「広島ブログ」

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

携帯・デジカメ

2020年7月 8日 (水)

7月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

農園の周囲は稲田の青は広がり、ブルーベリーの青が広がり、どちらも背丈が伸びていく。アジサイがところどころで色合いを変えながら咲いていてヒヨドリが次第に数を増してブルーベリーを狙って飛び回る以外動きの少ない夏の半ば。

週末の農作業では特に梅雨時が天気とにらめっこの作業となる。4日の土曜日は雨なので一日休み。5日は晴れ間が見えるので農園に行きブルーベリーの摘み取りを行った。6日からはほぼ1週間雨マークなので収穫できるだけ収穫して安芸の郷に納品しないと実がはじけたりしてもったいない。結果安芸の郷には約24キロのブルーベリーを納品することができた。広島市の安芸区の家に帰る時間もいつもより遅くなった。以下は7月5日(日)の一日だけの農園の様子。

1_20200707124801

里山の早生のブルーベリーがそろそろおいしくなってきた。酸味に加え甘さが乗ってきている。房の中で粒が一回り大きくなっていること、赤紫色になっていないことを見て摘み取る。写真はスパルタンという品種。

2_20200707124801

摘みとりの最中に実の重さで枝が傾いているところはひもで他の幹とともにくくって支える。

3_20200707124901  

小さい実を一つ一つ摘み取る。

4_20200707124901

畑の一部の早生のブルーベリーがある場所にも今年は防鳥ネットを張ったので摘み取りも開始。

5_20200707124901

全体に木はまだ小さいが冬の剪定で花芽を残した木には実がしっかりついている。10円玉位の大きさのこの実が色づくのはまだ先。写真はダローという品種。

6_20200707124901

里山のブルーベリー園の周囲のホタルブクロも一週間前よりも花の数が増え、しぼみかけている花も見える。ぶらりとした姿でただただひっそりと咲く。

8_20200707125001   

庭の花壇。

①ホオズキ。まだ緑緑している。

9_20200707125101

②ヤマアジサイ。開花して時間がたつと花びらの部分が赤紫色に変わる。

7_20200707124901

 里山に行く道沿いにあるヤブカンゾウの蕾がすこし口を開いている。

10_20200707125101

Uの字のだんだん畑状に広がる棚田の稲ももう手のひじ辺りまで伸び青さを増している。この時期の米づくりは水の管理以外は見守るだけのようで農作業はもっぱら法面の草刈りが中心だ。

2020年7月8日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年7月 2日 (木)

ニューアルオープンしたレストハウスに行ってきました

マスコミ報道につられてということではありませんが、昨日リニューアルオープンした「レストハウス」に行ってきました。

第一印象は、「ずいぶんと綺麗になったな」「これが被爆建物?」です。車道を超えて、写真を一枚、正面入り口からの全景をとりました。

Dsc_6402_20200701154801

建物のすぐ西に説明版があります。写真では、右側街灯の左横にクロっぽく映っています。そこに使われている写真は、被爆前の建物を映したものです。その写真と建物を見比べると、玄関入口両脇にあるアーチ型の窓に、被爆前にはなかった柱のようなものが2本見えます。その時には、「えー、耐震構造にするために変えたのかな」と思ったのですが、帰宅して中国新聞15面の「特集」を掲載された「改修前のレストハウス」の写真にも2本の柱が映っています。今回の改修で加えられてものでないことが分かりました。しかし、「外観は建設当時に近い姿に復元」といわれていましたので、地震対策で仕方のないことだったかも知れませんが、内側に工夫するとかして、外観は当時に近い姿にできなかったのかなと率直に感じました。

西側の壁面を写真に収めようと場所を移動し、壁に近づいてみました。スマホを構えながらよく見ると、西側壁面の真ん中あたりに白っぽく色が違う部分があります。

Dsc_6405

よく見ると、積み上げられた石の中には、ひびが入っている石もあります。被爆前の外壁ではないか?

