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2019年11月11日 (月)

「防災省」設置案

事前の防災対策

 

「防衛省 ⇒ 防災省」そして「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」という表現が分り易いので、これを何度も使っていますが、「防災省 (仮称)」設置の目的は、災害発生後の対応と同時に、災害による被害をできるだけ少なくするように、防災のための施策を全国的にまとめて一元化し、こうした施策を事前に施行することにあります。それは、災害の種類によってそれぞれ違います。豪雨による洪水と、地震に対する事前の対応を比べれば、その違いは明らかです。防災省では、その全てについて対応策を策定・実行しなくてはなりません。

現在でもそれなりの「計画」はあり、実行するだけという段階のものもありますが、何度も強調しますが、自然災害による被害が大きいこと、それを軽減することを国家的事業の最優先事項の一つにしなくてはならないと、私たちが覚悟を決めて、政治を動かして行かなくてはなりません。

そのために、たまたま分り易いパワーポイントの資料を国交省が作ってくれていますので、それを使いながら説明したいと思います。

 

[防災省の仕事内容]  

  1. 自然災害による被害を最小限に抑えるため、まずは事実の認識・把握のための基礎資料が必要です。災害がどの程度の頻度で起きるのかを統計的に推定し、安全度を加えた上で、河川、山林、道路や鉄道、その他の建造物等について、例えば、数百年に一度の頻度で起きる災害による被害を一定のレベル以下に抑えるよう、規制を設け、計画を立てた上で、目標をクリアする。既に計画のできている分野については、「災害優先」という立場、そして個人の「被害」という立場を前面に出し、再検証を行う。
  2. 台風や大雨、地震等について、どの程度の被害が生じるのかという予測はなされているが、被害の規模や財政的な損害等、天文学的な数字になっている場合もあり、十分な対策が取られているとは言えない。災害対策を日本という国家の最優先事項として、緊急20カ年計画を策定し、前半の10年間にはその中でも特に急がなくてはならないものを取り上げる。
  3. 災害についての正確なハザードマップを作成・改訂し、危険箇所に住む人々には個別の面接を行い避難の必要性や具体的な避難経路も含めた避難可能な知識を伝達する。避難「命令」が可能になるような法的整備も行い、発令等についても全国的に知見を共有して、避難が遅れることのないようにする。避難訓練も定期的に様々な想定の下行う。

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国土交通省による総合治水対策の概念図

 

《解説》

 ①.治水計画としては、国土交通省の立てた計画はあるものの、世界各国と比較すると大幅に低いレベルでの目標設定になっているため、特に近年に頻発している大雨の対策としては、不十分。具体的に数字を見ながら、緊急性を共有したい。

 ②.まずは次のグラフを御覧頂きたい。治水による安全度がどのくらいのレベルかを国際比較したものである。

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  ③.オランダと言えば、海面より国土が低いことで知られている。小学校の教科書で、堤防から水が漏れていることに気付いたハンス少年が、水漏れを止めるために献身的な努力をした感動的な物語を覚えている方も多いはずだ。そのオランダは、一万年に一度の水害に対応出来るような治水工事を1985年には終えている。日本に状況が似ているフランスでも、100年に一度の水害対策ができている。

   ④.でも日本の場合、その半分以下の30年から40年に一度の水害対策が目標になっていて、それも達成率は60パーセントほどだ。この統計が取られた2004年から14年経っているが、ウイキペディアでも同じ数字を使っている。前にも書いたように、事故ばかり起している役に立たないオスプレイを買う財源を防災費に回すだけでかなりの対策が可能になる。

    http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/6-8da6.html

 ⑤.日本の治水対策の中では、100年に一度の災害に対応することがあたかも理想的であるかのような目標設定が行われているが、もう少しレベルをアップすること、そして達成率を向上させるために財源を確保することが焦眉の課題だ。

 ⑥.地震については、建物の耐震性を高める必要が確認され、耐震性を持つ建造物が全体の9割ほどになっている点も評価すべきである。しかし、この「耐震性」で、建物にそれほど甚大な損傷が生じないのは、震度5レベルの地震なのである。政府が30年以内に起きる確率が80%だと言っている南海トラフ地震では、それを大幅に上回るはずだ。その被害額は土木学会の見積もりでは1400兆円(日本の国家予算は約37兆円)、死亡者は国の想定で32万人~33万人。立命館大学の高橋学教授の推定では47万人を超える。「それにもかかわらず。国、都府県、市町村の動きは極めて鈍く、今回の大阪北部地震を教訓に早急な対策が必要だろう。(高橋教授のコメント)」

