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経済・政治・国際

2019年11月18日 (月)

「国際フェスタ2019」に行きました。

昨日、毎年この時期に国際会議場を主会場として開催される「国際フェスタ」に行ってきました。20回目ということですので、秋葉市長の時代に始まった行事のようです。

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今年は、20回という節目とともに「広島国際会議場開館30周年記念」ということで、例年になく「ひらこう世界のとびら であおう世界のなかま」のタイトルにふさわしい企画が多数準備されていました。会場の様子を写真と共に紹介します。

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国際会議場に着いてすぐに目に入ったのが、平和大通りに設けられた「ひろしま国際村~世界の屋台」のテントが立ち並び、美味しいにおいが漂っています。

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国際会議場入り口前の屋外ステージでは、例年のとおり世界の国々の舞踊が演じられています。私がついた時は、「メキシコ民族舞踊」の最中でした。

国際会議場に入ると沢山のコーナーが準備されています。最初に行ったのは、「広島から世界へ!姉妹・友好都市の旅」のコーナーです。ボルゴグラードはマトリョーシカの絵付け、大邱はハングルでの名札づくりなどなど参加型の企画が用意されています。現在広島市の姉妹都市は、ほかに重慶やホノルルなど計6都市です。

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私は、カナダ・モントリオール市のフェルトを使ってのオーナメントづくりに参加し、トナカイを作りました。次にすぐ隣で行われていたある中国帰還者による中国式組み紐づくりのコーナーへ移動、昨年も挑戦しましたがなかなかうまくいきません。

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同じ部屋には、市民団体等の活動紹介コーナーありました。「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」も出展していましたので、現在のセミパラチンスクの状況を聞くことができました。原水禁大会に代表を呼んだことを思い出します。

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向かい側の部屋では、「地球ひろば」が設けられており、アフリカ発祥で中近東や東南アジアで行われているという「マンカラ」などの外国のゲーム遊びや中国茶の試飲、民族衣装の試着、写真での紹介があります。私は、中国からの留学生が接待する中国茶を楽しみました。

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国際協力バザーでは、各国の民芸品が販売されています。

今年は、記念の年ということで例年は会場となっていなかったフィニックスホールも使用され、午前中に野口健さん(アルピニスト)のトークショウが行われ、午後2時からは6グループが参加する「世界の音楽と舞踊」も演じられました。私もちょっと覗いてみました。インドネシア・バリ島の伝統音楽ガムランと舞踊、続いて広島韓国伝統芸術院による「韓国楽器による演奏と舞踊」、次に広島朝鮮学園中高級部舞踊部、民族楽器部による「統一アリラン」の演奏と踊りが繰り広げられました。大きな拍手です。残念ですが、主催者の要請によりこの写真はブログにアップできません。この舞台を見ながら「朝鮮学園が無償化から排除されている」人は、この中で何人ぐらい居られるのかなとつい思ってしまいます。

他にも「平和のため」「日本文化体験コーナー」「学びのコーナー」など多数の企画が準備されていましたが、全てを回ることはできませんでしたが、楽しい時間を過ごすことができました。この企画が、さらに国際交流の輪を広げる契機となればと思いながら会場を後にしました。

いのちとうとし

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2019年11月17日 (日)

「朝鮮の自主的統一支持運動第37回全国集会in広島」開催

全国で日朝連帯運動を取り組んでいる人たちが交流を深めるため、年1回開催している「朝鮮の自主的統一支持運動全国集会」が、37回目を迎えた今年、15日から16日かけ初めて広島で開催されました。

この集会の主催は、朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会と日朝友好広島県民の会や広島県平和運動センターなどで構成する広島県実行委員会です。2年前から、「広島開催」の要請がありましたが、県内での受け入れ態勢を整えることを大切にするということで、ようやく今年の開催になりました。

日程は二日間ですが、一日目は懇親交流会ということで、具体的な交流や全体集会は、二日目に実施されました。

二日目(16日)の日程は、午前中が「全国活動者会議」で、参加した各道府県から、それぞれの地域での活動が報告され、交流を深めました。広島県で取り組んでいる「朝鮮学校支援活動」や「在日朝鮮人の人たちとのふれあい広場の開催」、映画の上映会、金剛山歌劇団の公演などが共通して報告されました。それら中でも島根、鳥取で取り組んでいる「在日朝鮮学生美術展」の開催の報告は多くの参加者の関心を呼びました。

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午後は、広島の参加者を含めた約130名余り参加で、全体集会が開催されました。全体集会は、開会行事のあと「特別報告」と「記念講演」が行われました。

