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2021年2月19日 (金)

学徒動員と原爆被爆その1-島根県の動員実態

島根県から呉に学徒動員され被爆した人たちのことを詳しく知りたいと思い、島根県立図書館に「島根学徒報国隊の動員の全体状況を記したものはないですか」と調査依頼をしました。数日後、詳しい情報を記したメールが返ってきました。一つにまとめられた資料はなく、当時の新聞や各学校の「学校史」等を丹念に調べていただいたことがわかります。島根県立図書館から提供を受けた情報をもとに、「島根学徒報国隊」について紹介します。

島根県でも、1944年(昭和19年)118日に出された「緊急学徒勤労動員方策要綱」、同年2月25日の「決戦非常措置要綱」により、県下の各旧制中学校・高等女学校から、県内外の工場に生徒が動員されました。そのうち、呉市の海軍工廠に派遣された生徒たちを「島根学徒報国隊」と呼んでいたようです。呉への動員が決まったのは、1944年(昭和19年)927日の中等学校校長会議です。そして、島根を出発したのは、それからわずか一週間後の10月5日と7日に分かれて出発しています。決定から派遣まで、非常に短期間ですので、生徒や家族にとって、準備などが大変だったことが想像できます。出発時の任期は、翌年1945年2月末までとなっていましたが、実際には多くの生徒が、終戦時まで呉に動員されたままだったようです。

Photo_20210218182501

呉海軍工廠廣支廠

「松江北高等学校百年史」には、出発時の様子が「出雲部の動員学徒は一〇月五日夜、伯備線経由の臨時列車で、県外通年動員学徒の第一陣として呉方面に向った」「松江中学四年生の学徒報国隊は、呉市広町の第一一海軍航空廠に配属を割当られた」と記載されています。

問題は、島根から何人が動員されたかということです。「『島根新聞』昭和199292面」には、「島根学徒報国隊」の各学校から派遣された生徒数が記載されています。それによれば、松江、隠岐、そして津和野までの全県の13校から約1500人の生徒が動員されたことがわかります。私が以前このブログに書いた大社中学校からも130人が動員されています。

ところが、この13校の中には、島根県からの学徒動員のことを調べるきっかけとなった「益田高等女学校」の名前が入っていません。派遣時期が異なっていたのかもしれません。改めて、島根県立図書館に「益田高等女学校のことの記録はありませんか」と問い合わせたところ、「益田高等学校百年史」に次のような記載がありましたと回答がありました。「『四年生は二クラスで一一三名、(中略)残り約一〇〇人が島根学徒報国隊として呉に向かった。引率は交代で五名の教師が当たっている。(中略)動員期間は『県の指令では三ヶ月となっていたが、実際は五ヶ月以上』に及んだし、卒業後も「女子挺身隊」として勤め続けたようである。」

島県立図書館からの情報によれば、島根新聞に記載された学校以外に、益田高等女学校だけでなく今市裁縫女学校や島根師範学校の高史に「呉への学徒動員があった」ことの記載があるようです。このことから、島根県から1600人を超える生徒たちが、「島根学徒報国隊」の名によって、呉市の海軍工廠には動員されていたことが確認できました。

次に知りたいこと(最も知りたいことですが)は、この「島根学徒報国隊」の生徒たちのうち何人が被爆したのかという被爆者の問題です。

島根新聞によれば、この学徒動員の対象学年は、4年生だったと書かれています。当時の旧制中学(旧制中学校、高等女学校、実業高校)は、5年生だったようですので、任期となっていた翌年(1945年)2月を過ぎても、そのまま動員が続いたことが想像できます。ただ島根県立図書館のメールには、「出雲商業高校史」によればということで「著者は昭和20620日に出雲へ帰っており、呉空襲や原爆について詳しいことは書かれていません。」という情報も記載されていましたので、動員されていた全生徒が、終戦の日まで呉で作業に従事していたかどうかは、はっきりしません。終戦時に何人の学徒動員の生徒が、呉海軍工廠に残っていたのかの資料をさがしているのですが、まだ見つけることが出来ていません。

しかし、後日紹介する「被爆体験記」によれば多くの生徒たちが、呉で終戦を迎え、広島駅を経由した帰郷したことがわかります。やはり、これが島根県に入市被爆者が多い原因だと思われます。

呉の海軍工廠への学徒動員の実態を調べていると、隣の鳥取県からも学徒動員によって多くの生徒が、呉に動員されていることがわかりました。明日は、その実態を紹介します。

いのちとうとし

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