「広島ブログ」

2021年1月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

経済・政治・国際

2021年1月17日 (日)

コロナ対策で重要な役割を担う保健所が半減していました

コロナ感染拡大の中で、重要な役割を果たしているのが各地の保健所です。

保健所の感染症を担当する部署からの情報をもとに都道府県は毎日「感染者数」を発表していますが、保健所への負担が集中する中で、人手不足もあり、「コールセンターの電話がつながらない」「検査が遅れる」など保健所に関わる問題を指摘する声があがっています。

コロナ禍で重要な役割を果たす保健所は、全国に何カ所あると思われますか。結論から言えば、2020年現在全国で469の保健所があります。保健所は、おおざっぱに言えば「保健所は住民が病気にならないよう予防や健康づくりを進める『予防・防波堤』の行政機関」ということです。

コロナ対策が進む中で、保健所の人員配置やシステムの問題などが指摘されていますが、私がここで問題提起したいことは、この保健所の数です。

日本の保健所は、1937年に制定された保健所法によって、最初は政府(当時の厚生省)の機関として全国に49か所設置されました。

戦後は、1947年9月5日に制定された「地域保健法」が根拠となって、保健所は地方自治体の機関として設置されています。その後少しずつ増えて続け、1992年には、全国で852保健所が設置されていました。この時が、最大数でした。

ところが、1994年に「地域保健法」が改正というか「改悪」され、その後、保健所は、どんどん減少していきました。

その推移が、下の表です。

 Img009_20210116150301

2020年4月現在では、469カ所に減少しています。最も多かった1992年と比べると減少数は、383保健所で減少率は45%にも達しています。ほぼ半減と言ってよいでしょう。その中でも特徴的なことは、そのうちの258か所が、90年代の8年間に減っていることです。減少数全体の67.4%という高い数字になっています。

1990年代初め始まったのが、「効率化」「無駄を省け」の大合唱による行政機構の縮小再編成、つまり行政改革です。まさに保健所の減少もこの行政改革の流れの中で進んだわけです。この時期の行政改革の先駆けは、80年代の中曽根行革ですが、90年代に入り大きな役割を果たした一人が、小沢一郎さんだったことを私は忘れることができません。

保健所は、上の表のように、設置者によって大別すると都道府県が設置するもの(約75%)と一定規模の市((1)政令市(2)中核市(3)政令で定める市(4)特別区)が設置するもの(約25%)に分かれています。

参考までに県内の保健所設置状況を紹介します。広島県は、保健所が4、支所が3となっています。最も多かった時には、12カ所ありました。広島市は、現在1保健所です。他の政令市も、保健所は1ですが、古くからの政令市例えば、横浜市は、18の支所が置かれています。広島市より後で政令市となった仙台市は、それぞれの区ごとに国支所を設置しています。中核市の福山市にも保健所があります。

感染症対策を行う保健所がいつも大きな役割を果たすようなことは、無いに越したことはありません。できるだけない方が良いのです。しかし、万が一の緊急事態に備えて準備しておかれているのが保健所だったはずです。それを崩してしまったのが、行革だったのです。、コロナ感染が深刻な時期にこそ、行革がもたらした負の遺産と向き合い検証することが、次の過ちを繰り返さないことにつながると私は思っています。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年1月13日 (水)

軍歴と原爆死没者調査-その2

これからが「軍歴と原爆死没者調査」の本論です。

原爆犠牲者や一般戦災者の被害に対し国による補償がされていませんが、軍人・軍属に対しては「国との身分関係」があったとして「戦傷病者戦没者遺族等援護法」等によって、その遺族に対して「弔慰金」や「遺族年金」などが支給されています。しかも、援護の対象者を拡大しながらです。

ここで指摘したいのは、この法律を適用して、もれなく「弔慰金」や「遺族年金」を支給するためには、当たり前のことですが「戦没者の遺族」ということがきちんと特定されていなければならないということです。

法の適用を受けることのできる受給者を決めるための基となっているが、「兵籍簿」のはずです。昨日紹介したように「兵籍簿」には、軍隊に召集されてから除隊されるまでの履歴が記載されていますから、もし戦死した場合には「いつ、どこで亡くなった」のかが、きちんと記録されていなければなりません。

1945年8月6日に広島で原爆によって死没した人たちの「兵籍簿」にも、そのことが明記されているはずです。そうでなければ、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」による援護を受けることができないからです。原爆による犠牲も、当然のこと「戦死」ですから、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が適用されているはずです。広島で原爆の犠牲になった軍人だけが、この枠から外れていることは、考えられないことです。考えられないというよりも、ありえないことです。そうでなければ、同じ戦時中の犠牲でありながら、原爆の犠牲者は援護措置を受けられないという差別を受けることになってしまいます。

ところで、広島市は、原爆被害の実態、特に人的被害の解明を目的として、1969年から調査活動を行い、特に1979年から「原爆被爆者被災調査」(1982年からは「原爆被爆者動態調査」)を開始し、今も継続して調査を進めています。その結果、原爆投下から1945年末までに犠牲となった人たちのうち、最新の調査結果では、2020年3月末現在89,030人の氏名が明らかになっています。残念ながら、14万人±1万人と言われる犠牲者数からは、程遠い数です。この一年間で、わずかですが、5名の氏名が明らかになっています。この5名は、慰霊碑に納められている死没者名簿への記載の届けがあった」ことで新しく判明したそうです。このことは、この時期の調査がいかに難しいかを教えています。