気になるものですから、レストハウス内の案内所に行き「被爆前の壁が使われている部分がありますか」と訊ねました。すぐには答えが返ってきませんでしたが、手元にある文書を開いて調べてくださいました。その文書の中の1枚にこう書かれています。

「建設当時の外壁 外壁の一部については、建設当時の外装材をそのまま使用しています。①建設時の人造石(外壁の西面の一部)②建設当時のスクラッチタイル(外面の北面・西面の一部)」

これで理解できました。私が、気になった外壁の部分には、建設当時の外装材が使われていたのです。残念ながら、スクラッチタイルの方は、沢山あり過ぎるのと遠目で、どのタイルかは確認できませんでした。建設当時の外装材が使われている部分は、誰でもすぐ見つけ易いような説明があった方が良いと思います。とここまで書いてちょっと疑問が出てきました。「大正屋呉服店」として建てられたこの建物、その後被爆までは外装は変更されなかったのだろうかということです。というのも私の関心事は、建設当時というよりも被爆時の壁だったかどうかですので。今のところ、それを知るすべはありません。

地下室に移動しました。

Dsc_6412  

地下室に入るのは、リニューアル前も含めて、今回が初めてです。入り口から、他の部分とは違う雰囲気を感じます。柱や壁面など被爆時に近い状態を生かして展示されているからでしょう。壁面の一部を利用して、爆心地から170メートルという近距離にありながら、この地下室にいてただ一人助かった野村英三さんの体験が、本人の日記や絵、戦後の写真などで紹介されています。

Dsc_6406

この展示板の左隅に「竣工時の地下室の平面図」がありますが、残念なことにその方向が現在の間取りと右に90度ずれていますので、例えば部屋の真ん中にある柱が「平面図のどの柱か?」を見つけることが簡単にできません。平面図があるのですから、現在の展示室にある柱が、平面図のどの柱なのかをわかり易く表示すれば、見た印象が違うように感じました。しかし、ゆっくり見たい部屋です。

その後3階に移動し、旧中島地区に関する展示場を見て回りました。

Dsc_6418

ジオラマなども設置され、見やすい展示になっています。新たに展示が予定(本年度完成予定が、コロナ禍で次年度になる)されている「平和公園に眠る中島地区の地下遺構」とこの展示が連動すれば、より効果的になるのではないかと思います。

階を移動する途中にも、被爆当時の階段や「天井裏の鉄筋コンクリートの梁」などもガラス越しに見えるように展示されています。せっかくに貴重な展示物ですが、ちょっと気を付けないと見逃がしてしまいそうです。

最後に2階の休憩・喫茶ホールを覗いてみました。一部屋は無料の休憩所になっていますし、喫茶ホールもかなりの席が用意されています。レストハウスが、まさにレストハウスとして機能できるスペースといえます。無料休憩所では、初日でしたが、何組か話を聞いている風景も見ることができました。

駆け足でしたが、レストハウスの見学を終えました。最後にふたたび案内所を訪れ「この施設のパンフレットはないですか」と訊ねたのですが、まだ作られていないようです。資料・展示室としての役割が大きくなった「レストハウス」ですから、パンフレットはどうしても必要だと思います。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年6月30日 (火)

6月のブルーベリー農園その4(東広島市豊栄町)

27日と28日の土日に農園に行く。どうにか天気が持ち、近くの麦畑は刈り取りが終わっていた。稲田はどんどん伸び青さが増す。農作業の時間中耳に入ってくるのは、ウグイスがいつまでも谷渡り入りで鳴き、ホトトギスが時折なくが、キジの声は聞こえない。そしてヒヨドリ、ツバメが忙しく飛び交うのが目に入る。ブルーベリーの早生の実はまだ酸味が多くよほどの大きさでないと甘みのある実は摘み取れない。それでも安芸の郷に2回目のブルーベリーの納品が出来た。

農園と比べ安芸の郷のある安芸区矢野東の第2森の工房AMAの屋上の早生と中生のブルーベリーはもう完熟状態の種類もあり、利用者職員が雨の日を除いて毎日摘み取りに精を出している。Cafeさくらでのフレッシュブルーベリージュースや生食の100gパックも提供されお客さんに初夏のブルーベリーを味わって頂いている。毎週火曜日、金曜日には広島市中区紙屋町の地下街の障害者の皆さんの売店「ふれ愛プラザ」に夕方100gパックを搬入しているのでお近くの方は是非。

1_20200629214101

6月27日(土)

