「広島ブログ」

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2021年2月

2021年2月28日 (日)

2月のブルーベリー農園その4(東広島市豊栄町)

2月26日に雨が降った。27日に農園にいつもの週末農業で午後到着してツバキやスイセンその他の様子を見て回ると23日には見られなかったこれらの植物の春待つ準備が目に見えて進んでいた。菜の花まで咲き始めていた。26日の雨が急げ急げと急かせてくれたのだろうか。今回の農園の様子は27日の一日だけの紹介だが、冬バイバイの植物の姿に出会えた農作業だった。しばらくキジの姿が見えない。

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21日には蕾から赤色をのぞかせていたこのツバキは花開いたあとで花弁が野鳥に食べられてギザギザな姿。それでも花色は鮮やか。

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ブルーベリー畑のそばの花壇に一輪菜の花が一気い伸び開花。

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スイセンも元気のいい株から蕾がすくすくと顔を出す。

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シデコブシの綿毛の蕾もだんだんと大きく膨らむ。

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晩生のブルーベリーの枝も先っぽにつぶつぶした花芽が遠目にもわかるようになる。

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2月は農園に着いたら最初に竹を30分くらいかけて伐採することにしている。切っただけ見通しが良くなり日差しも入ってくる。

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ブルーベリーの剪定。太い枝は鋸で切る。

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今シーズンの剪定の方法が少し変わった。写真のように上から下に流れに沿ってまっすぐに切る。この方が植物ホルモンの流れが良くなり切ったところの修復が早くなるようだ。

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悪い例がこちらで樹液の流れがいびつになり回復が遅くなる。いわゆるでべそな切り方はダメだそうだ。

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切った枝がたまる。これでざっと100本分か。

 

2021年2月28日

社会福祉法人安芸の郷

 理事長 遊川和良

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2021年2月27日 (土)

コロナ禍後の不安

つい先日、ワクチンの接種が開始され、新型コロナウィルスは多少落ち着きを見せ始めたものの、この頃多くの人々の貧困問題が顕著になってきています。特にサービス業に就業していた人は相当苦境に立たされています。それでも、インバウンドが激減したため採算とれなくなった業者に対して、「今まで海外からの客に頼っていたから、そんな目に遭うんだ」と自己責任論で片付けられたりしています。

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そういえば、自分もかつては海外とばかり取引のある旅行代理店に勤めており、ネットの情報で知る限り、担当していた中国・アジア部門はなくなり、看板になるブランド商品企画は他社へ売却され、先行き不透明な有様のようです。もしも同じ会社に勤め続けていたら、中年と呼ばれるこの歳で失業し、路頭に迷っていたかもしれません。全く他人事ではありません。

 そのくせ東証株価は急上昇し、一部の者でマネーゲームがなされそうな感じ。過去にバブル経済崩壊後の就職氷河期を体験し、リーマンショックを見てきたけど、どちらも自己責任の名の下に、貧困と富裕の格差を広めた結果となりました。これまで何とかこの2つの困難をくぐりぬけた人もついに生活苦に陥ったりしています。

女性が貧困による自殺も増えてきており、コロナ禍が収束しても、こういった人々は置き去りにされるのでしょうか。明日は我が身と、いつも不安にさいなまれています。

 Mumei

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2021年2月26日 (金)

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」 ――怒りを発信することも私たちの義務です――

「県民を舐めるな! 有権者を馬鹿にするな!」

――怒りを発信することも私たちの義務です――

 

「舐めるな」とか「馬鹿にするな」という表現を使う機会はあまり多くはないのですが、使わなくてはならない場合には使うことが大事です。

森友や加計、そして桜を見る会等が有耶無耶の内に忘却の彼方に放り出されてしまっている感のある今、権力者・為政者による過去のスキャンダルそして違法行為を反省し、「国民全体の奉仕者」としての仕事を懸命にこなしていて当然の政治家や高級閣僚たちが、さらには国民の意思を代弁して当然の政党も、またまた目に余るスキャンダルを繰り返しています。

そんな気持を、論理的にかつ明快にまとめてくれたのが、広島地検の元刑事部部長そして元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士です。ヤフーニュースへの投稿、「参院広島選挙区再選挙、自民党は、広島県民を舐めてはならない」が、的確に問題の本質を抉ってくれています。詳しくは、このヤフーサイトを御覧頂きたいのですが、サワリだけ引用しておきましょう。

「広島県政界に広く現金がばら撒かれたこの事件は、まさに党の組織としての重大不祥事である。1億5000万円の選挙資金と現金買収の原資との関係や、安倍氏や菅氏の案里氏の立候補及び選挙運動への関与や認識などを明らかにし、また、広島県政界に事件が波及した構造を解明して、是正を図らなければ、自民党が公正な選挙を行うことへの信頼も期待もあり得ない。」

こうした努力は全く行わずに、「候補を一本化」することが、この不祥事に対する答だとの主張を行っている自民党の県連は、今回の「再選挙」の意味を無視し、選挙とは「政局」つまり、権力闘争の一場面であるとしか考えていないことを示しています。

単純化してまとめておくと、「一本化」に理解を示す人たちは、片や「岸田派」(岸田総理を実現させたい人たち)、こなた「菅派」(安部から菅というラインを作りたかった人たち)の抗争という図式で次の選挙を考えているからなのではないでしょうか。2019年の参議院選挙で、自民党が二人の候補を立てることになったのは、この抗争での「岸田派」の敗北を意味している。この抗争の次の回、つまり参議院再選挙で勝つためには、「岸田派」がまとまって、「候補を一本化」することが必要だ、と言っているに等しいではありませんか。

それは、選挙そのものの意味、民主主義と国民主権についての自民党の基本姿勢を具体的に示している行動だと言っても言い過ぎではないでしょう。

再び郷原氏に登場して貰うと、

「自民党が、広島県の政界の体質に目を向けることなく、単に、過去の与野党の票差と、野党側の選挙事情だけに目を向けて、再選挙に公認候補者を擁立しようとしているとすれば、広島県民を舐めきった「思い上がり」以外の何物でもない。」

自民党は再選挙に公認候補を出すという決定をしたのですから、郷原氏の結論、「広島県民を舐めきった」行為であることが証明されました。公認候補を擁立して選挙運動をする中には、河井夫妻から金を貰った現職の自民党議員が含まれています。そんな選挙で自民党候補に一票を入れることは、今以上に「舐められる」ことになるのですから、そんな選択をする人は少数だと思いますが、それだけで良いのでしょうか。

静かに、「粛々と」投票するだけではなく、声を大にして「人を舐めるのも好い加減にしろ!」と叫ぶことも必要なのではないでしょうか。

私たちの目の前にある政治腐敗は、河井夫妻の買収事件だけではありません。少しは改善されたように見える、新型コロナの感染も、まだまだ問題です。中止すべきだと考える市民が多数を占めているオリンピックを、ゴリ押しして開催しようとする内閣も組織委員会も、国民を甘く見ています。こうした重要案件を抱えて、誠心誠意、主権者である国民との対話を重んじ、より良い解決策を策定しなくてはならないにもかかわらず、与党議員たちもその下支えをすべき高級官僚たちの為体 (ていたらく) も、目を覆うべき状態です。

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総務省の官僚たちが菅総理大臣の長男の勤める東北新社から受けていた接待が、常識外れであることは改めて指摘するまでもないでしょう。それだけではなく、『週刊文春』が音声を公開していなければ、「記憶にない」等の虚偽の答弁を弄することは、森友・加計・桜から連綿と続く、「隠蔽」「言い逃れ」「知らぬ存ぜぬ」「記憶にない」等々の「悪事隠し」の手法は、国民を馬鹿にしているとしか言いようがありません。

仮に事実を認めても、せいぜい減給とか訓告・戒告等が主なものになり、重くて辞職です。罰則はないのも同然なのですが、私たちはそれに慣らされてしまっています。法律や制度がそうなっているからなのですが、そこから見直す必要があるのかもしれません。

この際、もう一度憲法を読んでお浚いしておきましょう。まず15条です。

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

国会議員も公務員という立場なのですが、通常の公務員も当然、15条に縛られます。高額の接待を受けること自体、「全体の奉仕者」としての意識の欠如なくしてはあり得ません。それでもう憲法違反です。重い罪でなくて何でしょうか。

さらに、12条が重要です。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

公務員の人事権を持つという「権利」も、「不断の努力」で守り続けなくてはならないのです。公務員が、全体の奉仕者としての立場を捨て、自分たちの持つ権力に驕っている場合、私たちが「怒り」をエネルギー源として、断固たる姿勢を示すことは、12条を遵守するための「義務」だとも考えられるのですが、如何でしょうか。

 [2021/2/26 イライザ]

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2021年2月25日 (木)

島根原発が立地する松江市の市議会議員選挙

 原子力規制委員会による島根原発2号機の規制基準適合性審査の「合格」が、今年中に出るのではないかといわれる中、4月11日告示、18日投票の予定で松江市長選挙と市議会議員選挙が行われます。

この大事な市議会議員選挙に、「島根原発増設反対運動」の声を届けるために立候補を予定されている芦原康江さんに松江市が抱える課題を聞きました。

 芦原さんが原発に反対したキッカケは?

 高校生の頃だったと思います。新聞に小さな記事で「鹿島(かしま)町(現・松江市鹿島町)、に原発が建設される」というのを見つけました。原子力という言葉に、広島に投下された原子爆弾のことがダブり、漠然とした原子力に対する不安感を感じました。その後、2号機増設問題が起こった時、子どもが3~4歳頃だったと思いますが、久米三四郎さんの講演を聞きました。久米さんの話しを聞いたのが大きなキッカケとなりました。

 今年は原子力規制委員会による審査で、2号機が「合格」になるという報道がされていますが、改めてそのあたりの状況を教えてください。

福島原発事故発生から2年が経った13年12月に、中国電力は「規制基準適合審査(再稼働)申請」を行いました。7年以上が経過し、大きな問題点の審査は、ほぼ終えたとされています。私の予想では、4月の市長と市議会議員選挙が終われば5月頃に「合格」が出るのではないかと思っています。でも延びる可能性はあります。

原子力規制委員会は自らも言ってますが、規制基準に合格したからといって、その原発の安全を保証するものではないとしています。

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島根原発の問題点は何でしょうか?

原発共通の問題点は別にして、島根県の三瓶山・鳥取県大山の火山噴火による影響の問題、地震の問題、津波の問題があります。昨年12月に大阪地裁で関西電力に対し、大飯原発の基準地震動の「ばらつき」問題で、設置許可を取り消す判決が出ましたが、このことは島根原発でも共通して抱えている問題です。

また大きな問題は避難のことです。島根原発から30キロ圏内には約46万人の人が住んでいます。この人たちは島根県西部、鳥取県東部に、そして岡山県や広島県に避難することになりますが、立地上の困難さ、コロナ禍、気象条件などを考えれば実効性のある避難は不可能だと思います。避難計画は原子力規制委員会の審査の対象ではないと逃げられるでしょうが、今後は30キロ内自治体はもとより、避難先の自治体に「再稼働を容認しないで」という声を届けることだと考えます。

そのために、米子・境港・雲南市などで住民投票条例の制定に向けての活動が準備されています。

市民の原発に対する気持ちはどうでしょうか?

原発に対する不安感はあります。しかしどこの立地自治体でも同様だと思いますが、原発関連の仕事に就いている人が多く、特に原発の在る鹿島町ではその傾向が強くあります。でも公けには言わなくても、一対一で話せば原発への不安を語る人はいます。

 

松江市は、全国で唯一の県庁所在地に原発が立地するという自治体です。隣の県の市議会議員選挙ですが、「島根原発再稼働反対」を訴える私たちにとって、関心を持たなければならない選挙です。

木原省治

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2021年2月24日 (水)

「軍都と被爆の証人 広島城」散策

コロナが若干落ち着いたかのように見えた昨年の10月のある日、通りかかった広島城を散策しました。天守閣はもともと見学するつもりはなかったのですが、Go Toの関係か人列ができていました。

2017年11月に原水禁学校のフィールドワークで訪れて以来の散策でした。入口から御門橋を渡り二の丸付近に被爆樹木の一つユーカリは今も生き残っています。

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 今回は旧大本営跡と防空作戦室跡周辺を再訪しました。

大本営が置かれる前に歩兵、砲兵、工兵等で構成された第五師団が広島に置かれ、対外戦争への準備のため港や鉄道の整備が着々とおこなわれ軍都広島として位置付けられました。大本営は言うまでもなく日清戦争時、1年半東京から広島に移され明治天皇も広島に入り、戦争の指揮を執り臨時の首都機能を有していました。

2021年度ヒロシマ平和カレンダーでは、6月に掲載があります。 http://www.hipe.jp/

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 防空作戦室は、戦争で学徒動員された比治山高等女学校の女学生たちが働いており、原爆投下により司令部の外にいた70名近くの女学生と先生が亡くなり、半分地下に建てられた防空作戦室に当時当番で居た岡ヨシエさんたちが、原爆投下により元の位置より2m飛ばされ、23分意識を失われた後に助かり、軍事専用電話を使って「広島全滅」の第一報を初めて広島市外に伝えられた場所です。天井の高さは約3mほどで、今でも四つの部屋が比較的良好に遺存されています。

「炎のなかに原爆で逝った級友の25回忌によせて」という体験集には、被爆時の様子が生々しく伝えられています。被爆直後、女学生たちは、親の顔も浮かんでこないほど必死で被爆者の治療に当たられていました。国のために教育され職場でいつでも死ぬ覚悟ができた様子が記されています。

