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文化・芸術

2020年3月30日 (月)

遺稿集「橋本秀夫の仕事ぶり」

今日は、22日のブログ「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」で紹介した「建築家橋本秀夫遺構集『橋本秀夫の仕事ぶり』」の入手顛末記です。

どんな本なのか興味が湧き、ブログを書いた後すぐに広島市立図書館の蔵書検索で探しました。中区図書館が蔵書していることが分かりました。しかし現在広島市立図書館は、新型コロナウイルス対策で、全館閉館中で、貸し出しはインターネット予約のみですので、予約を行いました。私の受け取り館は、中区図書館ですので、すぐに「予約確保」の返信がありましたので、早速本を受け取りに行きました。

手にしてびっくりです。300ページを超える分厚い本です。さらに開いてみて、またびっくりです。「赤レンガ倉庫は語り継ぐ」に引用された「蘇る旧陸軍被服支廠 保存と文化」はもちろんですが、広島城、旧レンガ建物、「旧広島水上警察署」などの郷土史と文化財の第1部論文集につづいて、第2部「砲台めぐり」と、自らが現地を訪ねて測量などを行って調べた結果がまとめられています。しかも手書きの図面や写真がふんだんに盛り込まれています。一人でここまで、それにしてもよく訪ね歩かれたものだと感心します。

興味津々です。最初の登場する「広島城」は、昭和18年から広島城天守閣実測を始められたことが分かります。後で、次女の河野さんから聞いた話ですが、この橋本秀夫さんが残された資料が、広島城橋御門の復元にずいぶんと役に立ったそうです。凄い資料の連続ですが、私が興味を持ったのは、第2部の「砲台めぐり」です。日清戦争に勝利後、ロシアとの戦いに備えて、全国各地に要塞が築かれたのですが、芸予、広島湾にも要塞が構築されました。橋本先生は、その広島湾に作られた全部の要塞について調べておられるのです。私もそのいくつかを訪ねています。宮島にある「鷹の巣砲台」大柿町の「三高山砲台」呉市警固屋の「高烏砲台」竹原市の「大久野島堡塁砲台」などです。三高山砲台は、この本の写真よりもずいぶんと綺麗になっていますので、橋本さんの仕事が後押ししたと思われます。

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2018年4月に訪れた三高砲台

もう少し前にこの本を知っていたらと思うとともに、この本を片手にもう一度訪ねてみたい思いに駆られます。

本の紹介が長くなりました。今日書くべきは、入手の顛末でした。「砲台めぐり」を見つけ、これはどうしても入手したいと思い、本の名前をキーにネットで検索しました。ヒットしたひとつに、広島県立広島工業高等学校同窓会がありました。問い合わせの電話をかけたのですが、「在庫はありません」とのことで、ここでは見つけることができませんでした。ただこの電話をかけたおかげで、同窓会事務所を訪れることができたのですから、決して無駄ではありませんでした。

次に連絡をしたのが、本の奥付に記載された「問い合わせ先」です。木原さんという方が応対してくださいました。「ここには在庫がありません。確か、遺族の方が何分か持っておられるはずですので、連絡を取ってみます」という返事を聞き、いったん電話を切りました。すぐに連絡の電話が入り、「次女の河野さんがお持ちでした」と連絡先を教えて下しました。すぐに河野さんに電話を入れました。「お分けできますよ」との返事。その日のうちに自宅を訪れ、ついに「遺稿集『橋本秀夫の仕事ぶり』」が私の手に入りました。突然の訪問でしたが、河野さんからは、先に紹介した広島城復元の話や橋本秀夫ご夫妻の在りし日のことなど、貴重な話を沢山聞かせていただきました。

河野さんの自宅を持してから訪ねたのが県工同窓会事務所です。ここでの話は、大部分をすでにブログに書きましたが、一つだけ書き忘れたことがあります。それは、同窓会事務所の隣の部屋にあった建物の模型群です。

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広島城橋御門の模型 後に広島城の模型がある

この模型は、いずれも橋本さんが残された図面をもとにして、県工の在校生たちが作ったものだそうです。

またここでも繋がりの不思議を体験しました。

訊ね訊ねて入手できた本ですので、大切に活用したいと思います。

いのちとうとし

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2020年3月24日 (火)

