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憲法

2021年4月 6日 (火)

完全に舐められている私たち (3) ――官僚からも。でも私たちには憲法がある――

完全に舐められている私たち (3)

――官僚からも。でも私たちには憲法がある――

 

「完全に舐められている」シリーズを続けていますが、今回はその根底に憲法のあることを強調します。

 もう古いことになってしまっているようですが、先月の24日、まだ時短の要請が続いている中、厚労省の職員が銀座で (「また銀座かよ」という声が聞こえる) 深夜まで、「送別会」と称して大宴会を開いていたと言うではありませんか。日本中、官僚たちを除いて、大憤慨したはずです。

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何年か前の昼間の銀座

 

老健課の課長が言い出しっぺで、「誰も止められなかった」という言い訳まで聞こえてくるのですが、それだけで終りにしてはいけません。あるいは、「外での飲食は控えて下さい」とお願いしている側が外で飲食、しかも大人数でするとは怪しからん、という受け止め方もあるようです。それもそうなのですが、もっと根が深いのではないでしょうか。

 そもそも、官僚、つまり公務員が給料を貰って生活できるのは、国民、つまり私たちのために働いているからです。主権者のためにです。給料を貰う条件として、「全体の奉仕者」として働く、という義務が課されています。それが憲法15条です。

 その義務を果たすためには、四六時中、どんな時にでもこの義務を思い出し、それに照らして自らの行動を律する必要があります。課長なら、課員に先駆けてその義務を全うするのが当たり前です。そして、課員は、課長がおかしな行動をとったのなら、課長と自分という関係ではなく、主権者と課長という関係を元に、主権者の代理として発言すべきなのです。そして主権者には公務員を罷免する力もあるのですから、そのことも考えた上で、上司であっても主権者目線で物を言う義務があるのです。

 法律の専門家はこのような直線的な議論はしないでしょう。法律ができたり慣例があるとそれらに縛られてしまうからです。でもいったん慣例を認め始めると、切りがありません。今回の送別会も「慣例」に縛られた結果です。そんなものに縛られないようにするためには、原点に戻って考えることなのです。

 もう一点、これはマスコミの罪も大きいことなのですが、この課長は「事実上の」更迭なのだそうです。そう報じられています。「事実上」とは何を意味するのでしょうか。それは、「良~く、底の底まで調べてみると、本当は更迭ではありませんよ」という意味です。ここでも私たちは舐められ馬鹿にされていますね。

つまり、今後の異動等の際には影響が出ず、退職金も減らされないし、天下り先もきちんと回ってくる、ということなのです。「官房付」等と聞くと訳が分りませんが、人の噂が消えるまではちょっと隠れておくということでしょう。その間、ほとんど仕事はないでしょうから、ただで給料を貰うということになってもおかしくはありません。

私たちが求めなくてはならないのは、何度も繰り返される「事実上」の更迭ではなく、正真正銘の更迭です。それは、憲法を守るという宣誓をして、仕事にありついた公務員誰しもが受けるべき処罰なのではないでしょうか。

 [2021/4/6 イライザ]

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2021年3月16日 (火)

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視 ――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視

――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日、217日、221日そして311日に取り上げました。今回もその続きですが、まず、条例の素案を読めるサイトを紹介しておきます。ここです

 前回取り上げたのは、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」と同趣旨の条例を制定している国内他都市の場合、今回は苫小牧市、藤沢市、宝塚市の三市に限りましたが、その内容が広島市とはどのように違うのかを俎上に載せました。

 これらの都市では、憲法や非核三原則への言及があるだけでなく、苫小牧と藤沢では、それが条例の中心的な位置を占めています。前回はその点を指摘しました。

今回は、それだけではなく、広島市の場合、何故「わざわざ」、つまり意図的に憲法や非核三原則を外したのかについて考えなくてはなりません。

 市でも市議会でも、公的な文書を作成する際には複数のお役人が関わります。「官僚」と言っても良いのですが、その官僚が徹底的に訓練を受けているのが、「前例」と「横並び」についてのチェックです。

 ある問題についての文書を作る際に、まず、これまでどのような文書が作られてきたのかについて歴史的なチェックを行って、出来る限り「前例」を踏襲するという方針を守ろうとするのです。そして、国の方針はどうなのか、そして他都市ではどのような文書を作っているのかについてもチェックを行い、国や他都市の実例に沿った方向で、つまりできるだけ「横並び」になるような文書を作ろうとします。

 平和推進について、全国の都市をざっと眺めただけでも憲法や非核三原則を盛り込んで条例を作っているところが多いのですから、「前例」を踏襲し「横並び」を尊重する「無難」な案を作ろうと考えれば、広島市でも憲法や非核三原則を盛り込んだものになっても、誰からも文句を言われる筋合いはありません。(と書いてしまって気付いたのですが、実は、「誰からも」という点でどこかから文句を言われるかもしれないという「忖度」が働いたのか、あるいはもっと直接的に「圧力」が掛かったのかという点も、論理的には問題にしないといけませんね。)

 しかし、こと平和に関しては、広島市の持つ歴史的・世界的な責任は大きいのですから、他都市にはないような「踏み込んだ」条例にしたいと考えるお役人や市議会議員がいても良いどころか、私たちにはそう期待したい気持があるのではないでしょうか。となると、ちょうど今年の一月に発効した核兵器禁止条約について言及したり強調したりしても、何の不思議もありません。

 官僚としての仕事の流れからすれば、選んで当然だというよりは、選ばないとおかしいと思われる選択をしなかったのですから、それは、「意図的に」外したとしか考えられないのです。その「意図」は何なのかを考えたいのですが、そのためにも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の中で触れられていない、もう一つのテーマが大切です。それは、被爆者援護です。

 条例の素案では、前文で被爆者が味わってきた苦しみや悲しみ、そして痛みに触れています。「生き残った人々も,急性障害だけでなく,様々な形の後障害に苦しめられている。さらに,被爆者に対する結婚・就職等での差別により,後に,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を受けることが困難になるなどの被害もある。また,放射性物質を含んだ黒い雨による被害の議論は,いまだに続いている」

 であれば、現在も続いている被爆者の苦痛に対して、国としてまた広島市として何をなすべきかという方向性をきちんと示すべきなのではないでしょうか。被爆者や被爆二世、三世に対しての国の責任放棄について、市民、特に被爆者の代弁者として国に注文を付けるのも、市としての立派な仕事です。それが何故、この条例案には書き込まれていないのでしょうか。

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 答は、「受忍論」にあります。これが、今回の条例案の背後に隠れていると仮定すると、この条例案についてこれまで掲げてきた疑問が全て説明できるのです。