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 防空作戦室はこの写真の石垣の向こう側辺りにあります。

この写真を撮りながら、岡さんたちが原爆投下直後、壕の土手に駆け上がり、瓦礫の街と化した残酷な様子を目にしたとされる場所なのだろうかと勝手に想像しました。

当時は3班に分かれ90名近くが作業に従事されていました。本来は学業に専念できた女学生が、時の政治状況で戦争にかり出され、死と向き合わなければならない、これほど人の尊厳を無視した時代があってはなりません。

このようなことは現在でも似たようなケースがあり、朝鮮学校の無償化裁判で、子どもたちが本来の学業とは別に裁判で争わなければならない部分と重なります。

 広島城の天守閣は原爆の爆風で倒壊し、1958年に再建され今に至っています。現在では、耐震化の問題が浮上し鉄筋コンクリートでの建て替えに対し、木造建築で再建すべきという意見もあるようです。

私はそのことよりも、広島城に来られる観光客に、意外と知られていない軍都広島と被爆当時のこのような出来事の目を向け、学習の場として訪れていただきたいと思います。その意味では、先に全国の新聞社で紹介された2021年度ヒロシマ平和カレンダー「軍都だった廣島」の購入を希望される関東、東北の方々が多くおられることに嬉しく思いました。

なぜ広島に原爆が投下されたのか、広島が軍都として果たしてきた役割と加害の部分を知ってほしいと思います。

安佐南区 輝き

<編集後記>20日の「学徒動員と原爆被爆その2-鳥取県の動員実態」で、「その3」は24日に紹介すると告知していましたが、沢山の原稿が届きましたので、3月2日に延期しました。

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2021年2月23日 (火)

2月のブルーベリー農園その3(東広島市豊栄町)

17~18日に強い寒波がきた。通所事業所の安芸の郷では送迎を行っているが安芸区周辺は幸い道路の凍結はなく通常運行ができて、いよいよ冬の弊害が終わってくれそうなのでほっとしている。ブルーベリー農園は広島県のほぼ真ん中で、標高約400mの場所にあるので18日の寒波で雪が降ったが、20日に農作業にいった時には春のような気温だった。ひたすらブルーベリーの剪定を続ける。

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2月20日(土)。

①.3段ある農園のブルーベリー畑。午後の陽気は春めいている。

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②.庭の片隅のアスファルトの隙間に咲くオオイヌノフグリはロックガーデンの風情。

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③.北川の里山のブルーベリー園では18日の寒波で降った雪が残る。21日にはすっかり消えていた。

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④.一番上のブルーベリー畑の剪定が続く。木の下のヒコバエのカットや、

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⑤.背伸びして手をいっぱい上げて枝を切る。

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2月21日(日)。

①.豊栄町にはホームセンターが2つある。しかも近い距離で。ブルーベリーの太い枝を切るのに使う鋸が切れなくなったので替刃を購入し取り換える。写真下がそれ。上の鋸が竹の伐採用。よく切れないと作業がはかどらないし気分も良くないので道具は大切。

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②.2人とも鋸はよく切れるものにして剪定をする。

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③.剪定の澄んだブルーベリーの列。見通しが良くなる。

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④.農園の庭や里山周辺にはヤブツバキをはじめ花色の違うツバキがある。まん丸のタイプのツバキが色づいている。

 

22日は妻と友人2人が農園に行った。午後2時間ばかりブルーベリーの剪定枝の野焼きを援農。写真はなし。

2021年2月15日

社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2021年2月22日 (月)

三原地区・府中地区の「19の日行動」

三原地区・府中地区では、今月も恒例の「19の日行動」が実施されました。いつものように三原は藤本講治さん、府中地区は小川敏男さんからその様子を知らせるメールが届きましたので、あわせて紹介します。


三原地区

三原市民行動「19日行動」は,2月20日(土曜日)午後1時30分から1時間、20人が参加し三原駅前で実施しました。

7人の弁士が、次々とマイクを握り、菅首相のお粗末な政権運営や憲法無視の国会,やりたい放題の政治の状況について厳しく批判するとともに、いっしょに声を上げていただくよう強く訴えました。

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その中で、元三原市議の岡崎敏彦さんは,「日本国憲法が作られて74年目,改めて憲法前文と9条をしっかりと読み直していきましょう。」と呼びかけながら、宇都宮徳馬自民党元参議院議員が定期発行されていた「軍縮」に書かれていた「日本の危機管理は,いかなる場合も平和憲法と非核三原則の枠を越えてはならない」という言葉を紹介し,「大変重みのある言葉です。日本の安全保障の絶対守らなければならない大原則であると思います。そしてこの提言は、今、私達に対して、憲法がどういうものなのか,今,政治はどうかかわるべきか,私たちはどういうところに置かれているのかをしっかりと考えなければならないと投げかけているのです。」と熱く訴えました。

私は、今日も司会をしていましたが、いつもながら岡崎さんのアピールには,共感と学ぶことが多くありました。

府中地区

府中地区の「19日行動」は、定例の19日(金曜日)に、いつものように午後3時から上下Aコープ前、午後4時30分から府中天満屋前でスタンディングとリレートークを行いました。上下の行動参加者は8人でうち5人がアピールをしました。府中の行動参加者は10人で故これも5人がリレーでアピールしました。

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コロナ対策の問題とともに、特に力を入れて訴えたのは、河井夫妻の買収問題です。「府中市でいま問題なのは、『岡崎県議』の問題です。河井克行・案里議員の大規模な買収事件です。多くの市民が河井議員からもらった50万円は『なぜもらったのか、お金をもらって』もおかしいお金だと思わなかったでしょうか。いまだに説明もしていない。議員辞職もしない。多くの市民は議員辞職しろと言っています。しかし、岡崎県議は市民に全く説明をしていません。4月には参議院補欠選挙があります。わからない。知らない。関係ない。は認めたことになるそうです。一人ひとりが声を上げましょう。」

最後に石岡真由海さんが、前の弁士が訴えた「鶏卵生産会社アキタフーズの汚職事件で元農林大臣が収賄罪で起訴されたこと、緊急事態宣言下で自民党と公明党幹部による銀座のクラブ通いが明るみになり自民党を離党したこと、菅首相の長男の接待疑惑問題」を改めて訴えるとともに「安保法制が無くならない限り来月もこの場にお邪魔します」とあいさつし、それぞれの場所でのリレートークを終えました。車窓から手を振っての応援に私たちも手を振り返し元気にスタンディングとなりました。


いのちとうとし

<編集後記>この内容は、送られてきた情報をもとに編集者が作成したものです。文責は、編集者にあります。

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2021年2月21日 (日)

世界における広島の役割 ――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

世界における広島の役割

――広島市の平和推進条例は世界の期待に応える義務があります――

 

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日の本欄では、15日に原水禁が市議会議長に提出した「意見と要望」を全文掲載しました。またその際に口頭で行った補足の要望や議長の反応等については、217日に金子代表委員からの報告がありました。

 念のため、意見募集についての市議会サイトのURLを貼り付けます。条例の素案は、そこから入ることができます。

 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/gikai/199719.html

 今回は改めて、世界という舞台上で「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」がどんな役割を果すのか、特に世界からどのような期待を持たれているのかという視点からこの条例素案を取り上げたいと思います。厳しい内容になりますが、それは、世界において広島の占める重要性の反映ですので、御理解頂ければと思います。

まず、女性蔑視発言で世界中から批判された、森喜朗元組織委員会会長の発言を考えましょう。この発言が世界的に注目されたのは、オリンピックが世界的に重要なイベントだからですし、東京開催も同様に関心の的になっているからです。仮にこの発言が、日本国内でもあまり名の知られていない、保守的で小さな町のボランティア団体会長の発言だったとすれば、その町で良く読ませている地方紙でさえ、報道しなかったのではないでしょうか。

 広島が世界的な存在であることは、例えば、広島への原爆投下が、AP通信社による「20世紀の最大のニュース100選」のトップとして選ばれていることからも分ります。仮にオリンピックと比べたとして、広島が同じくらい、あるいはそれ以上の位置付けになる可能性は、クロアチアのビオグラード・ナ・モルという都市の市民たちが広島に寄せる思いだけからも容易に推測できます。

 

(以下、『ヒロシマ市長』(秋葉忠利著・朝日新聞出版)131ページから引用)

 「ここでは、もう一つの(平和市長会議)副会長都市、クロアチアのビオグラード・ナ・モル市のユニークな活動だけ取り上げておきたい。「海に面した白い町」という意味の美しい街で、人口は約六〇〇〇人。古くから、アドリア海に面した観光地として知られているが、クロアチア紛争の際には、セルビア軍による攻撃でかなりの被害をこうむった。その体験から、戦争を繰り返さないこと、とくに核兵器の廃絶のためには熱心な都市になった。「観光」と「平和」が自然に結びついたよい例だろう。広島や長崎についてもいろいろと勉強し、中でも「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんと折り鶴の物語に、多くの子どもたちが感動したそうだ。この気持を表現するためにビオグラード・ナ・モル市のイヴァン・クネッツ市長は、折り鶴の碑を建てることにした。鉄製の五メートルほどの美しい碑である。

その除幕式では、市内のすべての子どもたちが折った折り鶴をこの碑の前に捧げることを計画した。子どもたちに鶴の折り方を教えたのは学校の先生だが、子どもたちは家に帰ってからも鶴を折る練習をしたらしい。子どもたちの練習を助けるためにお父さんやお母さんたちも鶴の折り方を習った。その結果、ビオグラード・ナ・モル市のすべての市民が鶴を折れるようになった。そう報告してくれたのは同市の国際・平和担当のヤスミンカ・バリョさんだった。」

 

一つの都市の子どもたち、その気持ちを汲んだ市長、学校の先生、そして保護者達全市民を巻き込んだこのような活動を可能にする力を「広島」は持っているのです。比較することが適切ではないかもしれませんが、オリンピックを凌駕していると考えることも可能なのではないでしょうか。

 ですから、ビオグラード・ナ・モル市の市民は広島市の「平和推進条例」に高い関心を持つはずです。それだけではなく、今や加盟都市が1万に近付いている平和首長会議の他のメンバー都市やその市民たちも同じように注目するでしょう。

 一例を挙げると、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジ市には、予算を付けた「平和委員会」があります。元々は、「核軍縮と平和教育のための委員会」でしたが、発展的に今の名前になりました。この委員会は、具体的な活動内容まで条例で決め、市民ボランティアから委員が選ばれています。そしてこの委員会の人事については市長にアドバイスをすること、逆に諮問を受けることなども仕事の一部になっています。世界的には他の都市でも同じような条例を作っていますので、広島の条例に対する関心は非常に高いはずです。

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ケンブリッジ市平和委員会の行事の一つ

 なぜならこの条例は、被爆後の75年以上の歴史の中で「世界の広島」において初めて作られる「平和推進」についての条例だからです。文書化されることに注目すると、文書として広島市が公式にまとめている、毎年86日の「平和宣言」の総まとめとしての役割を果すことになります。70年以上の「平和宣言」には、被爆者や市民、そして広島に心を寄せる世界中の人々の思いが込められています。その全てを条例の中に詳しく再現することは不可能ですが、その理想や精神は、条例の前文として格調高く述べられてしかるべきなのではないでしょうか。

 さらに重要なのは、「平和宣言」の持つ意味が如何に大きいものだったにしろ、「平和宣言」には法的拘束力がないという点です。森発言も法的拘束力を持たない、組織委員会の一人の役員の言葉です。仮に法的拘束力を持つ文書に、同じ内容が盛り込まれていたとしたら、その意味は全く異なっていたはずです。

この観点からも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の素案を考える必要があるのではないでしょうか。まず、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」では、原水禁の「意見と要望」が指摘しているように、中心になっているのが、市民が行政に協力する義務と、表現の自由に抵触する可能性の高い「厳粛」つまり「自粛」なのです。

 条例素案の欠陥を是正するだけではなく、人類史的な立場、世界的立場からもお手本にしたいと言われるような内容にできないものでしょうか。全市民は勿論のこと、詩人や文学者も含めて、平和と広島に関心を持つ広島以外の識者や市民にも加わって貰うことで、「お手本」を作ることは今からでも遅くはないはずです。

[2021/2/21 イライザ]

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2021年2月20日 (土)

学徒動員と原爆被爆その2-鳥取県の動員実態

島根県から呉の海軍工廠への動員実態が、ほぼ把握できたことから、次に調べてみようと思ったのは、「呉海軍工廠への学徒動員の実態はどうだったのか」ということです。

島根県の実態が、島根県立図書館の協力で明らかになりましたので、全体像を調べるため広島県立図書館を訪ねました。いろいろな資料をあたっていただいたのですが、学徒動員で呉海軍工廠へ動員された学校や生徒数に関する全体像を示す資料を見つけることはできませんでした。後日のことになりますが、別の件で原爆資料館の資料室を訪ねた時、「ひょっとすると呉にある大和ミュージアムにあるかもしれないですね」とアドバイスを受け、大和ミュージアムに問い合わせたのですが、「当館には動員数についての資料は所蔵しておりません。」との返事が返ってきました。重ねて「学徒動員に関する資料はどんなものがありますか」と問い合わせたところ、「呉海軍工廠への動員に関する資料は、当館では学徒動員の様子を描いた絵画や、手記、当時使用していた鉢巻きがございます。」とのメールが送られてきました。呉市の市史編さん室にも問い合わせましたが、「動員の受け手である呉海軍工廠側の記録は所蔵していません。」との回答でした。学徒動員の実態は、当然記録されていたはずですが、結局、呉海軍工廠に学徒動員された人たちの記録は現存しないということです。終戦時、軍は大量の文書類を焼却したといわれていますので、その中に含まれていたとしか考えられません。「記録が残されていない」ことに疑問を感じますが、今日はこのことが主題ではありませんので、先に進みます。