千田小学校の被爆石の由来

22日のブログで紹介しました「橋本秀夫の仕事ぶり : 建築家橋本秀夫遺稿集」を入手できないかと探し回っている中で得た、新たな情報です。

入手できる方法を見つけようとネットで検索していたら、広島県立広島工業高等学校(以下「県工」という)同窓会の名前が出てきました。すぐに電話を掛けたのですが、今日の話はその顛末です。

電話口に出られた吉森先生(学校の講師を務めながら、同窓会事務局の仕事もされている)、「橋本秀夫さんは、元は県工の卒業生でもあり建築家の先生でした。私も机を並べて仕事をしていました」と教えていただいたのですが、肝心の本は、すでに品切れでここでは入手することはできませんでした。しかし、電話口の吉森さんから、陸軍被服支廠についての新しい情報を得ることができました。詳しく知りたかったので「午後に同窓会事務所を訪問する」ことを約束し電話を切りました。

午後2時過ぎに訪れた県工同窓会事務所は、陸軍被服支廠の北側の延長線上に建つ2階建ての建物です。2階にある事務所からは、被服支廠の全体が見渡せますので、早速、ベランダに出て写真を撮りました。しかし午後の日差しでせいで、日陰となりあまり映りはよくありません。気の毒に思われたのでしょうか、吉森さんが「この写真はどうですか」と県工同窓会が映した空中写真を提供して下しました。下の写真です。普通では撮れないアングルです。

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その後、椅子に座込んでの話が弾みました。話の中で、私が「千田小学校に被爆石として県立工業学校(県工の前身)時代の『車回し入口土台石』があるのですが、ご存知ですか」と尋ねたところ、「えー、初めて聞く話です。本当ですか」との答え。私のスマホに、その被爆石の写真がありましたのでそれをお見せすると、「待ってくださいよ。ここには古い写真が何枚もあります。その中に映っているものがあるはずです」と書棚を探してくださいました。

ありました。一枚は、昭和初期の千田町の県立広島工業学校の玄関の写真です。車回し入口に二本の柱がきちんと映っています。

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「この土台部分だと思います」吉森さんの話です。この写真では、見分けにくいのですが、柱は3本がL型になっています。千田小学校にある被爆石の一番上部の石も、3つの穴がL字型になっています。

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次にもう一枚の写真出てきました。被爆後、昭和25年(1950年)に映された正門の写真です。バックに、車寄せ入り口の土台石だけ残ったままで映っています。一番下のレンガ部分を除いて千田小学校に移築されたと思われます。

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千田小学校の被爆石「車回し入口の土台石」は、間違いなくかつての県立工業学校にあったものだと思います。千田小学校を訪れた時には、「どこでどんな風に使われていた」のか不明でしたが、うれしい解明です。ちなみに県立工業学校は、現在の県立図書館などが建っている場所にありました。正門は本川沿いの西側に面し、校内の北寄りにあったようですので、ちょうど県立図書館が建っている場所の西側道路沿いにあたります。「学校の古い歴史に関心を持つ友人がいますので、ぜひ一緒に千田小学校を訪ねたいです」との吉森さんの話でした。今回使用した写真は、いずれも使用許可をいただいています。

ところで「橋本秀夫の仕事ぶり : 建築家橋本秀夫遺稿集」ですが、いろいろ尋ねてついに入手することができました。その顛末と本の内容については、後日報告します。

いのちとうとし

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2020年3月14日 (土)

「在日朝鮮学生美術展」行ってきました!

先日,「在日朝鮮学生美術展」にいってきました。

2月23日から29日まで旧日本銀行広島支店で開かれていました。

私は,なかなか行く時間がとれず,最後29日の搬出作業の前に見ることができました。

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初級部1年生から高級部3年生までたくさんの作品が展示してありました。

思わず微笑んでしまう作品もあり,また作品の横に書いた生徒の思いが書かれているのを見て,自らを問い直しながら多くの作品と出会うことができました。すべての作品の写真を載せたいくらいです。

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中でも,”目”の描かれている作品や「情報は必ずしも真実ではない。自分で見極めていかなくていけない。」「周りの声や行動に傷つき失望している。」などの言葉が印象に残っています。

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 作品を見た後,搬出作業をみんなで行い,無事終了することができました。

今年で48回目の美術展だそうです。これからも美術展が続いていくことを願います。多くの人に朝鮮学校を知ってもらう機会にもなると思いますし,生徒たちの作品も多くの人に見てもらい,感じてもらいたいと思います。

