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書籍・雑誌

2021年1月16日 (土)

稲岡宏蔵著「核被害の歴史 ヒロシマからフクシマまで」

13日に開催されて広島県原水禁常任理会で、このブログに毎月2回の原稿を寄せていただいている木原省治さんから一冊の本を薦められ、購入しました。

2020年12月31日に初版が発行された稲岡宏蔵著「核被害の歴史 ヒロシマからフクシマまで」です。

著者の稲岡さんは、毎年夏に開催される原水禁世界大会に大阪の仲間とともに参加されていますので、私も以前から知っています。原水禁大会広島大会では、いつも「ヒバクシャ」問題を取り上げる分科会に参加し、発言をされています。そして午後に開催される「ひろば『ヒバクを許さないつどい』」では、運営の役割を果たしてこられました。この「ヒバクを許さないつどい」は、稲岡さんたちの努力もあり、一昨年の被爆74周年原水禁大会で「Part20」(昨年は原水禁大会がオンラインとなったため開催できなかった)となるほど、継続して開催されています。

この本の「まえがき」には、びっくりすることが書かれていました。「昨2019年、被爆74周年原水禁世界大会から帰って間もなくの8月末、前頭葉に広がった悪性リンパ腫(眼)で急に倒れた。」

「核被害の歴史 ヒロシマからフクシマまで」は、373頁にも及ぶ大作です。まだ目次と一部の目を通しただけという状況ですから、この本の全てを紹介することはできませんので、ここでは、ちょっと気になったことを紹介したいと思います。

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本の帯には、次のように書かれています。表側には「被爆者をはじめ世界の人々は、核廃絶のためにどのように苦闘してきたのか」裏側には少し長文で「人類は、広島・長崎への原爆投下以来、何度も核戦争による破滅の危機に遭遇してきた。またビキニをはじめとする核実験やチェルノブイリやフクシマの原発事故は、甚大な被害と莫大なヒバクシャを新たに生み出してきた。本書は、ヒロシマからフクシマまで核時代の歴史の変遷の中で、核による『被害』と『人権』、『加害』と『責任』、具体的には、核被害者の人権と加害者の責任に焦点をあてて歴史を総括。(以下略)」と。

内容は、3部構成になっています。Ⅰの「原爆被害―人権と責任」では、被爆後から現在に至る運動の過程が要約されています。特に気がついたことは、国家補償の問題として「孫振斗裁判」と「石田原爆訴訟」が取り上げられていることと、労働組合内に結成された被爆者組織(例えば全電通被爆協)とその組織が果たしてきた役割が記載されていることです。類書の本では、触れられることのない運動の歴史です。この点で、原水禁運動の歴史を知るためには、良い教材と言えます。

Ⅱは「世界の核被害―グローバルな人権と責任」で、世界の核被害者、そして被曝線量論争などについて書かれています。ここでは、原水禁が取り組んできた「核被害者フォーラム」や「世界核被害者大会」のこともきちんと取り上げられていますので、この点でも参考になると思います。3部の中で、最もページが割かれているのが、Ⅲ「フクシマ核被害」です。稲岡さんがいま最も力を入れて取り組んでいる課題が、フクシマの被曝問題だからだと想像できます。

巻末には、「核時代の変遷と反核平和運動」の年表が付けられています。著者が「運動については筆者の周辺、関西にかなり偏っており」と断り書きを書いていますが、運動にも焦点をあてた良い年表だと思います。

と書いてきましたが、一つ気になったことがあります。「おわりに」に書かれた次のくだりです。「原発の重大事故は、核兵器と人類は共存できないだけではなく原発も人類とは共存できないことを示してきた。運動の発展が示すように、原水禁運動のスローガン『核と人類は共存できない』の核には当然、核兵器だけでなく原発・核燃料サイクルも含まれるべきである」(アンダーラインは、いのちとうとし)

この本に付された年表にもあるように、森瀧市郎先生が、「核と人類は共存できない」と最初に提唱されたのは、1975年の原水禁世界大会です。森瀧先生がいわれた「核」には、稲岡さんが言う「原発・核燃料サイクル」も含まれているどころか、ウランの採掘から始まる全ての核社会が入っているのです。そのことを改めて強調したいと思います。

繰り返すようですが、この本には他の類書にはない視点が多く盛り込まれており、定価が少し高い(税抜き3600円)のですが、一読に値すると思います。

いのちとうとし

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2020年12月29日 (火)

山野上純夫著「ヒロシマを生きて 被爆記者の回想」を読む

毎日新聞の広島版に、2017年(平成29年)10月7日から今年2020年8月7日まで68回にわたって連載された毎日新聞終身名誉職員の肩書を持つ山野上純夫さんの「ヒロシマを生きて 被爆記者の回想が、一冊の本となって出版されました。何回かの記事を読んでいましたので、連載終了後はまとまって出版されればよいなと思っていましたので、この本を紹介する12月1日付の毎日新聞広島版のその記事を見つけ、すぐに注文しました。

この連載記事のスタートを後押しされた当時の毎日新聞広島支局長の戸田栄さんは、連載の開始にあたり次のように記載されています。「広島での旧制中学時代に原爆に遭遇し、後の本社入社後は広島支局で復興期の取材をした山野上純夫氏とは、私が昨年春まで務めた広島支局長時代に知り合った。私が原爆で死亡した広島支局員の記録を調べ、連載記事にした際、激励と助言を受けた。当時から、山野上氏の被爆体験や広島での取材の逸話などを書いてもらいたいと考えており、ようやく実現した。」

その後に、山野上さんの経歴が書かれています。「1929年生れ。5歳の時に広島へ一家で移り住み、42年に広島高等師範学校付属中に入学。戦後の広島大を卒業し、53年に本社に入社した。学生時代のアルバイトを含め、52~59年、広島支局で働く。84年に本紙を定年退職後、宗教担当の編集委員としての実績を評価されて京都の宗教専門紙に入社。・・・現在京都市に在住」

