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ニュース

2020年1月20日 (月)

朝鮮学校高校無償化裁判支援街宣と第5回へいわこども展

毎月19日の実施されている今年最初の「朝鮮学校無償化裁判」を支援する街頭行動が、昨日本通電停前で実施されました。昨日の行動は、日曜日ということで午前11時から正午までの1時間、マイクでの訴え、チラシの配布、署名活動などを行いました。

このブログでも政府が実施する「高校無償化支援制度」から朝鮮学校のみが除外されていることの問題点については、今回は触れませんが、昨日の行動の様子を簡単に紹介したいと思います。

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最も特徴的だったことは、参加者が多かったことです。卒業を前にした朝鮮高校の3年生、学園の先生方や関係者、子ども連れの保護者とともに、支援する日本側の参加者の姿を多くみることができました。総勢100人を超える行動になりました。

次は、ビラの受け取りです。最近、街頭行動で配布されるビラの受け取り手が非常に少なくなっているのを毎回感じていますが、今回は従来の行動になく、良く受け取っていただいたというのが実感です。全国男子駅伝もあったからでしょうか、午前中にもかかわらず、いつもの日曜日より通りを歩く人の姿が多かったように感じました。「朝鮮学校の高校無償化」問題を初めて耳にする人も多かったのではないでしょうか。ビラの受け取りが多かったのもそんなところにも理由がありそうです。

もう一つは、署名への協力者です。最終集約を聞いていませんので、何名の方が署名していただいたのか数は不明ですが、ここでもいつもより多いと感じました。中でも、中学生が何人も署名している姿が特徴的でした。

今後も、時には時間と場所(いつもは県庁と市役所前)を変えて、訴えることも必要のように思いました。

正午で街頭行動を終え、多くの人が昼食を摂った後、「へいわこども展」が開催されている旧日銀広島支店へと移動しました。

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今年で5回目となる「へいわこども展」は、15日から始まり、明日21日まで開催されています。午前10時から午後7時まで開催されていますので、ぜひ参加してください。

昨日は、午後1時半から朝鮮学校の生徒によるミニコンサートがありました。小学生による歌唱、民族楽器の演奏、中学生の民族舞踊が披露されました。短い時間の演技でしたが、一生懸命な姿と、練習を繰り返していることが実感でき、大きな拍手が起きたコンサートでした。

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会場は、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の子どもたちの作品が並べて展示されているのが特徴的です。そして広島のインターナショナルスクールや日本学校の高校生、中学生、小学生の絵も展示されています。入り口で手渡されたチラシの裏面に記載された「昨年の展覧会アンケート」の一文です。「どれもすぐれた作品で、見ていて心が動かされました。普段交流がないようでも、こうした作品展を通して心の交流ができることは、とても貴重で素晴らしいことだと思います。私たちがどこかでつながっている。その思いが強まりました。」(50代男性)

こうした地道な取り組み上げることが、朝鮮学校への理解を深めることにつながるように思います。

いのちとうとし

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2020年1月17日 (金)

原爆被爆二世国家賠償請求裁判第9回公判・傍聴記

裁判傍聴記が続きます。

今日は、一昨日(14日)広島地裁201号法廷で開かれた被爆二世裁判の第9回公判の報告です。

今回の公判は、原告側(被爆二世)が、昨年12月27日に提出した「原告ら準備書面6」の陳述と今後の公判の進め方などが審理されました。

準備書面6は、「原告ら被爆二世が置かれた状況等―原告ら被爆二世はどのような状況にあるか」について、概観的に主張したものです。その中心は、被告・国側が「放射線被害の遺伝的影響について明確な科学的根拠がない」としているのに対し、「もっと深刻な問題は、健康問題」で「様々な要因から自らの疾病が放射線被害の遺伝的影響と思わざるを得ない状況にある」とするとともに「親がガンにり患すれば、自分もガンが発症するのではないかとの不安を抱かざるを得ない」という現状を指摘しました。そして「被爆二世が健康不安を抱いている事実までも否定はしないだろう」と国に迫っています。

