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学問・資格

2021年1月 4日 (月)

「2021年度ヒロシマ平和カレンダー」完成に寄せて

2020年10月、被爆者の切明千枝子さんの体験談を聞いた。「かつて広島の人は『軍都』と呼ばれることに誇りを持っていた」「戦争は加害と被害が表裏一体だ。広島ではつい『被爆地』ということに意識がいき、『軍都』としての加害の歴史が忘れられる。加害の歴史を知って、平和について考えていってほしい」との言葉が今も心に響いている。

2021年度ヒロシマ平和カレンダーは、「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」とのテーマで制作された。今回で40作目となるが、正面から「加害」の歴史を扱ったのはおそらく初めてとなる。戦場へ赴く数多くの兵士を見送った宇品港に始まり、「大本営」が置かれていた広島城、大久野島、そして安野発電所等と続く。日本のアジアへの侵略を示す地図も掲載されている。

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2021年度ヒロシマ平和カレンダー

「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」

宇品港、広島城、大久野島、安野発電所、韓国・朝鮮人の原爆犠牲、似島、被服支廠等をテーマに作成

http://www.hipe.jp/

「正しく」歴史を学ぶことは必要である。そのことは過去の失敗に学び、それを教訓としてよりよい未来を創っていくために欠かすことのできない営みである。学校現場等で「平和」を考える時、とかく「被爆地」ヒロシマに焦点化したものとなっているように思う。しかし、ヒロシマは194586日を起点にするのではなく、その50年近く前に遡って考えていかなければ正しい歴史を学んだことにはならない。

広島に住む人々の意思に関係なく、為政者により「軍都・廣島」が形づくられていく。日清戦争では「大本営」が置かれ明治天皇が一時住んでいたこともあった。そうして、廣島はアジアを植民地として獲得するための拠点となっていった。町の至る所に軍需工場が立ち並んでもいた。このような歴史の上に86日を迎えたのだ。まさに、加害と被害が折り重なり合っていた歴史がそこにある。加害と被害は必ず根底において結びついている。どちらか一方だけを知るだけでは、一面的なものになる。ヒロシマの歴史について正しく多角的に学ぶことを忘れてはならない。

また、平和について人権の視点から考えると、他者の人権をないがしろにすると、自分たちの人権も同じように踏みにじられることにつながることがあると、ヒロシマの教訓から学ぶことができる。戦争は、人権を完全に否定する。改めて日常的にどれほど人権を大切なものとして考えているか問い直したい。自分の人権はもちろん、近くにいる他者の人権が侵害されている時に、「おかしい」と感じられているだろうか。空気のように当たり前にある人権がないと困ると意識できているだろうか。一人ひとりが人権意識を高めていくことこそが平和な社会を構築していくことに必ず繋がると思う。

切明さんは、「加害の歴史を知らずに、被爆して多大な被害を受けたと語っても空しいだけ」とも述べている。平和な社会は世界の人々とともにつくりあげていくものである。そうであるならば、加害の歴史をしっかり腹に据えて世界の人々、とりわけアジアの人々と向き合わなければならないだろう。

数年前のある教育研究集会で、日本の加害の歴史にスポットを当てた平和教育の実践が発表されていた。それは、15歳で毒ガス製造に携わった藤本安馬さんが、戦後は自らが加害者であることに心を痛め、謝罪の旅を続けるということを扱ったものだった。藤本さんの謝罪に対し、中国の方は、「あなたに会えて良かった。戦争はみんなを不幸にします。二つの国が仲良くなり、平和な世界ができるよう力を合わせましょう」と語った。藤本さんが加害の歴史から目をそらすことなく謝罪の旅を続ける姿に、子どもたちは心を打たれ大切なことを学んだはずだ。

最後にもう一度、切明さんの言葉を引用する。「黙ってじっと座っていても、平和は向こうからやって来てはくれない。一生懸命たぐり寄せて、つかんで、守っていかねばならない」……被爆地として核廃絶を声高に叫ぶことはもちろんだが、同時に「軍都」として栄えた悔恨の歴史を忘れることなく、人権がないがしろにされ、経済や社会において軍事化にひた走る今の世の中について、私たちは警鐘を鳴らし続けなければならない。そのことが、これからの日本を担い、平和な未来をつくる自分たちに託された使命ではないだろうか。

<未来の空>

〈編集者注〉この原稿は、昨年末に送っていただいたのですが、「平和カレンダー」は、毎年4月1日から始まりますので、今日掲載しました。

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2020年12月11日 (金)

新型コロナ対策への不信感 ――まず東京都は、「実態」に即した「重症者」数を発表すべき――

新型コロナ対策への不信感

――まず東京都は、「実態」に即した「重症者」数を発表すべき――

 

コロナ対策についての国や自治体の対応、そしてそれを報道するマスコミの対応が元で、かなりの混乱が生じています。多くの人が戸惑い、不安も増え、同時に、無知や傲慢さも広がっているようです。

国民の生命と生活に責任を持つことが憲法で決められている政府が、しっかりとその責任を果さなくてはならないことは言うまでもありません。しかし、出発点はやはり科学的事実です。

それを元に、マスコミも一緒になって、その事実を誰にでも分るように整理して説明することで、ほとんどの人が納得した上で国や自治体の対応に協力する態勢ができるのではないかと思います。

しかし、「誰にでも分る」の対極にあるような伝達の仕方や報道の仕方が目立ちます。今回はその一つを取り上げた上で、是非改善して欲しいというメッセージを皆さんとともに送りたいと思います。

《重症者数》

それは、東京都による「重症者数」の発表数です。まずは東京都による定義から始めます。

厚労省の定義では、①人工呼吸器装着②人工心肺装置(ECMO)の使用③集中治療室(ICU)などに入室――のいずれかに当てはまる患者を「重症者」としてカウントし報告するよう各自治体に求めています。この数字が大切な理由の一つは、重症化した患者の病状がさらに悪化して死に至るケースが多いからです。

 もう一つの理由として、重症者は治療が長期化しやすい上、医療機関の負荷につながることが挙げられます。重症者が急増すると、ベッドや治療器具、人手が足りなくなり、コロナ患者だけではなく必要な人に治療が行き渡らない「医療崩壊」につながり兼ねません。そうなる前に手を打たなくてはなりませんので、この数値には注目しなくてはならないのです。

 しかしながら、東京都は「適切に実態を把握するにはICU患者を含めない方がよい」との専門家の指摘を受け、都のホームページなどで公表する際は人工呼吸器かエクモを使用している患者に限定しています。

