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経済・政治・国際

2020年9月29日 (火)

「核のない未来を」-世界核被害者フォーラム報告記録集

昨日の中国新聞で紹介された「核のない未来を―世界核被害者フォーラム」報告集の発送作業が、昨日の午後行われましたので、私もそれに参加しました。今回の発送先は、国立大学、公立大学の図書館、各都道府県立図書館、県内の公立図書館などの280冊余りでした。

「世界核被害者フォーラム」は、ちょうど5年前の2015年11月21日から23日までの3日間、広島国際会議場を会場に開かれ、世界各地から招待した11カ国20人の核被害者・運動家・専門家など自主参加者を含め18カ国延べ1026人が結集して核被害をもたらす核利用サイクル(核サイクル)を根絶しようと熱心な討論が繰り広げられました。「核のない未来を!」は、その報告記録集です。

編集後記にも記されていますが、このフォーラムの議題に原発のことが含まれているとの理由で、広島市長の挨拶や支援が全く受けられなかったことを、参加者の一人として今思い出します。

昨日の中国新聞記事で森滝春子さんが触れておられますが、この「世界核被害者フォーラム」には、原水禁国民会議や広島県原水禁が深くかかわってきた「核被害者世界大会」という前史がります。この世界核被害者フォーラムの報告記録集を手にし、改めてそのことを思い起こしています。

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原水禁国民会議が主催する原水禁世界大会で広島・長崎以外の世界の核被害者が声を上げ、連帯が始まったのは、被爆26周年(1971年)原水禁世界大会にミクロネシア代表団の参加した時からです。ミクロネシア代表団は、「核被害の状況を調査するための代表団を派遣してほしい」と訴えます。私たちは、この時初めて「原水爆被爆国が日本だけでなかった」ことを知ることになったのです。そして、この大会の「ヒロシマアピール」で「世界の全ての被爆者核被害者の連帯」を呼びかけ、ミクロネシアへの調査団を派遣する「国際行動決議」を採択します。この年1971年12月、原水禁国民会議は、日本で初のミクロネシア被曝調査団を派遣しました。さらに1975年の3.1ビキニデーの集会には、マーシャル諸島ロンゲラップの代表団が参加し、核実験による被害を訴えます。

その後開催された「非核太平洋会議」などで、核実験被害者のみならず、ウラン採掘現場での先住民族の核被害を知ることになり、1975年に開催された被爆30周年原水禁世界大会で「核絶対否定」「核と人類は共存できない」の理念が、打ち出されました。私たち原水禁は、この時から「核と人類は共存できない」という理念を掲げることになりました。

その後も世界の核被害者、特にアメリカの核実験場の風下住民やウラン採掘場の先住民族との連携を深め、1985年8月5日には、原水禁世界大会実行委員会が中心となって15カ国約150人の核被害者が一堂に会する世界で初めての「国際核ヒバクシャフォーラム」が広島市で開催されました。そして翌年には、長崎で「核被害者フォーラム」が開催され、1987年9月にアメリカニューヨークで30カ国約350人が集まって開催された「第1回核被害者世界大会」に結びついていきました。この第1回核被害者世界大会には、私も森瀧市郎先生のカバン持ちとして同行し参加しましたので、忘れられない思い出となっています。1992年には、ドイツベルリンで60カ国450人が参加し「第2回核被害者世界大会」が開催されましたが、残念ながら第3回以降の「核被害者世界大会」は、開催できずに来ていました。

長い空白の後、森瀧春子さんを中心として広島や長崎の人たちの努力によって、「世界核被害者フォーラム」が開催されることとなり、広島県原水禁も賛同団体として参加しました。

世界核被害者フォーラム報告記録集「核のない未来を!ヒロシマから世界へ 届けよう核被害者の声を!」は、テープに録音された3日間の熱い議論が、全て掘り起こされた貴重な資料です。そして、このフォーラムに深くかかわってこられた広大名誉教授の鎌田七男先生による医学的立場からの校正や最近の新たな知見も踏まえ、最後の最後まで校正を続けてこられた中味の深い記録集となっています。

この「世界核被害者フォーラム」につながる原水禁運動の歴史も思い起こしながら、多くの人に読んでいただきたい資料です。

いのちとうとし

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2020年9月27日 (日)

ドイツから見た日本の内閣

長年ドイツに住む私の友人福本まさおさんに「ドイツから見た菅政権発足についてのコメントしてほしい」とメールを送ったところ、この便りが届きました。ドイツにいるからこそ見える指摘が沢山あります。本人の了解を得ましたので全文を紹介します。


安倍首相が退陣して、菅新政権が誕生しました。新政権の支持率が65%だという新聞記事を読んで、それにはちょっとびっくりしました。

ええ、日本ではみんな何を考えているんだろう、どうしたんだろうと、信じられませんでした。単なる日本とドイツの温度差ではありません。

今回の組閣では、ドイツから見ていて、不思議に感じることがいろいろありました。それは日本の政治の根本的な問題で、組閣がある毎に感じる問題でもあります。

一つは、大臣が高齢だということです。大臣に指名されるかされないかは、当選回数や所属派閥が関係しているのは知っています。それにしても高齢すぎます。

これでは、老人クラブとそのかばん持ちたちです。いや、小泉進次郎さんは30代じゃないかという人もいると思います。でも小泉さんは、看板とはいえ、まだかばん持ちです。

たとえばオーストリアのクルツ首相は30代です。20代で外相になっています。フィンランドのサンナ・マリン首相も30代です。その連立5与党のうち、3党の党首が30代の女性です。