①農園の庭のガクアジサイがいい頃合いに咲きだした。

2_20200629214201

②里山の防鳥ネットを張っている早生のブルーベリーがぼつぼつ甘みを増した木が出てきたので4キロばかり収穫。安芸の郷に納品した。

3_20200629214201

③小さいアマガエル。今年生まれだろう小指の先くらいの大きさ。摘み取る木のあちこちで出会う。

4_20200629214201

④庭の池の周囲のナンテンの花(まだ蕾だが)と花ショウブ。

5_20200629214201

⑤里山の晩生のブルーベリーの中に中生のブルーベリーの木が10本近くある。鹿にぼこぼこにされた晩生のブルーベリーの後に中生を植え替えたものが摘み取りできる大きさになったがこれまで時間もなくヒヨドリが食べられてばかりだったのだが今年はネットを1本1本にかけた。作業中にもヒヨドリのパタパタ飛ぶ音がしきり。ネットは防獣用のネットの予備があるのでこれを細かくカットして応用した。

6_20200629214301

6月28日(日)雨と予報は出ていたが結局降らなかった。草刈りと野焼き、追い植えに作業分担する。

①庭の剪定で出た枝を野焼きする。外気温も30度くらいあるので暑い。火に近づくときはかぶった帽子を前に出して頭を下げて火を突っつきながら燃やす。

7_20200629214301

②野焼きはいつも3時までにしている。その後ブルーベリーの追い植えを2か所行う。

8_20200629214301

③里山の日陰でホタルブクロが開花。今年は咲く場所が違う。

9_20200629214301

畑の法面のネムノキ。さきっちょのあたりにピンク色がのっている。

10_20200629214401

細い花びらが樹冠の上にいっぱい咲いている。夕方の弱い陽を背に光る。

 2020年6月30日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年6月23日 (火)

6月のブルーベリー農園その3(東広島市豊栄町)

今年の夏至は6月21日。日没は19時30分頃になる。いつものように安芸区の自宅から週末の2日間は東広島市豊栄町にあるブルーベリー農園で手入れの作業を行う。5時には作業をやめて後片付けをして帰るがまだ太陽が出ていて農作業は十分にできるが仕方なし。農園の近所の親戚の男性に時間のある時に農園の草刈りをお願いしているが、21日は私たちが帰るころにやってきて草刈り機のエンジン音を響かせる。きっと作業しやすいだろうなと思ってしまう。そう、まだ空には青空と夏の雲が広がっている。

206231

6月20日(土)。

①庭の池の花ショウブが開花。

206232

②里山のブルーベリー園には膝ほどに雑草が伸びアザミのあちこちに咲いているが、

206234

③草刈り機で除草。

  206233

④もう一方で農業用ため池のタケノコの除去にいくが入り口の里山の溝が枯れ枝と泥がたまり数か所せき止められて、前日、前々日と降った雨水が山道に流れだしている。見たときに手入れをする精神で約100mにわたってこれらを取り除き、ついでに大小の石を石で溝から出して流れをよくした。作業しながらよく見ると山道側の溝は石でしっかり組まれていてびくともしていない。大したもんだと感心する。

206235

⑤畑の富有柿。親指の先ほどの青い実がついている。

206236

6月21日(日)

①一番上の畑は2区画になっていて、親戚から譲り受けた畑に早生と中生のブルーベリーを植えている。今年木が少し大きくなり実もそこそこなっているので防鳥ネットを張ることにした。

206237

②里山にある早生のブルーベリー園にも防鳥ネットを張っている。そろそろ色づいてきて先週も摘み取ったが甘みがなくすっぱくて初物としての季節感を楽しんだだけ。21日現在まだ甘みが乗っていないので来入半ばまでつみとりはお預け。

  P1190907

③防鳥ネットを張った後に施肥の作業。一番上の畑に鶏糞を1本の木に3つかみほど撒いて回った。

206-2

④夕方5時過ぎ私たちが帰るころ親戚の男性の援農で草刈りが始まる。日没までまだ2時間もある。暑くもなく寒くもなく作業しやすい時間帯。

2062310

⑤農園から歩いて数分のところのため池に毎年コウホネの黄色い花が咲くので見に行く。

2062311

6月22日(月)朝。自宅のベランダの庭に咲くネジバナ。すこしずつ増えているのがうれしい。

 2020年6月23日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年6月15日 (月)

6月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

6月10日頃が梅雨入りとなった。そのため13日14日の土日が雨らしいので10日(水)は休暇を取って農園のまだ草が茂っている一番上のブルーベリー畑の草刈りを行った。13日の土曜日は終日の雨で作業は無しで、久しぶりの昼寝を楽しむ。14日も雨だったが防鳥ネットの穴の補修や見回りを行ったあとは雨と風の中のブルーベリーや遠くの杉や桧の様子を縁側から眺め、早目に帰途に就いた。

