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経済・政治・国際

2020年4月 4日 (土)

4月の3の日行動

ヒロシマ総がかり行動実行委員会は、昨晩午後5時30分から1時間本通電停前で、定例の「3の日行動」を展開しました。

新型コロナウイルスの汚染が拡大する中での街宣でしたので、多くはそのテーマに沿いながらのアピールとなりました。

藤元さんの司会で始まった「3の日行動」は、先月と同じように歌声9条の会のみなさんによる歌声のアピールでスタート。予定していた弁士が次々とマイクを握ります。最初は、「全般的の情勢について」川后和幸共同代表が訴え、続いて「特措法による緊急事態宣言の危険性」を同じく共同代表の山田延廣弁護士が、スピーチ。

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次は新型コロナウイルス感染拡大である意味では最も大きな影響を受けている「非正規労働者の苦境」をスクラムユニオン・ひろしまの土屋みどり書記長の自らが行っている相談活動を通じてつかんだ状況についての報告。「働く仲間の訴えは深刻で、大勢が苦しい立場に立たされています。3月21日22日と労働相談ホットラインを解説。一つの具体例です。『アイトラベル』、運転手など計30人が働いていました。2月からキャンセルが相次いだにもかかわらず、助成金が受けられず3月10日に倒産し7人が相談に。国の立て替え払い制度への申請、失業給付の申請などの手続きなどで解雇予告手当の8割給付や2~3か月の給料支払いを実現。しかし、再就職は厳しい。次に子どもを抱えた夫婦の相談。会社が補助助成制度の手続きを知らず、対策が遅れたが何とか問題を解決。」さらにフィリピンからの技能実習生の帰国問題を紹介。「何とか解決できたが、手続きが複雑すぎる」ことなど指摘しました。

土屋さんの後は、「イベント自粛の影響」についてシネマキャラバンの友川さんの報告。直前になって参加できずメッセージによるアピール。さらに「河井疑惑」「沖縄辺野古問題」を訴えて今月の行動を終了しました。

街宣の途中、立ち止まって耳を傾ける女性に声をかけました。「マスク2枚配布、笑ってしまいますよね。学校休みの子どものことを考えると、これからどうなるのか不安が広がります。先が見えない問題ですが、いま困っている人のことを考えた政策を具体的に示してほしいと思います。」本当にその通りです。

昨日メールで先月19日に行われた府中市の「19日行動」の写真が届きましたので、このブログにも掲載します。

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私の友人の顔がたくさん見えますので、うれしい気持ちです。

自粛ムードが広がる中での街宣でしたが、外での活動ですので訴える中味を工夫しながらも続けていきたいと思います。ただ、5月3日に予定していた屋内での「平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会」は中止し、街宣活動を行うことになりました。

いのちとうとし

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2020年4月 2日 (木)

ドイツの新型コロナウイルス事情・・・現地からの便り

世界の新型コロナウイルスの感染者数や死亡者数を見ていると、ヨーロッパの中では、ドイツ国内の死亡者数が他の国と比べて少ない状況となっています。どんな理由があるのだろうかとドイツ在住の友人にメールで尋ねたところ、昨日、以下の情報が送られてきました。せっかくの現地からの報告ですので、時候のあいさつを除いて原文のまま紹介します。


〈前略〉

ドイツで死亡者が少ないのは、早い段階からPCR検査をしっかりやってきたからです。これは、ドイツの一番の専門家が断言しています。現在、週間50万件の検査ができます。それでも、症状のはじまった人が中心で、幅広く検査ができている状態ではありません。

それから、集中治療室のベッド数も人口10万人当たりにするとかなり多いですね。人工呼吸器も他国に比べると整備されています。さらにその容量を増やすために、病院内で仮設の集中治療室を増やしました。緊急でない手術も延期させています。

それで今、新型コロナ用に集中治療室で3万ベッド用意してあります。これも飛び抜けていると思います。まだ半分も使っていないようですが、今後さらに感染者が増えることを想定して早めに準備してきました。

それから、軽症者のために見本市会場などに仮設病院を設置しはじめています。定年退職したり、他の職業に映った医師や看護師を募集するほか、医大生なども、こうした仮設病院に配置できるように準備しています。

ただ感染が確認されても、すでに症状が出ていないかぎりは、自宅隔離が原則です。

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人口10万人当たりの医師数、看護師数(介護も含む)を見ると、日本が今たいへんなことになっているイタリア、スペイン、フランスなど比べても低いようなので、その点も心配です。

日本は検査容量が少なすぎるし、検査をしなさすぎています。ドイツは、検査結果もだいたい翌日でます。それとドイツでは、検査はすべて健康保険が負担してくれるので、個人負担がありません。日本は、健康保険があっても個人負担ありますよね。

なので、日本は感染していても把握されていない感染者がたくさんいると想定しています。それに、通勤ラッシュがひどいですから、学校を休校させ、イベントを中止させただけでは、頭隠して尻隠さずという感じですね。それに日本では、多少病気でも無理して仕事に行く人も多いですね。そういう人たちも感染を拡大させてきたはずです。