 例えば、条例案の5条と6条で、平和に関しても、国家という権力が憲法や平和を踏み躙る可能性、特に戦争を始める可能性には口を閉ざしていること、市民に対しては「権威に対して従順でなくてはならない」(とまで言っていませんが、そうとしか解釈できません)という価値観を振りかざしている点、そして被爆者援護についての責任には頬っ被りするという姿勢の説明が付くのです。

 「受忍論」とは、国の諮問に対して1980年に、「原爆被爆者対策基本問題懇談会」という有識者による意見書として発表された考え方の本質を表す言葉です。その後の国の被爆者施策は、この答申に沿って行われているという事実が大切です。この懇談会の委員は全員故人ですが、茅誠司・東京大名誉教授(座長)、大河内一男・東京大名誉教授、緒方彰・NHK解説委員室顧問、久保田きぬ子・東北学院大教授、田中二郎・元最高裁判事、西村熊雄・元フランス大使、御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人です。当時の我が国のエスタブリッシュメントそのものです。

 結論は、「基本理念」という形で次のようにまとめられています。

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これを、もう少し分り易く絵解きすると、日本国政府の持っている「戦争観」とは「受忍論」だということになります。その内容は次のとおりです。

  • 戦争は国が始める
  • でも、戦争による犠牲は、国民が等しく受忍しなくてはならない
    • ただし放射能による被害は特別だからそれなりの配慮は必要
    • しかし、一般戦災者とのバランスが大切
  • 国には不法行為の責任や賠償責任はない

 国の主張の歪みを理解するためには、「受忍論」を少し変えて、「国民主権受忍論」とでも名付けたいものに言い直すことが役立ちます。それは、「戦争は、主権者である国民の意思によって始められるものであるから、その結果生じる犠牲については、原因を作った主権者である国民が等しく受忍すべきである」という内容です。これなら、原因と結果というつながりから、それなりの理解は得られると思われます。

 しかし、これは太平洋戦争 (第二次世界大戦、15年戦争等の別称もあります) には当てはまりません。主権者は国民ではなく、国民が戦争を始める力は持っていなかったからです。にもかかわらず、その結果として生じた、生命も含む犠牲については、国民が「等しく受忍」しなくてはならないというのが、国の立場なのです。これは、戦争という、国民にとって(そして国家にとっても)、最大限の犠牲が生じる出来事について、国が「支配し」国民が「支配される」という関係を描いています。戦争を起こした責任、そして生命や財産、その他の犠牲を国民に強いることになった反省も後悔も、もちろん賠償の意思も全く考慮されていないのです。

 だからこそ、犠牲者に対する国の姿勢は、国の「恩恵」をどう分配するのかという経済的配慮が中心になってしまうのでしょう。

 先ほど「疑問」として指摘したことの内、国が憲法や平和に対するコミットメントを蔑ろにする可能性に広島の条例案が口を閉ざしているのは、「受忍論」では国が戦争を始める権利を認めているのですから、その延長線上にあると考えると、それなりに筋は通っていることになります。

 「市民が権威に従順であれ」は、そもそも「受忍論」が成り立つ上での大前提でしょう。また、被爆者の援護に言及がないのは、国の戦争開始の責任も不法行為への賠償責任も認めていないことからの帰結です。

 ここまで深読みする必要はないのかもしれません。でもこれも、あまりにもお粗末な「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」案が何故出て来たのかを理解しようとする努力の一環です。さらに、「一般戦災」との関連、また福島での被害や犠牲との関連も重要です。こうした点も含めて、条例案の内容が改善されるか、撤回されて最初からやり直すかという結果になれば、もっと建設的なアイデアをいくつも提案したいと考えています。

 [2021/3/16 イライザ]

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2021年3月11日 (木)

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」が残念な理由 ――国内他都市の条例と比較しても問題あり――

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」が残念な理由

――国内他都市の条例と比較しても問題あり――

 

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日、217日、221日と取り上げましたが、その続きです。まず、条例の素案を読めるサイトはここです

 221日には、世界という舞台で「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」がどんな役割を果すのか、特に世界からどのような期待を持たれているのかという視点からこの条例素案を取り上げました。今回は、日本国内の他の都市が、平和について、また核兵器の廃絶についてどのような条例を作っているのかを見てみましょう。スペースに限りがありますので、北から、苫小牧市、藤沢市、宝塚市と三市の条例をまず、読んでみて下さい。

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苫小牧市非核平和都市条例(平成14年4月1日公布)

 わたしたち苫小牧市民は、安全で健やかに心ゆたかに生きられるように、平和を愛するすべての国の人々と共に、日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に努めるとともに、国是である非核三原則の趣旨を踏まえ核兵器のない平和の実現に努力していくことを決意し、この条例を制定する。

 目的

1条 この条例は、本市の平和行政に関する基本的事項を定め、市民が安全で健やかに心ゆたかに生活できる環境を確保し、もって市民生活の向上に資することを目的とする。

 恒久平和の意義等の普及

2条 市は、日本国憲法に規定する恒久平和の意義及び国是である非核三原則の趣旨について、広く市民に普及するように努めるものとする。

 平和に関する交流の推進

3条 市は、他の都市との平和に関する交流を推進するように努めるものとする。

 その他平和に関する事業の推進

4条 市は、前2条に定めるもののほか、平和の推進に資すると認める事業を行うように努めるものとする。

 平和の維持に係る協議等

5条 市長は、本市において、国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請するものとする。

 核兵器の実験等に対する反対の表明

6条 市長は、核兵器の実験等が行われた場合は、関係機関に対し、当該実験等に対する反対の旨の意見を表明するものとする。

 委任

7条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。

 附則

この条例は、公布の日から施行する。

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次に、藤沢市です。

○藤沢市核兵器廃絶平和推進の基本に関する条例

平成7330日条例第47

 (目的)

第1条 この条例は,藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言(昭和57年藤沢市告示第29号)に基づき,核兵器廃絶を目指す国是としての非核三原則の厳守及び日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に関する基本原則を定め,もつて市民の平和で安全な生活の維持向上に資することを目的とする。

 (定義)

第2条 この条例において「核兵器」とは,核分裂,核融合又はそれらを組み合わせた爆発的原子核反応によつて放出される原子核エネルギーを用いて人間を殺傷し,又は器物,建造物若しくは自然環境を破壊するものをいう。

 (基本原則)

第3条 市は,第1条の目的を達成するため,不断の努力をするとともに,市民の協力を得て平和行政を推進する。

2 市は,市内での核兵器の製造,保有,持込み及び使用に協力しない。

3 市は,核兵器廃絶の実現に向けて国内又は国外の都市等との連携を深める。

4 市長は,3に定める事項の推進に努めなければならない。

5 市民は,1の目的を達成するため,自主的に平和に関する活動を行うとともに,第1項から第3項までに定める事項に関して積極的に協力するものとする。

(平和事業)

