをして、法的にも徐々に整備がされてきました。

このような政治の貧困 (それに風穴を開けた片山元知事の様な例外のあったことも重要ですが―――) が、なかなか改善されない背景を考えてみると、そこに再び、「受忍論」の影がチラつくのです。その点を検討する上で、やはり「論理」を持ち出さなくてはならないのです。以下は次の機会に。

 [2021/4/16 イライザ]

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2021年4月 6日 (火)

完全に舐められている私たち (3) ――官僚からも。でも私たちには憲法がある――

完全に舐められている私たち (3)

――官僚からも。でも私たちには憲法がある――

 

「完全に舐められている」シリーズを続けていますが、今回はその根底に憲法のあることを強調します。

 もう古いことになってしまっているようですが、先月の24日、まだ時短の要請が続いている中、厚労省の職員が銀座で (「また銀座かよ」という声が聞こえる) 深夜まで、「送別会」と称して大宴会を開いていたと言うではありませんか。日本中、官僚たちを除いて、大憤慨したはずです。

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何年か前の昼間の銀座

 

老健課の課長が言い出しっぺで、「誰も止められなかった」という言い訳まで聞こえてくるのですが、それだけで終りにしてはいけません。あるいは、「外での飲食は控えて下さい」とお願いしている側が外で飲食、しかも大人数でするとは怪しからん、という受け止め方もあるようです。それもそうなのですが、もっと根が深いのではないでしょうか。

 そもそも、官僚、つまり公務員が給料を貰って生活できるのは、国民、つまり私たちのために働いているからです。主権者のためにです。給料を貰う条件として、「全体の奉仕者」として働く、という義務が課されています。それが憲法15条です。

 その義務を果たすためには、四六時中、どんな時にでもこの義務を思い出し、それに照らして自らの行動を律する必要があります。課長なら、課員に先駆けてその義務を全うするのが当たり前です。そして、課員は、課長がおかしな行動をとったのなら、課長と自分という関係ではなく、主権者と課長という関係を元に、主権者の代理として発言すべきなのです。そして主権者には公務員を罷免する力もあるのですから、そのことも考えた上で、上司であっても主権者目線で物を言う義務があるのです。

 法律の専門家はこのような直線的な議論はしないでしょう。法律ができたり慣例があるとそれらに縛られてしまうからです。でもいったん慣例を認め始めると、切りがありません。今回の送別会も「慣例」に縛られた結果です。そんなものに縛られないようにするためには、原点に戻って考えることなのです。

 もう一点、これはマスコミの罪も大きいことなのですが、この課長は「事実上の」更迭なのだそうです。そう報じられています。「事実上」とは何を意味するのでしょうか。それは、「良~く、底の底まで調べてみると、本当は更迭ではありませんよ」という意味です。ここでも私たちは舐められ馬鹿にされていますね。

つまり、今後の異動等の際には影響が出ず、退職金も減らされないし、天下り先もきちんと回ってくる、ということなのです。「官房付」等と聞くと訳が分りませんが、人の噂が消えるまではちょっと隠れておくということでしょう。その間、ほとんど仕事はないでしょうから、ただで給料を貰うということになってもおかしくはありません。

私たちが求めなくてはならないのは、何度も繰り返される「事実上」の更迭ではなく、正真正銘の更迭です。それは、憲法を守るという宣誓をして、仕事にありついた公務員誰しもが受けるべき処罰なのではないでしょうか。

 [2021/4/6 イライザ]

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2021年3月26日 (金)

完全に舐められている私たち ――河井夫妻からも、政府・自民党からも、東電からも――

完全に舐められている私たち

――河井夫妻からも、政府・自民党からも、東電からも――

 

災害についての基本的な知識を確認するシリーズを始めたのですが、前回は、明治以降の震災被害の内、大きなものを振り返るため、表を作りました。そのチェックの段階で、1989年のサンフランシスコ地震の際の建設省や専門家の御託宣を取り上げました。

 

高速道路が崩壊したりといった大きな被害が出た地震でしたが、今もはっきり覚えているのは、建設省の関係者そして専門家と称する人たちがテレビで得意顔をして、「日本の技術は優れているから、日本でこの規模の地震が起きても、同じような被害は起きない」と宣言している姿です。これは、6年後の阪神淡路大震災で、嘘であることが証明されてしまっているのですが、サンフランシスコ地震についての言明について、建設省や専門家たちがどのような反省をしたのかが未だに分りません。この点についても検証したいと考えています。

 最悪の場合、このような立場の人たちが誤った「自信」と「傲慢さ」を持ち続けているとすると、現時点でこうした人々の発するメッセージに対する信頼度が無くなるからです。

 

最近ニュースで取り上げられた大きな出来事いくつかに注目しただけでも、「自信」と「傲慢」は、見出しに掲げた、「河井夫妻、政府・自民党、東電」には、立派に生き残っています。「傲慢」だけでは言い尽くせないほどの低劣な品性の持ち主なのですが、品性を問題にするのではなく、「結果」にシフトしましょう。

 つまり、そんな人たちに、私たちは完全に舐められているという事実です。その証拠になるいくつもの言動があるにもかかわらず、私たちの側から、目の前で効果の出るカウンター・パンチを繰り出せないのが何とも歯痒いのですが、いくつかを確認しておきましょう。

 元々、無罪を主張していた河井夫妻が、「今になって」その主張を引っ込めたのがその一つです、二人とも「有罪」を認めました。案理氏は、121日の東京地裁の有罪判決に対しての控訴は行わず、23日に辞職しました。克行氏は、323日に行われた被告人質問の中で、それまでの無罪主張を一転、有罪を認め議員辞職することも表明しました。さらに25日には、辞職願を提出、来週にも衆議院本会議で認められるとのことです。

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東京地方裁判所

 

まず、案理氏の一審判決が確定し、当選は無効になった意味と自民党の責任について、元広島地検特別刑事部部長、東京地検特捜部でも活躍した郷原信郎弁護士が分り易く説明してくれています。

