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憲法

2020年8月11日 (火)

劣化した政治の「震源地」はどこか? (3) ――憲法違反の小選挙区制度 (2) ――

劣化した政治の「震源地」はどこか? (3)

――憲法違反の小選挙区制度 (2) ――

政治家になる人たちの質が悪ければ、その結果として政治は悪くなるでしょう。となると、政治家になった人たちがどのような経緯で政治家になったのかを知ることは大切です。そして、官僚出身者、世襲議員、さらに松下政経塾出身者という三つのグループが多くの議員や首長の「供給元」であることを確認しました。これらのグループが政治に与えている影響を客観的に把握した上で、より良い政治を創るための新たな供給源がないものなのか、あるいは作れないものなのかを考えることも重要です。また政治の劣化の原因になっているグループについては、選挙の際に投票しないといった選択をすることが有効です。

しかしながら、その選挙が有権者の意図を反映しないものであれば、私たちがどう足掻いても、望むような結果にはなりません。そして小選挙区比例代表並立制(以下、小選挙区制と略)は、民意を反映しない制度なのです。1994年に導入され、1996年の衆議院選挙からその制度による選挙が行われてきたのですが、それからほぼ20年経った、2015年の時点では、小選挙区制の弊害は広く理解されていました。しかし、それから5年経った今、危機感はどこかに消えてしまい、小選挙区制を廃止してより良い制度を導入しようといった声もほとんど聞こえなくなってしまいました。身近な所での政治の腐敗に対処するだけで時間もエネルギーも使い果たしてしまい、選挙制度にまで目が向かなくなってしまったのだと思います。

しかし、社会構造の本質を忘れては、どんな改革も不毛に終りますので、「定期的に」問題提起をしています。今回は、何故小選挙区制が駄目なのかについて、ザっとお浚いしておきましょう。

まず、小選挙区制導入の立役者として何時も挙げられるのは三人です。当時衆議院議長だった土井たか子さん、自民党総裁だった河野洋平さん、総理大臣だった細川護熙さんです。小選挙区関連法案が衆議院で可決され、参議院では否決という結果になった時、本来はこの法案は廃案になるのが憲法59条の本則です。しかし、両院協議会を開くことも許されていますので、両院協議会が開かれ、その結果は不調、つまり協議会としての結論はなく、廃案になるはずでした。その際に、土井さんが河野・細川の二人を招いて妥協案を作るよう指示し、その結果が今の小選挙区制なのです。

その一人、河野洋平さんの反省の弁が注目されました。それは、もう一人の立役者だった土井たか子衆議院議長(当時)お別れの会(2014年11月25日)での次のような言葉です。

最後にあなたに大変申しわけないことをした。おわびしなくてはならない、謝らなければならない大きな間違いをした。

 細川護煕さんと2人で最後に政治改革、選挙制度を右にするか、左にするか、決めようという会談の最中、議長公邸にあなたに呼ばれた。直接的な言葉ではなかったけれども、「ここで変なことをしてはいけない。この問題はできるだけ慎重にやらなくてはいけませんよ」と言われた。あなたは小選挙区に対して非常な警戒心を持たれていた。

 しかし、社会全体の動きはさまざまな議論をすべて飲み込んで、最終段階になだれ込んだ。私はその流れの中で小選挙区制を選択してしまった。今日の日本の政治、劣化が指摘される、あるいは信用ができるかできないかという議論まである。そうした一つの原因が小選挙区制にあるかもしれない。そう思った時に、私は議長公邸における土井さんのあの顔つき、あの言葉を忘れることができません。

当時の首相で、河野氏と共に、葬り去られるはずだった小選挙区制を復活させ、導入した細川護熙氏も導入は誤りだったことを認め、あまつさえ、自分はずっと中選挙区制度が良いと思ってきたのだ、と朝日新聞のインタビューで述べているほどです。

これだけで、小選挙区制の罪状は明らかなのですが、とは言っても、客観的な数字も掲げておきましょう。説得力のあるデータの内、得票率と議席の獲得率の乖離がやはりこの選挙制度の歪みを最も忠実に反映しています。まずはグラフを御覧下さい。

Photo_20200808180701

この4回の選挙全てにおいて、自民党は過半数には達しない得票率で、70パーセント以上の議席を占有しています。特に、2012年の選挙では、4割そこそこの得票率で8割近い議席を獲得しているのですから、自民党支持者の意思は、野党支持者の意思の約二倍の価値があることになります。

「一票の格差」が問題にされるときには、選挙区内の人口を比較して、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、一票の価値に差があることが問題にされるのですが、それと同様に、得票率と獲得議席との乖離もやはり「一票の格差」として議論されるべきですし、違憲であるとの問題提起がなされるべきだと思います。