特別報告は「朝鮮学校無償化裁判の現状と課題」と題し、同裁判弁護団の秋田智佳子弁護士が講演。秋田弁護士は、特に「朝鮮学校が無償化から除外されているのは何が問題化」についてパワーポイントを使い、詳しく報告されました。無償化裁判が行われていない地域の参加者も多くありましたので、改めて問題の本質を学ぶことになりました。

記念講演は、「朝鮮半島の非核化・平和構築について」と題し、最初に金志永朝鮮新報社編集局長が「①首脳の親交関係に基づく朝米関係の進展②朝米実務書協議をめぐる攻防戦③朝・日平壌宣言履行のための対話」について、特に朝鮮民主主義人民共和国側から見た米朝首脳会談をめぐる動きが報告されました。次に浅井基文大阪経済法科大学客員教授(元広島市立大平和研究所所長)は「①「朝鮮半島非核化と核兵器廃絶:二つの課題の関係性をどのように捉えるのか②朝鮮半島の非核化③アメリカ政治と朝鮮半島非核化/核兵器廃絶④私たちの課題」について、様々な角度からの提起がされました。

特別報告も記念講演も「広島開催」にあたって現地から要望をしていたテーマでしたので、広島開催の成功に大きな力となったと思います。

最後に、広島集会の意義や今後の課題を盛り込んだ「広島アピール」を全体で確認し確認し、全国集会は終了しました。

なお集会のスローガンは「朝鮮半島の非核・平和・統一の実現を!」「過去の真実と向き合い、在日朝鮮人の人権保障を!」でした。

個人的なことですが、長く日朝連帯運動を取り組んできましたが、「朝鮮の自主的統一支持運動全国集会」への参加は、1983年埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)で開催された第2回全国集会以来、今回が2度目です。36年前と比べると参加者はもちろん大幅に少なくなっていますが、厳しい情勢の中でも全国で頑張っている人たちがいること改めて確認することができた広島集会となりました。

いのちとうとし

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2019年11月16日 (土)

「原爆症裁判」控訴審が結審

 心筋梗塞などが発症した被爆者が、原爆症の認定申請却下処分の取り消しを求める訴訟の広島高裁における控訴審が、今月12日に結審しました。判決期日は追って知らせるということで今のところ未定ですが、裁判長からは約半年後ぐらいという発言がありました。

今回の公判では、結審ということで原告弁護団の佐々木弁護団長が意見陳述を行いました。この意見陳述では、原爆症認定集団訴訟が始まった経緯から一審判決の不当性が訴えられました。意見陳述書のコピーが手元にありますので、それを読みながら原爆症裁判の歴史を振り返ってみたいと思います。

原告27人による広島地裁での第1陣の原爆症認定集団訴訟が始まったのは、16年前の2003年6月です。その後、原告は増え、最終的には41人となりました。広島では、この訴訟を幅広支援するため「原爆症の認定を求める集団訴訟を支援する県民会議」(略称「原爆症を支援する会」)が、発足しました。

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当時、広島県原水禁代表委員だった宮崎安男さんが先頭で頑張っていたことを思い出します。2006年8月4日、原告41人に判決が言い渡され、全員が勝訴判決を受けました。その後も全国で勝訴判決が続くなか、2007年8月5日、安倍首相は被爆者との懇談の場で、厚生労働省に対し「原爆症認定基準の見直し」を指示し、翌年4月1日から「新しい審査の基準」が実施されました。そして2009年8月6日広島で、被爆者と麻生太郎首相の「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に関わる確認書」の署名式が行われました。これを受け、官房長官談話が発表されました。少し長いのですが、この官房長官談話の全文を掲載します。


原爆症認定を巡る集団訴訟の解決に向けて日本被団協・原告団・弁護団と基本方針について、一致を見ました。

原爆症認定をめぐる集団訴訟では、本年8月3日の熊本地裁裁判を含め、19度にわたって、国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてこれを厳格に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします。この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図るものとしたのであります。

政府としては、これまで拡大してきた原爆症認定基準に基づき、現在、待っておられる被爆者の方々が一人でも多く迅速に認定されるよう努力するとともに、唯一の被爆国として、原爆の惨禍が再び繰り返されることがないよう、核兵器の廃絶に向けて主導的役割を果たし、恒久平和の実現を世界に訴えていく決意を表明します。


 実に素晴らしい官房長官談話です。しかし、残念ながら根本的な解決にはなりませんでした。その後も「新しい審査の基準」での審査においても認定却下が続き、各地で再び訴訟が提起されることになり、今も続いています。厚生労働省のかたくなな態度が見えてきます。控訴審判決において、原審が破棄され、被害者の側に立ち認定却下が取り消すという判決が強く期待されます。

