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経済・政治・国際

2019年9月11日 (水)

自然災害の「ツケ」を払うのは? ――一番弱い立場の「労働者」に押し付けるな!――

十日に一度の投稿なのですが、今回も自然災害について、私たちがどう対応すべきかの問題提起です。台風15号でも亡くなった方、怪我をした方も多く、また雨と風による物的被害も大きかったことに、改めてショックを受けています。停電や断水等も大きな問題です。今回は西日本への被害はあまりなかったのですが、ほぼ毎日のように日本のどこかで、自然災害が起き、犠牲になっている人たちがいます。

日本全体という視野で物事を考える責任のある日本政府としては、全力を挙げてこの事態に対処すべきです。仮に「国を守る」という標語を使うのであれば、それは、これまで70年以上実害のなかった、外国による侵略からではなく、自然災害から国を守る、より正確には国民を守る、という方向転換をしなくてはならないことを明確に示しています。

役にも立たないイージス・アショアとか、オレプレイはすぐに注文をキャンセルして、自然災害対策のための予算に転換すること、自衛隊を災害対策専門の組織に改組することがそれこそ自然の流れなのですが、なかなか、その方向に舵が切れないようです。やはり世論を大きくすることが急務です。今以上に大きな声を上げましょう。

この私なりの「危機感」と、自然災害の度に不思議に思っていることとが重なりました。まずはこの行列の写真を御覧下さい。ネットからお借りしました。

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テレビでも何回も報じていましたので、どのくらい混雑していたのかは御存知だと思いますが、台風が千葉に上陸し、茨城、福島方面に抜けた、午前9時過ぎの津田沼駅です。

こんな思いをして、つまり何時間も立ったまま行列を作ってホームに入れるのを待った末に、満員電車に乗って会社に出勤、その上、「遅刻」は認められず、半日は休んだことにされ、上司や同僚からは嫌味を言われるなら、スッキリ休んだ方が良いのではないでしょうか。

でも、真面目に行列に並んでいる人たちの反応や、彼ら・彼女らを通して聞えてくる会社の声は、「出勤して当り前だ」、「会社には出て来い」、「電車の遅れることが分っているのならそれに対して事前に対応して会社に遅れないようにするのは個人の責任」「朝の混雑が予想されるのなら前の晩は会社の近くに泊れば良い。もちろん宿泊費は個人持ち」といったものでした。

そんな中、「今日は休んだ方が良い」という、社員にとっては有り難い通知を出した「模範企業」、という触れ込みでインタビューを受けていた会社がありました。でもその内容は、「今日は有給休暇を取って休んでも良いよ」という内容でした。

自然災害には人間のコントロールがほとんど及びません。交通機関が安全のために運休するのも当然です。そのために駅や電車が普段より混雑するのは、一定程度なら我慢できるでしょう。しかし、そのツケをすべて個人が払わされる今のシステムで良いのでしょうか。

何時間も行列を作らないと電車にも乗れない状態に耐えなくてはならないのは、単純に時間のロスだけを考えても避けるべきことだと思います。常識として、社員の一人から連絡が入り、「今津田沼駅で電車を待っているが、ホームに入るまでに2時間以上かかる見通し」と言われたら、会社側では、「御苦労様。今日は出社しなくて良い」と言えないものでしょうか。さらに大切なのはその次です。

「これは、災害による特別休暇だから、一切のペナルティーなしだよ。」と言えないものでしょうか。

私の知識の範囲で考えると、1990年頃から、(そして恐らくはもっと前からのはずですが)、労働者の権利が次々と剥奪されてきました。「ブラック企業」という言葉が作られて、深刻な労働者の権利の侵害がそんな言葉の陰に隠されるという、巧妙な世論調査が行われるようになる、はるか前から、労働組合叩きが始まり、スケープゴートにされ続け、気付いた時には、「就職」というのは、正社員になることではなく、パートか臨時、派遣といった形で細々と仕事を得るような状態になってしまいました。そして、賃金は安く、身分は不安定、労働条件は劣悪、老後の保障はなしとあっては、何百年も前の貧民と同じ条件で働いているとしか考えられないではありませんか。

それほど厳しい環境に置かれている皆さんに、「災害の時くらい、大きな声を上げましょう」というのも気が引けるのですが、我慢できるから我慢するのではなく、自然災害を最優先する国政実現のためにも、せめて災害時とその直後には、(パートも派遣も含めて) 「災害時くらい社員を大切にしろ、人間扱いしろ」という大合唱を起こせないものでしょうか。

[2019/9/11 イライザ]

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2019年9月10日 (火)