選挙の年

得票率   

議席獲得率

死票

死票率

2005年

48

73

3300万

49

2009年

47

74

3270万

46

2012年

43

79

3163万

53

2014年

48

76

2540万

48

これとほぼ同じ意味を持つのが死票の問題です。誰かに投票したのに、その票が生きなかったケースですが、これも、50パーセント近くですし、2012年には53パーセントです。その年の自民党の得票率は43パーセントですので、有権者が投票した通りに当選者が決っていれば、その年には、野党全体として自民党より多い議員が誕生していたのですから、政権は野党が握ることになっていたはずです。

この点については、有権者の意識も高く、小選挙区制では民意が反映されない事実を認識しています。内閣府が定期的に行っている、国の政策への「民意の反映程度」のグラフです。小選挙区制が導入されたのは、1994年、つまり平成6年ですが、それ以降、「反映されていない」が増え、「反映されている」の減っている様子がはっきりと表れています。

Photo_20200808180702

こう見てくると、小選挙区制という選挙制度の結果は国民の意思を反映していないどころか、大きく歪めていることが分ります。そして、今見てきたようなデータからは、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて」と憲法で定めている、「厳粛な信託」とは大きくかけ離れた形で権力の委託が行われていることが分ります。つまり、この制度は憲法違反です。

次回は、成立の過程でも憲法違反が行われていたこと、そしてこれらの点を問題にした訴訟でも憲法違反が行われるなど、何重もの憲法違反があって初めて続いている制度であることを検証します。

 [2020/8/11 イライザ]

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2020年8月 2日 (日)

戦後75年 ノウモアウォー 三原地区の19日行動

三原の藤本講治さんから「戦争をさせない三原市民行動通信」が届きましたので、今日はそれを掲載します。

Img002_20200801092001

今回の通信は、「2020年8月発行 第22号」となっていますので、毎月の行動報告や参加の呼びかけがていねいに行われていることが分かります。


「いつか来た道」をたどらないように

被爆75年目の夏、広島・長崎への原爆投下。そして敗戦から75年を迎えました。先の大戦で日本国民310万人、アジア諸国民2000万人以上の尊い命を奪いました。

戦争による惨禍を二度と繰り返してはならないと誓ったのが「日本国憲法」です。この平和憲法があったから、戦後ずっと日本は「戦争しない国」を続けてきました。ところが安倍政権は、集団的自衛権行使を容認し、安全保障関連法(戦争法)を強行成立させ、日本を戦争する国に変えようとしています。

私たちは、平和憲法のもとで日本が戦争という「いつか来た道」をたどらないよう安倍改憲の動きを止めてきました。

みなさん、8月6日、9日、15日を迎える今、あらためて平和について考えていきましょう。広島出身の被爆者サーロー節子さん(カナダ在住)は、広島での講演で「読み、考え、語るだけではなく、行動して。それは誰でもできる」と呼びかけました。

8月の定例街頭行動は8月19日です。

8月19日(水)は、定例の街宣活動です。チラシ配布は行わず、スピーチとスタンディングで訴えていきます。みなさん、17時30分に三原駅前にお集まりください。

719

7月の「7・19行動」は、梅雨の晴れ間の中、26人が参加してアピール活動を行いました。7人の弁士が憲法9条の改悪をはじめとする憲法の基本である民主主義・平和主義・基本的人権の尊重を破壊しようとする安倍政権、コロナ危機のもとで安心して暮らせる国の支援策の不十分さ、公職選挙法で逮捕された広島県選出の国会議員河井夫妻、自民党本部の振り込んだ不明瞭な1億5000万円の選挙資金の使途、自民党の金権・腐敗政治の暴挙などを取り上げ、「アベ政治を許さない」と訴えました。


広島市では、「3の日行動」に変更して毎月街宣行動を実施していますが、三原地区では「19日」を定例行動日として、毎月三原駅前で街頭行動が、粘り強くとりくまれています。

三原地区と同じように、府中市でも毎月19行動が続けられており、先月(7月)の様子が届いていますので、遅くなりましたが紹介します。


「今日も上下Aコープ前8人と府中天満屋前10人で30分間のリレートークとスタンディングを行いました。高齢の戦争体験者も一緒に立ってくださり、背筋が伸びる思いです。

P7190529

リレートークの内容は『・安保法制の違憲性・イージスアショア中止後の敵基地攻撃能力を持つことの違憲性と危険性・河井夫妻の選挙買収事件で地元県議会議員も大金をもらっていたこと・安倍政権に責任を取らせることは大人の責務であること・市民としてできることがある。投票行動につなげて・75回目の敗戦記念日を迎え、市民が貧困から戦争への道を歩まないよう、格差の解消を』などが語られました。多くの方が車窓から手を振って賛同の意を現してくれました。」


各地のがんばりが伝わってきます。

いのちとうとし

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2020年8月 1日 (土)

劣化した政治の「震源地」はどこか? (2) ――憲法違反の小選挙区制度 (1) ――

劣化した政治の「震源地」はどこか? (2)

――憲法違反の小選挙区制度 (1) ――

 

