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文化・芸術

2020年1月20日 (月)

朝鮮学校高校無償化裁判支援街宣と第5回へいわこども展

毎月19日の実施されている今年最初の「朝鮮学校無償化裁判」を支援する街頭行動が、昨日本通電停前で実施されました。昨日の行動は、日曜日ということで午前11時から正午までの1時間、マイクでの訴え、チラシの配布、署名活動などを行いました。

このブログでも政府が実施する「高校無償化支援制度」から朝鮮学校のみが除外されていることの問題点については、今回は触れませんが、昨日の行動の様子を簡単に紹介したいと思います。

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最も特徴的だったことは、参加者が多かったことです。卒業を前にした朝鮮高校の3年生、学園の先生方や関係者、子ども連れの保護者とともに、支援する日本側の参加者の姿を多くみることができました。総勢100人を超える行動になりました。

次は、ビラの受け取りです。最近、街頭行動で配布されるビラの受け取り手が非常に少なくなっているのを毎回感じていますが、今回は従来の行動になく、良く受け取っていただいたというのが実感です。全国男子駅伝もあったからでしょうか、午前中にもかかわらず、いつもの日曜日より通りを歩く人の姿が多かったように感じました。「朝鮮学校の高校無償化」問題を初めて耳にする人も多かったのではないでしょうか。ビラの受け取りが多かったのもそんなところにも理由がありそうです。

もう一つは、署名への協力者です。最終集約を聞いていませんので、何名の方が署名していただいたのか数は不明ですが、ここでもいつもより多いと感じました。中でも、中学生が何人も署名している姿が特徴的でした。

今後も、時には時間と場所(いつもは県庁と市役所前)を変えて、訴えることも必要のように思いました。

正午で街頭行動を終え、多くの人が昼食を摂った後、「へいわこども展」が開催されている旧日銀広島支店へと移動しました。

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今年で5回目となる「へいわこども展」は、15日から始まり、明日21日まで開催されています。午前10時から午後7時まで開催されていますので、ぜひ参加してください。

昨日は、午後1時半から朝鮮学校の生徒によるミニコンサートがありました。小学生による歌唱、民族楽器の演奏、中学生の民族舞踊が披露されました。短い時間の演技でしたが、一生懸命な姿と、練習を繰り返していることが実感でき、大きな拍手が起きたコンサートでした。

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会場は、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の子どもたちの作品が並べて展示されているのが特徴的です。そして広島のインターナショナルスクールや日本学校の高校生、中学生、小学生の絵も展示されています。入り口で手渡されたチラシの裏面に記載された「昨年の展覧会アンケート」の一文です。「どれもすぐれた作品で、見ていて心が動かされました。普段交流がないようでも、こうした作品展を通して心の交流ができることは、とても貴重で素晴らしいことだと思います。私たちがどこかでつながっている。その思いが強まりました。」(50代男性)

こうした地道な取り組み上げることが、朝鮮学校への理解を深めることにつながるように思います。

いのちとうとし

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2020年1月14日 (火)

「旧広島陸軍被服支廠」見学会

旧広島陸軍被服支廠の保存をめぐる広島県の方針が発表されて以降、市民の関心が高まり、見学希望が相次いでいるといわれています。そして様々な団体が見学会を実施していますが、私も新聞報道で知った「建物を巡るイベントを開く『アーキウォーク広島』」が主催する「建物見学会」に参加しました。

主催する「アーキウォーク広島」は、以前から建築というキーワードで広島を活性化させようと「建築公開イベントの開催」や「建築ガイドブックの発効」などの活動を行う団体です。

当日も「過去の調査及び最近の学術調査」をもとに作成したカラー印刷の資料が、参加者に無料で配布されました。

この見学会は、11日から13日までの3日間、午前と午後それぞれ1回ずつ開催されましたが、私は13日の午前11時からの部に参加しました。

集合時間の15分ぐらい前に、その集合場所の緑町第2公園に着いたのですが、すでに多くの人が集まっておられます。多数の参加が予測されるということで、20人余りが参加された時点で第1班が構成され、見学会が始まりました。私は第1班です。