Img010_20210111165001

しかし、今からでも可能な調査はあるというのが私の考えです。それは「軍人の犠牲者」の実態についてです。実は、昨年秋、広島市の担当課を訪れ、「軍人の犠牲者について、軍籍簿から調査されたことがありますか。これを調べれば、かなり正確に人数と名前がわかるのではないですか」と問題提起したことがあります。その時の答えは、「軍人の名簿は持っています。ただそれで全員かどうか不明なのです。言われたような方法では調べたことがないように思いますので、検討してみます。」という返事でした。

その時、「都道府県が所有していますので、全てを広島市が調べることができるのかという問題があります」とのことでした。その時は、このことをあまり深く考えていませんでした。

今回教えられたことですが、確かに陸軍の「軍籍簿」は、各都道府県が所有しています。ですから広島市の担当者が指摘されるように、確かに「広島市が、各都道府県に対し調査を依頼しただけで、果たしてきちんとした答えが返ってくるだろうか」という問題はありそうです。

しかし、この「原爆被爆者動態調査」は、国の予算付けられて実施している事業です。本来国が行うべき「調査」を、ある意味では広島市が肩代わりして行っているとも言えます。ですから、国が主導して、厚労省が、各都道府県に対して、きちんとした調査依頼を出せば、可能な調査で、広島市の心配は不必要になるはずです。実は、国が主導して調査を行った前例が存在するのです。

それは、戦死者を靖国神社に合祀するために行った調査です。厚生省(当時)は、1956年に全国の都道府県に通達を出し、「遺族援護法」と「恩給法」のいずれかの適用を受ける戦死者の調査を行っています。その調査は、一宗教法人に過ぎない靖国神社のために行い、その調査で明らかになった名簿を渡し、合祀に協力したという問題がありますが、ここでは「自治体に依頼して調査が行われた」という事実だけに着目します。

この前例に倣えば、国が通達を出せば、「原爆で犠牲になった軍人」を調べることは、簡単にできることです。

仮にその調査結果が、今広島市が所有する「軍人名簿」とダブっていたとしても、調査する価値は十二分にすぎるほどあると思います。この調査を実施すれば、空白と思われていた軍人の原爆犠牲の実態をもう少し明らかにすることができるのです。

そのことによって、原爆被害の実態を、少しでも事実に近づけることができると私は思っています。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年1月12日 (火)

軍歴と原爆死没者調査

1月7日の「父の入営」を読んでいただいたお二人から、貴重なアドバイスをいただきました。

お一人からは「軍歴を、ご存知ですか。陸軍だと、残っています。広島県庁に、尋ねる。ありました。」と書かれ、後に自分のお父さんの軍歴を調べたことが書かれていました。

もうお一人からは、「私は、母方の祖父のことで、昨年、広島県庁に問い合わせたことを思い出しました。」「知人から、広島県は、昭和初期からの兵籍簿が疎開してあったため、本籍が広島県内で陸軍に入営していれば詳細な軍歴の記録があると教えてもらい、県庁に電話して名前を言えば、記録があるかわかるというので、援護恩給グループの直通電話(082-513-3036)へ問い合わせをしてみたのです。」と教えていただきました。

貴重な情報です。原爆で焼失したと思われていた「兵籍簿」が、疎開によって残っていたのです。

201612122039501

「父の入営」を書くまで、父の軍歴を調べようと思ったことはなかったのですが、これを機会にきちんと調べてみたいと思います。シベリア抑留からいつ帰国したかもわかるはずですから。

父の軍歴とは別に、以前から「軍歴」というか「兵籍簿」(今回初めて正式な名前を知ったのですが)については、強い関心を持っていたのです。それは、以前何度か書いたことのある「原爆犠牲者数」を調べるためです。

「原爆犠牲者数」がはっきりしない大きな理由の一つに「当時、広島に軍人が何人いたのかはっきりしない」ということが挙げられています。もう一つの理由となっているのは「朝鮮半島出身者」についてです。「朝鮮半島出身者」の被害については、様々な推定数が、発表さえています。しかしまさに「推定」と言うほかありません。軍人以上に具体的な資料が無いためです。「当選半島出身者の被害」の問題は非常に重要な問題ですが、別の機会に改めて検証することにして、今日は「軍人」について考えてみたいと思います。

私は、「原爆犠牲者数がはっきりしない」理由の一つに「軍人」があげられていることにずっと疑問を感じていました。だいぶ前になりますが「軍人の犠牲者について、誰かこれまでに調べた人はいないのか」と、あるマスコミ関係者に聞いたことがあります。「爆心地復元地図作りに努力された広大の湯崎稔教授が、当時広島にいた部隊の生存者をさがして、手紙を送り調査をされたことがあったようですが、なかなか情報を提供してもらえず、断念されたようです。その他には、あまり記憶がないですね」との答えでした。湯崎教授は、広島県の湯崎知事のお父さんですが、1984年に54歳という若さで亡くなられました。もしもっと長生きされておれば、この調査も別の形で進んだかもしれないと悔やまれます。湯崎先生は、私の知る限りですが、1982年の「平和のためのヒロシマ行動」やその年の統一原水禁世界大会の実行委員会で、学者文化人の運営委員として活躍されていました。当時私は、その事務局員を務めていましたので、湯崎先生とは何度かお話をしたことがあります。飲み屋にも連れて行ってもらったこともありますので、湯崎先生のことはよく覚えています。ただそのころは、まだ原爆犠牲者数など深く考えることはありませんでしたので、先生にそんな大事なことを聞くことなどありません。今から思えば、貴重な時間だったのにと悔やまれます。