第4条 市は,前条の基本原則に基づき,次に掲げる事業を行う。

(1) 核兵器廃絶及び平和の意義の普及

(2) 核兵器廃絶及び平和に関する情報の収集及び提供

(3) 核兵器廃絶の実現に向けて他の都市等との平和に関する交流

(4) 前3号に掲げるもののほか,市長が必要と認める事業

2 市は,前項の事業の計画に当たつては,その基本的事項について市民の意見を聴くものとする。

 (委任)

第5条 この条例の施行について必要な事項は,市長が別に定める。

附 則

(施行期日)

1 この条例は,公布の日から施行する。

(藤沢市平和基金条例の一部改正)

2 藤沢市平和基金条例(平成元年藤沢市条例第23号)の一部を次のように改正する。

〔次のよう略〕

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そして、最後に宝塚市です。

○宝塚市核兵器廃絶平和推進基本条例

平成15919日条例第35

 宝塚市は平成元年37日に「非核平和都市宣言」を行いました。「青くすみきった空、清らかな武庫川の流れ、緑あふれる六甲・長尾の山々……。この素晴らしい自然と明るくおだやかな暮らしは宝塚市民すべての願いです。このような私たちの願いに反し、世界では依然として、人類同士の悲しむべき争いが絶えず、しかも地球上の全生命を滅ぼすことのできる核兵器が蓄積されてきました。しかし、人類の平和への切実な願いが全世界に高まり、大きなうねりとなって、ようやく戦略核兵器の縮小や、各地域の紛争解決への明るい兆しが見えようとしています。私たちは、このようなときにこそ、戦争を、そして核兵器をなくし、世界の恒久平和を強く願わずにはいられません。ここに、宝塚市は憲法の平和精神に基づき、恐るべき核兵器の廃絶を願い、永遠の平和社会を築くことを誓い、「非核平和都市」とすることを宣言します。」と世界にむけて非核平和の決意を明らかにしました。

 このような認識の下に、市民と市が非核平和の基本原則を共有し協働して、市民の平和で安全な生活の維持向上に努めるため、この条例を制定します。

 (目的)

第1条 この条例は、本市の非核平和都市宣言(平成元年3月7日宣言)に基づき、市民と市が協働して平和で安全なまちづくりを進めるための基本的な原則を定め、もって市民の平和で安全な生活の維持向上に資することを目的とする。

(定義)

第2条 この条例において「核兵器」とは、核分裂、核融合又はそれらを組み合わせた爆発的原子核分裂によって放出される原子核エネルギーを用いて人間を殺傷し、又は器物、建造物若しくは自然環境を破壊するものをいう。

 (基本原則)

第3条 市は、第1条の目的を達成するため、不断の努力をするとともに、市民と市が協働して平和事業を推進する。

2 市は、核兵器廃絶の実現に向けて国内及び国外の都市等との連携を深める。

3 市長は、2に定める事項の推進に努めなければならない。

4 市長は、核兵器の実験等が行われた場合は、当該実験等に対する反対の旨の意見を表明するものとする。

5 市民は、1の目的を達成するため、自主的に平和に関する活動を行うとともに、第1項から第2項までに定める事項に関して積極的に協力するものとする。

(平和事業)

第4条 市は、前条の基本原則に基づき、次に掲げる事業を行う。

(1) 核兵器廃絶及び平和の意義の普及

(2) 核兵器廃絶及び平和に関する情報の収集及び提供

(3) 核兵器廃絶の実現に向けて他の都市等との平和に関する交流

(4) 前3号に掲げるもののほか、市長が必要と認める事業

2 市は、前項の事業の計画に当たっては、その基本的事項について市民の意見を聴くものとする。

(委任)

第5条 この条例の施行に関し必要な事項は、規則で定める。

附 則

この条例は、公布の日から施行する。

 

以下、コメントですが、もうかなり長くなりましたので、詳しくは次回にも続きます。

 まず、三つの条例とも似た形をしています。これは、平和推進条例だけに限ったことではなく、国が法律を作ったり、何かを推進しようとするときには、地方自治体に「ひな形」を示します。多くの自治体は、固有名詞だけを自分たちの自治体名にすればそのまま条例になるような「ひな形」を前に、ほとんどの場合、その通りのことをしています。とても「親切」ですね。とは言え、これでは「地方自治」ではなく、中央集権国家による自治体の「支配」なのですが、この点についてはまた別の機会に取り上げましょう。

 もっとも、平和推進条例の場合は、長い間の日本政府の方針とはちょっと違っていますので、これは国の方針として「ひな形」を作ったのではなく、全国的に「非核宣言都市」や「平和推進条例」が注目されていたときに、平和活動家や専門家が作ったものかもしれません。

 それはともかくとして、三つの条例に共通している事柄で、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」にはないものがいくつかあります。

 一つは、「憲法」という言葉、あるいは「非核三原則」という言葉です。条例が国のレベルでのどの法律に依拠しているのかを示すことは、条例の意味を明確にする上でとても重要です。それは、憲法94条があるからです。

 94条  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

 そして、三つの条例のうち、苫小牧の場合には第5条で、「国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請するものとする」とまで踏み込んで、仮に国が非核三原則に反する行為を取った場合には、「文句」を言うとまでは書いてありませんが、抗議の意思を示すと謳っています。

 藤沢市でも、第3条の2で、「市は,市内での核兵器の製造,保有,持込み及び使用に協力しない」と、非核三原則の遵守を国に求めています。

 それは、憲法99条の公務員の憲法遵守義務に従うという意思表示なのですが、地方公務員だけではなく、国家公務員、それも国会議員や総理大臣等にも同じ遵守義務があるという事実を国に対して突き付けていることでもあるのです。

 では、広島市の場合はどうなのか、スペースの都合で次回に回しますが、一言で広島市の条例をバッサリ切れば、憲法に関しては、国への「忖度」としか言いようがありません。

 [2021/3/11 イライザ]

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2021年2月26日 (金)

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」 ――怒りを発信することも私たちの義務です――

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」

――怒りを発信することも私たちの義務です――

 

「舐めるな」とか「馬鹿にするな」という表現を使う機会はあまり多くはないのですが、使わなくてはならない場合には使うことが大事です。

森友や加計、そして桜を見る会等が有耶無耶の内に忘却の彼方に放り出されてしまっている感のある今、権力者・為政者による過去のスキャンダルそして違法行為を反省し、「国民全体の奉仕者」としての仕事を懸命にこなしていて当然の政治家や高級閣僚たちが、さらには国民の意思を代弁して当然の政党も、またまた目に余るスキャンダルを繰り返しています。

そんな気持を、論理的にかつ明快にまとめてくれたのが、広島地検の元刑事部部長そして元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士です。ヤフーニュースへの投稿、「参院広島選挙区再選挙、自民党は、広島県民を舐めてはならない」が、的確に問題の本質を抉ってくれています。詳しくは、このヤフーサイトを御覧頂きたいのですが、サワリだけ引用しておきましょう。

