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日記・コラム・つぶやき

2021年4月19日 (月)

広島市議会・政策立案検討会議傍聴記―その2 「原則」のため、次々と葬られる市民の意見

昨日、「原則に従って」の言葉で、前文に「核兵器禁止条約の発効」が挿入されないことになったことを紹介しました。15日の政策立案検討会議では、何度もこの言葉が飛び出しました。「原則」と言われても傍聴している人たちには、何を意味しているのかすぐには理解できなかったのですが、実は、昨年12月の政策検討会議で重要なことが確認されていました。「原案を全会一致でつくったのだから、今後修正にあたっても全会一致で行う」ということです。

今回の政策立案検討会議では、この「原則」が原因で、午前中の検討作業は50分ほどで休憩せざるを得ない事態に至ったのです。この「原則」なるものがあったため議論が紛糾し、ついに委員の一人が「大事なことが修正されないのなら、もうこんな会議に参加する意味はない、私が委員を辞退する」と発言し退席したため、午前中の協議が進まなくなったのです。そこに至る経緯を簡単に紹介します。

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意見の対立は、一番初めの検討事項から始まったのです。それは、前文の冒頭にある「昭和20年8月6日」という表現に「西暦の1945年を併記してほしい」という市民の声に対する検討の時に起りました。賛成意見が多数だったにもかかわらず、反対の理由は違いますが3人の委員が強行に反対したため「併記しない」ことになってしまいました。その余韻が残ったまま、3項目の「広島市の都市像である『国際平和文化都市』を記述すべきだ」という声の検討に入ったのです。一人の委員から「広島市の基本なのに、なぜこの言葉が入れられないのか」と繰り返し厳しく意見が開陳されたのですが、結論は「意見が違うので原案のまま」と市民の声を取り上げようとする意見は取り入れられませんでした。ここで怒りが沸点に達し、前述のような事態になったのです。私もこのやり取りを聞いていて、「こんなことも修正できない検討会議って、何のために開かれているのだろう」と強く思いました。

それでも何とか午後1時から再開されましたが、当該委員は欠席との扱いでスタートしました。段落ごとの検討が始まりました。中には、私も「入れる必要はないな」と思わざるを得ない意見もありましたが、ただ一項除いて、いずれも「記入しない」「そのまま」の結論ばかりです。私も何時になく熱心にメモを取ったのですが、余りにもあきれる検討会議の論議でしたので、項目ごとの論議内容の紹介は省略します。唯一の修正は、第6段落の最初の文言「しかしながら、被爆75周年を迎え」という表現を「被爆75周年が過ぎ」に変更したことです。これは変更というより、時系列を考えれば、市民の声が無くても原案提示の時点で直しておくべきか所ですから、修正と言えるものではありません。しかし、この声に対しても、最初は反対意見があったことをぜひ紹介しておきます。

結局、前文に対し28項目を超え、多岐にわたって市民の意見が寄せられたのですが、その声は全く無視されてしまったということです。この「原則」がある限り、市民の声は取り上げられることは無理だろうと予測していましたが、残念ながらその通りの事態が進行してしまいました。議会にとって一番大事な「可能な限り市民の意見を尊重し、取り入れる努力をする」という姿勢が全く感じられないということです。

なぜ「修正しない」という結論が次々と出るのかです。その原因は、もちろん考え方の問題もありますが、私は、次回からの条文ごとの検討が念頭にあるからだと思っています。市民からの意見に対し賛成する委員がどんなに多数でも「原案の修正を認めるような妥協は絶対しない。譲らない」という姿勢を貫くことで、今後予想される検討事項の中でも、たとえ多数の賛同があったとしても、「全会一致が無い限り修正させることが出来ない」ということを実績として残した置く必要があったからに違いありません。次回の政策立案会議でそのことが証明されると思っています。

今回の検討状況を見る限り、残念ながら「原案が修正されることはほぼない」ことが予測できますが、県原水禁の意見がどのように扱われるかを見届けなければなりませんので、次回もきちんと傍聴しようと思っています。

いのちとうとし

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2021年4月18日 (日)