と書いているうち、いつものように前置きが長くなってしまいましたので、本題の「軍歴と原爆死没者調査」については、明日に引き継ぎます。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年1月11日 (月)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その2 ――そのためにも、「成功例」から学ぼう――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その2

――そのためにも、「成功例」から学ぼう――

 

前回は、核兵器禁止条約が発効した後の目標として、「2040ビジョン」を提案しました。

2040ビジョン

  • 出発点: 今
  • 最終目標: 2040年までに、核なき世界の実現と核の脅威からの解放を達成
  • 中間目標: 2030年までに、日本政府が核兵器禁止条約を批准する

この目標達成のために、これまでの「成功例」から教訓を汲んで、さらには新機軸も加えてがばろうという趣旨なのですが、まずは、核兵器禁止条約以前に達成された重要な成果をいくつか挙げておきましょう。

  • 1963年の部分核停条約は、大気圏内での核実験を禁止しました。これは、ビキニ環礁でのアメリカの核実験の結果、第五福竜丸が被曝したことから核実験禁止運動が起り、1955年には原水爆禁止世界大会が開かれるという、世界規模での核実験と核兵器に反対する運動の成果でした。

Photo_20210109215001

  • しかし、フランスと中国はこの条約を無視。特にフランスは南太平洋で大気中核実験を続けました。それに対抗してオーストラリアとニュージーランドが1973年に国際司法裁判所 (ICJ) に提訴し、フランスは核実験を中止しました。それに力を得て、核兵器が国際法違反であることを、ICJの勧告的意見として認定して貰う世界法廷運動 (WCP) が1986年に始まり、その結果、WHOと国連総会における多数決の決議として、ICJに勧告的意見をまとめるように要請することが決りました。それに応えて1996年にICJは、「一般的には」という条件付きではありますが、核兵器の使用と使用するという脅迫は国際法違反であることを認めました。
  • ICJによる勧告的意見の採択要請が世界的に支持されたのは、1970年代から1980年代にかけて起きた世界的な反核運動があったからです。その象徴が1978年、1982年、1988年に開かれた、第一回から第三回までの国連軍縮特別総会です。1982年のニューヨークにおける100万人デモ・集会は、忘れられない出来事でした。アメリカでの核凍結運動がその中心的存在だったのですが、遂には、1986年にレイキャビックで開かれたアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長との首脳会談で、全面的核廃絶の合意に達するという成果を挙げました。これは、ある反核運動のリーダーの言葉を借りると、「High Priesthood of Nuclear Technocracy」によって葬り去られましたが、世界の世論が二人の首脳の間の合意という大きな成果を挙げていたことはもっと良く知られるべきですし、このような合意を実現させるための次のステップについても、私たちがしっかり準備をしておくべきことを教えてくれています。
  • 勧告的意見の重要な影響が、スコットランドのグリーノックという地域における裁判に現れました。1999年10月21日、スコットランドのグリーノック裁判所の判決では、「国際トライデント・プラウシェアー 2000」に属するアンジー・ゼルダー、ウラ・ローダー、エレン・モクスリーの3人が無罪になりました。この3人は、トライデント潜水艦の運用に必要な実験器具を破壊した罪で告訴されていたのですが、被告の無罪主張の根拠は、ICJ勧告的意見とニュルンベルグ原則でした。もっとも、この判決は後にスコットランドの刑事上級裁判所で覆されたのですが、無罪そのものは確定しており、核廃絶運動における非暴力・抵抗という手段が国際的に認められたという大きな成果です。
  • 勧告的意見と同じ年、1996年に採択された包括的核実験禁止条約は、まだ効力を持っていませんが、それでも1996年以降の世界の核実験数は、それ以前と比べて限りなく「ゼロ」に近付いています。これも、世界の世論の力です。
  • 1972年の生物兵器禁止条約、1983年の特定通常兵器使用禁止制限条約、1992年の化学兵器禁止条約、そして世界的に注目された対人地雷禁止条約は1999年に発効しています。これらの条約もWCPやTPNWと同様の作戦に依存しているのですが、核兵器廃絶に注目するという立場から、詳細は割愛します。
  • 2014年には、二つの大きな出来事がありました。一つは、マーシャル諸島共和国が、核保有9カ国をICJに提訴したことです。それは、「誠実な交渉義務」を規定しているNPTの6条に違反しているという訴えです。事実、これらの国々は、核兵器禁止のための様々な機会を無視し続けて来ていましたし、その後、国連総意が設置した「公開作業部会 (OEWGと略)」には不参加でした。管轄権の問題で、ICJからは却下されましたが、世界世論を喚起し、多くの支持を得る上では重要な役割を果しました。
  • もう一つは、スコットランドがイギリスから独立すべきかどうかについての住民投票がスコットランドで実施されたことです。独立の目的は、外交・防衛や予算の面でイギリスからの独立を目指すことでしたが、端的に表現すると、核兵器を廃絶して非核保有国として独立し、NATOからも脱退するということなのです。残念ながら、独立には至りませんでしたが、イギリスがEUから離脱した現在では独立賛成派が勝つ可能性も見えて来ています。
  • そして、2017年に核兵器禁止条約が採択されました。