206151

6月10日(水)

虫にすっかり食べられてなお咲くバラ。

206152

一度敷いた防草シートを左右の端をめくってチップソーが絡まないように下準備のあとブルーベリー畑の草刈り。場所は一番上の畑。

206153

刈った後で防草シートのめくっていた端を元に戻しておく。

206154

庭の花壇の中に花菖蒲が開花。

206155

帰り道にある稲田。5月初めに植えられた稲が青く伸びる。

206156

6月14日(日)。昼前に農園に着いたが雨。

206157

一番下のブルーベリー畑の水路沿いにネムノキが自然に生え、切らずにそのままにしておいた。成長が早いので大きくなった。花が咲くのはまだ早い。

206158

早生のブルーベリー。カッパをきて200gほど摘み取った。晩御飯のデザートにして食べたがまだ甘味が少ない。

206159

晩生のブルーベリー。(ラビットアイ系)実のついたブルーベリーの先に若い枝がしっかり伸びている。

2061510

庭の花壇のヤマアジサイの花。

梅雨の雨と周辺の景色に付き合った一日だった。

 2020年6月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年6月14日 (日)

原爆の絵第10号碑は、共立病院にあります

広陵高校に設置された原爆の絵第2号碑を訪ねた後、再びアストラムラインに乗り「古市駅」で下車。ここから西方向に歩いて10分ほどのところに広島医療生協協立病院があります。ここに、原爆の絵碑としては、最後に建立された10号碑が設置されています。

1階の受付前には、テントが張られて、訪れる人の体温チェックが行われていました。すぐに絵碑を見つけることができませんでしたので、このテントで検温中の看護師さんに絵碑の場所を尋ねました。

「原爆の絵第10号碑」は、病院の敷地の北東角に設置されています。この絵碑は、2枚の陶板で構成されています。

Dsc_6239

左側の陶板が、市民の描いた原爆の絵です。ただこの絵は、他の9つの絵碑とは違い、3人(森正喜美子、新澤慶子、佐々木春子)によって描かれた8枚の絵が、西岡真奈美さんの構成で1枚にまとめられています。

Dsc_6242

真ん中に安佐郡から眺めた原子雲が描かれています。それを囲むように、旧安佐郡(現在の安佐南区と安佐北区)内各地での被爆後の様子が描かれています。市内中心部から避難してきた被爆者の悲惨な状態や看護の様子を描いたものが5枚です。沼田地区に降った黒い雨の様子も描かれています。他の一枚には、可部・亀山の福王寺付近に落ちた落下傘が描かれています。

その内の避難者の列を描いた一枚には「川内村にやっとたどり着いて被災者たち。身体中やけどで手は皮が垂れさがり、赤身が出ているので、痛くて手を下げることもできない。」と説明書きがされています。川内村は、もう一枚の陶板「もう一つの原爆絵図」では、次のように紹介されています。「旧佐東町川内地区では200人近い男性が爆心地の中島町の建物解体作業に出かけたまま還らぬ犠牲者となり、『原爆未亡人村』の悲劇として現在まで語り継がれている」と。この文を読むと、平和公園本川沿いに建つ「義勇隊の碑」を思い出します。

Tour_031

広島市のホームページでは、この碑の説明と共に川内村の犠牲者について「川内村の義勇隊250人は全員が亡くなりました。そのうち温井地区はひとつの地域としては特に多い180人の犠牲者を出しました。」と記されています。また広島原爆戦災誌には、「当日川内村からの義勇隊は約500人。うち先発隊約250人は、現場に到着し、作業に着手中に被爆、全滅の惨劇。これは一挙に未亡人世帯の発生となり、多数の過程を破壊した。後続の250人は、行く途中で被爆し、約200人が負傷、残り50人は無傷で帰ってきた」と記述されています。全滅の犠牲となった先発部隊の多くが、温井地区の人だったことになります。

右側にある「もう一つの原爆絵図」とタイトルの付いた陶板についても簡単に紹介します。

Dsc_6240

この陶板は、第10号碑が共立病院の創立40周年の記念事業として建立されたことと、先に紹介した「川内村」など、安佐郡内の被爆当時の様子が記載されています。中国新聞の記事によれば、除幕式は、2006年10月14日に行われたようです。さらにこの絵碑には、広電の電車軌道敷石と旧国鉄宇品線宇品駅プラットホームの石の被爆石が使われていることも記されています。

