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学問・資格

2020年3月30日 (月)

遺稿集「橋本秀夫の仕事ぶり」

今日は、22日のブログ「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」で紹介した「建築家橋本秀夫遺構集『橋本秀夫の仕事ぶり』」の入手顛末記です。

どんな本なのか興味が湧き、ブログを書いた後すぐに広島市立図書館の蔵書検索で探しました。中区図書館が蔵書していることが分かりました。しかし現在広島市立図書館は、新型コロナウイルス対策で、全館閉館中で、貸し出しはインターネット予約のみですので、予約を行いました。私の受け取り館は、中区図書館ですので、すぐに「予約確保」の返信がありましたので、早速本を受け取りに行きました。

手にしてびっくりです。300ページを超える分厚い本です。さらに開いてみて、またびっくりです。「赤レンガ倉庫は語り継ぐ」に引用された「蘇る旧陸軍被服支廠 保存と文化」はもちろんですが、広島城、旧レンガ建物、「旧広島水上警察署」などの郷土史と文化財の第1部論文集につづいて、第2部「砲台めぐり」と、自らが現地を訪ねて測量などを行って調べた結果がまとめられています。しかも手書きの図面や写真がふんだんに盛り込まれています。一人でここまで、それにしてもよく訪ね歩かれたものだと感心します。

興味津々です。最初の登場する「広島城」は、昭和18年から広島城天守閣実測を始められたことが分かります。後で、次女の河野さんから聞いた話ですが、この橋本秀夫さんが残された資料が、広島城橋御門の復元にずいぶんと役に立ったそうです。凄い資料の連続ですが、私が興味を持ったのは、第2部の「砲台めぐり」です。日清戦争に勝利後、ロシアとの戦いに備えて、全国各地に要塞が築かれたのですが、芸予、広島湾にも要塞が構築されました。橋本先生は、その広島湾に作られた全部の要塞について調べておられるのです。私もそのいくつかを訪ねています。宮島にある「鷹の巣砲台」大柿町の「三高山砲台」呉市警固屋の「高烏砲台」竹原市の「大久野島堡塁砲台」などです。三高山砲台は、この本の写真よりもずいぶんと綺麗になっていますので、橋本さんの仕事が後押ししたと思われます。

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2018年4月に訪れた三高砲台

もう少し前にこの本を知っていたらと思うとともに、この本を片手にもう一度訪ねてみたい思いに駆られます。

本の紹介が長くなりました。今日書くべきは、入手の顛末でした。「砲台めぐり」を見つけ、これはどうしても入手したいと思い、本の名前をキーにネットで検索しました。ヒットしたひとつに、広島県立広島工業高等学校同窓会がありました。問い合わせの電話をかけたのですが、「在庫はありません」とのことで、ここでは見つけることができませんでした。ただこの電話をかけたおかげで、同窓会事務所を訪れることができたのですから、決して無駄ではありませんでした。

次に連絡をしたのが、本の奥付に記載された「問い合わせ先」です。木原さんという方が応対してくださいました。「ここには在庫がありません。確か、遺族の方が何分か持っておられるはずですので、連絡を取ってみます」という返事を聞き、いったん電話を切りました。すぐに連絡の電話が入り、「次女の河野さんがお持ちでした」と連絡先を教えて下しました。すぐに河野さんに電話を入れました。「お分けできますよ」との返事。その日のうちに自宅を訪れ、ついに「遺稿集『橋本秀夫の仕事ぶり』」が私の手に入りました。突然の訪問でしたが、河野さんからは、先に紹介した広島城復元の話や橋本秀夫ご夫妻の在りし日のことなど、貴重な話を沢山聞かせていただきました。

河野さんの自宅を持してから訪ねたのが県工同窓会事務所です。ここでの話は、大部分をすでにブログに書きましたが、一つだけ書き忘れたことがあります。それは、同窓会事務所の隣の部屋にあった建物の模型群です。

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広島城橋御門の模型 後に広島城の模型がある

この模型は、いずれも橋本さんが残された図面をもとにして、県工の在校生たちが作ったものだそうです。

またここでも繋がりの不思議を体験しました。

訊ね訊ねて入手できた本ですので、大切に活用したいと思います。

いのちとうとし

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2020年2月21日 (金)

「憲法遵守義務」の重要性・その2 ――他の条項でもこの「義務」を補強しています――

前回は、憲法9条の重要性は、軍隊の規定が存在しないこと、つまり軍隊の規定が空集合であるという「繰り返し」によって強調されていることを説明しました。それを《憲法では繰り返しで「強調」》という括りでまとめておきました。念のため、前回の記事のURLを掲げておきます。