それでは、これらの成功例を元にして「2040ビジョン」実現のために、まずどのような出発点があり得るのかについて、次回から考えて行きましょう。

[2021/1/11 イライザ]

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

 

2021年1月10日 (日)

21年、原発・エネルギー政策をめぐる課題

今年最初の私の担当となりました。本年もよろしくお願いします。原発やエネルギー問題、毎年のように「今年は正念場」と言ってるような気がしていて、そのインパクトも薄れているようにも思いますが、今年は本気で正念場だと思っています。

その理由は何といっても、この夏場に向けて改訂がされる予定の「エネルギー基本計画」です。だいたい3年毎に改訂されているのですから、「そう変化は無いだろう」と思われるかも知れませんが、あえてそれをいうのは、今年が福島原発事故から10年という節目だからです。

これまで原発推進側も、10年まではそれでも「大人しくしておこう」という感じでしたが、ここで方針転換を掛けようという姿勢が見えだしました。その象徴的な出来事は、福島原発事故の前、福島県双葉町に掲げられていた「原子力明るい未来のエネルギー」の標語の看板、事故後は取り外されていましたが、場所は同じ双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」に展示されることが決まったということです。

20200717181431dde1

そのキッカケになったのは菅義偉内閣が誕生し、10月26日の最初の所信表明演説で「2050年温室効果ガスの排出をゼロにする」と大見えをきったことです。温室効果ガスの排出をゼロにするということは評価されることですが、これを待っていたかのように、「二酸化炭素を出さない原子力発電必要論」が大きく頭を出し始めました。

菅総理の演説からたったの2か月の12月25日、政府は「グリーン成長戦略」を発表しました。「脱炭素」という誰もがうなずく「錦の御旗」をたてに、重点14分野の政策を示し、その中には原発新増設も明記しました。

中身の詳しい内容は別の機会に書かせていただくとして、エネルギー基本計画改訂の議論が曲りなりにも行われている中で、2050年とはいえ、政府が先んじてこのような重要な課題を国民的議論にかけることなく発表したことです。これを示してマスコミや世論がどういう反応を示すだろうかと、テストしたかのようにしか見えないのです。それも再生可能エネルギーの中に原発を含めるという、ふてぶてしさです。

問題点がたくさん在りすぎて一つに絞ることは不可能ですが、あえていえばエネルギー、イクオール電気だという考え、2050年には電力需要が現在よりも30%~50%増えると見込んでいることです。2050年、現在30歳の人も60歳になります。71歳の僕は101歳です。ほとんどの人にとっては、現実的な問題としてはなかなか捉えられないことです。

今、確実にいえるのは今後エネルギー需要、電力需要は確実に減少すること、そして同時に再エネのコストはますます低下し、そのことで再エネの将来性や価値が上昇するというのが現状です。

地球温暖化防止対策の国際ルール「パリ協定」が採択されて、昨年12月に丸5年が経過しました。目標達成を目指す世界中の国や地域は120を超えました。米国のバイデンさんも大統領に就任したら、すぐに「パリ協定」に復帰するとしています。世界広しとはいえ「温暖化防止のために原発を」という国は、僕の知っている限りでも4~5カ国だと思います。

「RE100」というのがあります。これは使用する電力の100%を再生可能エネルギーにより発電された電力にする事に取り組んでいる企業が加盟している国際的な企業連合です。昨年12月15日現在、日本の企業もこれに45社が加盟しています。同じく11月、キリンビールも加盟しました。僕はこの時から「ビールはキリン」にしました。

木原省治

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年1月 6日 (水)

ヒロシマとベトナム(その20-2)-技能実習生問題を考える

「同意書」や「契約書」で「恋愛禁止」「妊娠したら強制帰国」・・・・

下の写真は、「外国人の技能実習生が妊娠し、強制帰国や中絶を迫られる例が相次いでいる。受け入れ機関側から『恋愛禁止』や『妊娠したら罰金』と宣告されるケースもあり、専門家は『人権上問題だ』と指摘している。」という記事とともに2018年121日の「朝日DIGTAL」に掲載されたものです。

1_20210104104801

私も以前、技能実習生から「異性との交際は禁じられている」ことや「単独行動は許されず、コンビニに行くのでも複数」など聞いたことがあります。最近では耳にしませんが「携帯を会社に預ける」という実習生もいました。いずれにしても、富山地裁判決が出されて8年、こうした事案が減るどことか増えていることに対する政府の責任は大きく重いと思います。

 