中国電力、会長経験者が相次いで逝去

今年に入って、中国電力の会長経験者が相次いで亡くなっています。3月13日には、5代目社長の多田公煕(ただ こうき)さん95歳。8月1日には、6代目社長の高須司登(たかす しとみ)さん87歳。そして8月11日は、副社長からいきなり会長になった福田督(ふくだ ただし)さん77歳です。

中電の場合、社長から会長になり、会長就任とともに中国経済連合会という中国地方経済団体の連合体の会長を兼任するというのが、(問題なく?)出世した役員の進む道で、その後は相談役や顧問という立場になります。社長を経ずして会長になるとか、社長から会長にならずに相談役に就くというのは、「良きにつけ?悪しきにつけ?」問題があって歩んだ道となります。

3人の死去のニュースを、地元の中国新聞は単に死去というだけでなく、関連記事を大きく載せていました。多田さんについては「優れたバランス感覚」、高須さんは「高い志 構想提言も次々」、福田さんは「緻密 アイデア豊富」と、その「功績」を称えました。

この3人が会長に就任していた時代は、1989年から2011年までで、忘れてはならない事件があります。それは岡山県新庄村(しんじょうそん)にある中電の土用ダムの「データねつ造&隠ぺい」事件です。

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土用ダム:岡山県新庄村ホームページより

事件は06年10月31日の朝日新聞に1面で大々的に報じられ、同様の事件が他の電力会社でも起こっていることが明らかになりました。他電力会社とは、東京、関西、北陸、東北、電源開発という具合です。中電のケースが特に悪いのは、内部告発情報をある人物から得た地元新聞社が、その情報を中電に連絡し、中電は自らが犯した「データねつ造&隠ぺい」はそっちのけで、執拗に告発者探しを行い、その取り調べのやり方は警察顔負けだったとされているのです。「公益通報者保護法」など、そんなもの知るものかというやり方で、「犯人」とされた人は、子会社に出向させられたということでした。

やり方が、「国(建設省:現・国土交通省)」と中電が、手を組んでやったということで、「森友・加計事件」顔負けという感じです。事件のことを知っている筈の中国新聞が、揃って3人の行いを称えるというのは、なんともいえないほどキモイ感じがしました。「死者に鞭打つ」ことはしたくありませんが、この事件を報じた週刊誌の見出しを紹介しておきたいと思います。大手の全国週刊誌は、「中国電力・欠陥ダムのデータ捏造&隠蔽事件。善意の通報者を危険にさらす、『企業』と『国』の疑惑のタッグ… スクープ 国土交通省は『内部告発者』をこうして裏切った!」でした。

地元を中心に発刊されている物は、これは連載記事となっていますが、ある号では、「燻り続けるお家騒動!!真実に蓋をした企業再生は名ばかりの〝高須チルドレン〟驚くべ虚飾体質!『中国電力・経営陣』の罪と罰」という具合です。

先月8月28日、中電は島根原発2号機で原子炉の水位が低下した場合、水位の低下を検知する測定器の反応時間について、誤入力があったと発表しました。

思い出すだけでも、中電の不正事件は後を絶ちません。明らかになっただけでも、最近では2015年6月25日に発覚した、島根原発の低レベル放射性廃棄物の水量計の校正記録不正事件。事件を中電が記者発表したのは6月30日、この年の株主総会は事件が発覚した同じ25日に開催されているのです。株主総会ではひた隠しにしていたのだと思います。事件では、解雇者が出ています。またこの事件からさかのぼること5年前の2010年、島根原発で機器点検・交換漏れ事件が発覚しました。この時では、担当部長さんが宿泊先の松江市内のホテル10階の窓から飛び降り自死しています。まだまだたくさん在るのですが、多すぎてこのブログの中に収まりそうにありません。

今、あえて言いたいのは、現役で働いている中電や関連会社の人に、こういう過去が在ったことを、忘れないで欲しいということです。

木原省治

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2019年9月 8日 (日)

9月7日が「沖縄戦」の終結日

昨日(9月7日)午後6時から市民交流プラザで、沖縄・辺野古に新基地をつくらさない広島実行委員会主催の「9・7 沖縄戦終結74年 ヒロシマ集会」が開催されました。

集会は、2018年に作成された映画「宮古島からのSOS」の上映と、南風原(はえばる)九条の会事務局長平田善之さん「辺野古新基地建設の現状報告」という内容で60人余りの参加者がありました。

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映画「宮古島からのSOS」は、「地元の反対の声にもかかわらず『当初防衛』の名の下で、自衛隊配備が強行されている宮古島」の様子とそれに立ち向かう宮古島島民の姿が描かれていました。平田さんは、「7月21日投開票の参院選でも再び『辺野古NO』の声が示されたにもかかわらず、現在も辺野古への新基地建設を強行する安倍政権に対し、抗議行動を展開し続ける沖縄の現状」について報告。両方の問題とも本土の住む私たちが、けっして無関心であってはならないことを、改めて認識させられる集会でした。