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現地はすぐ近くに住宅があるということで、移動する前に公園で配布された資料をもとにした説明がありました。

この見学会は、「旧広島陸軍被服支廠」を被爆という視点からではなく、「貴重な建築物」としての価値を知ってほしいとの思いで企画されたものですから、私にとっても非常に貴重な体験となりました。配布された資料をもとに、いくつか、その貴重さを紹介したいと思います。

「建築物の歴史と経緯」です。広島被服支廠は、日露戦争の最中の1905年に洗濯工場として建設され、1907年に支廠に昇格しました。東京の本廠、大阪の支廠の施設は、現存していませんから、被服廠の貴重な現存施設です。

次は「RCの歴史を知る」建物です。「RC」聞きなれない言葉かもしれませんが、鉄筋コンクリート造りのことです。この建物は日本最古級とのことです。世界でRCを使ったアパートが最初に建てられたのは、1903年フランスです。日本でも同じ時期に建ち始めますが、国内で現存するRC建築は、1911年に建てられた旧三井物産横浜支店と小野田セメントの工場建屋などがあるようです。この被服支廠は、これらとほぼ同じ時期である1913年に建設されていますので、そのことからも貴重さが分かります。

この調子で紹介していくと、ずいぶんと長い解説になってしまいますので、後は簡単な紹介にします。

「でも被服支廠はレンガ造りでしょ」と疑問に思われる方も多いと思います。この建物は、確かに外壁はレンガ造りとなっていますが、内部の柱や床は、全てコンクリートで作られており、RCとレンガが併用されています。

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同じようにレンガ造りで建設された兵器廠(現在の広大病院)は内部が木造、糧秣廠(現在の広島市郷土資料館)の内部は、鉄筋で作られています。ここでも貴重な建物だということが分かります。

「建築デザイン」です。屋根のピナクルや梁の端部の線形などに装飾的要素があるそうです。ピナクルは、初めて気づきました。

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その他にも「窓の組構造」や戦前の建築物に多い古いタイプの瓦の存在などの紹介がありました。

最後の紹介したいことは、資料の最後に記載されている「場(サイト)が持つ力」ということです。ここが最も大切だと思いますので、その一部を紹介します。

「建築単体としての価値のほか、倉庫が群として存在感のある『場』をとどめている点も極めて貴重です。(中略)旧被服支廠の倉庫群を目の前にすると、理屈抜きにその巨大さに圧倒されます。・・・この場に身を置き、五感を使うことで、『実感』という、書物で得られない膨大な情報を得ることができます。」

「旧広島陸軍被服支廠」は、「歴史的貴重な一面を体感できる場」としての価値を有しているということですが、そのことはガイドの奥本さんも何度も強調されました。

「アーキウォーク広島」が主催したこの三日間の見学会には、初日が約80人、二日目が約100人、そして最終日の昨日は約150人の参加がありました。関心の高さがうかがわれます。

見学会終了時「全棟保存」を求めることをいくつも聞きました。私もそのことを改めて実感するとともに、参加して本当によかったと強く思っています。主催者の皆さんありがとうございました。

いのちとうとし

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2019年12月27日 (金)

高校生が描いたヒロシマ「原爆絵画展」

広島国際会議場で8月7日から21日の会期で開催された「高校生が描いたヒロシマ『原爆絵画展』」が、同じ会場で12月21日から始まっています。

このブログでも8月の展覧会の模様を紹介しましたが、印象が強く残っていますので、改めて会場を訪れました。国際会議場の1階入り口には大きな看板が掲げられています。

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会場は8月と同じ地下2階の小会議室ランが使われていますが、スペースは2倍に広がり、ゆったりと鑑賞できる環境になっています。

基町高校美術部で「原爆の絵」の製作が始まったのは、平成19年(2007年)からですが、これまでに137枚の絵が描かれたそうです。今回の「絵画展」には、そのうちの41枚が展示されています。8月の時には、37枚の展示でしたので、4枚増えています。その中、今年制作された作品は、11枚です。

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ここに展示されていない他の作品も、会場真ん中に据えられたテレビで映像として流されています。ただ全部見ようとすれば、ちょっと時間が必要です。

