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心と体

2020年12月21日 (月)

数字の意味を正確に理解しよう ――そのためにも、「リーダー」の役割が重要です――

数字の意味を正確に理解しよう

――そのためにも、「リーダー」の役割が重要です――

 

前回、12月1日には、「重症者」の範囲が狭過ぎるのではないかという問題提起をしました。東京都の採用している「定義」では、コロナ以外の患者さんたちへの「しわ寄せ」の大きさ・酷さが分らないことが問題なのです。

分り易い例として、『日刊ゲンダイ』の報道による11月18日の東京都発表の「重症者」数を取り上げました。それは39人です。しかし、厚労省が規定した「重症者」を数えると196人なのです。つまり、①人工呼吸器装着②人工心肺装置(ECMO)の使用③集中治療室(ICU)などに入室のいずれかに当てはまる患者196人なのです。倍数にすると約5倍です。その差は、ICUに入っている人が含まれているかどうかなのです。

ICUの数字が重要な理由の一つは、コロナ患者がICUのベッドで治療を受けることは、その他の病気でICUベッドを必要としている人には、そのベッドが回らないことになるからです。極端なケースを思考実験として考えると、(そんなことは現実にはあり得ないのですが、状況を理解するための「仮想」的な場合を考えます)、日本中のICUベッドが全て、コロナ患者のために使われたとすると、それ以外の病気、例えばガンとか脳梗塞等の重い患者さんは、ICUでの治療が受けられなくなってしまいます。

その中には当然、助けられたであろう患者さんも含まれることになります。医師の皆さんが心配している「助けられる命を助けられない」状況です。それは当然、「医療崩壊」の重大な局面なのですが、最近の感染状況がこの方向に動いているという警鐘が鳴らされています。

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皆さんお気付きのように、ここ数日間、各地で「医療崩壊」が注目されるようになりました。「医療崩壊は始まっている」(広島市医師会)、 「新型コロナウイルスによる医療崩壊は進行している」(大阪民主医療機関連合会)といった発言です。

これを、数字に置き換えて理解することが大切だとも思います。まず、日本国内のICUベッド数は、日本集中医療学会によると約7100あります。それに対して、12月19日に重症者数は598ですので、約600と考えておきましょう。

ただし、ここには東京都のICUベッドで治療を受けているコロナ患者数は入っていません。東京都の発表している重症者数は約60です。対して大阪が約150、そしてクラスターの発生で自衛隊の派遣を要請した旭川のある北海道が35という数字との比較も意味がありそうです。(これらの数字は、『東洋経済』オンラインのものを使っています)

東京の60の中には、ICUで治療を受けているコロナ患者の数は入っていませんし、この数字はネットで簡単に探せませんでしたので、『日刊ゲンダイ』の記事を元に、都の公表数の5倍を掛けたものが、ICUで治療を受けている人も含めた数字だと仮定します。

すると、東京都の「重症者数」は300、全国的な数字には、後240足す必要がありますので、大雑把に考えると、840人の患者さんがICUベッドか、それより重篤な患者さん用のベッドで治療を受けていることになります。また、新たなコロナ患者を受け入れる際、提供するための、特別に空けているベッドもあるようですが、それらも含めると、コロナ用ベッドの数は大雑把に900と考えても良さそうです。

つまり、ベッド数で考えると全ICUベッドの内、約13パーセントがコロナのために使われていることになります。

日本におけるICUベッド数も、集中治療を専門に行う医師の数も、余裕があるというのなら、これは心配する必要のない数字かもしれません。しかしながら、例えばドイツと比較すると、「人口10 万人当たりのICU は、日本が5.2 床であるのに対して、ドイツは33.9 床と、日本の6 倍以上の病床数が整備されている。(ドイツの)ICU の多さは、医療コスト高の要因として批判の対象となっていたが、今回の危機にはこれが医療崩壊の回避に寄与した。また、注目すべきは病院に勤める「集中医療専門医」の人数だ。全体数をみると、ドイツが8,328 人(2018年)に対し、日本は1,850 人(2019年)と大きく異なる(日本医師会調べ)。人口当たりでみると、日本の集中治療専門医とは、実に7倍の開きががある。」(NIRA オピニオンペーパー No. 54 | 2020 10 月 「ドイツのコロナ対策から何を学べるか」、著者は翁百合NIRA総合研究開発機構理事/日本総合研究所理事長)