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今日は、集会のタイトルにある「沖縄戦終結74年」について、少し考えてみたいと思います。多くの人が、「沖縄戦が終わった日」と問われたら「6月23日」と答えるのではないでしょうか。確かに毎年6月23日には、沖縄では「慰霊の日」として、「沖縄戦全戦没者追悼式」が行われます。1945年6月23日は、日本軍のトップであった牛島指令官が自決をし、日本軍の組織的な戦闘行為が終わった日と言われています。ですから沖縄では、「6月23日」は1972年の本土復帰前も公休日とされ、復帰後は1974年に沖縄県が条例によって「慰霊の日」と定めて、今日に至っています。この沖縄県「慰霊の日」を定める条例では「 第一条 我が県が、第二次世界体制のおいて多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める」とその意義を定め、「 第二条 慰霊の日は、6月23日とする。」となっているだけで、「なぜ6月23日なのか」については条例には書き込まれていないようですが、沖縄の人たちにとっては、何の疑問もないところのようです。ただ調べてみると1961年に定められた時には、「6月22日」となっていたようですが、条例の改定に合わせた再調査によって「6月23日に牛島指令官は自決した」ことが判明し、1965年3月の改定で「6月23日」に改められてそうです。

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「6月23日の慰霊の日」の話が長くなりました。今日の主題は「沖縄戦終結日」のことです。先に沖縄では、「6月23日に組織的な戦闘行為が終わった」と書きましたが、実際はトップの自決も知らずに、6月23日以降にも多くの人が戦闘行動などで亡くなっています。久米島では8月にかけて、日本軍が住民を殺しています。米軍が「沖縄戦を終えた」と宣言したのは7月2日だそうですが、沖縄市のホームページには「宮古郡島や八重山郡島では8月15日まで戦闘状態が続いており」という記載もあります。しかし、9月2日に東京湾のミズリー号上で、日本が連合軍にたいして公式に降伏調印をしたことをうけて、ようやく沖縄でも9月7日に旧越来村森根(現沖縄市の嘉手納飛行場内)で「降伏調印式」が行われ、正式に「戦争が終結」したのです。ですから沖縄の「修正終結は9月7日」となっているのです。なぜ日本が降伏調印した9月2日が、沖縄の戦争終結日にならなかったのかと考えさせられます。ところで、9月2日という日は、全くといってよいほど忘れさられていますが、調べてみると沖縄市は、「1993年、全国で初めて市町村独自 の『平和の日』を条例で制定」し「条例制定により、『9月7日』を沖縄市民平和の日と定め、毎年9月7日に記念行事を実施」するとともに「8月1日~9月7日を平和月間と定め、市民団体や市民の方と連携し、様々な平和に関する企画を実施」しているとのことです。

沖縄戦の体験を継承し、日常的な平和へのこうした取り組みが、「辺野古基地建設反対運動」を支える柱にもなっているように感じます。

いのちとうとし

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2019年9月 5日 (木)

ヒロシマとベトナム(その4)

ベトナム200万人の餓死

先月、ベトナム人が親日的な一つの背景としてフランスからの独立運動を展開したファン・バオ・チャオの「トンズー運動」が、フランス政府と日本政府の弾圧によって危機に陥ったとき、日本人医師、浅羽佐喜太郎が支援したことを紹介しました。「トンズー運動」は失敗しますが民族独立運動の灯は消えず、1945年9月2日のホーチミンよる「独立宣言」につながります。

今回は、「トンズー運動」(1904年~1909年)以降、1945年9月2日の「独立宣言」までの日本の関わりを見たいと思います。

日本は朝鮮半島の植民地支配を始め、1931年の柳条湖事件に始まる満州事変から日中戦争へ、さらに太平洋戦争へと侵略戦争を拡大していきました。10年におよぶ日中戦争で泥沼にはまり、国際的な孤立とともに戦略物資や食料の欠乏をきたしていた日本は、表向き「ヨーロッパ列強からの解放」をうたう「大東亜共栄圏」を掲げ、ヨーロッパでのナチスの華々しい侵攻を好機とばかりに、石油や鉱物などの資源、米やトウモロコシなどの食料の確保を狙いフランス、イギリス、オランダなどの植民地に侵攻しました。

戦略物資を求めた日本軍侵攻

ベトナムへの侵攻は、1941年12月8日のハワイ真珠湾攻撃とイギリス領マレー半島攻撃が始まる一年余り前の1940年9月に北部のハノイ、翌年7月に南部のサイゴン(現在のホーチミン)に始まりました。