老人クラブにも関わらず、若い世代の支持率が高いのも良く理解できません。日本には、世代交代が必要だという意識はないのでしょうか。ぼくは日本では、若い人たちの新しいアイディアで国と政治を活性化させることが必要だと思います。

高齢者に頼るのではなく、若い人たちにどんどん出てきて、活躍してほしいと期待しています。

この内閣の顔ぶれを見て、そういう議論が起こらないのも不思議でしようがありません。それとも日本の若い世代には、国に対する責任を持ちたくないという意識が強いのでしょうか。

ドイツでは政治家に、定年退職年齢は規定されていません。でも定年退職年齢に達すると、政治家自らが引退して、若い世代に席を譲るケースが多く見られます。

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2014年4月の安倍首相訪独時に抗議デモに参加する現地女性たち

次は、女性大臣が2人しかいないことです。ドイツの内閣は、メルケル首相が女性。その他女性大臣が6人、男性大臣が9人です。フィンランドの内閣は、女性のサンナ・マリン首相をはじめとして、大臣19人のうち12人が女性です。

日本の場合、女性の政治家は男性社会で生き延びていくために、男性と同じことをしなければなりません。だから女性政治家といっても、男性だと思っていたほうがいいのもわかっています。

でもぼくは、これからは女性としての見方を政治と社会に取り入れていかなかればならないと思っています。女性の見方のできる、女性として生きる女性に大臣になってもらいたい。そう思っています。

でもまずは、男性気質の女性大臣でもいい。女性大臣が増えれば、女性として政治をやっていける土壌ができていくのではないか。少しでもそう期待したいと思います。

この点でも、日本で活発な議論にならないのが不思議でしようがありません。今日本は、若い世代ばかりでなく、女性の力を必要としていると思います。そうしなと、日本は世界から取り残されるだけになります。

今回の組閣でさらに気になったのは、菅新首相をはじめ、政治家の政治思想が伝えられることがごく稀だったことです。それよりも、こどもの時のことや政治手腕、生活臭を匂わせる報道が多く目立ちました。国民への近さをアピールしたかったのだと思います。でもそれでは、広告代理店がタレントを売る売り方とまったく変わりません。

日本のメディアもそうですが、政治の世界も、広告代理店に牛耳られてしまっているのかと思うと、とても情けなく感じます。


福本さんからの便り、どう読まれましたか。フィンランドの内閣は、19人の内閣のうち12人が女性だということは、最近国内のニュースでも取り上げることがありますので、すでにご存じの人も多いと思いますが、それにしても日本は、と思わずにはいられません。そして最後の「広告代理店」の問題、「そうだ、そうだ」という共感とともに、コロナ対策支援事業問題で明るみに出たどんな分野にも電通が深くかかわっている実態を改めて思い起こしました。

いのちとうとし

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2020年9月26日 (土)

長崎市が、広島の原爆犠牲者数を修正

8月27日のブログ「広島の原爆犠牲者は11万8661人―長崎市原爆被爆者対策概要」(http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/08/post-90cc30.html)で、「長崎市原爆被爆者対策概要」で「広島の人的被災 死者数は『118,661人』」となっていることを紹介しました。

このことに関し、8月31日広島市に対して次の4項目の問題提起をしました。

「1、長崎市原爆被爆者援護事業概要に『広島の死者数として118,661人』が掲載されていることは、承知されていますか。

2、広島市原爆被爆者援護事業概要のP.15の『3 社会的破壊』の『1被爆時の人口及び死亡者数』に掲載されている5つの推計では記載されていない『S.21.8.10 広島市調査』が、長崎市原爆被爆者援護事業概要に採用されていることについて、どうお考えですか。

3、広島市と長崎市は、1976年の『国連への要請書』並びに1979年7月作成の『広島・長崎の原爆災害』において、両市は共同で原爆犠牲者数を推計する作業を実施されたはずです。にもかかわらず、長崎市原爆碑学者援護事業概要において、全く違う人数が記載されていることをどうお考えですか。

4、当然、それぞれの市に資料採用に当たっては独自性があって良いとは理解しますが、広島市であれ長崎市であれ、他市の原爆被害を表すときには、当該市の意見が尊重され、出来得る限り齟齬が無いようにすることがベターだと考えますが、どうお考えでしょうか。

5、『長崎市原爆被爆者援護事業概要』に対し、修正を求める考えはありませんか。」

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私からの申し入れを受け、広島市としても「問題がある」と判断されたのでしょう、長崎市と協議されてようです。