米国のJohns Hopkins大学の統計を見ると、日本と香港だけが、感染者の上昇カーブが緩いのがとても気になります。その他の国はだいたい上昇カーブがよく似ているのですけどね。

それがなぜなのかですね。それと、五輪延期決定後に感染者が増えているのも臭いですよね。

日本のドイツ大使館は24日に、日本で暮らすドイツ人に対して日本の感染情報は当てにならないので注意するようにとのメールを出しています。

米国の状況を見ればわかるように、検査の手遅れが致命傷になる可能性が大きいので、今後の日本の状況がとても気になります。

ドイツは、来月20日まで外出自粛、休校、お店の閉鎖が続きます。外出は、食料品の買い物、治療、薬の調達、銀行、郵便局などに制限されています。仕事はホームオフィスをベースにして、それができない人は通勤してもいいことになっています。

それから、散歩とジョギングも可能です。でも家族以外と一緒のときは、自分も含めて二人までに制限されるほか、1.5メートルの間隔をとって歩かなければなりません。この1.5メートルの間隔は、感染防止にとても大切だとされています。

ですから、スーパーの店内、国会内、車内、駅構内、テレビのスタジオ内などすべてにおいて、この間隔を守ります。ですから、スーパーでは入場制限していますし、スーパーの前、レジの前で並ぶ時も1.5メートル離れて待ちます。

国会審議、閣議などでも、1.5メートル離れて座っています。飛行機もようやくそうなりました。国会はですから、決議する時は4分の一賛成で通過する特別規定を設けています。でも財政出動などはもう全会一致でしたね。とても早いスピードで両院通過しました。今、与野党でやりあっている状態ではないという感じです。

もちろん、外出制限で民主主義は守られているのか、出口戦略はあるのかなど、いろいろ議論もあります。

同時に、若い人たちが高齢者の買い物をしてあげるなどのボランティア活動も活発になって、連帯、共生ということも社会に広まっています。

とにかく、たいへんな状況になりましたが、これからさらに途上国に広がるので、それがとても心配です。

お互い乗り切るしかないですね。ご自愛ください。


示唆に富んだ「ドイツの新型コロナウイルス事情」です。日本でもぜひ参考にして、対策を進めてほしいものです。

いのちとうとし

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2020年4月 1日 (水)

被爆者援護は裁判で勝ち取った ――それまでは、「受忍論」を盾に「放置」――

さて、これまでは、憲法には私たちの権利として明示されているにもかかわらず、その権利が実際には守られなかった顕著な実例をいくつか取り上げてきました。たとえば、禁止されているにもかかわらず「合憲」だとの最高裁判決がある「死刑」、そして当事者から何回にもわたって、裁判を通して問題提起された「婚外子」の権利です。普通に考えれば「違憲」以外の解釈はできないにもかかわらず、「婚外子」の差別には「合憲」判決が出され続けてきたのです。権利が剥奪されて来た人たちは、いわゆる「弱者」が多いのですが、今回は、その中でも、「被爆者」を取り上げたいと思います。

 《被爆者の人権は無視され続けてきた》

歴史を辿る情報は、時系列に従って出来事を記述するのが普通なのですが、ここでは、国の姿勢を一番明確に示している「受忍論」から始めましょう。1980年、当時の厚生大臣が、元東大総長である茅誠司、大河内一男両氏を含む7人の「知識人」に諮問した答申が出されました。7人からなる会は「原爆被爆者対策基本問題懇談会」と呼ばれますが、略して「基本懇」として知られています。

この基本懇の答申は、政府の公式文書ではありませんが、被爆者援護法やその運用の仕方について、ここで打ち出された「受忍論」が基本的な指針であると捉えた上で解釈すると、これが我が国の政府と国民との間の戦争についての基本的考え方を示しているものであることが良く分ります。その内容を私なりに要約しておきましょう。

戦争は国が始めるものだが、国を挙げての戦争の結果生じる犠牲は、「一般の犠牲」として、全ての国民が等しく受忍しなくてはならない。ただし放射能による被害は特別だからそれなりの配慮は必要である。しかし、一般戦災者とのバランスが大切だということも忘れてはならない。最後に、国には戦争に関連しての不法行為の責任や賠償責任はない。

つまり、国の戦争責任は認めず、戦争による犠牲について国としての賠償はしないのですから、被爆者の疾病や生活について親身になってケアをする気持のないことは勿論、国民の基本的人権という視点からの施策もなかったと言って良いでしょう。その権利を回復するための手段の一つが訴訟でした。その結果、被爆者の権利が認められるようになりました。中でも重要な三つのケースを掲げておきます。

 .石田訴訟(1973年5月17日—1976年7月27日)――原爆による白内障を認定疾病として認めるかどうかが争点で、原告は石田明氏、被告は国で、要医療性が争点になりました。判決は、認定疾病についての二つの要件のうち、起因性については問題がない。さらに、医療審議会の意見「薬物治療は効果がない」に対して、一部ではあるが進行防止の効果を有するとの見解もあるので、もう一つの要件である要治療性があると認めるべき、というものでした。