国会や地方議会、そして地方自治体そのものを官僚の天下り先として捉えることで、我が国の政治の劣化の本質をかなり理解できるのではないかと考えていることは前回お伝えした通りですし、それに世襲議員や首長たちが絡むことで、日本社会の非合理性にも納得が行くような気がします。それは、20年を超える長きにわたり、これらの人々とは全く違う環境から出発して、しかしながら例えば同僚としてあるいは同業者として至近距離で政治家の実体を見てきた経験からの結論です。その実態を同じような視点から見詰めて来たどなたかが、具体的なデータ、つまり客観的事実を元に、官僚出身の医事課や世襲政治家の実態と政治の劣化について分り易くまとめてくれないかと、ずっと思い続けているのですが、今のところ私の願いはまだ夢でしかありません。

もう一つの政治劣化の震源である、小選挙区制度については多くの分析があるのですが、ここでも責任を果すべき人たちが、残念ながら動いてくれていない現実に歯痒い思いをし続けています。とは言え、「定期的」に問題提起をし続けることで、より多くの人が問題の深刻さに目覚めてくれることを祈りたいと思います。「定期的」と書いたのは、以下のレポートが『数学教室』という月刊誌に、2015年の9月号から5回にわたって掲載して貰った内容からの抜粋だからです。折角の機会ですので紹介しておきますが、『数学教室』は、数学を楽しく学ぶことで理解を深め、生徒も保護者も先生も笑顔で数学を学ぶ環境を創ろうと、数学の先生方が自主的な研究や創意工夫を重ねた結果を報告する月刊誌です。

本題に入りましょう。小選挙区制導入に至る経緯については、多くの関係者が複数の視点から詳細に経緯を語っていますので、『数学教室』のシリーズで問題にしたのは、少し御桃向きを変えて、小選挙区制導入の経緯と憲法との関係でした。

それは、政界やマスコミがなぜ「政治改革」という名の下に理性を失ってしまったのかという問が出発点です。理性を失ったリーダーたちそしてその追随者たちが怒涛のような攻撃を仕掛けてくる中、私たちは「守旧派」と揶揄されながらも、真実を広めようと躍起になって、民主主義を守るために闘っていました。

そんな状況ではなかなか大局的な姿は見えにくいのですが、今にして思うと、政治家たち、そしてマスコミ人たちを冒していたのは、コロナウイルスにも類似点がある病です。それは憲法を無視し蔑ろにして憚らないどころか、憲法を破壊していることにさえ気付かない無知と鈍感さです。『数学教室』でのミニ・シリーズでは、小選挙区制を通して、特に国会のあり方について、憲法との関連を考えました。さらには、司法の責任についても言及したいと思います。

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《小選挙区制とは》

最初に確認しておきたいのは、小選挙区制度とはどのような制度なのかという点です。諸悪の根源である選挙制度は小選挙区制として知られていますが、正確には小選挙区比例代表並立制と言います。より詳しく説明すると「《相対多数当選式》小選挙区、《拘束名簿式》比例代表、《重複立候補》並立制」です。特に断らない限り「小選挙区制」と略記します。

このように、いくつもの修飾語が付けられているのは、それぞれの箇所で、複数の選択肢があるからです。現在の制度より優れた制度も多くあったことを示すために、まずは、その説明から始めましょう。

まず、《相対多数当選式》小選挙区制ですが、これは小選挙区の中で当選者を決めるに当って、得票数の過半数ではなく、相対的多数の候補者が当選することを意味します。かつての中選挙区の欠陥として、小選挙区論者が主張していた点の一つが、中選挙区制では複数の候補者が当選するので、有権者の一割とか二割くらいの支持しか得ていなくても議席を得られる、これはおかしいということだったのですが、その点は、小選挙区制度導入によって改善されたのではないのです。例えば、5人の立候補者がいて、ドングリの背比べの支持を得ていたとしましょう。一人だけ25パーセントの支持があり、その他の3人は20パーセント、一人が15パーセントの得票があったとすると、25パーセントの票で当選してしまうからです。

これに代る選挙制度としては、例えば、第一回目の投票で過半数を得た候補者がいない場合、一位と二位の候補者、あるいは、一位とそれ以下の候補者の中で調整をして統一候補を選び、二者で決選投票をするといった形があります。

次の《拘束名簿式》比例代表制ですが、比例代表ですから、有権者は政党に投票し、得票率に従って各政党に議席が配分されます。拘束名簿では各政党の決めた名簿に従って上位から議席が決まります。参議院のような非拘束名簿の場合は、候補者名を書いて投票し、その票は所属政党の票として数えられ、合計されたものが政党毎の得票数となります。政党に配分された議席は、個人票の上位の候補者から配分されますので、選挙が終わるまで誰が名簿で一位なのかが分らないため非拘束式と呼ばれます。