県立図書館を訪れた時のことに戻ります。ここでも、全体像を示す資料は見つかりませんでしたが、一つの貴重な資料に出会うことが出来ました。その資料には、「鳥取県の動員実態」が書かれていました。

資料は「『4人の‟勤労動員学徒“日記』~呉海軍工廠・広海軍工廠から」のタイトルが付けられ、発行者として「鳥取敬愛高等学校社会部」と書かれています。

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鳥取敬愛高校は、鳥取市内にある私立の高等学校です。このパンフレットは、鳥取敬愛高校社会部の平成19年(2007年)の活動報告が、A4判で130ページ余りにまとめられています。主な内容は、4人(うち2人は呉海軍工廠へ、残りの2人は広海軍工廠へ)の学徒動員日記とそれをもとに調査して明らかになったことです。

豊富な内容ですが、その終わりの方に鳥取県から呉海軍工廠に派遣された学徒動員の人数が書かれています。それは、昭和19年(1944年)9月21日付日本海新聞の記事を書き写したしたもので「学園挙げて勤労動員 広島県へ二千余名出動」(原文は、旧漢字)とのタイトルで、広島県に動員される学校ごとの人数が書かれています。17の学校名と学校ごとに人数が書かれおり、合計すると2400名になります。この人数は、島根県の人数を上回っていますが、その理由は定かではありませんが、島根の今市高等女学校に陸軍被服支廠の学校工場ができたことなどが原因だったのでしょうか。それにしても島根、鳥取の両県あわせると4000名を超えることになります。びっくりする人数です。また、この新聞記事には、「県内出動」として県内に動員された学校名とそれぞれの人数も記載されています。こちらは、12校3473人となっています。両方に名前がある学校が6校あります。

鳥取敬愛高等学校の前身は、「鳥取高等家政女学校」ですが、この学校からは、呉に338名が動員されていますが、このパンフレットで取り上げているのは、別の学校・米子工業学校の動員者です。自分の学校のことは、前年に調査しているようですが、その資料は、県立図書館には存在しませんでしたので、どん内容か確認することが出来ませんでしたので、後日学校に電話をかけて問い合わせました。

このパンフレットに引用された日本海新聞の記事で、鳥取県からの学徒動員の実態を把握することが出来ましたが、パンフレットには、もう一つ「米子工業学校生の入市被爆」に関する貴重な調査報告が記されていました。

その内容は、電話でお聞きしたことや他の被爆体験記と共に次回(24日)紹介することにします。最後に、このパンフレットの「おわりに」に書かれていた次の文章を紹介し、今日の報告を終わります。

「鳥取県からは大勢の学徒が動員されたにもかかわらず、鳥取県にも呉市にも資料が残っていません。終戦直後に軍関係に資料が焼却処分されたからです。」

いのちとうとし

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2021年2月19日 (金)

学徒動員と原爆被爆その1-島根県の動員実態

島根県から呉に学徒動員され被爆した人たちのことを詳しく知りたいと思い、島根県立図書館に「島根学徒報国隊の動員の全体状況を記したものはないですか」と調査依頼をしました。数日後、詳しい情報を記したメールが返ってきました。一つにまとめられた資料はなく、当時の新聞や各学校の「学校史」等を丹念に調べていただいたことがわかります。島根県立図書館から提供を受けた情報をもとに、「島根学徒報国隊」について紹介します。

島根県でも、1944年(昭和19年)118日に出された「緊急学徒勤労動員方策要綱」、同年2月25日の「決戦非常措置要綱」により、県下の各旧制中学校・高等女学校から、県内外の工場に生徒が動員されました。そのうち、呉市の海軍工廠に派遣された生徒たちを「島根学徒報国隊」と呼んでいたようです。呉への動員が決まったのは、1944年(昭和19年)927日の中等学校校長会議です。そして、島根を出発したのは、それからわずか一週間後の10月5日と7日に分かれて出発しています。決定から派遣まで、非常に短期間ですので、生徒や家族にとって、準備などが大変だったことが想像できます。出発時の任期は、翌年1945年2月末までとなっていましたが、実際には多くの生徒が、終戦時まで呉に動員されたままだったようです。

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呉海軍工廠廣支廠

「松江北高等学校百年史」には、出発時の様子が「出雲部の動員学徒は一〇月五日夜、伯備線経由の臨時列車で、県外通年動員学徒の第一陣として呉方面に向った」「松江中学四年生の学徒報国隊は、呉市広町の第一一海軍航空廠に配属を割当られた」と記載されています。

問題は、島根から何人が動員されたかということです。「『島根新聞』昭和199292面」には、「島根学徒報国隊」の各学校から派遣された生徒数が記載されています。それによれば、松江、隠岐、そして津和野までの全県の13校から約1500人の生徒が動員されたことがわかります。私が以前このブログに書いた大社中学校からも130人が動員されています。

ところが、この13校の中には、島根県からの学徒動員のことを調べるきっかけとなった「益田高等女学校」の名前が入っていません。派遣時期が異なっていたのかもしれません。改めて、島根県立図書館に「益田高等女学校のことの記録はありませんか」と問い合わせたところ、「益田高等学校百年史」に次のような記載がありましたと回答がありました。「『四年生は二クラスで一一三名、(中略)残り約一〇〇人が島根学徒報国隊として呉に向かった。引率は交代で五名の教師が当たっている。(中略)動員期間は『県の指令では三ヶ月となっていたが、実際は五ヶ月以上』に及んだし、卒業後も「女子挺身隊」として勤め続けたようである。」

島県立図書館からの情報によれば、島根新聞に記載された学校以外に、益田高等女学校だけでなく今市裁縫女学校や島根師範学校の高史に「呉への学徒動員があった」ことの記載があるようです。このことから、島根県から1600人を超える生徒たちが、「島根学徒報国隊」の名によって、呉市の海軍工廠には動員されていたことが確認できました。

次に知りたいこと(最も知りたいことですが)は、この「島根学徒報国隊」の生徒たちのうち何人が被爆したのかという被爆者の問題です。

島根新聞によれば、この学徒動員の対象学年は、4年生だったと書かれています。当時の旧制中学(旧制中学校、高等女学校、実業高校)は、5年生だったようですので、任期となっていた翌年(1945年)2月を過ぎても、そのまま動員が続いたことが想像できます。ただ島根県立図書館のメールには、「出雲商業高校史」によればということで「著者は昭和20620日に出雲へ帰っており、呉空襲や原爆について詳しいことは書かれていません。」という情報も記載されていましたので、動員されていた全生徒が、終戦の日まで呉で作業に従事していたかどうかは、はっきりしません。終戦時に何人の学徒動員の生徒が、呉海軍工廠に残っていたのかの資料をさがしているのですが、まだ見つけることが出来ていません。

しかし、後日紹介する「被爆体験記」によれば多くの生徒たちが、呉で終戦を迎え、広島駅を経由した帰郷したことがわかります。やはり、これが島根県に入市被爆者が多い原因だと思われます。

呉の海軍工廠への学徒動員の実態を調べていると、隣の鳥取県からも学徒動員によって多くの生徒が、呉に動員されていることがわかりました。明日は、その実態を紹介します。

いのちとうとし

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2021年2月18日 (木)

二つの裁判―安保法制違憲訴訟と黒い雨訴訟―傍聴記

昨日は、今年初めてとなった裁判傍聴に行ってきました。

安保法制違憲訴訟

一つは、広島地裁201号法廷で午前10時に開廷した「安保法制違憲訴訟」の第12回口頭弁論です。今回の公判では、主に今後の審理の進め方が協議されました。その中で、原告弁護団が要請していた証人尋問が、次回4月21日の公判で行われることが決まりました。4月21日は、午前10時に開廷し、午前中に5人の原告尋問を行い、午後1時から2人の証人尋問が行われます。

5人の原告は、「①戦争の体験者②被爆者③自衛官の母親④元岩国市長⑤平和教育を行ってきた元教師」とそれぞれ違う立場から人たちが選ばれました。

午後の証人尋問は、次のお二人です。一人は、昨年「12.8不戦の誓いヒロシマ集会」で講演をしていただいた防衛ジャーナリストの半田慈さん。半田さんは、主に「安保法制が成立して以降、さらに危険な道に進んでいる日本の軍事大国化」について証言されます。もちろん、「敵基地攻撃能力」の問題も証言されると思います。

半田さんは、3月27日(土)弁護士会館で広島弁護士会主催して開催される講演会の講師を務められます。

もう一人は、憲法学者の小林武さんです。小林さんは、南山大学、愛知大学大学院で教授を勤められた後、「日米安保問題を考えるとき、沖縄問題が一番重要だ」として、沖縄に居を移し、現在は沖縄大学客員教授として沖縄現地で頑張っておられます。

半田さんは、他の「安保法制違憲訴訟」でも証人とて証言されていますが、小林さんは、広島が初めての証人としての登場です。

まだ法廷が決まっていませんが、多くに人に聞いてほしい証人尋問になると思います。

原告弁護団からは、安保法制の国会審議に参加した小西洋之参議院議員の承認申請も行いましたが、残念ながら採用されませんでした。

最後に、次々回の公判は7月21日に開廷し、この日が最終弁論となり、裁判は終結することになりました。

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「黒い雨訴訟」控訴審

午後3時からは、「黒い雨訴訟」の第2回控訴審が開廷されました。コロナ対策で一般傍聴者に用意された傍聴席は、わずかに10席でした。私も、傍聴を希望したのですが、抽選に外れ傍聴することはできませんでしたので、公判終了後行われた「報告会」の様子を簡単に紹介します。

昨日の公判は、昨年11月18日に続く第2回の控訴審です。公判では、原告団事務局長の高東征三の意見陳述、そして弁護団竹森雅泰事務局長の意見陳述が行われました。高東さんの意見陳述の最後に」「国は、広島地裁判決を受け入れず、控訴しました。私たち黒い雨被爆者に残された時間は僅かしかありません。黒い雨被爆者は、1日1日をやっとの思いで生きてきました。原告だけでなく、その行方を見守っている全ての黒い雨被爆者を被爆者として認めてください。」と訴えました。

国は、この期に及んで大量の書証を提出したようですが、それらは、この控訴審で争われている「健康被害が生ずる可能性の有無」に対する主張ではなく、本来は地裁の公判で出されるべき内容の書証です。国が、「地裁では当然国が勝つもの」というおごった訴訟姿勢で地裁の審理に臨んでいたことを、この書証の提出状況が明らかにしています。

こうした国の姿勢に対し、裁判長は、真理を盡したとして「結審」を言い渡し、7月14日が判決日となりました。

2回の公判の進行を考えれば、当然「勝訴判決」が勝ち取ることが出来ると予測できます。

厳しい寒さの中での長い一日でした。

いのちとうとし

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2021年2月17日 (水)

広島市議会議長への「平和に関する条例案(素案)」に対する意見・要望書を提出

広島県原水禁は金子哲夫代表委員と渡辺宏事務局長が、215日午後1時に広島市議会を訪れ、山田春夫広島市議会議長と面談し、「『広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案』に関する意見と要望」を直接手渡しました。この場には、市議会政策立案検討会議の代表若林新三市議も同席されました。

「意見・要望」書を手渡した後、金子から改めて、その中味を説明しました。強調点は、第5条の「市民の役割」と第6条の「平和記念日」の第2項の「『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典』を『厳粛の中で行うものとする』こと」が明記されていることです。その中味は、昨日紹介した要望書を読んでいただければ、わかりますので、ここでは詳細は省略しますが、「市民への協力義務を課していること」や「個人の言論や表現の自由を規制する」ことは、看過できないことを口頭でも強調しました。

さらに、「オリンピック組織委員会森前会長の差別発言問題」を取り上げ、「この条例案は、森発言問題と同質の人権にかかわる問題を含んでおり、絶対に修正されなければならない」とも指摘しました。

最後に、拙速に「今回のパブリックコメントで終わり」にするのではなく、もっと幅広く意見を聴きながら、より良い条例案とすることが大切だということを提案しました。

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山田議長は「議会とした条例案づくりを進めることになり、各会派から一名の代表が参加し、時間をかけて論議してこの素案をまとめたものです。これまでにパブコメが400件余り届いています。政策立案検討会議で、きちんと論議したいと思います。みなさんの声もこの中に反映したいと思います。」との返答でした。第5条、6条問題に関しては、一昨年のローマ教皇の広島訪問時のことが持ち出され「厳粛なうちに行われた」と述べるだけで、「言論、表現の自由」など人権問題についても残念ながら明確な答えはありませんでした。また私たちが「さらに市民との積極的な意見交換を行う必要がある」という提案をしましたが、これに対しても明確な回答はなく、条例案採択の時期の明示もありませんでした。

その後の記者会見を行いました。多くの記者が議長との面談の場を取材していましたので、原水禁の基本的立場を簡単に説明するとともに「特に核兵器禁止条約が採択されて以降、若い人たちがさまざまな活動を展開しているので、市議会は、もっとこういう人たちの意見を聴く必要があるのではないか」ということを強調し、その後若干の質問を受け、記者会見を終了しました。