その主張の根拠の一つとして1968年に「原爆特別措置法」が制定された当時の厚生大臣の発言「原子爆弾の障害作用の影響を受けたものの中には、身体的、精神的、経済的あるいは社会的に劣っている者や、現に疾病に罹患しているため、・・・これら特別の状態に置かれている被爆者に対する施策としては、医療の給付などの健康面のみに着目した対策だけでは十分ではなく、これらの被爆者に対してその特別の需要を満たし、生活の安定を図る必要がある」を紹介し、被爆二世にも一般的にあてはまる問題だとしています。

その上で、現在実施されている「被爆二世健康診断」の問題点を指摘しています。

一つは、長く被爆二世が求めてきた「ガン検診」が含まれておらず、極めて不充分なものであること。二つ目に、「そのため独自で被爆二世対する施策を実施する自治体がある」ことを紹介しながら、「しかし、それらはごく少数の自治体にとどまっている」としながらも「自治体独自の施策を行っているのは、被爆二世の健康に対する不安を解消する」ために実施されているのであり、「法レベルで何らかの援護が必要だ」と結論付けています。

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審理終了後の報告会では、在間弁護士から「軍人軍属に対する戦傷病者遺族等援護法」から朝鮮半島や台湾出身者の徴兵、徴用者が「国籍条項」を理由に排除されている問題を取り組んだ裁判の状況が紹介されました。「結果としては、全ての裁判で敗訴していますが、自治体レベルで援助を行っていたことが力となり、国がその後特別措置を行い救済した歴史がる」というものです。そして「今回の準備書面には、こうした問題を提起する意義・意味がある」と強調されました。

原告団としては、3月末までに全原告一人ひとりの意見陳述書(自らの体験などの基づく主張)を提出することにしています。ここから、本格的な論戦がスタートすることになります。

次回公判は、4月21日の午後1時30分から開廷しますが、今回の公判の最後に裁判長が「弁論更新があります」と告げましたので、新たな裁判官体制になると思われます。予測では、これまで行政訴訟で「原告敗訴」の判決を出し続けた小西裁判長が交代すると思われます。

いのちとうとし

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2020年1月16日 (木)

「上関原発埋立免許取消訴訟」控訴審判決

昨日、広島高裁で上関町祝島島民が「上関原発埋立免許取消」求める訴訟の控訴審判決が出ました。判決は、山口地裁が示した「祝島の漁業者には、原告としての訴える利益(原告適格)を認めない」とする判決を支持し、「控訴を棄却する」という不当判決でした。まさに門前払いです。

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しかも、報告集会での本田弁護士の報告によれば、判決文はわずかに10ページ、実質的な内容はわずか5ページで、一審判決をすべて認めるという、「原告の訴えを無視した」と言わざるを得ない判決だということです。

判決は、漁業者が対象水面で漁業の営みは、単なる利益であって、「公有水面埋立法」に言う「権利」ではないというのです。さらに生活権、人格権についても、同じように「利益であって権利ではない」という言葉の遊びのような理由で、「原告の訴える権利」を否定してしまっています。

これだけでは少しは良心が痛むのか、原発の危険性にも触れ、「居住者が懸念を抱くのはもっともである」と言っていますが、本来裁判所が審理すべき「公有水面埋立の目的である原発建設」の是非については、全く踏み込んでいません。特に昨年7月に出された「県の延長許可」では、「原発の本体の着工時期の見通しがつくまでは埋め立て工事をしないこと」という、摩訶不思議な条件が付いての「延長許可」だったのですから、その妥当性を判断するのは裁判所の責務だったはずです。

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これでは、三審制をとる現在の司法制度が「本当に意味があるのか」と問われることになります。いま政治権力への忖度が働く時代になっていますが、生活のことをもっと考えるべき裁判所もそうなってしまったのかと思わざるを得ない判決です。