 政府の不誠実な人権侵害防止対応

「特定技能制度」新設を目前に控えた20192月、立憲民主党の阿部知子衆議院議員が、「外国人技能実習生に対する妊娠禁止規定は民法違反とした判決があること等に関する質問主意書」を出していました。それは、「妊娠禁止規定は民法第90条違反」と規定した2013年の富山地裁判決に基づき、技能実習生に対する人権侵害を防ぐための政府の対応を質すものです。技能実習生支援団体が政府に通知していた「契約書」の事例を示し、「この事例を認識した後、どのような対処をしたのか」、また「妊娠禁止条項を記載した契約書が他にも結ばれていないか、送出機関、技能実習実施者、監理団体に対して、一斉に調査をかけるべきではないか」など、14項目について質問しています。

対する政府「答弁書」は、(支援団体が政府に送った「妊娠禁止項目」記載の「契約書」について)「『この事例』の具体的に意味するところが明らかではないため、お尋ねについてお答えすることは困難」、(「妊娠禁止条項」を記載した契約書に関して)「調査を行う予定はない」とし、「相手国政府との定期的な情報交換と送出機関への説明会を通じて・・・周知を図っている。外国人技能実習機構を通して実習実施者及び管理団体に周知するよう求めてゆく」と、まったく真剣さを欠いた不誠実で無責任極まりない姿勢です。

 

犠牲者を出さないために

政府は、直ちに「妊娠禁止条項」など人権に関わる違法不当な「契約書」や「同意書」についての実態調査を技能実習生の受入事業所と管理団体で実施、違反があれば厳しく措置。相手国政府を通して送出機関への周知徹底、違法性がある送出機関からの受け入れ停止などの断固とした処置を講ずる必要があります。

しかし、これだけでは不十分です。すでに、「契約書」や「同意書」から「妊娠禁止条項」などの記載を削除している事業所や研修機関、管理団体もあるでしょう。しかし、実態は生きています。送出機関で受ける日本での就労や生活上の注意事項など派遣前教育で、「妊娠したら帰国」と擦り込まれます。その意味で、送り出し機関の研修内容を含めたチェックも必要です。

直ちにやるべきこと、できることは国だけに限りません。技能実習制度の所掌が自治体になく、その限界性があるにしても、転入時の行政手続き等でのオリエンテェーションを通した周知と日常的な情報展開、技能実習生受入事業所の把握と訪問など着手すべき課題は多くあります。

次回(2月)は、こうした人権問題に関わる「契約書」や「同意書」が実習生を縛っている背景として、日本に来るまでに多額の借金を背負わざるを得ない技能実習制度の実態について見てゆきたいと思います。

(2021年1月5日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年1月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その20-1)―技能実習生問題を考える

技能実習生の妊娠・出産に関わる「事件」相次ぐ

昨年12月5日の「ヒロシマとベトナム(その19)」で、11月に東広島市で発生したベトナム人技能実習生の「幼児遺体遺棄事件」をとりあげました。この「事件」は、単に一人のベトナム人技能実習生が起こした「事件」に留まらない背景と課題が横たわっています。今回から幾度か、この問題を考えてゆきたいと思います。

11月の「事件」発生後、12月4日の「幼児殺害で再逮捕」、12月11日の「母子守る制度『周知不足』」、12月25日の「保護責任者遺棄致死と死体遺棄の罪で起訴」との報道を目にされた方も多いかと思います。

少なからぬ皆さんから「なぜ、相談できなかったのか」、「誰も(妊娠に)気づかなかったのか」という声をお聞きしますが、「妊娠すればベトナムに帰国させられる」という趣旨の供述が報道されていたように、この「事件」の背景に、「妊娠すれば帰国させられる」という問題があります。

同様の「事件」を調べてみると、2017年に栃木県でベトナム人技能実習生が妊娠4ヶ月・死産の幼児遺体遺棄、2018年に川崎市で中国人技能実習生が生後間もない男児の保護者責任遺棄、2019年に福岡県でベトナム人技能実習生が男児死産・遺棄、2020年に岡山県でベトナム人技能実習生が堕胎・遺体遺棄、東広島市の「事件」直後にも熊本県でベトナム人技能実習生が双子の嬰児遺体遺棄と相次いでいます。しかも、年々増加傾向にあります。それらのいずれもが、「妊娠すれば母国に帰らされる」という問題が背景に横たわっています。 

こうした「事件」発覚は氷山の一角に過ぎず、技能実習生の間で出回る堕胎薬で「密かに処理される」ケースも少なくないと聞きます。

いずれにしても、これらのことから、自分の子どもの保護責任遺棄や遺体遺棄「事件」まで起こしてしまう背景に、「妊娠したら帰国しなければならない」という強力なプレッシャーがあることは明らかです。

Pg

盆踊りを楽しむベトナム人技能実習生(事件とは関係ありません)

 

「妊娠禁止規定」違法判決後も 生き続ける強制帰国のプレッシャー

2013年7月17日、富山地裁で富山市内の食品加工会社で技能実習生として働いていた中国人女性(当時22歳)が、妊娠判明と同時に帰国を迫られて流産し、不当に解雇されたとして、実習先の会社と受入団体に解雇無効と630万円の損害賠償などを求めた裁判の判決が下されました。