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連載の第1回は、「授業中の被爆 校舎倒壊 同級生が即死 爆心地から1.4キロ、当時16歳」の見出しで、自らの被爆体験が綴られています。以降、「ヒロシマを通じて出会った人々から学んだことを思いつくまま」に記されたのです。例えば、佐々木禎子さんにまつわる話も「サダコの周辺」のタイトルで、6回にわたって記述されています。当時、新聞記事としては書けなかったことも記述されているように思いますので、貴重な資料と言えます。

実は、私は10年ほど前から山野上さんを知っていました。きっかけは、ドイツ・ポツダムの「ヒロシマ・ナガサキ広場」の慰霊碑建立を通じて知り合うことになったドイツ在住の被爆者外林(そとばやし)秀人さんと同級生だった山野上さんから連絡があったからです。「ヒロシマを生きて」の第6回からの3回は、外林さんのことが書かれていますが、その第8回「妹同士涙の交流 独に慰霊碑建てた友 死後、級友遺族の消息不明」では、私の名前も登場します。

と書きだすときりが無い程、この本は、盛りだくさんの内容が書かれています。私が初めて知るヒロシマも多く書かれていますので、機会を改めて紹介したいと思います。

ヒロシマを知る貴重な内容が書かれていますので、多くの人に読んでほしいのですが、簡単に入手することができません。この本が出版できたのは、山野上さんの広島高等師範学校付属中の3年後輩の一人で、あの日、同校の近くで被爆して家族3人を失った高知在住の植野克彦さんの「体験を次世代に伝えたい」との申し出と費用負担があったからです。ですから、印刷部数は500部です。

植野克彦さん(旧制中澤)と山野上さんとの69年ぶりの再会の様子は第37回(2019年1月18日掲載)「友の消息求め① 同期会で69年後再開 母が発見、高知へ連れ帰る」に詳しく書かれています。意識不明の大やけどを負った植野さんは、母に奇跡的に発見され、母の郷里の高知へ引き上げ高知で活躍されたそうですが、広島では長い間消息が不明だったようです。その二人が再開したのが、被爆から69年経った2014年1月に開催された同期会だったのです。植野さんは「私たちの被爆体験を広く知ってもらうためにも、ぜひ残したい」と山野上さんと連絡を取り、自費で出版することにされたのです。しかし本の奥付には、「私家版」という文字と「著者山野上純夫」と書かれているだけで、植野さんの名前は、どこにも記載されていません。

注文から数日後に届いた「ヒロシマを生きて 被爆記者の回想」の入ったレターパックには、植野さんの手紙が同封されていました。こう書かれていました。「元来販売する心積もりはなかったのですが、広く、且、関心のある方に読んでいただける方法として、100部販売することにしたのです。反響が大きく対応に追われている状況です」。その後、戸田栄さんからのメールで知ったのですが、100部を希望者に提供することになったのは、戸田さんの強い勧めもあったようです。

私の植野さんへの注文は電話でした。その電話で「原水禁の運動に関わっている」ことや「外林さんとのこと」を話したからでしょう、届いたレターパックには、書籍と手紙の他に植野さん自身に関わる新聞記事のコピーがたくさん同封されていました。そのほとんどは、植野さんの被爆体験に関わる記事でしたが、「安保法制違憲訴訟」の原告として頑張っていることや外林さんことが書かれた新聞記事もありましたので、植野さんのことも身近に感ずることができました。

植野さんは、毎年8月6日の式典に参加するため広島に来ておられる(今年は欠席)ようですので、来年の来広時には、お会いして直接お話を聞くことを楽しみにしています。

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2020年12月28日 (月)

「呉市広町の昭和史」発刊―広郷土史研究会

12月の中旬、中国新聞に、呉市広の「広郷土史研究会」が、これまでの研究成果をまとめた「呉市広町の昭和史」を発刊したという記事が掲載されました。

早速、事務局に電話を入れ、送本していただきました。翌日には私の手元に届きました。

同封された「ご案内」によれば、広郷土史研究会は、「終戦直後、米国占領政策が落ち着いた昭和24年に当時、広村時代の元助役、神谷伊津造によって設立されました。終戦後、何もかも不足する中で、教育によって地域を立て直そうと公会堂前の『教育第一』の石碑の前で、第一回広地区教育祭を行い現在も続いています。この教育第一の考えを学ぶため広郷土史研究会を続けたのです。(中略)広郷土史研究会は、その思いを引き継ぎ現在も活動しています」と、設立の経緯が記載されています。長い歴史を持つ研究会のようです。

実は、私はこの研究会のことを数年前から知っていました。というのは、かつての職場(NTTデータ)の友人が、OB会の時にこの研究会のことを話してくれていたからです。

と前置きが長くなったのですが、新聞記事を読んで私が注文しようと思ったのは、友人から聞いていたこともありますが、その新聞記事には、「呉市広町の昭和史」には、戦前に呉市広にあった「広海軍工廠の歴史」が記載され、その中には「女子挺身隊や学徒動員の歴史」「学徒動員の体験記」が掲載されていると紹介されていたからです。この「学徒動員」の言葉が気になったのです。

「広海軍工廠に派遣された学徒動員」については、10月4日付のブログ「なぜ益田高等女学校の生徒は被爆しなければならなかったのか」(http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/10/post-b8ef53.html)で、少し紹介していたからです。その日のブログの主題は、島根県の益田市にあった益田高等女学校の生徒が被爆することになった経緯でますが、最初に学徒動員された場所が、この呉市広の「広海軍工廠」だったことを書いています。その時から、広海軍工廠に動員された益田高等女学校の生徒について、もう少し何か知る手がかりはないだろうかと思っていましたので、「呉市広町の昭和史」の発刊を知り、すぐに注文したのです。

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届くとすぐに、関連すると思われる個所を調べてみました。関連する章は2つあります。

その一つは、「8.広海軍工廠・第十一海軍航空廠女子挺身隊」の章です。ここに書かれているのは、廣村立廣実科博治塚高等女学校の生徒たちに関わる研究結果だけです。次の「9.学徒動員生の体験手記」には、7人の体験手記が掲載されています。ちょっと期待をしました。しかし、広高等女学校以外の学校名は、広島県内の庄原市の尋常高等小学校卒業の徴用工、可部高等女学校の学徒動員、私立婦徳高等女学校(熊野町に設立された学校:いのちとうとし注)の学徒動員、芸陽高等女学校(豊田郡中野村、現大崎上島町:いのちとうとし注)卒業の女子挺身隊の名前が出ているだけです。