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被爆教師の会の創設者で、石田訴訟の原告である石田明氏

 .孫振斗訴訟 (1972年10月--1978年3月30日)――原爆医療法の恩恵に預かるための必要要件だった被爆者健康手帳を交付して貰いたいという目的で密入国した原告、孫振斗(ソン・ジンドウ)氏が国と福岡県を訴えました。争点は、密入国者にも被爆者健康手帳を交付すべきかどうかで、最高裁による判決は、「『原爆医療法』は、被爆による健康上の障害の特異性と重大性のゆえに、その救済について内外人を区別すべきではないとしたものにほかならず、同法が国家補償の趣旨をあわせもつもの」と解し、「被爆者の置かれている特別な健康状態に着目して、これを救済するという人道的目的の立法である」ことから、交付すべしという結論になったのです。

 .3号被爆者訴訟 (2005年9月29日--2009年3月25日)――市外で、被爆者を輸送・救護・看護・処理等をした人たちは「3号被爆者」として認定されるのですが、そのためには、輸送・救護・看護・処理等をした被爆者が10人以上という条件が付いていました。それに対して被爆者7名が、国と広島市を訴えていました。判決は、相応の時間とどまったという事実が認められれば、身体に放射線の影響を受けたことを否定できないという結論で、これら7名、そしてその他にも要件を満たした被爆者は3号被爆者として認められることになりました。

国の姿勢は被爆者を「個人として尊重」したり、生命・自由・幸福の追求のために「最大の尊重」をしているようには思えません。「受忍」して当然なのに、何故それ以上の要求をするのだ、とでも言える対応の仕方ではありませんか。日本人に対しての対応がそのレベルであれば、日本人以外の人たち、つまり外国人に対しては、特に大日本帝国が起こした戦争・事変その他の行為で被害を受けた人たちには、「受忍論」より過酷な基準での対応しかなされていないとしても不思議ではありません。次回は、この点を検証します。

[2020/4/1 イライザ]

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コメント

基本懇答申、期待していたからこそ、あの内容には脱力感だったことを思い出します。答申が出たのは80年12月ですから、今年は40年なのですね。「受忍論」とともに、「三つのほしょう」問題も改めて議論を交わしたいと思います。そして石田明さん、「被爆者運動の哲学」を教わりました。

木原省治様

コメント有り難う御座いました。何しろ、二人の東大元総長まで委員だったのですから、普通なら期待しない方が可笑しいですよね。でも、最近の東大出の高級官僚たちの言動を見ると、その原点が基本懇にあったのだと考えた方が良さそうですね。

それも、コロナ・ウイルスについての対応で、高級官僚たちのお粗末さが毎日伝わって来ていますので、多くの皆さんが目を覚ましてくれると良いのですが---。

 

 

2020年3月27日 (金)

広島県朝鮮人被爆者協議会会長李実根さんの訃報

広島県朝鮮人被爆者協議会会長として在日朝鮮人の権利確立と生活擁護のための活動を献身的に続けてこられた李実根さんが、一昨日の午後5時50分に逝去されました。

訃報の連絡を受け昨日午前、遺体が安置された玉泉院吉島にお別れに行ってきました。

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李さんとの思い出は、数え切れないほどありますが、私にとってどうしても忘れることができないのは、在朝被爆者問題を一緒にとりくんだことです。

1989年7月、被爆者の代表として石田明さんと共に、平壌で開催された「世界青年学生平和友好祭典」に「平和の灯」を持参して参加された李さんは、その祖国訪問期間中に共和国に10人の被爆者がいることを確認されました。その時以来、李さんにとっては、在日の被爆者問題と共に在朝被爆者支援が大きな活動の柱になりました。

そのための具体的な活動のスタートとなったのが、1992年の原水禁国民会議訪朝団の派遣でした。私も李さんと共に団員の一員として参加しました。その時、李さんが準備し持参されたのが、被爆者健康手帳申請用紙をもとにハングルに翻訳された調査用紙1万枚でした。訪問の最終日、交流の成果として、朝鮮民主委主義人民共和国(以下「共和国」という)の平和団体・朝鮮平和擁護民族委員会と原水禁国民会議は、共同コミュニケをまとめました。李さんの強い思いが実り、その第1に「日本政府が、帰国した朝鮮人被爆者に対しても、充分な補償をすることを強く要求する。その実現のため両組織は、最大限の努力を行う」と在朝被爆者問題に取り組む決意を宣言しました。

その訪問から約3年後の1995年2月に、共和国から嬉しい便りが届きました。共和国に被爆者組織「反核平和のための朝鮮被爆者協会」(後に「朝鮮被爆者協会」と改称)が発足したというニュースです。李さんの願いがひとつ実現しました。

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日朝被爆者交流を進めるヒロシマ訪朝団・左端が李実根さん

その報を受け、翌年の96年5月、広島からの「日朝被爆者交流を進めるヒロシマ訪朝団」を派遣し、在朝被爆者支援・交流のスタートを切りました。その成果は、97年9月には「朝鮮被爆者協会」の初来日、99年8月の平壌での「原爆写真展の開催」などなど、日朝間の交流が深まりとなって継続しました。

その両国の団体を繋ぐ役割を担ったのが、李実根さんでした。その李さんの助言を得ながら、私も事務局のメンバーとして深くかかわったことは、忘れることのできない思い出です。