ここで問題になるのは、「実態」とは何を指すのかという点です。ここ数日、医師会も、現場の医師たちも警鐘を鳴らし、マスコミがこぞって報道しているのが「医療崩壊」です。そこに近付いていることが続けて報じられています。それは、コロナ患者の治療のための病床数と医療従事者数が足りなくなることを指します。薬剤や機材、その他の問題もありますが、議論を分り易くするために、ベッド数と医師や看護師の数ということに的を絞ります。

《医療崩壊》

しかも、「医療崩壊」の中で、強調されてきたのが、コロナ以外の病気に対する医療が適切に提供されているのかという点です。たとえば、救急車で運ばれて来た人が、ベッドのないことを理由に、あるいは看護師が足りないために、受け入れや治療を拒否されることが起り得るのです。さらに、通常なら余裕をもって行われる手術ができなくなり、その結果、助かる命まで助からなくなるという可能性です。

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コロナ患者の場合でも、重くなればICUでの治療を受けることになる場合もありますし、その他の一般の患者さんの場合でも、急性あるいは重篤な場合にはICU1での治療が大切になります。つまり、一般病棟の中でもある程度余裕をもって治療を受ければ心配のない患者さんたちよりは、優先度の高いケアの必要な人たちのためにICUはあるのだと考えて良いでしょう。

そして、コロナ患者の数が多くなり、「医療崩壊」を心配しなくてはならないという時、このICUのベッド数が足りなくなりつつあることも意味しているはずです。ICUで受け入れられる患者数に余裕があるのなら、問題のあるケースはICUで引き受けるという選択肢が残されますので、それは「医療崩壊」と呼ばれる状態ではないはずだからです。

事実、コロナ以前に比べて、ICUのベッドでコロナ患者が治療を受けている数だけ、そのため患者が利用できるICUのベッド数は減っています。つまり、コロナ以外の一般患者への「しわ寄せ」があるのです。そして、「医療崩壊」が問題にされる状態とは、その「しわ寄せ」分が、一般患者のICU利用に深刻な影響を与えているという事実を指しているのです。

となると、「医療崩壊」の実態を私たちが正確に理解するためには、この「しわ寄せ」の実数を知ることがどうしても必要です。

ICUを含めると本当の重症者数は5倍》

純粋に、「医学研究論文を書く」という立場からは、「重症」の定義が違っていることもあり得るでしょう。しかし、コロナについての私たち普通の市民や庶民が、「医療崩壊」という現実を理解するためには、ICUで治療を受けているコロナ患者の数を知ることも、必要不可欠であることを御理解頂けたでしょうか。

ちょっと古い数字になりますが、『日刊ゲンダイ』の報道では、11月18日の、東京都発表の「重症者」数は、39人です。しかし、厚労省が規定した「重症者」を数えると、196人なのです。約5倍です。その差は、ICUに入っている人が含まれているかどうかなのです。それも一週間後には、250人に増えています。

日常的に、二桁台の少ない数字を見せられ、それに染められている人たちの危機感が影響を受けていたとしても不思議ではありません。

その他、まだまだ問題はありますが、次の機会に改めて論じます。

[2020/12/11 イライザ]

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2020年11月26日 (木)

子どもたちにこそワークルールを学ぶ機会を!

11月23日、ワークピア広島で「ワークルール検定2020・秋(初級)」を受検しました。

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このワークルール検定とは、働くときに必要な法律や決まりを身につけられる検定制度で、一般社団法人 日本ワークルール検定協会が主催しています。

自分自身、これまで働くことに関するルールやそのルールを実現するためのさまざまな仕組みなどについて、十分学習しているとは言えない状況でした。ワークルール検定があることを知ったとき、これを機に学習してみようと思い受検することにしました。

まず、ワークルール検定のホームページを開いて、「初級検定の問題を解いてみよう」にある問題に挑戦しました。結果は半分しか正答することができず、検定の合格ライン70%には程遠い状況でした。

早速、通販サイトを利用して、日本ワークルール検定協会が編集している「初級テキスト」と「問題集」を購入し、学習を始めました。「初級テキスト」は、労働法総論、労働契約、賃金、労働時間・休憩・休日・休暇、雇用終了、労働組合法から構成されており、ポイントになりそうな箇所にマーカーを引くなどしながら繰り返し読んでいきました。

受検日が近づいてきたので、「問題集」に挑戦しました。全154問中108問正解、率にして70.1%。「このままでは合格はまずできない」という危機感をもって、ラストスパートをかけました。ただ、自分が苦手とするジャンルの問題には、再挑戦してもまちがえるということが何度もありました。

こうした不安を抱えながら、受検日を迎えました。さて、手ごたえは…。来月の発表をひそかに待ちたいと思います。

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現在、広島県の教育現場では、キャリア教育は推進されていますが、ワークルールについて学習する機会がほとんどないのではないでしょうか。

近年、「ブラックバイト」や「ブラック企業」が問題になっています。使用者がワークルールを遵守することは言うまでもありませんが、将来労働者として社会に出ていく子どもたちにこそ、小学校・中学校・高等学校と段階に応じたワークルールを学んでほしいということを、今回ワークルールを学習しながら強く感じました。

(まるちゃん)

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2020年11月 1日 (日)

憲法を、文字通り、素直に読んでみませんか ――『数学書として憲法を読む』で伝えたかったこと――

憲法を、文字通り、素直に読んでみませんか

――『数学書として憲法を読む』で伝えたかったこと――

 

 このブログで10月1日に問題提起したのは、日本の子どもたちの多くが、「国に対する責任を持ちたくない」というよりは、「自分が何をしても社会は変らない」と諦めてしまっているのではないかということでした。9月27日のエントリー「ドイツから見た日本の内閣」中、ドイツ在住の福本まさおさんによる問題提起に、私なりの視点で答えてみたかったからです。

それは、『法学セミナー』9月号に「論説」として掲載して貰った拙稿の一部を引用したものでしたが、是非その全体をお読み頂きたく、今回は論説の最初の約3分の1だけ引用しました。

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『法学セミナー』2020年9月号62ページから69ページまでの内、64ページまで。

  1. はしがき

読者の皆さんは、物心ついて初めて憲法を読んだときの感動を覚えていらっしゃるだろうか。その気持ちは皆さんが成長するにつれどう変化していったのだろうか。筆者はそんな思いに駆られて、もう一度初心に戻って憲法を読んでみたらどうなるだろうと考えるようになった。その結果、2019年7月に、法政大学出版局から『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』 (以下、『数学書』という) を上梓した。