 ⑦.子どもたちにも避難訓練をさせた北朝鮮からのミサイル攻撃で、何人の犠牲者が出ると安倍内閣が予測したのかは明らかにされていないが、まさか47万人を超えてはいなかったはずだ。そして、実際に攻撃がある確率をどの程度に見込んでいたのだろうか。80%以上ではないだろう。もしそれ以上なら、それは、明日にでも戦争が始まる可能性があり、単に「避難訓練」で対応できる話ではない。

 ⑧.30年以内に80%、そして死者数は47万ということは、あれほど大騒ぎをした北朝鮮の核やミサイルを桁違いに大きくした話なのだ。災害対策こそ、安倍政権挙げて今すぐ対応しなくてはならない案件なのではないだろうか。

 ⑨.こうした対応をすぐ実行に移せる組織として「防災省」が緊急に必要なのである。

以下、次回に続きます。

[2018/7/24 イライザ]

[加筆・訂正2019/11/10]

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2019年11月10日 (日)

碑めぐり案内で教わること

 11月のこの時期にも広島市の平和公園には全国各地からやって来た修学旅行生や、特に外国人の人たちの姿を多く見受けます。僕は修学旅行生に碑めぐり案内の案内役を年に10回ぐらいはやるでしょうか。

小学生から高校生まで、一度は通信制の高校生にも案内をしたことがあります。どの児童・生徒さんもとても可愛いです。こちら側が知らないことを教わることもたくさんあります。そして質問を受けたときに答えられないと落ち込みます。

これまで1~2回答えられないのがありましたが、帰宅してホームページなどで調べて、次からは「抜かりなく」とするのです。

そして前以っての準備で必ずやることは、その学校のホームページを視てどんな学校かを知っておくのです。10月は栃木県の今市市の高校生に案内しました。この学校のマスコットキャラクターは、「そんとくん」です。何の意味か分かりますか?二宮尊徳が亡くなったところとされています。あの薪を背負って、本を読みながら歩いている、僕ら世代の人なら通っていた小学校には、必ずといっていいほど在った銅像の人です。

最近は「歩きスマホ」の問題もあり、座っている二宮尊徳になったそうですがね。今市市が二宮尊徳とのつながりがあることは、知りませんでした。

 

そして11月3日は、千葉県銚子市の高校生に案内をしました。千葉県といえば台風19号や大雨で大きな被害を受けたところで、修学旅行に来られるのだろうかと心配していましたが、銚子市の方は大きな被害はなかったようです。  

大雨被害のお見舞いと昨年は広島県でも大きな被害があったことを話しました。そして「今年はサンマが少ないそうだねー」と話しました。

たぶん今年最後になるだろうと思われる碑めぐり案内は、来週の滋賀県のこれは小学生です。

さて多くでる質問ですが、大きな傾向としては学校の雰囲気で活発なのとそうでないのとの違いがあります。中学生は目立つのは避けたいという意識が強いのか質問が余り出ません。そういう意味では小学生はそれなりに出ます。

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小学生からの質問でもっとも多いもの、それは「平和の灯」の火は、雨が降っても消えないのか?中学生からもよく聞かれる質問です。面白いですね。

3日の高校生からは次の二つの質問がでました。皆さん答えられますか。

①平和の鐘の表面に書かれている字は何語か?

②原爆ドームは、当時何に使われていたのか?

さあー如何でしょうか?

そして慰霊碑の前などで記念写真を撮るのですが、教師から「ここは原爆で亡くなった人の碑だからVサインはしないように」という指導がされたことがあります。

写真を撮る人が、「さあーピース」と言ってシャッターを押していましたので、僕は「広島ではヒロシマー、ナガサキーと言う、キーのところで笑顔になるよ」と言ったらみんながそうしてくれました。そしたら同じ案内役の友人が「こういうのを教えるのは、この人だけよー」と話し、その場が大爆笑となりました。

木原省治

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2019年11月 8日 (金)

長崎から贈られた「紫陽花」

同じタイトルの原稿を9月19日のブログに掲載しました。最後の部分にこんなことを記載しました。

「この場所は青少年センターの前ですので、本当は最初からここの植わっていたというのが自然だ(青年団から贈られたという経緯)とも考えられますが。とにかく最初に植樹された場所を特定したいと思い、青少年センターの事務局に訊ねたのですが、『ここではわかりません』との答えでした。その後すぐに広島市緑政課(中央公園などを管理している)を訪ね、問い合わせ見ました。残念ながら、『少し時間をください。調べてみたいと思いますので』と直ぐには経過を知ることはできませんでした。連絡があるのを楽しみに待っています。」

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先日ようやく、広島緑政課から回答が届き、経緯が明らかになりました。次のとおりです。


[記念樹]

 昭和50年7月14日 被爆都市広島長崎青年交歓会が開催された際に、広島長崎平和文化都市提携の実現(同年8月5日)を記念して植樹された。

 植樹場所 平和大通り緑地帯(平和大橋東詰、NHK南側)