もう一つ言えることは、山口県が根拠としているのは「上関原発は、重要電源に指定されている」ということですが、そもそも今原発を取り巻く現状は、どうなっているのかです。福島原発事故以降、原発事故への不安は増大し、2011年以降8年経過しても4分の1しか再稼働(停止中を含む)できておらず、再稼働出来ない状況にある原発が多数残っています。もちろん私たちは、全ての原発の再稼働には絶対反対ですが。仮に原発再稼働の審査が進んだとしても、現実を直視すれば、新規の原発設置許可の審査など進められる状況にないことは、明らかなことです。

このことから考えても「山口県の延長許可」が、いかに不当なものかは明白です。

この不当判決に対し、法廷で判決を聞いた木原さんは、次のように述べています。

「漁業を生業(なりわい)としている人たちのことを、それは単に漁場から得ている『利益』であって『権利』ではない。そんな理屈が成り立つのか、そのことの怒りを感じた判決であった。こういうことを言う人は、魚を食べるなと叫びたい。

 上関原発の建設計画が浮上して今年は38年である。これまで『故郷を原発の街にしたくない。放射能の街にはさせない』という一心で頑張ってきた人の姿が何人も思い出された。38年の年月は多くの方を故人にした。

そして『私らが上関原発に反対することを一番分かってくれるのは、広島の人よねー』と言われたのを思い出した。原子爆弾を知っている人なら、という連帯の声であった。この期待に応えるのも私たちの役割りだ。」

報告会は、山戸貞夫さんたち原告団が、「この判決を認めることはできない」とし、「上告し、中電に異議ありの声を上げる決意です」と表明し、終わりました。

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2020年1月14日 (火)

「旧広島陸軍被服支廠」見学会

旧広島陸軍被服支廠の保存をめぐる広島県の方針が発表されて以降、市民の関心が高まり、見学希望が相次いでいるといわれています。そして様々な団体が見学会を実施していますが、私も新聞報道で知った「建物を巡るイベントを開く『アーキウォーク広島』」が主催する「建物見学会」に参加しました。

主催する「アーキウォーク広島」は、以前から建築というキーワードで広島を活性化させようと「建築公開イベントの開催」や「建築ガイドブックの発効」などの活動を行う団体です。

当日も「過去の調査及び最近の学術調査」をもとに作成したカラー印刷の資料が、参加者に無料で配布されました。

この見学会は、11日から13日までの3日間、午前と午後それぞれ1回ずつ開催されましたが、私は13日の午前11時からの部に参加しました。

集合時間の15分ぐらい前に、その集合場所の緑町第2公園に着いたのですが、すでに多くの人が集まっておられます。多数の参加が予測されるということで、20人余りが参加された時点で第1班が構成され、見学会が始まりました。私は第1班です。

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現地はすぐ近くに住宅があるということで、移動する前に公園で配布された資料をもとにした説明がありました。

この見学会は、「旧広島陸軍被服支廠」を被爆という視点からではなく、「貴重な建築物」としての価値を知ってほしいとの思いで企画されたものですから、私にとっても非常に貴重な体験となりました。配布された資料をもとに、いくつか、その貴重さを紹介したいと思います。

「建築物の歴史と経緯」です。広島被服支廠は、日露戦争の最中の1905年に洗濯工場として建設され、1907年に支廠に昇格しました。東京の本廠、大阪の支廠の施設は、現存していませんから、被服廠の貴重な現存施設です。

次は「RCの歴史を知る」建物です。「RC」聞きなれない言葉かもしれませんが、鉄筋コンクリート造りのことです。この建物は日本最古級とのことです。世界でRCを使ったアパートが最初に建てられたのは、1903年フランスです。日本でも同じ時期に建ち始めますが、国内で現存するRC建築は、1911年に建てられた旧三井物産横浜支店と小野田セメントの工場建屋などがあるようです。この被服支廠は、これらとほぼ同じ時期である1913年に建設されていますので、そのことからも貴重さが分かります。

この調子で紹介していくと、ずいぶんと長い解説になってしまいますので、後は簡単な紹介にします。

「でも被服支廠はレンガ造りでしょ」と疑問に思われる方も多いと思います。この建物は、確かに外壁はレンガ造りとなっていますが、内部の柱や床は、全てコンクリートで作られており、RCとレンガが併用されています。