広島市議会・政策立案検討会議傍聴記―その1 入れられなかった「核兵器禁止条約の発効」-広島市平和の推進に関する条例

15日に開催された広島市議会の政策立案検討会議の傍聴記です。広島市議会は、今年1月15日から2月15日までの期間で「平和推進に関する条例(仮称)の素案」(ここでは全文紹介できませんので、広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案に対する市民意見募集(募集終了) - 広島市公式ホームページ (hiroshima.lg.jp)を参照してください)に対する市民の意見を募集しました。この意見募集に対し、607人・団体から1043件の意見が寄せられました。寄せられた意見に対し、政策立案検討会議の考え方を示すことになっていますので、そのための検討が行われています。

3月18日に意見募集後最初の政策立案検討会議が開催され、その会議では「多くの意見が集まったので、この意見に対する検討を行う」ということとし、予定していた2月議会での採択は延期し、政策立案検討会議で引き続き協議することが確認されました。そいて今月1日に開催された第2回検討会議では「なぜいま条例が必要なのか」など基本的な考え方に関する意見について検討されました。そして第3回目となる今回の検討会議からは、いよいよ本論への意見の検討が始まりました。

今回は「前文」に対する意見について、それぞれ段落(8段落)毎にまとめられた意見に対して、協議が進められました。

段落ごとに、数項目の意見が寄せられていますので、その一つ一つの検討が進められました。その数28項目にもわたりますので、特徴的なことを紹介したいと思います。

順番どおりではありませんが、今日は、今回の検討で一番論議となり、傍聴者を唖然とさせ、私自身も耳を疑った第7段落の検討を紹介します。第7段落の原案は「今日、核兵器の廃絶に向けては、世界的にその機運は高まっているものの、実現までにはいまだ多くの課題がある。」です。

この項には、前文の中でも市民の最も多くの意見が寄せられました。その多くは「今年1月22日に発効した『核兵器禁止条約』について言及すべきだ」という声です。広島市民から見れば、当然の意見です。必ず挿入されると誰しもが思ったこの文言ですが、「意見が分かれたので、原案のまま」ということで、「核兵器禁止条約の発効」の文言は入れないことになりました。30名ぐらいいた傍聴席から、ため息が漏れます。

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少し論議の状況を紹介します。順不同ですが、入れなくてもよいという人たちの主張です。「『機運が高まっている』のなかに含まれているのだから必要ない」ここまでなら、まだ「そんな意見もあるのかな」という感想です。次に出たのがびっくりする意見です。「明確に反対。日本が批准する事にも反対。核兵器が違法となる条約を批准することは、日米安保条約の1条、2条にも関わることなので絶対反対。」さらに同じ委員からこんな意見も飛び出しました。「批准国の中には、中国の人権弾圧を支持する国が6つも入っている。」もう一人の反対意見は「発効したからと言って機運が高まっていることにはならない。条約で核兵器は、法律違反になったが、実効性があるのか。どうしても書かなけれればならない事なのか」です。今日は、各委員の発言への私の論評は避けますが、広島市議会は、国連で「核兵器禁止条約」が採択された2017年9月29日には「核兵器保有国を含む全ての国に対し核兵器禁止条約の早期発効を求める意見書」を採択しました。そして同条約の批准国が批准に必要な50カ国に達した2020年10月27日には、日本政府に対し「核兵器禁止条約の実効性を高めるための主導的役割を果たすことを求める意見書」を採択したはずです。反対の意見を述べた委員は、当時この意見書採択に反対したのでしょうか。

もちろん「入れるべきだ」とする委員も多数いました。例えば、原案では「入れない」ことに賛成だった人の発言です。「案を検討する過程では、いろいろな意見があった。私も入れなくてよいと思っていたが、今は、発効した事実があるので、事実をきちんと書くべきだと思うようになったので、入れることに賛成です」。この検討会議は、9人で構成されていますが、「核兵器禁止条約の発効を入れるべきだ」との意見が、半数以上の委員から、繰り返し意見が出ました。しかし結論は「核兵器禁止条約の発効の文言が入れない」ことになったのです。なぜそうなったのか?それは、この文言の挿入に最も強く反対した委員のこの一言があったからです。「原則に従ってやってください。」

実はこの「原則に従って」の言葉が、この政策立案検討会議では重要な意味を持つことになるのですが、それは明日紹介します。

いのちとうとし

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2021年4月17日 (土)

