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経済・政治・国際

2020年1月20日 (月)

朝鮮学校高校無償化裁判支援街宣と第5回へいわこども展

毎月19日の実施されている今年最初の「朝鮮学校無償化裁判」を支援する街頭行動が、昨日本通電停前で実施されました。昨日の行動は、日曜日ということで午前11時から正午までの1時間、マイクでの訴え、チラシの配布、署名活動などを行いました。

このブログでも政府が実施する「高校無償化支援制度」から朝鮮学校のみが除外されていることの問題点については、今回は触れませんが、昨日の行動の様子を簡単に紹介したいと思います。

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最も特徴的だったことは、参加者が多かったことです。卒業を前にした朝鮮高校の3年生、学園の先生方や関係者、子ども連れの保護者とともに、支援する日本側の参加者の姿を多くみることができました。総勢100人を超える行動になりました。

次は、ビラの受け取りです。最近、街頭行動で配布されるビラの受け取り手が非常に少なくなっているのを毎回感じていますが、今回は従来の行動になく、良く受け取っていただいたというのが実感です。全国男子駅伝もあったからでしょうか、午前中にもかかわらず、いつもの日曜日より通りを歩く人の姿が多かったように感じました。「朝鮮学校の高校無償化」問題を初めて耳にする人も多かったのではないでしょうか。ビラの受け取りが多かったのもそんなところにも理由がありそうです。

もう一つは、署名への協力者です。最終集約を聞いていませんので、何名の方が署名していただいたのか数は不明ですが、ここでもいつもより多いと感じました。中でも、中学生が何人も署名している姿が特徴的でした。

今後も、時には時間と場所(いつもは県庁と市役所前)を変えて、訴えることも必要のように思いました。

正午で街頭行動を終え、多くの人が昼食を摂った後、「へいわこども展」が開催されている旧日銀広島支店へと移動しました。

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今年で5回目となる「へいわこども展」は、15日から始まり、明日21日まで開催されています。午前10時から午後7時まで開催されていますので、ぜひ参加してください。

昨日は、午後1時半から朝鮮学校の生徒によるミニコンサートがありました。小学生による歌唱、民族楽器の演奏、中学生の民族舞踊が披露されました。短い時間の演技でしたが、一生懸命な姿と、練習を繰り返していることが実感でき、大きな拍手が起きたコンサートでした。

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会場は、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の子どもたちの作品が並べて展示されているのが特徴的です。そして広島のインターナショナルスクールや日本学校の高校生、中学生、小学生の絵も展示されています。入り口で手渡されたチラシの裏面に記載された「昨年の展覧会アンケート」の一文です。「どれもすぐれた作品で、見ていて心が動かされました。普段交流がないようでも、こうした作品展を通して心の交流ができることは、とても貴重で素晴らしいことだと思います。私たちがどこかでつながっている。その思いが強まりました。」(50代男性)

こうした地道な取り組み上げることが、朝鮮学校への理解を深めることにつながるように思います。

いのちとうとし

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2020年1月17日 (金)

原爆被爆二世国家賠償請求裁判第9回公判・傍聴記

裁判傍聴記が続きます。

今日は、一昨日(14日)広島地裁201号法廷で開かれた被爆二世裁判の第9回公判の報告です。

今回の公判は、原告側(被爆二世)が、昨年12月27日に提出した「原告ら準備書面6」の陳述と今後の公判の進め方などが審理されました。

準備書面6は、「原告ら被爆二世が置かれた状況等―原告ら被爆二世はどのような状況にあるか」について、概観的に主張したものです。その中心は、被告・国側が「放射線被害の遺伝的影響について明確な科学的根拠がない」としているのに対し、「もっと深刻な問題は、健康問題」で「様々な要因から自らの疾病が放射線被害の遺伝的影響と思わざるを得ない状況にある」とするとともに「親がガンにり患すれば、自分もガンが発症するのではないかとの不安を抱かざるを得ない」という現状を指摘しました。そして「被爆二世が健康不安を抱いている事実までも否定はしないだろう」と国に迫っています。

