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ニュース

2020年9月27日 (日)

ドイツから見た日本の内閣

長年ドイツに住む私の友人福本まさおさんに「ドイツから見た菅政権発足についてのコメントしてほしい」とメールを送ったところ、この便りが届きました。ドイツにいるからこそ見える指摘が沢山あります。本人の了解を得ましたので全文を紹介します。


安倍首相が退陣して、菅新政権が誕生しました。新政権の支持率が65%だという新聞記事を読んで、それにはちょっとびっくりしました。

ええ、日本ではみんな何を考えているんだろう、どうしたんだろうと、信じられませんでした。単なる日本とドイツの温度差ではありません。

今回の組閣では、ドイツから見ていて、不思議に感じることがいろいろありました。それは日本の政治の根本的な問題で、組閣がある毎に感じる問題でもあります。

一つは、大臣が高齢だということです。大臣に指名されるかされないかは、当選回数や所属派閥が関係しているのは知っています。それにしても高齢すぎます。

これでは、老人クラブとそのかばん持ちたちです。いや、小泉進次郎さんは30代じゃないかという人もいると思います。でも小泉さんは、看板とはいえ、まだかばん持ちです。

たとえばオーストリアのクルツ首相は30代です。20代で外相になっています。フィンランドのサンナ・マリン首相も30代です。その連立5与党のうち、3党の党首が30代の女性です。

老人クラブにも関わらず、若い世代の支持率が高いのも良く理解できません。日本には、世代交代が必要だという意識はないのでしょうか。ぼくは日本では、若い人たちの新しいアイディアで国と政治を活性化させることが必要だと思います。

高齢者に頼るのではなく、若い人たちにどんどん出てきて、活躍してほしいと期待しています。

この内閣の顔ぶれを見て、そういう議論が起こらないのも不思議でしようがありません。それとも日本の若い世代には、国に対する責任を持ちたくないという意識が強いのでしょうか。

ドイツでは政治家に、定年退職年齢は規定されていません。でも定年退職年齢に達すると、政治家自らが引退して、若い世代に席を譲るケースが多く見られます。

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2014年4月の安倍首相訪独時に抗議デモに参加する現地女性たち

次は、女性大臣が2人しかいないことです。ドイツの内閣は、メルケル首相が女性。その他女性大臣が6人、男性大臣が9人です。フィンランドの内閣は、女性のサンナ・マリン首相をはじめとして、大臣19人のうち12人が女性です。

日本の場合、女性の政治家は男性社会で生き延びていくために、男性と同じことをしなければなりません。だから女性政治家といっても、男性だと思っていたほうがいいのもわかっています。

でもぼくは、これからは女性としての見方を政治と社会に取り入れていかなかればならないと思っています。女性の見方のできる、女性として生きる女性に大臣になってもらいたい。そう思っています。

でもまずは、男性気質の女性大臣でもいい。女性大臣が増えれば、女性として政治をやっていける土壌ができていくのではないか。少しでもそう期待したいと思います。

この点でも、日本で活発な議論にならないのが不思議でしようがありません。今日本は、若い世代ばかりでなく、女性の力を必要としていると思います。そうしなと、日本は世界から取り残されるだけになります。

今回の組閣でさらに気になったのは、菅新首相をはじめ、政治家の政治思想が伝えられることがごく稀だったことです。それよりも、こどもの時のことや政治手腕、生活臭を匂わせる報道が多く目立ちました。国民への近さをアピールしたかったのだと思います。でもそれでは、広告代理店がタレントを売る売り方とまったく変わりません。

日本のメディアもそうですが、政治の世界も、広告代理店に牛耳られてしまっているのかと思うと、とても情けなく感じます。


福本さんからの便り、どう読まれましたか。フィンランドの内閣は、19人の内閣のうち12人が女性だということは、最近国内のニュースでも取り上げることがありますので、すでにご存じの人も多いと思いますが、それにしても日本は、と思わずにはいられません。そして最後の「広告代理店」の問題、「そうだ、そうだ」という共感とともに、コロナ対策支援事業問題で明るみに出たどんな分野にも電通が深くかかわっている実態を改めて思い起こしました。

いのちとうとし

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2020年9月20日 (日)

二つの9.19行動―「戦争法強行から5年 戦争法廃止!」と「朝鮮学校への無償化適用を求める」行動

昨日19日は、二つの街頭行動が行われました。

「戦争法強行から5年 戦争法廃止!活かせ9条!」

午後1時から本通電停前で始まったのが、戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会が主催する「戦争法強行から5年 戦争法廃止!活かせ9条!9.19行動」です。

安倍政権が、国民の多くの反対の声を無視し、憲法違反の「安全保障法制」(戦争法)を参議院本会議で強行採決し成立させたのが、ちょうど5年前の9月19日早朝でした。その後、広島でも「ヒロシマ総がかり行動実行委員会」が主催し、この強行採決に抗議し、戦争法廃止を求める19の日行動を続けてきました。そして2018年2月からは、安倍政権の憲法改悪の動きに対抗し、この行動は「3の日行動」として、毎月3日に継続して取り組まれてきました。すでに今月も「3の日行動」を実施しましたが、今年の9月19日は「戦争法強行採決から5周年」ということで、9.19行動も実施することになりました。