一昨日、「長崎市から返事がありました」と広島市の担当課から連絡があり、昨日広島市を訪れ、報告を受けました。

広島市から長崎市に対し「広島市は、原爆犠牲者数について『国連への要請書』に記載した14万人±1万人を公式に数字として使用しているので、ぜひ『118,661人』という数字を修正してほしい」と伝えたところ、長崎市から「過去の資料がないためなぜあの人数が使われているのかわかりませんが、広島市の指摘通りに修正します。」と回答があったとのことです。広島市からは「もし原爆資料館など別のところでもこの人数が使用されているようでしたら、すべて修正していただきたい」とも要望したということでした。

どのように修正するかは、長崎市が判断することですが、1979年には共同作業を行いながら「なぜ広島と長崎の間で、こんな行き違いが」という疑問は残ります。被害に対する考え方の違いでしょうか。

広島市の担当課長からは、「広島県の原爆被爆者援護事業概要に記載された人数の違いについても、県と連絡を取り、修正してもらうことになりました。長崎ともですが、広島の県と市でこんな違いがあったとは思いませんでした」と付け加えての報告がありました。

「広島県の事業概要の人数を修正します」という返事は、県からすでに受けていましたが、承知はしていましたが、これからも県・市の連携が深まることを願わずにはいられません。

広島県・市に関わる疑問は一応解決したのですが、長崎市の「長崎の原爆犠牲者(死者)は、1945年末までに73,884人」という一ケタの数字がどうなるのかは不明です。犠牲者数を一ケタまで特定することが困難なのが原爆被害の実態であることを考えれば「一ケタまでの犠牲者数が使われ続ける」ことへの疑問は残ったままです。長崎の人たちと連絡を取り、長崎市の見解を問いたいと思います。

いのちとうとし

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2020年9月25日 (金)

今、上関原発をめぐる状況は!

埋め立てをしなければ建設できない上関原発、このことは何度もブログなどを含め発信していますが、山口県知事が予定地の海の埋め立て免許の延長を許可して7月で1年になりました。

 中国電力は昨年11月から、その前提になる海底の活断層の有無を探るボーリング調査の準備に入る予定でしたが、地元の反対派の人たちを中心にした抗議行動で出来ない状況になっています。昨年末、中国電力は冬場の海は荒れるということで、この春まで延期するとしていました。 

 そして今年の春になった時点で、こんどは掘削用の機械を運ぶ大型台船が確保できないとして、10月以降に再延期するとしました。やがて10月ですが、中電からは何の発表もありません。何もないまま延長が許可されて、1年2か月を超えるのです。元をただせば、中国電力が免許の申請をしたのは2008年ですから、10年以上も前のことなのです。

 免許を許可した山口県知事を含めた幹部といわれる連中の発言、まさに上関町民を含め、県民のことをまったく考えもしていない無責任そのものです。新聞記事からその発言をチェックしてみました。

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 ◎知事

「中電に何らかの考えがあると思う。あらためて話があるのでは」

 ◎県商工労働部担当者

「再延期の報告後、中電から新たに入った情報はない」

 ◎県の幹部

「反対派が現場で行動を起こし続けるうちは堂々巡りが続くだろう」

 ◎県の幹部

「福島の事故後、原発を新増設する大義はもはや薄れている。中電側も国が何らかの判断を下すのを待っているのではないか」

 

まさにノー天気、無責任、他人事極まりないというか、県民のことを考えて県政を担っているのかと、怒りがこみ上げてきます。この度の埋め立て免許での、工事を終わらせなければならない期限は2023年1月です。残り2年5か月です。

これに対して中電の上関事務所の広報部長は「タイトな状況だが、期間内に完了できるよう鋭意取り組む」と。これまた無責任の極みですし、まさにこれは犯罪です。

中電さん、あと2年5か月で埋め立てが完了すると本気で思っているのですか。いつも言うのですが、とりあえずいったん埋め立て免許を取り消して失効させることで、上関の町民の人たちを安心させてあげることではないでしょうか。海を埋め立てた後になって、「あれはやる必要が無かった」で、海が元に戻るわけがないのですよ。さっさと計画を撤回することですよ。

コロナ禍により4年に一度開催される上関町祝島の伝統行事「神舞(かんまい)」は、来年に延期されました。祝島で毎週月曜日に行われている「島内デモ」も現在は中止されているそうです。そして島での緊急時の医療体制の問題、高齢の方が多いということで、不要不急の来島は遠慮して欲しいという連絡も入っています。

しかし暗い話しだけではありません。休校していた小学校に、来年春には8人の新入生が入るそうです。

木原省治

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2020年9月22日 (火)

三原地区、府中地区の19の日行動

戦争法が強行採決された5周年の19日には、県内各地で街頭行動が取り組まれました。その内、三原地区と府中地区での行動報告が届きましたので、添付された写真とともに掲載します。

三原地区の19の日行動

最初は、三原の藤本講治さんから送られた報告です。


安全保障関連法案が参議院本会議で強行採決されて丸5年目を迎えた919日,夕刻,三原駅前において「戦争法強行からまる5年 戦争法は許さない!忘れない!19日行動」を25人が参加して実施しました。