実は、この本を書くに至ったのには40年ほど前のアメリカでの経験も関係している。その経緯は、『数学書』の冒頭で説明した通りだが、本稿では、そこでは明示的には表せなかった、ことによるとそれ以上に大切な問題提起をしたい。

まず、「数学書として憲法を読む」とはどのような読み方なのかについては、次述2で説明するが、簡単には、「字義通り素直に、論理的に読む」と言って良いだろう。問題は、そのように憲法を読んだ結果、結論のいくつかが、裁判所の判決、そして通説・定説 (「通定説」という) とは矛盾していたことである。そもそも矛盾のあることも問題なのだが、本稿では、この矛盾の持つ意味や社会的影響等が、看過できないくらい深刻であることにも注意を喚起したい。

  1. 「数学書として憲法を読む」とは

通常、専門家ではない一般市民が憲法を読む際には、憲法の文言通り、字義通り、素直に条文を読むことになる。『数学書』では、その延長線上で、憲法の条文を数学における「公理」(*)と見立てた上で読む試みを行った。本来の公理系は「何の矛盾も存在しない文書」を指すが、憲法内には矛盾が存在する。「論理性」という面では完璧とは言えない文書である憲法を、できるだけ「論理的」に読むためのルールを「律」としてまとめた。その全体を、語呂の良さから「九大律」と呼ぶ。以下を御覧頂きたい。

  • [正文律] 対象とする日本国憲法の正文は日本語とする。
  • [素読律] 書かれていることを字義通り素直に読む。定義される順序も必要に応じて尊重する。
  • [一意律] 一つの単語、フレーズは、憲法の中では同じ意味を持つと仮定する。
  • [公理律] 憲法を「公理」の集合として扱う。
  • [論理律] 憲法解釈は論理的に行う。法律やそれに準ずるものは、公理からの論理的帰結であると位置付け、論理的に考えて憲法と整合性があるかどうかの判断をする。
  • [無矛盾律] 条文間には矛盾がないという前提で読み、解釈を行う。
  • [矛盾解消律] とは言っても現実問題として、憲法内には文言上、一見、矛盾している記述が存在する。条文間の矛盾や使われている概念間の矛盾について、「論理的」で憲法の趣旨が生きるような、かつ出来るだけ無理のないしかも説得力のある解釈を探し、可能であれば「矛盾」を解消する。最低限、「矛盾度」が低くなるように読む。
  • [自己完結律] 憲法は、基本的には自己完結的な文書であると仮定する。つまり、書かれていることにはすべて意味があると仮定し、書かれていないことには依存しない。また、立法趣旨等も条文に掲げられていないものは無視する。
  • [常識律] 定義されていない言葉や概念が使われている場合は、日本語の常識で解釈する。それもできるだけ自然な解釈による。

本稿では公理として読むこと自体を中心的テーマとしてはいないので、(4)の「公理律」と (8)の「自己完結律」は適用しない。この読み方を、『数学書』64ページの「abuse of language」によって、「論理的に憲法を読む」あるいは「論理的に読む」と呼ぶ。

以下、憲法の条文のいくつかについて、字義通りの解釈と、裁判所の判決や通定説とでは正反対の解釈になっている例を示す。憲法では「○○は××である」と述べているのに判決や通定説等では「○○は××ではない」と解釈する場合である。これを「憲法マジック」と呼ぶ。

(*)ユークリッド幾何学の公理が有名だが、例えば、「公理5  直線外の一点を通り、その直線に平行な直線は一本だけである」がその一つである。

  1. 置換禁止律

憲法を「論理的に読む」上で、最初に確認しておきたいのは、条文中の個々の字句は、そのまま読まなくてはならないことだ。これは、数学の等式で考えると分り易い。[1+1=2]という式の中で、[1]を勝手に[3]と変えたり読んだりしてはいけないのである。当り前のことなのだが、重要なルールなのでその点から確認しておく。

また数学では、対象を定めることも重要である。念のため、ここで対象にしているのは、日本国憲法である。それは、国会の議を経て、1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行された、我が国の最高法規を指す。物理的には、どの六法全書にも記されている、日本語によって書かれた文書である。

その中の特定の字句は憲法という存在の必要不可欠な構成要素であり、それを物理的に変更することは許されない。たとえば、「国民」という字句を「臣民」という字句に訂正することは当然、許されない。これは誰にでも賛成して貰える初歩的なルールのはずである。これを、「置換禁止律」と呼ぶことにする。

次に確認しておきたいのは、字句は変えずにその意味を変える読み方である。意味を変えるということは、「論理的」には、その字句を変えることと同じだからである。たとえば11条で使われている「永久の権利」の「永久」の意味を、「長期にわたって」と変えることは許されない。それでは意味が違ってしまうからだ。

加えて、死刑についての考察 (⇨後述6) で明らかにするが、字句の意味から論理的に帰結される結論も同じように変更は許されず、そのまま受け入れなくてはならない。これらの変更も、「abuse of language」によって、「置き換え」に含まれると考える。

大切なのは、これらの「置き換え」を許すことは、「尊重する」という99条の規定に反するという事実であり、かつ98条によって憲法が「最高法規」であることにも反する。「最高法規」として認められているのは、どの六法全書にも収められている日本国憲法である。それとは異なったもの (その中の字句を変更したもの) がそれと全く同一のものではあり得ない。かつ置き換えられたものまで「最高法規」であると主張することは、「最高法規」が二つになってしまい、理屈にもならないからだ。

念のため付け加えておくが、厳密に考えると、字句の変更はもちろんのこと、字句はそのままであってもその意味を変更するということは、憲法改正に当る。となると、その変更を行うためには、96条の改正手続きに従わなくてはならない。その手続きを経ずに変更を行おうとするのであれば、最低限、96条に依らない「改正」の正当性を、しっかりした根拠とともに示す必要がある。

  1. 憲法遵守「義務」を「道徳的要請」に置き換えて良いのか

以上の準備の下、これまで見過ごされ勝ちだった「憲法マジック」を考える。99条の解釈である。憲法全体を律する条文の解釈が「置換禁止律」違反を犯しており、憲法の存在そのものに関わる最大の問題点の一つである。まず条文を掲げる。