広島朝鮮初中高級学校 創立75周年記念行事

広島朝鮮初中高級学校が主催し、民族教育の未来を考える・ネットワーク広島、 日朝友好広島県民の会、広島無償化裁判を支援する会の三団体が協力する「広島朝鮮初中高級学校 創立75周年記念行事」が昨日午後6時30分から東区の広島朝鮮初中高級学校体育館で開催されました。朝鮮学園でも、昨日の午後、生徒たち全員で「75」の一文字を作り祝ったそうです。

広島県内に初めての朝鮮学校の初等学院が広島県大竹市に創設されたのは、ちょうど75年前の昨日1946年4月16日でした。翌1947年には、一気に17校に増えたといわれています。県内各地に創設された朝鮮学校では、紆余曲折がありながらも75年間広島の地で民族教育が行われてきました。朝鮮人同胞の手でつくられた朝鮮学校は、在日朝鮮人のみなさんにとって、希望の砦でもあったといえます。しかし、その歴史は、決して順風満帆ではありませんでした。子どもたちへの差別事件は、後を絶ちませんでした。特に、日朝関係が悪化するとそうした動きが強まりました。

この歴史の中で、日本政府による度重なる弾圧や差別があったことを忘れてはなりません。その中でも特に、2010年に導入された高校無償化制度から、朝鮮高級学校だけが排除されたことは、その象徴ともいえる事案です。政治とは無縁ともいえる子どもたちに対し、教育とは全く関係のない政治的な理由で、この制度から除外したことは、政治によるあからさまな差別であり、全体に許されるものではありません。

広島朝鮮学園と卒業生らが「国が朝鮮学校を高校無償化の適用から除外したことは違法」だとして処分取り消しを求めて広島地裁の控訴したのは、2013年8月1日でした。その後広島地裁は、2017年7月19日に不当判決を出し、控訴審である広島高裁も2020年10月16日に不当判決を言い渡しました。それに対し、学園と原告109人が直ちに上告し、現在、 最高裁判所での闘いが続いています。

本来なら「創立75周年」という節目の年ですので、お祝いムードで記念行事が行われるのが当然ですが、裁判係争中ということもあり、昨日の記念行事は「広島無償化裁判の意義」を考える集会となりました。

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集会は、民族教育の未来を考える・ネットワークひろしまの森崎賢司さんの司会で始まり、最初に李昌興学園長が開会のあいさつ、続いて明治学院大学教授鄭栄桓(チョンヨンファン)の「無償化裁判の本質から見えたもの、 そしてこれからの闘い―民族教育の存続と発展のために―」と題した記念講演。鄭栄桓さんは、まず「高校無償化制度は、外国人を主たる対象とする全く新しい制度を作りながら、なぜ朝鮮高校だけが排除された。政府が認めるとしながら排除するのは新しい差別だ」とし、さらに「無償化法は生徒の権利。受給する権利がある生徒を差別するのであれば、差別する側がその理由を説明すべきだ。当時のマスコミの論調の中に、『朝鮮学校も学習内容などが変わったのだから』という論調があったが、学校の変化を理由に、国を批判することは、これまでの差別を認めることになる」と話されたことが、印象に残りました。さらに「朝鮮学校は問題だよねと言う意識はどうやって作られてきたのか」と問題提起され、戦前、戦後を通じてくり返された朝鮮学校への差別の歴史が詳しく紹介されました。あらためて朝鮮学校の歴史を学ぶと同時に、日本政府が進めてきた民族教育権侵害の歴史を学ぶことが出来た講演でした。

集会は、その後、原告、2021年3月卒業生、生徒、弁護団が、それぞれの思いをリレートーク。支援団体を代表して「民族教育の未来を考える・ネットワーク広島」の村上敏さんの連帯のメッセージと続きました。そして「今後の行動提起」として、最高裁に対し「公正公平な判決を求める署名」と各人の「ハガキ行動」が提起され、全力で取り組むことが参加者全員の拍手で確認されました。最後に再び、李昌興学園長がたち、閉会のあいさつを行い、集会は終了しました。

いのちとうとし

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2021年4月15日 (木)