 

「広島県政界に広く現金がばら撒かれたこの事件は、まさに党の組織としての重大不祥事である。1億5000万円の選挙資金と現金買収の原資との関係や、安倍氏や菅氏の案里氏の立候補及び選挙運動への関与や認識などを明らかにし、また、広島県政界に事件が波及した構造を解明して、是正を図らなければ、自民党が公正な選挙を行うことへの信頼も期待もあり得ない。」

 (出典は、「ヤフーニュース」です)

こうした努力は全く行わずに、「候補を一本化」することが、この不祥事に対する答だとの主張を行っている自民党の県連は、今回の「再選挙」の意味を無視し、選挙とは「政局」つまり、権力闘争の一場面であるとしか考えていないことを示しています。

それは、選挙そのものの意味、民主主義と国民主権についての自民党の基本姿勢を具体的に示している行動でもあるのです。

再び郷原氏に登場して貰うと、

 

「自民党が、広島県の政界の体質に目を向けることなく、単に、過去の与野党の票差と、野党側の選挙事情だけに目を向けて、再選挙に公認候補者を擁立しようとしているとすれば、広島県民を舐めきった「思い上がり」以外の何物でもない。」

 

次に取り上げたいのは、「一転して、有罪を「今」の時点で認めることになった」理由です。これほどの「変心」には何らかの理由があるはずです。改めて、説明しなくても皆さんにはお分りかもしれませんが、念のため、整理しておきましょう。

① お金が欲しかった―――歳費と文書交通費だけでも、月に200万円以上の収入になります。またボーナスもあるのですから、二人合わせると恐らく4,000万円くらいにはなります。そのお金が欲しかった、という理由かもしれません。「無罪」を主張し続けたのは、議員でいる限りこの収入が入ってくるからだという説明には、そのことが正しいかどうかの判断とは別に、説得力があります。

 ② 補欠選挙を遅らせたかった―――案理氏の場合、控訴をして、時機を選ぶことで衆議院選挙と参議院選挙を同じ日にすれば、保守王国の広島では選挙が有利になると考えられます。しかしこの目論見は衆議院の解散があると外れてしまいます。さらに、弁護のための費用もかなり掛かりますので、そのバランスで「今」になったのかもしれません。克行氏の場合は、316日以降に辞職すれば、10月には確実に衆議院議員選挙があるのですから補欠選挙は行われなくなります。それを狙ったのかもしれません。

 この点については、ヤフーニュースに、大濱﨑卓真さんが詳しく分り易い記事を載せてくれていますので、お勧めします。

 この他にも理由はあるのでしょうが、「舐められている」証拠のもう一つに移ります。二階自民党幹事長の「他山の石」発言です。

案理氏を公認候補として担ぎ出し、選挙費用に15,000万円出したのは自民党に「他」なりません。応援演説のため何度も広島入りした自民党の幹部たちは、実は「他党」のスパイだったとでも言いたいのでしょうか。嘘をついても何を言っても問題にはならない、国会でもマスコミでも大問題としては取り上げない、世論は無視すれば良い、と我々を舐めきっているからこその発言なのではないでしょうか。

 東電の柏原刈羽発電所については、回を改めます。

 [2021/3/26 イライザ]

 

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2021年3月19日 (金)

はるがきた

外出を控える中、ネットで地図を辿ってみる。

旅行で行ったところ。散歩道。通学路。空き地。

記憶の中の道や景色。

すっかり様子が変わっていたり、

思いっきりショートカットして覚えていたりと、なかなか面白い。

 

大きな水たまりがあれば魚が釣れると思っていた頃、見つけた不思議な場所は、

地図の中にまだあった。

上空から見て、納得。

そこは海からつながる細い水の通り道。

道路と線路の下をくぐり抜け、陸の中に小さな海が広がる。

記憶の中、木造の船が一艘。

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長引いた自粛生活。

普段の生活、時間の過ごし方が変わった。

収入は減。消費の抑制。景気下押し効果の強まり。失業率の高まり。切り捨てられる仕事。学生の貧困による休学や退学の増加。新規採用は見送ると言う企業。

 

伸びるためには縮む、と言う。

しんどいとき、普段はあまり聞かないストレートな熱い思いをのせた歌を聞く。

そんなの無理だわ、とつぶやきながらも、

自分をなんとか奮い立たせる。

Spring has come!

踏ん張れ。

 

              (はたや)

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2021年3月16日 (火)

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視 ――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視

――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日、217日、221日そして311日に取り上げました。今回もその続きですが、まず、条例の素案を読めるサイトを紹介しておきます。ここです

 前回取り上げたのは、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」と同趣旨の条例を制定している国内他都市の場合、今回は苫小牧市、藤沢市、宝塚市の三市に限りましたが、その内容が広島市とはどのように違うのかを俎上に載せました。

 これらの都市では、憲法や非核三原則への言及があるだけでなく、苫小牧と藤沢では、それが条例の中心的な位置を占めています。前回はその点を指摘しました。

今回は、それだけではなく、広島市の場合、何故「わざわざ」、つまり意図的に憲法や非核三原則を外したのかについて考えなくてはなりません。

 市でも市議会でも、公的な文書を作成する際には複数のお役人が関わります。「官僚」と言っても良いのですが、その官僚が徹底的に訓練を受けているのが、「前例」と「横並び」についてのチェックです。

 ある問題についての文書を作る際に、まず、これまでどのような文書が作られてきたのかについて歴史的なチェックを行って、出来る限り「前例」を踏襲するという方針を守ろうとするのです。そして、国の方針はどうなのか、そして他都市ではどのような文書を作っているのかについてもチェックを行い、国や他都市の実例に沿った方向で、つまりできるだけ「横並び」になるような文書を作ろうとします。