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日本軍によるベトナム支配は、日本が敗戦を迎える1945年8月15日まで続きました。この間に、200万人以上といわれる餓死者を出したことは、日本ではあまり知られていません。しかし、一方で「餓死者数が多すぎる」「政治的プロパガンダだ」、「原因は日本軍とは関係ない」「ベトナムは年中飢饉」などの異論・反論は意外と熱心に繰り返されています。

早乙女勝元さんの『ベトナム“200万人”餓死者の記録』(大月書店、1995年)を今回あらためて読み直しました。早乙女さんは、天候不順による凶作が続いたことも原因の一つだが、米の生産量が減ったにもかかわらず「強制買付量」は増え、食料米を補ってきたトウモロコシなどの雑穀も日本軍が買い占め、加えてジュート、チョマ、落花生、胡麻など繊維性・油性作物栽培の強要が飢饉を深刻にしたこと。また、連合軍の爆撃や戦闘で南部のメコン地帯から北部への輸送が途絶したことによる、と詳細なデータや証言を基に述べています。

今回、驚いたことは200万人の餓死者を出した1945年の上半期、ベトナムには餓死せずともすむ充分な米が日本軍の手にあったという事実です。下の表は、1941年度から1944年度までにインドシナ(ベトナム)から三井物産を通して日本に送られた米の量の統計です。日本からの「要求目標量」と輸送権を独占した三井物産の「買付実績量」、そして「日本に送られた量」を表しています。

 

1941年度

1942年度

1943年度

1944度

日本からの要求総量

700,000トン

1,074,000トン

1,125,904トン

900,000トン

三井物産の買取実績

585,000トン

973,908トン

1,023,471トン

498,525トン

日本に輸送された量

562,600トン

973,100トン

662,100トン

38,400トン

注目すべきは1944年度です。凶作で「買取実績」は目標の55%余りですが、制海権も制空権もなく輸送自体ができない状況のもと、日本に送られた量はその7.7%に過ぎません。すなわち、凶作で飢饉に苦しむベトナム人から「強制的に買い取った」米の92%余りは残っています。現地軍のための調達米は含まれていませんので、飢饉で餓死しているベトナムの人々の前に実に大量の米があったということです。なぜ? 米を配給(返す)しなかったのか! 問うだけ、むなしいのかも知れません。それが侵略であり、戦争なのだと思います。

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今回、読み直し、表にして見て、あらためて戦争の本質、事実に触れた気持ちです。

早乙女さんは第6章「誰に責任が?」の最後にこう書かれています。「これは南京大虐殺のように、日本軍が血まみれの日本刀を振りかざしての虐殺行為とは異なる。しかし南京大虐殺の数倍にもおよぶ間接的な恐怖地獄であり、そもそもの元をたどれば、タイルオン村で家族9人を餓死させたファン・スンさんが憤怒の声でまくし立てたように、「こっちが来てくれと言ったわけじゃないのに、向こうから勝手に押しかけてきた」という侵略に非があるのは誰の目にも明かである。日本人にとっては、忘れてはならない歴史の一ページであり、いつまでも心に刻まなければならないはずの重い負債である」と。

ヒロシマとベトナム、類似性と相違性

ヒロシマとベトナム、核兵器と化学兵器という大量無差別に殺傷し、後障害を含め幾世代にもわたって身体と心を蝕み、生命を奪い続けるという非人道的な兵器による戦争被害を受けました。そこに「核も化学兵器も、そして戦争もNO!」という共通の願い、友好と連帯の絆があります。

しかし、同時に私たち日本人は、ヒロシマは加害の日本であり廣島でもあったことを決して忘れてはならないと思います。栗原貞子さんの「ヒロシマというとき、ああ ヒロシマと やさしく返ってくるだろうか」という問い、「そのためには 捨てたはずの武器を 本当に捨てねばならない」との誓いを心に刻みながら、今年も10月の「第14次HVPF平和友好ベトナム訪問団」の準備を進めています。

2019年9月4日、あかたつ

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2019年9月 4日 (水)

「3の日」定例街宣―ヒロシマ総がかり行動実行委員会

「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、昨日本通電停・青山前で久しぶりの「3の日」定例街宣を行いました。

午後5時半からスタートした街宣では、最初に「歌声9条の会」のメンバーによる「青い空」の歌声。続いて、いつものように参加者によるリレートーク。今回は5人。間に何度か歌声のアピールが入りました。

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リレートークの中では、やはり久しぶりの参加となった総がかり行動実行委員会の共同代表の一人秋葉忠利さんの演説が圧巻でした。私のメモから少し紹介します。