つまり、各地で医師会や医療団体、そして個人としても医師たちが指摘しているように「医療崩壊」は起きつつある、という事実を受け止める必要が私たちにはあるということですし、その原因の一つが、これまで十分な数のICUベッドを確保して来なかった日本の医療政策にあるということなのです。

そして、「重症者数」から「ICU」を除外することで、この点が十分に伝わらないという二次的な弊害を作り出している行政の責任も問われなくてはなりません。

それに対して私たちに何ができるのかも、改めて確認しておきましょう。それは、コロナウイルスに感染しないようにすることです。そのための注意事項も手を変え品を変えて伝達されてきましたが、私たち一人一人が新たな決意でコロナに立ち向かう上でも、リーダーの果す役割が大切です。

今回はもはやそのためのスペースがありませんので、次回に回します。皆さんも健康に留意され素晴らしい新年をお迎え下さい。

[2020/12/21 イライザ]

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2020年12月11日 (金)

新型コロナ対策への不信感 ――まず東京都は、「実態」に即した「重症者」数を発表すべき――

新型コロナ対策への不信感

――まず東京都は、「実態」に即した「重症者」数を発表すべき――

 

コロナ対策についての国や自治体の対応、そしてそれを報道するマスコミの対応が元で、かなりの混乱が生じています。多くの人が戸惑い、不安も増え、同時に、無知や傲慢さも広がっているようです。

国民の生命と生活に責任を持つことが憲法で決められている政府が、しっかりとその責任を果さなくてはならないことは言うまでもありません。しかし、出発点はやはり科学的事実です。

それを元に、マスコミも一緒になって、その事実を誰にでも分るように整理して説明することで、ほとんどの人が納得した上で国や自治体の対応に協力する態勢ができるのではないかと思います。

しかし、「誰にでも分る」の対極にあるような伝達の仕方や報道の仕方が目立ちます。今回はその一つを取り上げた上で、是非改善して欲しいというメッセージを皆さんとともに送りたいと思います。

《重症者数》

それは、東京都による「重症者数」の発表数です。まずは東京都による定義から始めます。

厚労省の定義では、①人工呼吸器装着②人工心肺装置(ECMO)の使用③集中治療室(ICU)などに入室――のいずれかに当てはまる患者を「重症者」としてカウントし報告するよう各自治体に求めています。この数字が大切な理由の一つは、重症化した患者の病状がさらに悪化して死に至るケースが多いからです。

 もう一つの理由として、重症者は治療が長期化しやすい上、医療機関の負荷につながることが挙げられます。重症者が急増すると、ベッドや治療器具、人手が足りなくなり、コロナ患者だけではなく必要な人に治療が行き渡らない「医療崩壊」につながり兼ねません。そうなる前に手を打たなくてはなりませんので、この数値には注目しなくてはならないのです。

 しかしながら、東京都は「適切に実態を把握するにはICU患者を含めない方がよい」との専門家の指摘を受け、都のホームページなどで公表する際は人工呼吸器かエクモを使用している患者に限定しています。

ここで問題になるのは、「実態」とは何を指すのかという点です。ここ数日、医師会も、現場の医師たちも警鐘を鳴らし、マスコミがこぞって報道しているのが「医療崩壊」です。そこに近付いていることが続けて報じられています。それは、コロナ患者の治療のための病床数と医療従事者数が足りなくなることを指します。薬剤や機材、その他の問題もありますが、議論を分り易くするために、ベッド数と医師や看護師の数ということに的を絞ります。

《医療崩壊》

しかも、「医療崩壊」の中で、強調されてきたのが、コロナ以外の病気に対する医療が適切に提供されているのかという点です。たとえば、救急車で運ばれて来た人が、ベッドのないことを理由に、あるいは看護師が足りないために、受け入れや治療を拒否されることが起り得るのです。さらに、通常なら余裕をもって行われる手術ができなくなり、その結果、助かる命まで助からなくなるという可能性です。