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1000人委員会の佐藤奈保子さんの司会で始まった昨日の街頭行動は、立憲野党(立憲民主党、日本共産党、社民党、新社会党)の各代表とすでに決まっている次期衆議院選挙の予定候補7名がマイクを握り、それぞれの立場から市民へのアピールを行いました。

安倍前総理の辞任を受けた菅政権は、「安倍政権の継続」を強調して誕生した政権です。「縦割り行政の廃止」「携帯電話料金の値下げ」など耳当たりの良い政策を声高にアピールしていますが、菅首相自身が、安倍政権の官房長官として「公文書の改ざん」や「森友加計学園・桜を見る会の名簿隠ぺい」に深くかかわってきたことは紛れもない事実です。また官房長官時代の記者会見での記者の質問にまともに答えず、強圧的な姿勢で答える姿も忘れてはならない事実です。そして広島にとってとりわけ重要なことは、「河井夫妻」を強力に支援してきたのが、菅さんだということです。この問題に対し、安倍前首相は全く説明責任を果たさなかったのですから、同じ穴なムジナともいえる菅首相に説明責任が求められるのは当然のことです。

そうした思いのこもった昨日の9.19行動でした。

 

「高校無償化裁判控訴審の公正な判決及び朝鮮学校無償化適用を求める街頭行動」

二つ目の行動は、午後5時から本通電停前とメルパルク前の二カ所で行われた「高校無償化裁判控訴審の公正な判決及び朝鮮学校無償化適用を求める街頭行動」です。

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この行動は、2017年7月19日に広島地裁が「朝鮮学園に学ぶ子どもたちの民族教育を受ける権利を認めない」という不当判決を言い渡したことに抗議し、それ以降、市民に対し理解と支援を求める行動として毎月19日に実施してきました。その中心は、朝鮮学園の生徒・保護者、関係者のみなさんですが、私たち日本の支援団体、支援者も一緒に行動してきました。

既にこのブログでも紹介していますが、広島高裁による控訴審での判決言い渡しが、来月16日と迫っていますので、19の日行動も最後の訴えということになりました。

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土曜日の授業を終えた朝鮮高校の生徒も多数参加し、約1時間道行く人たちに訴えつづけました。一人ひとりがマイクを握り、市民に訴える姿には、いつものことですが胸を打たれます。そして、この問題は日本人自身の問題だということを改めて思い起こさせられました。

高校無償化は、民主党政権時に始まった制度ですが、当初は対象(実施はされていなかったが)とされていた朝鮮学校を「無償化の対象にしない」という方針を表明したのは、2012年12月26日に発足した第2次安倍政権の下村博文文部科学大臣の就任直後の記者会見でした。そして翌年、文科省の省令を改正(改悪)し、朝鮮学校を完全に対象から除外しました。

安倍首相が退陣し菅政権が発足した今、そのことを改めて思い起こさなければなりません。菅自民党総裁は、役員人事で確信犯として朝鮮学校を無償化から除外した下村博文元文科大臣を、政策づくりのかなめである政調会長という要職に就任させたのですから、残念ながら菅政権にも「朝鮮学校高校無償化問題の解決」の期待を寄せることはできません。

だからと言って、明らかな政治による朝鮮学校高校生への差別をこのまま許したままでいるということは、私たち自身が差別に手を貸すことになってしまします。民族差別を許すかどうかは、私たち自身の問題でもあります。

差別が当たり前という政治を変えることができるのは、裁判に勝利することはもちろんですが、「『差別はおかしい』『差別は許さない』という大きな国民世論を作るしかない」ということを改めて突き付けられた昨日の行動でした。

いのちとうとし

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2020年9月17日 (木)

「第2次別姓訴訟広島高裁判決言い渡し」傍聴記

二日続きで、裁判傍聴に参加しました。

昨日は、昨年1119日に出された広島地裁での不当判決を不服として控訴していた「第2次別姓訴訟」の広島高裁で判決の言い渡しがありました。

午後2時に開廷した裁判は、「控訴を棄却する」という主文のみが読み上げられ、あっという間に閉廷しました。原告敗訴です。

この訴訟、広島高裁での審理は、今年68日に一度開廷されただけで、結審したものです。判決言い渡し後の報告集会で、原告の恩地いづみさんは、判決を厳しく批判するとともに 「私の思いは、控訴審で弁護団が主張した『控訴理由』の『おわりに』に書いてある通りです。その思いで、今後もがんばります」と訴え、次の闘いへの決意を表明されました。

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恩地さんが紹介された、「控訴理由」の「おわりに」を全文紹介します。

「私たちは、この訴訟に必ず勝ちます。

なぜなら、それが世界の常識だからです。

かつて、生存権が社会の常識となったようにプライバシー権が社会の常識となったように、どちらかが自分の氏を変えることなく結婚することができることが、やがて国の常識になります。