「妊娠禁止規定により技能実習を打ち切り、即時帰国を求めることは、労働関係法令の適用により技能実習生の法的保護を図るという技能実習制度の趣旨に反し、公序良俗(民法第90条)に反するものであるから、原告がいったんそのような合意をしたとしても、かかる合意に拘束力はないと言わざるを得ない」と、解雇を無効と認め、会社側に毎月約11万円の未払い賃金と賠償金など約363万円の支払いを命じたものです。

この判決は、他の判例とともに「外国人技能実習生法的支援マニュアル」に掲載された画期的な判決です。

しかし、その後も「妊娠禁止規定」による解雇・帰国や今回のような「事件」が後を絶ちません。

(2021年1月5日、あかたつ)

<編集者注>送っていただいた原稿が、少し長めでしたので、2回に分けて掲載することにしました。続きは、明日掲載します。

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年1月 4日 (月)

「2021年度ヒロシマ平和カレンダー」完成に寄せて

2020年10月、被爆者の切明千枝子さんの体験談を聞いた。「かつて広島の人は『軍都』と呼ばれることに誇りを持っていた」「戦争は加害と被害が表裏一体だ。広島ではつい『被爆地』ということに意識がいき、『軍都』としての加害の歴史が忘れられる。加害の歴史を知って、平和について考えていってほしい」との言葉が今も心に響いている。

2021年度ヒロシマ平和カレンダーは、「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」とのテーマで制作された。今回で40作目となるが、正面から「加害」の歴史を扱ったのはおそらく初めてとなる。戦場へ赴く数多くの兵士を見送った宇品港に始まり、「大本営」が置かれていた広島城、大久野島、そして安野発電所等と続く。日本のアジアへの侵略を示す地図も掲載されている。

Photo_20210102141901

2021年度ヒロシマ平和カレンダー

「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」

宇品港、広島城、大久野島、安野発電所、韓国・朝鮮人の原爆犠牲、似島、被服支廠等をテーマに作成

http://www.hipe.jp/

「正しく」歴史を学ぶことは必要である。そのことは過去の失敗に学び、それを教訓としてよりよい未来を創っていくために欠かすことのできない営みである。学校現場等で「平和」を考える時、とかく「被爆地」ヒロシマに焦点化したものとなっているように思う。しかし、ヒロシマは194586日を起点にするのではなく、その50年近く前に遡って考えていかなければ正しい歴史を学んだことにはならない。

広島に住む人々の意思に関係なく、為政者により「軍都・廣島」が形づくられていく。日清戦争では「大本営」が置かれ明治天皇が一時住んでいたこともあった。そうして、廣島はアジアを植民地として獲得するための拠点となっていった。町の至る所に軍需工場が立ち並んでもいた。このような歴史の上に86日を迎えたのだ。まさに、加害と被害が折り重なり合っていた歴史がそこにある。加害と被害は必ず根底において結びついている。どちらか一方だけを知るだけでは、一面的なものになる。ヒロシマの歴史について正しく多角的に学ぶことを忘れてはならない。

また、平和について人権の視点から考えると、他者の人権をないがしろにすると、自分たちの人権も同じように踏みにじられることにつながることがあると、ヒロシマの教訓から学ぶことができる。戦争は、人権を完全に否定する。改めて日常的にどれほど人権を大切なものとして考えているか問い直したい。自分の人権はもちろん、近くにいる他者の人権が侵害されている時に、「おかしい」と感じられているだろうか。空気のように当たり前にある人権がないと困ると意識できているだろうか。一人ひとりが人権意識を高めていくことこそが平和な社会を構築していくことに必ず繋がると思う。

切明さんは、「加害の歴史を知らずに、被爆して多大な被害を受けたと語っても空しいだけ」とも述べている。平和な社会は世界の人々とともにつくりあげていくものである。そうであるならば、加害の歴史をしっかり腹に据えて世界の人々、とりわけアジアの人々と向き合わなければならないだろう。

数年前のある教育研究集会で、日本の加害の歴史にスポットを当てた平和教育の実践が発表されていた。それは、15歳で毒ガス製造に携わった藤本安馬さんが、戦後は自らが加害者であることに心を痛め、謝罪の旅を続けるということを扱ったものだった。藤本さんの謝罪に対し、中国の方は、「あなたに会えて良かった。戦争はみんなを不幸にします。二つの国が仲良くなり、平和な世界ができるよう力を合わせましょう」と語った。藤本さんが加害の歴史から目をそらすことなく謝罪の旅を続ける姿に、子どもたちは心を打たれ大切なことを学んだはずだ。

最後にもう一度、切明さんの言葉を引用する。「黙ってじっと座っていても、平和は向こうからやって来てはくれない。一生懸命たぐり寄せて、つかんで、守っていかねばならない」……被爆地として核廃絶を声高に叫ぶことはもちろんだが、同時に「軍都」として栄えた悔恨の歴史を忘れることなく、人権がないがしろにされ、経済や社会において軍事化にひた走る今の世の中について、私たちは警鐘を鳴らし続けなければならない。そのことが、これからの日本を担い、平和な未来をつくる自分たちに託された使命ではないだろうか。

<未来の空>

〈編集者注〉この原稿は、昨年末に送っていただいたのですが、「平和カレンダー」は、毎年4月1日から始まりますので、今日掲載しました。

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年1月 1日 (金)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう ――そのためにも、「成功例」から学ぼう――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう

――そのためにも、「成功例」から学ぼう――

 

明けましておめでとうございます。昨年は、コロナの世界的蔓延で、できれば歴史から「削除」してしまいたいようなことが多く起きましたが、それでも何とか新年を迎えることができました。今年こそ、希望に満ちた素晴らしい一年になることを祈っています。

そう考えられる根拠として、1月22日を挙げておきましょう。

 

2021年1月22日

核兵器禁止条約発効 !!