この陶板には、可部線を走るSLの写真が使われています。写真の説明には書かれていませんが、広島原爆戦災誌には、被爆直後広島市内の救援活動に向かった安佐郡の人たちは、可部線三滝駅(横川駅のすぐ北隣の駅で、ここから北は運行していた:当時の可部線は横川駅からほぼ真北に延びていた)までは可部線を利用したと記載されています。そのことを表そうとこの写真が使われたと思われます。

共立病院の一角に立ち、今までに何人かの入院患者のお見舞いで訪れ、その一人が原爆詩人の栗原貞子さんだったことを思い出しました。また、共立病院は、在外被爆者の渡日治療や健康管理手当用の診断書発行などに積極的に取り組んでこられました。青木克明前院長によれば「1990年以降8カ国、563人の在外被爆者が来院された」とのことです。

原爆の絵碑の建立は、この10号で終わりになっています。10か所を訪ね歩きながら、新しく知ることも多く、沢山のことを学ぶことができました。感謝しながら、これで「原爆の絵碑」の紹介は一応の終わりにします。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年6月12日 (金)

広陵高校に設置された原爆の絵第2号碑

6月初めの暑い日、安佐南区に設置された二つの原爆の絵碑を巡りました。今日は、広陵高校の正門横に設置された原爆の絵第2号碑の紹介です。

アストラムラインの伴駅(広陵学園前)で下車し、北側丘陵地にある広陵高校をめざし坂道を登り始めました。3安佐南区スポーツセンターと広陵高校の間の道をさらに進み、さらに右折して正門をめざしました。チラシには300mと書かれていたのですが、800mほどありました。マスクをつけて上り道を歩くのはかなり大変でした。

学校に到着するとすぐに事務所を訪ね、「原爆の絵碑を見させていただきたいのですが」とお願いします。事務長と思われる方が、案内してくださいました。「原爆の絵第2号碑」は、正門横(入口から見ると右側)に、広陵高校の慰霊碑に並んで2003年6月27日に設置されています。台座には旧国鉄宇品駅プラットホームの被爆石が使われています。

Dsc_6236

2枚の絵が設置されていますが、2枚とも16歳の時、爆心地から約2キロの広島市千田町(現中区)にあった広島工業専門学校(現広島大工学部)の教室で被爆された松島圭次郎さんの絵です。右側の絵には、「建物疎開作業中に被爆した子どもたち」の様子が描かれ、「若いいのち」という詩が添えられています。

Dsc_6228

「あの日の朝/建物疎開に出ていた 子たち/焼かれて ただれて 帰って来た/暁部隊のトラックに/乗せてもらった子らもいた/あの後すぐに 多くの子らが/死んでいっただろうな/楽しい夢も 明るい未来も/あっていたはずの/若いいのちだったのに/君らの叫びと祈りは世界に伝える/安らかに眠ってほしい」

左側の絵は、御幸橋の様子が描かれ、「廣島が死による」という詩が添えられています。

Dsc_6226

「廣島に原爆が落ちて/本当にひどい有様になった/何百人も火傷を負った人たちの/行列を目にした 御幸橋/一列に並んで倒れていた 欄干石/南側のそれらは川底に落ちていた/橋の中ほどで 思わず立ち止まって/僕は眺めた 野火のように燃える/川上の西岸/激しく燃えていた 家々/天まで上っていた 黒い煙/深くは考えない 愚かな若者だった僕/それでも 生まれて育った/廣島の町/「廣島が死による」/僕は悲しかった」

作者の松島さんは、「ひろしまを語り継ぐ教師の会」会長として国内外で英語での被爆証言に力を尽くしてこられましたが、2014年11月85歳で、その生涯を終えられました。

原爆の絵碑を案内していただいた事務長が、「学校では、毎年1学期末の終業式のあと、全校生徒によって『原爆犠牲者慰霊式』を行っています」と教えていただきました。広陵高校の毎年の慰霊式の様子をアーカイブで見ることができますので、これを引用させていただき、昨年(7月20日に挙行)の様子を紹介したいと思います。