 平和推進について、全国の都市をざっと眺めただけでも憲法や非核三原則を盛り込んで条例を作っているところが多いのですから、「前例」を踏襲し「横並び」を尊重する「無難」な案を作ろうと考えれば、広島市でも憲法や非核三原則を盛り込んだものになっても、誰からも文句を言われる筋合いはありません。(と書いてしまって気付いたのですが、実は、「誰からも」という点でどこかから文句を言われるかもしれないという「忖度」が働いたのか、あるいはもっと直接的に「圧力」が掛かったのかという点も、論理的には問題にしないといけませんね。)

 しかし、こと平和に関しては、広島市の持つ歴史的・世界的な責任は大きいのですから、他都市にはないような「踏み込んだ」条例にしたいと考えるお役人や市議会議員がいても良いどころか、私たちにはそう期待したい気持があるのではないでしょうか。となると、ちょうど今年の一月に発効した核兵器禁止条約について言及したり強調したりしても、何の不思議もありません。

 官僚としての仕事の流れからすれば、選んで当然だというよりは、選ばないとおかしいと思われる選択をしなかったのですから、それは、「意図的に」外したとしか考えられないのです。その「意図」は何なのかを考えたいのですが、そのためにも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の中で触れられていない、もう一つのテーマが大切です。それは、被爆者援護です。

 条例の素案では、前文で被爆者が味わってきた苦しみや悲しみ、そして痛みに触れています。「生き残った人々も,急性障害だけでなく,様々な形の後障害に苦しめられている。さらに,被爆者に対する結婚・就職等での差別により,後に,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を受けることが困難になるなどの被害もある。また,放射性物質を含んだ黒い雨による被害の議論は,いまだに続いている」

 であれば、現在も続いている被爆者の苦痛に対して、国としてまた広島市として何をなすべきかという方向性をきちんと示すべきなのではないでしょうか。被爆者や被爆二世、三世に対しての国の責任放棄について、市民、特に被爆者の代弁者として国に注文を付けるのも、市としての立派な仕事です。それが何故、この条例案には書き込まれていないのでしょうか。

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 答は、「受忍論」にあります。これが、今回の条例案の背後に隠れていると仮定すると、この条例案についてこれまで掲げてきた疑問が全て説明できるのです。

 例えば、条例案の5条と6条で、平和に関しても、国家という権力が憲法や平和を踏み躙る可能性、特に戦争を始める可能性には口を閉ざしていること、市民に対しては「権威に対して従順でなくてはならない」(とまで言っていませんが、そうとしか解釈できません)という価値観を振りかざしている点、そして被爆者援護についての責任には頬っ被りするという姿勢の説明が付くのです。

 「受忍論」とは、国の諮問に対して1980年に、「原爆被爆者対策基本問題懇談会」という有識者による意見書として発表された考え方の本質を表す言葉です。その後の国の被爆者施策は、この答申に沿って行われているという事実が大切です。この懇談会の委員は全員故人ですが、茅誠司・東京大名誉教授(座長)、大河内一男・東京大名誉教授、緒方彰・NHK解説委員室顧問、久保田きぬ子・東北学院大教授、田中二郎・元最高裁判事、西村熊雄・元フランス大使、御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人です。当時の我が国のエスタブリッシュメントそのものです。

 結論は、「基本理念」という形で次のようにまとめられています。

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これを、もう少し分り易く絵解きすると、日本国政府の持っている「戦争観」とは「受忍論」だということになります。その内容は次のとおりです。

  • 戦争は国が始める
  • でも、戦争による犠牲は、国民が等しく受忍しなくてはならない
    • ただし放射能による被害は特別だからそれなりの配慮は必要
    • しかし、一般戦災者とのバランスが大切
  • 国には不法行為の責任や賠償責任はない

 国の主張の歪みを理解するためには、「受忍論」を少し変えて、「国民主権受忍論」とでも名付けたいものに言い直すことが役立ちます。それは、「戦争は、主権者である国民の意思によって始められるものであるから、その結果生じる犠牲については、原因を作った主権者である国民が等しく受忍すべきである」という内容です。これなら、原因と結果というつながりから、それなりの理解は得られると思われます。

 しかし、これは太平洋戦争 (第二次世界大戦、15年戦争等の別称もあります) には当てはまりません。主権者は国民ではなく、国民が戦争を始める力は持っていなかったからです。にもかかわらず、その結果として生じた、生命も含む犠牲については、国民が「等しく受忍」しなくてはならないというのが、国の立場なのです。これは、戦争という、国民にとって(そして国家にとっても)、最大限の犠牲が生じる出来事について、国が「支配し」国民が「支配される」という関係を描いています。戦争を起こした責任、そして生命や財産、その他の犠牲を国民に強いることになった反省も後悔も、もちろん賠償の意思も全く考慮されていないのです。

 だからこそ、犠牲者に対する国の姿勢は、国の「恩恵」をどう分配するのかという経済的配慮が中心になってしまうのでしょう。

 先ほど「疑問」として指摘したことの内、国が憲法や平和に対するコミットメントを蔑ろにする可能性に広島の条例案が口を閉ざしているのは、「受忍論」では国が戦争を始める権利を認めているのですから、その延長線上にあると考えると、それなりに筋は通っていることになります。

 「市民が権威に従順であれ」は、そもそも「受忍論」が成り立つ上での大前提でしょう。また、被爆者の援護に言及がないのは、国の戦争開始の責任も不法行為への賠償責任も認めていないことからの帰結です。

 ここまで深読みする必要はないのかもしれません。でもこれも、あまりにもお粗末な「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」案が何故出て来たのかを理解しようとする努力の一環です。さらに、「一般戦災」との関連、また福島での被害や犠牲との関連も重要です。こうした点も含めて、条例案の内容が改善されるか、撤回されて最初からやり直すかという結果になれば、もっと建設的なアイデアをいくつも提案したいと考えています。

 [2021/3/16 イライザ]

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2021年2月26日 (金)

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」 ――怒りを発信することも私たちの義務です――

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」

――怒りを発信することも私たちの義務です――

 