4月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

4月も半ば。農園では姿は見えないがキジがしきりにケーンケーンと鳴いている。10日の土曜日は夕方家族を帰らせて、一人農園に泊まることにした。11日の農園は霜が降りていて寒い朝だった。今春最後の冷えと霜かも知れない。ブルーベリーの剪定をひたすら続けている。

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4月10日(土)里山のブルーベリー園周辺でヤマツツジが咲きだした。いつもバッサリ切って持ち帰り飾る。

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4月11日(日)は一人前日から農園に泊まり込んだので朝の農園の様子を見回る。ブルーベリー畑は霜が降りている。

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ブルーベリーの花芽と新芽にも霜がついている。

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朝日を受けて野の花のカキオドシや

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ソラマメの花や

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石垣のスミレも色合いが凛々しい。

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ブルーベリーの剪定の前に1時間ほど畑の富有柿の剪定をした。上に伸びている枝ばかり残した。たくさん実がついてほしいが。

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畑のブルーベリーの剪定を始める。木の向こうに座っているアマガエルと目が合う。寒い朝だったので日向ぼっこで温まるのを待っているのかじぃーとしている。

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剪定場所は3段ある畑の真ん中の段に取りかかっている。午後からは気温が上がり青空が広がる。

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剪定が遅れているので4月14日(水)にも農園に行った。下から見上げるとブルーベリーの枝にぶつぶつと花芽がついているのが見える。

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1株からたくさんの花が咲いているのはスミレ。花は小さいが見飽きない。野で観るに限る。

2021年4月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年4月14日 (水)

学徒動員と原爆被爆その5-鳥取県への帰郷の路

一月ほど前の3月2日に掲載した「学徒動員と原爆被爆その3-帰郷への道」で「先日に紹介した鳥取敬愛高等学校社会部が、前年には自校の前身『鳥取高等家政女学校の学徒動員』のことを調べていたようですので、学校に電話で問い合わせたのですが『被爆問題は、調査していません。ただ因美線を使ったと聞いています』ということでした。岡山経由で帰る時には、呉線三原経由も考えられますので、広島駅を通過したのかどうか、今のところ確認できていません。」と紹介し、翌日の「学徒動員と原爆被爆その4-被爆者健康手帳の取得」では、最後に「島根県以上の生徒が学徒動員によって広島に派遣されていたにもかかわらず、鳥取県では入市被爆者の手帳取得者数は1989年の339人が最大ですから、島根県の1,432人とはあまりにも大きな開きがあります。なぜ、これほどの違いができてしまったのか、解明すべき課題が残りました。少し時間をかけて調べてみたいと思います。」と書きました。

その後、鳥取県の「帰郷の道」を調べたいと鳥取県立図書館に「何か資料はないでしょうか」と調査をお願いしていました。少し時間がかかったのですが、先日のその調査結果がメールで届きました。そのほとんどが、被爆体験記による情報でしたが、その中で1件だけ「学徒動員」に直接関係する資料がありました。

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鳥取県立図書館

鳥取県立鳥取工業高等学校の「創立三十周年記念誌」(1968年9月刊)に掲載された「学徒勤労動員の想い出」と題した吉田豊さんの体験記です。少し長いのですが、該当するか所を引用します。「十五日天皇陛下の終戦の詔書。動員解除。もはや一日も早く引揚げたい、代表者をもって再度に亘って交渉の結果、五日後の八月二十日学徒勤労動員解除の命令が下った。いよいよ引揚げ準備一〇〇人余りの生との勤労手当食費の精算等々一人で処理するとなると仲々つらい全員健康で残留者がなかったことがよかったし、生徒諸君もよく協力して呉れた。全員毛布と食器を土産にもらい、呉線で糸崎駅に到着、これより岡山廻りで帰る予定なのだが、来る列車はどれも九州方面からの軍人その他帰還者で超満員ばかり。なんとかして帰らねばならない一心で危険とは思ったが全員屋根のない貨物列車の石炭の上に乗せ岡山に到着点呼の結果欠員のないのに安堵。因美線は牛の乗る貨物車で無事全員を鳥取駅に待つ学校長並に父兄の手に渡したときのことは私の生涯の思い出である。」この体験記を書かれた吉田さんは、学徒動員された生徒ではなく、引率の教職員の一人で、交代のため8月6日の朝鳥取を出発し、呉に入っておられます。途中広島を通ったかどうかの記載はありません。