この一連の行動の中で、いくつか気になる情報を得ました。ある若者のグループが、市議会政策立案検討会議の委員に「計画したオンラインイベントへの参加」を呼びかけたところ、様々な理由で参加できないとしたうえ、複数委員から「今回の市民意見の募集にあたっては、様々なご意見に対し、当会議としての意見や回答について、個別には行わないこととしております」との回答が寄せられたということです。確かにパブコメを求める市議会のホームページにも「提出された意見に対する個別の回答はいたしませんので、予めご了解ください」と書かれていますが、その次に「提出された意見については、意見の概要と政策立案検討会議の考え方を市議会ホームページなどで公表します。」と書かれています。400件を超えたといわれるパブコメについて、政策立案検討会議がどのような検討を行い、どんな「考え方」が示されるのか、注目しなければなりません。

今のところ、この「政策立案検討会議の考え方」に対しての扱いは明確にされていませんが、当然のこととして「考え方」に対する意見や要望を聞く必要がるはずです。その意味でも今後の議会の姿勢を注視する必要があります。

いのちとうとし

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2021年2月16日 (火)

問題だらけの広島市平和推進条例 ――世界平和の「原点」にはなりません――

問題だらけの広島市平和推進条例

――世界平和の「原点」にはなりません――

 

広島市議会が「広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案」を発表し、市民意見を募集しています。締め切りは昨日、215日でした。

 意見募集についてのお知らせは、市議会のホームページに掲載されていますので、それも御覧下さい。

広島県原水禁は、この素案中でも、特に5条と6条に焦点を合わせた「意見と要望」を提出しました。金子代表委員が山田市議会議長に直接お渡ししましたし、口頭でも補足の要望をしてきました。それについては、明日、217日に金子代表委員からの報告があります。

 今日は、「意見と要望」の全文を掲載して、皆さんに私たちの考え方をお伝えします。ちょっと長くなりますが、お読み頂ければ幸いです。なお、私個人としての「思い」は、次回、221日にアップします。

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2021年2月15日

広島市議会

議長 山田春男様

原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)

代表委員 秋葉 忠利

〃  金子 哲夫

〃  佐古 正明

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案」に関する意見と要望

  貴職におかれましては、平和行政の推進、市民生活の安心、安全、とりわけコロナ対策の推進のため、日夜奮闘されていますことに敬意を表します。

 さてこの度、貴議会は「広島市平和の推進に関する条例(仮称)素案」(以下「素案」という)を発表され、市民の意見募集を行われています。

私たち広島県原水禁もこの「素案」を読ませていただきました。議会として広島市の平和行政推進のために条例を策定されようとしていますことは、評価しますが、より良いものとしていただくため、この「素案」に対し、下記のような意見、要望を提出することにしました。

つきましては、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」を策定されるにあたって、私たちの意見を反映していただきますよう強く要望します。

 

1、前文で「核兵器禁止条約」について全く触れられていない事への疑問

  本年1月22日に核兵器廃絶への大きな一歩と言われる「核兵器禁止条約」が発効しました。この時期に作られる条例であれば、新しい情勢の中での「広島市の平和推進」のあり様、決意を表す内容とならなければならないと思います。

2、広島市の平和行政を推進するためには、市民の多様な意見を反映したものでなければなりません。しかし、「素案」では、それに逆行し、市民の自由を制限する内容となっています。「平和に関する」条例であればあるほど、「市民の表現の自由」が保障されるものでなければなりません。そこで、以下二つの点に絞り、意見を述べます。

①第5条の「市民の役割」では、「施策に協力する」ことが明記され、一方的に「市民の協力義務」を課しています。市政の主人公は、市民です。あるべき姿は、市の平和政策推進にあたっては、むしろ市民の多様な意見、考え方を積極に取り上げ、それらを反映させることが重要です。真にそうした姿勢が貫かれれば、おのずと市民の協力を得ることが出来るはずです。例え、平和行政であったとしても、反対の意見があっても不思議ではありません。市民の思想信条の自由を制限する条例は制定されるべきではありません。「施策に協力するとともに」を削除し、市民が主人公となるような条文に変えられるよう要望します。

 ②第6条の「平和記念日」の第2項では、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」を「厳粛の中で行うものとする」ことを明記しています。

 この問題について、私たち広島県原水禁は、一昨年12月18日に市長に対し「市民の言論・表現の自由」を規制する「『拡声器使用規制条例』制定反対」の申入れを行っています。真の「平和」を作るためには、「言論や表現の自由」が保障された社会でなければなりません。

 現に広島市は、この問題の解決を解決するための話し合いを粘り強く行っています。

 現在8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典」は当然のことと実施されているにもかかわらず、あえて第2項が加わっているのは「厳粛」を求めるためとしか思えません。

「条例」に罰則規定が無いとしても、この条例が「規制の根拠」となっていくことが危惧されます。

 私たちは、第6条、2項の削除を求めます。

3、市議会による「平和に関する条例」の制定にあたっては、とりわけ市民の声を大切にし、市民目線に立ったものであることが重要です。

 「条例制定ありき」で拙速に進むのではなく、今回のパブリックコメントで終わるのではなく、さらに市民との積極的な意見交換を行い、市民の声が反映されたより良い条例が制定されることを強く要望します。

4、広島市が世界的に注目され、特にその平和についての姿勢が世界の模範を示してきた歴史からも広島市の平和行政は、世界的基準で評価されます。

 最近、わが国の人権意識―中でも女性差別や表現の自由についてーが、世界から批判を受けている状態です。広島市の条例であっても(と言うよりも、「だからこそ」と言うべきだと思います)、この点について、グローバル・スタンダードを満たしていなければなりません。法的拘束力のある条例の重みに鑑み、人権意識は最大限尊重されなくてはりません。残念なことに「素案」は、こうした世界の価値観に反するものとなっています。それを避けるためにも、上記の提案を真摯に受け止めていただきますよう要請します。

以上

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 [2021/2/16 イライザ]

 

 

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2021年2月15日 (月)

2月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

11日、13日、14日の休みは雪はもちろん雨も降らず農作業ができる3日間となった。そして気温も15度以上に上がり裏地のフリース仕様のズボンでは暑いので普通の作業ズボンをはいて動いた。作業はひたすらブルーベリーの剪定に専念する日々が当分続く。

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2月11日(木)。2月に入ってからのブルーベリー剪定の場所は休耕田からブルーベリー畑に転作した3段つづきの一番上からはじめている。

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畑のブルーベリーの剪定では切った枝を野焼きにするのでスパイラル状の籠に入れて運ぶ。いっぱいになったら運ぶ繰り返しで夕方になる。

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2月13日(土)。

①.20年前に植えてから育つに任せて栽培してきたが、11日から作業の合間をぬって農園全体のブルーベリーを植えている土壌のph値を初めて測定器ではかってみる。水をかけて2~30分後に測定器を挿してメーターの値を見る。全体的にph値が6.0~6.8 位であまりよくないことが分かった。どうやって適正値の4.5~5.5にするか、今シーズンの課題ができた。

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②.午後着いて花壇の横に車を止めておいたら蝶々に出会う。とにかく暖かい陽気。

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③.夕方作業を終えて帰るころ、畑の水路の向こう側の法面のススキを野焼が始まった。

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④.翌14日に農園に来てみると野焼きした後の黒くなった法面が現れた。

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2月14日(日)。

①.ブルーベリーの剪定を続けた。この時期のブルーベリーは水分の移動がないのでの切った切り口はちょっと湿っているだけ。まだ冬眠中のよう。

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②.しかしブルーベリーの木の下の地面ではオオイヌノフグリが春色を見せてくれているいし、

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③.花壇のスイセンの葉も数センチ伸びだしてきているし、

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④.いやな杉の花粉も黄色が目立つようになり1月に比べて強くなった日差しのもと冬に別れを告げる植物の動きが見える。

 

2021年2月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年2月14日 (日)

善応寺(ぜんのうじ)

鳥居とお寺の関係が気になり、翌日(7日)再び善応寺を訪ねました。

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私が訪ねた時、運よく和尚(おしょう)さん(臨済宗の呼び方)が帰ってこられたところでした。「本堂の中を見せていただくことはできませんか」とお願いしたところ、「鍵を持ってきますからちょっと待ってください」と、こころよく本堂に入らせていただきました。

本堂に入ると、鳥居とお寺の謎が解けました。本堂の中、右側には御本尊の十一面観世音菩薩像、左側には稲荷大明神が並んでお祀りされていました。

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お寺の本堂に入って、初めて体験する形式です。江戸時代には、神仏融合のお寺が多くあったと聞いていましたが、明治初期の「神仏分離」「廃仏毀釈」運動によって、こうしたお寺は無くなったと思っていましたので、ちょっとびっくりです。

ここで善応寺(善能寺)について、「新広島八十八カ所霊場巡拝のご案内」のホームページを引用しながら紹介したいと思います。「如意山善応寺」は、臨済宗のお寺で、新広島八十八カ所霊場巡拝第71番の札所になっています。慶長九年(1609年)福島正則の信仰によって「禅応寺」の名前で開山しました。その後寛政十年(1798年)に、伏見稲荷大社の分霊によって、鍛冶稲荷神社が祀られました。そして寺名が善応寺と改名されました。明治初期の「神仏分離」「廃仏毀釈」運動と無住時代が続いたため、廃寺同然になったようですが、昭和10年(1935年)に新しい和尚さんを迎え再建されましたが、10年後に原爆にあい、本堂は壊滅、和尚さんも爆死されました。戦後は、昭和24年(1949年)頃から再建の話が起こり、昭和27年(1952年)7月に再建されました。鍛冶稲荷神社があったために、その関係者の尽力が大きく、いち早く本堂が再建されたといわれています。

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もう一度本堂内の様子に戻ります。左側の稲荷大明神側の上に、額に入れた古文書が架けられています。全文を解読することはとてもできないのですが、寛政10年に出された「鍛冶大明神安鎮」の許可状のだということがわかります。先に紹介した年号がこれで証明できます。本堂内の稲荷大明神側には、御幣を掲げた祭壇があり、その奥には、ガラス戸があるだけで、ご神体らしきものは見当たりません。しかし、このガラス戸の裏、本堂の外に稲荷神社の社が建っていますので、ご神体はそこにまつられているようです。祭礼の際には、このガラス窓が明けられるのだと思います。本堂を出て裏側に廻って撮った写真です。

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本堂では、もう一つ大切なものを目にしました。本堂内右側壁には、毎年12月8日に行われる吹子(ふいご)祭の写真が架けられていますが、それに並んで少し古い町内会の集合写真がかかっています。

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写真には手書きで「皇紀二千六百一年 謹賀新年 左官町婦人常会創立」と書かれ、かっぽう着姿の女性たちが60名余りが映っています。最前列には、子どもの姿もあり、前列には男性の姿もあります。皇紀二千六百一年は、西暦では1941年ですから、広島に原爆が投下される4年8カ月前の貴重な写真です。どういう経過をたどってこの写真が残っていたのか、これも知りたいことです。と同時に、この写真を見ながら、「ここに映っている人は、全て左官町町内会の人たち。このうち何人の人が、原爆の犠牲にならずに生き残ることができたのだろうか」ということを考えました。その一方で、「このうちの何人のお名前が、犠牲者芳名に刻まれているだろうかと」いうことも気になりました。できる事なら写真の一人ひとりのお名前を調べ、犠牲者芳名と照合することが出来ればと強く思います。本堂の中に入れていただいたおかげで、貴重な写真に巡り合うことができました。

こんなことを考えながら、一つ気になることができました。それは、昨日紹介した「原爆供養塔」の建立が1951年であるのに、このお寺の再建は、1952年となっていることです。既にお寺の再建が決まっていたため、「原爆供養塔」が、その前の年に建立されたのでしょうか。このあたり事情を和尚さんに聞いたのですが「私は生まれた頃のことですので、わからないのですよ」との返事でした。「左官町婦人常会」の写真のことも同じ返事でした。残念ながら詳しいことを知ることはできませんでした。

昨日紹介できなかったのですが、善応寺は、被爆時にこの地にあったお寺ですので、境内には被爆した墓石などが沢山あります。「鍛冶稲荷神社」の額がかかった鳥居も「明治3510月」の文字が刻まれていますので被爆しています。

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墓石などは、「原爆供養塔」から左側に塀に沿うようにしてずらっと並んでいます。途中で折れたと思われるもの、台は欠け、「石ハネ現象」の墓もあります。

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善応寺は、原爆遺構や慰霊碑を紹介した本でも、掲載されていないものが多くありますが、一度はぜひ訪ねてほしい場所だと思いました

いのちとうとし

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2021年2月13日 (土)

左官町周辺縁故者原爆精霊供養塔

今月6日(土)、土橋方面に出かけた帰り道、電車通りより1本南側の通りを歩きながら紙屋町へ移動しました。しばらく歩いて本川小学校の手前まで来た時、道路の左側に立つ赤い鳥居が目に入りました。「こんなところに神社があったかな」と思いながら、境内に入りました。鳥居の奥には、しめ縄が架けられて善応寺の本堂があります。善応寺については明日のブログで詳しく紹介しますが、今日は、この善応寺の境内で見つけた「原爆精霊供養塔」の話です。