秋葉さんは、最初にこのブログでも紹介した自著「数学書として憲法を読む」に触れながら、次のように訴えました。「憲法が蹂躙されている理由は、私たちがきちんと憲法を読んでいないことにあるのではないか。そんなことから、憲法を素直に読む。自己完結で読むことの大切さをこの本では紹介しています。例えば、9条の解釈。『自衛権がある』というけれど、憲法には『自衛権』など書いてない。憲法に書いてあることのみで、憲法を解釈することが大切。」と話しながら、「死刑」についても同じように「憲法には書かれていない」ことを紹介し、「そこから出発しよう」と呼びかけました。続いて憲法99条について言及。「第9条以外に大事なことは、99条に書かれている『公務員は、憲法を守らなければならない』ということ。しかし、政治の世界では、それが、『道徳的な要請にすぎない』ことなってしまっている。これでは、日本の政治は、良くなるわけがない。この考え方を変えることができるのは、私たち市民です。その権限が私たちにはあるが、それを行使していない」。ここから、市民の意識の変革を求める訴えへと転換。「市民が権利を行使していないことは、選挙での投票率を見ればわかること。50%を切るのだから」「年金問題での民間の世論調査によれば、50代の半数の人が、年金では生活できないと思っている。しかし、政治に対し声をあげていない。」と年金問題にも言及。そして「今様々な問題が世界で起きているが、それらの全ての原因は、格差の拡大にある。」と指摘し、その矛盾の先に「戦争」があることを紹介し、最後にこう訴えました。「自分たちの利害をもっと真剣に考えて欲しい。周りと一緒に声を上げて欲しい。そのことがなければもっと悪くなる。『そんなはずではなかった』といっても、遅い。生活の周りで起きていることをもう一度見つめなおして欲しい。間違った憲法解釈の中で政治が行われている限り、良いことが起こるはずがない」と改めて、憲法をきちんと読むことの大切さを訴え、秋葉さんの街宣は終わりました。久しぶりの3の日行動への参加、力強いメッセージでした。一生懸命メモを取ったつもりですが、秋葉さんの演説をすべて伝えることはできませんが、雰囲気だけでも感じてほしいなと思い、その演説の一部を紹介しました。

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秋葉忠利著「数学者として憲法を読む」を読めばもっと理解が深まると思います。一読してください。最後に、同じ共同代表の山田延廣弁護士のまとめの訴えで定例街宣を終了しました。参加者は、45人でした。みなさんご苦労様でした。

4年前「戦争法が参議院で強行採決された」今月19日に、もう一度同じ場所で、街宣行動が予定されています。ぜひ参加して自分の意思を表明してください。

いのちとうとし

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2019年9月 2日 (月)

高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑・碑前祭

昨日は、庄原市高野町の高暮ダムで「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑・碑前祭」が開催され、私も昨年に続き参加しました。

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日中戦争中1940年に始まった高暮ダム建設工事に朝鮮半島から労働者約2000人が、送り込まれ劣悪な条件で、労働が強制されていた事実は、1975年李実根朝鮮被爆者協会会長が中心となってこの地を訪れたことがきっかけとなり、多くの人たちの努力で明らかになりました。李さんたちの訪問が契機となって、地元に有志によって「県北の現代史を調べる会」が結成され、地道な調査活動によってその全体像が明らかになりました。

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そのことは、調べる会が1989年にその成果をまとめた小冊子「戦時下広島県高暮ダムにおける朝鮮人強制労働の記録」に詳細に記載されています。なかなか手に入りにくくなった本ですが、図書館には所蔵されていますので、是非一読して欲しいと思います。この冊子は、第1部では「高暮ダム」の歴史、第2部は「証言」という構成で102ページにわたっています。第2部の「証言」には、「調べる会」の皆さんの努力で明らかになった事実が次々と書かれていますが、特に地元高暮の人たちからの聞き取りが大きな力となっています。「はじめに」に書かれているように「この問題の当事者である朝鮮半島から直接高暮ダムへ連行された労働者にはとうとう出会うことができなかった」調査だったようですが、その実態を可能な限り明らかにしているもので、その努力には頭が下がる思いになります。

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その後、多くの人たちの努力によって、1995年7月に高暮ダム堰堤のすぐそばに「高暮ダム朝鮮人犠牲者 追悼碑」が建立されました。昨日の「碑前祭」には、当時寄付金集めに努力された関係者や高校生の後輩も出席し、当時の様子とその取り組みの意義が訴えられ、改めて参加者がこの日の持つ意味を再確認しました。

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「碑前祭」終了後、雨が降っていたため、会場を「ふるさと村高暮」に移し、「県北現代史を調べる会」の一員であった四車ユキコさんから、聞き取り調査で明らかになった当時の実態を聞き、その後焼き肉を食べながらの交流会がもたれ、朝日高校生たちの歌声などによりに親睦を深めました。