 寄付者  長崎市青年団体協議会

 寄付物件 紫陽花6株

[中央公園への移植]

 広島長崎青年交歓会が毎年、広島市青少年センターで開催されており、植樹の趣旨からして、同センターに隣接した場所に植樹等することが意義深いとの判断から、移植等がされた。


これで最初に植樹された場所が、平和大通り緑地帯(平和大橋東詰、NHK南側)で、その後現在地の広島青少年センターに移植されることになった経緯がはっきりしました。また贈られた紫陽花が6株であったことも。

お忙しい中調べていただいた緑政課の担当者に感謝です。

いのちとうとし

 

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2019年11月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その6)

HVPF第14次ベトナム平和友好訪問

 10月27日(日)から11月2日(土)までベトナムを訪問してきました。その報告を含めながら前回からの続きを進めたいと思います。

 石井卓雄陸軍少佐の石碑

前号の「仏領インドシナ侵攻と廣島」で、1945年8月の敗戦後もベトナムに残り、ベトナムの抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)に加わった日本兵のことを書きました。そして、その中でベトナム軍の軍事顧問を務めるなど重要な役割を果たし、フランス軍との交戦で戦死した福山市出身の石井卓雄陸軍少佐について紹介しました。

その石井少佐の「石碑」がホーチミン市にあったと伝えられており、「10月に予定しているベトナム訪問時に、同じ福山市出身の河上淳一・在ホーチミン日本国総領事にお尋ねしてくる」と、皆さんに約束しました。

まず、最初にその結果を報告します。

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福山市出身の河上淳一・在ホーチミン日本国総領事(外務省Hpより)

実は31日の早朝、フエからホーチミンに向かう飛行機が台風の余波の影響で10時間余り遅れ、その日のホーチミンでのスケジュールすべてキャンセルせざるを得なく、総領事館を訪ね河上総領事にお会いすることができませんでした。

しかし、訪問前にメールで相談していましたので、返信をいただいていました。その内容を紹介します。

「お返事が遅れて申し訳ありませんでした。石井少佐の石碑の件については、報道等によれば,1969年に謝恩碑がサイゴンに建てられ、その翌年(1970年)に日本に移設されたようですが、そのわずか約1年間にサイゴンのどこにあったかは、調べてみましたが,当地では特に記録もなく、残念ながら手掛かりとなるようなものはありません。現在、陸上自衛隊第14旅団本部に残っているはずの現物の石碑の移送記録が同本部にでもあれば、何かの手掛かりが判るかもしれませんね。」というものです。

「石碑」のあった場所が分からなかったこともさることながら、お忙しい時間を割き調べてくださった河上総領事に直接お礼が伝えられなかったことが残念です。今度は私が善通寺市の陸上自衛隊を訪ね調べてみようと思っています。

意外と知られていない抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)

日本兵が加わった抗仏戦争は、1945年9月2日にハノイでホーチミンが発した「独立宣言」によって建国されたベトナム民主共和国とフランスとの戦いです。1945年9月のサイゴン侵攻から1954年11月のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗退するまでの9年余り戦われました。

これまでも幾度も訪れたことのあるホーチミン市にある「戦争証跡博物館」では、いつになく抗仏戦争のコーナーに時間をかけていました。1968年のカリー米軍中尉が指揮した「ソンミ村虐殺事件」は記憶にありましたが、1947年11月29日にベトナム中北部のクアンナム省ミーチャック村で起きた「ミーチャック村虐殺事件」は知りませんでした。初めて入館した訪問団員が「ベトナムの戦争といえばアメリカとの戦争とばかり思っていた。」と漏らすほど、私たちは抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)のことを知らないことに気づかされました。

ベトナムの人々は、1862年にサイゴン(現ホーチミン)をフランス軍に占領されて以来、日本軍、再びフランス軍、そしてアメリカ軍との間で110年余りも民族独立と解放のために戦ってきました。

「平和の節目」となる年、2020年

ファン・ボイ・チャウのトンズー(東遊)運動、ホーチミンの抗仏戦争(第一次インドシナ戦争)とベトナム解放闘争(第二次インドシナ戦争)、その長い戦いが終結したのが1975年4月30日です。

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今回、初めてフエにあるファン・ボイ・チャウの墓に参拝し、チヤウを支援した医師、浅羽佐喜太郎の出身地静岡県袋井市の人たちが建立した「日越友好の碑」を訪れ、ベトナムの人々の長き苦難の道のりと日本人との関わりに思いを馳せました

来年はその「ベトナム戦争終結(南部解放)45周年」を迎え、ヒロシマは「被爆75周年」を迎えます。

この「平和の節目」となる年、私が専務理事を務める一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会(HVPF)は、記念事業を計画していますが、それはまたの機会に紹介させていただきます。