私たちの中には、法務省も含まれています。なぜなら、法務省は、すでに平成8年に、選択的夫婦別姓制度を導入すべきであるとの結論に至っているからです。

また、私たちの中には、裁判官も含まれています。なぜなら、裁判官こそが、この社会を変える力を持っており、その判断によって、あるべき社会をもたらすことを、使命としているからです。

そうして、私たちは、新しい社会をもたらします。結婚したいと望む全ての人が結婚することができる、誰もが幸せな社会です。

私たちは、その社会を導いたものとして、れきしにのこることになるでしょう。」

そして原告恩地いづみさんの「控訴審第1回公判での訴え」の最後の部分も掲載します。

「私の名前。いつでもどこでも、何の注釈や追加の書類も必要なく名乗れる、私の名前を、改姓を強要され奪われることなく結婚後も使い続けられるあたりまえの権利が、別氏という選択肢を設けないことによって、共に生きることを誓う対のうち一人には保証され、一人からは奪われていることを問題ないとするならその合理的な理由を示してください。」

昨日の判決では、最も重要な憲法14条、24条、そして国際条約(自由権規約や女性差別撤廃条約など)などについては、全く解釈を放棄するものでしたが、その中で評価できる点が二つありました。一つは「夫婦別姓問題では、地方議会で意見書が採択されていること、国連の委員会が勧告を出していることを国会は重く受け止めるべきだ。」と指摘したことです。もう一つは「通称使用」について言及したことです。この通称使用の問題は、原告弁護団が「銀行口座の開設や不動産登記が全くできないこと」を調査して提出したことが大きな力となり、判決での言及を引き出したのです。

原告は当然上告することになりますので、他の地域で争われている「夫婦別姓訴訟」と合わせて最高裁でどう判断するのかが問われることになります。その最高裁の15人の判事のうち、判決文で旧姓を使用する判事が2名いることなど、最高裁の判事構成にも大きな変化が現れていますので、新たな最高裁判断が出ることも期待できます。

「くじけず、はぶてず、諦めず」

この言葉は、恩地さんのメールの最後に必ずつけられています。

この思いに応えて、これからも「夫婦別姓問題」の解決のための支援を続けたいと思います。

いのちとうとし

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2020年9月14日 (月)

「広島無償化裁判控訴審勝利のための総決起集会」開催

2017年7月19日の広島地裁での不当判決を不服として広島高裁に控訴して審理が続けられて「広島無償化裁判」の判決まで、あと一月余りとなった9月11日午後7時から広島朝鮮学園体育館で「広島無償化裁判控訴審勝利のための総決起集会」が開催されました。

ちょうどこの日は、午後6時から被爆75周年原水爆禁止世界大会広島県実行委員会の第3回実行委員会が開催されました。実行委員会は、今年の特徴的な取り組みとなった①オンライン集会②8月6日の新聞意見広告③同じく8月6日の原爆ドーム前行動などの取り組みについての総括を行いました。会議で出された意見などの報告は、別の機会に譲りたいと思います。

1時間余りで会議は終了し、何人かがこの「総決起集会」会場へ急ぎ移動しました。

私たちが会場に到着した時は、広島無償化訴訟弁護団の平田かおり弁護士による「控訴審報告」が行われている最中でした。平田弁護士の報告は「控訴審で特に問題としてきた点」を強調した内容でした。会場は、150余り用意されたと思われるイス席がほぼ満席の状態でした。

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続いて、意見発表。原告、原告の保護者、支援者、そして学園代表。いずれもウリハッキョ(直訳すると「私たちの学校」という意味で、日本の在日社会では朝鮮学校を示す固有名詞として使われている)が果たしてきた役割や思い、そして「不当な差別を許さない」「裁判に必ず勝利する」という決意が語られました。

次に応援のメッセージの紹介。続いてビデオメッセージが流されました。いずれも勇気づけられるメッセージでしたが、その中で特に印象に残ったのは、文科省元事務次官の前川喜平さんのメッセージです。「この制度設計に関わってきたが、すべての高校生に適用されるのは当然のことだと考えてきた。すでに出された最高裁判決では『裁量の問題とし排除を容認』しているが、そうであるなら今後裁量でこの考え方を変えることができることも意味している。なら、最後は政権を変えるしかない。力を尽くそう」という内容で、今後の運動を示唆するものでした。

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そして集会アピールが提案されました。全文は長いので、一部を紹介します。

「すべての子どもたちは,どの国に住もうとも,学校選択の自由や民族的アイデンティティを保持しながら教育を受ける権利を有しており,政治的理由から子どもたちを差別・分断することは決して許されるものではない。日本政府には在日朝鮮人の民族教育権を保障し,諸条件を整える責任があり,植民地支配の結果として日本で生活している在日朝鮮人の民族教育に対して,歴史的経緯を踏まえ植民地支配被害者の原状回復の問題として対応すべきである。日本政府には,在日朝鮮人をはじめすべての外国人の子どもたちの学習権・教育権を速やかに認め,民族教育を保障するために国庫補助を行い,税制上の問題をはじめとする様々な差別的な処遇を速やかに是正する責務がある。