ところで、最初に「昨年に続き」と書きましたが、今年は少し様変わりをしていました。その一つが、集いの名称です。昨年までは、「ふるさと村高暮平和のつどい」として開催されていましたが、今年から先述の「碑前祭」とお替りました。その二は、昨年まで参加していた行政(庄原市)からの参加がなかったことです。この集いは、2000年に高暮小学校が廃校となり、その跡を利用して「ふるさと村高暮」が作られたことを機会に地元の自治会が中心となって「何かきちんとした行事を」ということで始まったそうです。といってもそのことを知ったのは今日が初めてですが。ところがさまざまな事情で、今年から名称の変更となり、行政からの参加もなくなったようです。今日の情勢を反映した結果ではないかと危惧せざるを得ません。もちろん、自治会としての取り組みではなくなったとはいえ、今年も地元有事の方々の大変な努力と献身的なお手伝いなしには、「碑前祭」が終了しなかったことは言うまでもありませんが、少し気になったところです。

いのととうとし

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2019年9月 1日 (日)

なんでわざわざ旭日旗? ――惻隠の情はどこへ行ったのでしょう?――

日本中どこで犠牲が発生するのか分らないような異常気象が続いています。北九州も大きな被害を受けています。中でも武雄市の被害の大きさが、連日報道されていました。消防、警察、自衛隊の皆さんの献身的な活躍に感謝しながら、一人でも多くの人が危険な状況から救われるよう祈っていました。

そんな中、映像的に余りにも目立つので違和感を持たざるを得ないことがありました。それは、「旭日旗」です。画像は、テレビ朝日のニュースと、西日本新聞からお借りしました。最初は、地元の消防の救助艇です。

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このボートがどこの所属なのかは、ボートの脇に書いた文字で分るようになっています。救助作業の邪魔になるようなものは一切、見当りません。

次に、海上自衛隊の救助ボートです。

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バカでかい旭日旗が目立ちます。そして率直な疑問です。

災害救助の際には、救助に直接必要な装置があることは当然なのですが、こんなに大きな旗は、救助の邪魔になっても救助作業の役には立たないことは明白です。遠くから旭日旗を見て「助けが来てくれた」という精神的な支えになるという言い訳が聞えてきますが、ボートの存在そのもので十分にその役割は果せているでしょう。

そして、日本の軍隊は伝統的に「武士」の集団であることを誇りにしてきました。その精神は「武士道」と呼ばれます。藤原正彦氏によれば、「武士道」精神の中で重要な柱の一つは「惻隠の情」です。

「惻隠の情」とは、他人を思いやる心という意味ですが、それも、「思いやってやったぜ」というように、自らの行為を誇示することとは反対に、謙虚にそしてしばしば表に出ないような形での心遣いを意味します。

しばしば引用されるエピソードですが、大東亜戦争中の1942年、イギリスの戦艦エグゼターとエンカウンターは、ジャワ近海で、日本帝国の艦艇に撃沈され、約450人の兵士が海の藻屑に消えようとしていました。たまたま近くを航行中の駆逐艦「雷」の艦長、工藤俊作中佐は、英国兵442人を救出しましたが、この美談は、後に助けられた将官の一人、サー・サムエル・ホールが1990年代後半、ロンドン・タイムズに投稿して公にするまでは知られていませんでした。工藤艦長は、あくまでも謙虚に行動し、自分が良い事をしたのだという自己PRをしなかったのです。

翻って、今回の旭日旗を見てみましょう。「助けてやったのは、俺達海上自衛隊だぞ」という自己宣伝の臭いがぶんぶんするではありませんか。「惻隠の情」はどこに行ったのでしょうか。そして、日本の軍隊が「武士道」精神による規律によって、美しい伝統を継承していると言われても、ちょっと違うのではないかと、という疑問を持ってしまうくらい「ハシタナイ」行為のように見えるのですが。

[201998/1 イライザ]

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2019年8月28日 (水)

生協虹のひろば

8月5日(月)日本生協連、広島県生協連主催の「2019ピースアクションinヒロシマ虹のひろば」が広島県立体育館(グリーンアリーナ)で行われました。各ブースでは平和のとりくみの展示、ステージでの催しなど全国の生協・諸団体からも参加があり、3時間半にわたり平和の活動のとりくみが紹介されました。

昨年は豪雨災害の影響もありましたが、今年は昨年より多くの参加者が全国から集まったように思います。今回のテーマは「ヒロシマの心を次世代のあなたへ~知って感じて動き出そう~」で、年々、被爆証言者の数が減り続ける中、深刻さを改めて認識しました。

そんな中、広島県内の高校生の活発なとりくみ報告には改めて驚かされました。基町高校創造表現コース美術部による原爆の絵は、2007年より継続して被爆証言を聞いて証言者の方と制作したものです。