その主張の根拠の一つとして1968年に「原爆特別措置法」が制定された当時の厚生大臣の発言「原子爆弾の障害作用の影響を受けたものの中には、身体的、精神的、経済的あるいは社会的に劣っている者や、現に疾病に罹患しているため、・・・これら特別の状態に置かれている被爆者に対する施策としては、医療の給付などの健康面のみに着目した対策だけでは十分ではなく、これらの被爆者に対してその特別の需要を満たし、生活の安定を図る必要がある」を紹介し、被爆二世にも一般的にあてはまる問題だとしています。

その上で、現在実施されている「被爆二世健康診断」の問題点を指摘しています。

一つは、長く被爆二世が求めてきた「ガン検診」が含まれておらず、極めて不充分なものであること。二つ目に、「そのため独自で被爆二世対する施策を実施する自治体がある」ことを紹介しながら、「しかし、それらはごく少数の自治体にとどまっている」としながらも「自治体独自の施策を行っているのは、被爆二世の健康に対する不安を解消する」ために実施されているのであり、「法レベルで何らかの援護が必要だ」と結論付けています。

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審理終了後の報告会では、在間弁護士から「軍人軍属に対する戦傷病者遺族等援護法」から朝鮮半島や台湾出身者の徴兵、徴用者が「国籍条項」を理由に排除されている問題を取り組んだ裁判の状況が紹介されました。「結果としては、全ての裁判で敗訴していますが、自治体レベルで援助を行っていたことが力となり、国がその後特別措置を行い救済した歴史がる」というものです。そして「今回の準備書面には、こうした問題を提起する意義・意味がある」と強調されました。

原告団としては、3月末までに全原告一人ひとりの意見陳述書(自らの体験などの基づく主張)を提出することにしています。ここから、本格的な論戦がスタートすることになります。

次回公判は、4月21日の午後1時30分から開廷しますが、今回の公判の最後に裁判長が「弁論更新があります」と告げましたので、新たな裁判官体制になると思われます。予測では、これまで行政訴訟で「原告敗訴」の判決を出し続けた小西裁判長が交代すると思われます。

いのちとうとし

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2020年1月16日 (木)

「上関原発埋立免許取消訴訟」控訴審判決

昨日、広島高裁で上関町祝島島民が「上関原発埋立免許取消」求める訴訟の控訴審判決が出ました。判決は、山口地裁が示した「祝島の漁業者には、原告としての訴える利益(原告適格)を認めない」とする判決を支持し、「控訴を棄却する」という不当判決でした。まさに門前払いです。

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しかも、報告集会での本田弁護士の報告によれば、判決文はわずかに10ページ、実質的な内容はわずか5ページで、一審判決をすべて認めるという、「原告の訴えを無視した」と言わざるを得ない判決だということです。

判決は、漁業者が対象水面で漁業の営みは、単なる利益であって、「公有水面埋立法」に言う「権利」ではないというのです。さらに生活権、人格権についても、同じように「利益であって権利ではない」という言葉の遊びのような理由で、「原告の訴える権利」を否定してしまっています。

これだけでは少しは良心が痛むのか、原発の危険性にも触れ、「居住者が懸念を抱くのはもっともである」と言っていますが、本来裁判所が審理すべき「公有水面埋立の目的である原発建設」の是非については、全く踏み込んでいません。特に昨年7月に出された「県の延長許可」では、「原発の本体の着工時期の見通しがつくまでは埋め立て工事をしないこと」という、摩訶不思議な条件が付いての「延長許可」だったのですから、その妥当性を判断するのは裁判所の責務だったはずです。

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これでは、三審制をとる現在の司法制度が「本当に意味があるのか」と問われることになります。いま政治権力への忖度が働く時代になっていますが、生活のことをもっと考えるべき裁判所もそうなってしまったのかと思わざるを得ない判決です。

もう一つ言えることは、山口県が根拠としているのは「上関原発は、重要電源に指定されている」ということですが、そもそも今原発を取り巻く現状は、どうなっているのかです。福島原発事故以降、原発事故への不安は増大し、2011年以降8年経過しても4分の1しか再稼働(停止中を含む)できておらず、再稼働出来ない状況にある原発が多数残っています。もちろん私たちは、全ての原発の再稼働には絶対反対ですが。仮に原発再稼働の審査が進んだとしても、現実を直視すれば、新規の原発設置許可の審査など進められる状況にないことは、明らかなことです。