結局今回入手した「呉市広町の昭和史」には、残念ながら期待した益田高等女学校の学徒動員に関わる記事を見つけることはできませんでした。

広島原爆戦災誌を調べていて気になっていたことを今回も感ずることになりました。軍都広島、軍港の街呉(広を含む)には、軍事関連施設が多くあっただけに、広島県外からも学徒動員によって派遣されていた生徒がいたはずなのに、その記録は、どこにも見つけることができないということです。敗戦が色濃くなった時期に、軍事関連施設で働くため県外から動員された人々、特に生徒たちの歴史が、どこにも記載されていないのは何故だろう、この歴史を掘り起こすことは大切な仕事のはずだということを改めて考えさせられました。

いのちとうとし

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2020年12月26日 (土)

「生まれた時から被爆者」の出版

母親のおなかの中で原爆に遭った被爆者たちの組織「原爆胎内被爆者全国連絡会」が、被爆75周年の節目に発刊するため準備してきた証言集「生まれた時から被爆者~胎内被爆者の想い、次世代に託すもの」が、12月25日日付で発行されました。

原爆胎内被爆者全国連絡会が、証言集を発行したのは、2015年の「被爆70年に想う」に続き2回目です。私も、連絡会のメンバーで編集委員の一人である岡純児さんから紹介を受け、入手しました。

最も若い被爆者、生まれた時から被爆者と言われている胎内被爆者の証言を集めようと全国に呼びかけ、埼玉、東京、岐阜、長崎、沖縄など広島を含め15都府県から、前回の15編を大きく上回る42編(当初の目標は50編)の体験記が集まっています。うち広島は21人から寄せられています。

原爆投下直後の家族の体験や、病気や差別に苦しんだ自身の半生、核兵器廃絶に向けた活動など、「いのち、くらし、こころ」に何らかの被害を受けている胎内被爆者の生きてきた証が、自由に率直に語られています。

この体験記の冒頭には、胎内被爆者のうちでも、最も若い被爆者と言われている「原爆小頭症被爆者」について書かれた証言5編が掲載されています。多くは、「原爆小頭症被爆者」とその家族を支援してきた人たちの手記ですが、その中に母親戸田ユキエさんの手記「私と娘の被爆体験記」があります。この体験記は、1987年7月頃原爆被害者相談員の会の「ヒバクシャ」第20号に掲載されたものの転載ですが、心を打つ内容です。筆者の戸田さんは、5年前94歳で亡くなられてそうですが、残された娘さんは、74歳となった現在も作業所に通所され、ディサービスを利用されているそうです。

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胎内被爆者は、母親の胎内で被爆した人たちで、広島の場合は1946年5月31日までに生まれた人が、被爆者健康手帳の交付対象となっており、被爆者健康手帳の区分では、4号被爆者となっています。「最も若い被爆者」と言われる胎内被爆者数は、2020年3月末現在全国6879人(うち広島市内は2,422人)で、一年前よりちょうど100人少なくなっています。その内、原爆小頭症手当の受給者は、17人で昨年より1名減っています。

ちなみに被爆者(被爆者健康手帳取得者)全体の数は、2020年3月末現在で全国136,682人(うち広島市44,836人)で、前年から比べると9,162人減少しています。

少し気になりましたので、被爆者全体に占める胎内被爆者()の比率を調べてみました。10年前と比較しようと思ったのですが、手元に12年前(2008年3月末)の資料しかありませんので、この二つを比較してみました。

胎内被爆者が、被爆者全体に占める割合は、12年前は3.5%でしたが、今年3月末では5.4%と1.9%増大しています。胎内被爆者の比率が増大しているのは当然の結果ではありますが、被爆者の高齢化が進む中、胎内被爆者が果たすべき役割への期待は、ますます大きくなっているといえます。

今回の証言集「生まれた時から被爆者~胎内被爆者の想い、次世代に託すもの」の発刊を機に、活動が広がることが期待されます。

いのちとうとし

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2020年12月18日 (金)

『82年生まれ、キム・ジヨン』

2016年に韓国で出版されたベストセラー小説です。2018年に日本版が刊行されました。結婚、出産を機に仕事を辞めて、家事育児に忙しくしていたキム・ジヨンが、ある日他人が乗り移ったような言動をはじめるというところから始まります。

キム・ジヨンは、父方の祖母と両親、二歳年上の姉、五歳違いの弟と一緒に暮らしていました。温かいご飯の配膳される順番は男の子からと決まっている。女の子が生まれると謝らないといけない。一家をもり立てるのは男の子であり、それが一家の幸せであるということなど、キム・ジヨンが生まれて、学生時代、就職までの様々な性差別や不平等さが書かれています。

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韓国の話ではあるけれども、日本もあまり変わらないと感じる場面があります。

学生時代のことが書かれている部分では、学校給食の場面があります。ランチルームで出席番号順に配膳されるのですが、出席番号は男子が先になっているため、いつも食べる時間が遅くなり叱られるのは女子です。不公平だと感じながら,それを言っていいのか悩んだ末、自分の思いを伝えることで順番が変わったところなどを読むと、「おかしい」と思ったことをはっきり口に出して主張することで物事が変わっていくのだということを改めて感じました。

理由なく区別されることの生きにくさや不平等さに気づき、おかしいと思えば声をあげていかなくては何も変わらないとも思いました。

今年、映画化もされているみたいなのですが、小説とは少し内容が違うようではあります。中国地方での上映はまだされていないようですが、見る機会があればみたいと思っています。

M.I

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2020年12月17日 (木)

山内正之著「大久野島の歴史―三度も戦争に利用され 地図から消された島」

過日、大久野島から平和と環境を考える会代表の山内正之さんから、今月3日発行の自著「大久野島の歴史―三度も戦争に利用され 地図から消された島」が届きました。

山内さんは、夫婦で23年前から「大久野島の毒ガスの歴史を伝える活動」を続けておられます。

この本には、「謹呈」と書かれた山内さんの手紙が添えられていました。この本の出版への思いが綴られていますので、少し長くなりますが、引用します。

「何時も、お世話になっております。この度、明治から今日にいたる大久野島の歴史を紹介した『大久野島の歴史』を出版しましたので謹呈させていただきます。ご一読いただければ幸いです。