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会場に掲示された説明文によれば「完成した『原爆の絵』は平和記念資料館に寄贈され、証言者が修学旅行生などに被爆体験を話すときに、当時の状況を理解してもらうために使用」されています。

高校生が描くための被爆体験を語る証言者の名前を見ると、私も知っている何人かの被爆者の名前がありますので、より関心が強くなります。8月20日のブログでかなり詳しく「原爆絵画展」の様子を記述していますので、今回は触れません。

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ただ、今度訪れてうれしかったことは、8月のブログでは「制作中」と紹介した小倉圭子さん作の「原爆の絵本・紙芝居」が、約1年かけて完成したと掲示されていたことです。

完成した絵本・紙芝居は3作品あるようですが、そのうちの紙芝居「ケイコの8月6日」が、今月11日に修学旅行で来広した東京の中学生に初めて披露されたそうです。

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この絵画展は、1月12日まで広島国際会議場で開催されます。「原爆被害の実相を後世に伝える」高校生の取り組みとして、今年多くのマスコミでも取り上げられた基町高校美術部の「原爆絵画」を直接目にすることで、一人でも多くの人に高校生たちの思いを共有してほしいと思います。同じ原爆の惨禍を描いた絵の「市民が描いた原爆の絵」とはまた違う感想が得られるはずです。

いのちとうとし

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2019年12月24日 (火)

「時を超えた兄弟の対話」展ビデオ試写会

昨晩午後6時から、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で来年1月1日から1年間開催される企画展「時を超えた兄弟の対話―ヒロシマを描き続けた四國五郎と死の床で直登の日記」の三面シアターで上映されるビデオ映像の試写会が行われました。

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このビデオは、「1945年8月6日、爆心地から約1キロの幟町小学校にあった臨時兵舎で被爆した四國五郎の弟直登が「被爆当日から亡くなるまで」病床で綴った日記に五郎の執筆文を重ね合わせ、あたかも二人が時空を超えて対話しているかのように紹介」したものです(当日配布の資料から)。ビデオの上映時間は、ちょうど30分です。私の能力でその内容を解説することはできませんが、原爆の非人道性を訴える力を強く感ずることができますので、来年1月1日から始まる「企画展」で、自分自身で見て、感じてください。

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私がこの試写会に誘われたのは、五郎、直登の声優を務めている木内みどりさんを少し知っていたからです。木内さんの急逝については、11月23日付のブログ「女優木内みどりさんの急逝と陶芸家梅田純一」で紹介していますので、今日は触れませんが、木内さんのとってこの作品は、まさに遺作となりました。ですので、誘いを受けると、一も二もなく出かけることにしました。

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上映終了後あいさつに立った四國五郎さんの長男光さんは、次のように語られました。

「見終えて、うれしかったことと悲しかったことが交錯しています。」「うれしかったことは、父は、『私の描く絵は、部屋の中に飾るものではなく、平和のために使ってもらう絵』といっていました。父の願いが生かされる形で使われた。父は天国で喜んでいます。」「悲しいことは、木内さんの急逝です。木内さんは、深い敬愛の念を持ってくれていました。おこりじぞうの語りを100回やるといっていました。残念ながら、12回が最後になりました。家族にとっては頭の下がる思いです。」

最後に「戦争を2度と繰り返すな。これが父の作品に込められている想いです。」と訴えられ、あいさつが終わりました。

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四國五郎を「死んだ人々に代わって絵を描こう。戦争反対・核兵器廃絶を、芸術になろうがなるまいが・・・」と決意させ、「これからの人生で方向を見失いかけた時は、これを読み返せ、五郎よ!直登の日記を読め!」と自身の戒めとした「時を超えた二人の対話」を一人でも多くの人に実感してほしいと思いました。

来年1月1日にスタートし、12月29日まで開催されるこの「企画展」にぜひ足を運んでみてください。

いのちとうとし

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2019年12月 8日 (日)