小選挙区をさらに複雑にしているのが重複立候補と惜敗率による名簿の順位決定です。一人の候補者が、小選挙区選挙と同時に比例代表式の選挙にも立候補できるのが重複立候補です。惜敗率による名簿の順位決定とは、比例選挙の際に提出する拘束名簿には、重複立候補者の名前を全て一位としてリストしておき、候補者が小選挙区で落選した場合、得票率の多い人を上位にすることで名簿の順位を最終決定し、配分された議席を分配する方式です。

小選挙区比例代表並立制と言っても、かなり複雑な選択肢の組み合わせであることはお分かり頂けたと思います。そこをお伝えしたかったのですが、他の組み合わせを行うことも可能でした。例えば、小選挙区比例代表併用制では、まず、議席の数は政党に投票する比例代表選挙で決まります。小選挙区での当選者は、政党に割り振られた議席に誰が座るのかの優先順位を決める際に使われるという制度です。各政党毎に割り振られた議席にはまず、小選挙区での当選者が優先的に与えられ、それでもまだ埋まらない議席がある場合、政党の準備した政党名簿の登載者に議席が割り振られます。この際、小選挙区での当選者数が比例代表での獲得議席より多いこともあります。その場合には、小選挙区の当選者全てを「当選」させることになっていますので、「超過議席」が生じます。

今回も長くなってしまいました。切りが良いので、ここで一旦お休みにして、次回、8月11日に続きをアップします。

 [2020/8/1 イライザ]

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2020年7月22日 (水)

「参院選1年ヒロシマ・アピール行動『さよなら安倍政権』」

「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、7月の「3の日行動」が、当日の大雨で急きょ中止となったため、来月「8月の3の日行動」を兼ねて、昨日「参院選1年ヒロシマ・アピール行動『さよなら安倍政権』」のタイトルで、広島市民へのアピール街宣行動を実施しました。

ちょうど1年前の7月21日は、安倍首相の1億5千万円という異常な資金提供によって行われた河井被告夫妻による大掛かりな買収選挙が行われ、その結果河井安理被告が当選した参議院選挙の投票日でした。しかし、安倍首相も「責任を痛感する」とは言いながら、「説明責任」を全く果たさず、被告である河井夫妻も、何の説明もしないまま、ただ「選挙違反はしていない」と繰り返すだけです。そして、多くの国民、とりわけ広島県民の「議員辞職」を求める声に背を向け、居座り続けています。

通常国会が閉会されたからすでに1カ月以上が経ちますが、一部の委員会で「閉会中審査」が実施されているとはいえ、安倍首相が、その場に姿を現し、答弁に立ったことは一度もありません。そればかりか、深刻な豪雨災害、再びコロナウイルスの感染拡大が危惧されているのもかかわらず、記者会見すら開かず、ここでも「説明責任」を全く放棄しています。

こうした「安倍政権」の政治姿勢は、絶対に許されるものではありません。参議院選挙から1年、改めて市民のみなさんに問いかける街頭宣伝活動を行うことになりました。

午後5時半からいつものように本通電停前で始まった街頭行動には、55名が参加し、「#さよなら安倍政治」や「安倍はやめろ」「もらった議員は辞職せよ」と書かれた横断幕を掲げて、帰宅途中の通行人にアピールしました。

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マイクでのアピールは、まず川后和幸共同代表が、今日の行動の意義を訴え、次は、河井夫妻被告の地元安佐南区で「河井疑惑を質し、議員辞職を求める」行動を展開している山本紀子さんの「このニュースを聞くたびに腹が立ちます」という怒りの声からアピールは始まりました。今回の買収事件では、すでに首長3人、自治体議員5名(9月の辞職を表明を含む)が辞職し、その責任をとっています。にもかかわらず「説明責任も果たさず議員職に居座り続ける」河井被告夫妻に、厳しい声が飛ぶのは当然のことです。同じようにお金を受け取っていながら、説明もしない自治体議員の責任も厳しく追及されて当然です。

2番目は、「戦争法の違憲訴訟」を中心的に担っている松岡幸輝弁護士のアピール。「違憲の安保法制、5年経って忘れる人もいるかもしれませんが、決して忘れてはいけない法律。あきらめてはいけません。言い続けることが大事です。」と訴えました。次に生活者支援を続ける寺西環江弁護士が、自らが受けているコロナ禍で苦しくなっている暮らしの相談実態、特に母子家庭で起きていること(働く場所が見つからない)を紹介しながら、政府による早急な施策の実施を訴えました。次にピースリンク広島・呉・岩国の新田さんが「イージスアショア問題」を訴えました。さらにこの会の共同代表の一人である山田延廣弁護士が、「民主主義の原則は、『市民の、市民のための政治を進めること』。しかし安倍首相は、自分のお友達のための政治を進めている。民主主義の基本を否定する安倍政治を終わらせましょう」と厳しく指摘しました。