今まで、明治から現代まで、『大久野島の歴史』として一冊にまとめた本はありませんでしたので、体験者から聞かせて頂いた証言やボランティアガイドとして23年間、大久野島に通い続けて学んだことを含めて、大久野島の歴史としてまとめました。

戦争に利用された明治から昭和の時代、第2次世界大戦後から令和の時代への大久野島の歩みを紹介します。大久野島の歴史を学ぶ入門書として読んでいただけることを期待して作成しました。

御承知のように、大久野島の防空壕跡にはまだ毒ガス弾が埋設されたままです。大久野島の毒ガス被害者も、中国の毒ガス被害者も現在もなお、毒ガス被害で苦しんでおられます。また、1996年頃にはヒ素による島内の環境汚染が明らかになるなど、大久野島は現在も、戦争の影響を残しています。大久野島の戦争の歴史はまだ、現在進行形と言えます。

『前事不忘 后事之師』、これからも頑張って、大久野島の歴史を次世代に伝えていかなければならないと思います。」

これまで「地図から消された島」など、多くの大久野島について書かれた本が出版されましたが、長い歴史をまとめたものは、この本が初めてだと思います。また本のサブタイトルにあるように「毒ガス加害・被害の歴史」の両側面から語られた本です。

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山内さんは、「入門書として読んでいただければ」と書かれていますが、巻頭の写真資料や目次を読んだだけでもその内容の豊富さを知ることができます。本文中にも写真がふんだんに使われていますので、より理解が深まると思います。

特に後半(全体の半分)で、戦後の歴史が詳しく紹介されているのが特徴だと思います。添付された「資料編大久野島の毒ガス関連年表」も、1890年(明治23年)に「呉憲兵隊忠海文献事務を開始」から始まり、2017年の「4月シリア内戦でアサド政権側が毒ガス兵器を使用したとしてアメリカ軍がシリアの化学兵器貯蔵施設などをミサイルで報復攻撃」まで、丹念に調べて記載されています。また、毒ガスを製造した側、毒ガス被害を受けた中国人、それぞれ2人ずつの「毒ガスに関わる証言」も収録されていますので、ここを読むだけでも価値があると思います。

近年大久野島は、「兎と触れあうことのできる島」として多くの観光客が訪れていますが、このことにも山内さんは「まえがき」で次のように触れています。「兎に触れ合うために訪れた人たちも、この島で毒ガスを製造していた時代、この島では兎がたくさん飼育され、毒ガスの効力を確かめるための動物実験として使用され、多くの兎たちの命が奪われた悲しい歴史があることを知らない人が多い。現在の兎たちは戦争中、実験用に飼われていた兎たちの子孫ではありません。」

数年前、甥の子どもを連れて大久野島を訪れた時には、残念ながらこの話は全く頭にも浮ばなかったが思い出されます。

もう一つ、この本を手にして思い出したことがあります。原水禁世界大会で「加害の歴史に学ぼう」という企画を立案し、大久野島を訪れる「戦争とヒロシマバスツアー」を始めたことです。資料で確認できたのは被爆49周年(1994年)原水禁大会が最初ですが、企画した私の記憶では、その数年前だったように思います。数年前というのは、「戦争とヒロシマバスツアー」にはもう一つ、広島市内を回るコースがあったからです。大久野島を訪れるコースは、毎年すぐに予約でいっぱいになったのですが、市内を巡るコースは、参加者が少なく2回ほどで中止にしました。被爆49周年原水禁大会報告集には、市内のコースが記載されていませんので、数年前から始めたことは間違いありません。

大久野島を訪れるバスツアーは、竹原のみなさんの協力で今も続いています。

この本は、個人出版として発刊されたものですが、一人でも多くの人に読んでほしい本です。

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2020年11月25日 (水)

荻野晃也さんが残した『科学者の社会的責任を問う』

親しく付き合いをさせて頂いていた荻野晃也さん、今年6月29日、80歳で逝去されました。死期を予想しながらペンを走らせ、亡くなられた後、8月30日に遺稿として緑風出版から出された『科学者の社会的責任を問う』(定価2500円+税)という著書があります。

 頼まれた訳ではないのですが、この本の書評を書いていました。反原発新聞の11月号に掲載させていただきました。ぜひ皆さんにお勧めです。


 本の題名だけでは、見るからに難しいなあーという感じがしていた。しかし実生活や実践から書かれたものは違う。引き込まれるような読みやすさと、荻野さんの人物考察に興味を持った。

日本人のノーベル賞受賞者も多くなると、その名前を憶えていることは不可能だが、最初に物理学賞を受賞した湯川秀樹さんくらいは、なんとなく「すごい人」だと誇りに思っているだろう。

荻野さんも湯川秀樹博士に憧れて京大理学部に学んだ。しかし戦後、湯川博士は核兵器廃絶を訴えながらも、なぜ原発問題には「沈黙」していたのか。湯川博士の授業を受けながら、そのことに疑問を持ち「何故だろう」と自分自身にも問うてしまう。そこが何とも興味深かった。しかしそのことをズバーと言わないのが荻野さんの品性の良さか。

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そして四国電力伊方原発訴訟(1973年提訴、92年最高裁が住民側上告を棄却)の、特別補佐人として加わり、原発の危険性を50年間訴え続けた。この部分に登場されている人は、ほとんど私自身も知り合いだったから、とてもリアルであった。

広島との関わりの中では、1974年から放映されたNHK連続テレビ小説の「鳩子の海」、主人公の鳩子が、原爆に遭い記憶を失い孤児になり、成人して原研(日本原子力研究所)に勤める男と結婚しそして離婚するというストーリィである。この時代は、原子力発電の最盛期でもある。荻野さんの、この当たりのウラ話的な背景の話しはとても面白かった。「鳩子の海」といえば、上関原発建設計画のある山口県熊毛郡上関町の観光シンボルでもある。