  (石本)

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2020年2月24日 (月)

「在日朝鮮学生美術展」―広島初の開催

  毎年全国各地をリレーしながら開催されている「在日朝鮮学生美術展」の広島展が、昨日23日から旧日本銀行広島支店で始まりました。

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この美術展は、全国の朝鮮学校の子どもたちが応募した11、168点の作品の中から選ばれた受賞作品のうち金賞作品約500点を全国巡回作品として、全国10カ所の会場をリレーしながら開催されています。このコンクールは、今年度で48回という歴史を持っています。

今年度は昨年9月に神戸展をスタートに、千葉、福岡、大阪、島根(山陰展として、鳥取と交互に開催)、京都、東京、年を超えた今年に入り、神奈川、東海(今年度は名古屋)、北海道と続き、今年度最後の会場として広島展がスタートしました。全国の開催場所は、ほとんど朝鮮学校が所在する都市ですが、朝鮮学校のない山陰(島根、鳥取)では、日本の学校の先生や市民が主催し、12年連続で開催されています。

展示作業は、開催日の前日・22日の夕方から始まりました。この展示作業には、私も参加しました。送られてきた梱包が、次々と開かれると「あっ」と驚くほどの作品数が出てきました。初めての体験となった私は、これが本当に全部展示出来るのだろうかと危惧しました。

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しかし、展示作業の中心となった朝鮮学校の先生たちの「全部見てほしい」との熱意で、何とか翌日の開催時刻までには、展示場一杯に全作品を展示することができました。これまで学園で開催していた時には、場所の関係もあり全作品がどうしても展示ができなかったそうですので、今回は「全作品の展示」をという気持ちが強かったようです。

展示された作品は、初級部1年生から高級部3年生まで、すべての年代の作品が揃っています。

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準備作業が、23日の午前中までかかるということで、午後1時開場ということになりました。私が受付を手伝った午後1時からの3時間、訪れる人はポツリポツリという感じでしたが、熱心に見ている姿がありました。もちろん被爆建物である日銀を見学するため訪れた人もありましたが、その人たちもズラリと並んだ作品に目を奪われるのか、作品を見て回る姿も目につきます。

この展覧会の会期は、29日(土)までで、毎日午前10時から午後7時まで(最終日は作品撤去のため午後3時まで)開催されます。

こうした機会を通じて、少しでも朝鮮学校への理解が広がればよいと思います。ぜひ一人でも多く、展覧会を見に会場を訪れてください。

いのちとうとし

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2020年2月13日 (木)

「沈黙を聴く」広島被爆樹木写真展

原爆後、広島の地で生き抜いた被爆樹木の写真展が、被爆建物の旧日本銀行広島支店で開催されています。主催者の広島東南ロータリークラブは、被爆70年の015年に、現在市内の被爆樹木に取り付けられている標識を寄贈するとともに、写真家藤原隆雄さんに依頼し市内の約160本の被爆樹木を撮影し、その写真集「沈黙を聴く」を作成し、市内の全小中学校に寄贈されたそうです。

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今回の写真展では、クロガネモチやユーカリ、シダレヤナギ、アオギリなど8種類の樹木の写真約40点が展示されています。

被爆樹木については、このブログでも何度かとりあげてきましたが、今回の写真展に展示されている樹木のほとんどは、すでに訪れたことのある木でしたが、新たな発見もありましたので、少し紹介します。

一つは、残念ながら2018年の台風によって折れたため、広島市の被爆リストから削除された三篠小学校の「梅の木」です。この木は、まだ訪ねたことがありませんでした。

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現在三篠小学校の校舎内に一部が保存されている「梅の木」と、元気だったころに映された写真の2枚が掲示されています。台風で折れた被爆樹木といえば、基町小学校の子どもたちが大切に育てていた「被爆エノキ」を思い出します。この被爆エノキも、1984年の台風で折れ、子どもたちは必死になって「エノキを励ます会」などを作って回復に向けて世話をしました。一時新芽が出たりして子ども達は喜んだりしたこともありましたがついに1989年枯れてしまった被爆樹木です。被爆樹木も高齢化していますので、何とか残す方法を考えなければと思います。

次は、白島九軒町の碇神社境内の被爆樹木「ソメイヨシノ」です。私が、当地を訪れたのは秋でしたので、当然のことですが花は咲いていませんでした。今回展示されている写真は、満開の桜が写っていますが、その一枚の中に「落下した花びら」の映ったものがありました。