「広島県政界に広く現金がばら撒かれたこの事件は、まさに党の組織としての重大不祥事である。1億5000万円の選挙資金と現金買収の原資との関係や、安倍氏や菅氏の案里氏の立候補及び選挙運動への関与や認識などを明らかにし、また、広島県政界に事件が波及した構造を解明して、是正を図らなければ、自民党が公正な選挙を行うことへの信頼も期待もあり得ない。」

こうした努力は全く行わずに、「候補を一本化」することが、この不祥事に対する答だとの主張を行っている自民党の県連は、今回の「再選挙」の意味を無視し、選挙とは「政局」つまり、権力闘争の一場面であるとしか考えていないことを示しています。

単純化してまとめておくと、「一本化」に理解を示す人たちは、片や「岸田派」(岸田総理を実現させたい人たち)、こなた「菅派」(安部から菅というラインを作りたかった人たち)の抗争という図式で次の選挙を考えているからなのではないでしょうか。2019年の参議院選挙で、自民党が二人の候補を立てることになったのは、この抗争での「岸田派」の敗北を意味している。この抗争の次の回、つまり参議院再選挙で勝つためには、「岸田派」がまとまって、「候補を一本化」することが必要だ、と言っているに等しいではありませんか。

それは、選挙そのものの意味、民主主義と国民主権についての自民党の基本姿勢を具体的に示している行動だと言っても言い過ぎではないでしょう。

再び郷原氏に登場して貰うと、

「自民党が、広島県の政界の体質に目を向けることなく、単に、過去の与野党の票差と、野党側の選挙事情だけに目を向けて、再選挙に公認候補者を擁立しようとしているとすれば、広島県民を舐めきった「思い上がり」以外の何物でもない。」

自民党は再選挙に公認候補を出すという決定をしたのですから、郷原氏の結論、「広島県民を舐めきった」行為であることが証明されました。公認候補を擁立して選挙運動をする中には、河井夫妻から金を貰った現職の自民党議員が含まれています。そんな選挙で自民党候補に一票を入れることは、今以上に「舐められる」ことになるのですから、そんな選択をする人は少数だと思いますが、それだけで良いのでしょうか。

静かに、「粛々と」投票するだけではなく、声を大にして「人を舐めるのも好い加減にしろ!」と叫ぶことも必要なのではないでしょうか。

私たちの目の前にある政治腐敗は、河井夫妻の買収事件だけではありません。少しは改善されたように見える、新型コロナの感染も、まだまだ問題です。中止すべきだと考える市民が多数を占めているオリンピックを、ゴリ押しして開催しようとする内閣も組織委員会も、国民を甘く見ています。こうした重要案件を抱えて、誠心誠意、主権者である国民との対話を重んじ、より良い解決策を策定しなくてはならないにもかかわらず、与党議員たちもその下支えをすべき高級官僚たちの為体 (ていたらく) も、目を覆うべき状態です。

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総務省の官僚たちが菅総理大臣の長男の勤める東北新社から受けていた接待が、常識外れであることは改めて指摘するまでもないでしょう。それだけではなく、『週刊文春』が音声を公開していなければ、「記憶にない」等の虚偽の答弁を弄することは、森友・加計・桜から連綿と続く、「隠蔽」「言い逃れ」「知らぬ存ぜぬ」「記憶にない」等々の「悪事隠し」の手法は、国民を馬鹿にしているとしか言いようがありません。

仮に事実を認めても、せいぜい減給とか訓告・戒告等が主なものになり、重くて辞職です。罰則はないのも同然なのですが、私たちはそれに慣らされてしまっています。法律や制度がそうなっているからなのですが、そこから見直す必要があるのかもしれません。

この際、もう一度憲法を読んでお浚いしておきましょう。まず15条です。

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

国会議員も公務員という立場なのですが、通常の公務員も当然、15条に縛られます。高額の接待を受けること自体、「全体の奉仕者」としての意識の欠如なくしてはあり得ません。それでもう憲法違反です。重い罪でなくて何でしょうか。

さらに、12条が重要です。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

公務員の人事権を持つという「権利」も、「不断の努力」で守り続けなくてはならないのです。公務員が、全体の奉仕者としての立場を捨て、自分たちの持つ権力に驕っている場合、私たちが「怒り」をエネルギー源として、断固たる姿勢を示すことは、12条を遵守するための「義務」だとも考えられるのですが、如何でしょうか。

 [2021/2/26 イライザ]

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2021年2月21日 (日)

世界における広島の役割 ――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

世界における広島の役割

――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

 

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日の本欄では、15日に原水禁が市議会議長に提出した「意見と要望」を全文掲載しました。またその際に口頭で行った補足の要望や議長の反応等については、217日に金子代表委員からの報告がありました。

 念のため、意見募集についての市議会サイトのURLを貼り付けます。条例の素案は、そこから入ることができます。

 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/gikai/199719.html

 今回は改めて、世界という舞台上で「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」がどんな役割を果すのか、特に世界からどのような期待を持たれているのかという視点からこの条例素案を取り上げたいと思います。厳しい内容になりますが、それは、世界において広島の占める重要性の反映ですので、御理解頂ければと思います。

まず、女性蔑視発言で世界中から批判された、森喜朗元組織委員会会長の発言を考えましょう。この発言が世界的に注目されたのは、オリンピックが世界的に重要なイベントだからですし、東京開催も同様に関心の的になっているからです。仮にこの発言が、日本国内でもあまり名の知られていない、保守的で小さな町のボランティア団体会長の発言だったとすれば、その町で良く読ませている地方紙でさえ、報道しなかったのではないでしょうか。

 広島が世界的な存在であることは、例えば、広島への原爆投下が、AP通信社による「20世紀の最大のニュース100選」のトップとして選ばれていることからも分ります。仮にオリンピックと比べたとして、広島が同じくらい、あるいはそれ以上の位置付けになる可能性は、クロアチアのビオグラード・ナ・モルという都市の市民たちが広島に寄せる思いだけからも容易に推測できます。

 

(以下、『ヒロシマ市長』(秋葉忠利著・朝日新聞出版)131ページから引用)

 「ここでは、もう一つの(平和市長会議)副会長都市、クロアチアのビオグラード・ナ・モル市のユニークな活動だけ取り上げておきたい。「海に面した白い町」という意味の美しい街で、人口は約六〇〇〇人。古くから、アドリア海に面した観光地として知られているが、クロアチア紛争の際には、セルビア軍による攻撃でかなりの被害をこうむった。その体験から、戦争を繰り返さないこと、とくに核兵器の廃絶のためには熱心な都市になった。「観光」と「平和」が自然に結びついたよい例だろう。広島や長崎についてもいろいろと勉強し、中でも「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんと折り鶴の物語に、多くの子どもたちが感動したそうだ。この気持を表現するためにビオグラード・ナ・モル市のイヴァン・クネッツ市長は、折り鶴の碑を建てることにした。鉄製の五メートルほどの美しい碑である。