 いまに生きる「ベトナム建国の心」

1945年9月2日にホーチミンがハノイで発した「独立宣言」を少し長いですが、冒頭部分と幾つかのセンテンス、結語部分を紹介します。

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ベトナム独立記念式

「全国の同胞たちよ、全ての人はみな、平等な権利を持って生まれています。創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権、自由権、幸福追求権があります。この不滅の文言は、アメリカの1766年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族も生存権、幸福権、自由権を持つということを意味しています。」

「それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由・平等・博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。・・・・1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本のファシストがインドシナを侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本に私たちの国を明け渡しました。そのときから、私たち民族はフランスと日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから、私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞が餓死しました。」

「日本が連合国に降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。・・・・私たち新ベトナム国の臨時政府は、ベトナム全国民を代表して、フランスとの関係を離脱し、フランスが署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。」

「この80年以上にわたりフランスの奴隷であることに勇敢に対抗しました。数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。私たちは自由を得なければなりません! 民族の独立を得なければなりません!これらの理由から、私たちベトナム民主共和国の臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。ベトナム国は自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を維持するために、精神、軍隊、生命、そして財産のすべてを持つ権利があります。」(1945年9月2日)

(2019年11月4日、あかたつ)

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2019年11月 4日 (月)

「秋の散策」―浅野氏入城400年記念コース

毎年秋のこの時期に開催される広島市観光ボランティアガイド協会主催の「秋の散策」が、今年は11月2日に開催されました。昨年の「西国街道めぐり」には一人で参加しましたが、今回は夫婦で参加しました。

今年の「秋の散策」は、「浅野氏入城400年記念コース」と銘うち、広島城と縮景園をめぐるコースが設定されていました。

集合場所は、広島城大手門前。しかし、菊花展の最中ですので混雑を避けるため、少し西側の広島城南側広場に集合しスタートです。40人を超える参加者で、6~7人でのグループ分け。私たちは第1班で6名、ガイドは、ボランティア協会会長の持永義孝さんでした。

最初の案内は、広島城天守閣が最もきれいに映る場所を紹介。RCCの塔や周りの住宅が写らないスポット。集合場所のすぐそばにある圓鍔勝三作「花の精」の北側のお堀沿いです。

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確かに私の腕でもきれいに撮れました。天気が良く、堀の水面には天守閣が写っています。

いよいよ広島城の案内ですが、今日は回った道順の紹介と初めて知ったことを記載します。大手門をくぐり、二の丸へ。多門櫓の由来、太鼓櫓の時を告げる太鼓などなどの説明。残念ながら広島城では、今は時を告げる太鼓は打たれていませんが、今も太鼓を鳴らして時を告げているのは彦根城だけとのこと。

本丸へ移動です。二の丸から本丸へ移動するとき通る中御門跡で石垣の組み方の解説。

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2枚を比べて石組みの違いが分かりますか。左側の写真では、石の側面が揃っていますが、右側の写真では、石の長い方が右・左と交互に組まれています。こちらが新しい時代のものです。広島城を築いた毛利輝元は、石垣づくりの集団・穴太衆(あのうしゅう)に頼らず、自力で築いたと言われています。それが左側の石垣です。

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石垣の中にちょっと珍しい石がありました。よく見ると牡蠣殻がついています。瀬戸内海から石を運んだことがよくわかります。この石のことは初めて知りました。

いよいよ本丸です。鬼側のこと、破風のつくりなどなどの解説。

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ここでは、持永さん持参の「被爆前まであったといわれる大天守閣と東小天守を結ぶ渡櫓が写った写真」での解説。戦前はこの渡櫓から天守閣に登るようになっていたようです。帰宅して「財団法人広島市文化財団広島城」が発刊した「広島城壊滅―原爆被害の実態」を見ると、そこに上の写真が掲載されていました。今は天守閣のみですので、この姿を見ることはできません。

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本丸の東北角に、壊れかけた石垣があります。広島大学も三浦教授の説によると、浅野の前の城主だった福島正則が、自らの潔白を証明するために壊した跡だと言われています。しかし諸説があるようです。私が知りたかった「福島正紀はどこの石垣を修理したのか」ということは、残念ながらわからないとのことでした。

ここで広島城は終わりです。最後に向かったのは、縮景園です。

縮景園では、抹茶とお菓子が用意されていました。茶店で一休みした後、持永さんの解説を聞きながら園内を散策。途中で、予定の午後4時になり「先の散策」は終了しました。

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最後の集合場所へ移動する途中に、菰巻きされた松が並んでいましたので、一枚パチリ。

観光ボランティアガイドの皆さんありがとうございました。来年も楽しみにしています。

自宅を出発して帰宅するまでの歩数は13,314歩でした。

いのちとうとし

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2019年11月 1日 (金)