このことから考えても「山口県の延長許可」が、いかに不当なものかは明白です。

この不当判決に対し、法廷で判決を聞いた木原さんは、次のように述べています。

「漁業を生業(なりわい)としている人たちのことを、それは単に漁場から得ている『利益』であって『権利』ではない。そんな理屈が成り立つのか、そのことの怒りを感じた判決であった。こういうことを言う人は、魚を食べるなと叫びたい。

 上関原発の建設計画が浮上して今年は38年である。これまで『故郷を原発の街にしたくない。放射能の街にはさせない』という一心で頑張ってきた人の姿が何人も思い出された。38年の年月は多くの方を故人にした。

そして『私らが上関原発に反対することを一番分かってくれるのは、広島の人よねー』と言われたのを思い出した。原子爆弾を知っている人なら、という連帯の声であった。この期待に応えるのも私たちの役割りだ。」

報告会は、山戸貞夫さんたち原告団が、「この判決を認めることはできない」とし、「上告し、中電に異議ありの声を上げる決意です」と表明し、終わりました。

いのちとうとし

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2020年1月12日 (日)

2020の課題を考える

2020年を迎えました。

広島に住む者にとっては、なんといっても原爆投下から75年という大きな節目の年となります。そしてNPT(核拡散防止条約)が発効して50年、国連では4月から5月に掛けてこの条約の再検討会議が開催されることになっています。

5年ごとに開催される再検討会議ですが、5年前と大きく異なる日本の原発をめぐる状況は、日本の核燃料サイクルのカナメである高速増殖炉「もんじゅ」が廃炉となり、プルトニウムを所有することの根拠が無くなったことでしょう。

また1970年3月14日、大阪で開催された大阪万博開会式に関西電力美浜原発1号機から原発の電気が送られてきて、会場の電光掲示板には「本日、関西電力の美浜発電所から原子力の電気が万博会場に試送電されました」と「誇らしげ」に掲示されました。あれから50年という年でもあります。

そして17年7月に核兵器禁止条約が採択されて、最初のNPT再検討会議になります。核兵器禁止条約は、50か国が批准すれば90日後に発効するものです。12月31日現在、34か国が批准という状況になっています。34番目の批准国はアンティグア・バーブーダというカリブ海に浮かぶ小国で、地図でも見えない国でした。「弱肉強食」の核拡散防止条約に対し、「共存共栄」の核兵器禁止条約、どう折り合うかも注目です。

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一方、被爆者手帳を持っている被爆者の数は、19年春の時点で15万人を切ったと報じられました。逆に原爆慰霊碑の死没者名簿に記されている被爆者は31万9千人を超えました。死没者名簿には「氏名不詳者多数」とだけ記された一冊の名簿もあります。時の流れとともに生存被爆者数が減り、死没者名簿に載せられる数が増えるのは当然な現象でしょう。11月24日に、ローマ教皇フランシスコが広島市にやって来て、素晴らしいメッセージを発しました。しかしヒロシマで活動している私にとっては、とても大きなプレッシャーと思われました。同じことを多くの人が感じていたようですが、「広島・長崎の体験が原点にある日本の平和運動」と思えば、そのプレッシャーはみんなで共有して欲しいものです。

視点を日本の特に中国地方の原子力発電をめぐる状況に目を向ければ、島根原発2号機が再稼働の前提となる「適合性審査合格」が予想されます。BWR(沸騰水型)原発で、東北電力の女川が先になるとは予想していませんでした。すでに審査合格はしているが再稼働が見通せない柏崎刈羽より、女川の方が見込みが大きいと思ったのでしょうか。原子力規制委員会も「次は島根だ!」という考えのようです。

審査に合格はしても、即それが実際の再稼働には『ならない』と思いますが、『ならない』ようにさせるのは、私たちの活動にかかると思います。それを事実で示すのは鳥取県境港市などで予定されている住民投票条例制定運動で、いかに多くの「条例制定賛成数」を出すかでしょう。

島根県と岡山・広島両県との間で締結している、県間防災協定の実効性の無さを明らかにすることも重要です。広島県内の自治体で避難所運営マニュアルを作成している数は、5市町です。広島県内で島根原発からの避難者を受け入れる自治体は22ですが、この数がすぐに増えるようには思えません。