ところでこの官房長官談話では、「核兵器廃絶に向けて主導的役割を果たし」と政府の「核兵器廃絶への決意」が表明されています。しかし、「核兵器禁止条約」に背を向ける安倍政権には、その片鱗すら見ることができません。

「原爆症認定集団訴訟」の取り組みの先頭で頑張っていた宮崎安男さんは、残念ながら2009年の合意を知ることはありませんでした。私は、宮崎さんがもし今生きておればどんな行動をとっただろうかと思いながら、「原爆症裁判」の傍聴を続けています。

いのちとうとし

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2019年11月14日 (木)

許してくれる人は被害者だけ

2019年になって5人の韓国の日本軍「慰安婦」被害者が亡くなられました。8月現在、韓国の被害者の中で韓国政府に名乗った人は20人が生存しています。オランダの被害者ジャン・ラフ・オハーンさんも8月に亡くなられました。

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【故ジャン・ラフ・オハーン。日本の侵攻直前1942年5月ジャワ島バンドンにて撮影。Wikipediaより】

戦争の中でも、日常生活の中でも、被害について許すことができる人は被害者のみです。

ワルシャワ出身のラビであるアブラハム・ジョシュア・ヘッセル(Abraham Joshua Heschel)の一話があります。

彼が、家に帰るために乗った汽車の客室で起きたことです。客室では先に乗っていた人たちがカードゲームをしていて、ラビも一緒にカードゲームを誘われたけれども、ラビは「カードゲームを一度もやったことがない」と丁寧に断りました。すると、その中の一人がラビの胸ぐらをつかんで客室から追い出しました。追い出されたラビは廊下に立ち尽くしたまま目的地に着きました。

皆がプラットホームに降りると、困惑する光景に出会いました。汽車から降りたラビを見た多くの人々が、喜びながら握手を求めていました。その時、自分が暴力を振るった隣席の乗客が尊敬されるラビであることを知った彼は、すぐに自分のやったことを許してくれとお願いしまたが、ラビは彼を許しませんでした。

その日の夜、彼はラビの家を訪ねて300ルーブルの金を差し出しながら再び許しを求めました。ラビは「それはできません」と答えました。ラビの頑強な態度を人々は不思議に思いました。あれほど高邁な人格の持ち主がどうして許しを拒んだのでしょうか?

ラビの長男が彼を許してくれないかと言った時、ラビはこう答えました。「私は、彼を許したくても許せない。汽車の中で、彼は私が誰だか分からなかった。だから彼は私ではなく、ある名前を知らない人に罪を犯したわけだ。だから私ではなく、その名もない人を訪ねて許しを請うのが正しい。」

 

許すことは、被害者にしかできません。旧日本軍=日本政府が犯した戦争犯罪を許してくれる人は戦争被害者のみです。日本軍性奴隷制について、許すことができる時間もほんの僅かしか残っていません。被害者が皆亡くなってしまうと、許してもらいたい時がきても許してもらえません、永遠に!許されないまま、その戦争犯罪は記録されます。悲しいことです。

(李昇勲)

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2019年11月13日 (水)

「叫ぶ芸術」ポウター展に行ってきました

先月30日のこのブログで紹介した「『叫ぶ芸術』ポスター展」に行ってきました。今回の会場は、おりづるタワービル10階にある「エソール広島」。「このビルは、入り口が自動ロックになっているので、「1001」を呼んであけてもらってから入ってください」と教えられていたのですが、ちょうど昼休み休憩の時間で出かける人があり、入り口が空いていましたので、そのままエレベーターで10階へと移動しました。

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10階でエレベーターを降りるとすぐ目の前が「エソール広島」の事務所。中に入るとすぐにポスターが目に入ります。展示されているポスターは、16枚ほど。きちんと数えていませんでしたが、後で主催者の人に聞くと、この前の会期の会場(袋町の「ひと・まちプラザ」)より狭いため、半数の展示になってしまったとのことでした。

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ポスターの横には、1枚づつ三井マリ子さんの少し長めの解説がついています。この解説があったため、私にも「ポスターが訴えている意味」を理解することができました。いずれも興味あるポスターでしたが、その中でも「えっ」と思わされたのが、下のポスターです。