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街頭行動の冒頭,事務局から「私たちは忘れていません。919日を!」と本日の行動の意義と三原市民行動の取り組み経過などを述べた後,市民運動に軸足を置いて活動している市議会議員安藤志保さんなど6人の弁士が78か月にわたる安倍政権の暴走政治を指摘。「憲法違反の戦争法は廃止を」,「改憲発議を止めよう」,「今こそ安倍政治からの転換を」「戦争こそ最大の人権侵害」 ,「憲法の理念を守り続けよう」などと訴えました。

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また,今回の街宣活動には「議員インターンシップ」の受け入れで2人の広島大学の学生がマイクを持って,「化学兵器の脅威」「安保法に対する考え」について若者の新鮮な意見を述べました。

5周年という節目の行動,そして菅政権の発足,新たな自公政権下で戦争させない運動を進めていく「心合せ」ができた街頭行動でした。


 

府中地区の19の日行動

次は、府中の小川敏男さんから送られた報告です。府中では、毎月、上下町Aコープ前と府中天満屋店前の2か所で実施されています。今回の参加者は、上下、府中とも10名の参加だったようです。小川さんの報告は、街宣での訴えが届けられました。全文紹介します。


今月19日は戦争法と言われています安保法制が自民党と公明党によって強行採決されて5年目になります。この安保法制の問題点はこの安保法制と同時進行で行われた政治をみれば分かって頂けると思います。

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上下町Aコープ前

例えば日本のコロナ対策が進まないのは、この間の病院や保健所を縮小したしっぺ返しだと言われています。諸外国と日本の医療を比べた場合、PCR検査がドイツに比べて日本は17分の1であることや、集中治療室の数は人口10万人当たりドイツは29床、日本は約7床しかありません。

また、地域の公衆衛生の拠点である保健所は約30年前の1991年には全国で852カ所ありましたが2019年には472カ所と半分になっています。人員も34,000人から28,000人と6,000人も削減されています。未知の感染症にヒト、モノ、カネの備えをしてこなかったことがわかります。

安倍前首相の新型コロナ対策が不十分なことやアベノマスクにより、国民の怒りは頂点に達し、安倍首相は病気を理由に辞任せざる得ない状況に追い込まれました(828日に退陣表明をしました)。

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府中天満屋前

にもかかわらず、菅(スガ)新首相は安倍前首相を継承して、新型コロナ感染症対策に力を入れると言っていますが、これまでの延長なら収束は難しく、生活苦の国民が増えるばかりです。平時に豊かな生活、ゆとりある医療と教育に力を入れないと災害時にしっぺ返しが来るのです。

教育と福祉の施設が充実していればしているほど、教育と福祉にたずさわる人が多ければ多いほどまちは住みやすくなります。行革の名のもとに福祉や教育の現場を切り捨てるほどバカげたことはありません。こうしたゆとりある医療と教育に力を入れることこそが新型コロナ対策でもあります。

戦争のできる国を目指した安倍首相を継承する菅新首相は間違っております。今こそ「戦争のできる国を目指す政治ではなくて」、「この世界から戦争をなくすことに努力する政治」に変えるときです。戦争法の廃止に向けて一緒に頑張りましょう。


藤本さん、小川さん、ありがとうございました。県内各地での頑張りを共有し、これからも一緒に訴えつづけましょう。

いのちとうとし

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2020年9月21日 (月)

劣化した政治の「震源地」はどこか? (7) ――党議拘束は憲法違反――

劣化した政治の「震源地」はどこか? (7)

――党議拘束は憲法違反――

 

 前回の問題提起のお浚いから始めましょう。「政権交代が可能だから」という「政治論」のレベルで小選挙区制を論じる前に、「憲法論」として論じておくことで、日本政治の本質を見抜くことができ、より良い政治を創るためのヒントが得られるはずです。という結論から、今回は、小選挙区制を考える上で参考になる憲法上の問題の一つ、「党議拘束は憲法違反」であることを俎上に載せます。

 小選挙区制導入のために提出された「政治改革法案」の採決に当り、社会党からは、勇気ある造反議員が反対票を投じました。等の遺構に反対したのです。それは、選挙について、日本社会の未来について真剣に学び議論し、悩みながらの結論でした。

そして、衆参両院で可決されなければ法律にはならないという憲法59条が遵守されるという大前提の下、誠心誠意、良心に従って行動したのです。その真摯な行動が、党の決めた方針に合わないという理由で、つまり党議拘束違反という廉で処罰の対象になりました。実は、このような形で、国会以外の場で国会内の言動について処分するのも憲法違反です。それは憲法19条、21条そして51条によって保障されています。

その前に、小選挙区制導入に反対した議員を社会党が処分するということ自体、第40回総選挙における有権者に対する公約違反であることを指摘しておきましょう。つまり、選挙の時点では社会党は小選挙区制に反対しており、有権者はその前提で一票を投じているからです。社会党が小選挙区を導入するための政治改革関連4法案賛成に転向したのは細川内閣の成立時で、あくまでも政権党の一翼を担いたいという権力志向の現れだったと解釈することが一般的に受け入れられているからです。

敢て付け加えれば、社民党は2006年には小選挙区制導入が誤りだったことを認め、造反議員の処分取り消しによる名誉回復を行いました。遅きに失した感は否めません。自分で自分の首を絞めておいて、息絶える直前になって、首を絞めたのが間違いと言っても遅過ぎるのではないでしょうか。