 

条約の発効が最終目標ではありません。それに続く目標を設定しておきます。それは、

 

次の目標は「日本政府が批准」

期限は2030年

 

これも大切な目標ではあるのですが、これだけでは物足りません。改めて「新年の決意」として次の大目標を掲げます。さらに目標達成のためには何をすれば良いのかをまとめておきましょう。

 

まずは大目標です:  2040年までに核のない世界を実現する

これを、平和市長会議が提唱した「2020ビジョン」に倣って、次のように呼ぶことにします。

 

― 2040 ビジョン ―

核兵器禁止のための緊急運動

 

以上をまとめておきましょう。

2040ビジョン

  • 出発点: 今
  • 最終目標: 2040年までに、核なき世界の実現と核の脅威からの解放を達成
  • 中間目標: 2030年までに、日本政府が核兵器禁止条約を批准する

 

ここで、「2040年」、そして「2030年」という期限を付けたのは、ナポレオン・ヒル氏の有名な言葉、「期限のない目標は夢にしか過ぎない」に従って、実現可能性のある命題にしたかったからです。

Photo_20201230211201

2040年にも意味があります。今から20年という時間は歴史を反映しているからです。次回掲げる「成功例」のリストの中には、1996年の国際司法裁判所による「勧告的意見」の採択が入っています。その重要性も次回改めて考えることにしますが、それから約20年経って、2017年にもう一つの画期的成果として「核兵器禁止条約」が採択されました。1月22日には発効し、「国際法」として力を持つことになります。それをもう一段高めることになる「核廃絶」までに、それと同じくらいの時間が掛る、つまり20年掛る、と想定するのはそれほど不自然ではありません。

この目標達成が可能だと信じているのは、核廃絶に向けたこれまでの人類の歩みがその方向を明確に示しているからです。敢えて「成功例」と名付けて、次回、重要なものをリストアップします。

それは、核兵器禁止条約の発効は歴史的な出来事ではありますが、それに至るまでに、重要な出来事がいくつもあるからです。より大きな枠組みの中でこうした出来事をまとめて見直すことで、これからの活動のヒントが得られます。

「成功例」をまとめる上で最初に確認しておきたいのは、私たちにとって、「当り前」のことは「当り前」だときちんと言っておくことの大切さです。私たちの抱えている問題が大きくても、その大きさに目を奪われて、「当り前」が見えなくなっているような気がしないでもないからです。

  • 核兵器が、道義的立場から許されないことは、広島・長崎の惨禍を知る人にとっては当然のことであり、「絶対悪」とまで表現する被爆者も多くいます。平和宣言でもこの言葉を使っています。この一点だけから考えても、それを法的な枠組みに置き換えれば、「力の支配」を否定して「法の支配」を最優先してきた人類史の流れの中では、核兵器が「国際法違反」であることは誰も否定できないはずです。1945年に人類は、その事実を言語化して、「宣言」または「条約」の形で世界を縛る「原則」として採用することだけをすれば良かったのです。
  • アメリカの「独立宣言」のように、自明の理を言語化することで、「法の支配」が始まるはずだったのです。そして、「法の支配」とは、言葉に意味のあることを大前提として、その言葉の意味を尊重し、言葉で示された内容を正確に行動に移すという合意に他なりません。法律の世界ではラテン語を使って、「pacta sunt servanda」 ​(「契約 (合意) は守られねばならない」という原則ですが、短く「約束履行義務」と表現しておきます) と呼ばれますが、核兵器廃絶の運動の中で私たちは、この原則に依拠して、核兵器を廃絶するという行動を求めてきました。この点を改めて強調する必要があります。
  • この点をまず確認した上で、にもかかわらず、世界で「力」に依存する政治を維持してきた勢力が、核兵器の合法性を強く主張してきた事実があります。それも、言葉の意味を捻じ曲げること、民主的なプロセスと世論の双方を無視することと一体の主張でした。その結果として、私たち市民、特に被爆者が、長い苦しい努力を強いられることになったのです。それは、当り前の真実を「真実」と認めさせ、それを元にした政治を実現させるための努力でした。もう一つ確認しておくべきことは、このような努力によって、仮に時間が掛ったにせよ、目標は一つずつ、ゆっくりではありますが「確実に」実を結んできたのです。

以下、これまでの成功例のリストを御覧頂き、そこから得られる教訓を元に、「2040ビジョン」を成功に導くための作戦を練りたいと考えています。スペースが足りなくなりましたので、それは次回に。

[2021/1/1 イライザ]

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

 

2020年12月27日 (日)

説明責任を果たさない安倍前首相

一昨日、衆参議院運営委員会で、安倍晋三前首相が首相在任中に行った「桜を見る会前夜祭の夕食会の費用補填問題」に関し、国会答弁に誤りがあったと訂正、謝罪し、各委員からの質疑が行われました。衆参それぞれ1時間の委員会開催でしたが、安倍前首相の説明に納得した国民は、ほとんどいないと思います。