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

「尊重し擁護する義務を負ふ」のだから、これは「義務」以外の何物でもあり得ない。しかし、1977年2月17日に水戸地方裁判所が百里基地訴訟の第一審で下した判決では、99条について「憲法遵守・擁護義務を明示しているのであるが、この公務員に対する憲法への忠誠と護憲の要請は、道義的な要請であり、倫理的性格を有するにとどまる」と述べ、法的義務ではないことを明確に示している。(水戸地判昭52・2・17判時842-22頁)。また、1981年7月7日には東京高等裁判所が同訴訟の控訴審の判決で、99条は「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」との判断を述べた後、「本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであって、この義務に違反したからといって、直ちに本条により法的制裁が加えられたり、当該公務員のした個々の行為が無効になるわけのものではな」い、と倫理性を強調している。(東京高判昭56・7・7判時1004-3頁)

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つまり、意味の上で、「義務」という字句を「道義的要請」という字句に置き換えており、これは「置換禁止律」違反である。

最高裁の判決は先例拘束性を持つと理解されているが、仮に上記の東京高裁の判決にはその力がないとしても、このような「先例」を参照しつつ、99条に依拠して公務員の憲法遵守義務違反の訴訟が受け付けられない状況があったとしてもおかしくはない。その意味でも、東京高裁判決の意味は大きい。

さらに、両判決では、条文の「義務」を「道徳的要請」に置き換えて読むべきだという十分な論理的根拠が示されていない点が問題である。

「根拠」として読めなくはない一節はある。東京高裁の判決の、「国家の公権力を行使するものが憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務はいわば、倫理的な性格のものであつて」という下りだ。仮に前半が「根拠」だとすると、論理的には理解不能になってしまう。

それは次のような理由からだ。常識では公務員には遵守義務がある、それゆえ、我が国の法律体系の「最高法規」である憲法では、「倫理的性格のもの」になる、という因果関係は、筆者には理解不可能だからだ。

加えて、もしこの理屈が正当であるのなら、主語は国民、動詞は納税する、に置き換えることで、「主権者たる国民が税金を納付すべきことは、当然の要請であるから、本条の定める国民の義務はいわば倫理的性格のものであって」となり、30条の納税の義務は、倫理的な性格のものになってしまう。

以下、次回をお楽しみに!

[2020/11/1 イライザ]

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2020年10月21日 (水)

「今でしょ!」・その2 ――「SUGA」政権は「本気」――

「今でしょ!」・その2

――「SUGA」政権は「本気」――

 

学術会議の会員任命拒否という暴挙についての考察を始めましたが、前回はその動機を取り上げました。今回はその続きで、菅政権が「本気」で言論弾圧に取り組んでいることを俎上に載せます。少し長くなりますが、お付き合い下さい。

前回は、菅政権が学術会議いじめを端緒に言論弾圧に乗り出した二つの「動機」を例示しました。今回は、菅政権が、言論弾圧に「本気」で取り組んでいることを、荒っぽい証拠になりはしますが、証拠とともに明らかにしたいと思います。

まず、前回示した動機の内の②、つまり、防衛装備庁が軍事研究を強力に推進するために「安全保障技術研究推進制度」を作ったにも関わらず、その制度に反対した学術会議への対抗策として、菅政権があからさまに言論弾圧を始めた辺りを中心に振り返りましょう。

① 最初はお金です。理工科系の研究にはお金が掛ります。(数学の一部など、例外はあります。) バブル時代は例外だったのかもしれませんが、研究補助費は限られています。「二番目では駄目なのか」という蓮舫議員の言葉が有名になりましたが、二番目から一番目になるためには、通常、とてつもない資金が必要になるのです。

  いや、それ以前の問題として、研究費そのものが危機的状況にあるのです。文科省が作成した、このグラフを御覧下さい。

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政府負担がほぼ横ばい状態なのです。そんな中、前回指摘したように防衛装備庁が大学の研究者たちに、「軍事研究をすれば資金は潤沢にありますよ」、と呼び掛ければ結果は火を見るより明らかです。

➁ 憲法9条改正や軍事研究に反対する日本学術会議の存在がハッキリ射程に入ったのは、前回も指摘したように2017年に同会議が「軍事研究反対声明」をまとめて、いわば「全研究者」を代表して政府の方針に盾を突いた時でした。

  その直後の秋、当時の大西隆会長は、新たに選任される105名の名簿を事前に政府側に説明するよう求められ、それに従ったとのことです。これは、学術会議法第三条、すなわち「第三条  日本学術会議は、独立して左の職務を行う」ならびに第七条、「2  会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」、そしてそれらが依拠する憲法23条、「学問の自由は、これを保障する」違反です。

  当然、この時点で学術会議会長は事実を公開して、国民的問題として政府に対峙すべきだったのですが、なぜかそのような行動にはつながりませんでした。結果として、政府がこれらの法的枠組みを無視し続け、有名無実にする土壌を提供してしまったのではないでしょうか。

③ 任命の対象となる学術会議推薦名簿の事前提出がすんなりできてしまったのですから、権力側の次の一手は、実際に任命「権」を行使して学術会議のメンバーを選び、権力支配を徹底させることになります。しかし、その前に、それなりの批判があることを前提に、次の「内部文書」

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を内閣府が作りました。2018年です。学術会議法の7条が、名実ともに総理大臣の任命権を正当化しているという内容です。学問の自由や学術会議の独立性を蔑ろにしていることも大問題ですが、こうした原理・原則が民主主義を続けるため、いや人類の生存を確実にするために必要不可欠であることへの配慮などは微塵も感じられません。しかし、「権力者の言い分は正しい」という命題に忠実に従う姿勢は歴然としています。

  その内容は論理的に破綻しているのですが、それは問題ではありません。文書のあることが重要ですし、後で触れますが、菅総理大臣の意志を貫くための道具として立派に役立つからです。

④ 今回の、6名を任命拒否するという暴挙は、こうした準備を整えつつ、機の熟するのを狙っていた菅総理が、その機が来たと判断した上でのことだと考えるのが自然でしょう。

④ 人事だけに絞って学術会議を屈服させるというのも一つのやり方ですが、菅政権は学術会議の組織・資金・そして存在そのものの見直しまで同時進行させています。それも、「ブラックな霞が関をホワイトにする」という謳い文句の「行政改革」の一環としての見直しなのです。もちろん、それには目的があります。私たちの守備範囲が増えますし、言葉による対抗策に頼る私たちにとって、より多くの文字数が必要になるため、悪くすると焦点がぼやけてしまって、大きな対抗勢力をまとめることが難しくなる可能性が大きいからです。

 という具合に進行しているのですが、正に用意周到、マスコミを操作し世論も誘導しながら「学術」などという言葉とは縁の遠い多くの市民の無関心さに乗じているのです。ジョージ・オーウエルの『1984年』に描かれた世界実現を目指していてもおかしくはありません。