境内の右手(境内の東側)に、「原爆供養塔」と刻まれた御影石の碑が建っています。

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碑の右側面には、「為7回忌追善菩提 昭和26年8月6日建立」と刻まれていますので、この碑が1951年に建立されたことがわかります。被爆6周年の8月6日ですので、原爆の慰霊碑としては、早い時期の建立と言えます。左右には、原爆犠牲者269名の名が刻み込まれた銘板があります。右側の銘板の右端には、「左官町周辺並縁故者原爆犠牲者御芳名」と刻まれていますので、この碑を紹介した本には「左官町周辺縁故者原爆精霊供養塔」の名で紹介され、碑建立の経緯を「被災後帰町した人や縁故の人たちが、せめて亡くなった人たちを弔いたいという気持ちから浄財を出し合った。貧しい懐からの支出である」(宅和純著「ヒロシマの碑」1996年刊)「一切のものを失った町民には資金は負担で、集まった金を少しずつ何回にも分けて支払ったという」(黒川万千代編「原爆の碑 広島の心」1982年刊)と書かいています。

今は「左官町」という地名はありませんので、まず左官町に位置を紹介します。見えにくいかもしれませんが、下図で赤い四角で囲っています。

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本川小学校のすぐ西側で、現在の中区本川1丁目の電車通りから2本南側の通り、西側は十日市交差点の1本東側の通りまでの区域になります。碑を紹介した本にでは、善応寺の位置を「爆心地から西へ約200メートル」と紹介していますが、実際には「西へ約500メートル」の位置です。左官町の西端までは、約670メートルあります。

左官町の原爆被害状況を知るため「広島原爆戦災誌2」を調べてみました。「第4節 本川地区」に記載された15の町内会の一つです。被爆直前の建物戸数、世帯数、住民数は、本川地区の合計数だけで、町内会毎の数は記載されていませんので、左官町にどれぐらいの人が住んでいたのかは、不明です。ただ、その後に記載された町ごとの被害状況によれば、左官町は、「家屋被害 全壊約99% 半壊8% 人的被害 即死者約91% 負傷者 約4% 無傷の者 約5%」の被害があったことがわかります。ほぼ壊滅的と言って被害状況です。

「原爆供養塔」の左右の銘板に刻まれた原爆犠牲者269名の名前をたどっていくと、いくつか解明しなければと思うことが出てきます。

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一つは、この名前が刻まれたのは何時かということです。もし「原爆供養塔」の建立と同時に銘板も作られたとしたら、まだ混乱していたであろうと想像できる被爆6年後のこの時期に、これだけの犠牲者の名前をどうやって調べることができたのだろうかということです。もともとの住民数が不明なのですから、269人が多いのか少ないのか分からないので、評価するのは難しいことですが、爆心地から500~700メートルという近距離で壊滅的被害を受けた地区ですので、余計にそれを感じます。ただ丹念な調査が行われただろうということは「東組」「西組」など組ごとに名前が整理されていることからもわかります。

原爆戦災誌を読むと、戦後の復興期にこの地に移りすんだ人は、必ずしも旧住民だけだったのではないことがわかりますから、余計にそう感じます。

二つ目は、刻まれた名前は、必ずしも住民の名前だけではないことがわかります。だからでしょうか、不思議な記載があります。例えば「水利工業所内」として7名の名前が刻まれています。この工場の関係者が生存されていたのでしょう。「西組」には、「原田清蔵方」として3名の名前の他に「他2名」(2かどうかははっきりしないが)という記載もあります。

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この「○○方」という記載は、他にも6件見つけることができます。その中には、「高木松次郎方」として3名の名前と「他店員5名」という記載もあります。さらに不思議なのは「信者」として10名の名前が刻まれていることです。何を意味しているのでしょうか。

左官町は東隣町の加治屋町と共に鉄工所が多かったといわれていますので、住民以外にも工場で働いていた人にも多くの犠牲があったと思われます。「他○○名」は、工場などで働いていた人たちのような気がします。だからこの碑に「周辺縁故者」という文字が刻まれたのでしょうか。

もう少し詳しく調べてみたい気になります。

「原爆精霊供養塔」では、今も8月6日には慰霊祭が続いているそうです。それを証明するように「令和2年8月6日」と書かれた卒塔婆が、立てかけられていました。

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明日は、善応寺のことを中心にもう少し話を続けたいと思います。

いのちとうとし

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2021年2月12日 (金)

2.11建国記念日復活反対!ヒロシマ集会

今日のブログでは、毎年2月11日に開催してきました「建国記念日復活反対!ヒロシマ集会」の様子を報告する予定でしたが、今年はコロナ感染拡大を防ぐということで、中止となりましたので、集会の様子を報告することができません。

当日の記念講演をお願いしていました内田雅敏弁護士から、講演のために準備されていた内容をメッセージとして送っていただきましたので、少し長いのですが、全文を紹介することにしました。

内田雅敏弁護士は、戦争をさせない1000人委員会事務局長を務めるとともに、弁護士として特に、中国人強制連行・強制労働など戦後補償問題や靖国問題などに取り組んでこられました。

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靖國神社の何が問題か

靖國神社の「聖戦史観」

[日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには悲しいことですが、外国との戦いも何度か起こったのです。明治時代には「日清戦争」、「日露戦争」、大正時代には「第1次世界大戦」、昭和になっては「満州事変」、「支那事変」そして「大東亜戦争(第2次世界大戦)」が起こりました。戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです](靖國神社発行「やすくに大百科」)。

1945年8月15日の敗戦前の話ではありません。これが、戦後75年を経た現在の靖國神社の歴史観です。日本の近・現代におけるすべての戦争は正しい戦争、即ち「聖戦」であったと現在も堂々と主張しているのです。この「聖戦史観」は世界に通用しないことはもちろん、歴代の日本政府見解にも反します。

二つの誤解

靖国問題を語るに際しては、二つの誤解を解いておく必要があります。

一つは、中国、韓国からの批判を正確に理解することです。巷間、中国、韓国らからの靖國神社参拝批判に対して、戦没者に対する追悼はどこの国でもやっている、何故それが批判されるのか、と反論がなされます。毎年8月15日、武道館で政府主催による戦没者追悼式が行われますが、この追悼式を中国、韓国らが批判することはありません。どこの国でも行っているからです。靖國神社参拝批判は、戦没者に対する追悼批判ではなく、靖國神社という場でそれが行われることへの批判なのです。

  二つ目の誤解は、A級戦犯分祀論についてです。巷間、靖國神社にA級戦犯を合祀したから中国、韓国らから批判される、この際、A級戦犯の方々に余所に移ってもらおうという、いわゆるA級戦犯分祀論も唱えられます。A級戦犯を分祀すれば問題の解決となるか。否です。A級戦犯を合祀していることが問題なのではなく、A級戦犯合祀に象徴される靖國神社の「聖戦史観」こそが問題だからです。靖國神社はA級戦犯分祀を絶対にできません。分祀したら、その瞬間に靖國神社でなくなります。靖國神社がA級戦犯を分祀出来ないのは同神社が弁明するような神道の教義によるものでなく、靖國神社の設立目的、およびA級戦犯合祀の経緯によるものなのです。A級戦犯合祀は東京裁判否定の目的をもって、周到に準備されて行われました。

別格官幣社としての靖國神社

靖國神社は、幕末、明治の戊辰戦争で亡くなった兵士、それも朝廷(官軍)側の死者だけを祀るために1869(明治2)年に作られた東京招魂社を起源とし、1879(明治12)年、別格官幣社として設立されました。別格官幣社は72(明治5)年、楠木正成を祭神とする湊川神社が最初の設立でした。次いで、靖国神社、北畠神社など、天皇に尽くした臣下を顕彰する神社として続々設立され、28社ありました。東京招魂社は死者の鎮魂を主目的としていましたが、靖國神社では死者の顕彰に軸足が移りました。

戦前、官幣社は大社、中社、小社の三種があり、その頂点に立つのが伊勢神宮です。官幣大社のさらに上に位置付けられています。官幣大社は、出雲大社、諏訪大社など65社、官幣中社は北野天満宮など23社、官幣小社は大国魂神社など5社があり、別格官幣社の社格は官幣中社、官幣小社の下位にあるとされていました。戦前、歴史も浅く、社格も下位にある靖國神社が、他の神社を凌駕する特別な地位を獲得し得たのは、陸・海軍省が所管し、天皇の軍隊の戦死者の魂全てを祀るという、戦死者(戦病死者を含む)の魂の独占と、そこに臣下に頭を下げることのない天皇が参拝して下さるとされたからです。戦死者の魂独占の虚構と天皇参拝、これこそが靖國神社の生命線でした。

新憲法下、一宗教法人としてかろうじて解体を免れた靖國神社は、戦後も戦前と同様、特別な地位を占めるため、戦死者の魂独占の虚構の維持と天皇参拝の継続に腐心しました。国立の追悼施設を設けていない国もこれを助けました。靖國神社は、敗戦の年1945年12月15日の占領軍総司令部(GHQ)による国家神道廃止指令に先立つ11月20日、天皇列席の下、臨時大招魂祭を行い、先の戦争の戦死者全ての御霊(みたま)を招き寄せたとしています。遺骨の有無は関係なし、誠に便利な教義です。

靖國神社の招魂に応じない戦死者の魂も強制的に「招魂」されます。死んでからも再度「召集」されるのです。本来、追悼とは、故人の遺族、友人等故人を知る者が行う優れて個人的な行為です。国からの祭人名票の送付という行為によって初めて祭神を特定する靖國神社による戦死者の合祀は、戦死者を悼むためでなく、靖國神社自身のため、すなわち戦死者の魂独占という虚構を維持することによって、戦後もその独自の地位を維持しようとするためのものだと言わざるを得ません。死者に対しては、ひたすら追悼し、決して死者を讃えたり、死者に感謝してはなりません。讃え、感謝した瞬間に、死者の政治利用が始まり、死者を生み出した者の責任が曖昧にされます。なお、靖國神社には遊就館という「戦争博物館」がありますが、ここでは何が展示されていて、何が展示されていないのかを見抜くことが大切です。


いのちとうとし

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2021年2月11日 (木)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その6 ――次の4ステップは? 後半――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その6

――次の4ステップは? 後半――

 

シリーズの6回目ですが、タイミングとしては、森発言、そしてかつての森批判の一つ、潜水艦事故を取り上げたいのですが、それは機会を改めて、「2040ビジョン」を実現するための次のステップとして、どんな可能性があり得るのか、最後の二つを挙げておきましょう。おまけも付いています。

2040ビジョン」達成のための具体的ステップ 後半

 前半では、①北東アジア非核地帯宣言の創設、そして➁TPNW を既に批准している国をお手本にする 、を紹介しました。さて、三つ目です。

 

大人が子どもの権利を守り、子どもが大人に厳しい・論理的発言をする助けをする.

 人類は、核兵器による惨害を正確に表現できる語彙を持っていません。これは、2004年の平和宣言の一つのテーマでもありました。しかし今や、TPNWの発効によって、その語彙が少し増えることになったのです。このことは、特に子どもたちにとっては素晴らしい贈り物です。

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 それは、子どもたちの正義感が発する鋭く厳しい、そして論理的な問いを簡潔に表現する助けになるからです。「自分の国は、何故、国際法では違法とされる核兵器を持っているのか」等々、世界のあり方について基本的な問いを大人社会に対して投げ掛ける手助けを、志のある大人たちは率先して行う義務を負っているのではないでしょうか。

 子どもたちの明日を保証するためには、グレタ・トゥーンベリさんの主張する環境についての抜本的対策が重要であることは言うまでもありませんし、大坂なおみさんも加わった、BLM運動等も忘れてはなりません。同時に、核兵器による人類滅亡を防ぐことも我々の責任なのです。

 この点を短く、多くの人に賛成して貰える形で表現しているのが、2005年の平和宣言です。「未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。」です。

 手始めとして、子どもたちが発する疑問と提言が、「核抑止論」も含む大人社会の「詭弁」を打ち破る物語を、「想定問答集」としてまとめてみたらどうでしょうか。

 

市民運動の定番もぬかりなく      

 これまでの運動の歴史の中には、私たちが作り上げ効果を挙げて来た、そして私たちを支えてくれた、「定番」とでも呼べる多くの活動があります。これらの定番にも、当然登場して貰わなくてはなりません。署名運動、市議会に働き掛けて条例や決議を作るロビー活動、デモや集会、ティーチ・インや学習会、その他の非暴力・直接抵抗市民運動等、リストは尽きません。それに、マイケル・ムーアの「10ポイント・アクション・プラン」も付け加えておきましょう。

 

マイケル・ムーアの10ポイント・アクション・プラン

  1. 毎日電話しよう--地方議員・国会議員事務所へ
  2. 月に1回訪問しよう--地方議員・国会議員事務所に
  3. 個人で「すぐやる」チームを作ろう--数人で、とにかく何かを始める
  4. とにかく参加して参加して参加しまくろう!--集会や勉強会には出席し尽そう
  5. ウィメンズ・マーチは終わらない--女性の力を結集しよう
  6. 民主党を乗っ取ろう--日本なら野党のどれか
  7. ブルーステート(民主党が優位の州)のレジスタンス開催に協力しよう--これも野党に力を科すこと
  8. 選挙に出馬しよう
  9. 君自身がメディアになるべきだ--聞いたことはすぐ拡散する
  10. 喜劇の部隊に加わる--政治家は笑われることを嫌う。笑いで政治家を圧倒しよう。

 四つと言ったのはその通りなのですが、選挙が近付いていますので、もう一つ大切な点です。

 

  政権交代の実現

  日本政府にTPNWを批准させる最短の道は、次の選挙で政権を奪取することです。安倍・菅と二代続いた政権が、如何に劣悪なコロナ対策を取って来たのかは、今さら言うまでもありません。命に関わる重大事についての選択を迫られている有権者に取って、次の選挙における答は一つしかありません。政権交代です。野党共闘によって、そのメッセージを明確に打ち出すことがまず必要です。政権交代が実現すれば、新たな地平線が浮び上り、次の行動への道筋も自ら拓けてきます。