私たちはこれまで広島朝鮮学園当事者・弁護団・朝鮮学園支援者の三者の協力のもとに街頭宣伝・署名活動は言うに及ばず,できることは何でもやる決意で裁判を闘ってきた。とりわけ一審判決後は毎月19日行動を通して県民・市民への情宣活動に取り組むと同時に,裁判を闘う意義を学び・広げるための講演会,映画上映会の開催などに取り組んできた。広島では6月12日午後控訴審が結審し,あとは10月16日の判決を待つばかりになっているが,私たちはこの間も逆転勝利を目めざして決して怯むことなく闘い続け,最後まで諦めずに扉を叩き続ける所存である。私たちにこそ正義があるのだから。

最後に,本日の決起集会を通じて民族教育権の保障問題を一人でも多くの県民・市民に訴え,朝鮮学校への「無償化」適用を勝ち取ることができるよう最後まで闘い抜くことをここに決意表明する。」

全体の力強い拍手で確認されました。

続いて広島朝鮮高級学校生徒によるアピールと歌。終わりに生徒と一緒に「声よ集まれ」を参加者全員で声高らかに歌いました。

そして閉会にあたり、控訴審で「控訴人意見陳述」に立たれた金英雄朝鮮学園理事長から怒りを込めた力強いあいさつがあり、決起集会は終了しました。

今後は、10月16日午後3時からの控訴審判決言い渡しに向け、今月19日午後17時から本通電停前とメルパルク前の2か所で、「裁判の勝利を勝ち取るための街頭行動」を行うことになっています。

いのちとうとし

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2020年9月 9日 (水)

今日の「安全保障法制違憲訴訟」第10回口頭弁論で意見陳述

今日は、午後1時半から広島地裁で「安全保障法制違憲訴訟」の公判が開かれます。裁判官が交代したということで、弁論更新の手続きが取られます。弁論更新が行われる場合には、原告や原告弁護団による意見陳述が行われます。今日は、原告団を代表して私が意見陳述を行います。少し長いのですが、その意見陳述のうち「安全保障法制について」を除いた部分を掲載します。

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1 私の家族の戦争体験

私は、1948年(昭和23年)生れです。直接戦争体験のない世代の一人です。しかし、私にとって、戦争は全く無縁のことではありません。

私は、6人兄弟の末っ子として生まれました。私を除く兄弟は、全て戦前の生れで、先の大戦中は、旧満州国・奉天、現在の中華人民共和国の東北省瀋陽で終戦を迎えました。

私の両親は、水飲み百姓といわれる貧しい農家に生まれ育ちました。結婚後、新たな生活の糧を求めて、旧満州国に渡り、私以外の五人の子どもを産み育ててきました。

両親と兄弟は、その満州で終戦を迎えることとなりました。しかし、父は、終戦間際に現地召集として徴兵され、侵攻してきたソ連軍の捕虜となっていました。父はシベリアでの抑留を体験することになりました。幸いにも父は2年足らずで解放され、帰国することができ,私は、父の帰国後に生まれました。

父の徴兵後,残された家族は、日本に帰国するまで大変な辛酸を味わうことになったと聞いています。私のすぐ上の兄は、1945年(昭和20年)6月生れですので、母は、まさに「乳飲み子を抱えて」帰国しなければなりませんでした。その兄の名前は「治」です。名づけは、軍人だった叔父が付けたそうですが、「もうすぐ戦争が終わるから」といって、「おさまるという意味で治」と付けたということです。軍人の間では、すでに終戦が近いことは認識されていたのでしょう。

父を欠いた家族は、終戦の翌年の6月に、幸いにして誰一人欠けることなく、全員が無事に帰国することができました。しかし、全ての財産は失っての帰国ですから、戦後の生活は本当に苦しいものになりました。その苦しかった生活のことは、私もよく覚えています。

以上は,私たち家族には、決して忘れることのできない戦争被害の歴史です。

一方,戦争を語る時、被害だけを語ることはできません。

私にとって忘れられない兄との会話があります。日中国交回復が実現し、日本から中国への訪問が可能となった時期、私が兄に「中国を訪問する気はないか」と訊ねた時のことです。兄は,「懐かしそうに笑いながら中国を訪問する人がいるが、当時日本人が中国人にしたことを思えば、自分は絶対に行く気にはなれない。」と話してくれました。

戦争によって,日本人が加害者になってしまった,多くの他国の人々を苦しめてしまった,戦中世代の兄はこのことを実感していたのでしょう。私は,この兄の言葉を忘れることはできません。

2 国会議員として政府に質した「国民への償い」

私は、2000年6月から、1期衆議院議員を務めました。

安全保障関連法の提案・審議の際も何度も聞いた言葉ですが、政府は、有事法制の目的について,いつも「国民の生命や財産を守るため」と説明します。

私の衆議院議員任期中には小泉純一郎内閣が「有事関連三法案」を上程したことがありました。有事関連三法案のうち,武力攻撃事態法は,「武力攻撃事態」を定義づけし,国民にも有事の際の協力義務を課す法律でした。

