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2021年1月 7日 (木)

父の入営

昨年末、東京に住む姉(6人兄弟の2番目)から、一枚のメモ書き(と言ってもパソコンで打ち直したもの)が、メールで届きました。

このメモ書きは、姉が母の生前中に聞き取った満州(現在の中華人民共和国 遼寧省、東北省)在住時代の家族の動向が、時系列で簡単に記されたものです。私の両親は、とも水飲百姓の家に生まれたと聞いていますので、一旗揚げようと仕事を求めて、1934年(昭和9年)に当時の満州国(以下「中国」と書く)の奉天(現「瀋陽市」)にわたり、敗戦をそこで迎えました。

このメモには、兄、姉の生年や学校名まではっきりと書かれた学校歴が、年代を追ってきちんと整理をされています。私の兄弟のうち、両親が結婚してすぐに生まれた長男と戦後生まれの私を除く4人は、中国の生れですが、その出生地もこのメモで確認できました。

もちろん子どもたちのことだけでなく、中国にわたって以来、父がどんなところで働いていたか、家族がどこに住んでいたかも書かれています。

姉が、いつ頃母に聞いて書いたメモかはっきりしませんが、母の晩年の頃のことは間違いありません。それにしては、びっくりするぐらい地名や学校名がはっきりと書かれていますので、母の記憶力の確かさにびっくりします。何か自分なりのメモでも書いていたのかもしれません。

このメモで一番びっくりしたのは「20年8月11日    信二入営」と書かれた一行です。

信二は、私の父の名前です。

Img008_20210106155501

現在わが家で唯一所有する父の写真

父が、兵役年齢である40歳を超えて、終戦間際に現地召集されたことは何となく知っていました。召集令状が届いたのが「確か終戦間際の昭和20年(1945年)7月26日だった」ということだけは、記憶していましたが、入営日については、何故か今まで関心を持ったことがありませんでした。

以前から、召集令状が届いた日の7月26日の日付でさえ、もうすぐ終戦だったのにという思いを持っていたのですが、入営日が終戦日まであと4日という8月11日だったことにびっくりしました。この日付を見た時、余計に「もし」という思いを強くしたのです。

広島、長崎への原爆投下もそうですが、もう少し終戦の決断が早ければ、父の2年間のシベリア抑留も、そして母が一人で、満1歳になるかならずかの幼子を初め5人の子どもたちを連れての帰国の苦労もなかったはずだとどうしても思えて仕方がありません。

このメモには他にも大切なことが書かれていました。

一つは、父が入営してすぐの8月13日から15日まで残された家族6人は、場所ははっきりしませんが、疎開していたということです。13日からと書きましたが、メールに書かれた姉のメモによれば、疎開先に着いた日に終戦を迎えたそうです。

この疎開は、きっと職業軍人だった叔父(父の弟)の勧めがあったからだと思います。そう思うのは、私のすぐ上の兄(三男)は治(おさむ)という名前ですが、この名前は、叔父が「もうすぐ戦争が終わるから」と付けてくれたそうです。軍人だった叔父には、当時の戦況(ソ連軍の侵攻、終戦間近)がよくわかっていたのでしょう。この疎開があったから私の家族は、侵攻してきたソ連軍の被害から免れることができたと想像できます。

もう一つは、家族が帰国することになった港のことです。旧満州から帰国する時、朝鮮半島を南下し、苦労したという話を多く聞いていました。ですから私は、ずっと「わが家もそうだったのだ」と勝手に想像していました。ところが今回のメモで、わが家は、朝鮮半島は通らず、中国の遼寧省葫蘆島(ころとう)という港からの引き上げだったことがわかりました。

Photo_20210106155501

姉のメモでは、「胡了島」となっていましたが、その前に「奉天錦州を経て胡了島にて出航待ち」と書かれていましたので、調べてみると「葫蘆島」だということがわかりました。ここからは満蒙開拓団など多くの人たちが、引き揚げています。わが家が、この港を出港したのは、昭和21年(1946年)6月2日、そして6日後の6月8日に舞鶴港に上陸しています。母に連れられて子ども5人が、無事に帰国しました。

姉が送ってくれた1枚のメモからわかったことです。たった1枚のメモでしたが、以前から知りたいと思っていた当時の家族の様子を少しだけですが私に教えてくれました。

いのちとうとし

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コメント

「いのちとうとし」様

お父上の入営や御家族の引き揚げについて共有して下さり、有り難う御座います。貴重な記録ですので、「いのちとうとし」さんが調査された、広島の歴史についての記録と一緒に、もっと多くの人に読んで頂きたいですね。何とか一冊の書物にまとめられると多くの人に喜ばれると思います。

となると、あかたつさんや、ブルーベリー農園の報告、木原さん、そしてその他の皆さんの投稿も、それぞれ、一章にまとめた「全集」もできたら素晴らしいですね。費用はクラウド・ファンディングでどうでしょうか。

「新・ヒロシマの心を世界に」一ファン さん
コメントありがとうございます。
そうですね。もっと多くの人に知っていただきたい思いはありませ之で、どう広げるかを考える必要があると思います。
ただ、一冊の本ということになると、そんな内容かなという思いもあるものですから。
良い知恵があれば、ご教示ください。

匿名希望、非公開希望で「軍歴」のことを教えて下さった方があります。ありがとうございます。嬉しいですね。
軍歴のことは、実は父のこともですが、別のこと(原爆関係)でも調べたいなと思っていることがありますので、父のことから手掛けてみたいなと思います。

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