そして東京五輪が終われば、次の「第6次エネルギー基本計画」の議論が開始されるでしょう。これまでのように原発比率20~22パーセントが継続されれば、中国電力にとっては上関から「引くに引けない状況」となると思います。

上関は建設計画が公になって38年となります。これまで国内で一番長く原発建設をさせないための運動が行われたのは、中部電力の芦浜計画の37年でした。こんなに長い間反対運動を続けなければならない状態にさせたのは、まさに大犯罪であり、特に自治体の責任は問われなければならないと思います。

 地球温暖化防止会議(COP25)で日本の不作為が世界中から指摘されましたが、「温室効果ガスを出さないために原発を」という宣伝が、業界や政府から強く展開されることが予想されます。

 そして4月からは発送電の分離も本格的にスタートします。余りに課題の多い2020です。

木原省治

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2020年1月11日 (土)

司法制度の基本矛盾

『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』は、憲法を素直に読む試みとその結果を記録したのですが、いくつもの大切な「発見」がありました。たとえば、死刑は違憲であることなのですが、その他にもこれまで定説・通説として受け入れられてきた事とは違う結論が浮び上ってきました。通説が正しいのか、私たち素人ではあっても憲法に関心のある市民が、素直にかつ論理的に読んだ結果の方が正しいのか、誰かに判定して欲しい気持になりますが、憲法81条によるとそれは最高裁判所の役割だということになります。

しかし、その最高裁は死刑を合憲だと言っています。となると、私たち市民の考え方は全く認められないのでしょうか。今回はその点から考えてみたいと思います。

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《「司法」についての基本矛盾》

普通に読むと、憲法は最高裁判所が誤った判決を出すことは想定していないように思えます。それは憲法の第81条があるからです。

     第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

死刑は合憲であると、昭和23年には最高裁が判決を下したのですから、その結論に対して裁判で争おうとしても、既に「終審」という決定的な限定の付いた場でその判断はされてしまっていますので、その結論を覆すことはできない、と考えるのが自然でしょう。

しかし、『数学書として憲法を読む』立場から考えてみましょう。一般的読み方とは違ったとしても、『数学書として憲法を読む』立場からは、憲法そのものの文言が、最高裁の判決以前の時点でハッキリ死刑を禁止していると読めるのです。ですから、それを誤って解釈している(と私たちには見えるのですが、)最高裁版所の判決は、それが「終審」であろうとなかろうと、間違っているのです。となると、憲法そのものが何を言っているのかという事実の方が最高裁判所の「解釈」より優先されて当然だという主張にも一理あると考えられます。そして、単に「一理ある」というレベルではなく、このことは、憲法そのものが保障しているのです。それは98条です。

      第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

明示的には表現されていませんが、最高裁判所の判決は「国事に関するその他の行為」に入らないとおかしい種類の行為ですので、98条の対象になります。仮に、ある法律や判断が憲法違反だとすると、98条によってそれは効力を持たないのです。

さてここからが問題です。元々は(私たちから見た場合に)違憲である法律や判断があったとすると、それは、98条によって本来、効力を持たないはずです。にもかかわらず、何らかの理由で最高裁判所がそれらは合憲だと判断してしまったとすると、それは、81条に従って、効力を持つことになってしまうのです。これは、大きな矛盾です。

その特別の場合としてもっと極端なケースを考えましょう。最高裁判所の判決そのものが憲法に反する場合です。しかし、それは最高裁判所の判決ですから、最高裁が終審裁判所であることから、「違憲である」という訴訟は起こせないか、起こしたとしても即刻、棄却されるであろう結末は見えています。となると、「違憲」である状態は続いてしまいます。このような81条と、98条との間の矛盾を「「司法」についての基本矛盾」と呼びたいと思います。

 

《「最高裁でも過ちを犯すことがある」と仮定》

「基本矛盾」を解消するための一つの方法は、「最高裁判所は決して過ちを犯さない」という仮定を設けることです。すると、81条の規定に従って最高裁が行う、違憲かどうかの最終判断は常に正しいのですから、それは自動的に98条の要請を満たしていることになります。つまり、矛盾は存在しなくなります。