私は、衆議院本会議において、社民党を代表し、代表質問を行い「もし有事の際、犠牲となった一般市民の生命や財産に対し、国民が主権者となっている今度は国はきちんと償いをするのでしょうね」と質したことがあります。しかし、小泉総理は「武力攻撃による国民の被害にはさまざまな場合があり、個別具体的な判断が必要であります。補償の問題については、武力攻撃事態終了後の復興施策のあり方の一環として、政府全体で検討していかなければならないものと考えます。」と答えるのみで、一般市民に対する補償に対して明確にしませんでした。

私は,有事の際に「国民の生命や財産を守ること」に全力を尽くすとは思えません。先の戦争によって失われた市民の命や財産に対し、国家は何の償いもしていません。残念ながらこれが日本政府の姿なのです。

今回の安全保障関連法の中にも、一般市民の犠牲に対する補償については、全く盛り込まれていません。

3 安全保障法制について

〈略〉

4 さいごに

最後に一言申し上げます。

私は、国会議員であった時、衆議院の憲法調査会に所属し、憲法問題を論議してきました。その任期中に、憲法調査会の海外視察団の一員として、ヨーロッパの「憲法裁判所」事情を調査したことがあります。その調査を通じて、各国が、全ての国民に対し、違憲審査を求める権利を保障していることを学びました。

しかし、日本国憲法は、多くの諸外国が設置している「憲法裁判所」による違憲審査の制度をとっていません。その代わり、日本国憲法は、第81条によって最高裁判所に「法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかどうか」を判断する権限を与えています。私は、これを「違憲立法審査権」と学校で習ってきました。

また日本国憲法は、第99条の「憲法尊重擁護義務」を負うものの一人として、裁判官を明示しています。

法の番人である裁判官のみなさん、「違憲立法審査権」と「憲法尊重擁護義務」を重く受け止め、安全保障法制が違憲であることを問うこの裁判でしっかりとその役割を果たしていただきたいと思います。

それこそが、国民が期待する裁判所の役割であると強く訴え、私の意見陳述を終わります。


いのちとうとし

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2020年9月 2日 (水)

「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」前―高暮平和の集い

8月30日、庄原市高暮(旧高野町)に建立されている「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」前で、今年で24回目となる「高暮平和の集い」が開催されました。

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地元高暮の草谷末広さんの司会で始まった集いは、最初に参加者全員による1分間の黙祷。今年の黙祷は、高暮ダム工事で犠牲となった人たちとともに、今年3月に90歳で亡くなられた李実根さんの冥福を祈る黙祷となりました。

地元町内会代表のあいさつに続いて、広島県朝鮮人被爆者協議会金鎮湖理事長が「李さんが願っていた朝鮮半島の統一はいまも実現していません。李さんは、朝鮮人被爆者の権利拡大のため、5000回にも上る証言活動によって訴え続けてこられました。このことは決して忘れず、引き継がなければなりません。安倍首相の辞任表明がありましたが、安倍政権ほど朝鮮民族にとって悪い政治はありませんでした。」とあいさつ。

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続いて、朝鮮式儀礼・チュサ(祭祀)が行われました。何人かが、このチュサの儀礼を行いましたが、その中に李実根さんの妻朴玉順さんの姿があります。

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朴さんは、李さんが健在なころには何度もこの平和の集いに参加されたそうですが、「李実根が亡くなった今年は、ぜひ参加したいと思い、久しぶりに参加することができました」と話されていました。

チュサが終わると、若者による平和の誓いです。最初は、広島朝鮮高等学校1年生の二人。「植民地政策の犠牲になった同朋に日本政府は、補償どころか謝罪もしてこなかった。在日朝鮮人に対する蔑視と差別はいまも続いている。誰もが平和で幸せに社会を日本のみなさんと力を合わせて作りたい」とハングルと日本語で誓いました。続いて、広島地区高社協・広島高校生平和ゼミナールの代表が「本当の歴史を学ぶことが大切」と平和の誓いを述べました。例年は、多くの朝鮮人、日本人の高校生が参加しますが、今年はコロナの影響で朝鮮高校からは5名、高校生平和ゼミナールから代表1名の参加となりました。

ここからは、吉川徹忍さんの読経の中、参加者全員による献花です。

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お花は、地元にみなさんに準備していただいた「ムクゲ」です。ムクゲは、朝鮮半島で最も大切にされている花の一つです。

全員の献花が終わると、最後に「アリラン」を合唱して、碑前での集いは終了しました。

その後、参加者はダムの堰堤に移動し、四車ユキ子さんのお話を聞きました。

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中学校の教師時代から「高暮ダムの歴史」の掘り起こしに参加されてきた四車さんは、例年は、この場で参加者に高暮ダムの歴史について詳しく話されますが、今年は猛暑ということもあり、短めの話となりました。しかし、「朝鮮学校の生徒がこの堰堤に立つとき、『私の祖父がこの堰堤の底に眠っているかもしれない』と靴を脱いだことを紹介したところ日本人の子どもが靴を脱ぐかどうか迷った時に父が『靴は脱がんでもいいが、心の靴は脱いで渡れよ』と言った」という「心の靴を脱いで」と題した話は、今年もされました。