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コロナ患者の場合でも、重くなればICUでの治療を受けることになる場合もありますし、その他の一般の患者さんの場合でも、急性あるいは重篤な場合にはICU1での治療が大切になります。つまり、一般病棟の中でもある程度余裕をもって治療を受ければ心配のない患者さんたちよりは、優先度の高いケアの必要な人たちのためにICUはあるのだと考えて良いでしょう。

そして、コロナ患者の数が多くなり、「医療崩壊」を心配しなくてはならないという時、このICUのベッド数が足りなくなりつつあることも意味しているはずです。ICUで受け入れられる患者数に余裕があるのなら、問題のあるケースはICUで引き受けるという選択肢が残されますので、それは「医療崩壊」と呼ばれる状態ではないはずだからです。

事実、コロナ以前に比べて、ICUのベッドでコロナ患者が治療を受けている数だけ、そのため患者が利用できるICUのベッド数は減っています。つまり、コロナ以外の一般患者への「しわ寄せ」があるのです。そして、「医療崩壊」が問題にされる状態とは、その「しわ寄せ」分が、一般患者のICU利用に深刻な影響を与えているという事実を指しているのです。

となると、「医療崩壊」の実態を私たちが正確に理解するためには、この「しわ寄せ」の実数を知ることがどうしても必要です。

ICUを含めると本当の重症者数は5倍》

純粋に、「医学研究論文を書く」という立場からは、「重症」の定義が違っていることもあり得るでしょう。しかし、コロナについての私たち普通の市民や庶民が、「医療崩壊」という現実を理解するためには、ICUで治療を受けているコロナ患者の数を知ることも、必要不可欠であることを御理解頂けたでしょうか。

ちょっと古い数字になりますが、『日刊ゲンダイ』の報道では、11月18日の、東京都発表の「重症者」数は、39人です。しかし、厚労省が規定した「重症者」を数えると、196人なのです。約5倍です。その差は、ICUに入っている人が含まれているかどうかなのです。それも一週間後には、250人に増えています。

日常的に、二桁台の少ない数字を見せられ、それに染められている人たちの危機感が影響を受けていたとしても不思議ではありません。

その他、まだまだ問題はありますが、次の機会に改めて論じます。

[2020/12/11 イライザ]

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2019年5月21日 (火)

子どもの権利条例があったら (2) ――憲法は子どもの権利も守っています――

野田市の少女虐待死事件のような悲惨な出来事を繰り返させないために何ができるのかを、憲法・子どもの権利条約・子どもの権利条例といった視点から3回に分けて考えていますが、その2回目です。前回は、憲法が子どもも守っていることを強調しました。

 《子どもの権利条約》

憲法の重要性を強調するだけではなく、現実社会では、憲法の目的が現実のものになるよう、法律や条約が作られ、そして自治体レベルでは条例も作られ、それらの結果として社会が動くような手順が必要です。こうした手順の一つが子どもの権利条約ですし、全国的に頑張っている自治体が制定している子どもの権利条例です。

子どもの権利条約は1989年に国連で採択され、1990年9月2日に発効した条約ですが、日本は1990年9月21日に世界各国の内109番目で署名、1994年4月22日、158番目の批准国になりました。さらに、現在196カ国が批准していますが、アメリカは、署名はしたものの、唯一批准していない国です。

条約の内容は大変しっかりしています。それは、子どもたちを中心に据えた論理的かつ現実的にも強固な枠組みが用意されていたからです。条約の内容については御存知の方も多いとは思いますが、ユニセフのホームページを引用して、簡単にお浚いをしておきたいと思います。

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「子どもの権利条約」は子ども(18歳未満)を、権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同じく、ひとりの人間としてもっている権利を認めています。さらに、おとなへと成長する途中にあり、弱い立場にある子どもたちには保護や配慮が必要な面もあるため、子どもならではの権利も定めています。

 

「子どもの権利条約」には、次の4つの原則があります。

  ① 命を守られ成長できること――すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活  への支援などを受けることが保障されます。

  ② 子どもにとって最もよいこと――子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。

  ③ 意見を表明し参加できること――子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。

  ④ 差別のないこと――すべての子どもは、子ども自身や親の人種、性別、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