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キャプションには、「不思議なことにこのソメイヨシノは、花びらが一枚一枚舞うことなく、花の姿を保ったまま落ちていく。」と書かれています。不思議な気がします。被爆の影響があるのでしょうか。満開の時期にもう一度訪ねたい木です

会場には、生きた樹木も展示されています。

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樹木医の堀口力さんが、種子から育てられた「被爆樹木2世」たちです。堀口さんには、一度「被爆樹木めぐり」でいろいろなことを教えていただきました。白島・光明院の「ナツミカン」や千田小学校の「フジ」などは、私が訪れたことのある被爆樹木の「2世」たちです。

その横のパネルには、「被爆2世樹木の広がり」が展示されています。そこには2019年2月現在、世界50の国や地域に「被爆樹木の種や苗木」が送られたことが紹介されています。

この写真展、会期は16日まで。毎日午前10時から午後5時まで開場しています。一度訪ねてみてください。何か新しい発見があるかもしれません。

いのちとうとし

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2020年2月 6日 (木)

旧陸軍被服支廠の保存を考える

2月2日の日曜日、広島平和記念資料館東館地下で「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が主催する講演会が、開催されました。関心の高さをうかがわせるようにほぼ満席の参加者でした。

講師は、広島大学名誉教授の三浦正幸先生でした。三浦先生は、史跡原爆ドーム保存技術指導委員会委員長や現在進んでいる平和公園の遺構保存懇談会の座長も務めておられます。

三浦先生のお話は、旧陸軍被服支廠の建物が、ただ被爆建造物としての価値だけでなくそれ以上に、建築物としての大きな価値を持つという側面から「全棟保存がいかに大切か」を強調されました。

話しの冒頭「活用の用途がない。役に立たない。だから解体だというのは、先進国がやるべきことではない。被服支廠は、中が大切。ある意味で外はどうなってもよいといえるほど貴重なもの。」と、1棟保存、2棟解体という広島県の方針を厳しく批判されました。「原爆ドームも、ある時期には『価値がない』といわれた。しかし今そんなことを言う人は誰もいません」

そして「被爆建物としても、ある意味で原爆ドーム以上に当時の凄惨さを示しており、当時の様子を実際に想像できる唯一といってもよい被爆建物」であることを強調されました。

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その後にも、建築物としての価値がいかに優れたものかを具体的に図を示しながらの解説が続きました。他で聞いた話もありましたが、一番印象に残ったことは、屋根瓦の下の構造。通常、木や鉄骨で桟をつくるのですが、この建物はコンクリート斜のスラブになっていることです。スラブとは、床や屋根の平板のことを言うようですが、当時鉄筋コンクリート造りが日本に導入された最初期のこと、床の平板ならいざ知らず屋根のような斜めの平板を作ることは、本当に高い技術が必要だったようです。では、なぜそんな難しい技術を使ってまでコンクリート斜のスラブが必要だったのか。三浦先生の指摘は、「宇品港からの艦砲射撃から建物を守るため屋根を強化した」ということです。今残っている被服支廠の建物の建て方(西側にてて3棟、南側に1棟のL字型)のもそれが現れているというのです。外側に面した建物が鉄筋コンクリートレンガ造りとなっているのもそのためだということです。被爆時には、このL字型に囲まれた内側には木造の建物が連なっていたのですが、被爆前の解体や焼却などによりもう像の建物はなくなり、鉄筋コンクリートの建物4棟のみが焼却倒壊を免れ、今に残っているのです。

もっと詳しい話が続きましたが、省略します。

広島県は、一応来年度の解体方針は延期し、活用論議を進めるとしていますが、その結論は予断を許しません。今の関心の高さを持続し、積極的な活用案を提示することもこれからは求められていきます。そんなことを考えている時、中国新聞のジュニアライターの記事を思い出しました。2016年10月20日の「ヒロシマの10代がまく種(第37号) 被爆建物 こう使う」に、旧陸軍被服支廠の活用策が提示されています。

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少し長くなりますが、付されている記事を引用します。

「旧陸軍被服支廠は周りに高校や中学校が多数あり、子どもたちが立ち寄りやすい場所にあります。この利点を生かし、小~大学生を対象にした施設(しせつ)を設備しました。学校生活を送っている中で『どのような施設があったら便利か」や『被爆建物だからこそできることはないか』などを、同じ世代の私たちが考えました。

