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映画・テレビ

2020年7月 1日 (水)

「無責任」の論理構造 (4) ――「一億総白痴化」の具体例としての「説明責任」――

「無責任」の論理構造 (4)

――「一億総白痴化」の具体例としての「説明責任」――

 

前回述べたように、「一億総白痴化」という言葉は、1957年に評論家の大宅壮一氏が、テレビの弊害に警鐘を鳴らすために作ったものです。それから60年以上経った今、「一億総白痴化」はさらに進行しているはずです。今の政治状況をどんな言葉で表現すべきなのか皆さんのお知恵を拝借したいのですが、ここではその一面に焦点を合せています。

つまり、安倍政治の特徴とも言える「無責任」体質です。その「無責任」体質は、前回説明した「憲法マジック」と、今回取り上げる「説明責任」――それは「一億総白痴化」の現代的な象徴なのですが――によってその輪郭が決っているというのが本稿の主張です。

「一億総白痴化」をもう少し詳しく見ると、大宅壮一氏の指摘したテレビ番組の低俗さ、という誰にでも分る現象だけでなく、余りにも多くの人が何となく受け入れてしまっていて、その不自然さや歪みに気付かないような、つまり見落としてしまっても不思議ではない「微妙な」あるいは「微細な」現象に気付くはずです。今回はそのうちの一つを取り上げ、問題が如何に深刻なのかを確認したいと思っています。

それは「説明責任」という表現です。森友問題や加計スキャンダル、そして桜を見る会の醜聞について、安倍総理は「説明責任」を果していない、「説明責任」くらい果しなさいという声が大きかったことは記憶に新しいと思いますが、それは、国会や記者会見でそれぞれの事例について納得の行く説明をしなさい、という意味でした。それは当然です。

「納得が行く」という点では、私たち主権者の要求に応えてはいませんが、意味のない言葉をペラペラ並べることが「説明」だと強弁することも可能です。そんな御託を並べて、その場凌ぎの言い抜けを続ける「安倍の理屈」(アベノリクツ)では、「説明責任」を果したことになってしまいます。恐らくこんな解釈が罷り通っているから、何事にも「無責任」な結果が現れることになるのではないでしょうか。

しかし国会で、質問に対して答弁を拒否した回数が、2012年からつい最近まで、総理以下大臣や政務官等、答弁する義務を負っている人たちについては、6532件もあることが、フリージャーナリストの日下部智海さんの調査で分っています。

大臣たちは、国会で議員の質問に答えなくてはならないという義務を負っているというのが国会法の決まりであり、これまでの慣行だったのです。それが無視され続けている背景にも、「説明責任」という言葉で「責任」そのものの意味を薄めてしまったという事実があるのです。

もう一度、「説明責任」の意味から考えてみましょう。まずはウイキペディアを見てみましょう。

 

説明責任(せつめいせきにん、アカウンタビリティー英語: accountability)とは、政府企業団体政治家官僚などの、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主従業員従業者)、国民といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(利害関係者/ステークホルダー; 英: stakeholder)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいう。本来の英語のアカウンタビリティの意味としては統治倫理に関連し「説明をする責任と、倫理的な非難を受けうる、その内容に対する(法的な)責任、そして報告があることへの期待」を含む意味である。

 

ここで注目して欲しいのは、「説明責任」という言葉が、英語の「accountability」の訳語であること、そしてゴシックで強調されているように、「倫理的な非難」を受けたり「法的責任」を取ったりという結果になることを想定しているという点なのです。

「accountability」の形容詞形は「accountable」で、その受身形である「be held accountable」も良く使われます。最近のニュースでこの表現が何度も聞かれたのは、ミネアポリスで起きた警官による黒人男性、ジョージ・フロイドさん殺害事件についての市民の声としてでした。警官が、フロイドさんの頭を地面に頭を押さえ付け、フロイドさんの頸部を8分以上も膝で押し続けた結果、それも「息ができない、助けけてくれ」という懇願を無視しての8分なのですが、その結果、フロイドさんが死亡したという事件です。

Black-lives-matter

「Cops are accountable (警官は責任を取れ)」という言葉が書かれています

 