防衛省を防災省に (2)――「自然災害」対策を、最優先課題にする――

以下、昨年のブログに掲載したものですが、重要な問題提起をしている積りですので、再度お付き合い下さい。

今回は、「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」、つまり「防衛省 ⇒ 防災省」というパラダイム転換を実現するために、「防災省 (仮称)」はどんなお役所なのか、大雑把なスケッチになるとは思いますが、青写真を御覧頂きたいと思います。とは言っても、一素人が防災についての大きな絵を描こうとしているのですから、完成させるためには多くの皆さんの助けが必要です。

防災の専門家、例えば消防や警察の関係者、自衛隊の防災担当者の皆さん、学者や行政の担当者、そして被災者の方々やボランティアの皆さん等々に助けて頂ければ幸いです。例えば、もう既に良く練られた「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」あるいは「防衛省 ⇒ 防災省」転換のための計画があってもおかしくありませんし、それほどラディカルではなくても、災害を恒常的な存在であると捉えた上での対応指針のようなものもあるかもしれません。御存知の方がいらっしゃいましたら、是非御教示頂ければ幸いです。その他、明らかな間違い、思い込み等々、この件について気の付いたことなら、何でも結構ですからお寄せ下さい。

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また、考え方を分り易く説明するために、「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」あるいは「防衛省 ⇒ 防災省」という表現を使っていますが、その方の可能性ももちろん大歓迎です。たとえば「防災省」と「防衛省」が、バランスのとれた形で共存しても良いでしょうし、とにかく「自然災害」対策を一元的に行うための組織、それも予備対策や救援救助、そして復旧等の仕事のできる実働部隊をその一部とする組織が必要です。その実現のためには様々な可能性がありますので、柔軟にかつ創造的にアイデアを育てて行ければと思っています。

 

「防災省」設置案

[設置目的と根拠法]  憲法第25条、つまり、〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕として掲げられている次の「権利」を保障し、国の「義務」を果す上で、自然災害が国民の生命ならびに生活に多大なる脅威となってきた歴史を踏まえ、また、自然災害を日本という地理的範囲を全体として捉えると、「恒常的」な災害が生じているという認識の下、自然災害を最小限に抑えるために防災省を設置する。

  第25条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

          2.  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

《解説》  

  1. 「自然災害」の定義――「自然災害」の中には、次のような事象による被害を含める――地震、噴火、津波、高波、竜巻、台風、洪水、土石流、大雨、大雪、猛暑、厳寒、旱魃等。
  2. 「自然災害」には「恒常的」対応が必要――ここ20年 (あるいは〇十年) ほどの災害の実態を、それ以前の災害の統計と照らし合わせた上で、地球温暖化と異常気象についての世界的な知見も活用して、自然災害が日常的脅威となっている現実を直視する。今後の対策としては、国のレベルならびに地方自治体、さらには企業等の組織や個人までも含めた「ステーク・ホールダー」たちが、災害は起きた後で対応するものというこれまでの枠組みを捨て去って、「恒常的」対応が必要なものであるという認識を共有する。
  3. 被害の総体を把握――そのための経年比較をする際には、次のような側面に特に注意する必要がある。死亡者数、全壊・半壊等の建物被害数と被害金額、道路・鉄道・港湾・空港、水道・電気・ガス・通信等のインフラの被害規模、特にその復旧に要する費用、農林水産業の被害規模と復旧のための費用、民間企業その他の団体が被った被害規模ならびに金額、被災者や被災団体が失うことになった「時間」とその間に失われた生活や生産等を数値化することで得られる逸失費用等、敢えて重複を恐れずにあらゆるコストを計上した上で整理・分析することによって、被害の総体を把握し、全国民が共有できるように表現・周知・共有する。
  4. 一つの省が必要――これまでの国の対応、例えば災害担当大臣を置くといった措置では不十分で、災害救助のできる実働部隊を伴う一つの省が必要である。防衛省の存在が必要であるなら、それ以上に防災省の設置は必要かつ緊急を要する。
  5. 自衛隊より緊急度は高い――その理由を簡単に説明すると、それは死者数、さらに生活の激変を余儀なくされた「被害者」の数を見るだけで明らかである。まず、この73年間、外国の侵略によって死亡した日本国民はゼロであり、また死亡を含む生活の大激変という形での外国からの影響は、アメリカ軍基地の存在以外にはないと言って良い。対して、自然災害による死者数は膨大であり、東日本大震災の結果、未だに避難生活を続けざるを得ない人々の御苦労を考えただけでも、「防災」の重要性は自明である。結論として、「防災省」を実現しこうした被害を減少させるために、全国民が一致してその設置のために努力すべきである。
  6. 自衛隊以上の予算を――外国からの侵略がなかったのは、自衛隊があったからだという議論もありそうだが、予算面等で自衛隊と同じ「レベル」での災害対策をこれまでして来ているのかも検証した上で、現在のレベルを凌ぐ防災対策を立てることで、同様に、「防災省」があったから自然災害の被害が減少した、と数年後には言えるようになるはずである。
  7. 情報、予算、人員、教育、公報等、一つの省が把握することで、実効性のある施策が展開できる――今回の豪雨災害において問題になった、愛媛県野村ダムと狩野川ダムの放流についても、下流の被害も視野に入れたダムの管理計画が綿密に立てられ、下流との連携が余裕をもって立てられていれば、被害はかなり軽減された可能性があり、それを可能にするための、「被害」を最優先する立場からの施策を展開する「防災省」の出番がある」。災害防止のための予報や警告の分野だが、それを可能にする予算の獲得や、実働部隊の人員の確保、災害時の避難等について住民への周知と日常的訓練等、一元化された行政の担える範囲は広い。