「舐めるな」とか「馬鹿にするな」という表現を使う機会はあまり多くはないのですが、使わなくてはならない場合には使うことが大事です。

森友や加計、そして桜を見る会等が有耶無耶の内に忘却の彼方に放り出されてしまっている感のある今、権力者・為政者による過去のスキャンダルそして違法行為を反省し、「国民全体の奉仕者」としての仕事を懸命にこなしていて当然の政治家や高級閣僚たちが、さらには国民の意思を代弁して当然の政党も、またまた目に余るスキャンダルを繰り返しています。

そんな気持を、論理的にかつ明快にまとめてくれたのが、広島地検の元刑事部部長そして元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士です。ヤフーニュースへの投稿、「参院広島選挙区再選挙、自民党は、広島県民を舐めてはならない」が、的確に問題の本質を抉ってくれています。詳しくは、このヤフーサイトを御覧頂きたいのですが、サワリだけ引用しておきましょう。

「広島県政界に広く現金がばら撒かれたこの事件は、まさに党の組織としての重大不祥事である。1億5000万円の選挙資金と現金買収の原資との関係や、安倍氏や菅氏の案里氏の立候補及び選挙運動への関与や認識などを明らかにし、また、広島県政界に事件が波及した構造を解明して、是正を図らなければ、自民党が公正な選挙を行うことへの信頼も期待もあり得ない。」

こうした努力は全く行わずに、「候補を一本化」することが、この不祥事に対する答だとの主張を行っている自民党の県連は、今回の「再選挙」の意味を無視し、選挙とは「政局」つまり、権力闘争の一場面であるとしか考えていないことを示しています。

単純化してまとめておくと、「一本化」に理解を示す人たちは、片や「岸田派」(岸田総理を実現させたい人たち)、こなた「菅派」(安部から菅というラインを作りたかった人たち)の抗争という図式で次の選挙を考えているからなのではないでしょうか。2019年の参議院選挙で、自民党が二人の候補を立てることになったのは、この抗争での「岸田派」の敗北を意味している。この抗争の次の回、つまり参議院再選挙で勝つためには、「岸田派」がまとまって、「候補を一本化」することが必要だ、と言っているに等しいではありませんか。

それは、選挙そのものの意味、民主主義と国民主権についての自民党の基本姿勢を具体的に示している行動だと言っても言い過ぎではないでしょう。

再び郷原氏に登場して貰うと、

「自民党が、広島県の政界の体質に目を向けることなく、単に、過去の与野党の票差と、野党側の選挙事情だけに目を向けて、再選挙に公認候補者を擁立しようとしているとすれば、広島県民を舐めきった「思い上がり」以外の何物でもない。」

自民党は再選挙に公認候補を出すという決定をしたのですから、郷原氏の結論、「広島県民を舐めきった」行為であることが証明されました。公認候補を擁立して選挙運動をする中には、河井夫妻から金を貰った現職の自民党議員が含まれています。そんな選挙で自民党候補に一票を入れることは、今以上に「舐められる」ことになるのですから、そんな選択をする人は少数だと思いますが、それだけで良いのでしょうか。

静かに、「粛々と」投票するだけではなく、声を大にして「人を舐めるのも好い加減にしろ!」と叫ぶことも必要なのではないでしょうか。

私たちの目の前にある政治腐敗は、河井夫妻の買収事件だけではありません。少しは改善されたように見える、新型コロナの感染も、まだまだ問題です。中止すべきだと考える市民が多数を占めているオリンピックを、ゴリ押しして開催しようとする内閣も組織委員会も、国民を甘く見ています。こうした重要案件を抱えて、誠心誠意、主権者である国民との対話を重んじ、より良い解決策を策定しなくてはならないにもかかわらず、与党議員たちもその下支えをすべき高級官僚たちの為体 (ていたらく) も、目を覆うべき状態です。

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総務省の官僚たちが菅総理大臣の長男の勤める東北新社から受けていた接待が、常識外れであることは改めて指摘するまでもないでしょう。それだけではなく、『週刊文春』が音声を公開していなければ、「記憶にない」等の虚偽の答弁を弄することは、森友・加計・桜から連綿と続く、「隠蔽」「言い逃れ」「知らぬ存ぜぬ」「記憶にない」等々の「悪事隠し」の手法は、国民を馬鹿にしているとしか言いようがありません。

仮に事実を認めても、せいぜい減給とか訓告・戒告等が主なものになり、重くて辞職です。罰則はないのも同然なのですが、私たちはそれに慣らされてしまっています。法律や制度がそうなっているからなのですが、そこから見直す必要があるのかもしれません。

この際、もう一度憲法を読んでお浚いしておきましょう。まず15条です。

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

国会議員も公務員という立場なのですが、通常の公務員も当然、15条に縛られます。高額の接待を受けること自体、「全体の奉仕者」としての意識の欠如なくしてはあり得ません。それでもう憲法違反です。重い罪でなくて何でしょうか。

さらに、12条が重要です。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

公務員の人事権を持つという「権利」も、「不断の努力」で守り続けなくてはならないのです。公務員が、全体の奉仕者としての立場を捨て、自分たちの持つ権力に驕っている場合、私たちが「怒り」をエネルギー源として、断固たる姿勢を示すことは、12条を遵守するための「義務」だとも考えられるのですが、如何でしょうか。

 [2021/2/26 イライザ]

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2021年2月 6日 (土)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その5 ――次の4ステップは? 前半――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その5

――次の4ステップは? 前半――

 

シリーズの5回目になりましたが、今回からは、毎月、1の付く日と6の付く日 (ただし、31日は除く)、計6回寄稿することになりました。難しいテーマだけではなく、気軽にお読み頂けるような材料も交えて行く積りですので、宜しくお願いします。

今回と次回は、これまでに提案した「2040ビジョン」を実現するための次のステップとして、どんな可能性があり得るのか、系統立ってはいませんが、思い付くままにいくつかの提案をして行きます。