テレビの中継を見たわけではありませんので、全てのやり取りを承知しているわけではありません。今日は、マスコミではあまり取り上げられていないと思われることで、私が疑問に感ずることを少し述べてみたいと思います。

第一は、安倍前首相は、どの国会答弁に誤りがあったのか、具体的に説明していないことです。12月21日に衆議院調査局は、立憲民主党からの調査依頼を受け調査した結果として「33件の答弁で118回の『虚偽答弁』があった」と回答しました。その内訳は、「①事務所の関与はない②ホテルの明細書はない③補填はない」の3パターンの調査の項目で、①は70回、②が20回、③が28回の計118回の「虚偽答弁」があったというものでした。

ここで私が指摘したいのは、テレビや新聞の報道で知る限り、安倍前首相が、この衆議院調査局が指摘する118回の虚偽答弁について、全てを認めているようには思われないのです。「国会の答弁に誤りがあった」というのであれば、最初にやるべきことは、具体的に「いつのどの答弁が誤りであり、正しくは・・・であったった」ということを一つひとつ明確にすべきです。国会におけるすべての質疑は、議事録として残っているのですから、どの部分が誤りであるか明確にすることは、簡単なことです。その一つ一つについて、きちんと「修正箇所」を明示し、修正内容を示すのが、当然やるべきことだと私は思っています。残念ながらそれが行われた形跡は全くありません。野党の質問でも、その点を明らかにする質問はなかったように思います。そこを明らかにしなければ、いくら「答弁の訂正」と言っても、何が訂正されるべきことなのかが不明のままです。その結果によっては、衆議院調査局の調査自体も問われることになるからです。

全体で1時間という短い時間での質疑ですので、「そこまで質問していたら時間が足りない」ということかもしれませんが、「虚偽答弁」を質していくというのであれば、まずここから出発するのは当然のことです。そのためには、安倍前首相に、委員会前に「虚偽答弁」と「修正・訂正内容」を明示させるべきでした。そのことは、「虚偽答弁」を行ってきた安倍前首相が最低やるべきことだったはずです。

Nhk_20201226163901

第二は、118回にも及んだ(衆議院だけ)「虚偽答弁」によって奪われた、野党の質問時間の問題です。例えば内訳の「①事務所の関与はない」と関わる「虚偽答弁」は、70回にも及んでいます。安倍前首相が「関与を否定」する答弁を繰り返したために、当時野党の質問者は何度も同じ質問を繰り返さなければならないことになってしまったのです。もし、最初の質問で「事務所の関与」を認めていれば、他の69回の質問をする必要はなかったのです。衆議院調査局が調査した期間は、2019年11月~203月までですから、「虚偽答弁」が行われた委員会のほとんどは、国会の委員会の中でも最も重要な予算委員会だったということになるからなおさらです。

国会では、質疑者の持ち時間はあらかじめ、決められています。その限られた時間の中で、どれだけ多くの課題について、質疑を進めていくのかが、委員には問われることになります。質疑者にとっては、一分一秒が大切な時間になります。テレビ中継される委員会で、答弁が不十分だったときに理事の委員が、議長席に詰め寄り風景を見られることがあると思います。その場面(いつもではありませんが)で時々、委員長が「速記を止めてください」と声を上げることがあります。この声がかかった時には、質問時間の経過がそこで中断することを意味しています。それは、一人ひとりの質疑者にとっては、本当に貴重な持ち時間になっているからです。

ここで私が言いたいことは、安倍前首相の「虚偽答弁」の繰り返しによって、質疑者の貴重な持ち時間と言うか議員として果たすべき、仕事を奪われてしまったということです。「偽証答弁」は、後で修正することができたとしても、安倍前首相の「虚偽答弁」によって奪われてしまった議員の質問時間は、絶対に取り戻すことはできません。一昨日の安倍前首相の発言、答弁を聞いていても「偽証答弁に対する謝罪」はあったかもしれませんが、この貴重な質問時間を奪ったことに対しての謝罪は一言もありませんでした。私は、質問時間を奪ってしまった責任は、極めて重いと思っています。このことだけでも、議員辞職するほどの責任があると考えています。

「118回の偽証答弁」と書いてきましたが、それはあくまでも衆議院での数字です。当然のことですが、安倍前首相が衆参両院で釈明したように、参議院でも同じように「虚偽答弁」をくり返しています。辻元衆議院議員は「100回を超える偽証、だから国会議員を辞任すべき」と迫ったのですが、安倍前首相の国会での偽証は、100回どころか200回を超えていると思われます。これでも「責任をとらないのか」と厳しく問われるのは当然のことです。

マスコミ報道では触れられていない私なりに疑問だと感ずる問題点を指摘してきましたが、ホテルからの明細書問題も含め、疑惑は深まり解明されなければならない問題が残ったままです。安倍前首相が繰り返してきた「虚偽答弁」の責任は極めて重いものです。安倍前首相は、これらの疑問に対し、誠意を持って国会の場に置いてきちんと説明すべきです。野党がそれを求めるのは、当然のことです。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

より以前の記事一覧