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/02/post-475346.html

今回は99条に注目します。憲法内にこれと同趣旨の条文があることには多くの皆さんがお気付きになっているはずです。それは、98条です。2項は条約遵守の規定ですので、1項だけ引用します。

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

ここには「詔勅」が入っていますが、そもそも、憲法の規定では実際に効力を持つ詔勅は、国政についての権能を持たない天皇が出すことはできないのですから、これは、昔出された詔勅を差しています。

さて、公務員の仕事とは、法律や政令等を作ること、それらに従って国政上の仕事、そして地方公務員の場合はそれぞれの地域の仕事をすることですから、ここで述べられているのは公務員が与えられた仕事をする場合には、最高法規である憲法に従った法律、命令、その他を作り行わなくては無効になる、と言っているのですから、それは、つまり、憲法を遵守しなさいということです。「全部または一部」という限定がちょっと引っ掛かりますが、現実的に考えると、仮に憲法に違反している法律があったとして、その全てが無効になるのではなく、憲法違反をしている部分だけが無効になるのだ、と理解しておきましょう。

「憲法遵守義務」の重要性を繰り返して強調しているのは、98条だけではありません。もう一条、重要性を繰り返している条文があります。15条の2項です。

  第15条 

        2  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

ここでも「全体」と「一部」という対概念が使われています。ただし、98条では、法律や命令等の具体的な存在の「全体」か「一部」という意味ですから、「全体」には具体性がありました。しかし、15条の「全体の奉仕者」の場合はどうでしょうか。国政の場合には、国民全体の奉仕者という意味でなくてはなりません。税金を使って、自分の後援会やお友だち、そしてこれらの人が後で自慢できるようなセティングとして、一緒に写真に写ってインスタ映えのする芸能人を招待する「桜を見る会」は、この「一部」の極端な例ですが、これは明白に憲法違反です。

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それと対概念の「全体」は、市長という仕事からは良く理解できます。議員とは違って、市長は一人しかいませんし、一つの都市の代表です。それは「全ての」市民の代表ということでもあります。特に広島や長崎のように、「平和宣言」という世界に注目される発信をする場合には、特にこの点が重要です。それを表現するのに、「市民の総意」という言葉を使うことが相応しいと思いますが、「全体の奉仕者」とは、その市民の「総意」に応える形で、奉仕者の側から見た奉仕の対象としての市民「全体」だと言っても良いのではないでしょうか。

となると、「市民の総意」を発する主体が「全体」だという意味になります。国のレベルでは「主体は」「国民の総意」を発する主体ですから、「国民の全体」あるいは「国民の総体」と表現したらよいのではないかと思います。

『数学書として憲法を読む』の解釈では、憲法とは、この「国民の総意」に基づいて作られていますし、その「総意」の表現としては憲法以外の物は存在しませんので、それに対する「奉仕」とは、当然、憲法に対する「奉仕」です。憲法に反することは「奉仕」とは言えませんので、ここでも憲法の遵守義務が、少し形は違っていますが、強調されていると読むべきなのではないでしょうか。

[2020/2/21 イライザ]

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2019年12月17日 (火)

「英語『を』しゃべる」ではなく、「英語『で』しゃべる」

最近の英語教育の報道を見て、思い出したことがあります。

もう、20年以上も前の話ですが、アメリカの大学でアジアの歴史の授業を受講した友人が、腹を立て私のところにやって来ました。

授業の中で、「原爆投下は正しかったか」との問いに、20人ほどの学生の中で、「まちがいだった」と手をあげたのは自分を含めて2人だったと言うのです。

クラスのほとんどのアメリカ人学生は「戦争を終わらせるため仕方がなかった」との答え。これはよく聞く話ですが、最近は地道な核兵器廃絶運動により、「原爆投下は間違いだった」と言うアメリカ人も、特に若い層に増えていると聞きます。

彼女と私が、より深刻な問題だと思ったのが、「正しかった」、「間違いだった」、どちらにも手をあげなかった学生です。

他の地域の歴史よりも、アジアの歴史の方が少しは馴染みがあると言う理由で、20人程の学生のうち、半分は日本人学生でした。

 

 「英語『を』しゃべる」ではなく、「英語『で』しゃべる」

国際社会で活躍する人材育成を教育に求めるのであれば、平和について自分の意見をしっかりと持つための平和教育、人種、民族、宗教、性別で、その人を判断しないための人権教育こそが追求すべき教育ではないだしょうか。

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「まちがいだった」と答えた私の友人は、横浜で生まれたが、両親は広島出身で、彼女は幼い頃から両親と帰郷した際には平和資料館を訪れたりしていました。そして、もう一人、「間違いだった」と答えたアメリカ人学生は、彼女の後のパートナーとなる人で、前年に彼女と広島を訪れていました。