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ステージでは、絵を描いた高校生それぞれの思いが紹介されました。

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展示会場前では来場者へ、被爆当時の状況や原爆の絵を制作する上で難しかったことなどを一生懸命丁寧に説明されていました。

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広島国際会議場では8月7日(水)から8月21日(水)まで9:00~18:00の時間帯で、高校生が描いたヒロシマ原爆の絵画展も開催されました。今年完成した11点とこれまでの37点が展示されました。

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福山工業高校のコーナーでは「VR爆心地」を紹介していました。被爆前後の街並みを復元した様子を体験できるコーナーで、多くの方が体験されていました。被爆前のモダンな建物や賑わいが、一瞬のうちに破壊された様子がとてもよくわかります。

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安田女子大学書道部による大書パフォーマンスは、とても迫力があり、多くの方が魅了されていました。平和の願いを込めた文字が並べられました。

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最後はわたしたちの展示ブースです。毎年広島平和教育研究所が制作している「ヒロシマ平和カレンダー」です。広島県では「文部省是正指導」以降、教室にこの平和カレンダーを掛けることが非常に困難となりました。今はほとんどが県外からの問い合わせ、または一般の平和活動に熱心な市民の方々です。

今年は本川小学校(当時本川国民学校)をテーマにしており、校内にある平和資料館を紹介しています。原子爆弾投下により、約400人の児童と10人の教職員が犠牲になりました。この平和資料館には被爆前後の学校や子どもたちの様子などの写真や、溶けたガラスなどが展示されています。学校という舞台が戦争、原爆により子どもたちの生活がどのように変わり、どのように復興していったのか、現代の子どもたちの心に響くものとなるよう工夫しました。核兵器廃絶と平和の大切さを考え、ヒロシマ・ナガサキを繰り返さないための教材として、学校や家庭、地域などで活用していただきたいといった主旨で制作しております。

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来年のテーマはまだ決まっておりませんが、今年のこのカレンダーはまだ在庫があります。学校に合わせて4月から来年3月までのカレンダーです。必要な方はぜひお問い合わせください。

一部 税込1,000円です。送料別途。

販売元 広島県教育用品㈱ TEL 082-262-5785

今年も被爆74年の夏が終わります。

以前2020年までに全世界から核兵器を廃絶するという目標がありました。その年が来年来ます。多くの国会議員は、市民を守る災害復旧に力を入れると言いますが、同じ市民を守ることに何の違いもない核兵器禁止条約への日本の賛同署名・批准はどうしてすんなり受け入れられないのでしょうか。当然のことですが、核兵器では市民は守れません。

(安佐南区の輝き)

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2019年8月25日 (日)

中国電力の新聞一面広告

8月17日の中国新聞に、一面全部を使った中国電力の広告が掲載されました。大タイトルは、「中国電力から、変わったお知らせです。」というものでした。中みだしの文章は、「電気の使われかたが、変わりました。」で、本文は「電気給湯器や太陽光発電の普及、省エネ意識の高まり。この約20年間で、電気の使われ方が大きく変わりました。そして、私たち中国電力も変わっていきます。電気だけでなく、みなさまの快適なくらしに役立つ新しいサービスをお届けします。」とあります。

そして1日の電気の使われ方の変化(1年間の平均)と書かれた、グラフが描かれています。そのグラフは、「2000年度実績」と書かれ青線で記された電気の需要変化と、「2018年実績」と書かれ赤線で記された需要の変化をひと目で解るようにしています。

「2000年の実績」では、一日の内、夜明け前の時刻に電気使用量は最低となり、夜明けとともにその使用量は上がり始め、お昼休み時刻と思われる12時から13時の間は少し減少し、午後の仕事開始とともに上がり夕方から深夜にかけて減少するという傾向でした。

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それが「2018年度実績」では、夜明け前もそれなりに電気が使用され、昼休みもそんなに減らずに、13時から17時頃までも大きくは上がらず、17時から20時くらいにかけて上昇していくという傾向にあります。

ひと言で表現すると、2000年頃は1日の電気使用量の変化が大きかったのですが、2018年は1日中の変化がほとんどなく、フラットになっているといえます。最大使用量の時間が変化することを、ピークシフトと呼びます。

電気の使用量というのは、1日の内でも春夏秋冬でも変化し、休日・夏場ではお盆休み中、冬場では正月中は大きく下がります。これまでは夏場の猛暑時に「エアコンを使って高校野球をテレビで観ている時間」が最高ということが、いわれていました。そして1年の内に最低になるのは、1月2日の朝方といわれましたが、それも変化してきたように思います。