「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」前での行事は、すべて終了し、旧高暮小学校を活用した「ふるさと村高暮」に全員が移動し、ここで「追悼碑」建立のために尽力された旧高野町長田中五郎さんのお話を聞き、全ての行事は終了しました。

李実根さんが、初めてこの高暮の地に足を踏み入れたのは、1975年9月5日。それ以来、地元の人たちとも協力して、高暮ダム建設における朝鮮人強制労働の実態が掘り起こされ、その後多くの人たちの努力によって1995年5月に高暮ダムの堰堤が間近に見下ろせるこの地に「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」が建立されました。李さんの努力なしには、実現しなかったことです。

最後に碑の裏面に刻まれた文章の一部を紹介します。

「われわれは、過去の日本が行ってきた朝鮮半島の植民地支配が、このような悲劇を生んだことを反省するとともに、日本とアジアの平和を守る決意を新たにし、日本と朝鮮の両民族の変わらぬ友好を誓うものである。」

碑が建立されて35年が過ぎましたが、果たしてこの誓いはどれだけ実現しているでしょうか。そのことを改めて反省させられることになった今年の「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」前「高暮平和の集い」でした。

いのちとうとし

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2020年8月25日 (火)

難しい問題なら、まずは元を断つこと

北海道の寿都(すっつ)町長が、原発の使用済み燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場に応募することを検討しているという問題。この国の行政が上から下まで、まさに「今だけ、金だけ、自分だけ」の「3だけ主義」に汚染されているとしか思えてならないのです。

手元に、1998年1月14日に福岡市で開催された「高レベル放射性廃棄物処分への今後の取組みに関する意見交換会(第5回)」という資料があります。もう20年以上前の物ですから、表紙は日焼けして茶色に変色しています。

僕は、この意見交換会に地域参加者として推薦され参加しました。この時の一般傍聴者は、応募者が214名、当選者が150名という厳しい難関を通ってきた人でした。

ちなみに第1回は、前年の9月に大阪市で開催されています。今は会の名前は変わりましたが、同じような説明会が全国で開催されています。しかし傍聴者が少なく、学生に日当を支払って動員して形に整えるしかなったということは、数年前に大きな社会問題になりました。

最初の頃は多くの人たちが関心をして傍聴していたのに、今は何故それが無くなったのか。それは20年間この高レベル放射性廃棄物の処分方法について、まったく新しい考えや政策の変更、すぐに変更しないにしても市民の意見を聞こうともしないことにあると思うのです。

高レベル放射性廃棄物の処分は、難しく困難な問題だとしながら、その量を減らすことも、そもそも出すこと自体を変えようとしない。

「申しわけない。これまでの政策の間違いから、高レベル放射性廃棄物が溜まりました。もうこれ以上は出すことはしませんから、現在存在している物の扱いをみんなで考えてください」というのなら、まだ考えてみようという気になるかとも思いまが。

また政策は主に国の経済産業省が決め、その実行は特別法によって作られた、原子力発電環境整備機構(NUMO)が行います。ここで働いている人の多くは、中国電力など地域の電力会社からの出向者が多く、大過なく数年間を過ごして早く元に戻りたい、これが本音ではないでしょうか。

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「難しい困難だ!」としながらも、原発を推進し、再稼働も新設も高レベル放射性廃棄物を作る前提である再処理事業も行うというのでは、誰が理解をするでしょうか。もうこれ以上は増やさないというのがなければ、誰も本気で考えないでしょう。

寿都町には文献調査に応じるだけで、最大20億円入ります。調査が実施されている期間は年20億円で70億円、そして最終的に処分場になるまで何年かかるというのでしょうか。そしてこの町長、「町民の反対意見は聞くけど、町外からのは聞かない」と話しているようです。決して核燃料サイクル政策に協力するとは言いません。

現在71歳の町長、もし処分場が完成したとしても、その時に町長は間違いなく、この世の人ではないでしょうね。

 木原省治

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2020年8月24日 (月)

安保法制に反対する府中市民の会の8.19リレートーク

府中市の小川敏男さんから、「府中市民の会の8.19行動」の写真とともに次の原稿が送られてきました。小川さんの了解をいただきましたので、紹介します。


今年は戦後75年、広島の暑い夏が終わりました。今年は新型コロナウイルス対策のため平和祈念式典などの行事に参加できませんでした。そこで阿川弘之さんの「春の城」を読んでみました。いまや阿川弘之さんより娘さんの阿川佐和子の方が有名です。土曜日の朝7時30分からの「サワコの朝」を見ておられる方も多いと思います。肝心な小説「春の城」のことですが、内容は第二次世界大戦という激動の時代を生きた青春物語です。広島の原爆の惨状などが詳しく書かれていますが、戦争の状況について次のように書かれています。