防災省の組織、任務、他の省庁との関係、自治体との役割分担等についても次回から順を追って説明します。

[2018/7/23 イライザ]

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2019年10月28日 (月)

岩国爆音訴訟高裁判決を傍聴して

マスコミでも大きく報道されているように、25日に広島高等裁判所(森一岳裁判長)は、岩国爆音訴訟の控訴審判決を出しました。私も支援者の一人として、法廷での傍聴、そして報告会に参加しました。そこで私が感じたことを報告したいと思います。

この判決は、岩国基地を離発着する軍用機がもたらす爆音被害が、受任の限度を超えた深刻なものであるとして違法性を認め、過去分の損害賠償を認める判断を示しましたが、原告住民がもっと求めていた「米軍機の夜間・早朝の飛行差し止め」は認めませんでした。

その理由は、他の基地爆音訴訟と同じ「第三者行為論」(米軍は日本政府の直接の指揮命令から外れた「第3者」であるから,日本政府に対して差止を求めることはできないという理屈)によって退けました。このことをまず考えてみたいと思います。

弁護団の主張(裁判後の声明文から)は、「日本政府が米国と合意(ここでは、空母艦載機部隊の移駐のことを中心に:カッコ内は筆者注)しなければ事実上実施することができないことである。被告国は日米安保条約をいつでも一方的に破棄しうることからすれば、『第三者行為論』により、国の責任が免責されることは論理的に成り立たない」です。

基本的には、私も弁護団の「国の責任は免れない」との主張を支持しています。そのことを前提としつつも次の疑問がわきます。裁判所は「爆音被害の違法性」を認めたのなら、なぜ国に対し「騒音を除去するために米国にその措置を要請する努力をすべきだ」ということが言えないのかということです。ただ損害賠償をすればよいではないはずです。その原因の根源を断つための努力を国に求めるのが裁判所の役割のはずです。

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次の疑問は、「過去の被害への損害賠償」は認められましたが、現在の、そして将来の被害に対しては、認めなかったことです。騒音の根源が立たれない限り、今もそしてこれから先も騒音は続き、被害を受け続けることになるのは自明のことです。そうであれば、国が「○○の措置を行うまでは」など、条件を付けたとしても「将来にわたって続く被害」に対しても損害賠償を国に命ずるべきだと思います。このことは、原告団長の津田利明さんも厳しく指摘されていることです。

報告会後、弁護士にその点をたずねると「損害賠償を得るためには、ふたたび裁判を起こすしかない」ということでした。今回の裁判でも提訴(2009年3月)以来10年を超えて、ようやく高裁の結論が出ました。上告すれば確定までさらに時間がかかります。今回の裁判でも、この判決を待たずに亡くなった人たちも少なくありません。

そこで考えなければならないのは、国の責任です。爆音被害の根源を断つために安全保障条約の解消を進めるしかないのですが、そのことができないのであれば、既に全国各地の爆音被害に対しては国の賠償責任が明確なっているのですから、立法措置などを行いその被害に対し国が補償するシステムを講じるべきです。もちろん、当然のことですが賠償さえすればよいということではありません。

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もう一つは、厚木からの空母艦載機移駐後飛躍的に増大している爆音被害に対し、その事実を認めつつ、「充分な証拠がまだ提出されていない」からと判断しなかったことです。艦載機移駐による爆音被害は、岩国のみならず周辺地域にも拡大しています。神奈川から駆けつけた「全国基地爆音訴訟原告団連絡会議」代表の金子豊貴男相模原市議の「今後周辺自治体にも原告を広げるなどの戦略も考える必要がある」という指摘を真剣に検討する必要があると思います。