この学校の生徒は、これまで私が調べた中では、他の学校よりは遅く8月20日に帰郷の途に就いたようですが、私が知りたかった帰路について「呉線で糸崎駅に到着、これより岡山廻りで帰る予定」「因美線は牛の乗る貨物車で無事全員を鳥取駅に待つ学校長並に父兄の手に渡した」と書かれています。因美線は、岡山から津山を経由して鳥取を結ぶ路線です。

先に引用した同じ鳥取市内にあった「鳥取高等家政女学校」の生徒も「因美線を使った」という証言がありますので、鳥取県東部の学校は、呉線で三原方面に行き、岡山駅を経由して帰郷したことになりますので、鳥取県から呉市に動員された学徒動員の半数は、入市被爆することがなかったことになります。鳥取県中具の倉吉市内の学校(倉吉中学など)の帰路が判明していませんが、地理的にみると同じ経路をたどり、鳥取駅から山陰線で倉吉に帰郷したと予測されますので、広島駅を通過して鳥取県に帰郷した人は、さらに少なかったと思われます。

ほぼ同じ人数の生徒が学徒動員によって呉海軍工廠に動員された島根県と鳥取県ですが、入市被爆者の数に大きな開きがある理由は、その帰路にあったことが確認できます。ただ当時は、下記のような「混乱した交通事情」があったようですから、それを考えると「確定した」と断定することはできません。

その体験記の一人は「救護活動のため」入市被爆しています。「8月7日早朝 鳥取駅発、因美線経由、八日市に入る(一泊)、8月8日早朝 八日市出発、矢賀駅下車(「汽車が広島まで行かない為」)、徒歩で広島市内へ」。もう一人は、軍人です。「8月5日 陸軍経理学校受験のため鳥取連隊の下士官に引率され、伯備線、芸備線を経由し広島市に入り、堀川町の旅館に泊まる。被爆の後、国鉄宇品線が動いており被災者と共に宇品港経由で金輪島の施設に収容。3日間過ごす。8月9日 広島駅から芸備線(西城で1泊)、因美線経由で鳥取に生還。」。混乱した交通事情の中で、様々な経路をたどっていることがわかります。

鳥取県の学徒動員の帰路が全て確認できたわけではありませんが、鳥取県立図書館の協力によってかなり事実に近づいたような気がしています。

いのちとうとし

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2021年4月13日 (火)

ライラックの花が咲きました―被爆者の森

3月12日のブログ「被爆者の森」の植栽と樹名板の取付け: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した北海道の樹木ライラックの花が咲きました。

宮口はるこ候補の街頭演説の応援に来ていたMさんから「被爆者の森のライラックの花が咲いているよ」と教えられ、早速現地を訪れました。

きれいな花が咲いていました。

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植樹されてちょうど1カ月。2~3年の成木で樹高はわずか1メートルしかありませんでしたので、まさか今年花をつけるとは想像もできませんでしたで、沢山の花が咲いているのを目にした時は、ちょっとびっくりでした。しっかり根付いたのでしょう。まだ蕾がありますので、もう少し長く花を楽しむことが出来そうです。

ただ、北海道の木として植樹されたライラックですので、これまでにも何度が枯れたことがあるようです。春の訪れも早かった今年、夏の厳しさが想像されますので、何とかこの勢いで乗り切ってほしいと願うばかりです。

このライラックと一緒に植樹された富山県のアスナロ

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高知県のシラカシの木も元気な姿を見せていました。

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私たちには、うっとうしいと思われた日曜日ごとの雨が、この木々には適度の水分補給となったようです。

被爆者の森には何本か花をつける木がありますが、私が訪ねた時には、奈良県の県木スギの代木として植えられた八重桜が、今満開となっていました。

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春と言えば桜ですが、京都府からはシダレザクラが贈られてきています。訪れた時は、すでに開花の時期は終わっていましたが、よく見るとわずかに数える程の花が残っていました。