もちろん2000年に入ってからも在朝被爆者の支援活動のための訪朝活動は続きました。

しかし、こうした李さんの努力にもかかわらず、在外被爆者問題が前進する中で、在朝被爆者は、被爆者援護法適用からも置き去りにされた状態が、今も続いています。

李さんにとって、在朝被爆者問題を前進させることができなかったことは、大きな心残りだったことだと想像できます。

今日の葬儀に参列して何よりも霊前に誓うべきは、「李実根さんの遺志を引き継ぎ、在朝被爆者問題の解決のために全力を尽くします」の一言だと思います。

李実根さん、盟友であった近藤幸四郎さん、石田明さん、そして宮崎安男さんたちと再び出会い、ゆっくりと思い出を語り合ってください。

合掌

いのちとうとし

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2020年3月22日 (日)

「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」

今日は、一昨日引用した「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が発刊した「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」を紹介したいと思います。

昨年12月に広島県が「被服支廠の1棟保存、2棟解体」の方針を明らかにして以来、陸軍被服支廠への関心が高まり、保存を求める声が大きくなりました。まさに時宜を得た発刊になりましたが、読んでみるとかなり以前から準備されていたことが分かります。

本は、同懇談会の中西巌代表の「はじめに」につづき「第1部 一人一人の『倉庫も記録』」で、「被爆証言」が載っています。峠三吉の「倉庫の記録」とともに、有名な「峠三吉日記」も8月4日から糸崎の日赤病院に入院する8月20日までの全文が掲載されています。この日記で峠三吉は、近所の河内さんの従妹を探して被服廠のコンクリート大倉庫(日記中の表現)にたどり着き、構内で見たすさまじい光景を8月8日の日記に詳しく書いています。「心を定めて収容所たる会場に足を踏み入れたる時の光景は終生忘れ得ず、また忘るべからざるものなりき」と。

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第2部は、「甦る旧広島陸軍被服支廠」です。一昨日広島第一県女とのかかわりとして少し紹介しましたが、被爆前の「被服支廠」の様子が詳しく掲載されています。その中には、建築家橋本秀夫さんが「被服支廠」についてまとめられた「建物詳細」「関連業者」などの貴重な資料が掲載されています。元となった「橋本秀夫の仕事ぶり : 建築家橋本秀夫遺稿集」が、市立図書館にあることが分かりました。しかし3月29日までサービスが休止され、予約以外の本は貸し出しができないということですので、すぐに貸し出しができません。とりあえず予約を入れておきまし。た。

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橋本秀夫さんが作図された被服支廠構内図

この第2部には、この他にも以前紹介した被爆者切明千枝子さんが、「自らが被服支廠内の保育所に通ったこと」など近所に住んでいて体験した思い出を克明につづっています。

昨年12月に広島県の方針が発表されて以降、様々な動きや声が上がりましたが、その中で「被爆の歴史」と共に、これまではあまり聞くことがなかった「加害の歴史」という言葉が、多くの人から指摘されるようになりました。この第2部は、「加害の歴史」を考えることになる構成となっています。

第3部は、資料編です。ここには、2013年12月に「旧被服支廠の保全を願う懇談会」発足に向けた初めての講演会が開催されて以降の取り組みや経過が「活動報告」として詳細に記載されています。同懇談会が早くから「被服支廠保存」のために活動されていたことが分かります。その他にも「被服支廠年表」や1992年以降の「旧被服支廠赤レンガ倉庫」を巡る広島市や広島県の動向もきちんとまとめられています。

この本には、古い写真(戦前という意味だけでなく、戦後の貴重なものも)が、ふんだんに使われていますので、それを見ることができるという意味でも貴重な資料です。

多くの人に読んでほしい本ですが、会員配布とのことですので、手に入れようと思えが、会員になる必要があります。

最後に「おわりにかえて 地味な建物だからこそ」を書かれた山野上純夫さんのことについてもう一度触れたいと思います。この文章の中では、山野上さんと被服支廠の関係について「昭和19年6月から20年1月までの半年間、旧制中学校の3年生だった私は、戦時下の通年動員として『広島陸軍被服支廠』の輸送班箱打勤務した」と赤レンガ倉庫で働いた時の様子を記載されています。「1月以降は?」と疑問が湧きます。その答えが、「ふるさと暦」に書かれています。その1月に「戦争に勝つためには科学教育の振興が必要」として全国の3つ(東京、金沢、広島)の高等師範学校付属中学校に特別科学許育研究学校(略称・科学学級)が新設され、山野上さんはその学級の一人に選ばれ、広島高等師範学校付属中学校(現在の広大跡にあった)に戻り、そこで被爆することになります。学業を放棄させられて動員作業に行くのも、学校に戻るのも「すべて戦争のため」に進められたことがわかります。

それが戦争だということを痛感させられます。

いのちとうとし

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2020年3月21日 (土)

弱者に冷たい日本の法律制度 ――弱者が裁判で問題提起するまでは「放置」――

《簡単にお浚い》

これまで、新憲法の制定時に、最高裁の判事も含めて、当時の日本政治の枢要な立場についていた人々が、仮に憲法の精神、特に基本的人権の大切さを血肉として身に付けていたら、つまり内面化していたら、死刑は違憲であり憲法遵守義務は法的義務だという判断をしたであろうと推測しました。これを短縮して、「国は憲法の価値観を内面化していなかった」と述べても良いように思います。

