2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

趣味

2019年4月30日 (火)

4月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)

「四月」という好きな曲から。

「彼方から 季節を超え/ 足音聞こえてきた/ 風の中 ささやかに/ 花が 香ってた/ 待ちわびていたけれど/密かな旅立ちは/ その日まで その日まで/ 光に隠れてる」。作詞は永井理香さん。作曲し歌うのは南こうせつさん。

ブルーベリー農園の4月は地面の野の花がブルーベリーの冬から春まで続く剪定作業を励ましてくれる。

Photo_83

4月7日(土)

剪定したブルーベリーの枝をうずたかく積み上げた足元に咲くタンポポ。

Photo_84 4月20日。

田んぼからブルーベリーに転作した3枚ある畑の剪定が終わり、もう一か所の20年前に伐採した里山の農園の剪定に移る。そこは小高い所にあるので下にある田んぼが見渡せる。そこに住む雉も見える。ときどき「ケーン!ケーン!」と鳴くのでいることが分かる。

Photo_85

4月21日(日)。

今年はカラスノエンドウが部分的にはびこっている。ブルーベリー株元を覆うので畑の草を刈る。

Photo_86

4月27日(土)。

椿の花がたくさん咲いた。花びらもどんどん落ちるし、近くを通る時ポトッと花ごと落ちるのに出くわすこともある。

  Photo_87

4月28日(日)。

自生しているスミレは農園に3種類見ることができる。

里山の東側でひとつ。

Photo_88

里山の西側でひとつ。

Photo_89

家の周囲や畑でひとつ。

Photo_90

4月28日(日)

畑のブルーベリー。草も茂りブルーベリーの花も咲き始める。

Photo_91

  4月28日(日)。

その地面に咲くキンポウゲ(黄色)とムラサキゴケ。

Photo_92

4月28日(日)。

里山のブルーベリーの花。北部ハイブッシュ系のジャージー。7月に収穫できる。

安芸の郷の昨年のブルーベリーまつりは7.6豪雨災害で中止になったが今年は7月27日(土)に開催予定だ。順調に育つ農園のブルーベリーは安芸の郷に納品され利用者や多くの地域の皆さんに届けられるはずだ。

2019年4月30日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2019年4月23日 (火)

第5回住んでいる町再探訪-「灯台下暗し、比治山再発見」その2

スカイウォークの終点を過ぎれば、後は歩きの山下り。集合場所に着いた時には、すでに20人近くが集合。10時には22人の参加者が、ガイドをしていただく観光アシスタントひろしまの中澤修さんと松永真千子さんの二組に分かれてスタート。私たちのグループのガイドは、松永真千子さん。道中沢山の説明を受けましたが、ここでは私が関心を持ったことを短く要約します。

多門院からスタート。原爆で天井が破損したままの鐘楼、少し上部にねじれがある被爆十三塔、広島郵便局原爆殉職の碑、戦前は逓信省管轄で同じ職場の仲間ともいえる郵便局だけに参加者の思いもちょっと複雑、ここでは初めての場所を見学。境内奥の墓地にある頼家の墓。頼山陽の両親の墓はここにあるが、頼山陽の墓は、京都にあるとの説明。

Dsc_2623

頼家の墓

続いて、頼山陽文徳殿へ。被爆前、広島市の戸籍選挙課の分室となり、一部の戸籍が奇跡的に残った。変形した九輪、前庭の被爆桜。きちんとした管理と手入れで若い枝が育ち、すでに花は終わっていましたが、きれいな若葉をしっかりと芽を吹いていました。まだ花の茎は残っており、今年も満開の花をつけた様子がわかります。山陽文徳殿の石段を下り、坂道を150mほど現代美術館方面へ上ると左側に急な石段入り口が見えますが、道の反対側に大きく茂った被爆クスノキがあります。爆心地からの距離は1,950m。何度かこの坂道を通ったことがありますが、初めて知りました。