しかし、公約違反かどうかという問題以上に深刻なのは、党議拘束は憲法違反だという点です。次の3条がそれを示しています。

思想や良心の自由、そして表現の自由は民主主義の礎です。それを保障しているのが19条と21条です。特に表現の自由は、それが社会的に意味のある時にこそ大切にされなくてはならないものです。誰も住まない山奥でなら何を言っても良いが、多くの人が読む雑誌に発表することが制限されるのでは表現の自由の意味がありません。表現の自由とはあくまでも、多くの人に聞いて貰える環境で、しかも実質的な力を伴うときにこそ発揮されるべき原則です。そして、国会における、特に本会議における一票が最も公共性が高いことを考えれば、この時に表現の自由が保障されないのでは、「表現の自由」を掲げる意味がなくなってしまいます。それを保証しているのが51条です。

 

第19条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 

第21条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

 

第51条  両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

 

ここでいう「院外」とは、「議院」の外側を指していますが、物理的な意味での内と外ではなく、「国会」に与えられている任務を果しているときは「院内」で、それ以外は「院外」ということになるのだと思います。本会議や委員会、議員としての視察や調査、出張等、たとえそれが国会議事堂という建物の外で行われたとしても、「院内」の仕事に属するはずです。対して、仮に議事堂という物理的な存在の中で行われても、所属政党内での活動は院外でなくてはなりません。政党毎に政策も党の仕組みも活動資金の調達方法も支持者も全く違う存在です。民主的な党であれば、党員の意思により、それも多くの場合は選挙等の民主的な方法で決定されているはずです。

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より具体的な例を挙げると、自民党は憲法改正が党是の一つです。そのために様々な党活動を行っています。その内容が必ずしも憲法99条の憲法遵守規定に沿ったものでないことはある意味、当然です。では、国会議事堂内にある自民党の控室で、憲法について違憲と考えられる解釈を採用するための手続きを検討する党議を開いた場合、それを「院内」の活動と認めるかというと、それはあり得ないでしょう。つまり、政党の存在も、その活動も明確に「院外」に属します。

となると、政治改革関連4法案の採決で、(自党の党議拘束に反する場合であっても) 51条に規定されている院内の表決に際して意思表示をした議員を、政党活動の規則によって「院外」で処罰するということは許されません。51条によって責任は問われないのですから。

念のために書き添えておくと、現時点では日本の政党が党議拘束を掛けることは当たり前だと考えられています。それについての処罰も常識的には受け入れられています。それにはそれなりの理由があると思いますが、憲法を文字通り読むと、これは許されることではありません。このような矛盾について、政治のあり方そのものについてまで立ち返って改めて議論をする必要があるのではないでしょうか。選挙制度とは切っても切れ離せない、しかも政治資金の問題や議員の倫理、質等とも深く関わっている政党のあり方について、合理的な結論を得るための努力を始めるべき時なのではないでしょうか。

党議拘束がなくなった場合、政党が自答の方針を国会内で実現するためにはどうすれば良いのでしょうか。それは、事実に基づいた議論によって説得することです。「説得」が大切なのは、選挙の際には有権者に一票入れてもうための手段としてそれしか存在しないからです。何らかの力によって、誰に入れろということを強制することなど以ての外ですし、お金を渡して投票を依頼する「買収」も当然許されません。この政策が素晴らしい、この候補が信頼できる等、説得による以外の方法はないのです。

その説得で、党の一番根幹の部分を担っている国会議員を納得させることができなかったとしたら、有権者の説得など考えられなくなるのではないでしょうか。逆に言えば、今まで、国会議員を事実に基づいた論理的な議論によって説得する努力をして来なかった政党が、説得によって有権者の支持を得ようとしても、それは至難の業だということになりはしないでしょうか。

  [2020/9/21 イライザ]

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2020年9月20日 (日)

二つの9.19行動―「戦争法強行から5年 戦争法廃止!」と「朝鮮学校への無償化適用を求める」行動

昨日19日は、二つの街頭行動が行われました。

「戦争法強行から5年 戦争法廃止!活かせ9条!」

午後1時から本通電停前で始まったのが、戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会が主催する「戦争法強行から5年 戦争法廃止!活かせ9条!9.19行動」です。

安倍政権が、国民の多くの反対の声を無視し、憲法違反の「安全保障法制」(戦争法)を参議院本会議で強行採決し成立させたのが、ちょうど5年前の9月19日早朝でした。その後、広島でも「ヒロシマ総がかり行動実行委員会」が主催し、この強行採決に抗議し、戦争法廃止を求める19の日行動を続けてきました。そして2018年2月からは、安倍政権の憲法改悪の動きに対抗し、この行動は「3の日行動」として、毎月3日に継続して取り組まれてきました。すでに今月も「3の日行動」を実施しましたが、今年の9月19日は「戦争法強行採決から5周年」ということで、9.19行動も実施することになりました。