つまり、現実として憲法は内面化されてはいなかったのですから、基本的人権を中心とする憲法の精神に優先する何かが入り込む余地があったはずなのです。前号ではそれが「国体」であり、特に家族制度と仇討という柱に支えられていたのではないかという仮説を紹介しました。それに加えて、新憲法の神髄が、国ならびに日本のエスタブリッシュメントにとって、最優先されるべき信念体系ではなかったことを示す重要な事実があります。それを疑問の余地なく示すためには、当時の文書やその後の研究を調べる必要があるのですが、現在、私の置かれている環境では市民図書館やネット上のウイキペディアの類にしかアクセスできません。従って、詳細な検証は何方か志のある方にお願いしたいと思っているのですが、ここでは数例を元に、私の推論を示しておきます。

新憲法が効力を持つと、それまでは認められていなかった具体的権利が基本的人権として認められることになります。そして、それまで効力を持っていた法律の中でも憲法に則していないという理由で無効になる物が出てきて当然です。それは、98条が規定しています。再度条文を引用します。

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

誰が考えても違憲でしかない法律 (あるいはその一部) はあった訳ですから、その法律は無効になり改正されるか、廃止の後に新しい法律が作られるという手続きが必要だったはずです。その前段として、新憲法施行前の法律について、基本的にはどのように扱うのかという基本方針がなくてはなりません。それには次の二つの可能性があります。

    ① 既存の全ての法律は無効であると考え、合憲であることが確認された段階で効力が復活する。違憲の法律は改正、廃止等される。

  ② 既存の法律は、憲法制定時には有効であると考え、その後、違憲性が認められれば、その時点で失効する。

さて、ここで当時の為政者たちが基本的人権を我が国で最大限尊重するという憲法13条の規定に文字通り忠実だったと仮定すると、どのような行動を取ったのだろうか考えてみましょう。基本的には①を認めることになったでしょうが現実的には、合憲か違憲かを判断するにも時間が掛ります。しかし、違憲の法律をそのままにしておくのは、国民の基本的人権を蹂躙することですから、一日でも早く無効にし改正する手続きを取らなくてはならなかったでしょう。

となると、一定の期間を設けて、その間に全ての法律を検証して、基本的人権に抵触するようなものについては迅速に改正の手続きを取るという方針の下、法律の洗い直しと合憲化を図ったはずです。しかし、現実には「一定期間」は設けられず、積極的に基本的人権の回復を図る措置は取られなかったと考えざるを得ないのです。その対極とでも言える姿勢で、基本的人権の回復は、人権を蹂躙された社会的弱者に任され、裁判で訴えるだけの力のない場合には、違憲状態が放置されて来たとまで極言して良いように見えるのです。

そういわざるを得ない状況であったことを示すために、これまでに取り上げた死刑、そして婚外子の相続を再度、考えてみましょう。死刑が合憲かどうかは、新憲法に新たに追加された36条の「拷問と残虐な刑罰の禁止」と直接関わりがありますから、基本的人権を尊重する立場からは、旧刑法の死刑の項目を削除すべきかどうかを検証し、その理由を国民に分り易く説明する義務はあったはずです。

しかし、死刑の合憲性についての判断は、1946年に起きた殺人事件で死刑の宣告をされた被告が最高裁判所に上告することで手続きが始まり、1948年に下された判決で結論が出されています。時期的には微妙なのですが、死刑が宣告された背景には、被告が殺人罪だけでなく、後には違憲とされた尊属殺人罪でも立件されたという事実があります。殺人罪だけでは死刑に至らなかった可能性も考えると、死刑を宣告された弱い立場の人間による問題提起によってはじめて、その当否を検証することになっています。この後ろ向きの姿勢には疑問を感ぜざるを得ません。

それ以上に問題なのは婚外子の相続を規定した民法900条です。先月号でも指摘したように、親を選べない子どもの人権ですから、親の行動の結果責任を取らされる謂れはありません。にもかかわらず、この条文は生き残っただけではなく、弱い立場にある婚外子から何度か訴訟が提起されているにもかかわらず、最高裁は2013年以前には「合憲」の判断をしてきたのです。

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浅川澄一:福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)による、

2018年12月26日付ダイヤモンド・オンライン中の記事、

「「未婚ひとり親」差別発言は日本の少子化対策に逆行する」中のグラフ

新憲法制定当時、そしてその後の為政者たちが、基本的人権を国民が享受できるように最大限の努力をしていないことは明白だと思います。特に、ここに例示したように、弱い立場にある人たちの基本的人権を守るどころか、違反行為を放置していたのですから何をか況やです。

国はじめ、枢要の地位にある人々、エスタブリッシュメントが、弱者の権利を蔑ろにしてきた軌跡を辿る上で、「弱者」の中でも忘れてはいけない「被爆者」や「外国人」にも注目する必要があります。これら二つのグループへの国、その他の権力者の対応を見ることで、国と権力の特徴付けが可能になります。