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同じようにレンガ造りで建設された兵器廠(現在の広大病院)は内部が木造、糧秣廠(現在の広島市郷土資料館)の内部は、鉄筋で作られています。ここでも貴重な建物だということが分かります。

「建築デザイン」です。屋根のピナクルや梁の端部の線形などに装飾的要素があるそうです。ピナクルは、初めて気づきました。

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その他にも「窓の組構造」や戦前の建築物に多い古いタイプの瓦の存在などの紹介がありました。

最後の紹介したいことは、資料の最後に記載されている「場(サイト)が持つ力」ということです。ここが最も大切だと思いますので、その一部を紹介します。

「建築単体としての価値のほか、倉庫が群として存在感のある『場』をとどめている点も極めて貴重です。(中略)旧被服支廠の倉庫群を目の前にすると、理屈抜きにその巨大さに圧倒されます。・・・この場に身を置き、五感を使うことで、『実感』という、書物で得られない膨大な情報を得ることができます。」

「旧広島陸軍被服支廠」は、「歴史的貴重な一面を体感できる場」としての価値を有しているということですが、そのことはガイドの奥本さんも何度も強調されました。

「アーキウォーク広島」が主催したこの三日間の見学会には、初日が約80人、二日目が約100人、そして最終日の昨日は約150人の参加がありました。関心の高さがうかがわれます。

見学会終了時「全棟保存」を求めることをいくつも聞きました。私もそのことを改めて実感するとともに、参加して本当によかったと強く思っています。主催者の皆さんありがとうございました。

いのちとうとし

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2020年1月 9日 (木)

広島県原水禁、広島県被団協が「旧広島陸軍被服支廠の全面保存」を県に要望

広島県原水禁の佐古正明代表委員、金子哲夫代表委員は、昨日(8日)広島県に対し下記の「『旧広島陸軍被服支廠」の全面保存を求める要望書』を提出しました。


「旧広島陸軍被服支廠」の全面保存を求める要望書

 (前略)

 私たちは、この貴重な被爆建物「旧広島陸軍被服支廠」は、他の被爆建物である旧日本銀行広島支店、広島文理科大学などとともに、世界遺産である「原爆ドーム」とともに、世界遺産登録されるべき、価値があると考えています。残念ながら、これまでに多くの被爆建物が解体されてしまいましたが、幸いなことにこれら被爆建物は、いずれも公的に保有されていますので、保存は充分に可能なことです。そしてそれは、保有する自治体の役割でもあると考えます。

 一度解体された被爆建築物は、再び甦ることはありません。3棟保存は、絶対に必要なことであり、決して失ってはならない、県民共有の財産です。

 貴職が、就任以来被爆県の知事として、「世界平和と核兵器廃絶」のために、とりわけ力を入れて取り組んでこられたことを私たちは、よく知っています。

 県民の多くが望む「保存」の声を受け止め、貴職の英断をもって「旧広島陸軍被服支廠」の全面保存の方針を決定されるよう強く要望します。

1、広島県が所有する旧広島陸軍被服支廠3棟については、遺産としての価値を過小評価せず、安全対策を講じた上で全面保存すること。あわせて、国が所有する1棟についても保存を働きかけること。

2、建築物の利活用といった狭い視点に留まらず、平和行政の観点から幅広く旧広島陸軍被服支廠の利活用策を早急に検討すること。

3、旧広島陸軍被服支廠は建築学的に極めて高い価値を有しており、その内容、規模を積極的に内外に発信すること。この建物が歩んできた歴史も併せて発信すること。


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これに対し広島県は、「現在、決まった話ではない」としながらも「被爆建物としての価値は重要であると認識している。しかし建設されてから107年が経過し、老朽化が進んでいるので、早く安全対策をする責務がある。利活用が十分されてこなかったこともあり、方針を示したということである。」とするとともに「予算を決めていくなかで決定することになる」との従来の考え方をしましました。