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1000人委員会の佐藤奈保子さんの司会で始まった昨日の街頭行動は、立憲野党(立憲民主党、日本共産党、社民党、新社会党)の各代表とすでに決まっている次期衆議院選挙の予定候補7名がマイクを握り、それぞれの立場から市民へのアピールを行いました。

安倍前総理の辞任を受けた菅政権は、「安倍政権の継続」を強調して誕生した政権です。「縦割り行政の廃止」「携帯電話料金の値下げ」など耳当たりの良い政策を声高にアピールしていますが、菅首相自身が、安倍政権の官房長官として「公文書の改ざん」や「森友加計学園・桜を見る会の名簿隠ぺい」に深くかかわってきたことは紛れもない事実です。また官房長官時代の記者会見での記者の質問にまともに答えず、強圧的な姿勢で答える姿も忘れてはならない事実です。そして広島にとってとりわけ重要なことは、「河井夫妻」を強力に支援してきたのが、菅さんだということです。この問題に対し、安倍前首相は全く説明責任を果たさなかったのですから、同じ穴なムジナともいえる菅首相に説明責任が求められるのは当然のことです。

そうした思いのこもった昨日の9.19行動でした。

 

「高校無償化裁判控訴審の公正な判決及び朝鮮学校無償化適用を求める街頭行動」

二つ目の行動は、午後5時から本通電停前とメルパルク前の二カ所で行われた「高校無償化裁判控訴審の公正な判決及び朝鮮学校無償化適用を求める街頭行動」です。

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この行動は、2017年7月19日に広島地裁が「朝鮮学園に学ぶ子どもたちの民族教育を受ける権利を認めない」という不当判決を言い渡したことに抗議し、それ以降、市民に対し理解と支援を求める行動として毎月19日に実施してきました。その中心は、朝鮮学園の生徒・保護者、関係者のみなさんですが、私たち日本の支援団体、支援者も一緒に行動してきました。

既にこのブログでも紹介していますが、広島高裁による控訴審での判決言い渡しが、来月16日と迫っていますので、19の日行動も最後の訴えということになりました。

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土曜日の授業を終えた朝鮮高校の生徒も多数参加し、約1時間道行く人たちに訴えつづけました。一人ひとりがマイクを握り、市民に訴える姿には、いつものことですが胸を打たれます。そして、この問題は日本人自身の問題だということを改めて思い起こさせられました。

高校無償化は、民主党政権時に始まった制度ですが、当初は対象(実施はされていなかったが)とされていた朝鮮学校を「無償化の対象にしない」という方針を表明したのは、2012年12月26日に発足した第2次安倍政権の下村博文文部科学大臣の就任直後の記者会見でした。そして翌年、文科省の省令を改正(改悪)し、朝鮮学校を完全に対象から除外しました。

安倍首相が退陣し菅政権が発足した今、そのことを改めて思い起こさなければなりません。菅自民党総裁は、役員人事で確信犯として朝鮮学校を無償化から除外した下村博文元文科大臣を、政策づくりのかなめである政調会長という要職に就任させたのですから、残念ながら菅政権にも「朝鮮学校高校無償化問題の解決」の期待を寄せることはできません。

だからと言って、明らかな政治による朝鮮学校高校生への差別をこのまま許したままでいるということは、私たち自身が差別に手を貸すことになってしまします。民族差別を許すかどうかは、私たち自身の問題でもあります。

差別が当たり前という政治を変えることができるのは、裁判に勝利することはもちろんですが、「『差別はおかしい』『差別は許さない』という大きな国民世論を作るしかない」ということを改めて突き付けられた昨日の行動でした。

いのちとうとし

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2020年9月19日 (土)

フェンスの中に隠れた大田洋子文学碑-つづき

昨日のつづきです。

調べた結果と言っても、すでに多くの人が承知のことですが、少しふりかえってみたいと思います。

このサッカースタジアルの建設場所は、当初中央公園の東半分に広がる自由広場でした。これが、現在予定されている「芝生広場」に変更されたのは、今年に入ってからです。

「平和記念公園など周辺の観光施設へのアクセスや、広場隣に住む基町地区の住民からの要望を考慮した」ことが理由とされていますが、最も大きな理由は「広場東寄りは、地中に広島城の出入り口だった『西御門(にしのごもん)』などの跡が残っている可能性があり、発掘調査などのために建設スケジュールが大幅に延びる」ことだったようです。「広島城の重要な遺跡がある」ことは、昨年末から今年にかけての「自由広場」での掘削調査で、判明したことのようですが、これらは事前の資料調査でもわかっていたはずです。あまりにも杜撰な調査によって計画が進められてきたことが分かります。その結果として「芝生広場」への変更となったようです。

そこで問題になるのが、「芝生広場」の西側にある大田洋子文学碑をどうするかということです。

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昨日紹介したように、今までのところ広島市は具体的な移動場所を決めていないとのことです。決めていないというか、決めることができないでいるといった方が良いと思いますが。

ここで問題になるのは、「大田洋子文学碑の移設がどうしても必要だ」というのであれば、なぜ今回の「発掘調査」作業開始前に、きちんと移設場所決め、移設を完了させなかったかということです。そして、事前に関係する人を探して、きちんと説明し、了解を求める努力をするべきだったはずです。残念ながらそのような努力がされた形跡は見当たりません。