これに憤激した世界中の多くの人たちが抗議活動を始め、「Black Lives Matter」という標語とともに、黒人の生命を尊重すべきだという、当たり前すぎる主張が全米、そして世界を覆い、1968年の大抗議運動を彷彿とさせるレベルの大きな動きになっています。その出発点になったのは、警察官を非難する市民の声でした。その典型的なもののひとつが、「He should be held accountable」でした。そして「Cops are accountable」です。「cops」(複数)は、警官の俗称ですが、訳としては「警官は責任を取れ」くらいが良いのではないかと思います。

しかし、日本全国で「常識」として流布されている「accountability」 = 「説明責任」という固定概念を元に訳すと、その意味は、「警官に説明を求める」という意味になってしまいます。でも、フロイドさんの死についての言葉として、これがいかに現実離れしているものなのかは、皆さんもうお分りですね。

済みません。今回も長くなってしまいました。これで完結してはいませんので、残りは次回、7月11日にアップします。

[2020/7/1 イライザ]

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2019年9月16日 (月)

「ジュノー博士、第三の戦士」上映会

昨日午後2時から原爆資料館東館地下1階「メモリアルホール」で、スイス人医師マルセル・ジュノー博士の軌跡をたどる映画「ジュノー博士、第三の戦士」の上映会がありました。主催は、同映画上映実行委員会となっていますが、実質的には在日スイス大使館が企画した上映会でした。ちなみに今年は、日本とスイスは、国交を樹立して155周年を迎えるという深い関係にあるます。

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広島にとっては恩人ともいえるジュノー博士への関心の高さを示すかのように上映会には、会場の定員312人の席がほぼ満席となる盛況ぶりでした。上映会は最初にあいさつが続きます。ジャン=フランソワ・パロ在日本スイス大使、続いてジュノー博士の息子ブノワ・ジュノーさん。「父は負傷者や犠牲者を救助するためには、いかなる手段をも使い、やり遂げる人だった」と語るとともに、「1979年に広島県医師会が建立した『マルセル・ジュノー博士祈念碑』の除幕式に参加するため初めて広島を訪れた時、原爆は悲惨なできごとであり、二度と起こしてはならないと思い、使用に反対してきました。」を訴えられました。

そして映画監督、脚本家と続き、いよいよ映画のスタートです。

映画の内容は、「広島、1945年9月8日。原爆投下の直後、ICRCの駐日首席代表として15トンの医薬品を携えて、破壊状態にあった広島に駆けつけ、自ら苦しんでいる被爆者の治療にあたり、救護活動に尽くしたジュノー博士はどのような人物だったのか、その軌跡をたどりながら、その精神を受け継ぎ、2017年コンゴ民主共和国で戦火からの救出にあたっているICRCアジア大洋州事業局長のクリスティン・チポラ氏の活動を紹介し、人道活動の大切さ」を訴えるもので、全体としてジュノー博士の足跡をたどりながら、国際赤十字の人道主義の精神を紹介することを中心に構成されていました。もちろん広島での活躍も登場はしますが。

上映会の最後は、知人の被爆者青木賢さんの被爆証言。15分という短い時間でしたが、良くまとまった内容でした。証言内容はまたの機会に書きたいと思います。

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上映会終了後、平和公園内の「マルセル・ジュノー博士記念碑」と袋町小学校平和資料館横にある「マルセル・ジュノー広場」を訪ねました。「記念碑」の裏には、「無数の叫びが あなたの助けを求めている M.ジュノー著『第三の兵士』より」というジュノー博士の言葉が刻まれています。映画を見た後には、その言葉の意味が重く伝わってきました。

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「マルセル・ジュノー広場」には、博士の肖像が入った直径約五十センチのレリーフが石垣に埋め込められ、功績をまとめた解説板があります。そこには「(前略)当時、救護所の一つであり、1日100人あまりの診療が行われていた袋町国民学校(現在の当校)においても、博士は被爆者の治療にあたられた。広島の恩人であるジュノー博士の生誕100年にあたり、その人道的・献身的な行為に心から感謝し、この広場をジュノー広場と命名するとともに、末永く広島市民に語り継がれていくことを祈念する。2004年10月2日」と書かれています。映画によれば、ジュノー博士は、市内10数か所に設置された救護所で活動されたようですので、ここもその1ケ所だったようです。入り口に「マルセル・ジュノー広場」と書かれた石碑が立っています。石碑には「レリーフが収められている石垣は、広島城外堀の石垣」ということも記されています。