  その後にどんなシナリオを描けるのかは、皆さんへの「宿題」にしておきましょう。たとえば、中東非核地帯条約や、欧州非核地帯条約等、延長線を引けばすぐ頭に浮ぶものもあります。子どもだけでなく女性を含む被差別の構造や経済的格差等の問題、国連のSDGsを基本に据えた問題意識からの行動計画も関係してくるはずです。TPNWの発効を出発点として、わたくしたちの世界観が広がり、新たなエネルギーが生れ、活発で建設的、そして永続的な行動と成果につながることを期待しています。

  答えがないから、「宿題」と言って逃げている訳ではありません。私流の答はありますが、一つには、英語の論文としてまとめてどこかに掲載して貰えたらと考えています。もう一つは、一冊の本にまとめて、きちんとした形で皆さんに読んで頂ければと思っています。その時間を取るために、このブログの記事には、「今夜の夕食」のような項目が混じるかもしれません。何故なのかを前もって説明させて頂きましたので、お許し頂ければ幸いです。

 [2021/2/11 イライザ]

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2021年2月10日 (水)

今年の島根原発をめぐる動きと私たちの活動

 昨年末ころから島根原発の在る地元マスコミを中心に、21年中に原子力規制委員会が島根原発2号機の審査会合を終え、規制委での「合格」が出るだろうという予測記事を載せています。

 島根原発2号機の適合性審査申請(分かりやすく「再稼働申請」と書きます)は、福島原発事故から2年9か月が経った13年12月に行いました。あれから7年以上が経過しています。中国電力にとっては、こんなに長くは掛かるとは思っていなかったようです。その大きな原因は、中国電力の審査に臨むスタンスの不誠実さと無責任体質にあると感じています。

 1月21日の全国紙の地元版も〝今年中にも「合格」か〟という記事を載せました。原子力規制委員会の審査も、残りは地震による液状化を考慮した地盤や斜面の安定性、津波で船舶などが衝突した際の防波壁の強度-など5項目となっているとしています。

しかし中国電力のスタンスは、規制委から良い印象を持たれていないようで、まだまだ不透明な部分がありますが、私たちとしては「合格後」を予測して置かなければと思います。

規制委で審査書案の了承がされ「事実上の合格」がされれば、審査書案はパブリックコメント(意見公募)の段階に入ります。「事実上の合格」は、この5月中にはされるのではという声も聞きますが、私の感じではもう少し時間がかかるのでは予想しています。

ここで島根原発の再稼働に関して思う、これからの課題について羅列してみました。

大前提はパブリックコメントに掛けられたとき、出来るだけ多くの人が意見を寄せることです。パブリックコメント慣れした人からは、「出しても効果がないから…」という声を聞くことが多いのですが、それは違います。別に難しいことを書く必要はないのですから、原発に対する素直な気持ちでよいのです。

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島根原発には、次のような問題点があります。

まずは、

①2号機はプルサーマルというプルトニウムとウランを混ぜた燃料を使うということ、その危険性です。

②「テロ対策施設工事」は、まだ設計段階で見通しもたっていません。

③関西電力大飯原発の基準地震動について、先日大阪地方裁判所が地震動の「ばらつき」が評価されていないとして、原告勝訴の判決を下しました。島根原発で「ばらつき」を考えた時に最大の基準地震動はいくらになるのか、それに対しどういう対策を取るか取っているかという問題があります。

④原発の南側に存在する活断層である宍道断層が、鳥取県の鳥取沖西部断層に繋がっているのではないかという問題があります。

⑤島根原発は2029年に、建設から40年を迎えます。福島原発事故後に改正された原子炉等規制法によって、原発の運転期間は40年とされました。ただし、原子力規制委員会の認可を受ければ1回に限り最長20年の延長ができることになっています。中国電力は40年超えについては「未定」としていますが、6000億円を超える費用を「安全対策」に費やしているのですから、その可能性は高いと予測されます。

 

また、島根原発から真南にある宍道断層の長さ、鳥取県の大山や島根県の三

瓶山の火山爆発の問題などが在ります。

島根原発の大きな問題点は、避難問題や防災協定、安全協定などがありますが、これに対して規制委は「自らの審査対象ではない」と逃げるでしょう。それを承知した上で、パブリックコメントにはどんどん意見を出してよいと思います。

「事実上合格」から「合格」になったその後は、地元同意の課題に入ります。全国の沸騰水型で「合格」した原発も、地元同意の段階で実際に動いた原発はありません。

島根原発からの避難問題では、島根県内はもとより鳥取・岡山・広島の各県にも避難者は来ることになっています。コロナ禍の中で避難の問題も、改めて最初の段階に戻って考えなければならないと思います。そういう意味では、広島県も地元です。まさにこれからが正念場だと捉えています。

木原省治

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2021年2月 9日 (火)

出雲の建物疎開

1月26日のブログ「広島被服支廠と出雲」(http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2021/01/post-17533b.html)で、島根県出雲市の建物疎開のことを次のように紹介しました。「終戦も近くなった7月9日には、島根県でも命令が出され、出雲市でも250戸の目標が立てられてようです。校名になっている『今市』は、出雲市の中心部、商店街が密集する地域の地名です。建物疎開の対象となったのは、この今市地区だと思います。完了目標は、8月20日だったようですので、実際に建物疎開作業がどこまで進んだのかわかりませんが、こんな田舎の都市にまで空襲の危険が迫っていたというのですから、戦争の継続などあり得なかったのです。この建物疎開が実際にどう進んだのかを、出雲在住の同級生に依頼し調べてもらうことにしました。」と。

同級生は、「ワン・ライン」という会社を立ち上げ、出雲市に拠点を置き、郷土出雲を紹介する本を中心に出版していますので、何か情報を持っているのではと思い、電話をしました。「建物疎開?調べて連絡するよ」との返事でしたが、すぐその日のうちに電話が入り「わが社で出した本に建物疎開のことを書いたものがあるので、そこをコピーして送るよ」との返事。翌日に、コピー2枚が入った封書が届きました。

出典は、ワン・ラインが、出雲市制50周年を記念して1992年に発行した写真集「出雲 思い出と飛躍」です。この本は、出版時に送ってもらっていましたので、わが家の書棚にありました。

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送られてきたコピーには、ページがきちんと映っていますので、写真集を開き確認しました。該当するページには、「戦火の陰に」のタイトルが付けられ、「戦死者の村葬」と「建物強制疎開」の様子が写真とともに掲載されています。「建物強制疎開」には、当時建物疎開の対象となった場所の地図が掲載されています。そこは、間違いなく、当時の出雲市の中心今市町です。

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右側は、現在の出雲市駅から250メートル北から始まり、現在の出雲市役所方面に230メートル余りが対象となっています。地図をよく見ると、ちょうどこのあたりから北側は道路が狭くなっていたため対象となったように思われます。左側は、上記の位置から東に280メートルほど離れた場所です。いずれも今市町の中心部です。ただ、これだけでは仮に空襲があった場合、どれだけの延焼を防ぐことができたかは、疑問です。地図の下側には、わかり難いのですが、建物疎開途中の街並みを写した写真も掲載されています。

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何時写した写真かわかりませんが、何故か軒先に日の丸の旗が出ているのが不思議です。

建物疎開の情報はこれだけでしたが、1ページ前のコピーも同封されていました。そのページには「銃後の守り」というタイトルが付けられ、3枚の写真が掲載されています。その3枚目は、「女学生も戦力」という見出しが付けられた、126日のブログで紹介した「被服支廠の学校工場」となった今市高等女学校の生徒の写真が掲載されています。

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解説文には「勤労奉仕などに励んでいた女学生も、19年には学校工場化要綱によって工員として働いた。この写真は、20年3月、今市高等女学校(現出雲高校)の卒業写真である。鉢巻きを締めモンペをはいて胸には住所・氏名・血液型を書いた名札を縫い付けている。彼女たちの青春も戦争の中にあった。」と書かれています。

解説にあるように「卒業写真」ですが、鉢巻き姿で映っているのにびっくりしました。学徒動員で作業中に原爆の犠牲となった女学生の集合写真を今までに何枚か見たことがありますが、鉢巻き姿で写った写真は見た記憶がありません。

鉢巻きの真ん中には、日の丸が描かれているように見えますが、よくよく見ると今市高等学校の校章(上の紋)だということがわかりました。卒業写真も鉢巻き姿ですので、毎日工場で働いている時も、鉢巻きを締めて作業をしていたことが想像できます。

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「のどかな田舎だ」と思っていた出雲にも、戦争が身近にあったことを今回初めて知ることになりました。

いのちとうとし

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2021年2月 8日 (月)

2月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

1月末には日陰の雪があったが、2月に6に農園に行った時にはもうすっかり消えていた。6日、7日は移り変わる農園の景色に寒い冬がそろそろ終わるぞと農園全体から声が聞こえそうな気分で農作業ができた。

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1月31日(日)。日陰には雪が残り日に当たるところは明るい。

①.トタン屋根から残雪のしずくがぽたぽた落ちる。

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②.早生を育てている里山のブルーベリー園のある場所は冬は杉木立が邪魔をしてぽっぽっとしか陽が入らない。

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③.里山の防獣柵の補修を続ける。棒杭が腐ってグラグラしている柵なので鉄筋を打ち込みワイヤーメッシュを結束バンドでくくる。

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④.ブルーベリーの剪定枝がたまるので少しづつ燃やす。

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2月7日(日)。

①.一番最後まで残っていた場所の雪もすっかり消えた。

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②.6日もいい天気で暖かかったが、7日は空がもやっとして遠くはかすんでいる。天気予報では黄砂のせいで、5もかなり飛んでいるようだ。終日マスクをして作業する。辺り一面農作業にいそしんでいるのは我々以外に見えない。だから静か。

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③.畑のブルーベリーの剪定が続く。

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④.里山の防獣柵の補修。ワイヤーメッシュを設置しているので不要になったネットの撤去をした。

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⑤.剪定したブルーベリーの枝をたくさん焼くので、トタンで囲いをして燃やす作業がしやすいように整備する。

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野菜畑のそばの梅の花が2輪開花。

2021年2月8日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年2月 7日 (日)

コロナめ!

毎日、毎日、新型コロナウイルスのニュースばかりで、わが家の子どもたちはうんざりしているようです。以前は、ニュースを見て「これって、どういう事?」とか、「えー、しんじられない!」とか、「おもしろいね。」とか・・・いろいろな話をすることがありましたが、最近は、反応なし!(そんな状態になっていたことに私は気づいていませんでしたが)先日、テレビを見ていた時に、「そろそろニュースにかえて」と言うと、「もう、コロナのニュースは見たくない。もう、いいよ。」正直な気持ちだと思いました。

 最近は、学校から帰って、友だちと遊ぶ約束をすることもなくなり、人が多く集まるショッピングセンターに行くこともなくなり、感染拡大が収まれば以前と同じような生活ができると信じて、ずっと、子どもたちはがまんをしています。本当に、まじめに。学校で給食を食べる時も「黙食」あまりにも楽しくないので、先生が音楽を流してくれるのがうれしいと言っています。みんながんばっています!

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こんな大変な時ですが、世の中ではいろいろな事が起こっています。みんな、疲れていますが、知ろうとしなかったり、見ないようにせずに、しっかり考えてきましょう。実は核実験が行われていたり、性差別的な発言をする人がいたり、「これはおかしいじゃろ!」「だめでしょ!」って、言いましょう。

 

 ちゃんと考えることができるためには何をしたらいいか。まずは、子どもたちの話を聞くこと、話すことから始めようと思います。私の、反省です。

 (かこ)

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2021年2月 6日 (土)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その5 ――次の4ステップは? 前半――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その5

――次の4ステップは? 前半――

 

シリーズの5回目になりましたが、今回からは、毎月、1の付く日と6の付く日 (ただし、31日は除く)、計6回寄稿することになりました。難しいテーマだけではなく、気軽にお読み頂けるような材料も交えて行く積りですので、宜しくお願いします。

今回と次回は、これまでに提案した「2040ビジョン」を実現するための次のステップとして、どんな可能性があり得るのか、系統立ってはいませんが、思い付くままにいくつかの提案をして行きます。

 

2040ビジョン」達成のための具体的ステップ

 次のステップとして可能性のある4つの活動を提案する前に、そもそもどのような活動でも、新たな参加者に活動を続けて貰えるようにするための工夫が必要だという点を強調しておきます。たとえば、それがどのような活動であれ、活動目標に至る効果的な「シナリオ」を共有することは最優先されるべきでしょう。実行可能でかつ魅力的なシナリオがあれば、参加者は増え、そのシナリオに従った活動をすることで、目標達成にも勢いが付くからです。

 一人一人の取る行動がどのような結果を生んでいるのか迅速なフィードバックをすることも大切です。参加者に取って自分の存在価値があると認めて貰えることは、自信の元になり、活動への親近感が増して、より強固なつながりへと発展します。その特別の場合として、地域やグループの中から「リーダー」の候補を見付け出して、その候補が信頼され尊敬されていると感じる環境を作ることも、活動全体の未来のためには必要です。

こうしたことも運動の中に取り入れてゆくことを前提にして、以下、次のステップとして成功の可能性が大きく、中間目標や最終目標達成に役立つと考えられるプロジェクトを掲げておきます。世界情勢全般を整理した上で、様々な可能性についての系統的な分析結果に基づいた提案ではありません。単なる思い付きの域を出ないかもしれませんが、何らかの参考になれば幸せです。