より具体的には、次の4つの権利を守ることがこの条約の主目的です。

   A) 生きる権利――すべての子どもの命が守られること

   B) 育つ権利――もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療や教育、生活への支援などを受け、友達と遊んだりすること

  C) 守られる権利――暴力や搾取、有害な労働などから守られること

  D) 参加する権利――自由に意見を表したり、団体を作ったりできること

概要はお分り頂けたと思いますが、今回の事件に特に深く関わっている条文を二つ引用しておきましょう。

   第19条――虐待などからの保護  親(保護者)が子どもを育てている間、どんなかたちであれ、子どもが暴力をふるわれたり、不当な扱いなどを受けたりすることがないように、国は子どもを守らなければなりません。

   第12条――意見を表す権利  子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。

  こうした規定に従って、例えば虐待されている子どもたちを守るための施策が展開されるべきなのですが、残念なことに日本政府の姿勢は大変後ろ向きです。その証拠が、国連の子ども委員会による日本における施策の総合的な評価に現れています。[以下、6月1日に続きます]

[2019/5/21 イライザ]

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2019年5月11日 (土)

子どもの権利条例があったら (1) ――憲法は子どもの権利も守っています――

野田市の少女虐待死事件のような悲惨な出来事を繰り返させないために何ができるのかを、憲法・子どもの権利条約・子どもの権利条例といった視点から3回に分けて考えてみたいと思います。

 

《野田市の少女虐待死から何を学ぶか?

今年2019年の1月に千葉県野田市の小学校4年生の少女が虐待され死亡した事件は、広く報道され多くの人にショックを与えました。事件の概要は次の通りです。2017年の11月、亡くなった少女は小学校のアンケートに父親から暴力を受けていることを記入し助けを求めました。それに応えて柏市の児童相談所がこの少女を一時的に保護したのですが、その一月ほど後に、父親のいる自宅ではなく、親族宅で暮すことを条件に一時保護が解除されました。しかし、その後父親が、「父親に叩かれたというのは嘘です」という趣旨の、少女の書いた文書を見せたため、2月末に児童相談所は少女の帰宅を認めたとのことでした。ほぼ10か月後の2019年、1月初めに父親から学校に新学期の登校が遅れる旨の電話があり、その後も複数回同様の電話があったものの、学校、野田市、そして児童相談所の連携が悪く、21日になってようやく児童相談所が長期欠席の事実を把握し、24日には少女が死亡、父親の110番で公になりました。

この中で、「秘密は守る」という前提でしかも「匿名でも良い」という条件で子どもたちが記入したアンケートの内容を教育委員会が父親に見せていたという事実もあり、その結果として少女が父親に「叩かれたのは嘘だ」という言葉を書かされたことは、ほぼ間違いないにもかかわらず、それに対する対応は行われず、少女は自宅に帰されたことなど、関係機関の基本的な姿勢が問われることになりました。

一連の報道に接して、教育の現場で日夜、頑張っていらっしゃる皆さんに取っては他人事ではなかったと思いますし、こうした事態にどう対応して行くべきなのかについても、現場の感覚でお考えになっているのだろうと思います。私も、これまでの経験を元にして考えさせられることが多くありました。一つには、国会議員として子どもの権利条約の批准に直接関わりましたし、もう一つ、広島市長として、子どもの権利条例制定のための努力をしたことです。

しかし、今回の事件の報道では、条約にも条例にもほとんど言及がありませんでした。その点について以下報告したいのですが、大前提として憲法第13条のお浚いをしておきたいと思います。「憲法を数学書として読む」試みの中で、特に大切だと感じた条文の一つが第13条、特に冒頭の部分だからです。

 

第13条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

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「国民」の中には当然子どもも入ります。子どもも「一人の個人として」尊重されるということの意味は、その子の生命や自由、そして幸福の追求といった権利も父親のそれと同等に重んじられなくてはならないということです。当然、このことを一番肝に銘じなくてはならなかったのは父親であり、そしてその父親からDVを受けていたとはいえ母親です。さらに、父と母にのみ責任を押し付けるのではなく、また親が責任を果せない場合の代替策を準備するといった社会全体としての環境整備が求められているという点が重要なのではないでしょうか。[以下、5月21日に続きます]

[2019/5/11 イライザ]

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