その除幕式では、市内のすべての子どもたちが折った折り鶴をこの碑の前に捧げることを計画した。子どもたちに鶴の折り方を教えたのは学校の先生だが、子どもたちは家に帰ってからも鶴を折る練習をしたらしい。子どもたちの練習を助けるためにお父さんやお母さんたちも鶴の折り方を習った。その結果、ビオグラード・ナ・モル市のすべての市民が鶴を折れるようになった。そう報告してくれたのは同市の国際・平和担当のヤスミンカ・バリョさんだった。」

 

一つの都市の子どもたち、その気持ちを汲んだ市長、学校の先生、そして保護者達全市民を巻き込んだこのような活動を可能にする力を「広島」は持っているのです。比較することが適切ではないかもしれませんが、オリンピックを凌駕していると考えることも可能なのではないでしょうか。

 ですから、ビオグラード・ナ・モル市の市民は広島市の「平和推進条例」に高い関心を持つはずです。それだけではなく、今や加盟都市が1万に近付いている平和首長会議の他のメンバー都市やその市民たちも同じように注目するでしょう。

 一例を挙げると、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジ市には、予算を付けた「平和委員会」があります。元々は、「核軍縮と平和教育のための委員会」でしたが、発展的に今の名前になりました。この委員会は、具体的な活動内容まで条例で決め、市民ボランティアから委員が選ばれています。そしてこの委員会の人事については市長にアドバイスをすること、逆に諮問を受けることなども仕事の一部になっています。世界的には他の都市でも同じような条例を作っていますので、広島の条例に対する関心は非常に高いはずです。

Peace-commission

ケンブリッジ市平和委員会の行事の一つ

 なぜならこの条例は、被爆後の75年以上の歴史の中で「世界の広島」において初めて作られる「平和推進」についての条例だからです。文書化されることに注目すると、文書として広島市が公式にまとめている、毎年86日の「平和宣言」の総まとめとしての役割を果すことになります。70年以上の「平和宣言」には、被爆者や市民、そして広島に心を寄せる世界中の人々の思いが込められています。その全てを条例の中に詳しく再現することは不可能ですが、その理想や精神は、条例の前文として格調高く述べられてしかるべきなのではないでしょうか。

 さらに重要なのは、「平和宣言」の持つ意味が如何に大きいものだったにしろ、「平和宣言」には法的拘束力がないという点です。森発言も法的拘束力を持たない、組織委員会の一人の役員の言葉です。仮に法的拘束力を持つ文書に、同じ内容が盛り込まれていたとしたら、その意味は全く異なっていたはずです。

この観点からも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の素案を考える必要があるのではないでしょうか。まず、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」では、原水禁の「意見と要望」が指摘しているように、中心になっているのが、市民が行政に協力する義務と、表現の自由に抵触する可能性の高い「厳粛」つまり「自粛」なのです。

 条例素案の欠陥を是正するだけではなく、人類史的な立場、世界的立場からもお手本にしたいと言われるような内容にできないものでしょうか。全市民は勿論のこと、詩人や文学者も含めて、平和と広島に関心を持つ広島以外の識者や市民にも加わって貰うことで、「お手本」を作ることは今からでも遅くはないはずです。

[2021/2/21 イライザ]

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2021年2月16日 (火)

問題だらけの広島市平和推進条例 ――世界平和の「原点」にはなりません――

問題だらけの広島市平和推進条例

――世界平和の「原点」にはなりません――

 

広島市議会が「広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案」を発表し、市民意見を募集しています。締め切りは昨日、215日でした。

 意見募集についてのお知らせは、市議会のホームページに掲載されていますので、それも御覧下さい。

広島県原水禁は、この素案中でも、特に5条と6条に焦点を合わせた「意見と要望」を提出しました。金子代表委員が山田市議会議長に直接お渡ししましたし、口頭でも補足の要望をしてきました。それについては、明日、217日に金子代表委員からの報告があります。

 今日は、「意見と要望」の全文を掲載して、皆さんに私たちの考え方をお伝えします。ちょっと長くなりますが、お読み頂ければ幸いです。なお、私個人としての「思い」は、次回、221日にアップします。

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2021年2月15日

広島市議会

議長 山田春男様

原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)

代表委員 秋葉 忠利

〃  金子 哲夫

〃  佐古 正明

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案」に関する意見と要望

  貴職におかれましては、平和行政の推進、市民生活の安心、安全、とりわけコロナ対策の推進のため、日夜奮闘されていますことに敬意を表します。

 さてこの度、貴議会は「広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案」(以下「素案」という)を発表され、市民の意見募集を行われています。

私たち広島県原水禁もこの「素案」を読ませていただきました。議会として広島市の平和行政推進のために条例を策定されようとしていますことは、評価しますが、より良いものとしていただくため、この「素案」に対し、下記のような意見、要望を提出することにしました。

つきましては、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」を策定されるにあたって、私たちの意見を反映していただきますよう強く要望します。

 

1、前文で「核兵器禁止条約」について全く触れられていない事への疑問

  本年1月22日に核兵器廃絶への大きな一歩と言われる「核兵器禁止条約」が発効しました。この時期に作られる条例であれば、新しい情勢の中での「広島市の平和推進」のあり様、決意を表す内容とならなければならないと思います。

2、広島市の平和行政を推進するためには、市民の多様な意見を反映したものでなければなりません。しかし、「素案」では、それに逆行し、市民の自由を制限する内容となっています。「平和に関する」条例であればあるほど、「市民の表現の自由」が保障されるものでなければなりません。そこで、以下二つの点に絞り、意見を述べます。

①第5条の「市民の役割」では、「施策に協力する」ことが明記され、一方的に「市民の協力義務」を課しています。市政の主人公は、市民です。あるべき姿は、市の平和政策推進にあたっては、むしろ市民の多様な意見、考え方を積極に取り上げ、それらを反映させることが重要です。真にそうした姿勢が貫かれれば、おのずと市民の協力を得ることが出来るはずです。例え、平和行政であったとしても、反対の意見があっても不思議ではありません。市民の思想信条の自由を制限する条例は制定されるべきではありません。「施策に協力するとともに」を削除し、市民が主人公となるような条文に変えられるよう要望します。

 ②第6条の「平和記念日」の第2項では、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」を「厳粛の中で行うものとする」ことを明記しています。