この時代はなんといっても「平和利用」の最盛期時代。荻野さんは、そんな中でも反対を貫く「反骨精神」で、最後まで講師として定年退職された。定年後は「電磁波の危険性なら荻野」とまで形容されるほどの研究者として、電磁波の健康リスク問題では多くの本も書かれた。

今年6月に3年間のがんとの闘いの末、80歳で亡くなられた。地元の京都新聞は『末期がんの病床で原稿を校正した赤鉛筆。手の力が弱まり何度も落としたが、拾えるようにヒモを付けてある』と写真を入りの記事を載せた。

今年1月17日広島高等裁判所は、山口県民らが求めていた、伊方原発3号機の運転差し止め請求を認める仮処分決定をおこなった。この知らせを病床で受けた荻野さんは、とても喜んでおられたと思う。

「科学者の社会的責任」、荻野さんから私たちが引き継がなくてはならない。


木原省治

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2020年11月11日 (水)

憲法を、文字通り、素直に読んでみませんか・その2 ――『数学書として憲法を読む』で伝えたかったこと――

憲法を、文字通り、素直に読んでみませんか・その2

――『数学書として憲法を読む』で伝えたかったこと――

 

 このブログで10月1日に問題提起したのは、日本の子どもたちの多くが、「国に対する責任を持ちたくない」というよりは、「自分が何をしても社会は変らない」と諦めてしまっているのではないかということでした。9月27日のエントリー「ドイツから見た日本の内閣」中、ドイツ在住の福本まさおさんによる問題提起に、私なりの視点で答えてみたかったからです。

それは、『法学セミナー』9月号に「論説」として掲載して貰った拙稿の一部を引用したものでしたが、是非その全体をお読み頂きたく、前回は、論説の最初の約3分の1だけ引用しました。憲法を「数学書として読む」とはどのような読み方なのかの解説と、裁判所の判例や通説・定説では、99条の憲法遵守義務が、「法的義務」ではなく「道徳的要請」だと解釈されているという問題点についても言及しました。

今回は、その続きですが、論説の中心部分でもあります。

 

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『法学セミナー』2020年9月号62ページから69ページまでの内、64ページから69ページまで。

 

  1. 憲法の否定は許されない

99条の解釈については、「置換禁止律」違反だけでなく、憲法全体で「義務」という概念がどのような位置を占めているのか、そしてそれが誰に課されているのかという点からも、二つの重要な問題が生じている。

一つは、校則であっても、数学の公理系であっても、ある一定のルールを定めた「体系」がある場合、その存在意義を損なわないために最低限必要なことは、その体系中のルールを「守る」というメタ・ルールが存在することである。「義務」を「道徳的要請」に薄めてしまっては、例えば、校則の最後に、「これを守るかどうかは道徳的要請なので、拘束力はありません」と付け加えるのと同等の意味になってしまう。つまり、論理的には、その体系の存在そのものを否定することになる。裁判所の判決が憲法を否定してしまうことは、当然、許されない。

次に、義務が課せられている対象に注目しよう。対象は、二つある。一つは「天皇」、もう一つは「公務員」である。最初に「公務員」を取り上げよう。99条によって義務を負わされている公務員が、自らの義務について、「それは義務ではなく道徳的要請だ」と言って責任を回避することは許されないはずだ。

「法の支配」とは、言葉の意味を尊重し論理的な推論によって得た結論によって合意を形成し、また権力の行使を許された公務員は、それを濫用しないためのルールに縛られて仕事をするという枠組に依存する。その枠組が機能するためには、公務員に負わされた「義務」が義務として機能しなくてはならない。その「義務」の意味を希釈することは、「法の支配」という枠組の中に「力の支配」を持ち込むことになるからだ。これも論理的には、憲法の否定だと考えられる。

安倍政権の言動はじめ、現実の政治の世界には、その結果としか考えられない多くの事例がある。これらについては『数学書』の「付論2」を参照されたい。

次に、「義務」を課されているもう一つの対象、天皇について考えよう。『数学書』でも論じたように、この中で、天皇に課されている「義務」を判決も通定説も無視してしまっているのは、理解に苦しむだけでなく、憲法における天皇の位置付けという視点からも問題である。それも一因となって、天皇に関するいわゆる憲法論は、実は憲法とは関係のない歴史や伝統、政治的イデオロギーについての議論として行われる傾向があって、空回りしているきらいがある。この点については、稿を改めて論じたいが、「天皇に課された義務」をその通り読むことで次のような結論に至ることだけは指摘しておきたい。

何より、憲法上の天皇の位置付けが明確になる。それは、99条からの論理的帰結として、天皇には「憲法の守護者」としての役割が与えられているということである。以下その結論の要点である。(拙著のIV部に相当する)

  • 「憲法遵守義務」は国事行為ではなく、「義務」である。天皇に関するすべての行為を「国事行為」だと決め付けるのではなく、天皇についての規定を天皇の権利と義務という形に論理的に整理し直すべきである。
  • 仮に、天皇が99条違反をして、憲法に従わなかった場合には、天皇はその地位を剥奪される。
  • 公務員、特に内閣が憲法違反を犯した場合にも、内閣が憲法を遵守している場合にも、天皇には、それとは独立した形で憲法を守る義務があり、またその義務を果す上では内閣の助言や承認は必要ではない。
  • つまり、天皇の存在そのものが、内閣と公務員が憲法を遵守しなくてはならないというメッセージの発信をしており、また憲法そのものの人間的具現化になっている。

憲法では、天皇について、このように明確な姿を描いている。それを全く無視してしまっているこれまでの憲法論は、憲法の持つ素晴らしさの大きな側面を生かしていないと言って良いだろう。

 

  1. 憲法は死刑を禁止している

 憲法を「論理的に読む」ことから、比較的簡単に得られる結論の一つを、『数学書』では「定理A」と呼んだ。それは、「憲法は死刑を禁止している」という命題である。憲法12条、13条、25条のそれぞれが、独立した形で死刑を禁止している。しかし、昭和23年の最高裁判所の判決 ( 「判決」と略す) は、死刑が合憲だと述べている。(最大判昭和23年3月12日 刑集2巻3号191頁)。これも明確に「憲法マジック」である。以下、憲法12条、13条、そして25条に続いて、 [定理A]を証明する。