その後約1時間近くにわたり率直な意見交換をしましたが、残念ながら私たちが望む回答を得ることはできませんでした。最後に広島県原水禁として「昨年12月に県の方針が明らかになって以降、全棟保存を求める多数の意見が表明されている。県もパブリックコメントを求め、県民の声を聴こうとしている。県民の間で様々な論議が起こっている今、安全対策の重要性は認識するが、拙速に結論を出すのではなく、もう少し時間をかけて方針を決定する」ことを求めて、今回の申し入れを終えました。

なお、広島県被団協箕牧代表代行、前田事務局長が同席され、広島県被団協としての同趣旨の申し入れが行われました。

広島県は、16日までパブリックコメントを受け付けていますので、一人でも多くの人が意見を表明することが求められています。

明日のブログでも、そうした思いの一つを伝えることにしています。

いのちとうとし

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2020年1月 8日 (水)

2020年連合広島旗開き

昨晩午後5時からリーガロイヤルホテルで2020年連合広島新春旗開き・広島県労福協賀詞交歓会が、開催されました。

連合広島・労福協の役員及び加盟労働組合の役員など、来賓97人を含む約380名余りが参加し、2020年への誓いを新たにしました。

旗開きは、組合や政党などが、年初めに飾って新年の決意を表明する会合として、開催されてきました。もともとは、年末に納めた組合旗や党旗(旗納め)を開くことから、「旗開き」と呼ぶことになったのですが、最近では「旗納めを行った」ということを聞くことはほとんどないように思います。

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最初に主催者を代表して連合広島の久光博智会長、広島県労福協の伊丹幸男会長が、それぞれあいさつ。ここでは久光会長のあいさつを紹介します。

久光会長は「2020年のスタート。明るい未来を切り拓く一年にしたい。」と述べた後、昨年相次いだ自然災害の一日も早い復旧に触れながら、「人口減少、証拠高齢化が進み、一方で技術革新による大きな変化が起ころうとしている。社会の分断による不安が広がっているが、だれ一人取り残されない持続可能な社会をつくらなければならい」と訴え、さらに「頼りになる存在となるため、働く仲間の連帯・絆を固めて闘おう」と呼びかけました。

そして今年2020年の重点課題として次の3点を挙げました。

①2020年春季生活闘争では、将来不安を払しょくし、全ての働く者、特に中小やパート、非正規で働く仲間の底上げ図る。

②政治では、一強政治によるゆるみやたるみが渦巻く。これに対する政治不信を何とかしなければならない。そのためにも政治の流れを変えるために全力を挙げる。

③被爆75年、昨年はローマ教皇が広島を訪れ、核兵器廃絶に大きな力を与えた。しかし、今年に入り、中東での緊張が高まっている。核兵器廃絶1千万署名に全力で取り組むとともに、次世代への継承・強化に力を注ぎたい。

最後に、「地域で顔が見える運動を地域で展開しよう」と呼びかけて久光会長のあいさつは終わりました。この会長あいさつは、私が会場でメモったものに基づいていますので、正確に伝えるものではなりません、雰囲気を感じることができればと少し長くなりましたが紹介しました。文責は当然のことですが、すべて私にあります。

その後、来賓のあいさつ、勤労者福祉功労知事表彰を受けた二人への記念品贈呈が行われ、鏡開き、乾杯の後、懇談へと移り、最後に参加者全員による「三本締め」の中締めが行われ、閉会となりました。

私も、被爆者団体の代表のみなさんと共に広島県原水禁の代表として参加しました。他団体の旗開きとはいえ、決意を新たにした集いでした。

いのちとうとし

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2020年1月 7日 (火)

「大久野島の歴史展」に行きました

4日に開会した「大久野島の歴史展」、当日は準備を手伝っただけでしたので、昨日ようやく時間を取って会場を訪れることができました。

会場は、大久野島の歴史がきちんと整理されて、展示されています。

日露戦争時代の大久野島は、瀬戸内海の多くの島がそうであったように、砲台を備えた要塞が作られました。展示は、この解説から始まります。次に移動すると「大久野島毒ガス製造と被害」の様子が、写真パネルで示されています。