 

   北東アジア非核地帯条約 (英語のNortheast Asia Nuclear-Weapon-Free Zone の略 NEANWFZと略す) の締結、そして非核地帯の創設)        

 この非核地帯の創設は、梅林宏道氏とピースデポが提唱してきた現実的なアイデアです。広島・長崎両市、非核・核軍縮議員連盟をはじめ、多くのNGOや平和活動家が支持しています。この非核地帯が実現すれば、その影響は世界各地に及ぶことになります。

 ここで北東アジアとは、日本、韓国、朝鮮民主主義人民共和国 (以下、英語名のDemocratic People’s Republic of Koreaの略DPRKを使う)であり、その周辺国である中国、ロシア、アメリカも含めた6カ国が対象になります。非核兵器地帯になるために必要な要件は、(i) 日本・韓国・DPRKは核兵器を持たない、そして、(ii) 中国・ロシア・アメリカはこれら三カ国に対して核兵器を使わないことを保証する (NSA) と、という二つだけです。

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(日韓に存在するアメリカの核兵器は、次の段階で考慮することにして)、日本と韓国は核兵器を持たないので、この条件を満たしています。中国は、「核の先制不使用」を明言しているので、何もすることはありません。次に、アメリカとロシアが、日本・韓国・DPRKに対して核を使わないという保証、つまりNSAを与える必要があります。それは、DPRKに対して、国家としての存在を6カ国が保証することを意味します。6か国がこのような形で協力することは、永続的な朝鮮半島の平和を作り出すための出発点になります。このような環境を作ることと同時にDPRKに核兵器の廃棄を求めることは可能です。

 米ロにとっては、核兵器を廃絶する約束よりは、使わないという約束の方が条件としては受け入れ易いはずですし、朝鮮半島の平和と一体のNSAは、魅力的なバーゲンになるはずです。

 このアイデアの最大の問題は、これほど素晴らしい提案のあることを知っている人があまりにも少ないことです。関係6か国の市民の圧倒的多数が北東アジア非核地帯条約という目標を共有し、その実現のために動くというシナリオを実現するための第一歩は、そこなのです。

 また、梅林氏の『非核兵器地帯』中の詳細かつ説得力のある解説と分析もお読み下さい。

 

TPNW を既に批准している国をお手本にする

 日本やアメリカ等、TPNWを批准していない国では、わたくしたち市民が、改めて批准国から何が学べるのかを謙虚に考え直す機会を作ることが前進のための一歩になります。たとえば日本では、批准国 (A国と呼んでおこう) の駐日大使を自分の住む町や市に招待して講演会を開き、その国の国民が政府に対してどのようなアプローチで批准を促したのかを学ぶという可能性を検討したらどうでしょうか。その際に、市長や市議会からの感謝状を差し上げることも、その国との絆を強める上で大切でしょう。

 謙虚に学ぶべき内容の一つとして、被爆体験や被爆者のメッセージをA国とA国民がどのように共有しているかが考えられます。表立っての顕彰が全てでないことは言うまでもありませんが、例えばブラジル、サンパウロの市議会は、被爆者の森田隆さんを名誉市民として表彰し、サンパウロ州立の専門学校は森田さんの活動を評価して校名を「タカシ・モリタ」学校に改名しているのです。

 今の時点で、日本政府にこのように人間的な対応を期待するのは所詮無理ですが、日本国内でも、被爆者のこれまでの活動に対して同じレベルでの評価をしている自治体 (広島・長崎の他に) はいくつあるのでしょうか。ブラジルと同じことをしなくてはならないという意味ではなく、このような比較をすることから、私たちの立ち位置を改めて考え直す必要を理解して頂けるのではないでしょうか。

 

後半の部分は211にアップします。

  [2021/2/6 イライザ]

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2021年2月 5日 (金)

ヒロシマとベトナム(その21-2)

会社が「年末調整」をしてくれない!

毎月の賃金から天引きされた源泉徴収の過払い分を取り戻すための年末調整期限が終わり、確定申告の時期に入りましたが、先日、東広島市内の農業関係で働くベトナム人技能実習生に関する相談を受けました。その事業所にはベトナム人、カンボジア人など約30名の技能実習生が働いているとのことです。

相談内容は〔ノルマ達成のための残業や休日出勤を強いられ、年末調整も「自分でやれ」と会社がやってくれない。昨年は県外の代理店に手数料を3万円払いやってもらった。税務署に相談に行ったが「特定の事業所の年末調整については、どうこうすることができない。『税務署に相談に行きますよ』と会社にプレッシャーを掛けるとやってくれるかも知れないですよ」と言われた。広島にある技能実習機構にも相談したが聞いてくれただけだった。会社に知られると後が怖い。直接的に会社に話すのでなく、HVPFで動いて会社が年末調整をするようして貰えないか〕というものです。

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ここで源泉徴収と年末調整について簡単におさらいしておきたいと思います。

会社は技能実習生の年間所得にかかる所得税を、毎月の賃金からあらかじめ差し引く源泉徴収を必ずしなければなりません。そして、一年間の賃金額が確定する年末期に、従業員から源泉徴収した額とその従業員がその年に納めなければならない所得税額を調整するのが年末調整です。

その年に納めるべき所得税額は、扶養控除や保険控除、住宅ローン控除など様々な控除によって最終的に決まります。技能実習生が源泉徴収で所得税を払い過ぎていた場合にはその差額の還付を、不足していた場合には追加徴収を、会社は12月の賃金支払いを通して行わなければなりません。(所得税法第190条)。

 

母国の両親への送金も「扶養控除」摘要

技能実習生の多くは月15万円前後という低賃金の大半を母国に送金しています。

繰り返しになりますが、その送金が母国にいる両親などの扶養家族の場合には扶養控除の対象になります。

下表は、ベトナム総合情報サイトVIETJOが配信した世界銀行(WB)公表のベトナム人の海外から本国への送金額を表にしたもので、ベトナム政府が統計を取り始めた1993年と直近3年間の送金額の推移です。



1993年


2017年


2018年


2019年


2020年


送金額(us)


1億4,090


138億


159億


167億


155億


備考


1980年代から労働者輸出政策、

15年:米移民政策の影響、93年の統計開始以降110


下表は1月28日配信のVIETJOの記事を基に作成しました。世界に居住する越僑450万人、日本の技能実習生などを含めた海外出稼ぎ労働者58万人が昨年本国に送金した金額は155億us㌦、日本円で1兆6,100億円です。そのうち出稼ぎ労働者が毎年30億us㌦~40億us㌦送金しています。

一人当たりの平均送金額は53万8千円~71万7千円、月に換算すると4万5千円~6万円になります。

 

人数

送金額(us㌦)

1㌦104円換算


在日ベトナム人数

42万415

20206月末)

一人当たり平均送金額

53万7,931円

~71万7,241円

世界100カ国の越僑

450万人

115億us

~125億us

1兆1,940億円

~1兆2,980億円

海外出稼ぎ労働者数

(日本の技能実習生21万人含)

58万人

30億us

~40億us

3,120億円

~4,160億円

合計

508万人

155億us

1兆6,100億円

少なからぬ技能実習生は異なる言語や文化、慣れない生活環境の下で我慢や不当な扱いを受けながらも必死で働き、日本政府に税金を払い、生活を切り詰めながら賃金の大半を家族や親族の生活費として送金しています。本来、「扶養控除」で税の還付を受ける当然の権利を持ちながら、奪われているのです。

到底、許されることではありません。とにかく、行政や外国人技能実習機構広島事務所、管理組合などの関係機関に働きかけるべく行動を開始しています。

技能実習生が法の平等のもと、当然に認められ保護されるべき尊厳と人権を持ちながら、その多くが法外に置かれていることにあらためて気づかされました。

技能実習制度そのものに大きな問題があり、抜本的な見直しが不可欠と思っていますが、何よりもまず、現にある法外に置かれているこの実態にメスを入れなければならないと思います。

次回は日本に来るまでに多額の借金を背負わざるを得ない技能実習制度の実態について見てゆきたいと思います。

(2021年25日、あかたつ)

<編集後記>今月から、「より幅広い内容」とするため、イライザさんに、これまでの月3回に加えて、6の付く日(6日、16日、26日)に原稿を寄せていただくことにしました。明日6日が、その第1回目となります。どうぞお楽しみにしてください。。

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2021年2月 4日 (木)

ヒロシマとベトナム(その21-1)

「妊娠禁止規定」は違法、日本人と同様に法律で保護されている技能実習生

2013年7月の富山地裁による「妊娠禁止規定」違法判決後も、なぜ、多くの技能実習生が「妊娠したら帰国させられる」という恐怖に縛られ、妊娠・出産に関わる「事件」が後を絶たないのでしょうか。前回(16日)にも書きましたが、技能実習の「契約書」や「同意書」に「妊娠禁止」を記載することはもちろん、妊娠を理由に技能実習を打ち切り(解雇)、本国に帰国させるなどは違法行為です。

来日後に妊娠が明らかになった場合でも、日本人と同様に労働基準法など労働関係法や男女雇用機会均等法によって保護されています。したがって、技能実習は継続でき、妊娠中は残業しないことや深夜・休日には働かないことを求めることができます。受入企業は、妊娠した技能実習生が重い物を持ったり、危険な作業に就かせることを禁じられ、産前産後の休暇や育児休暇の保障、有給休暇ではなく勤務時間中の妊婦健診を保障し、通勤ラッシュを避けるための時差出勤も認めなければなりません。

また、住んでいる自治体(市町村)から母子手帳の交付を受け、妊婦健診への補助、健康保険から出産費用を賄うための出産育児一時金(42万円)の支給、産前産後休暇中の賃金代わりとなる手当金も受けられます。

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ベトナム人技能実習生が迫られる辛い選択、日本の女性にも通じる映画『海辺の彼女たち』の場面。今春、各地で上映予定。

「法令等の周知義務」不履行と「法令遵守」の欠如

ではなぜ、技能実習生による妊娠・出産に関わる「事件」が後を絶たず、増えているのでしょうか。

それは、多くの技能実習生、いや殆どの技能実習生が「知らない」から、いや「知らされていない」からです。

労働基準法第106条には、労働者の権利及び義務をあらかじめ労働者に周知し、適正な労務管理と紛争の防止のため、法令の要旨、就業規則、各種労使協定などを掲示、備え付け、書面の交付などによって周知しなければならないという「法令等の周知義務」が明記されています。

政府には受入企業や管理団体が法律を正しく理解・遵守し、技能実習生に不利益な扱いを行わないよう指導・監督する責任があります。そして、受入企業や管理団体は、法令を遵守し技能実習生保護に努める責任があります。

ところが、政府が実習実施者(受入企業)や管理団体に対し「妊娠等を理由とした技能実習生に対する不利益取扱いについて」という「注意喚起」を発したのは、20137月に富山地裁が出した「妊娠禁止規定」違法判決から実に5年半後の2019311日です。それは、前回紹介しました立憲民主党・阿部知子衆議院議員の「外国人技能実習生に対する妊娠禁止規定は民法違反とした判決があること等に関する質問主意書」に対する「答弁書」が出された28日の直後のことでした。

こうした日本政府の認識の欠如と緩慢な対応、法令を遵守せず人権を無視した就労を強いる受入事業者の存在が、技能実習生の妊娠・出産に関わる「事件」の増加につながっているのです。

遅れている行政サービスや市民的権利の情報提供

では、技能実習生が居住し、実習職場がある自治体の対応はどうなのでしょうか。

技能実習生は日本に入国後、一定の研修期間を終えた後に受入企業(実習実施者)のある市町村に転入届けを出し、当該自治体の市民になります。国民健康保険(もしくは実習実施機関の健康保険)に加入し、2年目からは住民税も納めます。毎月の賃金から源泉徴収もされます。そして、先に述べたような母子手帳の交付や妊婦健診、出産育児一時金などの行政サービスを受ける市民的権利を持ちます。

ところで、文化・生活習慣が異なり、立ちはだかる「言語の壁」の下で、こうした市民的権利に関する行政情報に技能実習生はアクセスできるのでしょうか。近年、道路標示や様々な案内板の多言語化、「やさしい日本語」による情報提供や翻訳ソフト活用などの改善は進められていますが、技能実習生にとって重要度の高い労働者保護や市民的権利に関する情報提供は非常に遅れているのが実態です。

その大きな原因は技能実習制度の主体が国にあるために市町村では受入企業が把握されておらず、適宜必要な情報を提供したり、健康や生命、人権などに関わる重要な行政サービスを提供することも困難な状況にあることです。

今から新型コロナ感染を防ぐためのワクチン接種が始まりますが、各市町村は外国籍市民を含め全住民へのワクチンに関する情報とともに予備検診、接種日時・場所の周知、クーポン券の送付などの準備を進めなければなりません。特に他の在留資格の外国籍市民と比べて、日本での生活に馴染みが薄く、「言葉の壁」を含め情報へのアクセス力が著しく弱い技能実習生の場合、住民基本台帳に基づく送付だけでは、正確な理解と対応は難しいと思われます。

技能実習先である受入企業や管理団体との密接な連携があってはじめて安心で安全なワクチン接種が行われるのであり、各自治体は様々な工夫を凝らして正確な情報の提供とホロー体制を急ぐ必要があると思います。

(2021年2月4日、あかたつ)

<編集後記>あかたつさんから、2回分の原稿を送っていただきましたので、今日と明日連載します。

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2021年2月 3日 (水)