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満開時には、見事に咲き誇っていただろうと想像できます。このシダレザクラ、3月の植樹の様子を見ている時、ちょうど散歩で通りかかった女性二人からこんな話を聞いたことを思い出しました。「毎年見事な花を咲かせてくれるので楽しみにみていたのですが、数年前ですが、枝がバッサリと切り取られて無残な姿になったのですよ。桜を切るなんて」この桜は、緑地帯の一番車道側に植わっていますので、広がった枝が、歩道を覆うようになったため伐採されたのでしょうが、毎年花が咲くのを楽しみにしていた人たちにとっては、残念なできごとだったようです。

被爆者の森ができてから30年余りがたち、木々もすっかり大きくなっています。そのため、当時は予測できなかったと思いますが、隣の木との間隔が狭くなり、窮屈そうな木も目に付きます。その1本が、広島県の県木モミジです。

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隣のカシワ木の枝が、覆いかぶさるように伸びてきており、いびつな形に成長しています。今はまだ、カシワの木も芽吹いたばかりですが、葉が茂るとさらにおおわれた様子になると思います。こうした姿を見ると、適度の剪定を行いながら、管理することが大切だと思います。枯れた木、樹名板の管理とともに、「被爆者の森」全体をどう管理し、次代にどうつなぐかが課題となっているように思います。

いのちとうとし

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2021年4月12日 (月)

立憲民主、国民民主両党代表が来広―宮口はるこ候補を応援

参議院広島県選挙区再選挙の選挙戦が始まって最初の日曜日となった11日、立憲民主党、国民民主党の代表が、共に推薦する宮口はるこ候補の応援のため広島入りし、街頭から支援を訴えました。

立憲民主党の枝野幸男代表は、広島市の安佐南区と中区の2か所、国民民主党の玉木雄一郎代表は、広島市中区と福山市でそれぞれ街頭に立ちました。同じく推薦する社民党福島みずほ党首は、8日の出発式に参加しました。

私が応援に行ったのは、午後3時半から両代表がマイクを握った金座街入り口での街頭演説会です。

最初にマイクを握ったのは、立憲民主党の枝野代表。

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 「コロナ、第4波。無為無策の政治の失敗と言わざるを得ない。今のやり方では、感染を止めることはできない。ゼロコロナ戦略、台湾、ニュージランドですでにできているのに、〃島国の日本でなぜできないのか。一人ひとりの暮らしに目が向かない政治が続いてきるから。暮らしを守る政治に変えなければならない。再選挙の根っこは、同じ仲間内の、身内だけ良い思いをさせるだけで、県民一人ひとりに目が向いていない政治が続いていること。宮内さんが勇気をもって立ち上がってくれた。その思いを共有し、政治の流れを変えよう。主役である県民の底力を示すことが出来るかどうかにかかっている」と支援を訴えました。

次に国民民主党の玉木代表が登壇。

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1年9カ月前の参議院選挙の最終日に同じ場所に立ったことを紹介しながら「自民党は出直し選挙と言うが、党も本人も全く総括していないのに、なぜ出直しですか。政治の流れを変える。広島からその烽火を上げよう。命と健康を守るために政治を変えよう。小さな声を届けるために立ち上がった宮口さんを国会に送って下さい。この選挙を世直し選挙にしましょう」と呼びかけました。

二人の応援を受けて、力を得た宮口はるこ候補の演説にも力が入ります。聞くたびに内容も力強さも加わっています。聴衆からも「よっしゃ」「そうだ、そうだ」「がんばれ」の声が飛びます。

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ただ少し残念に思ったのは、両代表と宮口はるこ候補が揃って立つことがなく、3人そろい踏みのシーンが取れなかったことです。両代表のそれぞれの日程もあったと思いますが、野党が結集している姿を見せるためにも次回の応援演説ではぜひそのシーンを実現してほしいものです。

枝野代表は、金座街での演説に先立ち午後2時からフジグラン緑井前で街頭演説に立ったようです。フジグラン緑井前は、私も何度も街頭演説をした場所ですが、買収で失職した河井夫妻の地元中の地元。枝野代表の演説にも力が入ったことがうかがわれます。一方玉木代表は、金座街から福山市に移動し、午後5時から行われたJR福山駅前での街頭演説に臨みました。福山市は、宮口はるこ候補の地元ですので、大きな声援が送られたものと想像できます。

残された選挙期間は、ちょうど二週間。立候補表明が少し遅くなった宮口候補、追い上げる選挙戦、支援者の輪を広げて走りぬいてほしいと思います。

広島での選挙結果は、国政への大きなインパクトを与えますから、絶対に負けることのできない選挙です。がんばれ宮口はるこ候補!