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タイトルは「新ドル札の顔となる19世紀のモーゼ」(アメリカ)です。解説を読むと「アメリカ・メリーランド生まれの奴隷ハリエット・タブマンは、1849年、奴隷制のないフィラディルフィアへの逃亡に成功した。」と、「その後家族や親族縁者60人余りを逃亡させた」さらに「南部の州では『奴隷逃亡法』が制定される中で、脱出させた奴隷は11年間に300人以上といわれ、ハリエットは、『モーゼ』と呼ばれるようになった」と記載されています。私が興味を持ったのはその後です。「今年(筆者注:2016年のこと)4月、ハリエット・タブマンが新20ドル札の顔に選ばれたニュースが世界に流れた。」とあります。その後の解説には「アフリカ系アメリカ人が紙幣の顔をなるのは初」とあり、面白いのは、「女性参政権獲得100年」となる2020年を記念して新20ドル紙幣の顔に「女性を採用せよ」と女性たちが大運動を起こした実現させたとのことです。そしてさらにすごいのは、それを受けアメリカ財務省が60万人以上のアンケートの結果、ハリエット・ダブマンサンを選んだということです。公平ですね。今「首相の桜を見る会」への後援会招待をめぐって論争が起きている国とは大きく違うようです。

もう一つのびっくりは、この文章を読む限り、アメリカ紙幣に女性の顔が登場するのは初めてのようです。日本で紙幣に女性が採用されたのは、これまでに2件あります。明治時代に神功皇后の肖像が使われたことがあるようですが、これはとりあえず置くとして、戦後には2004年11月に発行された5000円札に樋口一葉が使われています。紙幣に関する限り女性の登用は、日本が早かったようです。ところでこの5000円札、2024年には新紙幣が発行される予定ですが、今度も女性の津田梅子の肖像が使われることになっています。

他のポスターについても興味ある解説があります。17日までの会期になっていますので、ぜひ一度行ってみてください。

ただ、広島県男女参画財団という公的性格を持つ「エソール広島」がちょっと入りにくい環境にあるのは、驚きでした。フロアーには、100名ちょっとの集会場もありますが、このセキュリティーではなかなか利用しづらいなと感じました。

いのちとうとし

 

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2019年11月12日 (火)

「金剛山歌劇団2019年広島公演」開催

「金剛山歌劇団2019年広島公演」が、昨晩午後6時半から広島アステールプラザで開催されました。今年も昨年に続き、日朝連帯広島県民の会や広島県平和運動センターで構成する実行委員会は、「広島朝鮮学園支援チャリティコンサート」として名刺広告や入場券販売などの取り組みを行いました。

会場には、在日朝鮮人の皆さんが家族ぐるみで参加されている姿が多く見受けられましたが、ここ数年日本人参加者の姿も多く見受けられるようになりました。初めて金剛山歌劇団の公演を見たという日本人参加者は、「ただ素晴らしいの一言です。初めて見ましたが、感動しました。」と感想を述べていました。公演を見た人は、一様に強い印象を受けたようです。こうしたことを通じて日朝友好の輪が広がることを期待したいと思います。

オープニング前に、広島朝鮮学園の子どもたちによる民族楽器の演奏と群舞が演じられました。かわいらしい子どもたちが、懸命に演奏し踊る姿に大きな拍手が寄せられました。映像をお届けできないのが残念です。

いよいよ金剛山歌劇団のメンバーによる公演です。毎年新しい趣向を凝らした内容で観客の期待に応える演舞が繰り広げられますが、今年は「アリランの春―われらの願い夢列車に乗せて」がテーマで、歌と踊りを中心に、例年のとおり2部構成となっていました。例年に比べると民族楽器などの演奏がほとんどなかったの残念でした。

演目を紹介します。

第1部は、群舞「平和への翼」、混成重唱「栄あれ我が祖国よ」、群舞「地下金剛」(初めて聞くような感じのタイトルです)、男声重唱「故郷に春が来た」(長く歌い続けられているようです)、重舞「幸多かれ豊漁の海」、最後が群舞「華麗なる名勝三千里」でした。オープニングが「平和の翼」となっている構成に金剛山歌劇団の思いが伝わってくるような気がしました。

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第2部は、群舞「希望の鼓動」で始まり、恒例のチャンセナブ独奏「アリランの春」、男声独唱「まなざし」、女性三重唱「コッミレアリラン~花いっぱいの未来へ~」(統一への希望のアリランとして新たに歌われた)、混成重唱「夢列車に乗って」、デュエット「ハナーひとつー」、民謡メドレー「①牡丹峰②船を漕げ③統一アリラン」、そしてこれも恒例の民族舞踊「農楽舞」(今年もまた違うアレンジでの構成です)、フィナーレは合唱「三千里を虹色にそめる統一の夢」です。時には、会場も一緒に手拍子を打っての歌声など、舞台と会場が一体となった公演でした。