 4棟(とう)あるので建物ごとにコンセプトを決めました。2棟は『学び』です。1棟は『原爆・戦争と子どもたち』に特化した資料館にします。被服支廠の役割に加え、集団疎開(そかい)、学徒動員などについて展示します。もう1棟は、静かな環境(かんきょう)で勉強できるように自習室を設置したり、図書館や書店を設けたりしました。

残りの2棟は『文化』『ザ・広島』です。『文化』棟は、バンド演奏やダンスができるようにします。防音の部屋を、多くの子どもが利用できるようにします。『ザ・広島』は、主に修学旅行生向けです。国道2号に近く、建物の横には大型バスが止まれるスペースがあって便利です。

ここ1カ所で、原爆・戦争について学び、広島の名産品や地産地消料理を買ったり食べたりできます。」(高3岡田春海)

広島県が検討を始めたといわれる3年前に、こうした活用案も出されていたのですが、検討会の中ではどんな扱いだったのでしょう?

いのととうとし

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2020年2月 3日 (月)

2019広響名曲コンサート「音楽の花束 冬」

昨日2月2日、2019年度最後の広響名曲コンサート「音楽の花束 冬」を聴きに、広島国際会議場に行きました。

今回のコンサートは、指揮は飯守泰次郎さん、ソリストは、ヴァイオリンの大江馨さん、ナビゲーターは、華道家の仮屋崎省吾さんでした。

午後3時に始まった演奏会、は「ウェーバー:歌劇『オイリアンテ序曲』序曲」でスタート。演奏後、ナビゲーターの假屋崎さんが登場。毎年3回開催される「音楽の花束」のうち一回は、假屋崎省吾が主テージの花を活け、ナビゲーター役を務めます。軽妙の語り口でスタート。「元祖・華道家の仮屋崎省吾です。華道家という言葉は私が初めて使ったので元祖です。」初めて知りました。

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「花と緑と音楽の贈り物。舞台上の花は、一足早い春をと思い『サンシュユ』(山茱萸)の花を中心に生けてみました。お楽しみください。」「今日のお迎え花は、広島市立美鈴が丘高等学校華道部のみなさんが活けてくださいました。会場のどこかでコンサートを楽しんでくれています。」手を挙げた高校生たちを見ると私たちのすぐ後ろの座席です。

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「平和の灯」と名付けられたお迎え花、假屋崎さんの指導で作られたそうです。「小学生の時、ヴァイオリンを始めましたが、先生が厳しく、手の甲をたたくので、中学生の時ピアノに転向しました。」楽しい語りを続けながら、次の曲の紹介です。2曲目(第1部の最後)は、「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調」。ここで、ヴァイオリニストの大江馨さんが登場。大江さんは、1994年生れの新進気鋭の演奏家。40分余りの演奏、熱が入ります。演奏後のアンコール曲は、「バッハ:ソナタ第3番より『ラルゴ』」でした。

休憩の後、メインの演奏曲は「ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調『新世界』より」です。この曲は、何度か聞いたことのある曲です。特に、第2楽章は、「遠き山に日は落ちて」で私にも歌える曲です。そして第4楽章。これも頭に浮かぶ曲です。金管楽器の音が響きます。演奏時間は、約45分。アンコール曲は、「ドヴォルザーク:スラブ舞曲第10番」でした。

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ところで今回の指揮者飯守泰次郎さんのホームページには、今回のコンサートによせて、メッセージが書き込まれています。「広響とは1990年代に定期演奏会で3回共演して以来、27年ぶりのコンサートです。今回のプログラムは、(略:上記参照)まさに名曲揃いです。久し振りに広響とご一緒して、なつかしい顔ぶれに新しいメンバーが加わって非常に生き生きとしたオーケストラに成長していることがとても嬉しく、これからもますます発展していくオーケストラだと思います。 ソリストの大江馨さんはとても若々しくフレッシュなヴァイオリニストで、明日のコンサートが私も楽しみです。」

メッセージのとおりの参加者を堪能させる指揮だったように思います。それにしても飯守さんの年齢を調べて、びっくりです。1940年9月生まれ。いずれも演奏時間が40分を超える2曲の指揮、「やはりプロはすごい」の一言です。