しかし、現実問題として、人間が最高裁の判事を務めるのですから、慎重の上に慎重な審理を尽くしたとしても誤りを犯す可能性は存在します。さらに、政治的な問題については、最高裁が判断を下すことを避けてしまったケースも存在します。となると、大前提として「最高裁版所は過ちを犯さない」と仮定することには無理があります。つまり、「最高裁判所であっても過ちは犯すことがある」という前提で、「基本矛盾」を解消しなくてはなりません。

その前提の下に矛盾を解消するためには、憲法98条が81条より優先されると考える必要があります。「終審裁判所」であっても間違いを犯す可能性を認めるのですから、最高裁による「終審」としての判断にも98条を適用するということなのです。問題は、その判断が「違憲」であるということを誰が判断するのかという点です。

ここで、下級裁判所から問題提起を始めるという手続きを認めてしまうと、「終審」裁判所の意味がなくなる可能性が大きくなりますので、最高裁判決の誤りは、最高裁自身が認めるという手続きが合理的でしょう。「終審」の意味を拡張解釈して、十分な理由があれば、一度判決の出た事柄についても最高裁判所の段階で「自発的に」再審議ができるようなメカニズムを作ることです。

もう少し論理的に整理をすると、最高裁判所における「終審」とは、十分な理由があれば「終審」として終った裁判を「再開」できる制度にすることです。「十分な理由」の中に、事実確認についての重大な過誤があること、つまり「事実誤認」というケースは既に含まれています。それは、これまでの最高裁において実績があります。それに加えて、例えばある一定の期間が経過した後、事実誤認だけではなく憲法の解釈についても、見直しを行うような制度にできないものなのでしょうか。

この提案の詳細については、稿を改めて論じたいと思いますが、一つの問題は、これまでの最高裁、そしていわゆる「国」の対応を視野に入れると、「最高裁でも過ちを犯す」あるいは「国も過ちを犯す」という当たり前の前提が、控えめに言って、時には受け入れられていないように見えることです。次回以降、この点を考えて行きましょう。

[2020/1/11 イライザ]

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2020年1月10日 (金)

被爆の生き証人としてⅡ

 昨年12月4日、広島県は「旧広島陸軍被服支廠」について、所有する3棟のうち1棟の外観を保存、残りの2棟を解体する方針を明らかにしました。残りの1棟を所有する国も「解体を含めて検討中」との考え方を示しています。

その方針が発表されて以降、県民・市民が全棟保存を求め行動する新聞記事が連日掲載されています。ある集会で被服支廠の保存を願う中西巌さんは「被爆者が年々少なくなる中で、被爆の実相に触れられる被服支廠の価値は日増しに高まっている」、広島平和記念資料館の元館長の原田浩さんは「国や県は建物を残すか残さないかではなく、どう残していくのか考えてほしい」と話をされました。

そのような中、広島県は被服支廠の存廃を決定するにあたり、パブリックコメント(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/13/hihukusisyou.html)を12月17日から1月16日の期間で募集しています。財政の問題はたしかに大きなものですが、一度、壊してしまえば元には戻せないことも踏まえ、国・広島県・広島市が知恵を出し合い一体となって全棟保存をすすめるように皆さんの声を届けましょう。

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~ヒロシマを忘れた時、ヒロシマは繰り返される~

おきたか

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2020年1月 9日 (木)

広島県原水禁、広島県被団協が「旧広島陸軍被服支廠の全面保存」を県に要望

広島県原水禁の佐古正明代表委員、金子哲夫代表委員は、昨日(8日)広島県に対し下記の「『旧広島陸軍被服支廠」の全面保存を求める要望書』を提出しました。


「旧広島陸軍被服支廠」の全面保存を求める要望書

 (前略)

 私たちは、この貴重な被爆建物「旧広島陸軍被服支廠」は、他の被爆建物である旧日本銀行広島支店、広島文理科大学などとともに、世界遺産である「原爆ドーム」とともに、世界遺産登録されるべき、価値があると考えています。残念ながら、これまでに多くの被爆建物が解体されてしまいましたが、幸いなことにこれら被爆建物は、いずれも公的に保有されていますので、保存は充分に可能なことです。そしてそれは、保有する自治体の役割でもあると考えます。