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大久野島の毒ガス製造工場は、1927年に建設工事が始まり、1929年5月19日に陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所として開設され、終戦の前年まで毒ガスを作り続けます。

1925年には、ジュネーブ議定書(正式名称「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」)作成され、29年には発効しています。この議定書は、「使用のみが禁止」され、開発・製造などが禁止されないという不十分さはあったものの、この時期に毒ガス工場が建設されたことに注目しなければなりません。

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展示は、「日本軍の毒ガス戦と加害」へと移ります。侵略していた中国大陸での毒ガス使用が告発されています。

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次に「大久野島の毒ガス戦後処理」が展示されています。海洋時、焼却、埋設の方法がとられました。現在でも、大久野島にあった防空壕には埋設されたままの状態です。次の項で触れますが、「化学兵器禁止条約」によって国外に持ち出した毒ガスについては、遺棄国である日本政府が処分する責任を負っていますが、国内に埋設されたものは、被害を及ぼす影響がない限り、処分しなくてもよいことになっています。大久野島に埋設された毒ガスは、そのままの状態が続くことになります。

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展示は、「日本軍遺棄毒ガスがどのように処理されているか」につづきます。

中国に遺棄された毒ガス兵器の問題解決については、1990年に中国から要請を受けましたが、それがようやく具体化したのは、1997年に化学兵器禁止条約が発効してからです。同条約によって「遺棄国」として「国外に遺棄した化学兵器の廃棄の責任」を負った日本政府が、1999年7月30日に中国政府との間で「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」に署名し、ようやく2000年から処理事業が開始されました。

内閣府のホームページによると2018年3月末現在で62,615個の毒ガスが発掘・回収され49,607発が廃棄処理されています。一説には、「日本国政府も、旧日本軍が中国国内に遺棄した毒ガス兵器等の数は約七〇万発と推定している(中国政府は、二〇〇万発と主張している。 )」とも言われていますので、廃棄処理がいつ終了するのは、見通せない状況です。

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この廃棄処理が続いている間にも、中国国内で遺棄毒ガス兵器による被害が発生していることも忘れてはなりません。

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会場中央には、毒ガス製造時に使われた器具や、様々な書籍資料も展示されています。そこで熱心に資料を読む二人組の女性がいましたので、声をかけると中国からの留学生でした。遼寧省出身の一人は、「中国でも少しは聞いていたが、こんなに詳しく知ったのは初めてです」と話していました。

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来場者の熱心に見入る姿が、目を引きます。写真は、6日(月)の午前11時ころの会場の様子です。私は参加できませんでしたが、5日に行われた毒ガス製造体験者の証言には、150名を超える参加者があったそうです。ぜひ読んでいただきたい本として、長く忠海病院の内科医とし毒ガス障害者治療に携わってこられた行武正刀先生編著「一人ひとりの大久野島 毒ガス島からの証言」(2012年刊)を紹介します。

このブログで全てを紹介することはできません。よく整理され、豊富な資料が展示されていますので、残りあと三日(9日正午まで)一人でも多くの人に見に来てほしいという思いを新たにした参観でした。

いのちとうとし

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2020年1月 4日 (土)

今日から「大久野島の歴史展」始まる

竹原市にある毒ガス島歴史研究所が主催する「大久野島の歴史展」が、今日1月4日(土)から9日(木)までの日程で、旧日本銀行広島支店で開催されます。

今日4日は、設営作業があり、午後1時開場ですが、5日以降は午前10時開場午後5時まで、ただし最終日の9日は、正午までの開催となっています。

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竹原市忠海町の沖3キロに位置する大久野島は、今では「ウサギの島」として有名になり、外国からの観光客も多いようですが、陸軍唯一の毒ガス工場があり昭和初期から戦中にかけては「地図から消された島」として、空白地域として扱われてきました。

そしてここで製造された「毒ガス」は中国大陸に送られ、当時すでに違法となっていたにもかかわらず日本軍によって使用されました。戦争終結とともに、残った毒ガスは中国国内に遺棄され、戦後生き毒ガス被害を生むことになりました。