 この問題について、私たち広島県原水禁は、一昨年12月18日に市長に対し「市民の言論・表現の自由」を規制する「『拡声器使用規制条例』制定反対」の申入れを行っています。真の「平和」を作るためには、「言論や表現の自由」が保障された社会でなければなりません。

 現に広島市は、この問題の解決を解決するための話し合いを粘り強く行っています。

 現在8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」は当然のことと実施されているにもかかわらず、あえて第2項が加わっているのは「厳粛」を求めるためとしか思えません。

「条例」に罰則規定が無いとしても、この条例が「規制の根拠」となっていくことが危惧されます。

 私たちは、第6条、2項の削除を求めます。

3、市議会による「平和に関する条例」の制定にあたっては、とりわけ市民の声を大切にし、市民目線に立ったものであることが重要です。

 「条例制定ありき」で拙速に進むのではなく、今回のパブリックコメントで終わるのではなく、さらに市民との積極的な意見交換を行い、市民の声が反映されたより良い条例が制定されることを強く要望します。

4、広島市が世界的に注目され、特にその平和についての姿勢が世界の模範を示してきた歴史からも広島市の平和行政は、世界的基準で評価されます。

 最近、わが国の人権意識―中でも女性差別や表現の自由についてーが、世界から批判を受けている状態です。広島市の条例であっても(と言うよりも、「だからこそ」と言うべきだと思います)、この点について、グローバル・スタンダードを満たしていなければなりません。法的拘束力のある条例の重みに鑑み、人権意識は最大限尊重されなくてはりません。残念なことに「素案」は、こうした世界の価値観に反するものとなっています。それを避けるためにも、上記の提案を真摯に受け止めていただきますよう要請します。

以上

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 [2021/2/16 イライザ]

 

 

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2021年2月12日 (金)

2.11建国記念日復活反対!ヒロシマ集会

今日のブログでは、毎年2月11日に開催してきました「建国記念日復活反対!ヒロシマ集会」の様子を報告する予定でしたが、今年はコロナ感染拡大を防ぐということで、中止となりましたので、集会の様子を報告することができません。

当日の記念講演をお願いしていました内田雅敏弁護士から、講演のために準備されていた内容をメッセージとして送っていただきましたので、少し長いのですが、全文を紹介することにしました。

内田雅敏弁護士は、戦争をさせない1000人委員会事務局長を務めるとともに、弁護士として特に、中国人強制連行・強制労働など戦後補償問題や靖国問題などに取り組んでこられました。

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靖國神社の何が問題か

靖國神社の「聖戦史観」

[日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには悲しいことですが、外国との戦いも何度か起こったのです。明治時代には「日清戦争」、「日露戦争」、大正時代には「第1次世界大戦」、昭和になっては「満州事変」、「支那事変」そして「大東亜戦争(第2次世界大戦)」が起こりました。戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです](靖國神社発行「やすくに大百科」)。

1945年8月15日の敗戦前の話ではありません。これが、戦後75年を経た現在の靖國神社の歴史観です。日本の近・現代におけるすべての戦争は正しい戦争、即ち「聖戦」であったと現在も堂々と主張しているのです。この「聖戦史観」は世界に通用しないことはもちろん、歴代の日本政府見解にも反します。

二つの誤解

靖国問題を語るに際しては、二つの誤解を解いておく必要があります。

一つは、中国、韓国からの批判を正確に理解することです。巷間、中国、韓国らからの靖國神社参拝批判に対して、戦没者に対する追悼はどこの国でもやっている、何故それが批判されるのか、と反論がなされます。毎年8月15日、武道館で政府主催による戦没者追悼式が行われますが、この追悼式を中国、韓国らが批判することはありません。どこの国でも行っているからです。靖國神社参拝批判は、戦没者に対する追悼批判ではなく、靖國神社という場でそれが行われることへの批判なのです。

  二つ目の誤解は、A級戦犯分祀論についてです。巷間、靖國神社にA級戦犯を合祀したから中国、韓国らから批判される、この際、A級戦犯の方々に余所に移ってもらおうという、いわゆるA級戦犯分祀論も唱えられます。A級戦犯を分祀すれば問題の解決となるか。否です。A級戦犯を合祀していることが問題なのではなく、A級戦犯合祀に象徴される靖國神社の「聖戦史観」こそが問題だからです。靖國神社はA級戦犯分祀を絶対にできません。分祀したら、その瞬間に靖國神社でなくなります。靖國神社がA級戦犯を分祀出来ないのは同神社が弁明するような神道の教義によるものでなく、靖國神社の設立目的、およびA級戦犯合祀の経緯によるものなのです。A級戦犯合祀は東京裁判否定の目的をもって、周到に準備されて行われました。

別格官幣社としての靖國神社

靖國神社は、幕末、明治の戊辰戦争で亡くなった兵士、それも朝廷(官軍)側の死者だけを祀るために1869(明治2)年に作られた東京招魂社を起源とし、1879(明治12)年、別格官幣社として設立されました。別格官幣社は72(明治5)年、楠木正成を祭神とする湊川神社が最初の設立でした。次いで、靖国神社、北畠神社など、天皇に尽くした臣下を顕彰する神社として続々設立され、28社ありました。東京招魂社は死者の鎮魂を主目的としていましたが、靖國神社では死者の顕彰に軸足が移りました。

戦前、官幣社は大社、中社、小社の三種があり、その頂点に立つのが伊勢神宮です。官幣大社のさらに上に位置付けられています。官幣大社は、出雲大社、諏訪大社など65社、官幣中社は北野天満宮など23社、官幣小社は大国魂神社など5社があり、別格官幣社の社格は官幣中社、官幣小社の下位にあるとされていました。戦前、歴史も浅く、社格も下位にある靖國神社が、他の神社を凌駕する特別な地位を獲得し得たのは、陸・海軍省が所管し、天皇の軍隊の戦死者の魂全てを祀るという、戦死者(戦病死者を含む)の魂の独占と、そこに臣下に頭を下げることのない天皇が参拝して下さるとされたからです。戦死者の魂独占の虚構と天皇参拝、これこそが靖國神社の生命線でした。

新憲法下、一宗教法人としてかろうじて解体を免れた靖國神社は、戦後も戦前と同様、特別な地位を占めるため、戦死者の魂独占の虚構の維持と天皇参拝の継続に腐心しました。国立の追悼施設を設けていない国もこれを助けました。靖國神社は、敗戦の年1945年12月15日の占領軍総司令部(GHQ)による国家神道廃止指令に先立つ11月20日、天皇列席の下、臨時大招魂祭を行い、先の戦争の戦死者全ての御霊(みたま)を招き寄せたとしています。遺骨の有無は関係なし、誠に便利な教義です。