 一度解体された被爆建築物は、再び甦ることはありません。3棟保存は、絶対に必要なことであり、決して失ってはならない、県民共有の財産です。

 貴職が、就任以来被爆県の知事として、「世界平和と核兵器廃絶」のために、とりわけ力を入れて取り組んでこられたことを私たちは、よく知っています。

 県民の多くが望む「保存」の声を受け止め、貴職の英断をもって「旧広島陸軍被服支廠」の全面保存の方針を決定されるよう強く要望します。

1、広島県が所有する旧広島陸軍被服支廠3棟については、遺産としての価値を過小評価せず、安全対策を講じた上で全面保存すること。あわせて、国が所有する1棟についても保存を働きかけること。

2、建築物の利活用といった狭い視点に留まらず、平和行政の観点から幅広く旧広島陸軍被服支廠の利活用策を早急に検討すること。

3、旧広島陸軍被服支廠は建築学的に極めて高い価値を有しており、その内容、規模を積極的に内外に発信すること。この建物が歩んできた歴史も併せて発信すること。


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これに対し広島県は、「現在、決まった話ではない」としながらも「被爆建物としての価値は重要であると認識している。しかし建設されてから107年が経過し、老朽化が進んでいるので、早く安全対策をする責務がある。利活用が十分されてこなかったこともあり、方針を示したということである。」とするとともに「予算を決めていくなかで決定することになる」との従来の考え方をしましました。

その後約1時間近くにわたり率直な意見交換をしましたが、残念ながら私たちが望む回答を得ることはできませんでした。最後に広島県原水禁として「昨年12月に県の方針が明らかになって以降、全棟保存を求める多数の意見が表明されている。県もパブリックコメントを求め、県民の声を聴こうとしている。県民の間で様々な論議が起こっている今、安全対策の重要性は認識するが、拙速に結論を出すのではなく、もう少し時間をかけて方針を決定する」ことを求めて、今回の申し入れを終えました。

なお、広島県被団協箕牧代表代行、前田事務局長が同席され、広島県被団協としての同趣旨の申し入れが行われました。

広島県は、16日までパブリックコメントを受け付けていますので、一人でも多くの人が意見を表明することが求められています。

明日のブログでも、そうした思いの一つを伝えることにしています。

いのちとうとし

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2020年1月 8日 (水)

2020年連合広島旗開き

昨晩午後5時からリーガロイヤルホテルで2020年連合広島新春旗開き・広島県労福協賀詞交歓会が、開催されました。

連合広島・労福協の役員及び加盟労働組合の役員など、来賓97人を含む約380名余りが参加し、2020年への誓いを新たにしました。

旗開きは、組合や政党などが、年初めに飾って新年の決意を表明する会合として、開催されてきました。もともとは、年末に納めた組合旗や党旗(旗納め)を開くことから、「旗開き」と呼ぶことになったのですが、最近では「旗納めを行った」ということを聞くことはほとんどないように思います。

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最初に主催者を代表して連合広島の久光博智会長、広島県労福協の伊丹幸男会長が、それぞれあいさつ。ここでは久光会長のあいさつを紹介します。

久光会長は「2020年のスタート。明るい未来を切り拓く一年にしたい。」と述べた後、昨年相次いだ自然災害の一日も早い復旧に触れながら、「人口減少、証拠高齢化が進み、一方で技術革新による大きな変化が起ころうとしている。社会の分断による不安が広がっているが、だれ一人取り残されない持続可能な社会をつくらなければならい」と訴え、さらに「頼りになる存在となるため、働く仲間の連帯・絆を固めて闘おう」と呼びかけました。

そして今年2020年の重点課題として次の3点を挙げました。

①2020年春季生活闘争では、将来不安を払しょくし、全ての働く者、特に中小やパート、非正規で働く仲間の底上げ図る。

②政治では、一強政治によるゆるみやたるみが渦巻く。これに対する政治不信を何とかしなければならない。そのためにも政治の流れを変えるために全力を挙げる。

③被爆75年、昨年はローマ教皇が広島を訪れ、核兵器廃絶に大きな力を与えた。しかし、今年に入り、中東での緊張が高まっている。核兵器廃絶1千万署名に全力で取り組むとともに、次世代への継承・強化に力を注ぎたい。