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「ビッグ・ブラザー」が実現してしまえば、かつてのナチスのように、勝手気儘な施策を展開すれば良いのですが、現在はそこにまでは至っていませんので、それなりの説明が求められ、受け答えをしなくてはなりません。菅総理は「総合的、俯瞰的」視点からという説明しかしていないのですが、これでは何の答にもなっていない上に、仮に、このような表現に意味があるとすると、拒絶された6人が実際に任命されると「総合的、俯瞰的」という条件が満たされなくなることを示さなくてはなりません。

しかし、そのような論理的な議論をする積りは全くないのが、現政権そして前の安倍政権の特徴です。それは、論理的な議論をしようとする相手に対する「必勝法」が存在するからなのです。詳しくは、野崎昭弘先生の名著『詭弁論理学』(中公新書) をお読み頂きたいのですが、それは「強弁です」。とにかく自分の言い分を、相手を無視してでも言い続けることに尽きるのです。つまり、「黒は白だ」と言い続ければ、最後には「合理性」を掲げる相手であっても (いや、「だからこそ」と続けた方がより良い説明だと思いますが―――) 屈服させることができるのです。

そして、「言い続ける」言葉として「空集合」を選べば、それは何も言わないことになります。ずっと答弁を拒否するのも、「強弁」の一形態なのです。

 それも含めて、内閣府の作った「内部文書」を根拠に、「総理には任命権がある」と言い続ければ政権側が勝つのです。時間が稼げれば、アメリカ大統領選挙があり、コロナの状況も変わるでしょう。実際に開催されるかどうかはまだ不確定ではも、東京オリンピックも大きな話題です。そして来年の今頃は衆議院選挙一色になるでしょう。マスコミ的には「学術会議」の旬は過ぎ去っているでしょう。さらに、時間が経過することで「任命拒否」は既成事実になって行きます。3年経てば、任期が6年であるにせよ、その前の任期の会員たちの任命についての是非が問題視されるかどうか、心許ない状況になるでしょう。

しかし、それだけではないのです。「強弁」という手法は、目の前にいる相手には通用するのですが、マスコミを通して、より多くの「大衆」を騙すためには他の方法も必要になります。それは、多くのコマーシャルで使われているように、「イメージ」を通して、言葉を超えたメッセージを伝えることです。

そのために菅政権が使っている「イメージ」はかなり巧妙です。今、行政改革の目玉として大宣伝を行っているのは、ハンコの追放です。「面倒臭いハンコや、押印は止めましょう」に賛成する市民は圧倒的多数でしょう。そのイメージが「行政改革」なのですから、それと「学術会議」をだぶらせて世論操作をすれば、その効果は言うまでもないでしょう。「面倒臭い、無用の長物である学術会議などいりません。ハンコと同じです。」と言われて、内容も分らないまま、賛成する人が増える結果になってしまう可能性があるのです。

押印が日常的に要求されている社会は沢山あります。しかし、学問の自由や表現の自由が蔑ろにされる社会は、人類史上でようやく私たちの自体、あるいはそれに使い的に勝ち取ることのできた貴重な存在です。それを混同させることで、基本的人権を制限しようとする権力側の意図を見抜かなくてはなりません。

実際には、学術会議を廃止するのではなく、「罪一等を減じて」存続は許すが、規模を縮小して経費を削り、人員も減らした上で、「専門家会議」と同じように政権の忖度に終始する組織に衣替えさせるくらいの狡さは当然、持ち合わせているでしょう。「醜い」知恵だとしか考えられませんが、そんな目標を達成しようとしている「SUGA」内閣とは、「Super UGly Administration」 (訳は、「超醜い政権」) の略だと考えるのが相応しいように思えるのですが、如何でしょうか。

こうした動きに対して私たちのできることは何なのでしょうか。学術会議を「忖度会議」にまで劣化させないためにも、「憲法23条 学問の自由は、これを保障する」や「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の意味をもう一度噛み締めて、理解を深め、その理解をより多くの人たちに広げる努力をする必要があるのでないかと思います。

そんな努力の意味を、ナチスの犠牲になり、『1984年』を自ら体験したドイツの哲学者、ノーマン・ニーメラーは、次のような詩に託しています。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

そうです。任命拒否された6人の一人ではなくても、学者ではなくても、学問とは縁がないと思っていても、政治に興味がなくても、一人では何もできないと思っていても、行動するのは「今」なのです。

[2020/10/21 イライザ]

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2020年10月11日 (日)

「今でしょ!」・その1 ――言論弾圧の動機――

「今でしょ!」・その1

――言論弾圧の動機――

 

  『法学セミナー』に掲載された拙稿の紹介を続ける予定でしたが、緊急な「事件」が発生しました。拙稿紹介は先送りして、基本的人権の中でも重要な、表現の自由、学問・研究の自由に対する菅政権の「弾圧」に、「今」、私たちが立ち上らないと手遅れになることをアピールします。

 皆さんも御存知のように、問題は日本学術会議の会員105名の推薦名簿から6名が名指しで、「任命拒否」されたことです。それが「言論弾圧」であり、「学問の自由」や「表現の自由」の蹂躙であるとは考えられない方もいらっしゃるかもしれませんが、最後までお読み下さい。事態の深刻さを理解して頂けるはずです。

 とは言え、以下説明する菅政権の策略を支える柱一つ一つについて、誰にも納得して貰える一次資料や信頼できる報道元等を丁寧に提供しているだけの時間がありません。主に結論だけをつなぎ合わせることになりますが、小論の正しさは、やがてどこかの時点で行われる歴史的検証の場で証明されることになると信じています。

 

[動機]

① 安倍政権の継承内閣である菅政権の大目標の一つが憲法改正であることは言うまでもありません。(改「正」ではなく、改「悪」を使うべきだという考え方もありますが、ここでは憲法で使われている単語を優先します。) 安倍政権はその実現のために、様々な策を弄してきたのですが、その一つが、2015年9月19日に参議院で可決され成立した安全保障関連法です。その一環として、それまでは認められていなかった「集団的自衛権」が、いわば「合憲」のお墨付きを得ることになったのです。ですから、「戦争法」と呼んだ方が適切かもしれません。

  しかしながら、世論の反対は勿論 (とは言え、朝日新聞の世論調査では、反対が約半分です。) のことですが、憲法学者からは総スカンを食らいました。同年6月の憲法学者209人を対象にし、122人から回答が得られた朝日新聞の世論調査では、安保法案を「違憲」だと考える憲法学者は104人、「合憲」だと考える憲法学者は2人だけでした。(15人は、「憲法違反の可能性がある」、1人は無回答)。また、9条を改正する必要があると回答した人は6人、必要はないとの回答は99人、無回答その他が17人でした。(6人と99人という数字は偶然ですよネ?)