いのちとうとし

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2021年4月10日 (土)

「規制の虜(とりこ)」

「規制の虜」という言葉があります。米国の経済学者が唱えた学説で、国(規制する側当局)が国民の利益を守るために行う規制が、逆に企業など「規制される側」に転換されてしまう現象を現わすものです。

まったくの素人だとは思いませんが、規制する側の知識よりも、それを所有している側の方が専門知識もあり、様ざまな経験やノウハウを持っているということで陥る現象です。分かりやすくいえば、規制される側が規制する側をバカにしているというか、甘く見られているという状況の中で起こることだと思います。お互いが癒着している状況の中では、ナアナアということで「見て見ぬふり」で済んだのでしょうが。

福島原発事故の前にはよく云われていましたが、国の原発行政が、規制する部門と、推進する部門が共存しているという中でも起こりました。

すでに亡くなられましたが、一級プラント配管技能士として20年間に亘り原発内で働いた経験を持っていた平井憲夫(ひらい のりお)さんが、「昨日まで農林行政を担当していた者が、明日から原子力を担当するようになる。こんなことがまかり通っているのですよ」と話されていたことを思いだします。

こういう国の政治構造だから、福島原発事故は起こったのだという指摘もあります。事故後に立ち上がって調査した「国会事故調査委員会」は、「事故は明らかに人災」とする報告書を提出しました。その報告書が指摘した扱いや対策は、まさに現在「行方不明」状態にあります。ただ福島原発事故後、新たに独立した立場で原子力規制行政を行う原子力規制委員会が発足しました。

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しかし最近の動きを観ていると、「規制の虜」が復活してきたと思えてならないのです。その理由は福島原発事故から10年が経過したこと、10年までは大人しくしていたというか静かにしていた「原子力ムラ」が、頭を持ち上げてきたという感じです。

その現象は、第6次エネルギー基本計画の議論の様子を観察していると分かります。40年で廃炉という原則について、「20年でも30年でも運転継続を…」、「新増設も…」といった発言が相次いでいるのです。ほんとうに国民をバカにしているとしか思えません。

極めつけは東京電力柏崎刈羽原発での、ID不正使用問題、原発に取り付けられていた地震計が故障していた問題、テロ対策用の侵入検知装置の故障問題、それを原子力規制庁・規制委員会に報告も行っていなかったことです。

5月には原子力規制委員会から「合格」が出るのではとされていた島根原発でも、中国電力の用意した地震・津波などに関する総括資料に対し、表現が曖昧だとする意見が原子力規制庁から出て、中国電力は「やり直し再提出」というお達しを受けたのです。

まだ規制される側(電力会社)に、長年培われてきた「規制の虜」体質が抜け切れていないのでしょうね。

長年電力会社を観てきている者として思うのは、この体質はそう簡単には直らないでしょうね。

改めて国会事故調査委員会が報告した、7つの提言を伝えておきたいと思います。

1)規制当局に対する国会の監視

2)政府の危機管理体制の見直し

3)被災住民に対する政府の対応

4)電気事業者の監視

5)新しい規制組織の要件

6)原子力法規制の見直し

7)独立調査委員会の活用

 

最近、再び「規制の虜」に陥るのではないかという危惧が強くなっています。

木原省治

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2021年4月 9日 (金)

だまっとれん。―参議院広島県選挙区再選挙告示

昨日(4月7日)、25日投票日で実施される参議院広島県選挙区再選挙が告示されました。私も、旧広島市民球場跡で午前9時半(何故か9時ではなく9時半からでした)から始まった結集ひろしまの宮口はるこ候補の出発式に参加しました。

「再選挙」、めったに聞かない選挙の名前です。すぐ頭に浮かぶのは、「補欠選挙」です。両方とも、議員の不足を補うための選挙ですが、呼び方が違うのはなぜかと、総務省のホームページを開いてみました。解説が掲載されています。「再選挙」は、長い解説になっていますので、ここでは今回の「再選挙」がわかりやすく解説されている「補欠選挙」の項を全文紹介します。