最後に、「地域で顔が見える運動を地域で展開しよう」と呼びかけて久光会長のあいさつは終わりました。この会長あいさつは、私が会場でメモったものに基づいていますので、正確に伝えるものではなりません、雰囲気を感じることができればと少し長くなりましたが紹介しました。文責は当然のことですが、すべて私にあります。

その後、来賓のあいさつ、勤労者福祉功労知事表彰を受けた二人への記念品贈呈が行われ、鏡開き、乾杯の後、懇談へと移り、最後に参加者全員による「三本締め」の中締めが行われ、閉会となりました。

私も、被爆者団体の代表のみなさんと共に広島県原水禁の代表として参加しました。他団体の旗開きとはいえ、決意を新たにした集いでした。

いのちとうとし

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2020年1月 7日 (火)

「大久野島の歴史展」に行きました

4日に開会した「大久野島の歴史展」、当日は準備を手伝っただけでしたので、昨日ようやく時間を取って会場を訪れることができました。

会場は、大久野島の歴史がきちんと整理されて、展示されています。

日露戦争時代の大久野島は、瀬戸内海の多くの島がそうであったように、砲台を備えた要塞が作られました。展示は、この解説から始まります。次に移動すると「大久野島毒ガス製造と被害」の様子が、写真パネルで示されています。

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大久野島の毒ガス製造工場は、1927年に建設工事が始まり、1929年5月19日に陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所として開設され、終戦の前年まで毒ガスを作り続けます。

1925年には、ジュネーブ議定書(正式名称「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」)作成され、29年には発効しています。この議定書は、「使用のみが禁止」され、開発・製造などが禁止されないという不十分さはあったものの、この時期に毒ガス工場が建設されたことに注目しなければなりません。

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展示は、「日本軍の毒ガス戦と加害」へと移ります。侵略していた中国大陸での毒ガス使用が告発されています。

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次に「大久野島の毒ガス戦後処理」が展示されています。海洋時、焼却、埋設の方法がとられました。現在でも、大久野島にあった防空壕には埋設されたままの状態です。次の項で触れますが、「化学兵器禁止条約」によって国外に持ち出した毒ガスについては、遺棄国である日本政府が処分する責任を負っていますが、国内に埋設されたものは、被害を及ぼす影響がない限り、処分しなくてもよいことになっています。大久野島に埋設された毒ガスは、そのままの状態が続くことになります。

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展示は、「日本軍遺棄毒ガスがどのように処理されているか」につづきます。

中国に遺棄された毒ガス兵器の問題解決については、1990年に中国から要請を受けましたが、それがようやく具体化したのは、1997年に化学兵器禁止条約が発効してからです。同条約によって「遺棄国」として「国外に遺棄した化学兵器の廃棄の責任」を負った日本政府が、1999年7月30日に中国政府との間で「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」に署名し、ようやく2000年から処理事業が開始されました。

内閣府のホームページによると2018年3月末現在で62,615個の毒ガスが発掘・回収され49,607発が廃棄処理されています。一説には、「日本国政府も、旧日本軍が中国国内に遺棄した毒ガス兵器等の数は約七〇万発と推定している(中国政府は、二〇〇万発と主張している。 )」とも言われていますので、廃棄処理がいつ終了するのは、見通せない状況です。

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この廃棄処理が続いている間にも、中国国内で遺棄毒ガス兵器による被害が発生していることも忘れてはなりません。

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会場中央には、毒ガス製造時に使われた器具や、様々な書籍資料も展示されています。そこで熱心に資料を読む二人組の女性がいましたので、声をかけると中国からの留学生でした。遼寧省出身の一人は、「中国でも少しは聞いていたが、こんなに詳しく知ったのは初めてです」と話していました。

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来場者の熱心に見入る姿が、目を引きます。写真は、6日(月)の午前11時ころの会場の様子です。私は参加できませんでしたが、5日に行われた毒ガス製造体験者の証言には、150名を超える参加者があったそうです。ぜひ読んでいただきたい本として、長く忠海病院の内科医とし毒ガス障害者治療に携わってこられた行武正刀先生編著「一人ひとりの大久野島 毒ガス島からの証言」(2012年刊)を紹介します。