今回は、午後1時半から資料館で開かれた「旧被服支廠の解体を防ごう!緊急集会」に参加したため、ぎりぎりの会場到着でプレゼントのお花をゲットすることができませんでした。

ちなみにプレゼントのお花は、「チロリアンデージー」でした。

いのちとうとし

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2020年2月 2日 (日)

田谷行平展

先週の土曜日に「どうもおかしい」と思い病院に行って風邪の治療をしたのですが、思いがけず長引き、やっと昨日一週間ぶりに回復し、外歩きができるようになりました。

少し寒さはありましたが、天気に恵まれ、二つの催し(「田谷行平展」と「紙屋町シャレオ古本まつり」)に足を運ぶことができました。いずれも、今日が最終日です。

今日はその一つ、並木通りの「ギャラリーたむら」で25日から開催されている「田谷行平展」を紹介したいと思います。

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ギャラリーたむらでの田谷さんの個展は、ギャラリーがオープンした翌年の1982年からほぼ毎年開催されています。ここ20数年は、年明け2番目の展覧会としてこの時期に定着しています。田谷さんは、ギャラリーたむらが毎年個展を続けている唯一の地元在住の作家です。

会場の入り口に今年の展覧会に寄せる田谷さんの思いが綴られたキャプションがあります。書かれています。

 

<生きている作品が描きたい>矛盾と葛藤の中で、過去から現在拭い去る事のできない体験や思い出からの出発が私自身への問題提起でもあり答えでもあった 

見えるもの 見えないもの  

あるもの ないもの

聞こえるもの 聞こえないもの

知ること  知らにこと

変わってしまうこと 変わらないこと

今の次に来るところはどんなところ

 

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 毎年、この展覧会のための新作が準備され、いつも新しい展開を楽しませていただけます。

展覧会開会中は、土日に作家が在廊するということで、昨日は楽しみに見に行きまました。「『新しいアクリル絵の具』に出会い、今年もいろいろなことを試してみました。たむらさんでの展覧会は、毎年、新しいことを自由にやらせてもらっています。」田谷さんのことばです。最近は、こんなギャラリーがだんだんと少なくなっています。「積極的に新しいチャレンジをしてほしい」ギャラリーたむらの店主の願いでもあります。こんな良い関係が、展覧会が40年近くも続いている要因だと思います。

田谷さんの展覧会で気になることは、もちろん作品そのものへの期待は当然のことですが、作品に付けられたタイトルも気になります。ちなみに最初の写真のDNのタイトルは「古いレコードを聴きながら」です。

私が購入した作品のタイトルは、「遠い日のあなたの贈り物」です。(下の写真)

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 個展での出会いは、私にもう一つの楽しみを与えてくれます。作品を離れて政治や身の回りのことについて意見交換できることです。1942年生れの田谷さんは、白島で被爆。核兵器廃絶へも強い思いを持っておられます。作品を離れた対話では、それぞれの人柄や思いが伝わってきますので、いつも時間を忘れて話し込むことになります。これも毎年の個展の楽しみの一つです。昨日も2時間余りの時を過ごしてしまいました。風邪が回復し、何とか展覧会中に会場に行くことができ、今年も本当によい時間を過ごすことができました。

いのちとうとし

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2020年1月30日 (木)

「子どもたちをよろしく」

先日,映画の試写会に出かけた。「子どもたちをよろしく」と題されたその映画は,元広島県教育委員会教育長の経歴をもつ寺脇研さんと元文部科学事務次官の前川喜平さんの企画により制作されたものです。

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この映画に登場する子どもたちは,生きていくこと自体がしんどい生活実態の中にさらされていました。性暴力を含めた家庭内暴力におびえる子ども,ギャンブル依存・アルコール依存の親元で衣食住もままならず,家庭が拠り所にならない子ども,そして,同級生からいじめを受け続ける子ども。経済格差等を背景に,おとなの「しんどさ」が子どもの生活や人間関係に大きな影響を及ぼしている現実がストレートに描かれています。

試写会は,通常営業後の映画館において夜遅い時間から上映されましたので,最終便に間に合うよう途中で席を立たなければなりませんでした。

それぞれの子どもが逃げ場のない苦しみの中で希望を見いだすことができずにいる状況に,重たい気持ちのまま映画館を出ました。駅に向かいながら自分がこれまでに出会った子どもたちのことを思いました。