原告の皆さんの願いは「静かな暮らし、静かな夜を取り戻す」という当たり前の要求であり、「子や孫に対して安心して暮らせる岩国の街を引き継ぐこと」という強い思いです。

今回の判決を契機に改めてそのことを確認することが大切だと感じました。

いのちとうとし

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2019年10月27日 (日)

重慶の日

昨日、重慶の日実行委員会が主催する「重慶の日」の行事が、広島市留学生会館(東区荒神町)で開催されました。今年で19回目ということだそうですが、私は初めて参加しました。会場では、重慶市や中国を紹介するパネルの展示、中国切り絵のコーナー、中国茶の体験などの様々な企画が準備されていました。

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私が会場に到着した時には、ステージで日中友好協会広島支部のみなさんによる太極拳が披露されていました。

その後、重慶市がある中国四川省に伝わる伝統演劇・川劇「変面」が、同コンテストで一等賞を獲得したことのある「変面」継承者の江玉(こう ぎょく)さんによって演じられました。この「変面」の技は、男性のみに継承されていたそうですが、2000年代に入り、女性にも許されるようになったそうです。江さんは、現在神戸の大学に留学中で、日本各地で「変面」の出演をつうじて、日中友好の懸け橋となるよう活動を続けているということでした。

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「変面」は、文字通り踊りながら顔に被った面を次々と早変わりで変えていく演技です。数えることはできませんでしたが、10回ぐらいの早変わりがあったと思います。その速さにはただただ驚くばかりでした。パンダを模した面もあるなど伝統的なものと現代のものが織り交ぜられていました。

スケジュールの最後は、パンダの絵などの景品がそろった抽選会がありましたが、残念ながら当たりませんでした。

広島市と重慶市は、1986年(昭和61年)10月23日に姉妹都市提携協定を調印し、その後の交流が続いているようですが、「重慶の日」の行事は、その一環として取り組まれているようです。

私が参加しようと思ったのは、以前から重慶には関心を持っていたからです。これまでに中国を10回以上訪問していますが、重慶は一度も訪れたいことがありません。重慶を訪れたいと思っていた最大の理由は、日中戦争で日本軍によって「そこの住む市民を目標に設定して『士気の征服』をめざす無差別爆撃」が3年間で200回以上も続いた地ですので、その被害の実相を現地で知りたかったからです。

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日本軍による「重慶爆撃」は、東京空襲に先立つ無差別都市爆撃の先例でもあり、その意味では、市民への無差別の最たるものといえる「広島への原爆投下」につながるものがあると言えます。

無差別攻撃を受けた重慶市民の被害がどうであったのか、自分の目で確かめたいという思いは、今も私の中にあります。

「重慶の日」の行事に参加してみようと出かけて行ったのも、そんな思いがあったからです。しかしちょっと残念だったのは、「重慶爆撃」についての展示などを目にすることはなかったことです(私が見逃しただけかもしれませんが)。私の知る限りではっきりとそのことに触れたのは「変面」を披露した江玉さんが、演舞のあとに行った「重慶を紹介するパワーポイント」の一枚でした。

もちろん近代的に変身する重慶の街を知ることも大切ですが、広島と重慶を結ぶものは戦争によって多くの市民が犠牲になったという事実だということも決して忘れてはならないように思います。

そんな思いを新たにした「重慶の日」でした。

いのちとうとし

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2019年10月26日 (土)

22分の5

22分の5、この分数の意味は分からないと思います。パーセントで表現すれば約23パーセントです。

 答えは、島根原発で事故が起こり、原発から30㌔圏内の人が広島県に避難する時、広島県内22の自治体が避難者を受け入れることになっていますが、その避難所の運営に関するマニュアルを策定している自治体の数です。

 広島県のことに詳しい人なら、県内には23の市町があると言われると思いますが、豊田郡大崎上島町は橋でつながっていないので、避難先自治体には指定されていません。

 原発事故時の避難計画について、法律によって自治体が行うようになっています。これは責任逃れだと思います。原子力規制委員会も、再稼働などを審査するとき規制基準に適合しているかどうかを審査するだけで、その原発近くの住民の避難計画までを審査しません。

 避難計画が決まらなくても、審査は合格となるのです。規制委員会の合格後、避難計画が定まっていないといことで再稼働が出来ない場合、それにイエス・ノーの判断は原発のある自治体、具体的にはその原発の在る都道府県知事になります。都・府といっても東京にも大阪にも京都にも原発はありませんから、道県の知事が決めることになります。

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 中国電力の島根原発は、日本で唯一の「県間防災協定」というのを締結しています。島根原発からの30㌔圏内避難者は広島県と岡山県へ、そして30㌔圏内でも鳥取県の境港・米子市の住民は鳥取県の東部に避難すると決められています。