  これほど圧倒的な差で、「学問」の世界では憲法の平和主義を支持しているのですから、「憲法改正」特に9条の改正を生き甲斐と公言して来た安倍総理個人にとっても、権力者の「忖度」を最優先する官僚たちにとっても、「学者」そして「学問」が邪魔であることは明白です。しかも「権力」を持っているのですから、その力を使って何とかしたいと考えたとしても、「力の支配」信奉者にとっては、ごく自然な流れだったのでしょう。もちろん、権力に対峙し、学問的良心を貫く学者の中には、日本学術会議の会員も当然、含まれています。

 

➁ 戦争の歴史は、使われる武器の歴史でもあるのですが、特に20世紀になってからは、1911年のイタリア・トルコ戦争を皮切りとして、第一次世界大戦でも航空機を使っての空爆が、大きな役割を果してきました。加えて、化学兵器や生物兵器、さらに最近では電子兵器や宇宙兵器なども登場し、科学・技術研究と戦争とは切っても切り離せない関係であることは言うまでもありません。それらの武器が与える被害は勿論なのですが、戦争を推進する立場からは戦略的な重要性が強調されることになりました。

  軍隊という「暴力装置」を独占する国家としては、戦争に勝つという目的のために、科学・技術研究に多額の資金を投入して、軍事力強化のための努力を続けてきました。また、経済的利益につながる科学・技術研究は民間の企業の投資対象になりますが、軍事にも経済的利益にも直接貢献しない分野への投資が減らされる傾向も同時に現れてきました。

  最近のわが国の例では、2015年に防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」と呼ばれる研究委託制度を創設し、科学者が軍事研究に携わる道を大きく広げました。その予算は、開始時の2015年 に3億円、2016年には6億円、2017年には110億円に増額されました。「科学研究助成金」などの研究助成金が減少傾向にある我が国では、このような委託研究制度が研究者にとって大きな魅力に映っても仕方のない状況でした。応募についての詳細は、防衛装備庁のサイトを御覧下さい。

  一時的には、この制度への応募者が増えたのですが、2017年以降は減少することになりました。研究者の間から、大学その他の研究機関が軍事研究に携わることに対する反対意見が多数出され、2017年には、日本学術会議が、この制度ならびに軍事研究そのものに対しての反対声明を公表したからです。学術会議に対する権力側の怒りが増大したことは想像に難くありません。

 とは言え、学術会議そのものにも大きな問題があるのですが、今回はまず、菅内閣が学術会議を自分たちの支配下に置きたいと考えるに至った大きな理由を二つだけ挙げておきました。

 

 問題は、このような支配が学術会議だけに止まらず、次は大学、その次はというように、徐々にしかも多くの人たちの関心を必ずしも惹かない形で進み、気が付いた時には二進も三進も行かない状況になってしまう可能性が高い点なのです。次回以降も続いて、こうした点について考えたいと思います。

[2020/10/11 イライザ]

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2020年6月24日 (水)

みてきました! 教科書展示会

毎月19の日行動を実施している府中の仲間から、行動の報告(6月は3カ所で実施)とともに次のような文章が送られてきました。教科書展示会については、このブログでも17日に「教科書展示会に行こう!市民の意見を届けよう!」(http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/06/post-379e48.html)で紹介していますが、実際に展示会に行った仲間からの報告です。

Img018_20200623112601


土砂降りの雨が降る 18 日(木)昼から図書館に行って、教科書を閲覧し、アンケートに記入してきました。ただし記入は面倒なので、あらかじめ書いたものをアンケートの裏に貼りつけました。それが次です。

一.なんで教科書によってこんなに違うのでしょう か!

例えば、戦争の大義名分と被害の様子についてです。「育鵬社」という教科書は、「長く東南アジアを植民地として支配していた欧米諸国の軍隊は、開戦から半年で、ほとんどが日本軍によって破られました。これによって、東南アジアやインドの人々は独立への希望を強く抱きました。(略)日本政府は1943(昭和18)年11月、アジア各地域の代表を東京に集めて大東亜会議を開きました。日本の南方進出は石油資源の獲得を主な目的としましたが、この会議以降、アジアの国々を欧米による植民地から解放し、大東亜共栄圏を建設することが、戦争の目的として、より明確にかかげられるようになりました。」

一方、「学び舎」という教科書は、「日本は、この戦争の目的を、東南アジアの国々を欧米の植民地から解放して『大東 亜共栄圏』をつくるため と宣言していました。長い間、植民地支配に苦しんでいた人びとのなかには、独立への期待も生まれました。しかし、日本軍は、日本語学習やおじぎなどの生活習慣を強制しました。シンガポールやマラヤ(マレーシア) では、中国系住民を『日本の敵対者』とみなして、多くの人びとを虐殺しました。また、占領地で、食料を取り立て、石油や鉄鉱石などの資源を奪い、現地の人びとを労務者として重労働にかりたてました。このようななかで、人びとは抗日運動や独立運動を起こしていきました。」

二.「育鵬社」と「学び舎」でまったく内容が違います!

 歴史は立場によってさまざまな見方があるでしょうが、史実にもとづいた内容にするべきです。

 2015年に閣議決定された「戦後70年談話」に助言した有識者懇談会の報告書では、「植民地解放」のために戦ったとはいえない。1941年12月の対英米開戦以降の戦争は、「進出」ではなく「侵略」だったとしています。教科書の内容が180 度も違ったら教科書の候補にすべきではないと思います。

 三.史実に基づかない「育 鵬社」の教科書を採用しないことを求めます。

内容はお配りしました資料『教科書展示会へ行こう!市民の意見を届けよう!』と同じですが、府中市の教科書候補に「学び舎」がないことこそ一番の問題です。


広島市内の一部や東広島市のようにすでに終了したところや明日(25日)までとか今週中という自治体も多いようですが、17日のブログを見ていただければわかるように7月に入っても開催集中という所もありますので、ぜひ一人でも多く、行って意見を出してください。

いのちとうとし

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2020年6月17日 (水)

教科書展示会へ行こう!市民の意見を届けよう!