 

2040ビジョン」達成のための具体的ステップ

 次のステップとして可能性のある4つの活動を提案する前に、そもそもどのような活動でも、新たな参加者に活動を続けて貰えるようにするための工夫が必要だという点を強調しておきます。たとえば、それがどのような活動であれ、活動目標に至る効果的な「シナリオ」を共有することは最優先されるべきでしょう。実行可能でかつ魅力的なシナリオがあれば、参加者は増え、そのシナリオに従った活動をすることで、目標達成にも勢いが付くからです。

 一人一人の取る行動がどのような結果を生んでいるのか迅速なフィードバックをすることも大切です。参加者に取って自分の存在価値があると認めて貰えることは、自信の元になり、活動への親近感が増して、より強固なつながりへと発展します。その特別の場合として、地域やグループの中から「リーダー」の候補を見付け出して、その候補が信頼され尊敬されていると感じる環境を作ることも、活動全体の未来のためには必要です。

こうしたことも運動の中に取り入れてゆくことを前提にして、以下、次のステップとして成功の可能性が大きく、中間目標や最終目標達成に役立つと考えられるプロジェクトを掲げておきます。世界情勢全般を整理した上で、様々な可能性についての系統的な分析結果に基づいた提案ではありません。単なる思い付きの域を出ないかもしれませんが、何らかの参考になれば幸せです。

 

   北東アジア非核地帯条約 (英語のNortheast Asia Nuclear-Weapon-Free Zone の略 NEANWFZと略す) の締結、そして非核地帯の創設)        

 この非核地帯の創設は、梅林宏道氏とピースデポが提唱してきた現実的なアイデアです。広島・長崎両市、非核・核軍縮議員連盟をはじめ、多くのNGOや平和活動家が支持しています。この非核地帯が実現すれば、その影響は世界各地に及ぶことになります。

 ここで北東アジアとは、日本、韓国、朝鮮民主主義人民共和国 (以下、英語名のDemocratic People’s Republic of Koreaの略DPRKを使う)であり、その周辺国である中国、ロシア、アメリカも含めた6カ国が対象になります。非核兵器地帯になるために必要な要件は、(i) 日本・韓国・DPRKは核兵器を持たない、そして、(ii) 中国・ロシア・アメリカはこれら三カ国に対して核兵器を使わないことを保証する (NSA) と、という二つだけです。

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(日韓に存在するアメリカの核兵器は、次の段階で考慮することにして)、日本と韓国は核兵器を持たないので、この条件を満たしています。中国は、「核の先制不使用」を明言しているので、何もすることはありません。次に、アメリカとロシアが、日本・韓国・DPRKに対して核を使わないという保証、つまりNSAを与える必要があります。それは、DPRKに対して、国家としての存在を6カ国が保証することを意味します。6か国がこのような形で協力することは、永続的な朝鮮半島の平和を作り出すための出発点になります。このような環境を作ることと同時にDPRKに核兵器の廃棄を求めることは可能です。

 米ロにとっては、核兵器を廃絶する約束よりは、使わないという約束の方が条件としては受け入れ易いはずですし、朝鮮半島の平和と一体のNSAは、魅力的なバーゲンになるはずです。

 このアイデアの最大の問題は、これほど素晴らしい提案のあることを知っている人があまりにも少ないことです。関係6か国の市民の圧倒的多数が北東アジア非核地帯条約という目標を共有し、その実現のために動くというシナリオを実現するための第一歩は、そこなのです。

 また、梅林氏の『非核兵器地帯』中の詳細かつ説得力のある解説と分析もお読み下さい。

 

TPNW を既に批准している国をお手本にする

 日本やアメリカ等、TPNWを批准していない国では、わたくしたち市民が、改めて批准国から何が学べるのかを謙虚に考え直す機会を作ることが前進のための一歩になります。たとえば日本では、批准国 (A国と呼んでおこう) の駐日大使を自分の住む町や市に招待して講演会を開き、その国の国民が政府に対してどのようなアプローチで批准を促したのかを学ぶという可能性を検討したらどうでしょうか。その際に、市長や市議会からの感謝状を差し上げることも、その国との絆を強める上で大切でしょう。

 謙虚に学ぶべき内容の一つとして、被爆体験や被爆者のメッセージをA国とA国民がどのように共有しているかが考えられます。表立っての顕彰が全てでないことは言うまでもありませんが、例えばブラジル、サンパウロの市議会は、被爆者の森田隆さんを名誉市民として表彰し、サンパウロ州立の専門学校は森田さんの活動を評価して校名を「タカシ・モリタ」学校に改名しているのです。

 今の時点で、日本政府にこのように人間的な対応を期待するのは所詮無理ですが、日本国内でも、被爆者のこれまでの活動に対して同じレベルでの評価をしている自治体 (広島・長崎の他に) はいくつあるのでしょうか。ブラジルと同じことをしなくてはならないという意味ではなく、このような比較をすることから、私たちの立ち位置を改めて考え直す必要を理解して頂けるのではないでしょうか。

 

後半の部分は211にアップします。

  [2021/2/6 イライザ]

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2021年2月 1日 (月)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その4 ――「成功例」を別の視点から整理し直そう・2――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その4

――「成功例」を別の視点から整理し直そう・2――

 

今回で4回目です。これまでのまとめをしておきましょう。まず人類の多数派が共有し、人類全体の「資産」と考えて良いような考え方があります。それを「自明の理」と呼ぶと、1945年には「自明の理」を確認する形で「核兵器廃絶宣言」なり「核兵器禁止条約」といったものが出来ていて当然だったことを指摘しました。

その核兵器禁止条約がようやく発効しましたので、次の目標を確認すると、それは、核兵器の完全廃絶になります。目標に期限を付けて、これを「2040ビジョン」と名付けました。念のため、再掲しておきます。

 2040ビジョン

  • 出発点: 今
  • 最終目標: 2040年までに、核なき世界の実現と核の脅威からの解放を達成
  • 中間目標: 2030年までに、日本政府が核兵器禁止条約を批准する