「前川秀樹像刻展」に行きました。

昨日から、並木通りの南詰にあるギャラリーたむらで始まった「前川秀樹像刻展―シャン・ノースー」に行ってきました。広島での開催は1年半ぶりです。

昨日は、初日ということで東京や神戸、福岡などから駆けつけた人を含め17~8人の愛好家が、開廊時間の午前11時を待っていました。いつものことですが、人気の高さに驚きです。

私が作品を紹介する力はありませんので、送られてきたDMに書かれた紹介文を掲載します。雰囲気を感じてほしいと思います。

「遠い国のとあるシャン・ノース(古謡)は今日も細い雲の糸を明日へ紡ぐ。成就しない恋を語り、死を謡う。そしてどこにでもある、ありふれた未完の人の生をいくつもの物語へと羽化させる。羽化しなかったモノゴトは、全てが消えてなくなってしまうから、永遠に。一本の蜘蛛の糸のように儚げでもたとえそれが虚でも私のあと先に何かはつながっていてほしい、そう誰もが願うから。」 

会場には、約30体余りが展示されていますが、ここでは作家の了解を得て、その一部を写真で紹介します。

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自らが探してきた流木から作り出された「像刻」は、きっと見る人に癒しを与えてくれると思います。ギャラリーたむらの地図を添付しますので、ぜひ一度、足を運んでみてください。

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会期は15日までです。

 いのちとうとし

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2019年12月 6日 (金)

被爆建築物「旧陸軍被服支廠」の保存を考える

先日来、被爆建築物である「旧陸軍被服支廠」の保存について、「広島県が『所有する3棟のうち1号棟の外観を保存し、2号、3号棟を解体する』とする原案を、県議会総務委員会に示した」という報道が続き、全国ニュースとしても流れました。

私も、この1日に「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が呼びかけた「赤煉瓦の被爆建築物を守ろう!現地での慰霊祭と説明会」に参加したばかりでしたので、驚きをもってこのニュースに接しました。

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「旧陸軍被服支廠」は、95年ごろには倉庫の利用が中止され、その後、その保存活用をめぐって様々な検討がされてきたと聞いています。当然のことですが、当初は3棟すべての保存を前提にした検討が進められてきたと思っています。そう考えていた私にとっては、突然と言ってよい今回の広島県の方針転換です。

改めて考えたいことは、「被爆建造物の保存」をどう考えるかです。広島市は、93年にこの「旧陸軍被服支廠」を被爆建物として登録するとともに、被爆50周年を契機に、市内に残る被爆建築物を調査し、「被爆50周年 未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」として集大成し、保存の大切さを訴えてきました。その本の最初の「ごあいさつ」では「被爆の体験と実態を次世代に継承し、世界に広げていくことがますます重要になっています。・・・原爆により、壊滅的な被害を受け、かろうじて利用することのできた被爆建造物は、救護活動やその後の復興活動に、大きな貢献を果たしました。」とし、その重要性を訴えています

しかし、その後、民間が所有する被爆建造物は、特に建築物は多くが解体され姿を変えることになりました。例えば、ちょうど再建中のアンデルセンの建物もそうです。アンデルセンとしても様々な検討をされたようですが、結果としては壁の一部を保存し展示されることになったようですが、被爆建物全体が保存されることにはなりませんでした。民間所有という制約の中で、保存することがいかに困難なことなのかを示した事例でもあると言えます。

そうした経過を考えると、国や自治体が所有する被爆建築物がいかに大切なものかがよくわかります。ですから被爆遺構の保存に積極的な役割を果たすべき広島県の今回の方針提案には、大きな疑問を感ずるのは私だけでしょうか。しかも、あまりにも拙速な方針決定と言わざるを得ません。聞くところによる、広島県から「旧被服支廠の保全を願う懇談会」に対して意見の照会があり、それに「懇談会」から回答をされてようですが、その後広島県からは何の説明もなされていないようです。このこと一つとっても、県民・市民の声を聴いたうえで、今回の方針が出されたとはとても思えません。

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原爆資料館本館の「8月6日の惨状 破壊された街」のコーナーに展示されている「広島陸軍被服支廠のレンガ塀」は、2号館と3号館を繋ぐものでした。原爆資料館を見学した人が、この場所を訪れ、現場で実感することは、非常に大切なことだと思います。と言うより、むしろレプリカでもよいから、現地に復元させることによって、資料館と被服支廠を繋ぐ見学コースを作ることができれば、より広島を実感することができると思います。それほどの価値がある被爆建物だと言えます。