まず、冬場の寒い時刻に大きく伸びてきました。一昨年の場合、猛暑の夏より多いという状況でした。その理由は、まずはエアコンで暖房をするのが増えたことや、夏場は日照時間が長い分、太陽光発電が働く時間も長くなったことで、中国電力からの電力量は減りました。

そして1月2日の朝方が減らなくなりました。多くの商店で、1月2日から営業しているのが増えたからでしょう。現在、1年の内で最低になるのは、4月末から5月始めの「ゴールデンウイーク」中です。今年の場合は無理やり「10連休」とされた職場がありましたから、この期間が最低を記録しています。暑くも寒くもない時期だからでしょう。

ちなみに、このブログの原稿を書いている今日、8月21日午前9時50分の使用電力量は900万キロワットとなっています。最大は14時~15時で予想最大電力量は935万キロワットを見込んでいます。

今年の場合、気温が35度を超えた猛暑日は1000万キロワットを超えた時もありましたが、今日の予想最高気温は32度、少し蒸し暑い感じですが温度が少し下がるだけで、電気の使用量は大きく下がるのです。そしてこの時刻の太陽光発電からの発電量は175万キロワット、約19パーセントが太陽光からで、もちろん原発からの電気はゼロです。

こういうことに関心のある方は、中国電力ホームページの「電気予報」をチェックしてみてください。

木原省治

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2019年8月24日 (土)

「米軍機による爆音被害をなくすことを求める請願」署名26,594筆を提出

昨日、「異議あり!『基地との共存』市民行動実行委員会」(実行委員長岡村寛)は、中四国防衛局を訪れ、防衛大臣に宛てた「米軍機による爆音被害をなくすことを求める請願」署名26,594筆を提出しました。この署名は、昨年米軍岩国基地へ艦載機が移転して以降騒音被害が拡大していることに対し、「爆音被害をなくすこと」を求めて、昨年7月1日をスタートに山口県、広島県を中心にして1年間とりくまれてきたものです。26,594筆のうち、約22,000筆が、山口、広島の両県で集まった署名、残りは全国各地から寄せられたものです。

署名簿の提出は、午後1時10分から予定されていましたが、出席予定の地方調整課基地対策室長(責任者でもある)が時間になっても現れず、開始が15分間も送れるという事態からスタートしました。遅れて現れた室長は、「出席する予定でなかったものですから」と発言。出席者の怒りを買いました。実行委員会は、集約を終えた7月初めから、この場を要望していたにもかかわらず、何やかやと理由を付けて、1か月半以上延び延びとなっていたのですから、当然のことです。秋田県でのイージスアショアの説明会での防衛省側の不誠実な対応が思い浮かびます。

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そうした経過もあり、当初報道官が署名簿を受け取る(私はその話が出た時強く抗議したら、慣例だからと強弁)と言っていたのですが、今回は基地対策室長が受け取ることとなりました。

提出した請願事項は、「①平穏な市民生活を脅かす爆音は、いかなる訓練によるものでも、いかなる時間帯であっても認められません。爆音被害軽減の実効ある措置を米国に求めること。②基地滑走路の運用時間(午前6時半から午後11時)外の戦闘機の離着陸は、平穏な市民生活を破壊するものであり絶対に認められません。滑走路の時間外運用は中止することを米国・米軍に求めること。③爆音被害の実態を把握するために、市民への聞き取り調査を実施、市街地に新たな爆音測定器の設置をすること。④これまで、移駐後の『騒音予測コンター』を示してきたが、艦載機部隊の運用が安定したら『騒音実態のコンター』を示すと説明してきたがどうなっているのか説明を求める。」の4項目です。

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これに対し、出席した担当者から説明が行われましたが、いずれも「市民の負担軽減に努力する」にとどまり、具体的に対策が示されず、全く納得できるものではありませんでした。その後の意見のやり取りではっきりしたのは、艦載機移転後、岩国市上空を頻繁に米軍機が飛行しているにも関わらず、その実態を中四国防衛局が全く把握していないという事実です。これでは話し合いになりませんので、私が「実態把握が違うのであれば、話し合いが進まない。先ほどの回答では触れていない③で要望している『市民への聞き取り調査』を実施し、その結果に基づいて同じ土俵で話し合いを続けなければ、あまりにも現状に対する認識が違いすぎる」と「市民への聞き取り調査の実施」を強く求めました。結果しぶしぶですが「検討させてほしい」との答えがありましたので、1か月後に「検討結果を回答する」ための場を改めて持つことを約束させ、話し合いは終了しました。もちろん参加者からは、この他にも岩国市で起きている様々な問題の現状が訴えられました。

中四国防衛局との話し合いには、何度も参加していますが、今回はびっくりするようなお粗末な中四国防衛局の対応でした。

いのちとうとし

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