こうした演目を並べてみると気付かれたことがあると思います。全体を通して流れているテーマは「統一」ということです。昨年、歴史的な米朝首脳会談の実現した朝鮮半島をめぐる情勢の中で、在日朝鮮人の人たちにとって「統一」への願いがどれほど強いものが改めて感じられた公演でした。

混成重唱「夢列車に乗って」は、すべての歌詞を覚えていませんが、「玄界灘を渡り、プサンからソウルへ、そして夢のピョンヤンへ」さらに「シベリアからヨーロッパへと夢の列車は走る」という内容でした。この歌詞を聞きながら、「決して『夢列車』ではなく、一日も早く実際の列車として走らせなければ。そしてその一番列車に乗りたいな」という思いを強くしました。そんな思いを感じたのは私一人だったでしょうか

いのちとうとし

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2019年11月11日 (月)

「防災省」設置案

事前の防災対策

 

「防衛省 ⇒ 防災省」そして「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」という表現が分り易いので、これを何度も使っていますが、「防災省 (仮称)」設置の目的は、災害発生後の対応と同時に、災害による被害をできるだけ少なくするように、防災のための施策を全国的にまとめて一元化し、こうした施策を事前に施行することにあります。それは、災害の種類によってそれぞれ違います。豪雨による洪水と、地震に対する事前の対応を比べれば、その違いは明らかです。防災省では、その全てについて対応策を策定・実行しなくてはなりません。

現在でもそれなりの「計画」はあり、実行するだけという段階のものもありますが、何度も強調しますが、自然災害による被害が大きいこと、それを軽減することを国家的事業の最優先事項の一つにしなくてはならないと、私たちが覚悟を決めて、政治を動かして行かなくてはなりません。

そのために、たまたま分り易いパワーポイントの資料を国交省が作ってくれていますので、それを使いながら説明したいと思います。

 

[防災省の仕事内容]  

  1. 自然災害による被害を最小限に抑えるため、まずは事実の認識・把握のための基礎資料が必要です。災害がどの程度の頻度で起きるのかを統計的に推定し、安全度を加えた上で、河川、山林、道路や鉄道、その他の建造物等について、例えば、数百年に一度の頻度で起きる災害による被害を一定のレベル以下に抑えるよう、規制を設け、計画を立てた上で、目標をクリアする。既に計画のできている分野については、「災害優先」という立場、そして個人の「被害」という立場を前面に出し、再検証を行う。
  2. 台風や大雨、地震等について、どの程度の被害が生じるのかという予測はなされているが、被害の規模や財政的な損害等、天文学的な数字になっている場合もあり、十分な対策が取られているとは言えない。災害対策を日本という国家の最優先事項として、緊急20カ年計画を策定し、前半の10年間にはその中でも特に急がなくてはならないものを取り上げる。
  3. 災害についての正確なハザードマップを作成・改訂し、危険箇所に住む人々には個別の面接を行い避難の必要性や具体的な避難経路も含めた避難可能な知識を伝達する。避難「命令」が可能になるような法的整備も行い、発令等についても全国的に知見を共有して、避難が遅れることのないようにする。避難訓練も定期的に様々な想定の下行う。

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国土交通省による総合治水対策の概念図

 

《解説》

 ①.治水計画としては、国土交通省の立てた計画はあるものの、世界各国と比較すると大幅に低いレベルでの目標設定になっているため、特に近年に頻発している大雨の対策としては、不十分。具体的に数字を見ながら、緊急性を共有したい。

 ②.まずは次のグラフを御覧頂きたい。治水による安全度がどのくらいのレベルかを国際比較したものである。

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  ③.オランダと言えば、海面より国土が低いことで知られている。小学校の教科書で、堤防から水が漏れていることに気付いたハンス少年が、水漏れを止めるために献身的な努力をした感動的な物語を覚えている方も多いはずだ。そのオランダは、一万年に一度の水害に対応出来るような治水工事を1985年には終えている。日本に状況が似ているフランスでも、100年に一度の水害対策ができている。

   ④.でも日本の場合、その半分以下の30年から40年に一度の水害対策が目標になっていて、それも達成率は60パーセントほどだ。この統計が取られた2004年から14年経っているが、ウイキペディアでも同じ数字を使っている。前にも書いたように、事故ばかり起している役に立たないオスプレイを買う財源を防災費に回すだけでかなりの対策が可能になる。

    http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/6-8da6.html

 ⑤.日本の治水対策の中では、100年に一度の災害に対応することがあたかも理想的であるかのような目標設定が行われているが、もう少しレベルをアップすること、そして達成率を向上させるために財源を確保することが焦眉の課題だ。