そのことは、広島文学資料保全の会が、8月31日に広島市長に提出した「大田洋子『文学碑』についての要望」で明らかになっています。この碑を建立した「大田洋子文学碑建立委員会」は現在存在しませんので、誰に説明するのかという難しい問題はあると思いますが。工事を急ぐあまり、こうしたことがおろそかになってよいはずはありません。

この碑が、この地に建立されたのは「大田洋子が、たびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれた実妹・中川一枝宅を訪ね、『夕凪の街と人びと』の舞台とした」というゆかりの場所であり、多くの人たちの努力によって建立された経緯を考えればおさらです。

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除幕式の時写された大田洋子文学碑

私の記憶では、当初この碑は、空鞘橋屋橋東詰め北側に建立された(1978年)のですが、1992年に広島市と重慶市との友好都市提携5周年を記念し「中国式庭園・渝華園(中国庭園)渝華園(中国庭園)渝華園(中国庭園)渝華園(ゆかえん)」が建設されることになり、現在の場所に移動しています。今度の移動は2回目ということになります。

不思議なことがあるものです。この原稿を書いている途中で、紙屋町シャレオで開催されている「第22回古本まつり」(20日まで)をのぞいたところ、平台に積まれた本の中に、1978年9月に発刊された「大田洋子文学碑建立記念誌」を見つけました。

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すでに手元にあるような気もしましたが、これも縁かなと、すぐに購入しました。

この「記念誌」の最初のページに建立委員会代表お二人の名前による「御礼」のあいさつが掲載されています。その代表の一人が、栗原貞子さんですから、昨日のブログに書いた「栗原さんが深くかかわった」どころか、その中心だったことがはっきりしました。さらにこの「御礼」の文章からは、募金を呼びかけたわずか四カ月余りの間に「目標額300万円」を超える「365万円」の募金が集まったことが分かります。「記念誌」の最後には「募金協賛・御芳名録」が掲載されていますが、ざっと数えて900を超える個人・団体の名前が書かれていますので、多くの人たちが深い関心を持っていたこともわかります。さらに「碑の建立場所につきましては、大田洋子ゆかりの地であり、新たに整備されました広島市中央公園の、希望しました地を市から与えられました。」とも記されています。

そして「記念誌」に書かれた「経過報告」には、この碑の所有が今どうなっているのかが書かれています。「建立予定地として、最初から市立図書館周辺の地を求めることにし、関係当局の理解ある協力を得て、整地完了前の中央公園の一隅に設計どおりの地が決定しました。なお碑建設以後は、公園施設設置許可をおこなった広島市に寄附、碑および附帯する工作等はすべて市当局の管理に帰属します。」と。

これを読むと「現在の管理者(所有者)は広島市」ということになります。だからと言って建立者の意思を無視してよいということにはならないと思います。

建立者が、設置場所として中央公園を選んだ思いを尊重して、サッカースタジアム建設工事を待たずに、一日も早く新たな移設場所を決め、フェンスの外に移動することを望まずにいられません。

いのちとうとし

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2020年9月18日 (金)

フェンスの中に隠れた大田洋子文学碑

広島県原水禁の事務局に行く道すがら、ちょっと気になる景色が目に入りました。

中央公園の芝生広場の芝がかられてむき出しになっているのです。周囲は、白いフェンスで囲まれています。中央公園は、新しく作られるサッカースタジアム建設予定地になっていますので、もう工事が始まったのかなと思う一方で「確かいま開催中の9月議会にサッカースタジアム建設のための予算が提案されたはずなのに?」との思いがよぎりました。

気にはなったのですが、会議に行く途中でしたので、その日は現場を通り過ぎるだけにしました。そして数日後、改めて現場を訪れました。

中央公園の西側半分が、フェンスだけでなく、網で囲われた個所もありますので、全体を見ることができます。緑でおおわれていた小高い広場は、土がむき出しになっています。片隅には、無残に切り倒された樹木が積み上がっています。真ん中の大きなクスノキだけが残っています。

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公園の真ん中あたりを南北に横切る歩道附近に看板が立っています。近づいてみると「サッカースタジアム建設に伴う埋蔵文化財発掘調査実施のお知らせ」と書かれているのが目に入ります。業務委託期間は、「2020年7月1日から2022年3月31日まで(予定)」となっており、その下に注意書きとして「*仮囲い設置工事を2020年8月3日からはじめます。」書かれています。この「お知らせ」によって、この工事は「サッカースタジアムの本体工事」を前にした「埋蔵文化財発掘調査」のため、そしてフェンスは、一月ほど前から設置されたことが分かりました。

「まさか?」と思った予算との関係は、一応理解でしました。それにしても、樹木が簡単に切り倒されていることには、腹が立ちます。

自転車で行っていましたので、フェンスの周囲をめぐることにしました。気になっていることがあったからです。それは、小高い丘の西側に広がる樹木の林の中にあった「大田洋子の文学碑がどうなっているのだろうか」ということです。この辺りにあったはずだと思える場所を探したのですが、なかなか見つかりません。囲われたフェンスには、数メートルおきに網上の窓が明けられていますので、そこから中をのぞいてみました。すっかり周囲の樹木は切り取られていますが、四國五郎がデザインし15個の大小の自然石で作られた文学碑のみが、そのまま残っています。