現在、県内各地で、2021年度から中学校で使用する教科書の展示会が行われています。

主権者を育む教材です。平和・人権・環境・共生等の視点でどれがふさわしく、どれがふさわしくないか、ぜひ、展示会に足を運び、実際に比較して見てみてください。

そして、意見箱・電話・FAX等で意見を届けましょう。

 【県内の教科書展示会一覧】

状況によっては、会場が変更になる場合も考えられます。場所・時間等は、再度会場にご確認ください。

会場 (6月3日現在)

開催日

開催時間

休館日

意見箱

大竹市総合市民会館1階ロビー

6/12~6/25

9:00~21:00

なし

廿日市市役所1階市民ロビー

6/12~6/25

9:00~17:00

土日

広島市教育センター

6/12~7/1

8:30~17:00

土日

広島市〔学校回覧〕※下に別記

 

 

 

 

北広島町図書館(大朝)

6/12~6/27

10:00~18:30

×

安芸太田町立図書館

(川・森・文化交流センター)

6/12~6/27

10:00~18:00

土日9:00~17:00

×

安芸高田市中央図書館

(クリスタルアージョ1階)

6/12~6/28

10:00~19:00

土日9:00~18:00

×

海田町役場 別館加藤会館

6/12~7/1

9:30~17:15

土日

坂町役場 3F

6/12~7/1

9:00~17:00

土日

熊野町役場 1階エントランスホール

6/12~7/1

8:30~17:00

土日

安芸府中生涯学習センター 1階

6/12~7/1

9:00~20:00

土日

江田島市能美市民センター

6/12~6/25

8:30~22:00

なし

呉市生涯学習センター 601集会室

6/12~6/26

9:30~19:00

土日9:30~17:00

×

広島県立教育センター(東広島市八本松)

6/12~7/1

9:00~17:00

土日

東広島市高屋東地域センター

5/29~6/5

 

 

東広島市志和生涯学習センター1階ロビー

5/29~6/5

8:30~22:00

なし

東広島市福富図書館

5/29~6/5

10:00~18:00

東広島市立中央図書館 展示コーナー

6/12~6/19

9:00~18:00

土日10:00~18:00

なし

東広島市河内子ども図書館

6/12~6/19

10:00~18:00

東広島市黒瀬図書館

6/12~6/19

8:30~19:00

土日10:00~18:00

東広島市安芸津図書館

6/12~6/19

10:00~18:00

大崎上島町教育委員会

6/12~7/1

9:00~17:00

土日9:00~12:00

土日は要予約

竹原市民館 

6/12~7/1

9:00~18:00

土日

世羅町世羅図書館

6/12~6/25

10:00~18:00

×

三原市サン・シープラザ市民ギャラリー

6/12~6/25

9:00~17:00

なし

尾道市立みつぎ子ども図書館「すくすく」

6/26~7/9

9:00~19:00

(最終日は16時)

尾道市立因島図書館

6/12~6/25

10:00~18:00

(最終日は16時)

尾道市立瀬戸田図書館

6/26~7/9

10:00~18:00

(最終日は16時)

尾道市立中央図書館

6/12~6/25

10:00~21:00

(最終日は16時)

福山市立中央図書館

6/12~6/25

10:00~19:00

なし

福山市立松永図書館

6/12~6/25

10:00~19:00

土日は18:00

16(火)

福山市立北部図書館

6/12~6/25

10:00~19:00

土日は18:00

16(火)

福山市教育相談センター(北吉津町)

6/12~6/25

9:30~16:00

土日

神石高原町シルトピアカレッジ図書館

6/12~6/27

10:00~18:00

府中市立図書館

6/12~6/26

9:30~18:00

府中市立図書館 上下分館

6/12~6/26

9:30~18:00

三次市立図書館

6/12~6/27

10:00~20:00

庄原田園文化センター

6/12~6/27

10:00~19:00

庄原市役所4階 庄原市教育委員会

6/12~6/27

8:30~17:15

土日

  

※【広島市立学校における展示会】

9:00~16:30 土日祝日は除く。

 

Aコース


Bコース


Cコース


Dコース


Eコース


Fコース


Gコース


Hコース

6/15~6/17

幟町中

吉島中

国泰寺中

江波中

温品中

戸坂中

牛田中

二葉中

6/19~6/23

福木中

早稲田中

瀬野川中

阿戸小中

船越中

矢野中

瀬野川東中

大州中

6/25~6/29

段原中

翠町中

仁保中

楠那中

宇品中

似島小中

似島学園中

広島特別支援

7/1~7/3

中広中

観音中

己斐中

庚午中

井口中

古田中

己斐上中

井口台中

7/7~7/9

城南中

安佐中

安西中

祇園中

祇園東中

戸山小中

伴中

安佐南中

7/13~7/15

長束中

高取北中

城山北中

東原中

大塚中

白木中

高陽中

落合中

7/17~7/21

可部中

亀山中

清和中

日浦中

亀崎中

三入中

広島中等教育

口田中

7/27~7/29

三和中

五日市観音中

五月が丘中

美鈴が丘中

五日市中

五日市南中

城山中

湯来中

7/31~8/4

砂谷中

 

教科書採択のしくみについてはこちらをご覧ください。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901/1235091.htm

1_20200615165901  

 また、教科書を比較するときのポイントとして、「教科書を考える会」作成リーフレットを紹介します。「戦争の大義名分と被害の様子」「日本国憲法」「国際比較どちらが史実?」「沖縄の基地問題」「領土問題」「部落問題」「労働問題」「女性差別や性の多様性」「持続可能な社会とエネルギー問題」のポイントから比較検討を行っています。

https://onl.tw/b92thBY

2_20200615165901

 (HTU)

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2020年3月30日 (月)

遺稿集「橋本秀夫の仕事ぶり」

今日は、22日のブログ「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」で紹介した「建築家橋本秀夫遺構集『橋本秀夫の仕事ぶり』」の入手顛末記です。

どんな本なのか興味が湧き、ブログを書いた後すぐに広島市立図書館の蔵書検索で探しました。中区図書館が蔵書していることが分かりました。しかし現在広島市立図書館は、新型コロナウイルス対策で、全館閉館中で、貸し出しはインターネット予約のみですので、予約を行いました。私の受け取り館は、中区図書館ですので、すぐに「予約確保」の返信がありましたので、早速本を受け取りに行きました。

手にしてびっくりです。300ページを超える分厚い本です。さらに開いてみて、またびっくりです。「赤レンガ倉庫は語り継ぐ」に引用された「蘇る旧陸軍被服支廠 保存と文化」はもちろんですが、広島城、旧レンガ建物、「旧広島水上警察署」などの郷土史と文化財の第1部論文集につづいて、第2部「砲台めぐり」と、自らが現地を訪ねて測量などを行って調べた結果がまとめられています。しかも手書きの図面や写真がふんだんに盛り込まれています。一人でここまで、それにしてもよく訪ね歩かれたものだと感心します。