 ⑥.地震については、建物の耐震性を高める必要が確認され、耐震性を持つ建造物が全体の9割ほどになっている点も評価すべきである。しかし、この「耐震性」で、建物にそれほど甚大な損傷が生じないのは、震度5レベルの地震なのである。政府が30年以内に起きる確率が80%だと言っている南海トラフ地震では、それを大幅に上回るはずだ。その被害額は土木学会の見積もりでは1400兆円(日本の国家予算は約37兆円)、死亡者は国の想定で32万人~33万人。立命館大学の高橋学教授の推定では47万人を超える。「それにもかかわらず。国、都府県、市町村の動きは極めて鈍く、今回の大阪北部地震を教訓に早急な対策が必要だろう。(高橋教授のコメント)」

 ⑦.子どもたちにも避難訓練をさせた北朝鮮からのミサイル攻撃で、何人の犠牲者が出ると安倍内閣が予測したのかは明らかにされていないが、まさか47万人を超えてはいなかったはずだ。そして、実際に攻撃がある確率をどの程度に見込んでいたのだろうか。80%以上ではないだろう。もしそれ以上なら、それは、明日にでも戦争が始まる可能性があり、単に「避難訓練」で対応できる話ではない。

 ⑧.30年以内に80%、そして死者数は47万ということは、あれほど大騒ぎをした北朝鮮の核やミサイルを桁違いに大きくした話なのだ。災害対策こそ、安倍政権挙げて今すぐ対応しなくてはならない案件なのではないだろうか。

 ⑨.こうした対応をすぐ実行に移せる組織として「防災省」が緊急に必要なのである。

以下、次回に続きます。

[2018/7/24 イライザ]

[加筆・訂正2019/11/10]

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2019年11月 9日 (土)

「第56回護憲大会」今日から開催

「憲法の理念の実現をめざす 第56回護憲大会」が、今日から3日間の日程で、北海道・函館市で開催されます。広島からは、11名の代表が参加します。

大会の名称は「平和・自由・人権 すべての生命を尊重する社会を」ですが、大会で討論される課題は、「大会スローガン」に集約されていますので、ここに掲載します。


・安倍政権による改憲発議を阻止しよう

・沖縄・辺野古新基地建設を阻止しよう

・表現の自由の抑圧や労働組合への弾圧を許さず、憲法に基づく私たちの権利を守りぬこう

・日米軍事一体化を許さず、日米地位協定の抜本的改定と米軍基地の縮小・撤去をすすめよう

・オスプレイ、イージス・アショア配備、南西諸島への自衛隊基地建設を阻止しよう

・災害救助隊の整備など、憲法理念にもとづく平和基本法を制定しよう

・東北アジアの市民連帯を基本に、対話と協調の平和外交を実現させよう

・侵略戦争と植民地支配の歴史と責任を明確にし、アジアとの和解をすすめよう

・「格差と貧困」を解消し、差別や人権侵害のない多民族・多文化共生社会をつくろう

・原発事故被災者の支援打ち切りを許さず、東電・政府の責任による解決を求めよう

・原発推進のエネルギー政策を転換し、自然エネルギー中心の循環型社会を築こう

・危険な原発再稼働に反対するとともに、破たんした核燃料サイクル計画を断念させよう

・子どもの権利条約に基づく教育・福祉・環境を実現しよう

・地方の自立と市民政治を確立しよう


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こうしたテーマに基づき、1日目は全体集会で開会総会のあと「日本社会は本当にこれでいいのか?安倍政権の7年間を問う!」と題して3人によるシンポジウム、2日目は7つの分科会やフィールドワーク、「ひろば」で、運動の交流や今後の課題が討論されます。最終日は、まとめの全体集会が開催され、護憲大会を終了します。

大会基調の「はじめに」では、「1946年11月3日、日本国憲法が公布されました。『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意』し武力の不保持と戦争放棄を誓うとともに、主権が国民にあることを宣言し、侵すことのできない永久の権利としてすべての基本的人権が国民に与えられました。」と憲法の意義を再確認するとともに、現状と課題を「今、現実に、日本国憲法の空洞化が進み、大きくその理念が歪められてきていることを認識しなくてはなりません。私たちは、ここに開催された第56回護憲大会を機に、改めて平和憲法を守る闘いを強化するとともに、憲法の空洞化を阻止し『平和・自由・人権』という憲法理念をあらゆる場面で実現し『全ての命を尊重する社会を』作り出していかなければなりません。」と提起しています。