この目標達成のためには、これまでの成功例から教訓を得て、次の具体的ステップを踏んで行くことが必要です。前々回までは、核兵器禁止条約 (TPNWと略します) の発効に至るまでの平和運動の「成功例」を掲げておきました。

そして前回は、「成功例」を少し違った視点、つまり「事実」として「成功しましたよ」という事例を確認するのではなく、「何故」あるいは「どのように成功したのか」についても考えながら5つの「柱」を提示し始めました。前回はその内の三つまで紹介しました。

「多数派の力」を活用   

➁ 条約や法律制定を目標に掲げた

国家が条約や法律を遵守するよう、裁判所に訴えを起こした

です。今回は、残りの二つです。

非核兵器地帯を創る

平和創造の基礎単位としての都市と市長の役割

 

まず、

非核兵器地帯を創る

 非核兵器地帯条約とは、ある地域の国々が核兵器を持たないことに合意し、核保有国は、その地域の国々を核兵器で攻撃しないという保証を与える条約を指します。その保証は、Negative Security Assurance (消極的安全保障、略してNSA) と呼ばれます。以下、非核兵器地帯のリストを掲げますが、この中で、NSAによる保証が行われているのはトラテロルコ条約だけなのですが、その他の条約については世論の力がNSAの代りになっていると考えられます。各条約の概略は下記の通りです。

1 南極条約 (1959) 2013年に50か国 

2 トラテロルコ条約 (1967) 中南米の全ての国33か国プラス核保有5か国批准 

3 ラロトンガ条約 (1986) 南太平洋の13か国・地域プラス、ロ中仏英批准--米は署名のみ

4 バンコク条約 (1997) ASEAN諸国10か国――核兵器国は全て未署名 

5 ペリンダバ条約 (2009) アフリカ諸国54か国中、28か国批准、仏中英が批准、米ロは署名のみ

6 セメイ条約 (2009) 中央アジア5か国  

7 モンゴル非核兵器地帯宣言(1992)と地位の確認(1998) 核保有5か国が、「モンゴルに協力する誓約の再確認」を発行(2000)

 これらの地域に色を付けた世界地図も御覧下さい。

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南半球は全て非核兵器化されていますので、後は北半球を非核化すれば良いだけです。

 平和創造の基礎単位としての都市と市長の役割

 スコットランドは2014年に、イギリスから独立するか否かを決めるための住民投票を行いました。独立すれば、(現在イギリス国内では唯一、スコットランドに置かれている) 核兵器を廃棄すること、NATOからは脱退し、EUには残るという結果になるはずでした。投票の結果、そのシナリオは実現しませんでしたが、イギリスがEUから離脱した今、状況は流動的です。

 スコットランドがこのように大胆な行動を取るのには理由があります。スコットランドの全ての自治体は、既に「非核自治体宣言」をしており、平和市長会議のメンバーだからです。そもそも、非核自治体運動はイギリスが発祥地なのですが、地理的に考えると、スコットランド内のどこにも核兵器を置ける場所はないことを意味するからです。

 世界の都市は例外なく戦争を否定しています。それは、戦争による被害は都市が受けるからです。事実、戦争による大きな被害の代名詞は、圧倒的に都市の名前なのです。広島、長崎はもとより、ゲルニカ、ドレスデン、重慶、南京等がすぐ頭に浮びます。

 その結果、「Never again!」が都市共通の合言葉になっています。広島・長崎の被爆者の言葉では、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」です。その結果、2003年に平和市長会議が「2020ビジョン」を提起したときには、雪崩を打つように加盟都市が増えたのです。その事実をグラフで示しておきましょう。

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都市は軍隊を持ちません。官僚的思考では、だから国家より劣った不完全な存在だと考える傾向さえありますが、実は、未来の世界の基本的構成単位としての役割を果しているのです。この点については、改めて論じたいと考えています。

さらに、都市は軍隊を持ちません。ですから、都市が他の都市を攻撃することはあり得ません。そんな都市同士の関係では、かつて戦争をした国の間でも、都市と都市の間で、「誰が誰に何を最初にしたか」という責任のなすり合いにはなりませんので、戦争の回避と否定についての共同戦線を張ることが可能になります。核廃絶についても同様に都市間の連帯によって大きな枠組みを作ることが可能です。その中に、国家を組み入れて目標に近付くというシナリオには、それが多数派の市民の意志を反映していることから大きな力があるのです。

次回は、「2040ビジョン」達成のための具体的ステップ になり得る、[次のステップ候補4]を説明したいと思います。

[2021/2/1 イライザ]

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2021年1月21日 (木)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その3 ――「成功例」を別の視点から整理し直そう――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その3

――「成功例」を別の視点から整理し直そう――

 

これで、3回目になりますが、これまではまず、人類の多数派の考え方をまとめると、1945年には「自明の理」を確認する形で「核兵器廃絶宣言」なり「核兵器禁止条約」といったものが出来ていて当然だったことを指摘しました。

次に、核兵器禁止条約が発効した後の目標として、「2040ビジョン」を提案しました。念のため、復習です。

 2040ビジョン

  • 出発点: 今
  • 最終目標: 2040年までに、核なき世界の実現と核の脅威からの解放を達成
  • 中間目標: 2030年までに、日本政府が核兵器禁止条約を批准する

さらに前回は、核兵器禁止条約 (TPNWと略します) の発効に至るまでの平和運動の「成功例」も掲げておきました。

今回は、「成功例」を少し違った視点、つまり「事実」として「成功しましたよ」という事例を中心にするのではなく、「何故」あるいは「どのように成功したのか」についても考えながら4つの「柱」としてまとめておきたいと思います。論理的な分析ではありませんので、重複もありますし、これで全ての場合を尽している訳でもありません。でも、次のステップを考えるためには役立ちそうなものを掲げています。