[2020/3/21 イライザ]

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2020年3月18日 (水)

広島市議会予算特別委員会傍聴記-その3

昨日まで13日に開催された広島市議会予算特別委員会傍聴記を書いてきましたが、今日は、議会傍聴を通じて感じたことをまとめてみたいと思います。

わずか一日だけの傍聴ですので、多分に私の思い込みによる感想になると思いますが、気になったことを書いてみます。

第1は、議会の日程です。今回の定例議会は、2月14日に開会し、当初は3月26日まで開催されることになっていました。新型コロナウイルス対策ということで、3月20日に閉会するよう変更されました。私が、疑問に感ずるのは、予算特別委員会の日程短縮です。議会開会当初は、予算特別委員会は、議案(例えば、「文教」など)ごとに2日間が予定されていました。しかし、会期途中で1日に短縮されました。もちろん各会派の協議によって決められたことだとは思います。しかし、予算の審議は、議会の中でも一番重要な活動です。だからこそ、他の3回の会期(定例は年4回開会)に比べ、日程が長く設定されています。これで十分な審議時間が確保されるのかと疑問が湧きます。もう少し工夫はなかったのかと率直に感じます。

第2は、質問の中味です。質問の多くが「過去の実績(数字)を訊ねる」ものだったように感じました。聞いた限りでは、その多くは事前に担当に問い合わせればわかることです。短い持ち時間ですから、そこに時間を費やすことより、それに基づく、意見や提言を行って議論を深めてほしいと思います。

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第3は、もちろん質疑の中では議員からの貴重な提言もありました。しかし、その多くは、なぜか発言の最後に行わるため、言いっぱなしで終わることが多くありました。一番聞きたかったのは、この議員の提言や意見に対する市側の答弁です。ここが審議するポイントだと思ったのですが。

第4は、傍聴記その1でも書きましたが、議員からの質問に対する答弁のほとんどを課長が行っていました。その原因の一つに、第3で指摘したことと思いますが、予算には新規事業も含まれているのですから、基本的なこの事業の在り方、考え方が論議される必要があると思います。そういう討論にならば、部長以上が答弁する機会も増えるはずです。ちなみに、この日の審議では、市長の発言は1回だけでした。局長の発言も1回でした。

批判的な感想を述べてしまいましたが、もちろん画像を使うなど工夫した質疑も多くあったことも紹介しておきたいと思います。また、他の議会では新型コロナウイルス対策ということで、議会傍聴を中止したところもあるようですが、広島市議会は、希望すれば傍聴ができます。

議会の傍聴は誰でも、自由に(途中まででも、途中からでも)傍聴することができます。ネット中継もされていますので、そちらで見ることもできますが、一度現場で体験してみるとよいと思います。

いのちとうとし

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2020年3月17日 (火)

広島市議会予算特別委員会傍聴記-その2

午後1時、「経済観光環境」を議題とする予算特別委員会が再開されました。

午後の質疑者は、9人です。6番目に質問者席に座ったのが、西区選出の定野和広議員でした。定野議員の質問項目は3項目ありましたが、その3番目に「Park-PFI方式について」があります。定野議員の持ち時間は、全部で28分です。残り10分になったところで「Park-PFI方式について」の質問が始まりました。

「平和大通りは、東西の平和の軸と言われてきたのに、今度はにぎわいの軸と言われています。二つを重ねていくのはなかなか難しいのではないか」。本筋からの質問です。さらに「ここには、様々な慰霊碑があります。供木運動で寄せられた樹木があります。その隙間を縫ってどこに持っていくのか」。定野議員の指摘の中には、「被爆者の森」はありませんでしたが、重要な問題は提起されています。横道にそれますが、何人かの議員とこの問題を話したのですが、その時「碑」や「供木運動」という言葉はすぐに出るのですが、「被爆者の森」について触れられることは、ほとんどありませんでした。「被爆者の森」の存在があまり知られていないようですが、今回を機に「被爆者の森」が認知されればと思います。そして、例えば全国から訪れた修学旅行のコースに組み込まれ、ここに来ることによって「地元にも被爆者がいる」ことを知るようになれば、それこそ「広島平和回廊」を作ることになるのではないでしょうか。

定野議員の質問に戻ります。「北九州で起ったことですが、このPark-PFI方式で公園を造る際に、そこにあった森鴎外文学記念碑を撤去してカフェを作ってしまった例があります」と、自分が調べた事例を紹介しながら、具体的な質問に移りました。「具体的のどの場所を考えているのか」「上がった収益の使い道は?」「全国でこのような大通りで実施された例は?」などなど。そして最後に「平和大通りはとてもハードルが高い。場所としての意味や歴史をしっかりと踏まえたものにすべきだ」と指摘し、定野議員の質問は終わりました。短い時間でしたが、よく準備された質問だったと思います。

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平和大通りに建つ慰霊碑・県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼之碑

さて、これらの質問に対する広島市の答弁です。「まだ場所まで特定して考えているわけではありません。具体的なことは、これからです」「収益は、一部または全額、公園整備のために負担させます」「Park-PFI方式での公園整備は、35カ所ありますが、大通りでは名古屋があります」。定野議員が示した「『平和の軸』としての平和大通り」という考え方と「にぎわいづくりのための公園づくり」との関係性についての広島市の考え方は、昨日のブログでも指摘しましたが、「基本計画はこれから作成する」と答えるばかりで、何ら明確なものは示されませんでした。