 

12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。(以下略)

 

13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(以下略)

 

  1. [定理A]の証明

これら三つの条文から、独立に[定理A]が導かれるので、そのうちの一つ、25条を取り上げて証明する。他の二条についても同様の議論が成り立つ。

25条では、「生活を営む権利」が保障されている。「生活」とは、生きている人間が日常的な活動をすることを意味する。その際に、「生きている」という前提がないと、条文の意味がなくなってしまう。さらに、25条は 「公共の福祉に反しない限り」という例外規定にも縛られていない。

  25条の (そして12条、13条も)、主体は「国民」である。その中には犯罪を犯した人も含まれている。その人に死刑が科されるかどうかの判断にもこれら三つの条文が関わってくる。さて、仮に国家が、犯罪者に対して死刑を執行したとしよう。その行為は許されるのだろうか。

第25条については、「最低限度の」という限定的な条件が付けられてはいるものの、「生活」は「生活」である。生きていなくては生活できないことは自明であり、その「生」を奪うことは「生活を営む権利」の侵害であり、25条違反だ。

その他の条文からも同様な結論が得られ(*)、憲法は少なくとも3か条においてそれぞれ別の立場から明確に死刑を禁止していることになる。Q.E.D (**)

 

(*)13条の例外規定については、『数学書』の第四章を参照のこと。

(**)Q.E.D. とは、ラテン語のQuod Erat Demonstrandum(かく示された)の略で、多くの数学書では、証明が終ったことを示す記号として使われている。

 

かくして、死刑については、素直に字義通りかつ論理的に憲法を読む立場と、最高裁判所による確定判決という立場から、それぞれ正反対の結論が出てきた。では、どちらを採用すべきなのだろうか。

通常の法的枠組を尊重すれば、当然「判決」が最終的判断になる。となると、死刑が合憲であることに疑いの余地はなくなる。同時に、憲法を字義通りに、そして「論理的に」読むこともゆるがせにできない。

その視点から、[定理A]の証明と「判決」とを比較しておこう。 [定理A]の証明は今お読み頂いた通りで、簡単明瞭である。そして、死刑が違憲であるという「証明」は、誰が証明しても、誰がその趣旨を説明してもその結果や論理的筋道には全く影響がない。小学生がこの証明を掲げて、その正当性を訴えられることにこそこの立場の強さがあると言って良いだろう。それは、この「証明」が純粋に客観的存在だからである。

このように、誰にでも分る形で死刑が禁止されていることを憲法は示しているのだから、それとは正反対の結論を主張する側からは、最低限、何故、[定理A]の証明をそのまま認めることができないのかを、論理的に説明する義務があるのではないだろうか。これは今からでも遅くはない。

 

  1. 最高裁判決の問題点

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最高裁による昭和23年の死刑についての判決の、要の部分を引用しておこう。

もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には,生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているものといわねばならぬ。そしてさらに,憲法第31条によれば,国民個人の生命の尊貴といえども,法律の定める適理の手続によつて,これを奪う刑罰を科せられることが,明かに定められている。すなわち憲法は,現代多数の文化国家におけると同様に,刑罰として死刑の存置を想定し,これを是認したものと解すべきである。

詳細は『数学書』の第5章をお読み頂きたいのだが、この「判決」の推論には、論理的には穴がある。一つには、13条で使われている「公共の福祉に反しない限り」を必要条件ではなく十分条件として扱っている点である。そして、この字句を、論理通りに必要条件と読んだ場合には、それに続いて吟味されるべき可能性の全てについての場合を尽さずに、死刑を「当然予想している」という結論になってしまっているからだ。31条における「適法の手続き」も、必要条件を十分条件と読み換えている点で、同様の非論理性が問題だ。

となると、「判決」の持つ力は、論理とか説得力によるものではなく、最高裁という「権威」に依存していると考えざるを得ない。これを、確定していない地方裁判所の判決である場合や裁判所以外の場、たとえば国会における議員の発言や、閣議決定、または学界における専門家の発言等と比較しても、最高裁の判決であるという事実は決定的な意味を持つ。

我が国の法的枠組が、憲法を出発点として、三権分立の原則に従って、また法的な整備を重ねた結果として機能してきたことを蔑ろにするつもりはないが、こうした積み重ねも、より広い立場で俯瞰すると人間による知的営為の一部だ。知的営為の一部としての正当性から考えると、ある命題を主張する主体によってその説得力が変るものと、つまり「権威」があるかどうかが判断基準の一部になるものと、どのような主体が主張してもその説得力には変わりのないものとの間で、どちらを採用すべきかと問われれば、それは客観性において優れている方だという答になるのではないだろうか。

 

  1. 自衛隊は違憲である

次に、多くの子どもたちが憲法を学ぶ際に遭遇する「憲法マジック」とその結果、生じるジレンマとフラストレーションから見て行こう。私たちの世代がそうだったのだが、子どもたちが小学生として初めて憲法を読むとき、関心を持つ条文の一つが9条であることは言うまでもない。そして、改めて条文を読むと、自衛隊が憲法違反であることは明白である。また、現実に存在する自衛隊が、「陸海空軍その他の戦力」であることは誰でも知っている。しかし、憲法では持ってはいけないことになっているのだから、立派な「憲法マジック」だ。念のために条文を掲げておこう。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

      2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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以下、10月1日の引用につながるのですが、出来ればその部分を再度お読み下さい。下線をクリックするとそのページに飛びますので。

 

[2020/11/11 イライザ]

 

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2020年10月21日 (水)

「今でしょ!」・その2 ――「SUGA」政権は「本気」――

「今でしょ!」・その2

――「SUGA」政権は「本気」――

 

学術会議の会員任命拒否という暴挙についての考察を始めましたが、前回はその動機を取り上げました。今回はその続きで、菅政権が「本気」で言論弾圧に取り組んでいることを俎上に載せます。少し長くなりますが、お付き合い下さい。