最後は私の一言。しかし3分しか時間がありません。「九州をはじめとした豪雨災害、2年前の広島を思い起こします。コロナの感染が再び拡大しています。この大切な時期に、国会を閉会したままでは、国民の不安にこたえる政治とはとても言えません。今国民が求めていることは、第1次のコロナ感染対策で不足していた、いのちの問題にきちんと対処した医療体制を早急に確立し、国民の安心を作ること。国会閉会させたままで、この緊急課題への政策も示さず、国民の声に答えない安倍政権に政治を担う資格はありません。だからこそ『さようなら安倍政権』です。市民のみなさんが声を上げることで、安倍政治を終わらせましょう」と呼びかけて、アピール行動を終えました。

いのちとうとし

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2020年7月20日 (月)

「被服支廠を未来に活かす会 KICKOFF EVENT」に参加しました

昨日午後1時半からRCC文化センターで、広島陸軍被服支廠の保存をめざす新しい組織「被服支廠を未来に活かす会」(以下、「未来に活かす会」と略)のキックオフエベントが開催されました。「どんな活動をするだろう」と少し関心がありましたので、参加することにしました。

この会は、広島県の「被服支廠1棟保存、3棟解体」の方針が示されたことを受け、「県の方針を撤回させ遺構を存続させるために、内外に訴え発信し、保存と共に有効活用を願う」有志が集まって発足した組織です。

中国新聞の予告記事によれば、コロナウイルス禍の開催なので、先着50名限りとなっていましたので、少し早めに会場に行きました。参加者は50名を超え、廊下を開放しての集いとなりました。

最初に「保存のための募金」が呼びかけられました。「カープのたる募金に倣って、倉庫募金箱を用意しました。共に生きるワンコインです」募金箱は、広島工業大学杉田宗准教授のゼミ生が、200分の一の縮尺で作ったものです。それが、会場を回ります。

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広島陸軍被服支廠の保存運動を早くから取り組んできた「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の代表中西巌さんから「我々の同士が増えたと喜んでいる。どんなことがあっても残さなければならない。これは私の意見ではなく、亡くなった人たちの声なき声、血のにじむ声です。県は、考えを変えていない。これを変えさせるため一緒に声を届けてください。」と連帯のあいさつ。

続いて、「ひろしま音読の会」の3人による「原爆詩人峠三吉『倉庫の記録』」の朗読。

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ひろしま音読の会は、元アナウンサーたちによって2000年に結成。日本語の美しい響きを再発見するとともにヒロシマを語り継ぎ、被爆体験を継承することを活動の柱にしているとのことです。

次は、被爆者切明千枝子さんの証言。今回は会の趣旨に合わせ、自らのからの子ども時代の被服支廠での体験が中心でしたが、後半はやはり被爆体験の話です。一月ほど前に切明さんの話は聞いたばかりですが、やはり何度聞いても胸を打たれる被爆体験談です。

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そして最後の「平和は座っていれば来るものではない。必死に守っていかなければ守れるものではない。最近の空気は、戦前の雰囲気に似てきているように感ずる。今の平和があるのは、憲法9条のおかげです。それを変えようとする政治家がおり、ゾクゾクと感じるこの頃です。」の訴えは、90歳の年を感じさせない力強いものでした。

プログラムの4番目は、RCCが被爆40周年に作成した特別番組「瓦礫の中からー広島経済復興史―」のビデオ上映。「未来に活かす会」の代表三宅恭治さんが、ディレクターとして作成した作品でしたが、被爆後の復興に関わった経済人へのインタビューで構成されていました。これまで見てきた「被爆関連番組」とは違う角度から取り上げられた作品で、復興期の歴史を知ることができました。

閉会のあいさつは、会のメンバーの一人久永洪さん。久永さんはかつて被服支廠に製品の包み紙を納入していた株式会社歴清社の相談役。「広島平和都市建設法の第1条には、『この法律は、恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。』と書かれています。今の広島は、その理念が本当に生かされているでしょうか。被服支廠は、絶対に保存し、世界に平和を訴える象徴の施設として活用されるべきです」とあいさつされました。

「広島市平和都市建設法」がビデオと合わせ2度も登場する集会となりました。「陸軍被服支廠の保存」をめざす集会で、「広島市平和都市建設法」が登場したのは初めてのような気がします。

この集会に参加し、改めて「広島陸軍被服支廠の保存」を求める声の広がりと関心の高さを実感することができました。

今月24日(金)午後1時30分から「旧被服支廠の保全を願う懇談会」主催の講演会が、広島原爆資料館地下メモリアルホールで開催されますので、一人でも多く参加してほしいと思います。

それぞれの組織が、自分たちの得意の分野を生かしながらも連携した動きを作ることによって「広島陸軍被服支廠の全棟保存」を実現させなければなりません。原水禁もその一翼を担いたいと思います。

いのちとうとし

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2020年7月11日 (土)

「無責任」の論理構造 (5) ――「説明責任」が「責任」の意味を変えてしまった――

「無責任」の論理構造 (5)

――「説明責任」が「責任」の意味を変えてしまった――

 

「説明責任」という言葉は、英語の「accountability」の訳語ですし、「倫理的な非難」を受けたり「法的責任」を取ったりという結果になることを想定している点が重要です。