Dsc_6237

終業式が終わった後、「原爆犠牲者慰霊式」が始まります。最初に國貞和彦校長のあいさつです。「今から74年前、昭和20年8月6日、朝8時15分、世界で初めて広島市に原子爆弾が投下されました。十数万人の人々が亡くなり、広陵高校も先輩38名、教職員2名が犠牲となりました。(以下中略)改めて核兵器の非人道性、恐ろしさを認識し、どのような理由であれ核兵器の使用は許されないこと、廃絶されなければならないこと、そして『平和である今』に感謝をし、核兵器や紛争やテロのない『平和な未来』を実現するために、声を上げていきましょう」。次に放送部のナレーションでスライドの映写。ここで、原爆の絵の紹介もされています。演壇上に映された「慰霊碑」の前に、生徒会役員によって折り鶴と花束が献納されます。折り鶴は、全校生徒一人ひとりが折ったものを生徒会がつなげたものです。

屋内での慰霊式が終了した後、慰霊前で、生徒会の役員と教職員の代表によって慰霊式が行われます。例年は、この慰霊式で折り鶴は献納されるようですが、昨年は雨だったため、屋内での献納になったようです。

広陵高校は、爆心地から南南東約3キロの宇品御幸で被爆しています。御幸橋の様子を描いた絵が使われているのは、そうした縁だと思います。1965年(昭和40年)に建立された慰霊碑も、1973年(昭和48年)の学校の移転とともに、現在地に移されています。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年6月 8日 (月)

6月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

農園の周辺の緑ももう若草色は消えて青々した濃い緑に色を移る。気温も28度くらいまで上がる日がつづく。雑草が伸びる、草を刈る、を繰り返しながら6月半ばからは早生の収穫に取りかかり、合間にまた草を刈りメインの晩生の夏のブルーベリーの収穫期を待つ。

安芸区矢野東にある安芸の郷の建物の屋上の早生のブルーベリーは収穫が始まりCafeさくらではフレッシュなブルーベリージュースがお客さんに楽しまれ始めた。

Photo_20200607212601

6月6日(土)

庭の花壇のジャーマンアイリスが終わると同じ場所からフランネル草が咲き始めた。

Photo_20200607212602

午後からブルーベリー園の草刈りをしている間にご近所から収穫された一輪車にいっぱいのタマネギが届く。

早速竿に吊り下げる。今年は大きいそうだ。

Photo_20200607212603  

6月7日(日)

1週間もたつとまた竹の子が生える。農園の管理するため池の法面にも生えるので今週も草刈り機で刈る。

Photo_20200607212701

池辺にはもうトンボがでている。

Photo_20200607212702

ブルーベリー農園の近くの麦畑の様子。もうすっかり麦穂が膨らみ茶色になっている。あとは刈り取りを待つだけのよう。

Photo_20200607212703

道路沿いの小さな祠の周囲に雑草のブタナの黄色い花が一面に咲いている。

Photo_20200607212704

グイビの実が赤くなった。どの実も虫が突っついたあとがある。口に入れると甘味の少し後に渋みが出てくるが、どこか懐かしい味。

Photo_20200607212801  

蔵の横に植えてあるタイザンボクの花。あまりたくさん咲かない。

Photo_20200607212802

早生のブルーベリーが色づく。20粒位取れたので晩飯の時に家族で初物を味わった。ちょっと酸っぱい。

Photo_20200607212803

ブルーベリー畑の草刈りをして防草シートを敷きなおして足元がすっきりした。

 

2020年6月8日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年5月31日 (日)

5月のブルーベリー農園その4(東広島市豊栄町)

5月23日(土)と5月24日(日)に農園に作業に行ったのだが撮影した映像が手違いで全部消えてしまった。特に農園の近所の親戚のおばさんからざるに入れたイチゴを頂いた写真が良かったのだが仕方ない。聞くとそのイチゴはもう70年くらい前から毎年栽培しているものだそうだ。トマトではエアルームトマトというジャンルがあって百年単位で育てることでその土地に順化した個性あるトマトができるが、頂いたイチゴはそのことを連想させた。帰ってジャムにして毎日頂いている。