戦後、大久野島が、国民休暇村となったことを機会に残っていた工場跡などを撤去しよとする動きがあった時、「もう一つの広島」の「負の遺産」として保存する運動がおこり、その運動を継承する組織として、今回の「大久野島歴史展」を主催する「毒ガス島歴史研究所」を設立し、今日まで歴史を継承する活動が続けられています。

広島県原水禁は、80年代の終わりから夏の原水禁大会のフィールドワークとして「大久野島を訪ねる」活動を続けています。毎年、公募とともにすぐに定数一杯となる好評の企画となっています。大久野島には、「大久野島毒ガス資料館」もあります。

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実際の展示内容は、会場に行かなければわかりませんが、写真パネルが中心の展示になると思います。展示の他にも毎日午前10時から12時まで「大久野島の歴史に関する映画」が上映されます。

また、5日(日)には、特別企画が用意されています。

午後1時30分から2時までは、「読み語り(一人ひとりの大久野島)」が、続く午後2時から3時までの1時間、大久野島毒ガス製造者の証言があります。証言者は、元毒ガス製造者・藤本安馬さんです。当然のことですが、毒ガス製造に直接かかわった体験者は、高齢化していますので、証言を聞くこともだんだんと困難になっています。今回は、貴重な機会になると思いますので、ぜひ会場に来て証言を聞いてください。

これまでのブログでは、展示会開催中の様子を報告してきましたが、今回は6日間という短期間でもあり、また主催者の山内さん夫妻からも、早くから原水禁や平和運動センターにチラシが届けられ、協力要請が来ていますので、事前の告知としました。

今日は、午前8時半から準備が始まりますので、手伝いに行こうと思っています。準備が終われば、午後1時と言わずに開場するそうです。

「歴史から学び、未来を戦争のない平和な社会に」と呼びかけている「大久野島の歴史展」に一人でも多く、出かけて下さい。

いのちとうとし

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2019年12月24日 (火)

「時を超えた兄弟の対話」展ビデオ試写会

昨晩午後6時から、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で来年1月1日から1年間開催される企画展「時を超えた兄弟の対話―ヒロシマを描き続けた四國五郎と死の床で直登の日記」の三面シアターで上映されるビデオ映像の試写会が行われました。

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このビデオは、「1945年8月6日、爆心地から約1キロの幟町小学校にあった臨時兵舎で被爆した四國五郎の弟直登が「被爆当日から亡くなるまで」病床で綴った日記に五郎の執筆文を重ね合わせ、あたかも二人が時空を超えて対話しているかのように紹介」したものです(当日配布の資料から)。ビデオの上映時間は、ちょうど30分です。私の能力でその内容を解説することはできませんが、原爆の非人道性を訴える力を強く感ずることができますので、来年1月1日から始まる「企画展」で、自分自身で見て、感じてください。

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私がこの試写会に誘われたのは、五郎、直登の声優を務めている木内みどりさんを少し知っていたからです。木内さんの急逝については、11月23日付のブログ「女優木内みどりさんの急逝と陶芸家梅田純一」で紹介していますので、今日は触れませんが、木内さんのとってこの作品は、まさに遺作となりました。ですので、誘いを受けると、一も二もなく出かけることにしました。

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上映終了後あいさつに立った四國五郎さんの長男光さんは、次のように語られました。

「見終えて、うれしかったことと悲しかったことが交錯しています。」「うれしかったことは、父は、『私の描く絵は、部屋の中に飾るものではなく、平和のために使ってもらう絵』といっていました。父の願いが生かされる形で使われた。父は天国で喜んでいます。」「悲しいことは、木内さんの急逝です。木内さんは、深い敬愛の念を持ってくれていました。おこりじぞうの語りを100回やるといっていました。残念ながら、12回が最後になりました。家族にとっては頭の下がる思いです。」

最後に「戦争を2度と繰り返すな。これが父の作品に込められている想いです。」と訴えられ、あいさつが終わりました。

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四國五郎を「死んだ人々に代わって絵を描こう。戦争反対・核兵器廃絶を、芸術になろうがなるまいが・・・」と決意させ、「これからの人生で方向を見失いかけた時は、これを読み返せ、五郎よ!直登の日記を読め!」と自身の戒めとした「時を超えた二人の対話」を一人でも多くの人に実感してほしいと思いました。