靖國神社の招魂に応じない戦死者の魂も強制的に「招魂」されます。死んでからも再度「召集」されるのです。本来、追悼とは、故人の遺族、友人等故人を知る者が行う優れて個人的な行為です。国からの祭人名票の送付という行為によって初めて祭神を特定する靖國神社による戦死者の合祀は、戦死者を悼むためでなく、靖國神社自身のため、すなわち戦死者の魂独占という虚構を維持することによって、戦後もその独自の地位を維持しようとするためのものだと言わざるを得ません。死者に対しては、ひたすら追悼し、決して死者を讃えたり、死者に感謝してはなりません。讃え、感謝した瞬間に、死者の政治利用が始まり、死者を生み出した者の責任が曖昧にされます。なお、靖國神社には遊就館という「戦争博物館」がありますが、ここでは何が展示されていて、何が展示されていないのかを見抜くことが大切です。


いのちとうとし

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2020年12月 2日 (水)

戦争をさせない三原市民集会

戦争をさせない三原市民行動が主催する「戦争をさせない三原市民集会」が、11月29日の午後2時から三原市中央公民会で開催されました。

毎月19日行動を続ける「戦争をさせない三原市民行動」は、毎年1回、情勢を学ぶ場として「学習交流会」を開催していますが、コロナ禍の今年も開催することになりました。事務局を担う藤本講治さんからの誘いを受け、私も参加してきました。参加者は、目標とした人数を少し下回ったようですが、地区労センター、部落解放同盟、9条の会などから52名が参加しました。

今年の講演テーマは、「日本国憲法公布から74年、改めて、今、平和を考えるーSTOP!改憲発議 戦争法廃止反対闘争から―」です。講師は、「戦争させない・89条壊すな!総がかり行動実行委員会運営委員」で、戦争をさせない1000人委員会・平和フォーラム共同代表の勝島一博さん。

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勝島さんは、2012年の自民党憲法改正草案発表以来進んでいる憲法破壊と戦争できる国づくりの流れを詳しく時系列にまとめたレジュメを準備され、参加者に配布されましたので、聞く側にとって非常に理解しやすい講演となりました。ここでは、その大きなタイトルだけ紹介します。

1、第二次安倍政権のもとで進められた憲法破壊と戦争できる国づくりを継承する菅政権。

 特にここで強調されたのは、武器輸出問題と攻撃型の防衛装備、そして防衛費の増大です。

2、平和憲法を守る取り組み。

 この一年間、憲法審査会で実質的改憲論議を行われなかったこと。その中で続けた「19行動」をはじめとした総がかり行動実行委員会の取り組みの紹介。

3、陸上イージス計画の中止に伴う新たなミサイル防衛体制の構築と日米一体化を許さない取り組み。

 日本を守ると言いながら、その実質はアメリカ防衛を担う計画であることに注目を。

4、憲法違反の敵基地攻撃能力の保有を許さない取り組み。

 1956年の政府見解「急迫不正の侵害が行われ、ほかの手段がない場合に限り『法理的に自衛(専守防衛)の範囲』を紹介し、現状がいかに「専守防衛」の枠を大きく逸脱しているかを厳しく指摘。

5、日本学術会議の会員人事への菅政権の介入を許さない。

 その背景に「学術研究と軍事の一体化」を狙う政権に対し、日本学術会議が出した「軍事研究を拒否」する声明があることを解説。

そして最後に「安倍・菅政権に終止符を!衆議院選挙で与野党逆転を!」と訴えて、勝島さんの講演は終わりました。

レジュメの最後には、2015年4月28日京都新聞夕刊「現代の言葉」に掲載された京都大学山室真一教授の「いずれにしても戦後70年を経て日本人が戦場で命を奪い合う日が近づいている。粛々と。」が紹介してありました。

その日を迎えないために、私たちが今何をすべきか一人ひとりの決意が問われた講演でした。

集会の最後に、藤本講治さんから「戦争をさせない三原市民行動」のこの一年間の取り組みの報告と今後の行動提起がありました。取り組みの報告では、「19日行動」街頭宣伝活動が、三原駅前で毎月きちんと5年間取り組まれてきたことやその行動をつなぐための「三原市民行動通信」が毎月発行されていることが印象に残りました。今月も19日(土)午後1時半から実施される街頭宣伝活動に「一人でも二人でも参加しよう」との呼びかけがありました。

元気をもらうことのできた「戦争をさせない三原市民集会」でした。

いのちとうとし

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2020年11月24日 (火)

民意を反映しない日本の選挙制度 ――アメリカの大統領選挙より酷いのでは?――

民意を反映しない日本の選挙制度

――アメリカの大統領選挙より酷いのでは?――

11月3日に投票されたアメリカの大統領選挙は未だに最終決着には至っていません。そして、「民主主義国家」であることを標榜する我が日本国でも、今月18日、つまり2020年11月18日、最高裁判所が昨年の参議院選挙は「合憲」であるとの判決を出しました。「一票の格差が3倍だった」にもかかわらず、です。

一見、この二つの現象は無関係のように見えます。特に、日本とアメリカという国の違いがあり、アメリカの場合は大統領選挙という特別の選挙ですので、その感が強いのですが、実は、これら二つの異常事態は、全く同じ構造をもち、同じ理由で混乱を来しているのです。しかも、その両者を簡単に解決できる素晴らしい薬さえあるのです。

《選挙人と大統領選挙》

今年の選挙が未だに揉めているのは、現大統領のドナルド・トランプ候補が負けを認めずに、あることないことを主張し、法廷での争いも数多く手がけ、トランプ支持の市民たちを挑発していることが大きな原因です。同時に、大統領選挙の制度そのものに不備のあることも、同時に見て行く必要があるのです。まず、制度としてどのようなものなのかその概略です。

アメリカの大統領は、アメリカの有権者全てが投票して (少なくとも建前では) 全国でただ一人だけ選ぶことになっています。事前の予測等でも、A候補支持が52%、B候補支持が45%というような形で報道されてきていますので、全米での投票結果が集計されて、その結果で勝者が決ると思い込んでしまっても、そちらの方が自然です。

しかしながら実際には、①投票の集計は州ごとに行われます。②また各州には、「選挙人」と呼ばれる人の人数が割り当てられています。そして③集計の結果、どの候補が、何人の選挙人を獲得するのかが決められます。原則として、最終段階では、これら選挙人は、この際に割り当てられた候補に投票することに決められています。④そして最終的には、その選挙人たちが、割り当てられた候補に投票をして、その結果、過半数を獲得した候補が当選する、ということになります。

日本の制度とはずいぶん違っているという印象をお持ちの方も多いのではないかと思います。しかし、選挙そのものの構造に注目すると、日本の場合と少なくとも「相似形」ではあるのです。私は「同型」だと考えています。「違う」ように見えるのは、選挙にまつわる「用語」あるいは「術語」の違いが大きいからなのではないでしょうか。その点を御理解頂くために、大統領選挙のポイントとして示した①から④までを、日本の制度に即して言い換えてみましょう。説明を簡単にするために、かつての中選挙区制の下の衆議院選挙との比較をしてみます。