Photo_61

被爆クスノキ

後日談です。当日の松永さんのガイドでは、「最も新しく被爆樹木として認定された」とのことでしたが、翌日「いつ頃認定されただろうか」と広島市の担当課に問い合わせたところ、「最も新しい認定は、東区牛田本町一丁目10(二又橋西詰)のシダレヤナギ」と教えていただきました。もちろんすぐに松永さんに連絡しました。その後、松永さんから「シダレヤナギの認定は、2017年8月4日で、被爆樹木は161本」とのメールをいただきました。

そのまま坂道を登りながら、加藤友三郎銅像跡、速水整爾銅像跡の説明。いずれも銅像は戦時中の金属供出で台座だけが残っています。加藤友三郎銅像後の横に設置された「銅像建設由来碑」の大きな空洞にはちょっとびっくり。

Photo_62

Dsc_2669

三鈷の松とその松葉

ここで突然松永さんが、松葉を手に「三鈷の松」の説明。弘法大師空海ゆかりの仏具の三鈷杵(さんこしょう)と同じ三つ葉の松(普通は、二本)から「三鈷の松」と呼ばれるようになった由来を知りました。縁起物ということで私も落ち葉を拾ってカバンの中に入れました。そして広島マンガ図書館前の広場に到着。ちょうど、花見用のぼんぼりの撤去作業が進んでいました。比治山は、昔から広島の花見の名所だったようです。ここでは、かつては、広島市民が憩いの場となっていた御便殿広場についての説明を受ける。ここでも新しい発見がありました。

Photo_63

この広場に設置されたマンホールトイレ(災害用仮設トイレ受口)です。比治山は、大規模な自然災害発生時の避難場所に指定されており、そのための施設として設置されたものです。この場所には、20基が設置されていますが、広島市内全体では、中央公園やマツダスタジアムなど9か所に172基が設置されているようです。次は、ヒロシマ現代美術館。ムーア作の野外彫刻が置かれた広場の西側は、木々が刈り込まれから市内が見渡せるようになっていました。これも最近のことのようです。(明日につづく)

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2019年4月22日 (月)

第5回住んでいる町再探訪-「灯台下暗し、比治山再発見」その1

データ同友会中国支部主催の第5回住んでいる街再探訪に参加しました。デー同友会は、私がかつて働いていた当時の電電公社中国データ部(現NTTデータ中国支社)の退職者の会です。私は、早期も早期32歳での退職者ですが、古い友人たちの配慮でデータ同友会への入会が認められ、様々な活動に参加し、旧交を温めています。

5年程前から、自分たちの住む街をもう一度見直そうということで、「住んでいる街再探訪」が始まり、これまでに平和公園、宮島、二葉の里歴史散歩道、三滝地区などを探訪しました。私が参加したのは、平和公園と三滝地区です。いずれもピースボランティアや街ガイドで活躍されている人たちに案内していただきますので、いつも新しい発見があり、楽しみの行事になっています。今回は比治山を散策することになりました。どんな発見がるか今回も楽しみです。

ところで最初に、今回の街再探訪が「なぜ灯台下暗しなのか」について、ちょっと解説が必要です。案内文にはこうありました。「毎日仕事の合間に見上げた比治山、花見で騒いだ比治山、昼休みにジョギングした比治山、通わなくなったどのくらいになるだろうか…?」と。

Photo_57

陸軍墓地から中国データビルを望む

実は、データ同友会の会員の職場だったNTTデータ中国支社は、比治山の南端の「陸軍墓地」の真下にあるビルです。私が働いていた当時(1974年ころから1981年まで)は、比治山電電ビルの名称で呼ばれていました。当時プログラマーとして私が働いていた6階(だったと思うのですが)のフロアの北側の窓からは、いつも比治山に翻る「日の丸」を見えていましたが、私自身も、そこに何があるか、そしてどんな歴史を持っているかなどについて考えたり見たりしたことは、殆どありませんでした。今回参加された皆さんもそうだったと思います。比治山のふもとにいながら、比治山のことについては何も知らないですから、まさに「灯台下暗し、比治山再発見」なのです。

自宅を自転車で出発し、段原のイオン横の駐輪場に自転車を置き、スカイウォークを使って集合場所の比治山下の交番前へ向かいました。何年振りかのスカイウォークでしたが、利用しているのは私一人。