にもかかわらず、マスコミも含めて、官僚や政治家たちがあたかも「説明責任」と「責任」が同じ意味を持つ、あるいはそれより酷くて「責任」はどうでも良くて「説明責任」さえ果せば良いのだ、というような感じでこの単語が重用されています。

企業内の関係が一番分り易いような気がしますので、その関係を元に説明すると、何かを任された「部下」に問題があった時、その部下を降格させたり、辞めさせたりといった措置を取る前に、上司が部下に説明を求める、というのが典型的な「説明責任」です。たとえば、「天気予報が外れて、電車が遅れて、その結果遅刻した」というような説明があって、「それなら無理はない。責任は問えないな」と上司が納得すれば一件落着です。しかし、前の晩に飲み過ぎて寝坊をしてしまったのに、嘘の言い訳をして、一緒に呑んでいた同僚の証言でその嘘がばれれば、この部下は当然、責任を取らされます。

時代劇の観過ぎかもしれませんが、この関係をもう少しドラマチックに表現することで、私の言わんとしていることが、正確に伝わるような気がします。

封建的な時代の政治や司法制度を比喩に使うのには、躊躇しますが、「背説明責任」とは、感覚的には「お白洲で申し開きをしてみよ」くらいの意味だと考えると、フロイドさんについての「He should be held accountable」に込められた思いが鮮明になるような気がします。

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「申し開きをしてみよ」という言葉の背後にある前提としては次のようなものが考えられます。

 

  • 明白に疑われるような行為がある。
  • それについて、もし言い訳があるのなら公的な場で申し開きをしなさい。
  • しかも、もし申し開きが不十分であるのなら、その責任を取るという前提での申し開きである。

 

ここで、「お白洲」を持ち出して来て説明しようとしている登場人物の関係を説明しておきましょう。まず、大岡越前の守の代りに「主権者」である国民が座っています。その前に「引き出されている」のが、内閣総理大臣です。脇で、お白洲を取り仕切っているのが国会議員というような図を描いて下さい。

抽象的なレベルでの、内閣と主権者である国民との間の関係がこのようなものであることは憲法15条が保障しています。

 

15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 

つまり、主権者が公務員に権力を与え、国民のための仕事をするように「委託」するという関係です。その仕事が十分に行われない場合には、公務員は「説明」する機会を与えられるのですが、それが不十分であれば「罷免」されることになるというシナリオがここに描かれているのです。

そもそも「説明責任」が問われる場合には、公務員が満足できるような仕事をしていない「ように見える」という前提があるのです。満足できる仕事をしている場合には、それを続けて貰えば良いだけなのですから、例えばサラリーマン映画なら、例えば小林桂樹が演ずる上司が肩を「ポン」と叩いて「この調子で頑張れよ」で事足りるのです。

満足な仕事をしていないように見える場合に、政治家はその状態について「説明」をする機会を与えられるのです。「答えなさい」と国民に問われた場合には、「答弁する」義務があるのです。そして、その「説明」によって、元々の疑惑が晴れるのであれば、政治家や公務員は仕事を続けられる、というシナリオです。

現実の世界でこれを具体化した場合には、法律があり選挙があるという制度になり、それに従っての行動になりますが、リコール制度は、それを15条のシナリオに近付けています。

つまり、一旦疑いが生じた場合、その疑いを晴らすことができなければ選挙に落ちたり、リコールが成立したりするのですから、「疑いを晴らすのは政治家の責任だ」と言っても、民主主義の精神に反していることにはならないのではないでしょうか。

実は、政治家の方でもこの点はそれなりに理解しているのです。不祥事があると、重大な局面で政治家は「離党します」という表明をするのですが、これは、政党に対しての責任を取っているのです。つまり、自分の行動については誰かに責任を取らなくてはならないという、政治家としての立場は理解しているということなのです。

しかし、憲法の規定による選挙の結果選ばれているという事実――その方が党に属しているということよりは重いはずなのですが――の重要性が蔑ろにされているのは、前回指摘した、99条の憲法遵守義務が「道徳的要請」としてしか機能していない状況の反映かもしれません。

自分は国民からの負託によって権力を行使する立場にいる。それは憲法15条に従って、「全体の奉仕者」としての仕事である。もしその仕事が、国民の満足行くレベルで行われていないと国民が判断するのであれば、自分はその職を辞して、その任に相応しい他の人に変って貰うのが当然である、という心積もりをすることが政治家の責任の取り方だと思うのですが、どうでしょうか。

「無責任」体質の背景にある「憲法マジック」と「説明責任」の存在が分ったとして、ではどうすれば良いのでしょうか。皆さんのお知恵も拝借しながら、一歩ずつ一緒に考えられればと思っています。

 [2020/7/11 イライザ]

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2020年7月 9日 (木)

来年度の中学校教科書採択に向け要望書提出―府中市

府中市の小川敏男さんから、6月24日の「みてきました! 教科書展示会」につづいて、こんな便りをいただきましたので、紹介します。

 