前回は、菅政権が学術会議いじめを端緒に言論弾圧に乗り出した二つの「動機」を例示しました。今回は、菅政権が、言論弾圧に「本気」で取り組んでいることを、荒っぽい証拠になりはしますが、証拠とともに明らかにしたいと思います。

まず、前回示した動機の内の②、つまり、防衛装備庁が軍事研究を強力に推進するために「安全保障技術研究推進制度」を作ったにも関わらず、その制度に反対した学術会議への対抗策として、菅政権があからさまに言論弾圧を始めた辺りを中心に振り返りましょう。

① 最初はお金です。理工科系の研究にはお金が掛ります。(数学の一部など、例外はあります。) バブル時代は例外だったのかもしれませんが、研究補助費は限られています。「二番目では駄目なのか」という蓮舫議員の言葉が有名になりましたが、二番目から一番目になるためには、通常、とてつもない資金が必要になるのです。

  いや、それ以前の問題として、研究費そのものが危機的状況にあるのです。文科省が作成した、このグラフを御覧下さい。

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政府負担がほぼ横ばい状態なのです。そんな中、前回指摘したように防衛装備庁が大学の研究者たちに、「軍事研究をすれば資金は潤沢にありますよ」、と呼び掛ければ結果は火を見るより明らかです。

➁ 憲法9条改正や軍事研究に反対する日本学術会議の存在がハッキリ射程に入ったのは、前回も指摘したように2017年に同会議が「軍事研究反対声明」をまとめて、いわば「全研究者」を代表して政府の方針に盾を突いた時でした。

  その直後の秋、当時の大西隆会長は、新たに選任される105名の名簿を事前に政府側に説明するよう求められ、それに従ったとのことです。これは、学術会議法第三条、すなわち「第三条  日本学術会議は、独立して左の職務を行う」ならびに第七条、「2  会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」、そしてそれらが依拠する憲法23条、「学問の自由は、これを保障する」違反です。

  当然、この時点で学術会議会長は事実を公開して、国民的問題として政府に対峙すべきだったのですが、なぜかそのような行動にはつながりませんでした。結果として、政府がこれらの法的枠組みを無視し続け、有名無実にする土壌を提供してしまったのではないでしょうか。

③ 任命の対象となる学術会議推薦名簿の事前提出がすんなりできてしまったのですから、権力側の次の一手は、実際に任命「権」を行使して学術会議のメンバーを選び、権力支配を徹底させることになります。しかし、その前に、それなりの批判があることを前提に、次の「内部文書」

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を内閣府が作りました。2018年です。学術会議法の7条が、名実ともに総理大臣の任命権を正当化しているという内容です。学問の自由や学術会議の独立性を蔑ろにしていることも大問題ですが、こうした原理・原則が民主主義を続けるため、いや人類の生存を確実にするために必要不可欠であることへの配慮などは微塵も感じられません。しかし、「権力者の言い分は正しい」という命題に忠実に従う姿勢は歴然としています。

  その内容は論理的に破綻しているのですが、それは問題ではありません。文書のあることが重要ですし、後で触れますが、菅総理大臣の意志を貫くための道具として立派に役立つからです。

④ 今回の、6名を任命拒否するという暴挙は、こうした準備を整えつつ、機の熟するのを狙っていた菅総理が、その機が来たと判断した上でのことだと考えるのが自然でしょう。

④ 人事だけに絞って学術会議を屈服させるというのも一つのやり方ですが、菅政権は学術会議の組織・資金・そして存在そのものの見直しまで同時進行させています。それも、「ブラックな霞が関をホワイトにする」という謳い文句の「行政改革」の一環としての見直しなのです。もちろん、それには目的があります。私たちの守備範囲が増えますし、言葉による対抗策に頼る私たちにとって、より多くの文字数が必要になるため、悪くすると焦点がぼやけてしまって、大きな対抗勢力をまとめることが難しくなる可能性が大きいからです。

 という具合に進行しているのですが、正に用意周到、マスコミを操作し世論も誘導しながら「学術」などという言葉とは縁の遠い多くの市民の無関心さに乗じているのです。ジョージ・オーウエルの『1984年』に描かれた世界実現を目指していてもおかしくはありません。

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「ビッグ・ブラザー」が実現してしまえば、かつてのナチスのように、勝手気儘な施策を展開すれば良いのですが、現在はそこにまでは至っていませんので、それなりの説明が求められ、受け答えをしなくてはなりません。菅総理は「総合的、俯瞰的」視点からという説明しかしていないのですが、これでは何の答にもなっていない上に、仮に、このような表現に意味があるとすると、拒絶された6人が実際に任命されると「総合的、俯瞰的」という条件が満たされなくなることを示さなくてはなりません。

しかし、そのような論理的な議論をする積りは全くないのが、現政権そして前の安倍政権の特徴です。それは、論理的な議論をしようとする相手に対する「必勝法」が存在するからなのです。詳しくは、野崎昭弘先生の名著『詭弁論理学』(中公新書) をお読み頂きたいのですが、それは「強弁です」。とにかく自分の言い分を、相手を無視してでも言い続けることに尽きるのです。つまり、「黒は白だ」と言い続ければ、最後には「合理性」を掲げる相手であっても (いや、「だからこそ」と続けた方がより良い説明だと思いますが―――) 屈服させることができるのです。

そして、「言い続ける」言葉として「空集合」を選べば、それは何も言わないことになります。ずっと答弁を拒否するのも、「強弁」の一形態なのです。

 それも含めて、内閣府の作った「内部文書」を根拠に、「総理には任命権がある」と言い続ければ政権側が勝つのです。時間が稼げれば、アメリカ大統領選挙があり、コロナの状況も変わるでしょう。実際に開催されるかどうかはまだ不確定ではも、東京オリンピックも大きな話題です。そして来年の今頃は衆議院選挙一色になるでしょう。マスコミ的には「学術会議」の旬は過ぎ去っているでしょう。さらに、時間が経過することで「任命拒否」は既成事実になって行きます。3年経てば、任期が6年であるにせよ、その前の任期の会員たちの任命についての是非が問題視されるかどうか、心許ない状況になるでしょう。