旧日本軍朝鮮半島出身軍人・軍属死者名簿

昨年、宇品線の時刻表を調べるため県立図書館を訪れた時、目に入り気になっている本がありました。その本のタイトルは「旧日本軍朝鮮半島出身軍人・軍属死者名簿」です。気になった第一は、「この中に朝鮮半島出身の軍人・軍属で原爆の犠牲になった人の名前があるのではないか」ということでした。この本は、1346ページに及ぶ大冊です。一応ざーっと目を通したのですが、死亡日が「1945.8.6」となっている戦死者の名前をその時には見つけることができませんでした。

ずっと気になっていましたので、改めてこの名簿を調査するために県立図書館を訪れました。本当は借りて帰ってゆっくり調べたかったのですが、「貸出禁止」の本でしたので、館内で調べるしかありません。

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一人ひとり調べる前に、そもそもこの本は、どんな資料をもとに作成されたのかが気になったものですから、本の終わりの付された解説を読むことからはじめました。と言うのも、この本は「菊池英昭編」と、個人によって編集されたものだったからです。しかし、解説部分の冒頭に「『非徴用死亡者連盟簿』(韓国財務部)の特徴」と小見出しがついた一節があり、そこにはこの名簿作成の「元資料が何か」がきちんと記されていました。少し長いのですが、理解を深めるため大切だと思う部分を引用します。

「韓国政府は、1971年1月、日本政府に対し、日本国によって軍人・軍属に召集または徴用され、死亡した者の名簿の交付要請を行った。71年9月4日、日本政府は要請にこたえるため名簿を引き渡した。日本政府は、南朝鮮(原文のまま)に『名簿』を引き渡した後も、名簿の公開を拒絶してきた。現在この『名簿』は、韓国政府の『政府記録保存所』で電算入力作業を終え、ホームページ上で、名前、生年月日、本籍地、死亡場所を入力し、検索することができる。2万1692名分となっている(金哲秀『朝鮮人軍人・軍属死亡者名簿の分析』)。『被徴用死亡者名簿』を編集したのは、韓国政府財務部である。この『被徴用死亡者名簿』のもととなった資料は、日本国政府から韓国政府にわたされた。この資料の名前は『旧日本軍朝鮮半島出身者死亡者連名簿』と思われる。『被徴用死亡者連名簿』の各道の冒頭に、“旧日本軍朝鮮半島出身者死亡者連名簿”と表示されているからだ。」

この文章いよって、この本は、日本政府から渡された「旧日本軍朝鮮半島出身者死亡者連名簿」をもとに韓国政府が作成した「被徴用死亡者連名簿」を菊池さんが編集されたものだということがわかります。

その一部をコピーしました。

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見難いかもしれませんが、これを見ると、かなり詳細に一人ひとりの死亡状況を日本政府が把握していたことがわかります。別のページでは、死亡月日が、1946年になっている人もいますので、混乱の中でも日本政府が、記録していたことがわかります。朝鮮半島出身者に対する徴兵制が実施されたのは1944年からですから、当然のことですが、死亡時期は、1944年、45年となっています。この名簿を見れば、日本が、日本人の軍人・軍属に行った補償を朝鮮半島出身者にも行おうとすれば、すぐにでも実施が可能だということがわかります。

前置きが長くなりました。私が調べたかったことは、「広島に投下された原爆によって亡くなった朝鮮半島出身者が、この名簿の中に何人いるだろうか」ということでした。以前は、見つけることができなかったのですが、先に紹介した解説文の中ほどで「李鍝公殿下」の名前を見つけましたので、原爆犠牲者の名前が最低でも一人はあると思い、陸軍の8404名分を一人ひとり調べていきました。

名簿は、出身道毎(例えば、李鍝公は京畿道)に記載されていますので、丹念に探すしかありません。その結果、広島で原爆の犠牲となったことが明らかな人は、李鍝公を含めて7名でした。ただ李鍝公以外の名前は、全て創氏改名による日本名で記載されています。読みにくいかもしれませんが、上の資料の右から2番目の安村龍赫さんは、広島基町病院で亡くなっています。この部隊歩兵76連隊の他の兵士(左側につづく)は、「ミンダナオ島で死亡」となっていますので、病気か怪我治療中のため、広島基町病院に入院していた被爆したと考えられます。広島基町病院と記載されていますが、陸軍病院ではないかと思われます。「中国軍管区輜重補」には2名の名前があります。

7名の名前を見つけることができたのですが、「本当にこの7人だけだったのか?」「なぜこの7人の名前だけ残っているのか?」という新たな疑問が出てきます。少しでも原爆被害の実相にたどりつきたいと思ったのですが、その難しさを改め実感させられました。

一方で、わずかに7名かも知れませんが、軍人・軍属の犠牲者名簿の中に、原爆で犠牲になったことが明らかな名前が記されていることがわかりましたので、私がこだわっている日本人の軍人・軍属の原爆犠牲者の名前を明らかにできる資料があるのではないかという希望を持つこともできました。これからの課題です。

いのちとうとし

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2021年2月 2日 (火)

大田洋子文学碑の保管場所

一昨日(31日)、知人のお悔やみで楠木町に行った帰り、サッカースタジアム予定地の中央公園の作業状況を見るため寄り道をしました。寄り道したのは、以前から気になっていた「大田洋子文学碑」がどうなっているのかを知りたかったためです。

サッカースタジアム予定地は、大きく白いフェンスで囲まれています。その内側では、埋蔵文化財の発掘調査が始まっていました。現在は、上部の土を取り除く作業中と思われます。白いフェンスで囲まれた内側には、重機によって掘り返され、掘り上げた土が、中央園路より東側にも大きく盛り上げられていました。予定では、来年(2022年)の3月末までとなっています。

広場の中央にある園路のところからは、全体の様子が見渡せます。

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西側のフェンスぎりぎりまで作業が進められているようですが、掘られた土が積み上げられているため、こちら側からは、大田洋子文学碑の状態を確認することはできません。移動して、かつて大田洋子文学碑があったと思われる当たりのフェンスの切れ目(網目状になっている)から、中をのぞいてみました。フェンスの少し東側まで掘り起こされています。掘り起こされていない場所にはテントが張られていますので、大田洋子文学碑はすでにどこかに移動されているようです。

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翌日、以前訪れたことがある広島市都市整備局スタジアム建設部に電話し「今どこで保管されているのか」問い合わせをしました。

広島市環境局が所有する環境局旧佐伯工場:佐伯区五日市町大字石内1979番地に保管されていることがわかりました。わが家からは少し遠い場所ですので、保管状況を写した写真を送っていただきました。ブルーシートに覆われてきちんと保管されています。

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さらにお願いをして、移設作業の様子を写した写真も送っていただきました。石の大きさがよくわかります。

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写真を送っていただいたメールには「移設作業に当たっては、文学碑が40年以上前の石碑であり、相当に劣化していることも想定されました。そこで、運搬・保管中の損傷を避けるため、

・事前の石材分析による、石碑に亀裂が入らないような運搬時の吊り方・保管時の置き方(荷重のかけ方)の検討

・数々の庭園石材の工事に携わった熟練の職人さんを関東から招く

など、慎重に作業を行っております。」と書かれていました。

送っていただいた写真を見ながら、担当者から聞いた話です。「すべての工事が終わった後には、これまでと同じような配置で設置することにしています。サッカースタジアム建設では、フェンスより外側の現在の西側車道のところまで様子が変わることが予想されていますので、以前と同じ場所に設置することはできないと思います。ただ、あの場所は縁のある場所だと聞いていますので、あの付近に設置することを条件としています。」

「文学碑は、15個の石が配置されて作られていますので、再設置する時に同じような石組になるよう、きちんと移動前の写真を撮ってあります。」

サッカースタジアムの完成予想図などを見ると、西側車道まで大きく変わるようですので、果たしてどの場所に設置されるのか、少し不安になります。

保管のための移設作業は、昨年11月18日に完了しています。サッカースタジアムの完成予定は、2024年と言われていますので、それまでの長い間、大田洋子文学碑は、大切の保管はされていますが、ブルーシートに覆われ、人目に触れることなく時を過ごすことになります。

いのちとうとし

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2021年2月 1日 (月)

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その4 ――「成功例」を別の視点から整理し直そう・2――

新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その4

――「成功例」を別の視点から整理し直そう・2――

 

今回で4回目です。これまでのまとめをしておきましょう。まず人類の多数派が共有し、人類全体の「資産」と考えて良いような考え方があります。それを「自明の理」と呼ぶと、1945年には「自明の理」を確認する形で「核兵器廃絶宣言」なり「核兵器禁止条約」といったものが出来ていて当然だったことを指摘しました。

その核兵器禁止条約がようやく発効しましたので、次の目標を確認すると、それは、核兵器の完全廃絶になります。目標に期限を付けて、これを「2040ビジョン」と名付けました。念のため、再掲しておきます。

 2040ビジョン

  • 出発点: 今
  • 最終目標: 2040年までに、核なき世界の実現と核の脅威からの解放を達成
  • 中間目標: 2030年までに、日本政府が核兵器禁止条約を批准する

この目標達成のためには、これまでの成功例から教訓を得て、次の具体的ステップを踏んで行くことが必要です。前々回までは、核兵器禁止条約 (TPNWと略します) の発効に至るまでの平和運動の「成功例」を掲げておきました。

そして前回は、「成功例」を少し違った視点、つまり「事実」として「成功しましたよ」という事例を確認するのではなく、「何故」あるいは「どのように成功したのか」についても考えながら5つの「柱」を提示し始めました。前回はその内の三つまで紹介しました。

「多数派の力」を活用   

➁ 条約や法律制定を目標に掲げた

国家が条約や法律を遵守するよう、裁判所に訴えを起こした

です。今回は、残りの二つです。

非核兵器地帯を創る

平和創造の基礎単位としての都市と市長の役割

 

まず、

非核兵器地帯を創る

 非核兵器地帯条約とは、ある地域の国々が核兵器を持たないことに合意し、核保有国は、その地域の国々を核兵器で攻撃しないという保証を与える条約を指します。その保証は、Negative Security Assurance (消極的安全保障、略してNSA) と呼ばれます。以下、非核兵器地帯のリストを掲げますが、この中で、NSAによる保証が行われているのはトラテロルコ条約だけなのですが、その他の条約については世論の力がNSAの代りになっていると考えられます。各条約の概略は下記の通りです。

1 南極条約 (1959) 2013年に50か国 

2 トラテロルコ条約 (1967) 中南米の全ての国33か国プラス核保有5か国批准 

3 ラロトンガ条約 (1986) 南太平洋の13か国・地域プラス、ロ中仏英批准--米は署名のみ

4 バンコク条約 (1997) ASEAN諸国10か国――核兵器国は全て未署名 

5 ペリンダバ条約 (2009) アフリカ諸国54か国中、28か国批准、仏中英が批准、米ロは署名のみ

6 セメイ条約 (2009) 中央アジア5か国  

7 モンゴル非核兵器地帯宣言(1992)と地位の確認(1998) 核保有5か国が、「モンゴルに協力する誓約の再確認」を発行(2000)

 これらの地域に色を付けた世界地図も御覧下さい。

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南半球は全て非核兵器化されていますので、後は北半球を非核化すれば良いだけです。

 平和創造の基礎単位としての都市と市長の役割

 スコットランドは2014年に、イギリスから独立するか否かを決めるための住民投票を行いました。独立すれば、(現在イギリス国内では唯一、スコットランドに置かれている) 核兵器を廃棄すること、NATOからは脱退し、EUには残るという結果になるはずでした。投票の結果、そのシナリオは実現しませんでしたが、イギリスがEUから離脱した今、状況は流動的です。

 スコットランドがこのように大胆な行動を取るのには理由があります。スコットランドの全ての自治体は、既に「非核自治体宣言」をしており、平和市長会議のメンバーだからです。そもそも、非核自治体運動はイギリスが発祥地なのですが、地理的に考えると、スコットランド内のどこにも核兵器を置ける場所はないことを意味するからです。

 世界の都市は例外なく戦争を否定しています。それは、戦争による被害は都市が受けるからです。事実、戦争による大きな被害の代名詞は、圧倒的に都市の名前なのです。広島、長崎はもとより、ゲルニカ、ドレスデン、重慶、南京等がすぐ頭に浮びます。

 その結果、「Never again!」が都市共通の合言葉になっています。広島・長崎の被爆者の言葉では、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」です。その結果、2003年に平和市長会議が「2020ビジョン」を提起したときには、雪崩を打つように加盟都市が増えたのです。その事実をグラフで示しておきましょう。

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都市は軍隊を持ちません。官僚的思考では、だから国家より劣った不完全な存在だと考える傾向さえありますが、実は、未来の世界の基本的構成単位としての役割を果しているのです。この点については、改めて論じたいと考えています。

さらに、都市は軍隊を持ちません。ですから、都市が他の都市を攻撃することはあり得ません。そんな都市同士の関係では、かつて戦争をした国の間でも、都市と都市の間で、「誰が誰に何を最初にしたか」という責任のなすり合いにはなりませんので、戦争の回避と否定についての共同戦線を張ることが可能になります。核廃絶についても同様に都市間の連帯によって大きな枠組みを作ることが可能です。その中に、国家を組み入れて目標に近付くというシナリオには、それが多数派の市民の意志を反映していることから大きな力があるのです。

次回は、「2040ビジョン」達成のための具体的ステップ になり得る、[次のステップ候補4]を説明したいと思います。

[2021/2/1 イライザ]

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