ホトトギスが鳴きだしている。5月30日(土)の農園の様子。

1_20200530221701

農園の花壇のジャーマンアイリス。繰り返し毎年元気に咲いてくれる。名前はヘレンコーリングウッド。

2_20200530221701

すっかり黄色くなった麦畑。右の斜面が里山のブルーベリー園。

3_20200530221701

24日(日)に里山の早生のブルーベリー園に防鳥ネットをかけた(白い部分)。

4_20200530221701

かけただけであちこちの穴の補修はまだできていない。

5_20200530221801

ネットの中の早生のブルーベリーが色づくのはもう少し先なので鳥に食べられることはない。

6_20200530221801

そのブルーベリー園の周辺の様子。

 ① 里山のふもとの卯の花も咲きだしたし、

7_20200530221801

 ② すぐそばのエゴノキも満開でブーンとミツバチの羽音も聞こえる。

8_20200530221901

 ③ エビネはもうしぼんでいるが、

9_20200530221901

 ④ エビネの中にシライトソウがポツンと咲いている。

10_20200530222001

農園の管理する池の法面のタケノコを全部刈ったのだが1週間後の30日に行ってみるとまた生えている。ボコボコと足蹴にしたり、ガリガリと鋸で切ったりして取り除いた。

11_20200530222001

今年の冬に子の法面の竹を全部切って日差しが良くなったのでマムシグサがあちこちに生えていた。葉が大きくなりマムシの鎌首のような花の部分はもうしぼんで黄色になっている。

2020年5月31日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年5月23日 (土)

5月のブルーベリー農園その3(東広島市豊栄町)

田植え時期のこの季節から初夏にかけては日が長くなる。特に朝夕は過ごしやすいので、体も汗ばむこともなくさくさくと農作業ができるのだが、通いの週末農業では家の用事を済ませて出発だし、まだ明るいうちに帰路に着くのでその体験もあまりできない。この季節は米も人も米の耕作に適していて自然の営みの絡み具合がうまくできていると思ってしまう。それもずーっとずーっと昔ヒトがコメと出合い定住して栽培する課程を経てのことなのだが。ブルーベリーの場合有名なのはアメリカ大陸に渡った人が冬に食べ物がなくなったときにネイティブアメリカンの先住民の人たちが乾燥ブルーベリーを差し上げて生き延びられたという逸話がある。だからアルファベットを覚えるときにはBはブルーベリーのBと子どもたちは覚えるらしい。

1_20200522142001

5月16日。

 ①.ブルーベリー畑の畦に植えているオオタニウツギが開花。初夏の卯の花が咲くのももう少し。

2_20200522142001

 ②.麦畑。農園から少し足を延ばして見に行く。穂が出ているし、下の方は黄色くなっている。向こうの杉林のふもとがブルーベリー園。

 3_20200522142001

 ③.枯れたブルーベリーのあとに5本ほど追い植えを行う。苗木は剪定の時に採取したヒコバエを使う。あとは草刈りが続く。

4_20200522142101

ミツバチの働いたあとの植物には花から実に姿が変わってくる。それを人が頂く。

 ①.ブルーベリー畑の防草シートの上にブルーベリーの白い花びらが無数に落ちている。(5月16日)

5_20200522142101

 ②.小さい畑に植えてるキヌサヤエンドウの実。毎回農作業に行った折に収穫して新鮮香りと色と歯触りを頂く。(5月16日)

  6_20200522142201

 ③.ソラマメは収穫までもう少し。実が下を向き出したら食べてもいいそうだ。(5月16日)

7_20200522142201 

 ④.グイビの実。子どもの頃はブイブイと呼んでいた。小さい実のなる木と大きい実のなる木があり大きい実のなる木の方が甘かった記憶がある。渋みという味覚はカキとこのグイビで覚えていった。(5月16日)

 8_20200522142201

 ⑤.ブルーベリーの実は日に日に大きくなる。中生のシャープブルー。(5月17日)

9_20200522142301

ニホンミツバチが来てほしい。キンリョウヘンという名の蘭(写真の赤いネットをかぶせている)をミツバチの巣箱のそばに置く。おいてしばらくするとニホンミツバチが蘭の周りに数匹きた。その中の一匹が中の離れるそばから近寄ってくる。蘭の匂いが服についているからなのかもしれない。でもまだミツバチの分蜂群はこない。6月までひたすら待つ。(5月17日)

 10_20200522142301

同じ日、農園の近くの休耕田にクローバーの花が咲きだした。後ろの黄色はキンポウゲ。

11_20200522142301

午前中お寺で親族が集まり法事を行ったが、小さな池にはキショウブが咲き、糸トンボやヤンマが飛んでいた。晩春は初夏でもある。(5月17日)

2020年5月23日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

より以前の記事一覧