大学を卒業と同時に海軍の軍務に服し、コロナウイルス発祥の地・武漢(漢口)へ派遣されますが、その地の海軍の状況を『海軍士官専用の慰安所がある。参謀達もその他の士官達も、連夜此処で酒と歌と女で暮らしていた。耕二も着任後屡々(しばしば)此処へ遊びに通ったが、比島沖海戦の終わった頃、知らない民間人から『毎晩あの馬鹿騒ぎでは、海軍も負けるのが当たり前ですね』と云われ、なさけない気がして、それ以来ふっつり行くのを止めて了(しま)った。」と。

比島沖海戦とは、1944年10月23日~26日、フィリピン周辺海域で行われた日米両艦隊による海戦で、参加兵力(日本側水上艦艇77隻、飛行機約700機、アメリカ側152隻、約1300機)、先頭距離、死傷者数などにおいて史上最大の海戦と言われている。 

8月8日付の中国新聞には、一橋大名誉教授(東京大空襲記念館の館長でもある)吉田裕(ゆたか)さんの「日中戦争以降の全ての日本人の戦没者は軍人と民間人を合わせて約310万人だった。戦艦大和などの艦船の沈没による戦死者が約36万人にもなっている」との記事が掲載されていました。

 片や毎晩の馬鹿騒ぎ、片や海軍の艦船の沈没による戦死者が約36万人。いろんな行事に参加はできませんでしたが小説「春の城」を読んで学ぶことは多いと思ったところです。

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そして8月15日夜に放映されたNHKの「忘れられた戦後補償」では、「国家総動員体制で行われた日本の戦争で310万の日本人が命を落としたが、そのうち80万は民間人だった。しかし、国は民間被害者への補償を避け続けてきた。一方、戦前、軍事同盟を結んでいたドイツやイタリアは、軍人と民間人を区別することなく補償の対象として補償してきた」という内容をとりあげていました。

この「忘れられた戦後補償」は、「軍人と民間人を区別しないドイツとイタリアと、民間人を補償の対象としない日本の違いは何なのか、国家が進めた戦争の責任を問う」番組でした。日本は軍人や軍属には60兆円の補償がされましたが、空襲被害者などは何も補償されていません。

現在の福島原発の被災者や新型コロナウイルスで休業を求められた商売人の人はわずかしか補償されない理由がよくわかります。日本政府は民間人に冷たく権力に近い人には手厚いというのが戦後一貫国の政治姿勢だということです。

安倍首相は、森友や加計学園に見られる民間人に冷たく権力に近い人には手厚いという政治姿勢を貫き、いま日本の防衛を「専守防衛」から、新しく外国の基地を攻撃する「敵基地攻撃」という方向に変えようとしています。

しかし、8月2日の中国新聞に掲載された全国世論調査では「専守防衛を厳守」が76%だったのに対し「憲法9条を改正し軍隊として明記」は17%だったと報道しています。世論調査結果からも国民は誰も敵基地攻撃を求めていません。安倍首相が進めている敵基地攻撃という新しい方向に反対していきましょう。そのためにも安保法制反対の取り組みにご支援をお願いいたします。

小川敏男


小川さん、ありがとうございました。私もNHKの「忘れられた戦後補償」を同じ思いで見ました。

いのちとうとし

       

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2020年8月22日 (土)

戦後75年の夏 戦争させない決意をあらたに

コロナ禍、猛暑が続く中、6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日、そして、15日の戦没者を追悼し平和を祈念する日を迎え、あらためて不戦を誓う場となりました。8月は、原爆や戦争の悲惨さ、被爆建物の保存などを扱うテレビ番組が多く報道されました。戦争を知らない世代の私たちは、あらゆる機会を通じて戦争の凄惨さを学び、今ある平和の尊さを守りたいです。

8月19日の三原における安倍9条改憲NO!戦争させない「19日行動」は、三原駅前に20人が参加して、安倍政権の戦争する国づくりに対峙し、平和への誓いを新たにしました。

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マイクを持った4名の市議会議員(寺田元子さん・政平智春さん・高木武子さん・安藤志保さん)ら7人のスピーカーは「5年前の安保法制(戦争法)強行採決」、「75年前の戦争の惨禍」、「日本軍によるアジアへの侵略戦争・日本の加害責任」など歴史的事実を忘れてはならない。私たちは、戦争に突き進もうとする勢力に厳しい目を向け、再び戦争を起こすことのないように政治に関心を持ちましょう!」などと訴えました。

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8月6日に原爆ドームを囲むアピール行動に小学生の孫と参加した岡崎敏彦さんは、戦争で人を殺すことも、殺されることもないよう次代に平和を引き継がなければならない。「戦争NO!」の声を上げていこう。と熱くアピールしました。

最後に事務局(藤本)から、「来月9月は戦争法強行採決から5年目となります。さらにギアアップした街頭宣伝活動にしていきましょう。」とまとめをして行動を終了しました。

せっかくの機会なので「黒い雨」裁判について投稿させていただきます。ご承知のように、原告全員を被爆者と認定し、被爆者健康手帳の交付を命じる判決を言い渡した広島地裁に対して、国および広島県・広島市は812日、高裁に控訴しました。被爆75年をかけた被爆者の苦しみ・思いを踏みにじるものであり憤りを感じます。