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2日に広島県に「陸軍被服支廠の存続」を申し入れた旧被服支廠の保全を願う懇談会代表の中西巌さんは次のように訴えておられます。「物が無くなれば、心まで無くなるのです。原子爆弾の惨状が風化した先に何があるか いったん廃棄したら元には絶対戻らない」

2年前の原水禁学校で、中西さんに被服支廠の前で貴重な証言を聞いた時のことを思い出します。

広島県が、こうした声に真摯に向き合い、「保存・継承」へと方針を転換することを強く望みます。そして被爆建造物の保存を進める広島市も「県のこと」と傍観するのではなく、積極的に「保存」のために役割を果たすべきです。

いのちとうとし

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2019年11月27日 (水)

「人がこすり合う音」

私の父は、14歳の時に広島市南区西蟹屋町で被爆しました。

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この絵は、父が被爆4日後に相生橋付近で見た光景をもとに描いたものです。

その日のことを、父は次のように言っています。

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原爆投下から3日の夜、ようやく家に帰ることができました。その晩に、近所のおとなが3人程来られ、「近所の人で家に帰っていない人の探索に行くので出てくれ。」と言われたので、明朝4時に起き、5時出発で、1時間後に的場に着き、駅から己斐、宮島、宇品方面に出ている市電の軌道を西へと歩きながら、両側を見ながら歩いていると、右も左も焼死体が転がっていました。何ぶんにも悪臭で鼻と口をふさぎながら探索して歩きました。

相生橋に近くなると、ギューギューというような音がします。近寄って見ると、元安川に浮かぶ多くの水死体が、4日たって水ぶくれになってこすり合っている音でした。何百人以上の人が熱いので、川に逃げて来たのでしょう。まさに生き地獄でした。私は、涙が出て止まりませんでした。ただただ、ご冥福を祈るのみでした。

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私は、父からこの話を聞くまで、川にたくさんの人が浮かんでいる絵を何枚か見たことがありましたが、「ギューギュー」という音や臭いまで想像したことはありませんでした。

この絵は、被爆当時の音や臭い、被爆者が話しているときの手の震えや息づかい、そして、その胸の奥にある思い・・・。そういうことまで次の世代に伝えていきたいと、見る度に思わされる1枚です。

(濱野)

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2019年11月23日 (土)

女優木内みどりさんの急逝と陶芸家梅田純一

「今年の8月15日の終戦記念日に木内みどりさんが広島に来て『おこりじぞう』の朗読会があったんですよ」と19日に話したばかりの時、木内みどりさんの訃報を聞くことになりました。話し相手は、今月16日から並木通りの「ギャラリーたむら」(広島市中区三川町10-17 ホンジョウビル2F)で個展を開催している陶芸家の梅田純一さんです。

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木内みどりさんが、脱原発運動に積極的に参加されてきたことは、よく知られていますが、私が最初にそのことを知ったのは2014年9月23日に東京江東区の亀戸中央公園で開催された「脱原発全国集会」で司会をされていたからです。当初予定されていた代々木公園が「デング熱」騒ぎで、使用できず会場を急きょ変更して開催された集会ですので、忘れることのない集会でした。

陶芸家梅田さんの個展は、毎年この時期に30年以上にわたって開催されており、個展期間中に一度は会食を共にする私の友人です。梅田さんは、現在は徳島で作陶活動を続けていますが、東京生まれ東京育ちです。2014年に会食した時のことです、何のきっかけからそんな話になったのかは思い出せませんが、9月の脱原発集会で「女優の木内みどりさんが司会をしていた」という話になった時、梅田さんが「木内みどりは、小学校・中学校の同級生でよく知っているぞ」と話し始め、「ちょっと待てよ。電話するから」と携帯電話を掛けました。すぐに木内さんの応答があり、私も直接電話で話したことがあったのです。その時の電話で「来年3月の集会でも司会をしますので、その時会いましょう」と言われ、翌年3月の集会に参加し、控室に行きあいさつし、一緒に写真を撮らせたもらったことを思い出します。