同じテーマで、何カ所かで発言しているのですが、今回はそれらの場での内容を少し進化させて、5つの柱を取り上げたいと思います。

 

「多数派の力」を活用   

「核兵器廃絶」「核実験禁止」等を求めているのは成果の大多数の声です。つまり、私たち「多数派」の意思です。ですから、目的実現のためには、「多数の力」、あるいは「多数派の力」を使うのが一番効果的です。これまでの運動の歴史を振り返ると、この効果的な手法を使って目的実現をしてきた「成功例」がかなりあるますが、分り易い例を挙げておきましょう。

1996年に、ICJが勧告的意見を出すことになったのは、ごく簡潔にまとめると、「世界法廷プロジェクト (WCPと略)」という市民運動の力です。大切なのは、WPCの活動家たちは、WHOと国連総会が「多数決」で最終決定を行うことに注目し、それを最大限に活用した点です。世界的なロビー活動が展開され、その結果としてWHOと国連総会は、多数決による決議を採択してICJに勧告的意見を出すよう要請したのです。この作戦は、安全保障理事会やNPT再検討会議等の「コンセンサス」による意思決定の場で、核大国が「拒否権」を使うことによって、世界の多数派の意思を葬り去って来た歴史を塗り替えるという結果をもたらしました。

TPNW採択に当って、ICANや志を同じくする国々は、WCPが成功した根本理由である、多数決による意思形成を活用しました。単純化した話にすると、国連総会は「公開作業部会 (Open-Ended Working Group、略してOEWG) を設置しました。そこでNGOの参加も許す形でTPNWの概略を決め、それを受けて条約交渉会議が開かれるようにお膳立てをし、最終的には国連総会での多数決でTPNWを採択したのです。

その過程で効果的だったのは、多くのNGOや専門家、そして志を同じくする国々が、核兵器の使用が如何に非人道的結果をもたらすのかを教育するための会議や集会を数多くの場で開催したことでした。科学的知見に基づいた説得によって、世界の「多数派」の信念はますます固くなり、より多くの人々が運動に参加することになりました。

5本の柱に加えて、この「科学的知見」の役割を取り上げる必要があるかもしれません。となると、6本の柱になってしまい、数が増えると分り難くなるという結果にもつながりますので、一応、「5本」で抑えておきましょう。

 

➁ 条約や法律制定を目標に掲げた

「多数派の力」の使い方は色々あります。一番大切なのは、選挙で多数派の意思を実現してくれる政権を選ぶことだと思いますが、「王道」とは言え、なかなか思う通りに行かない経験や苦い思いもされて来ている方も多いのではないでしょうか。

そこで諦めずに、これまでの「成功例」から学びましょう。一つには、「目的」、「目標」 (GOAL) をハッキリさせ、しかも期限を付けることです。

TPNWの場合は、条約の制定が目標でした。その他、「成功例」として列挙したものの多くは条約です。そして、TPNWは、2017年の国連総会で採択されるという結果に至る「多数派の力」の使い方が、これからも同様の結果を国連で挙げて行くことができるというお手本になるという点なのです。

核兵器の廃絶に直接は貢献しないものの、二国間の条約で大切なものもあります。迎撃ミサイル制限条約 (ABM条約、アメリカの通告で2001年に失効)、中距離核戦力全廃条約 (INF全廃条約、2019年に失効)、新戦略核兵器削減条約 (新START、延長を交渉中) 等が頭に浮びます。当事国同士が、賢明な対応をするよう、関係国の市民の力に期待していますが、同時に、国際条約によって核兵器そのものが禁止されたという文脈で新たな作戦を模索することも重要ではないかと考えています。

また、これまで締結された多国間条約を補完したり、拡充する新たな条約制定のための運動も視野に入れるときが来ているのかもしれません。

 

国家が条約や法律を遵守するよう、裁判所に訴えを起こした

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国家はしばしば法を犯します。その中には国際法も入ります。そんな場合、さらには、市民の正当な権利主張を弾圧するような場合、国家の不法行為を裁判所に提訴することは、「多数派」を利する結果につながります。市民が勝てば、それで権利が守られます。もし市民が負けたとしても、裁判で公開される我々の立場はメディアを通じて多くの人に共有されますので、その知識を用いて、政府に法の遵守をさらに強力に要求することができますし、政府が説明責任を果すよう、協力に運動を展開することも可能です。

 例えば、1999年、スコットランドのグリーノック裁判所の判決では、「国際トライデント・プラウシェアー 2000」に属する3人の女性による、トライデント潜水艦への直接抗議を合法と認めました。被告の無罪主張の根拠は、ICJ勧告的意見とニュルンベルグ原則でした。(: 「無罪」は確定したものの、上級裁判所の政治的介入によってその他の判断は覆されました。)

 2014年には、マーシャル諸島共和国が、核保有9カ国をICJに提訴しました。それは、「誠実な交渉義務」を規定しているNPT6条に違反しているという訴えでした。事実、これらの国々は、核兵器禁止のための様々な機会を無視し続けて来ただけでなく、その後、国連総意が設置した「公開作業部会 (OEWGと略)」にも不参加でした。管轄権の問題で、ICJからは却下されたものの、世界世論を喚起し、多くの支持を得る上では重要な役割を果した。さらに、「法の支配」の基本的な原則の一つである「pacta sunt servanda(約束(合意)は守られねばならぬ、あるいは、約束履行義務) の重要性を再確認することになりました。

 参考までにNPT6条を掲げておきましょう。「各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する。」

 国内的には、複数の裁判所が、日本政府による法の曲解や無視について、軌跡を修正してきました。

 1955年には「原爆投下は国際法に違反する」という東京地裁の判決が出されました。1978年には「原爆医療法」は海外の被爆者にも適用されるという孫振斗(ソン・ジンドウ)訴訟、1976年には白内障も原爆症として認めた石田訴訟、そして2009年には、「輸送・救護・看護・処理等」での被曝は、人数に依らないことを認めた、3号被爆者訴訟が具体例です。