しかし、この委員会で二人の議員から指摘があったことは、大きな意味があると思います。二人の質問では触れられなかったことですが、私が来年度予算を見て問題だと思っていることがあります。それは「基本計画の策定」の予算と共に「道路となっている緑地部分を都市公園として位置付けるための台帳作成費550万円」が計上されていることです。広島市が言うように「場所も決まっていない、基本計画そのものもどのようにして作るのか定かでない」段階で、しかも木山議員が指摘する「地元との話し合い、合意」を得ること、そして定野議員が指摘する「極めてハードルが高い」をクリアして計画を前に進めるためには、相当な時間と丁寧な合意づくりが必要になるはずです。にもかかわらず、「公園台帳づくり」まで予算化されるとはどういうことでしょうか。

この委員会の広島市の答弁を聞く限り、慎重を進めようとする姿勢を感ずることができませんでした。「にぎわいづくりありき」のように思えます。

1950年の広島平和都市建設構想試案では「平和大通りは、平和公園と共に『市民の平和を希求する心』を表すものとして広島市の平和都市建設の象徴として建設されたものである」としています。「市民の平和を希求する心」を表すために作られた平和大通りの歴史と価値をしっかりと考えて欲しいものです。

12日の予算特別委員会は、全ての質疑を終え、午後4時35分に終了しました。

当初はあまり期待しない傍聴でしたが、収穫を得ることのできた一日となりました。

最後に、傍聴を終えての感想を書こうと思ったのですが、長くなってしまいましたので、明日にします。

いのちとうとし

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2020年3月16日 (月)

広島市議会予算特別委員会傍聴記-その1

3月12日、広島市議会予算特別委員会を傍聴しました。この日の委員会議題は「経済観光環境」です。このブログに書いてきた「平和大通りのにぎわいづくり」に関する予算が、この日の議論の対象になっていました。

委員会開会は午前10時ですので、5分前に4階の全員協議会室を訪れました。予算当別委員会は、全議員が出席する委員会です。会議室前に到着し、傍聴の手続きをしようと思っていたら、議会事務局の方から声がかかりました。「新型コロナウイルス対策のこともあり、傍聴はできるだけ遠慮を願っているのですが」とのことです。「傍聴できないということではないですね」「そうです」「どうしても傍聴したいので手続きをさせてください」「わかりました。それでは申し訳ありませんが、熱を測らせてください」「どうぞ」ということで、赤外線センサーによる体温測定を受け、無事委員会室に入りました。傍聴者は、私以外にインターン研修者と思われる大学生1名だけでした。(午後からは、インターン研修者が4名に増えた)

受付で、今日の委員会の「発言通告者一覧表」が渡されました。それを見ると14名の質疑者のうち、私が関心持っている「Park-PFI制度を活用した平和大通りのにぎわいづくり」について発言を予定されている議員は、午前と午後のそれぞれ2名です。

2人の質疑を興味深く聴くことができました。

午前中の質疑者は、中区選出の木山徳和議員でした。木山議員が質問の最初の質したのは「100m道路、平和大通りの建設趣旨」です。日高経済観光局長の答弁にはちょっとびっくりです。正確ではありませんが「戦時中、防火帯を作るために家屋が撤去されました。戦後は、平和都市建設計画の一環として基幹道路庚午比治山線として整備されたものです」との答弁でした。「平和都市建設の一環」との言葉はありますが、これでは一般的な道路の説明にしかすぎず「平和大通りの持つ意味や歴史的な価値」については、全くと言ってよいほど触れられていません。突然の指名(だったように思われたが)だったとしても、あまりにもお粗末な答弁としか言いようがありません。この答弁も、木山議員は、局長の答弁を求めたにもかかわらず、最初の答弁に立とうとしたのは部長でしたが、たしなめられて局長の答弁になりました。 余談ですが、この日の委員会中、局長の発言があったのは、この一度だけでした。ぎいんからしてきされてが、と弁を求めたにもかかわらず、最初はこれもちょっとびっくりです。99%は、担当課長の答弁でしたので。

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1950(昭和25)年ころの平和大通り 撮影:佐々木雄一郎

木山議員の質問は続きました。平和大通りの緑地帯としての価値、それを認めてマンションや事務所を求める人たちがいることや歴史的価値などについて、見解か開陳されました。その中で、私が気づいていなかったことについての質問がありました。「平和大通りは、何十人、何百人の協力(立ち退き)を得てできた。それは、目標がはっきりしているから協力していただけた。こうした人にも理解が得られるように」ということです。そうです。立ち退きに反対する人たちに対して強制的に立ち退きが迫り、推進された事業であったことを忘れてはならないと思います。私もその当時のことを改めて調べてみたいと思います。

市側の答弁は当然のことですが「協力を得てできた歴史を踏まえて、理解を得て進めていきたい」というものです。本当にその姿勢があるのか見守りたいと思います。しかし、こうした基本的な考えが質されているにもかかわらず、ここでも担当課長の答弁だけでした。