「選挙の当選人が議員となった後に死亡や退職し、しかも繰上当選によっても議員の定数が不足する場合に行われる選挙です。再選挙とは、その人がすでに議員であるかないかという点が違います。ただし、すでに議員であっても選挙違反などにより当選や選挙自体が無効となった場合は、再選挙となります。」

そうなのです。今度の選挙は、河井案里さんが「買収による選挙違反が確定し当選が無効になった」ことに伴う選挙ですので、「再選挙」となるのです。同時に実施される参議院長野県選挙区は、議員の死亡による欠員の補充選挙ですから、「補欠選挙」になります。

ところで、今日のタイトルに付けた「だまっとれん。」は、県選挙管理委員会が作成した投票を呼び掛けるキャッチコピーです。

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今回の選挙が、なぜ行われることになったのかを暗示し、選挙の意義を訴え、投票を呼びかける内容のように思えます。宮口候補の出発式の参加者の一人が「宮口さんのためのキャッチコピーのようだな」と言っているのが耳に入りましたが、その通りだと思います。このキャッチコピー「だまっとれん。」の言葉通り、広島県民一人ひとりが、「金権政治を正す」「金権政治は許さない」「自民党政治ノー」の意思をはっきりと示すことが出来るかどうかが問われる選挙です。

宮口はるこ候補の出発式は、結集ひろしまの代表佐藤公治衆議院議員のあいさつでスタートし、東京から駆けつけた立憲民主党、国民民主党、社民党の各党代表、そして連合広島久光博智会長のあいさつが続きました。

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それぞれの激励のあいさつを受けて、宮口候補の第一声。障害を持つ子どもの親として体験したことを紹介しながら「小さな声を国政に届ける役割を果たしたい」と国政への思いを語るとともに、今度の選挙の争点である「政治とカネ」の問題には、「河井夫妻は、何の説明もないまま、自分のことを他人のことに言う。県民は、情けない、恥ずかしいと思っている。金権政治にノーと言ってもらう大事な選挙。変える勇気を持ってほしい。」と強く訴えました。最後に、参加者全員による「選挙勝利」への決意を固める声をあげないでこぶしを突き上げる「ガンバロー」で終了し、選挙カーに乗り込み、街宣へ出発しました。

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出発式終了後、投票を呼び掛ける掲示板の写真を撮るため県庁前に移動しました。そこで目にしたのは、掲示板だけでなく横に立てられた「だまっとれん。」と書かれた幟です。看板に並べて県庁前の駐車場側には7枚、県庁北側の議会棟前には11枚の幟が立っています。お金を受け取った14人の県議会議員は、どんな思いでこの幟の前を通るのでしょうか。

県選挙管理委員会に問い合わせると「看板は県庁前の一枚だけですが、幟は430枚作成し、各市、町選挙管理委員会に送付しました」とのことでしたので、幟は県内各地で目にすることが出来ると思います。

いのちとうとし

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2021年4月 8日 (木)

4月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

ここ最近は1週間に1度雨が降る。その間隔が土日に来ることが続いている。4日の日曜日は終日雨で農園行きはあきらめる。それでも農園の周囲には野の花が次々と顔を出していて、単調な作業をせかせか続けている気分をまぎらわしてくれる。剪定作業が中心だが今年は遅れ気味だ。ブルーベリーの葉もまだ小さく花もまだ開いていない。

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3日には農園のブルーベリー畑のお向かいに鯉のぼりが掲げられた。風はそよそよで泳ぐまではいかない。

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ブルーベリーの剪定を続ける。

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ブルーベリー畑の地面ではスミレも数は少ないが咲き始めた。

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毎年この季節にお目見えのムラサキゴケ。

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4月7日(水)。

草が伸びてきたので里山のブルーベリー園に行く道の草刈りを行う。

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一番上の畑の早生のブルーベリーの場所替えを数本行う。取りあえず一区切りつけた。

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道の向こうの田んぼの法面のシバザクラが満開。

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地面にはレンゲ、

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濃い意紫色のスミレ、

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花びらの小さなツボスミレなどがあちこちに咲いている。

 

2021年4月8日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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