 

Photo_58

Dsc_2642

山頂側の入り口

ちょうど下りのエスカレーターは二人がかりで故障修理中。出口付近では落ち葉の清掃作業。多くの人たちが、維持に努力されています。歩く歩道とエスカレーター、登りの道、確かに楽な思いをしましたが、改めて、当時高価な建設費に「反対の声」も多かったことを思い出し、いったい今は何人ぐらいが利用しているのだろうと考えながらの数分間でした。帰宅して広島市に問い合わせたところ、平成30年度実績で「年間のエレベーター起動回数は、199,702回」「年間維持費は、約2,235万円」ということです。1日の平均利用者数は、単純計算では、約547人ということになります。一時期廃止論議もあったようですが。

前振りが長くなりました。これからが本題です。(明日につづく)

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2019年4月12日 (金)

ようやく春が・・・

 

ささやかな庭に春がやってきました。

Img_0036

ランの一種で、19年前に亡くなった義父が

山から持ち帰ったもの。10数年前から毎年

花が咲きはじめた。

Photo_37

ハーブです。

Photo_38

3年前夫が散歩の途中、川土手から

持ち帰ったスミレ。

Photo_39

わたしが育てている芝桜。

肥料は、精米後の米ぬかと米のとぎ汁

                       (やすみ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2019年4月 6日 (土)

浅緑の芽を吹き始めた原民喜ゆかりの被爆柳

城南通りの京橋川にかかる上柳橋(被爆当時は、この橋はなかった)のすぐ下流の右岸に、原民喜ゆかりの被爆柳があります。この被爆柳が、今年も若葉が芽吹き、元気な姿を見せていました。

Dsc_2576

満開となった桜を見ようとパートナーと連れ立って、散歩に出かけました。自宅近くの元安川にかかった万代橋をスタートに、元安川左岸を上流へ。平和公園を対岸に眺めながら、市立中央図書館、美術館前をとおり、広島女学院の桜並木のトンネルを眺めながら、広島駅前まで足を延ばしました。今日は、この桜の話ではありません。

ピースボート報告会でユース特使の森山景さんが、原民喜の「コハ今後生キノビテ コノ有様ヲツタエヨト天ノ命ナランカ」と言葉を紹介しながら、被爆体験継承の決意を話したくれたのを思い出し、久しぶりにこの原民喜ゆかりの被爆柳へ足を運びました。

Dsc_2577

この被爆柳は、原民喜ゆかりの柳として紹介されていますが、実は、広島県原水禁とも少しですが、ゆかりのある被爆樹木です。それを知ったのは、数年前に広島市中央図書館が主催したフィールドワーク「原民喜の『夏の花』を歩く」に参加した時です。エリザベート音大のすぐ近くの「原民喜の生家跡」をスタートしたフィールドワークが、次に訪れたのが旧上柳町(現在の橋本町・RCC文化センター裏付近)のこの被爆柳でした。ここには、原民喜の次兄守夫さんの自宅とともに借家があったそうです。その借家に、当時原家が営んでいた原製作所の大番頭だったと思うのですが、松江さんという人が住んでおられてという話を案内人の竹原陽子(原民喜の研究者)さんが、教えてくれました。ここに登場する松江さんは、実は広島県原水禁の常任理事を長く務め、反戦反核運動の理論的なことに中心的役割を果たしてこられた松江澄さんのお父さんだったのです。私も松江さんには、多くのことを教えていただきましたので、意外な関係に、当時びっくりしたことを思い出します。私の想像ですが、松江澄さん(2005年没)は、1919年生れですから、この場所で生まれ育たれたのではないかと思います。松江さんは、富士山ろくの陸軍重砲兵学校教育隊で敗戦を迎えられたようですから、被爆はされていませんが。

今年の夏の原水禁大会では、初めて竹原陽子さんの協力を得て、「原民喜の『夏の花』を歩く」フィールドワークを実施することになりました。多くの人に参加していただきたいと願っています。

Dsc_2580

パートナーの万歩計の数字は、10,279歩でした。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

 

広島ブログ