興味津々です。最初の登場する「広島城」は、昭和18年から広島城天守閣実測を始められたことが分かります。後で、次女の河野さんから聞いた話ですが、この橋本秀夫さんが残された資料が、広島城橋御門の復元にずいぶんと役に立ったそうです。凄い資料の連続ですが、私が興味を持ったのは、第2部の「砲台めぐり」です。日清戦争に勝利後、ロシアとの戦いに備えて、全国各地に要塞が築かれたのですが、芸予、広島湾にも要塞が構築されました。橋本先生は、その広島湾に作られた全部の要塞について調べておられるのです。私もそのいくつかを訪ねています。宮島にある「鷹の巣砲台」大柿町の「三高山砲台」呉市警固屋の「高烏砲台」竹原市の「大久野島堡塁砲台」などです。三高山砲台は、この本の写真よりもずいぶんと綺麗になっていますので、橋本さんの仕事が後押ししたと思われます。

Dsc_1753

2018年4月に訪れた三高砲台

もう少し前にこの本を知っていたらと思うとともに、この本を片手にもう一度訪ねてみたい思いに駆られます。

本の紹介が長くなりました。今日書くべきは、入手の顛末でした。「砲台めぐり」を見つけ、これはどうしても入手したいと思い、本の名前をキーにネットで検索しました。ヒットしたひとつに、広島県立広島工業高等学校同窓会がありました。問い合わせの電話をかけたのですが、「在庫はありません」とのことで、ここでは見つけることができませんでした。ただこの電話をかけたおかげで、同窓会事務所を訪れることができたのですから、決して無駄ではありませんでした。

次に連絡をしたのが、本の奥付に記載された「問い合わせ先」です。木原さんという方が応対してくださいました。「ここには在庫がありません。確か、遺族の方が何分か持っておられるはずですので、連絡を取ってみます」という返事を聞き、いったん電話を切りました。すぐに連絡の電話が入り、「次女の河野さんがお持ちでした」と連絡先を教えて下しました。すぐに河野さんに電話を入れました。「お分けできますよ」との返事。その日のうちに自宅を訪れ、ついに「遺稿集『橋本秀夫の仕事ぶり』」が私の手に入りました。突然の訪問でしたが、河野さんからは、先に紹介した広島城復元の話や橋本秀夫ご夫妻の在りし日のことなど、貴重な話を沢山聞かせていただきました。

河野さんの自宅を持してから訪ねたのが県工同窓会事務所です。ここでの話は、大部分をすでにブログに書きましたが、一つだけ書き忘れたことがあります。それは、同窓会事務所の隣の部屋にあった建物の模型群です。

Dsc_5794  

広島城橋御門の模型 後に広島城の模型がある

この模型は、いずれも橋本さんが残された図面をもとにして、県工の在校生たちが作ったものだそうです。

またここでも繋がりの不思議を体験しました。

訊ね訊ねて入手できた本ですので、大切に活用したいと思います。

いのちとうとし

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2020年2月21日 (金)

「憲法遵守義務」の重要性・その2 ――他の条項でもこの「義務」を補強しています――

前回は、憲法9条の重要性は、軍隊の規定が存在しないこと、つまり軍隊の規定が空集合であるという「繰り返し」によって強調されていることを説明しました。それを《憲法では繰り返しで「強調」》という括りでまとめておきました。念のため、前回の記事のURLを掲げておきます。

http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/02/post-475346.html

今回は99条に注目します。憲法内にこれと同趣旨の条文があることには多くの皆さんがお気付きになっているはずです。それは、98条です。2項は条約遵守の規定ですので、1項だけ引用します。

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

ここには「詔勅」が入っていますが、そもそも、憲法の規定では実際に効力を持つ詔勅は、国政についての権能を持たない天皇が出すことはできないのですから、これは、昔出された詔勅を差しています。

さて、公務員の仕事とは、法律や政令等を作ること、それらに従って国政上の仕事、そして地方公務員の場合はそれぞれの地域の仕事をすることですから、ここで述べられているのは公務員が与えられた仕事をする場合には、最高法規である憲法に従った法律、命令、その他を作り行わなくては無効になる、と言っているのですから、それは、つまり、憲法を遵守しなさいということです。「全部または一部」という限定がちょっと引っ掛かりますが、現実的に考えると、仮に憲法に違反している法律があったとして、その全てが無効になるのではなく、憲法違反をしている部分だけが無効になるのだ、と理解しておきましょう。

「憲法遵守義務」の重要性を繰り返して強調しているのは、98条だけではありません。もう一条、重要性を繰り返している条文があります。15条の2項です。

  第15条 

        2  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

ここでも「全体」と「一部」という対概念が使われています。ただし、98条では、法律や命令等の具体的な存在の「全体」か「一部」という意味ですから、「全体」には具体性がありました。しかし、15条の「全体の奉仕者」の場合はどうでしょうか。国政の場合には、国民全体の奉仕者という意味でなくてはなりません。税金を使って、自分の後援会やお友だち、そしてこれらの人が後で自慢できるようなセティングとして、一緒に写真に写ってインスタ映えのする芸能人を招待する「桜を見る会」は、この「一部」の極端な例ですが、これは明白に憲法違反です。

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それと対概念の「全体」は、市長という仕事からは良く理解できます。議員とは違って、市長は一人しかいませんし、一つの都市の代表です。それは「全ての」市民の代表ということでもあります。特に広島や長崎のように、「平和宣言」という世界に注目される発信をする場合には、特にこの点が重要です。それを表現するのに、「市民の総意」という言葉を使うことが相応しいと思いますが、「全体の奉仕者」とは、その市民の「総意」に応える形で、奉仕者の側から見た奉仕の対象としての市民「全体」だと言っても良いのではないでしょうか。

となると、「市民の総意」を発する主体が「全体」だという意味になります。国のレベルでは「主体は」「国民の総意」を発する主体ですから、「国民の全体」あるいは「国民の総体」と表現したらよいのではないかと思います。

『数学書として憲法を読む』の解釈では、憲法とは、この「国民の総意」に基づいて作られていますし、その「総意」の表現としては憲法以外の物は存在しませんので、それに対する「奉仕」とは、当然、憲法に対する「奉仕」です。憲法に反することは「奉仕」とは言えませんので、ここでも憲法の遵守義務が、少し形は違っていますが、強調されていると読むべきなのではないでしょうか。

[2020/2/21 イライザ]

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