この「護憲大会」は、夏の原水禁大会とともに全国規模で開催されてきた歴史を待つ重要な大会です。安倍政権が進める「改憲」政治によって憲法を取り巻く状況が厳しくなっているだけに、今年の護憲大会が成功することを祈らずにはいられません。

いのちとうとし

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2019年11月 7日 (木)

終戰記録―議會への報告書並びに重要公文書輯

横川のフレスタ前で「第13回カジル横川古本市」が今月10日まで開催されています。いつも何か掘り出し物はないかとのぞくことにしています。今回も、先日横川駅を利用する機会がありましので、ちょっと寄り道をして、並べられた本を見たまわりました。

毎回一冊ぐらいは、掘り出し物を見つけることができますが、今回も本当に珍しい本(私のとって)を見つけることができました。本の名前は「終戰記録」、副題は「議會への報告書並びに重要公文書輯」となっています。発行者は「朝日新聞社編」です。古い漢字が使われていますので戦後すぐの発行物だと思い、奥付を見ると「昭和二十年十一月十日印刷 昭和二十年十一月十五日」となっています。「定価」は「二圓」です。ちなみに今回の私の購入価格は消費税込みで1,100円でした。

「議會への報告書並びに重要公文書輯」という副題に興味をそそられ、手に取り中身を見てみました。目次に「帝國議会に對する終戰経緯報告書」と書かれ、その後には外務省から始まって内務省、厚生省などなど各省からの報告が続いています。もちろん、陸軍省も海軍省もあります。いずれも旧漢字が使用されていますが、ここからは現在使用されている漢字に変えて記載します。

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内務省の報告は全体が「大東亜戦争開始以来一般空襲被害の概況」で、その後に各項目が続きます。最初に「死傷者及び建築物の被害」の報告があり、数項目後に「新型爆弾に依る被害状況」とあります。「新型爆弾に依る被害状況」が記載されたページには、広島の被害状況が次のように書かれています。「廣島市 死者 約七万名 負傷者 約十三万名 家屋 全焼全壊 約六万二千戸 家屋半焼半壊 約一万個 罹災者 約十万人(死傷者を含まず)」 もちろんその後に長崎市も同様の記載があります。このブログでも「原爆被害」について何度か触れてきましたので、この内務省報告を興味深く読みました。死者約七万人となっています。こんな報告があったのです。

大事なことはこの報告がいつの時点に作成されたのかです。この本の最後の方に「帝國議会における東久邇首相宮殿下の御演説」という項目がありましたので、そこを読むと、その冒頭部分に「ここに第八十八回帝国議会に臨み、諸君に相見え、今次終戦に至る経緯の概要を述べ、現下困難に処する・・・」とありますので、本の副題の「議会への報告書」とある「議会」が第八十八回帝国議会だということが分かります。では「第八十八回帝国議会」は、いつ開かれたのかです。調べるとこの議会は、臨時国会として1945年(昭和20年)9月4日から9月5日までの二日間開会されていることが分かります。

そうなると、報告書はそれ以前にまとめられたことになります。開会日である9月4日は原爆投下から一カ月もたっていません。終戦の日といわれる8月15日からだと20日もたっていないにもかかわらず、これだけの数字がまとめられていることにちょっとびっくりします。

この資料を見ながら考えることは、もし政府が本気で原爆被害実態を調査し続けておれば、もっと正確に原爆被害の実相を今に残すことができたのではないかということです。

「一般空襲被害の概要」の項では、「目下調査中に属する府県もあるも」としながらも「死者241,309名」と一ケタの数字まで明記して報告しています。府県別の数字も非常に具体的です。政府がやろうと思えば、実態に近い被害状況を明らかにすることがこれでわかります。この報告書が出された時には、一般市民の被害もきちんと調べようという視点があったということが想像できます。

この本には、まだ興味深いことがたくさん記載されていますので、次の機会にでいれば紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2019年11月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その6)

HVPF第14次ベトナム平和友好訪問

 10月27日(日)から11月2日(土)までベトナムを訪問してきました。その報告を含めながら前回からの続きを進めたいと思います。

 石井卓雄陸軍少佐の石碑

前号の「仏領インドシナ侵攻と廣島」で、1945年8月の敗戦後もベトナムに残り、ベトナムの抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)に加わった日本兵のことを書きました。そして、その中でベトナム軍の軍事顧問を務めるなど重要な役割を果たし、フランス軍との交戦で戦死した福山市出身の石井卓雄陸軍少佐について紹介しました。

その石井少佐の「石碑」がホーチミン市にあったと伝えられており、「10月に予定しているベトナム訪問時に、同じ福山市出身の河上淳一・在ホーチミン日本国総領事にお尋ねしてくる」と、皆さんに約束しました。