《衆議院選挙と首班指名》

まず、①ですが、日本の場合は、選挙区ごとに選挙が行われ開票・集計もその単位で行われます。これは、アメリカにおける選挙区が一つの州だと考えることに他なりません。②の選挙人の数ですが、日本の場合は選挙人とは言わず、衆議院議員と言っています。単なる言葉の違いです。そして、③ですが、日本の場合には、どのような投票をするのかが決められているのではなく、所属政党によってその行動が大方決められています。特に総理大臣を選ぶときには、自分の党の捜査いなり党首なりを選ぶのですから、これもアメリカの選挙人が誰を選ぶのかを決められているのとほぼ同じことになります。そして④ですが、これは国会における首班指名と同じことです。

日本の総理大臣の選び方と、アメリカの大統領の選び方がほぼ同じであることは御理解頂けたと思います。この制度が、アメリカにおいて今回の混乱を招いた一因だとするのなら、日本の場合は、総理大臣の指名だけでなく、各種法律の制定も同じプロセスで行われるのですから、制度的な欠陥という構造的な問題が元になって、より広い範囲で影響を及ぼしていると考えても良さそうです。

《アメリカの制度の問題点》

今回のアメリカ大統領選挙でも問題になっているのは、アメリカ全土での得票数が多いにもかかわらず、その候補が自動的には当選しないという点です。総投票数ではバイデン候補が明らかに勝っているのに、選挙人制度があるために、それとは違う結論に至る可能性があるからです。

4年前の選挙でも、ヒラリー・クリントン候補は、全体の51%の票を得ています。クリントン大統領が誕生してもおかしくはなかったはずなのですが、いわゆる「ラスト・ベルト」での票を固めたトランプ候補が選挙人の数では上回って当選しました。しかし、アメリカの大統領選挙では、このような事例は一二に止まらないのです。ウイキペディアに掲載されている、一般投票の得票率と、誰が当選したのかの比較表を見て下さい。

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クリントン候補の他に、2000年の選挙で、得票率では勝ったゴア元副大統領ではなく、ジョージ・W・ブッシュ候補が当選したことが良く知られていますが、その年にも、最後には法廷で決着が付きました。

なぜこんなことが起るのかの説明も必要です。それは、選挙人を選ぶことで、有権者の意思が捩れて反映されることになるという点です。その結果、一般投票の得票数による勝敗ではなく、その逆の結論になるのです。より具体的な「思考実験」をウイキペディアの図で説明します。分り易いと思いますので、参考にして下さい。注意すべきなのは、選挙人の数は、連邦上下両院の合計議席と同数で、上院議席は各州に2人ずつ配当されているので、最小は3人ということになります。

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長くなりますし、英語の説明を翻訳している時間がありません。でも、グラフと数字だけで内容は分って頂けると思います。さらにもう一つの問題は、一票の格差です。その原因の一つは、アメリカの各州とも、人口に関わらず、上院議員数が2名だということにあります。それが大きな原因になって、選挙人が何人を代表するのか、という格差が生じています。日本では「一票の格差」としてしばしば問題にされています。この点もウイキペディアのグラフで御覧下さい。

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カリフォルニア州では、選挙人一人を選ぶのに、70万人という数が必要なのですが、ワイオミング州では20万人ちょっとで済みます。格差は3倍以上です。

日本の最高裁判所が、昨年の参議院選挙の一票の格差3倍を合憲だと判断したのは、「アメリカでも3倍くらいは問題視されていないのだから日本もそれに準じていれば良い」という基準でもあったからなのでしょうか。

さて日本の選挙制度の問題点ですが、これまで何度も繰り返して来ています。でも大切なことですので、再度、問題提起をしておきましょう。それは次回に。

[2020/11/24 イライザ]

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2020年11月12日 (木)

大津市で「憲法理念の実現をめざす第57回大会」開催 〓 まもろう、平和と人権!すすめよう、民主主義と共生! 〓

11月7日・8日、滋賀県大津市びわ湖ホールにおいて「まもろう、平和と人権!すすめよう、民主主義と共生! 憲法理念の実現をめざす第57回大会」(護憲大会)が開催されました。

今年は、コロナ禍の中で日程を短縮し、参加者を大幅に絞ったうえ、オンライン配信を活用しての大会となりました。

初日の開会総会は、勝島一博実行委員長から「憲法軽視など権力を私物化した安倍政権の継承を自任し権力を振り回す菅政権。いまこそ立憲主義・国民主権を取り戻し、憲法理念の実現に向けてさらなる取り組みの強化をしていこう」と主催者挨拶。来賓として連合、立憲民主党、社民党、滋賀県知事などから連帯あいさつ・ビデオメッセージが行われました。

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その後、大会基調の提案。特別報告「敵基地攻撃論と日米軍事同盟」のビデオ報告(飯島滋明名古屋学院大学教授,前田哲男軍事評論家,半田滋防衛ジャーナリスト,藤本泰成平和フォーラム共同代表)とメイン企画①シンポジウム「新型コロナウイルス感染症と日本の人権状況」(鈴木雅子弁護士,河かおる滋賀県立大学准教授,宮子あずさ看護師,杉浦ひとみ弁護士,飯島滋明教授)が行われました。

2日目のメイン企画②では、憲法課題をめぐる取り組み(滋賀における多文化共生の取り組み,水俣病をめぐる状況,女性の人権状況,沖縄の現地の情勢とたたかい)・各地からの報告(神奈川県:ヘイトスピーチを許さない取り組み,福島県:高レベル放射性廃棄物の誘致反対の取り組み,福井県:関西電力を告発する会の取り組み,石川県:金沢市庁舎前広場護憲集会使用不許可違憲訴訟のたたかい,社青同:反核平和の火リレーの取り組み)が行われました。

その後、大会のまとめと、「『新しい生活様式』といった美辞麗句を権力者に語らせるままにするのではなく、市民自身が一人ひとりのいのちの尊厳を守ることを基本にしながら、他者との共同のための方法を新たに獲得していくことが求められている。そのための試みを積み上げていく努力を、ともに重ねていこう」との大会アピールを確認して護憲大会を終了しました。

二日間の討議の中で、敵基地攻撃能力の危険性やコロナ禍で外国人・在日朝鮮人,女性・子どもの人権が脅かされている状況など、民主主義を進めるためには労働組合が必要であること。人権をもう一度考え直す必要があること。憲法をしっかり据えることの大切さを学ぶことができました。

なお、来年の護憲大会は、東日本大震災から10年という節目の年。1030()111()、宮城県仙台市で開催されることとなりました。

藤本講治

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