このブログで全てを紹介することはできません。よく整理され、豊富な資料が展示されていますので、残りあと三日(9日正午まで)一人でも多くの人に見に来てほしいという思いを新たにした参観でした。

いのちとうとし

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2020年1月 6日 (月)

ヒロシマとベトナム(その8-2)

父を「恨んだ」おさない日々

敗戦とともに故郷に帰り、中国大陸からシベリアに抑留された兄(私の叔父)の帰郷までの4年余り農業に従事し、その後、赤木家に養子に入り姉(幼くして死亡)、私、妹をもうけました。その父が27歳(私が3歳)のとき「精神病」を患い7年間入院しました。3歳の記憶がどれほどのものか分かりませんが、畳をひっくり返し庭に投げ出している姿と、戸板(担架?)に乗せられ家を出てゆく姿をボンヤリと憶えています。

父が帰ってくるまでの7年間、母は女手一つで父の治療費を払いながら私と妹を育ててくれました。本当に苦しかったと思います。夕暮れ時、幼い私たち2人の手を引き出ようとする母の様子に、子どもながらも何とも言えない恐ろしい予感のようなものを感じながらも母に連れられ、どこをどう歩いたか覚えていませんが、いつの間にか家にたどり着いていたことが幾度かあったように記憶しています。

何事もなかったことが、今の私と妹の存在につながっています。その母は12年前に79歳で亡くなりましたが、私は今でも「母から二度、命をもらったと」思っています。

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幼い頃の私は、「こんな苦労をするのは父のせいだ」と思っていました。退院後の父は7年間を取り戻すかのように、農業の傍ら農閑期には岡山市内や神戸などへの出稼ぎを重ね必死に働いていました。それでも私は家出を繰り返すなど、父には馴染めないまま18歳まで過ごしました。

その私が少し変わり始めたのが1978年に津山電報電話局から己斐の茶臼山山頂にあった広島統制無線中継所に転勤し、全電通の運動を通して反戦平和、原水禁運動に関わりはじめてからです。戦争の要因や背景、人々の心を支配した軍国教育、軍都廣島の戦前戦中、阿鼻叫喚の被爆体験とその後の人生・・・など、被爆者の方々の話しを聞き、被爆の実相に触れる中で、父の病気を戦争や社会の問題として捉えるようになりました。

「戦後75周年」、あかたつの抱負

母から聞かされていた「(父が)夜中にうなされ、起き出して“トンツー”を打っていた」という話も、当時は気にもとめていませんでした。500キロ爆弾を抱えた足の鈍い特攻機には当初、直掩機が付き、護衛と戦果確認の役割を果たしていましたが、敗色が濃くなるにつて直掩機も付かず、多くの若者の命が無為に失われました。

そうした頃のトンツーの役割は「我レ、突入セリ」に続き、電鍵を押さえたまま敵艦に突入。「ツー」の音が消えた時が「突入」とされ、「大本営発表」の戦果が報じられていたと父から聞いたことがあります。しかし、その多くが撃墜され、また海中に墜落し途絶えた「ツー音」だったことは、いまでは誰もが知ることです。

100%生還できない特攻を「志願」させられ、奪われる自らの生命の存在を唯一伝えるトンツー。父は、トンツーが苦手だったのかもしれません。肉体も精神も厳しく過酷だった日々の記憶が父を蝕み、夜中にトンツーをうち、そして発症したのだとすると、父も戦争犠牲者です。

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その父はこの春、3月24日、故郷(岡山)の吉備高原にある施設で満92歳を迎えます。

大本営は「9機に1機の命中率」と冷徹に試算し、「大型艦に対しては致命的打撃威力を発揮できない」と特攻の戦果を査定していながら、なぜ、生還を許さない航空特攻で4,000人もの若い命を奪ったのか。なぜ人々は、これほど理不尽なことを許してしまったのか。

今年、ヒロシマは「被爆75周年」を迎えます。ベトナムは「南部解放45周年」を迎えます。あらためて、考え行動する年にしたいと思います。

(2020年1月4日、あかたつ)

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