いのちとうとし

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2019年7月 6日 (土)

“知らない=他人事”に終わらせない

少し前のことですが、映画「アイたちの学校」を見ました。

映画の中では、朝鮮半島の植民地化、朝鮮学校閉鎖の強行や、現在も高校授業料無償化から除外され続けていることなど、当然の権利を守るために闘い続けてきた歴史や現在の闘いの様子が描かれている映画でした。

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朝鮮学校だけが高校授業料無償化から除外されていることの不当性を訴えるために、毎月19日に街頭行動を行っています。「がんばって」と声をかけてくださる方もいますが、ひどい言葉を言って去っていく人もいます。朝鮮学校のことをたくさんの方に知ってもらいたい。今を少しでも変えていくために政治も変えていかないといけない。私も、まだまだ知らないことがたくさんあります。”知らない=他人事”で終わらせないようにしていきたいと思っています。

(M.I)

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2019年6月 6日 (木)

被害者の訃報相次ぐ―日本軍「慰安婦」問題

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワークが、毎月実施している街頭行動が、今月も第1月曜日である昨日の昼休みの1時間、本通電停前で実施されました。私がこの街頭行動に初めて参加してからでもちょうど3年が経過していますが、女性を中心に粘り強く継続されています。昨日の行動は少し参加者が少なかったようですが、私も本当に久しぶり(一年ぶりかな)に参加し、ビラを配布しながら道行く市民への訴えを行いました。ただ残念なことですが、ビラを受け取る人は少なく、だんだんと関心が薄れているのかなということも感じました。

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1991年に金学順さんが韓国で初めて元「慰安婦」として名乗り出て、自らの体験を語ってからすでに28年という時間が過ぎようとしています。この間に多くの被害者が無念のうちに逝去されています。今年に入ってからだけでも、これまでに韓国で4名、中国で1名の5名が次々と逝去されています。韓国の生存被害女性は、21名になったといわれています。広島の被爆者と同じように、いやそれよりも早く、被害女性がいなくなる時期を迎えることになります。今、日韓関係は、強制連行の賠償問題などを巡って、日本政府の強硬な姿勢により、最悪ともいえるような状況にあります。しかし、私はその多くの責任が日本側にあると思っています。戦後補償問題を解決するのは日本政府の責任です。そのためには、歴史の事実を事実として認めることから出発しなければなりません。自らの語りたくない日本軍「慰安婦」としての体験を語り続ける被害者の思いがなぜ受け止められないのだろうかと腹立たしい思いを抱くのは、私だけではないと思います。問題解決までの残された時間はわずかです。一人でも多くの被害者が生存されているうちに、被害者が望む解決への道を開くことが、今私たちに求められています。そのことを改めて感じた昨日の行動でした。

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昨日の行動で私が配布したビラは、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」が主催し、6月30日(日)14時からと17時からの2回上映される「アイキャンスピーク」映画会の案内チラシでした。韓国では300万人が観賞したといわれていますが?

ところで6月には、横川シネマで、1日から23日間のロングランで慰安婦問題の論争をテーマにしたドキュメンタリー映画「主戦場」も上映されています。

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この映画「主戦場」に、従軍慰安婦の人数や強制連行の有無などの論点について日米韓の30人以上へのインタビューで構成されているそうですが、このうち「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長などが「商業映画として一般公開するならインタビューは受けなかった」などとして上映中止や、ポスターからの名前や顔写真の削除を求めているそうです。これに対し、監督のミキ・デザキさんは3日に会見を行い、「出演者は全員、撮影した映像を私が自由に編集し利用することに合意する合意書や承諾書に署名した。映画の配給や上映、販売を承諾する項目もあり、出演者は商業公開の可能性も知っていた」「藤岡氏ら2人は公開前に確認を求めたので、昨年5月や9月に本人の発言部分の映像を送った。その後連絡がなかったので問題ないと判断した」と述べたといわれています。このことだけでも、興味をもたされる映画のようです。

いずれにしても2本とも日本軍慰安婦問題への理解を深めるうえでも、ぜひ見てほしい映画だと思います。

いのととうとし

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