彼女は今でもアメリカで生活をしていますが、日本に帰ってきたときは、子どもを連れて、家族で広島を訪れています。

広島を訪れ、被爆の実相にふれること、そして戦争の悲惨さ、平和の大切さを考え、語り継いでいくことの大切さを、彼女は教えてくれています。

「究極の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。」マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

藤原

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2019年10月24日 (木)

子どもの権利条約」30年

10月17日,文部科学省が2018年度の「問題行動・不登校調査」を公表しました。いじめの認知件数は約54万件で前年度から31.3%増え,いじめが確認された学校は全体の80%に上りました。心身に深刻な被害が生じるなどの「重大事態」も602件と過去最多となっています。

広島県内のいじめ認知件数は,前年度より70%近く増え,7,435件(小学校5,127件,中学校1,875件,高校410件,特別支援学校23件)で,過去最多を更新しました。発覚のきっかけは,被害児童・生徒や保護者からの訴えを含む「情報提供」が4,208件(56.6%),教職員による発見は43.4%で全国平均66.2%を大幅に下回っています。なぜ,教職員による発見の方が少なくなっているのかをしっかり分析していく必要があります。

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自殺した小・中・高校生は332人(小学生5人,中学生100人,高校生227人)に上り,3年連続で増加しています。国内の自殺者数が9年連続で減少する中,子どもの自殺は増加傾向にあります。不登校も,小中学生約16万人(前年度より約2万人増),高校生約5万人(前年度より約3千人増)と増加傾向にあります。

これらの背景の一つには学校に広がる「管理強化」による閉塞感があると指摘されています。子どもを全体主義で管理するために,校則や規律を細かく決め,それに黙って従う子どもを「良」とするなど,ゼロトレランスの考え方に基づく指導が蔓延るようになりました。例えば,「黙働流汗清掃」「給食の黙食」「細かな挨拶のルール」等々,軍隊に似た光景が珍しくなくなりました。また,小学校道徳では,とりわけ低学年を中心にマナー講座のような内容を教え込むようになっています。これだけでも,息苦しさを感じますし,自殺も不登校も学校に通うことが苦しいと感じている子どもたちのSOSに他なりません。

今年は,国連で「子どもの権利条約」が採択されて30年になります。日本がこの条約を批准したのは,世界で158番目であったことからも分かるように,当初から積極的ではありませんでしたし,この条約の理念が日本社会に根付いているかと言えば,そんな状況にはありません。

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今年の2月,国連「子どもの権利委員会」は,日本政府に対して,「過度な競争的システムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するための措置を強化すること」「朝鮮学校への授業料無償化制度の適用を促進するために基準を見直すこと」などを勧告しました。また,子どもへの虐待などの暴力が高い頻度で報告されていることに懸念を示し,対策強化を求めています。日本は,「委員会による審査」という仕組みも含めて条約を批准しており,その審査の結果を誠実に受けとめ,対応していく必要があるはずです。

私たちおとなは,子どもを「権利行使の主体」として,「子どもの最善の利益を一番に考える」という条約の理念をしっかり胸に刻まなければなりません。特に,新自由主義と国家主義に飲み込まれている学校教育の姿を,そうした視点で問い直していくことが,教職員の責務であることを確認し合いたいと思います。

(西迫 利孝)

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2019年8月 3日 (土)

「数学書として憲法を読む」ー秋葉忠利代表委員の新著発刊

広島県原水禁代表委員の秋葉忠利さんは、これまでにも多くの著書がありますが、この度「数学書としての憲法を読む」という新著を発刊されました。サブタイトルは「前広島市長の憲法・天皇論」となっています。私にも「著者謹呈」として一冊送っていただきました。

本来なら、本を読んだ感想を書くべきですが、私の能力では、それを待っているとずいぶん遅くなってしまいますので、取り急ぎ新著が発刊されたことを紹介をさせていただきます。署名を見た時、私の頭に浮かんだ書名は「数学書」ではなく「数学者」でした。「数学者秋葉忠利」の憲法解説本と思ったからです。