映画の登場人物のように苦しんでいる子どもがどれだけいたのだろうか。いや,普段すれ違っている子どもたちの中にもいるのかもしれない。おとなの「しんどさ」の背景にある問題を何とかしなければ,何も罪のない子どもに被害が及ぶ。しんどい現状に諦めてしまったら,いったい誰が子どもを救うのか。貧しさから,おとなの暴力から,いじめから・・・。

さて,映画の結末はどうであったのでしょうか。問題の背景にある闇の深さを思うと,簡単に解決への出口が見つかるとも思えません。せめて,この映画を観たおとなたちが「自分がなんとかしなければ…」という思いを共有できれば,と思います。

改めて映画のチラシを読む。「子どもたちをよろしく」と。

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私には,「このような厳しい生活を余儀なくされている子どもたちを,なんとか救い出さなくてはならない。それが私たちおとなの仕事だ。」というメッセージに聞こえます。

広島での上映は、4月上旬で計画が進んでいます。

(モリサキ)

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2020年1月24日 (金)

広響フアン感謝デー

昨晩午後6時30分よりアステールプラザで、広島交響楽団のファン感謝デーが開催されました。私たちが会場に着いた時には、すでに多くの人が開場時間を待って長蛇の列でした。何人かの知り合いの顔も見えます。

ファン感謝デーですから、特別のプログラムで進行します。パートごとの紹介とパフォーマンスから始まりました。スタートはパーカッション(打楽器)。メンバーが紹介され、維持会パフォーマンス演奏。終わるメンバーの一人が、次のパート、チューバを紹介。ファン感謝デーということで演奏中以外の写真撮影が許可されましたが、最後部の座席でしたので遠すぎて写りが良くありませんが、雰囲気を感じてください。

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楽器ごとのパフォーマンスですから、それぞれの楽器の音色を聴くことができました。最後は、バイオリンです。メンバーの紹介が終わると広響音楽総監督・指揮者の下野竜也さんが登壇。下野さんのパフォーマンスは、楽団員に背を向けて観客席に向かって指揮棒を振ること。当たり前のことですが、いくら一生懸命にタクトを振っても、楽団員は誰も演奏しません。いつもの演奏会では見られない、楽団員、和気あいあいのスタートです。

オリンピックの年ということでしょうか、最初の演奏曲は、黛敏郎作曲「スポーツ行進曲」です。

次の恒例のクイズコーナー「何の曲かわかるかな?」。今年は、少し趣向を変えてオーケストラでの演奏はなく、シキボウ振りだけ、楽団員のハミング、打楽器だけの演奏、最後はトランペットのみのパフォーマンスで、その曲名を当てなければなりません。あたりまえのことですが、私は全然わかりません。でもやはりわかる人がいるのですね。会場からは驚きの声と大きな拍手。「すごい」の一言です。しかし楽団員によるハミングの曲は、2度繰り返しましたが、誰一人手をあげる人がいませんでした。曲が難しかったのか、ハミングが下手だったのかの理由は不明ですが。

クイズコーナーが終わると再びオーケストラで2曲を演奏。その途中でパーカッショングループ4人が、指揮台前に出て来てボデーパーカッションを披露。ボデーパーカッションは、ことばのごとく体をたたいて拍子をとり音を出します。手で膝を叩く、両手を打つ、胸をたたくなどです。次の曲では、観客席も足踏み、手拍子のボデーパーカッションに参加。一体感が広がります。前半のオーケストラ・コンサートのアンコール曲は、ファン感謝デー恒例の「それいけカープ」。再び会場は、観客席の拍手と演奏の一体感で盛り上がります。

10分の休憩を挟んでの後半は、楽団員によるアンサンブル。パーカッション、金管五重奏、バイオリンの二重奏、木管五重奏団、そして最後は、「広響ファン感謝デー祝祭管弦楽団」による「みんなで演奏!」です。

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曲は、ヨハン・シュトラウス:ラデツキー行進曲です。ステージ上には、事前に申し込みをした一般参加者35人がそれぞれ持参の楽器をもって登壇。広響もメンバーも日頃の楽器とは違う楽器で参加。指揮者の下野さんもトランペット奏者として参加。尺八もあります。ラデツキー行進曲は、手拍子を打つパートが繰り返し演奏されましたので、拍手がやむことはありませんでした。

2時間余りのファン感謝デーでしたが、演奏会とは違う雰囲気で楽しい時間を過ごしました。

いのちとうとし

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