まず、最初にその結果を報告します。

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福山市出身の河上淳一・在ホーチミン日本国総領事(外務省Hpより)

実は31日の早朝、フエからホーチミンに向かう飛行機が台風の余波の影響で10時間余り遅れ、その日のホーチミンでのスケジュールすべてキャンセルせざるを得なく、総領事館を訪ね河上総領事にお会いすることができませんでした。

しかし、訪問前にメールで相談していましたので、返信をいただいていました。その内容を紹介します。

「お返事が遅れて申し訳ありませんでした。石井少佐の石碑の件については、報道等によれば,1969年に謝恩碑がサイゴンに建てられ、その翌年(1970年)に日本に移設されたようですが、そのわずか約1年間にサイゴンのどこにあったかは、調べてみましたが,当地では特に記録もなく、残念ながら手掛かりとなるようなものはありません。現在、陸上自衛隊第14旅団本部に残っているはずの現物の石碑の移送記録が同本部にでもあれば、何かの手掛かりが判るかもしれませんね。」というものです。

「石碑」のあった場所が分からなかったこともさることながら、お忙しい時間を割き調べてくださった河上総領事に直接お礼が伝えられなかったことが残念です。今度は私が善通寺市の陸上自衛隊を訪ね調べてみようと思っています。

意外と知られていない抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)

日本兵が加わった抗仏戦争は、1945年9月2日にハノイでホーチミンが発した「独立宣言」によって建国されたベトナム民主共和国とフランスとの戦いです。1945年9月のサイゴン侵攻から1954年11月のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗退するまでの9年余り戦われました。

これまでも幾度も訪れたことのあるホーチミン市にある「戦争証跡博物館」では、いつになく抗仏戦争のコーナーに時間をかけていました。1968年のカリー米軍中尉が指揮した「ソンミ村虐殺事件」は記憶にありましたが、1947年11月29日にベトナム中北部のクアンナム省ミーチャック村で起きた「ミーチャック村虐殺事件」は知りませんでした。初めて入館した訪問団員が「ベトナムの戦争といえばアメリカとの戦争とばかり思っていた。」と漏らすほど、私たちは抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)のことを知らないことに気づかされました。

ベトナムの人々は、1862年にサイゴン(現ホーチミン)をフランス軍に占領されて以来、日本軍、再びフランス軍、そしてアメリカ軍との間で110年余りも民族独立と解放のために戦ってきました。

「平和の節目」となる年、2020年

ファン・ボイ・チャウのトンズー(東遊)運動、ホーチミンの抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)とベトナム解放闘争(第二次インドシナ戦争)、その長い戦いが終結したのが1975年4月30日です。

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今回、初めてフエにあるファン・ボイ・チャウの墓に参拝し、チヤウを支援した医師、浅羽佐喜太郎の出身地静岡県袋井市の人たちが建立した「日越友好の碑」を訪れ、ベトナムの人々の長き苦難の道のりと日本人との関わりに思いを馳せました

来年はその「ベトナム戦争終結(南部解放)45周年」を迎え、ヒロシマは「被爆75周年」を迎えます。

この「平和の節目」となる年、私が専務理事を務める一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会(HVPF)は、記念事業を計画していますが、それはまたの機会に紹介させていただきます。

 いまに生きる「ベトナム建国の心」

1945年9月2日にホーチミンがハノイで発した「独立宣言」を少し長いですが、冒頭部分と幾つかのセンテンス、結語部分を紹介します。

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ベトナム独立記念式

「全国の同胞たちよ、全ての人はみな、平等な権利を持って生まれています。創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権、自由権、幸福追求権があります。この不滅の文言は、アメリカの1766年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族も生存権、幸福権、自由権を持つということを意味しています。」

「それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由・平等・博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。・・・・1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本のファシストがインドシナを侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本に私たちの国を明け渡しました。そのときから、私たち民族はフランスと日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから、私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞が餓死しました。」

「日本が連合国に降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。・・・・私たち新ベトナム国の臨時政府は、ベトナム全国民を代表して、フランスとの関係を離脱し、フランスが署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。」

「この80年以上にわたりフランスの奴隷であることに勇敢に対抗しました。数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。私たちは自由を得なければなりません! 民族の独立を得なければなりません!これらの理由から、私たちベトナム民主共和国の臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。ベトナム国は自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を維持するために、精神、軍隊、生命、そして財産のすべてを持つ権利があります。」(1945年9月2日)

(2019年11月4日、あかたつ)

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