7月8日(水)9時より府中市教育委員会にて府中地区生活を守る市民会議(議長森藤理至)と九条の会・府中(世話人代表石岡真由海)が共同で、荻野雅弘教育部長に以下の要望書を提出し、石岡真由海さんより趣旨を説明してもらいました。


2021年度使用の中学校・義務教育学校後期課程教科書採択に係る要望書

 今般の新型コロナウィルス(covid-19)感染対策で、より多くの配慮を持って子どもたちの教育環境の整備等に連日奮闘されていることに敬意を表します。

 私たち「府中地区生活を守る市民会議」と「九条の会・府中」は、戦争は最大の人権侵害であるとの基本的認識を持ち、戦争を起こさない国づくりや内心の自由の確保、暴力との決別のために、それぞれ地域の課題に取り組む活動を続けている市民団体です。教育において過去の軍国主義教育が二度と行われないよう、教科書選定には大変注目しています。

 そこで私たちは、憲法12条の「国民の自由と権利を守り、その乱用を防ぎ、公共の福祉に使用するという、不断の努力と義務」を負う市民として、今年度の中学校と義務教育学校後期課程の歴史・公民・道徳教科書採択について以下のとおり要望します。

1 基本的人権・平和・民主主義・多文化共生など、日本国憲法の精神に則った観点で調査研究と採択を行ってください

2 採択に関わる全ての議論を明確にするために、調査研究の結果に長所・短所を明記し、この要望書を議論の材料として全採択関係者へ開示してください

3 「考え、議論する道徳」の観点を尊重するため、それに逸脱した数値評価や、一つの考え方への誘導がされやすい仕組みの教科書の採択をしないでください。

4 各教科書の平均ページ数の総量は前回から7.6%、1万1280ページ増加しています。現在の多忙な教員からすれば授業が形式的になると心配します。すべての子どもたちが理解できる授業のために、府中市としてできる限り教員を増やすことなどに努力してください

府中市は「生涯にわたって自ら学び、地域社会の振興に主体的に参加する人づくり」のために「教育の日」を定めています。この意義深い目的を達成するために、事実に基づいた基本的知識と歴史認識を子どもたちと教科書で共有することが不可欠と考えます。また、未だ障害と呼ばれる個人の特性、ジェンダー、環境、平和構築、多文化共生など、当市においても現在進行形で深化する課題を解決していく仲間として、子どもたちがものごとを冷静かつおだやかに認識できる教科書を提供し、義務教育の目的を果たしたいものです。

 しかし、今回の採択候補教科書の中に、この要望から大きく外れる歴史・公民・道徳教科書があります。育鵬社の歴史教科書と公民教科書、自由社の公民教科書、廣済堂あかつき、日本教科書、教育出版の各道徳教科書です。これらの教科書には、日本国憲法の三大原則(基本的人権の尊重・国民主権・平和主義)の誤った解釈や、世界からの検証に耐えない歴史修正主義、社会情勢の事実誤認等が見られます。

 具体的な指摘を以下に付記しますので、採択の参考にしてください。(*多くの問題箇所より抜粋し資料とします。)子どもたちは、平和と民主主義を育てる私たちの大切な仲間です。府中市の教育に、これらの教科書が採択されないことを強く望みます。

資料(省略)


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他の参加者から意見と府中市の回答です。

①6月12日から26日まで図書館で教科書の閲覧があったけど、アンケートの提出件数はどのぐらいだったのか。「直接の担当は学校教育課なのでわからない」。

②今回の改定で各教科書の平均ページ数は前回から7.6%、1万1280ページ増えています。現在の多忙な先生からすれば授業が形式的になると心配します。夜遅くまで働かれているようだし、市教委は直接先生の増員は出来ないけど県教委へ増員を働きかけていただきたい。「無回答」。

③自分たちが100%正しいとも思っていないし世間にはいろいろな考え方があることについては認めるけれど、国の教科書だというなら歴史は史実に基づくものであることと、正しいことを教えるべきです。育鵬社の公民教科書には「立憲主義とは憲法にのっとって国を運営していくこと」となっているけど「憲法によって国家権力を制限するのが立憲主義」です。間違ったことは教えてはいけない。そんな教科書は採択してはいけない。「無回答」。

真正面からの答えはありませんでした。

しかも「この要望書は採択委員へは渡さない」という回答だったため「そりゃなかろう、せっかく作ってきたのに委員さんへ渡してくれ」と言いました。しかし府中市は「静謐な中で採択することになっているので、要望があったことだけ伝える」という回答でした。

要望書の中身が大事なのに、委員へ伝わらないことは問題です。しかも、担当の学校教育課はいつも出てこず、総務課が対応。採択委員には要望書のコピーを渡さない。「静謐な環境の中で採択することになっている」と、これじゃアンケートも見せんのではないかと心配します。

その他、通学路や横断歩道の白線が消えかけているので塗って欲しいと要望しました。

 