しかし、それだけではないのです。「強弁」という手法は、目の前にいる相手には通用するのですが、マスコミを通して、より多くの「大衆」を騙すためには他の方法も必要になります。それは、多くのコマーシャルで使われているように、「イメージ」を通して、言葉を超えたメッセージを伝えることです。

そのために菅政権が使っている「イメージ」はかなり巧妙です。今、行政改革の目玉として大宣伝を行っているのは、ハンコの追放です。「面倒臭いハンコや、押印は止めましょう」に賛成する市民は圧倒的多数でしょう。そのイメージが「行政改革」なのですから、それと「学術会議」をだぶらせて世論操作をすれば、その効果は言うまでもないでしょう。「面倒臭い、無用の長物である学術会議などいりません。ハンコと同じです。」と言われて、内容も分らないまま、賛成する人が増える結果になってしまう可能性があるのです。

押印が日常的に要求されている社会は沢山あります。しかし、学問の自由や表現の自由が蔑ろにされる社会は、人類史上でようやく私たちの自体、あるいはそれに使い的に勝ち取ることのできた貴重な存在です。それを混同させることで、基本的人権を制限しようとする権力側の意図を見抜かなくてはなりません。

実際には、学術会議を廃止するのではなく、「罪一等を減じて」存続は許すが、規模を縮小して経費を削り、人員も減らした上で、「専門家会議」と同じように政権の忖度に終始する組織に衣替えさせるくらいの狡さは当然、持ち合わせているでしょう。「醜い」知恵だとしか考えられませんが、そんな目標を達成しようとしている「SUGA」内閣とは、「Super UGly Administration」 (訳は、「超醜い政権」) の略だと考えるのが相応しいように思えるのですが、如何でしょうか。

こうした動きに対して私たちのできることは何なのでしょうか。学術会議を「忖度会議」にまで劣化させないためにも、「憲法23条 学問の自由は、これを保障する」や「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の意味をもう一度噛み締めて、理解を深め、その理解をより多くの人たちに広げる努力をする必要があるのでないかと思います。

そんな努力の意味を、ナチスの犠牲になり、『1984年』を自ら体験したドイツの哲学者、ノーマン・ニーメラーは、次のような詩に託しています。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

そうです。任命拒否された6人の一人ではなくても、学者ではなくても、学問とは縁がないと思っていても、政治に興味がなくても、一人では何もできないと思っていても、行動するのは「今」なのです。

[2020/10/21 イライザ]

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2020年10月 1日 (木)

日本の子どもたちが心配です ――日本財団の調査結果――

日本の子どもたちが心配です

――日本財団の調査結果――

 

 このブログの9月27日のエントリー「ドイツから見た日本の内閣」中、ドイツ在住の福本まさおさんが問題提起されていた次の一節について、私も一言、付け加えさせて頂きます。

老人クラブにも関わらず、若い世代の支持率が高いのも良く理解できません。日本には、世代交代が必要だという意識はないのでしょうか。ぼくは日本では、若い人たちの新しいアイディアで国と政治を活性化させることが必要だと思います。

高齢者に頼るのではなく、若い人たちにどんどん出てきて、活躍してほしいと期待しています。

この内閣の顔ぶれを見て、そういう議論が起こらないのも不思議でしようがありません。それとも日本の若い世代には、国に対する責任を持ちたくないという意識が強いのでしょうか。

「国に対する責任を持ちたくない」というよりは、「自分が何をしても社会は変らない」と諦めてしまっている若者が多いからなのではないでしょうか。その点について、『法学セミナー』9月号の「論説」として掲載して貰った拙文の一部を引用します。

 

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にもかかわらず(憲法9条があるにもかかわらず)、自衛隊は存在している。その根拠として「自衛権」というものがあり、大人の社会ではそれが憲法より優先されることも教えられる。また、98条では、憲法が「最高法規」であると規定されていることを知って、しかしながら、それを超える憲法外の力によって、一国の軍隊の存否が決められることに違和感を持つ子どももいる。

こうした相矛盾するインプットがある場合、教育的見地から大人社会の責任ある地位の人や組織が、たとえば学校のカリキュラムを通して、憲法の条文で述べられていることと、現実に起きていることとの間の論理的矛盾について説明する必要があるのではないだろうか。説明の結果、論理の重要さについての子どもたちの理解が深まり、同時に現実との折り合いの付け方に子どもたちが納得するという結果になれば、それは一つの解決法である。

しかし、現実にはこのような教育的配慮はされていない上に、政府は自衛隊の果すべき役割について憲法の元々の規定とは関係なく、アメリカの意向に沿いかつ政権の軍拡指向を助長する施策を積極的に実行している。

このような環境で育って行く子どもたちの多くが、憲法の価値や力について疑問を感じ、社会は政治的力を持つ「権威」が動かしていて、自分たちの関与する余地はないという世界観を身に付けてしまっても不思議ではない。事実、下のグラフに示されている日本財団の国際比較調査によると、「自分で国や社会を変えられると思う」と感じている日本の子どもは18.3%で、調査対象の9カ国中掛け離れて低い。(出典:日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」)

その他の項目についても、自らが1人の人間として社会的貢献をして行けると感じている18歳の若者の比率は、国際的に最下位である。この無力感は、マーティン・セリグマンの研究によって知られるようになった「学習性無力感」として知られる。(あるいは、「無力感の習得」とも呼ばれる。詳細はセリグマン著『オプティミストは何故成功するか』(講談社文庫1994年)参照のこと)

[クリックするとグラフが大きくなります]

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子どもたちに学習性無力感が植えつけられる唯一の原因が、自衛権という外的要因による憲法9条の意味付けだとは言わない。しかし、日本社会では、「本音と建前」という慣用句が立派に生き残っているように、言葉や論理の代りに、「権威」による押し付けで物事が決定されている多くの事例がある。憲法の存在が、法治主義ならびに日本の政治全体の基礎であり、如何に重要な位置を占めているのかも視野に入れると、その重みが元になって、反動としての「無力感」の大きさについても理解して頂けるのではないだろうか。

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『法学セミナー』の論説、全文もお読み頂きたいと考えています。何回かに分けてアップさせて頂きます。

[2020/10/1 イライザ]

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