私が梅田さんと「木内みどりさんのこと」を話していた前日の18日に、木内さんの幼友達でもある梅田さんが個展を開催している同じ広島で亡くなられてということですので、不思議な縁を勝手に感じます。

「どうして広島で亡くなられたのか」と少し気になったものですから心当たり何人かに聞いてみました。その前日、木内さんは、国立広島原爆犠牲者追悼平和祈念館が来年の展示として企画している四國五郎と弟・直登さんの対話をたどる「時を超えた兄弟の対話」 で上映するビデオ作成のための仕事で広島に滞在されていたことが分かりました。その夜宿泊先のホテルでの出来事だったようです。

国立広島原爆犠牲者追悼平和祈念館で収録された作品は、8月16日のこのブログで紹介した「原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい」(8月15日)で演じられた「おこりじそう」の朗読ではないようですが、同じ四国五郎さんに関わるものが朗読されているようです。追悼祈念館から「来年、ぜひ生で朗読を行ってください」と要望され、快諾されたとも聞いています。今年の8月15日は、ちょうど台風が近くを通過し、開催が危ぶまれたのですが、前日に広島入りしておられた木内さんの強い思いもあり、予定通り開催されたことも思い出されます。

木内みどりさんのご冥福をお祈りいたします。

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ところで木内みどりさんの幼馴染梅田純一さんの個展は、24日まで開催されます。梅田さんの作品は、いつも元気づけられる絵が描かれた器です。今年も日常使いでき、手ごろな価格の作品が沢山並んでいますので、機会があれば、足を運んでみてください。個展期間中梅田さんが在廊しています。

いのちとうとし

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2019年11月18日 (月)

「国際フェスタ2019」に行きました。

昨日、毎年この時期に国際会議場を主会場として開催される「国際フェスタ」に行ってきました。20回目ということですので、秋葉市長の時代に始まった行事のようです。

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今年は、20回という節目とともに「広島国際会議場開館30周年記念」ということで、例年になく「ひらこう世界のとびら であおう世界のなかま」のタイトルにふさわしい企画が多数準備されていました。会場の様子を写真と共に紹介します。

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国際会議場に着いてすぐに目に入ったのが、平和大通りに設けられた「ひろしま国際村~世界の屋台」のテントが立ち並び、美味しいにおいが漂っています。

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国際会議場入り口前の屋外ステージでは、例年のとおり世界の国々の舞踊が演じられています。私がついた時は、「メキシコ民族舞踊」の最中でした。

国際会議場に入ると沢山のコーナーが準備されています。最初に行ったのは、「広島から世界へ!姉妹・友好都市の旅」のコーナーです。ボルゴグラードはマトリョーシカの絵付け、大邱はハングルでの名札づくりなどなど参加型の企画が用意されています。現在広島市の姉妹都市は、ほかに重慶やホノルルなど計6都市です。

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私は、カナダ・モントリオール市のフェルトを使ってのオーナメントづくりに参加し、トナカイを作りました。次にすぐ隣で行われていたある中国帰還者による中国式組み紐づくりのコーナーへ移動、昨年も挑戦しましたがなかなかうまくいきません。

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同じ部屋には、市民団体等の活動紹介コーナーありました。「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」も出展していましたので、現在のセミパラチンスクの状況を聞くことができました。原水禁大会に代表を呼んだことを思い出します。

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向かい側の部屋では、「地球ひろば」が設けられており、アフリカ発祥で中近東や東南アジアで行われているという「マンカラ」などの外国のゲーム遊びや中国茶の試飲、民族衣装の試着、写真での紹介があります。私は、中国からの留学生が接待する中国茶を楽しみました。