来年1月1日にスタートし、12月29日まで開催されるこの「企画展」にぜひ足を運んでみてください。

いのちとうとし

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2019年12月19日 (木)

広島市に対し「『拡声器使用規制条例』制定反対」の申し入れ

昨日、広島県原水禁、広島県平和運動センター、憲法を守る広島県民会議の三団体は、連名で「『広島市原爆死没者慰霊並びに平和祈念式』における『拡声機使用規制条例』制定には反対です」の申し入れを広島市に行いました。

午後1時から広島市役所で行われた申し入れの会議には、広島県原水禁からは金子代表委員、平和運動センターからは佐古議長、護憲県民会議からは檀上代表委員が、そして市議会からは太田憲二市議、若林新三市議、山内正晃市議、事務局から大瀬さんの7名が出席し、広島市の政氏市民局長に対し、下記の申し入れ書を提出しました。

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これに対し、広島市からは「厳かな環境の中で式典を開催したいとの思いであり、申し入れの趣旨は十分理解している。現状は、該当する団体に対し、『静かにしていただきたい』との要請を行っているところだ。」との説明があり、私たちからは「いずれにしても申し入れ書にもあるように、『言論、表現の自由』を踏みにじる『条例制定』には、反対である」ことを改めて強調し、条例の制定は行わないように強く求めました。その後、広島市と団体との間の話し合いの進展状況などについても意見交換を行いましたが、広島市からは「相手団体から情報公開請求が出されており、現在順次公開中で、年内にはすべての公開が終わるので、それからさらに話し合うことになる」との現状が報告されました。私たちは、「いずれにしても、問題の解決のためには徹底した話し合いが必要だ」ということを強調しながら、今後の推移を見守ることを表明し、今回の申し入れを終了しました。


「広島市原爆死没者慰霊並びに平和祈念式」(以下、「平和祈念式典」)における「拡声器使用規制条例」制定には反対です

 広島市は、8月6日に実施される「平和記念式典」開催中における拡声器使用を規制するためとして、条例制定を含む、拡声機使用の規制を強化しようとしています。式典中の拡声機による声が「多くの方の心情を害し、式典の趣旨を損なう」ことがその理由とされています。

 私たちは、日本国憲法に保障された「言論、表現の自由」を踏みにじる「条例制定」による規制強化には絶対に反対です。

 戦前の日本は、「集会、結社、言論、表現の自由」が著しく阻害され、その結果として政府の誤った政策により「戦争への道」を歩み、原爆投下による多大な犠牲を強いられる結果となりました。このことを私たちは決して忘れてはなりません。過去の過ちを繰り返さないためには、「集会、結社、言論、表現の自由」が保障される社会であり続けることが必要です。

 とりわけ、広島市民の多くが強く願う「核兵器禁止条約」への署名・批准を頑なに拒む安倍総理の政治姿勢や「平和記念式典」での式辞には大きな批判があります。仮に、こうした安倍総理の式辞への批判・行動を規制するという目的が「条例制定」の陰にあるとするなら問題はさらに深刻です。

 この度広島市が検討されている「拡声機使用規制条例」は、「平和記念式典」中に限定したものだとしても、それは必ず次への規制へと拡大していくことは、これまでの歴史が証明しています。市民の「言論や表現の自由」を規制することからは、決して「平和」を作ることはできません。問題解決の道は、粘り強く徹底した話し合いによる相互理解を深めること以外にはありません。

 先日来広したローマ教皇も、対話の重要性を強調されました。それは、核抑止論に対する戒めであると同時に、あらゆる問題解決の基本的な筋道でもあるでしょう。

 広島市が「拡声機使用規制条例」を制定されることなく問題を解決されるよう強く求めます。

 拙速に判断するのではなく、当該団体のみならず、幅広く市民の意見を聞く場を持たれることを強く要請します。


いのちとうとし

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