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小さな金網越しの写真です。そう思って探さなければ、フェンスの中ですから簡単に見つけることはできませんし、見ることも容易ではありません。

何故こんなことになっているのか、これからどうなるのか気になりましたので、広島市役所を訪ねました。担当者とのやり取りです。

「文学碑は、現在の場所からそのまま移動しないのですか?」答えは「埋蔵文化財の調査中は、あのフェンスの中で、移動させながら作業をすることにしています。」。さらに「そうすると調査中は、ずっとフェンスの中ですね?」「その通りです。きちんとした場所が決まっていないものですから」。何となく腑に落ちないのですが、次の質問です。「ところで、サッカースタジアムは、この碑のどの辺りになりますか?」「サッカースタジアムが建つと、この場所と重なることになります。」「それでは、移動することになりますよね?もう場所は決まっているのですか」「確かに移動することになります。でも場所はまだ決まっていませんが、今フェンスの西側に残っている木立の中のどこかを考えています。」一応、今回の広島市とのやり取りは、これで終わりです。

次への移動場所も決めないで「工事優先」だからと「埋蔵文化財発掘調査」が始まったことなど、どうも納得いかないことや、「大田洋子文学碑」設置には、広島県原水禁の常任理事を長く務められた原爆詩人の栗原貞子さんが、深くかかわっておられたことを思い出しましたので、少し最近の動きを調べることにしました。

その結果は、明日報告します。

いのちとうとし

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2020年9月17日 (木)

「第2次別姓訴訟広島高裁判決言い渡し」傍聴記

二日続きで、裁判傍聴に参加しました。

昨日は、昨年1119日に出された広島地裁での不当判決を不服として控訴していた「第2次別姓訴訟」の広島高裁で判決の言い渡しがありました。

午後2時に開廷した裁判は、「控訴を棄却する」という主文のみが読み上げられ、あっという間に閉廷しました。原告敗訴です。

この訴訟、広島高裁での審理は、今年68日に一度開廷されただけで、結審したものです。判決言い渡し後の報告集会で、原告の恩地いづみさんは、判決を厳しく批判するとともに 「私の思いは、控訴審で弁護団が主張した『控訴理由』の『おわりに』に書いてある通りです。その思いで、今後もがんばります」と訴え、次の闘いへの決意を表明されました。

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恩地さんが紹介された、「控訴理由」の「おわりに」を全文紹介します。

「私たちは、この訴訟に必ず勝ちます。

なぜなら、それが世界の常識だからです。

かつて、生存権が社会の常識となったようにプライバシー権が社会の常識となったように、どちらかが自分の氏を変えることなく結婚することができることが、やがて国の常識になります。

私たちの中には、法務省も含まれています。なぜなら、法務省は、すでに平成8年に、選択的夫婦別姓制度を導入すべきであるとの結論に至っているからです。

また、私たちの中には、裁判官も含まれています。なぜなら、裁判官こそが、この社会を変える力を持っており、その判断によって、あるべき社会をもたらすことを、使命としているからです。

そうして、私たちは、新しい社会をもたらします。結婚したいと望む全ての人が結婚することができる、誰もが幸せな社会です。

私たちは、その社会を導いたものとして、れきしにのこることになるでしょう。」

そして原告恩地いづみさんの「控訴審第1回公判での訴え」の最後の部分も掲載します。

「私の名前。いつでもどこでも、何の注釈や追加の書類も必要なく名乗れる、私の名前を、改姓を強要され奪われることなく結婚後も使い続けられるあたりまえの権利が、別氏という選択肢を設けないことによって、共に生きることを誓う対のうち一人には保証され、一人からは奪われていることを問題ないとするならその合理的な理由を示してください。」

昨日の判決では、最も重要な憲法14条、24条、そして国際条約(自由権規約や女性差別撤廃条約など)などについては、全く解釈を放棄するものでしたが、その中で評価できる点が二つありました。一つは「夫婦別姓問題では、地方議会で意見書が採択されていること、国連の委員会が勧告を出していることを国会は重く受け止めるべきだ。」と指摘したことです。もう一つは「通称使用」について言及したことです。この通称使用の問題は、原告弁護団が「銀行口座の開設や不動産登記が全くできないこと」を調査して提出したことが大きな力となり、判決での言及を引き出したのです。

原告は当然上告することになりますので、他の地域で争われている「夫婦別姓訴訟」と合わせて最高裁でどう判断するのかが問われることになります。その最高裁の15人の判事のうち、判決文で旧姓を使用する判事が2名いることなど、最高裁の判事構成にも大きな変化が現れていますので、新たな最高裁判断が出ることも期待できます。

「くじけず、はぶてず、諦めず」

この言葉は、恩地さんのメールの最後に必ずつけられています。

この思いに応えて、これからも「夫婦別姓問題」の解決のための支援を続けたいと思います。

いのちとうとし

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