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国際協力バザーでは、各国の民芸品が販売されています。

今年は、記念の年ということで例年は会場となっていなかったフィニックスホールも使用され、午前中に野口健さん(アルピニスト)のトークショウが行われ、午後2時からは6グループが参加する「世界の音楽と舞踊」も演じられました。私もちょっと覗いてみました。インドネシア・バリ島の伝統音楽ガムランと舞踊、続いて広島韓国伝統芸術院による「韓国楽器による演奏と舞踊」、次に広島朝鮮学園中高級部舞踊部、民族楽器部による「統一アリラン」の演奏と踊りが繰り広げられました。大きな拍手です。残念ですが、主催者の要請によりこの写真はブログにアップできません。この舞台を見ながら「朝鮮学園が無償化から排除されている」人は、この中で何人ぐらい居られるのかなとつい思ってしまいます。

他にも「平和のため」「日本文化体験コーナー」「学びのコーナー」など多数の企画が準備されていましたが、全てを回ることはできませんでしたが、楽しい時間を過ごすことができました。この企画が、さらに国際交流の輪を広げる契機となればと思いながら会場を後にしました。

いのちとうとし

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2019年11月13日 (水)

「叫ぶ芸術」ポスター展に行ってきました

先月30日のこのブログで紹介した「『叫ぶ芸術』ポスター展」に行ってきました。今回の会場は、おりづるタワービル10階にある「エソール広島」。「このビルは、入り口が自動ロックになっているので、「1001」を呼んであけてもらってから入ってください」と教えられていたのですが、ちょうど昼休み休憩の時間で出かける人があり、入り口が空いていましたので、そのままエレベーターで10階へと移動しました。

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10階でエレベーターを降りるとすぐ目の前が「エソール広島」の事務所。中に入るとすぐにポスターが目に入ります。展示されているポスターは、16枚ほど。きちんと数えていませんでしたが、後で主催者の人に聞くと、この前の会期の会場(袋町の「ひと・まちプラザ」)より狭いため、半数の展示になってしまったとのことでした。

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ポスターの横には、1枚づつ三井マリ子さんの少し長めの解説がついています。この解説があったため、私にも「ポスターが訴えている意味」を理解することができました。いずれも興味あるポスターでしたが、その中でも「えっ」と思わされたのが、下のポスターです。

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タイトルは「新ドル札の顔となる19世紀のモーゼ」(アメリカ)です。解説を読むと「アメリカ・メリーランド生まれの奴隷ハリエット・タブマンは、1849年、奴隷制のないフィラディルフィアへの逃亡に成功した。」と、「その後家族や親族縁者60人余りを逃亡させた」さらに「南部の州では『奴隷逃亡法』が制定される中で、脱出させた奴隷は11年間に300人以上といわれ、ハリエットは、『モーゼ』と呼ばれるようになった」と記載されています。私が興味を持ったのはその後です。「今年(筆者注:2016年のこと)4月、ハリエット・タブマンが新20ドル札の顔に選ばれたニュースが世界に流れた。」とあります。その後の解説には「アフリカ系アメリカ人が紙幣の顔をなるのは初」とあり、面白いのは、「女性参政権獲得100年」となる2020年を記念して新20ドル紙幣の顔に「女性を採用せよ」と女性たちが大運動を起こした実現させたとのことです。そしてさらにすごいのは、それを受けアメリカ財務省が60万人以上のアンケートの結果、ハリエット・ダブマンサンを選んだということです。公平ですね。今「首相の桜を見る会」への後援会招待をめぐって論争が起きている国とは大きく違うようです。

もう一つのびっくりは、この文章を読む限り、アメリカ紙幣に女性の顔が登場するのは初めてのようです。日本で紙幣に女性が採用されたのは、これまでに2件あります。明治時代に神功皇后の肖像が使われたことがあるようですが、これはとりあえず置くとして、戦後には2004年11月に発行された5000円札に樋口一葉が使われています。紙幣に関する限り女性の登用は、日本が早かったようです。ところでこの5000円札、2024年には新紙幣が発行される予定ですが、今度も女性の津田梅子の肖像が使われることになっています。

他のポスターについても興味ある解説があります。17日までの会期になっていますので、ぜひ一度行ってみてください。

ただ、広島県男女参画財団という公的性格を持つ「エソール広島」がちょっと入りにくい環境にあるのは、驚きでした。フロアーには、100名ちょっとの集会場もありますが、このセキュリティーではなかなか利用しづらいなと感じました。

いのちとうとし

 

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