 この県間防災協定というのは例えば出雲市の場合、出雲市~島根県~広島県~そして避難先である広島市というようにと、ややこしく行政組織が絡んでくるのです。行政をいうのはどうしても横のつながりが薄いので、意思の疎通がしっかりできていないとトラブルの原因になるのです。ましてや原発事故の場合、避難は多くの問題が発生すると考えられます。

 昨年の防災訓練が終わった後の今年1月、広島県庁内で「原子力災害時における広域避難受入れに関する担当者説明会」というのが開催されました。この会合の中で「避難所のマニュアル等の作成に関し、広島県は期限を設けて管理しないのか」という質問が避難先自治体から出され、広島県は「作成期限を設けるものではないが、早期に作成をお願いしたい」と答えているのです。

 この会議に基づいて、県内の5つの自治体がマニュアルを作成したというのが、22分の5という意味だったのです。5つの自治体の具体名について、広島県の担当者は「自治体側の了解が得られていないので」という理由で明らかにしませんでした。

 広島市は策定しているだろうと、どうにかして「広域避難受入計画」というのを入手しました。元々は2013年に策定されたものですが、今年3月に一部改正となっています。去年の防災訓練終了後にマニュアルを作るように言われて作ったのでしょうね。

 ざっと目を通してみましたが、ほとんどが土砂災害などの自然災害の避難計画で原発事故を想定した中味の部分は、出雲市の人たちを受け入れると記してあるだけでした。

 土砂災害などの自然災害と一緒に考えて良いのでしょうかね。

木原省治

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2019年10月19日 (土)

「UFOライン」を走る

フライフィッシング後の宿泊先は、直ぐ近くの「木の香温泉」の宿です。足をほぐしながらゆっくりと湯につかり、一日の疲れをいやしました。翌朝も、素晴らしい秋晴れです。

二日目は、私の希望で愛媛県と高知県の県境に連なる峰々を結ぶ町道瓶ケ森線「UFOライン」のドライブを楽しみました。この「UFOライン」は、ある自動車メーカーのコマーシャル映像に登場して以来、一躍有名になり多くの観光客が訪れるようになったそうです。私たちがドライブをした日も平日でしたが、多くの車が訪れていました。宿(標高670m)から国道194号線を少し愛媛・西条方面に戻り、右折し急なS字カーブが連続する旧道を10kmほど走るといよいよUFOラインへ入ります。左側に絶壁の谷底が続く道を走り始めると次々の美しい景色が目に入ります。

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眼前に少し雲が見えますので、前日中野倶楽部で「今日は、霧で全然見えなかったようですよ」と話を聞いていましたので、ちょっと霧が心配になりました。しかし、

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直ぐに、左手に高知県の山々が遠くまで見たわせる場所に出てきます。太平洋方面を望んでいます。

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少し走り続けると、コマーシャルに登場した景色が、綺麗な姿で目に入ります。

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この坂道を登り切ると眼前に西日本最高峰の石鎚山が目に飛び込んできます。

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山々の木々は、少し色づいていますが、紅葉にはもう少し時間がかかりそうです。

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右手に「吉野川源流の碑」が見えます。昨日釣りをした中野川渓谷の隣の流れる白猪谷(しらいだに)渓谷が吉野川の源流のようです。標高1500mです。さらに進むとこのラインの最高点に達し少し下ったところにキャンプ場があります。この駐車場は、標高1670mですので宿からは、1000m上ったことになります。ここで車を駐車場に止め少し歩くことにしました。

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歩き始めて10分もすると「氷見二千石原」という見晴らしの良い場所に出ました。左手に目を向けると雲海の中に浮かぶ石鎚山(1982m)が、すぐそばに見えます。朝の早い時間は、雲海がもっと素晴らしかったとのことでしたが、この時間(10時半頃)でも充分の楽しめる景色でした。ここからの眺めは最高でした。

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後ろを振り返ると、この道路の名前の由来ともなっている「瓶ケ森」(かめがもり:1896m)の低い方の峰・男山の姿を見ることができます。

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駐車場への帰り道、足元をよく見ると綺麗に咲いたリンドウの花を何株も目にすることができます。

この先を少し走ると通行止めになると聞いていましたので、再びきれいな景色を眺め、そして対向車に気を付けて、引き返すことにしました。絶好の天気となり、景色を堪能することができました。

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余談を一つ。山を下り、愛媛県西条市小松で郵便局によると、近くからお囃子の笛の音が聞こえてきました。この日から小松地区のお祭りということで、山車が待機しています。この地域の秋祭りでは、お神輿とともに各町内から出る15台の「山車」が練り歩くということです。旧西条地区では、60台余りもの山車が出るとのことでした。

そんな「秋まつり」の話を聞いた後、しまなみ海道を走り広島への道を急ぎました。

いのちとうとし

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