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「数学書」など読んだことのない私には、大きな?がつくのですが、本にまかれた帯には「原理原則などどこ吹く風 ごまかしだらけの政治の時代―文字通りに、素直に読んでみませんか?」と書かれていますので、素直に読めばよいのだなとちょっと安心です。さらに裏表紙側の帯の「憲法を基本に据えて、本当の意味での立憲政治を実現するための出発点として私が選んだのは、憲法全体をもう一度、数学書を読むように丁寧にそして論理的に読んで、その内容を理解することでした。その試みから得た教訓は、99条の(復権の)重要性です。これが私にとっても貴重な『発見』だったことから、多くの皆さんと共有したいと考えるようになりました。」との紹介で、この本が書かれたゆえんが、憲法99条にあることが分かります。安保法制の審議を機に、クローズアップされた99条の「憲法尊重擁護義務」について、その実践のための具体的な提案も含めて、その重要性が本書では書かれています。(ちょっと斜め読みで受けた印象)

ところで、この本、開いてみるとちょっとびっくりします。最初に出てくるのが「はしがき」です。これは、「はじめに」や「まえがき」と同じような意味を持つ本の書き出しだと思います。ところがこの本では、この後に「前口上」、そして「序章」と続きます。「まえがき」とも思える部分が、こんな組み立てで出てくる本は、見たことがありません。と言っても私の少ない読書歴での感想にすぎませんが、ここでまず「秋葉さんらしいな」という印象を強く持たされます。その「前口上」「序章」がなぜ必要だったのかが、「はしがき」に書かれています。「なぜ、『数学書として読む』ことに意味があると思ったのか、それが『広島市長』とどう関わっているかについては『前口上―なぜ前広島市長が憲法を語るか』で説明したので、そちらをお読みいただけると幸いです。」ということです。そしてさらに「はしがき」を読み進むと「本書を読む順序」について記載されています。「論理的には最初から順番に読んでいただくことを想定しています。しかしながら、難しいかもしれないと危惧をお持ちの方は、第5章からはじめてみてください。その他、興味のある章から、始めてくださっても本筋はご理解いただけるでしょう。」となっています。ちなみに第5章のタイトルは「憲法は死刑を禁止している」となっています。そもそもこの章は、3章で構成される「第Ⅱ部 憲法は死刑を禁止している」の最終章として登場しています。

今のところ、ここまでぐらいしか読んでいませんので、これ以上のことは書けません。

秋葉代表委員の憲法論については、このブログでも何度か登場していますので、なじみがあると思います。ぜひ一人でも多くの人に読んでいただけることを期待します。

いのちとうとし

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2019年3月26日 (火)

呂歓喜先生への手紙

呂歓喜先生

ご無沙汰しております。お変わりなく、お元気でお過ごしのことと存じます。私は他国の日本に住んでいます。もちろん結婚をして子どももいます。家族団らんな生活を送れていることは,先生の教えのおかげです。感謝しています。

私は,日本の広島に住んでいます。考えてみれば日本の生活も17年目を迎えます。17年前の2002年は、毎日の生活がドキドキ、ワクワクの連続でした。なぜなら慣習や文化が違い、それを学ぶ楽しさがあったからです。でも,時が過ぎると、すごく違和感を感じ始めました。その理由は、皇族を「陛下」「殿下」と呼んでいたからです。

私の記憶では,高校2年生の古文の時間だったと思います。もう37年前のことですね。先生から「皆さん!『閣下』の意味を知っていますか?」と聞かれました。その時は、一日も欠かさずテレビのニュースや新聞で、「全〇〇大統領閣下」を見聞きする時代でした。また、歴史ドラマには「殿下」はよく出ていましたね。

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その授業で先生から「民主主義と呼称」について教えていただいたことは、今の私の宝になっています。先生は、

「陛下の『陛』は『天子の宮殿の階段』で、殿下の『殿』は貴人を敬って言う代名詞であり、その人が居る建物を意味することもある。例えば景福宮の勤政殿・康寧殿・交泰殿は、王の執務室であり、王と王妃が生活する建物であり、閣下は、殿下より一段下の人、または、その人が居る建物を意味する。すなわち『陛下』『殿下』『閣下』は、人の上下を表す言葉であり、民主主義とは正反対の意味になる。しかし今、テレビや新聞が『全〇〇大統領閣下』と呼び、書いているのは民主主義国家ではあり得ないんだ!このことを皆に知ってほしい」と言われました。

その後、国民が直接大統領を選出することになり、それで就任した盧大統領時代から公式的に「閣下」という呼称がなくなったことを覚えています。もちろん、完全になくなるまでには大統領が二人も交代しました。

日本は君主制で戦前の天皇家が今も続いています。5月には新しい天皇が誕生します。「陛下」「殿下」が「人の上に人あり、人の下に人あり」を意味する差別語であることを日本の新聞やテレビも知ってほしいなと思う今日この頃です。

韓国にいつ帰るかはわかりませんが、先生との再会を強く望んでいます。お元気で過ごされることを心からお祈りします。

広島より(李 昇勲)

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