 WCPTPNWのように、国連の内外で外交官や政治家に働き掛けるロビー活動を展開することは、誰にでもできることではありません。しかしながら、固い意志を持った個人が、地方裁判所において訴訟を起こすことは可能です。国レベルでもマーシャル諸島共和国のように、小さな国が単独で国際的問題提起を行えるという意味で、裁判制度の存在は貴重です。

 

随分長くなりましたので、残りは次回に回しますが、そこで取り上げたいのは次の二つです。

非核兵器地帯を創る

平和創造の基礎単位としての都市と市長の役割

それに続いて、2040ビジョン」達成のための具体的ステップ になり得る、[次のステップ候補を4]を説明したいと思います。

 

[2021/1/21 イライザ]

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2021年1月11日 (月)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その2 ――そのためにも、「成功例」から学ぼう――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その2

――そのためにも、「成功例」から学ぼう――

 

前回は、核兵器禁止条約が発効した後の目標として、「2040ビジョン」を提案しました。

2040ビジョン

  • 出発点: 今
  • 最終目標: 2040年までに、核なき世界の実現と核の脅威からの解放を達成
  • 中間目標: 2030年までに、日本政府が核兵器禁止条約を批准する

この目標達成のために、これまでの「成功例」から教訓を汲んで、さらには新機軸も加えてがばろうという趣旨なのですが、まずは、核兵器禁止条約以前に達成された重要な成果をいくつか挙げておきましょう。

  • 1963年の部分核停条約は、大気圏内での核実験を禁止しました。これは、ビキニ環礁でのアメリカの核実験の結果、第五福竜丸が被曝したことから核実験禁止運動が起り、1955年には原水爆禁止世界大会が開かれるという、世界規模での核実験と核兵器に反対する運動の成果でした。

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  • しかし、フランスと中国はこの条約を無視。特にフランスは南太平洋で大気中核実験を続けました。それに対抗してオーストラリアとニュージーランドが1973年に国際司法裁判所 (ICJ) に提訴し、フランスは核実験を中止しました。それに力を得て、核兵器が国際法違反であることを、ICJの勧告的意見として認定して貰う世界法廷運動 (WCP) が1986年に始まり、その結果、WHOと国連総会における多数決の決議として、ICJに勧告的意見をまとめるように要請することが決りました。それに応えて1996年にICJは、「一般的には」という条件付きではありますが、核兵器の使用と使用するという脅迫は国際法違反であることを認めました。
  • ICJによる勧告的意見の採択要請が世界的に支持されたのは、1970年代から1980年代にかけて起きた世界的な反核運動があったからです。その象徴が1978年、1982年、1988年に開かれた、第一回から第三回までの国連軍縮特別総会です。1982年のニューヨークにおける100万人デモ・集会は、忘れられない出来事でした。アメリカでの核凍結運動がその中心的存在だったのですが、遂には、1986年にレイキャビックで開かれたアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長との首脳会談で、全面的核廃絶の合意に達するという成果を挙げました。これは、ある反核運動のリーダーの言葉を借りると、「High Priesthood of Nuclear Technocracy」によって葬り去られましたが、世界の世論が二人の首脳の間の合意という大きな成果を挙げていたことはもっと良く知られるべきですし、このような合意を実現させるための次のステップについても、私たちがしっかり準備をしておくべきことを教えてくれています。
  • 勧告的意見の重要な影響が、スコットランドのグリーノックという地域における裁判に現れました。1999年10月21日、スコットランドのグリーノック裁判所の判決では、「国際トライデント・プラウシェアー 2000」に属するアンジー・ゼルダー、ウラ・ローダー、エレン・モクスリーの3人が無罪になりました。この3人は、トライデント潜水艦の運用に必要な実験器具を破壊した罪で告訴されていたのですが、被告の無罪主張の根拠は、ICJ勧告的意見とニュルンベルグ原則でした。もっとも、この判決は後にスコットランドの刑事上級裁判所で覆されたのですが、無罪そのものは確定しており、核廃絶運動における非暴力・抵抗という手段が国際的に認められたという大きな成果です。
  • 勧告的意見と同じ年、1996年に採択された包括的核実験禁止条約は、まだ効力を持っていませんが、それでも1996年以降の世界の核実験数は、それ以前と比べて限りなく「ゼロ」に近付いています。これも、世界の世論の力です。
  • 1972年の生物兵器禁止条約、1983年の特定通常兵器使用禁止制限条約、1992年の化学兵器禁止条約、そして世界的に注目された対人地雷禁止条約は1999年に発効しています。これらの条約もWCPやTPNWと同様の作戦に依存しているのですが、核兵器廃絶に注目するという立場から、詳細は割愛します。
  • 2014年には、二つの大きな出来事がありました。一つは、マーシャル諸島共和国が、核保有9カ国をICJに提訴したことです。それは、「誠実な交渉義務」を規定しているNPTの6条に違反しているという訴えです。事実、これらの国々は、核兵器禁止のための様々な機会を無視し続けて来ていましたし、その後、国連総意が設置した「公開作業部会 (OEWGと略)」には不参加でした。管轄権の問題で、ICJからは却下されましたが、世界世論を喚起し、多くの支持を得る上では重要な役割を果しました。
  • もう一つは、スコットランドがイギリスから独立すべきかどうかについての住民投票がスコットランドで実施されたことです。独立の目的は、外交・防衛や予算の面でイギリスからの独立を目指すことでしたが、端的に表現すると、核兵器を廃絶して非核保有国として独立し、NATOからも脱退するということなのです。残念ながら、独立には至りませんでしたが、イギリスがEUから離脱した現在では独立賛成派が勝つ可能性も見えて来ています。
  • そして、2017年に核兵器禁止条約が採択されました。

それでは、これらの成功例を元にして「2040ビジョン」実現のために、まずどのような出発点があり得るのかについて、次回から考えて行きましょう。

[2021/1/11 イライザ]

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