木山議員の質問・意見の中には、「平和」を考える視点からのは発言は少なかったように思いますが、「地域住民の合意が大切だ」ということが繰り返し強調されました。今の広島市政に欠けている姿勢が指摘されたように感じました。

新型コロナウイルス対策でもう一つ紹介しておきたいことがあります。委員会が開会して1時間たった時、約4分間ぐらいですが、全ての窓とドアを開けて換気が行われてことです。午後の換気は3時の休憩(15分間)時に実施されました。

午前の委員会は、5人の質疑を終え、1時間の昼食休憩に入りました。午後の様子は、明日報告します。

いのちとうとし

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2020年3月13日 (金)

福島原発事故から9年―中国電力への申し入れ

東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の爆発・放射能放出事故が発生して9年目を迎えました。

広島では、翌年2012年から「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」を開催してきました。今年も、福島の被災者を招いての講演会や集会・デモを計画していましたが、いずれも新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、中止を余儀なくされました。

しかし、「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会実行委員会」は、中国電力への「島根原発再稼働及び上関原発建設中止」を求める要請書の提出を事故発生日の3月11日に、代表4名が参加し今年も実施しました。

20313  ただ、中国電力から事前に「新型コロナウイルスの影響もあり、要請書を受け取ることはできるが、時間をとっての話し合いは、現状では難しい」という連絡がありましたので、玄関フロア―での、代表者による「要請書提出」となりました。その際、中国電力に対し、「4月以降の早い時期に、きちんとした話し合いの場を持つこと」を強く申し入れました。以下、少し長い文章ですが要請書の全文を掲載します。


島根原発再稼働及び上関原発建設を中止し、原子力発電からの撤退を求めます

 日頃から、電力供給のためご尽力されていますことに敬意を表します。

東京電力福島第一原発事故が発生してから9年が経過しますが、同原発では、廃炉作業は全くめどが立っておらず、廃炉行程表も再三改定せざるを得ない状況から、如何に廃炉作業が困難であるかが明白になっています。汚染水対策も十分な効果をあげることができず、「ALPS処理汚染水」の環境放出や除染土の再利用を打ちだすなどにより、多くの国民の不満や不安を招いています。

このように、今なお漏れ続ける放射能も食い止めることができておらず、福島原発事故は、収束していないのが実態です。生活を奪われ、故郷を追われてしまった被災者は、福島県だけでも4万8千人を超える人々が、いまだ苦しい避難生活を余儀なくさせられています。事故処理に携わる多くの人々の過酷な被曝労働対策も喫緊の課題です。福島で起きている現実は、原発がいったん重大事故を起こせば、働く人や多くの住民を被曝の危険にさらすだけでなく、住家を奪い故郷を追われるという深刻な事態を招くことを明らかにしています。そしてこの9年間で改めて明らかになったことは、原発事故は一企業が責任を持って処理できるものでないことです。

先日の広島高裁による伊方原発3号機の運転差し止めの判決は、様々な角度からの知見に基づいた内容となっています。

今貴社に求められていることは、この「フクシマ」の実態をふまえ原子力発電から撤退することです。それにもかかわらず、貴社は島根原発2号機の再稼働に向けて4,000億円を超える莫大な費用をつぎ込み、同原発の再稼働をしようとしています。このことは、原発をなくし安心して暮らせることを切望する住民の願いを踏みにじるものであり、断じて容認することはできません。

原子力規制委員会も認めているように「原発に絶対の安全」はありません。事故を防ぐためには、原子力発電所を稼働させないこと以外にはありません。すべての原発が停止した状態においても、電力供給は十分にまかなえています。さらに貴社自身が、本年1月に発表した「グループ経営ビジョン 『エネルギアチェンジ2030』」の「中国地方の需給見通し」では、「人口減少や節電・省エネの進展等により、需要自体が今後減少していく見通しです。」とし、2016年度に作成した見通しを大幅に下方修正し、その後も需要は、右肩下がりで減少していくことを明らかにしています。こうした見通しに立てば、新規原発建設などあり得ません。

しかも上関原発計画は、計画が明らかになって以来38年の長きにわたり地域に混乱をもたらしてきました。福島原発事故を見れば一目瞭然のように、豊かな瀬戸内の海を放射能で汚染させるような愚かな選択をすべきではありません。恵みの海を守り続けてきた山口の人々に、貴社がやるべきことは上関原発建設を中止し、一日も早く安心できる暮らしを保障することです。

福島原発事故から9年。私たちは3月11日、被爆地ヒロシマにおいて「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」の実施に向けて準備をお行ってきましたが、新型コロナウィルスの影響で集会は中止しました。しかし、原発のない社会の実現をめざして取り組む決意に変わりはありません。それは「核と人類は共存できない」という放射能の恐ろしさを知るヒロシマの責務でもあります。

東京電力福島第原発事故が発生して9年目を迎える今日、集会企画者の総意として、貴社に次のことを要求します。

1.島根原発2号機の再稼働を断念するとともに、3号機を運転しないこと。

2.上関原発の建設計画を白紙撤回すること。

以上


いのちとうとし

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