府中のみなさんの努力と、府中市の傲慢な態度がよくわかります。小川さんありがとうございます。

いのちとうとし

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2020年6月21日 (日)

「無責任」の論理構造 (3) ――「憲法マジック」と「一億総白痴化」――

「無責任」の論理構造 (3)

――「憲法マジック」と「一億総白痴化」――

 

「憲法マジック」とは、憲法中には「○○は××である」と書いてあるのに、実際には「○○は××ではない」という解釈が採用されている、正に魔法の様な事例を指しています。そして「一億総白痴化」という言葉は、1957年に評論家の大宅壮一氏が、テレビの弊害に警鐘を鳴らすために作ったものです。今回は、我が国政治の「無責任」体質は、この二つの原因によって大きく歪められた結果生じていることを示したいと思います。

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前回までの結論をまとめておくと、まず、憲法に登場するプレーヤーが、「主権者」である我々国民、国民から仕事を与えられている「公務員」、そして「天皇」であることから始めました。「公務員」が憲法を守り、特に「全体の奉仕者」としてきちんとした仕事をしていれば問題はないのですが、そうでない場合には、その公務員は辞めさせて、別の公務員に仕事を全うさせるというのが、憲法の想定している責任の取り方です。

大事な点ですので、繰り返すと、総理大臣や国務大臣も含めて、「公務員」が、「主権者」の委託した仕事を全うしていない場合には、その職を辞めなくてはならないということになります。この因果関係を「責任を取る」という言葉で表現しているのです。

河井前法相夫妻が逮捕された後の安倍総理の言葉は、「かつて法相に任命した者としてその責任を痛感している。国民に深くおわび申し上げます。この機に国民の皆様の厳しいまなざしをしっかり受け止め、われわれ国会議員は改めてみずから襟をたださなければならないと考えております」です。

「主権者」である国民との関係は「国民の皆様の厳しいまなざし」に薄められ、「辞任して責任を取る」という関係にあることは忘れ去られています。憲法に描かれている、「主権者」と「公務員」の関係が全く頭に入っていないからです。

その理由は、「憲法マジック」にあります。憲法に何が書かれていようと、それは全て無視をして、自分に都合の良いシナリオをでっち上げ、それに従って演技をすれば全て世は事もなしと信じているかのような言動ですが、それを可能にしているのが「憲法マジック」だからです。

具体的には、総理大臣も含めて、「公務員」は憲法を守らなくてはなりません。それは、99条に明白に規定されているからです。

99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

にもかかわらず、この条文の解釈では正反対のことが述べられているのです。1977年2月17日に水戸地方裁判所が百里基地訴訟の第一審で下した判決では、99条について「国政運用の衝にある公務員に対し、憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」と法的義務ではないことを明確に示しています。また、1981年7月7日には東京高等裁判所が控訴審の判決で「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」と同趣旨の判断を述べています。

こうはっきりと、憲法遵守義務を否定されてしまっては、そもそも憲法など邪魔だと思っている権力者たちが、勝手気ままなことをする習慣を身に付けてしまっても、当然の成り行きにしか見えないのですが、如何でしょうか。

まだまだ書かなくてはならないことは多いのですが、スペースが限られています。詳細は秋葉忠利著、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』(法政大学出版局)の第6章と付論2をお読み下さい。

残念ながら、今回もついつい長くなってしまいました。もう一つの理由について、つまり「一億総白痴化」については次回をお楽しみに。

 [2020/6/21 イライザ]

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コメント

いやすでに「化」は要りますまい。
橋本治「バカになったか日本人」2014の「か」も。

白痴にルビをふるなら「どんかん」。
(↑変換不可!→ まさかのPC?!)
前々からまったくもう!と思っていたアベシンの鈍感ぶり。
専用機に乗り込む時→必ず妻より先に機内に入ってしまう。
何年か前→山口県から飛び去るsingleのプーチン氏でさえ、
ドア口で待機していたCAもどき嬢の肩を引き寄せ、
先に入れ、自分は最後だった。
もどき嬢も「もう、カメラが回っているとこうなんだから」の表情でもなかった。
スタッフor外務省→「せめてカメラがある時は欧米のマナーで」
と耳打ちする人はいないのか。
「そのうち恥かけばよい」と思っているなら別だけど。

「硬い心」様

コメント有り難う御座いました。確かに、今の状態では「一億総白痴化」ではなく、「一億総白痴」で十分かもしれません。

敢えて理屈を付けると、「化」という一字で、元は普通の状態だったのに、それが変化していることを示したいのです。となると、逆方向へ戻すことも可能になりますし。

もう一つは、「化」を動詞的に捉えて、因果関係を強調したいからです。マスコミとか政治家が大きな原因で、それに対抗できない私たちの多くも共犯になって「白痴化」が進んでいるという姿です。それを知ることで、もっとましな状態に戻すための対策を考えることが可能になるからです。

もっとも理屈抜きで、言いたいことを言うのも大切だとは思います。