16年前の9月にガンで亡くなった私の母は、近所におられた被爆者の方の再三にわたる勧めもあり、1975年(昭和50年)に被爆者健康手帳を取得し、健康管理手当や医療費など健康維持のために支援を受けてきました。母は病院に行くたびに「手帳があるので大変ありがたい」と口癖のように話していました。今回の「黒い雨」裁判での国の控訴のニュースを聞いて、思わずアルバムから母の被爆者健康手帳の写しを取り出しました。

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広島県原水禁・広島県平和運動センターの事務局で走り続けた5年間、そして退いた今も、核も戦争もない平和な社会の実現に向け、微力ながら三原の地で戦争をさせない運動をがんばり続けていきたいです。「戦争をさせない1000人委員会」の旗を県内各地で掲げましょう!

藤本講治

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2020年8月16日 (日)

原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい

島文学資料保全の会・広島花幻忌の会・四國五郎追悼の会が共催し、2002年から毎年8月15日に開催されてきた「8・15のつどい」が、今年も昨日開催されました。

8月6日が過ぎるとすべての活動が休止したような状況に置かれる広島で、終戦記念日(と言われている)の8月15日に「ヒロシマの意味を問い直す」ための企画です。

主催者には、「広島は、原爆で多くの市民が犠牲となった都市ですが、同時に、大陸にむけての軍事都市であったことを忘れてはならない」という強い思いがあります。

昨年は、台風が接近通過する中、新幹線はもとより市内電車・バスなど交通機関が全面ストップするという悪条件でしたが、主催者の強い思いで挙行されました。前日から広島入りをしておられた俳優の木内みどりさんによる「おこりじぞう」の朗読・対談が行われました。私は、会場が近いということもあり、参加をしました。

今年は、初めて屋外に会場が設けられました。「全棟の保存・活用」が大きな課題となっている旧陸軍被服支廠です。

一日で最も暑い午後2時半からのスタートでした。テントはあるものの被服支廠の建物の影はまだ届かず、暑さが身に沁みます。

土屋時子さんの司会で始まった「つどい」のオープニングは、花幻忌の会の大学生、高校生による原民喜の詩朗読。原爆小景から「日ノクレチカク」「コレガ人間ナノデス」そして「永遠のみどり」の三編です。

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次に朝鮮半島の伝統的民族打楽器「チャンゴ」の演奏です。鎮魂の思いを込めての演奏は、私の友人でもある裵学泰さんです。民族衣装に身を包んだ裵さんの演奏にはいつも感動を覚えます。後で「タイトルは?」と聞くと「この日のため自分で作った曲だから、特にタイトルは付けていません」とのことでした。

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つづいて、四國五郎さんの「わが青春の記録」に掲載された「就職」の朗読。朗読者は西田勝彦さん。初めて知ったのですが、四國五郎さんは、15歳から召集を受けるまでの約5年間、この陸軍被服支廠で働いていたということです。当時、廠内誌に特技を生かし、挿絵をたくさん書いていたことが紹介されました。

続いて、今田洋二さんによるバリトンの独唱です。四國五郎さんが、亡くなった弟さんへの鎮魂の思いを込めて作詞したとされる「奪われたもの」と「灯ろう流し」の2曲です。いずれも作曲は、今田さんの歌のピアノ伴奏を務められる山下雅春さんです。

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心にしみる歌声でした。

次は、栗原貞子さんの詩「ヒロシマというとき」の朗読です。朗読者は、NHKの杉浦圭子さん。読み終えて杉浦さんは「この詩は、1972年5月、沖縄が返還された時に作られた詩です。栗原さんには生前に一度だけ会いました。ある集会でのことです。そこで栗原さんは、『戦争遂行者の強者だけを追及するだけではなく自分の加害者の側面を考えてきた』と話されたことが印象に残っています」と栗原さんとの出会いを紹介されました。栗原貞子さんの詩は、今日の企画にふさわしい詩だと思います。

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さらに詩の朗読が続きました。被爆者林幸子さん作詞「ヒロシマの空」です。朗読者はお孫さんの中山涼子さん。

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次に峠三吉の「倉庫の記録」の朗読です。どうしてもこの場所ではこの詩の朗読を逃すことはできません。朗読者は、2017年12月に原爆詩人峠三吉の半生を題材にした市民劇「河」を演じたメンバーです。

そしてこのメンバーによって、峠三吉の原爆詩集の「序」「ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/へいわをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんの にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ」が高らかに詠われて、「原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい」は終了しました。

途中から暑さで頭も少しぼーっとしながらのメモ・記憶ですので、間違いがあるかもしれません。

この「つどい」は、2002年以来、昨年までは袋町の市民交流プラザで開催されていましたが、今年は「広島の原点 旧陸軍・被服支廠の全棟保存・活用を考える」ということで、この会場が選ばれました。この夏一番とも思える暑さでしたが、そんな思いを共有する人たち約100人が集まりました。

いのちとうとし

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